■0619■
レゴモデルビルダーの、直江和由さんが亡くなった。日曜日、急に倒れられたと聞く。
「フィギュア王」のレゴの連載でお会いしたのが最初なので、10年近く前になる。離婚後、連載をやめた後だったはずだが、吉祥寺で朝まで飲んだのが、お会いした最後だったと思う。
(朝まで……ではなく、正確には夜が明けても、コンビニで酒とツマミを買って、2人で井の頭公園で飲みつづけた。)
その日は、担当編集が「直江さんと飲んでるので、ちょっと出てきませんか?」と、電話してくれたのだった。
直江さんは酔ってらして、いつも持ち歩いている手帳に、ビールのジョッキを前にした僕の似顔絵を、描いてくださった。
その似顔絵は、写真に撮ったはずなのだが、探しても出てこない。
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西船橋の工房まで、八王子の自宅から通っていらした。
携帯電話を持たず、電車の中では、アイデアを絵にしてらした。そういう方なので、最後に飲んだ夜も、奥さんに電話するために、店を出て公衆電話まで歩く、その後ろ姿を、急に思い出した。
西船橋の仕事場へ取材に行ったとき、「せっかくだから、何かお土産に持っていってください」とおっしゃる。
大きなレゴ・フィギュアを欲しがっている知り合いがいたので、「では、あれをいただいても良いですか?」と聞くと、直江さん自ら、雑巾でフィギュアを拭いて、大きな手で抱えて運んでくださった。
そういう方だった。その後も、僕は、お世話になりっぱなしだった。
離婚直後、直江さんを毎月のように取材し、少しずつ仲良くさせていただいた頃の、心の景色のようなものを、突然に思い出す。
わずかばかりであろうと、酒の匂いに汚れていようと、僕は、少しの向上心と尊敬の念を維持していられた。それは、「やれやれ」と溜め息をつきながらも、僕の原稿を認めてくださる大人たちが、周囲にいたからだ。そのひとりが、直江さんであった。
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そしてまた、何のお返しもできないのだ。石黒昇監督のときも、そうだった。
「廣田さん、次回は……」「廣田さん、いつかは……」と、いつも将来の話をなさる方だった。その将来は、とうとう来なかった。
運命が、その機会を奪ったのではない。僕が、機会を逃したにすぎない。いい加減、本気になってみたらどうなんだ?と思う。
悲しいというより、怒られた気分。あの日の朝、コンビニで買った酒を、最後まで飲みほせなかった。僕は、ひどい二日酔いだったはずだ。僕がだらしなく寝ている間に、直江さんは、遠くへ行ってしまった。
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