■0609■
WEBで公開されていた『GALACTICA:スピンオフ【BLOOD&CHROME/最高機密指令】』が、なんと日本語吹き替えでレンタルされていることが、判明した。
25日には、ブルーレイも出るそうだが(■)、全シリーズをDVDで集めているので、DVDでもいいかな……と迷ってしまう。
メーカーとしては、重厚長大な『ギャラクティカ』本編に比べ、『BLOOD&CHROME』はエンタメ性の強い、SFサスペンスとして売り出したいようだ。
製作者のひとり、ロナルド・D・ムーアが抜けてしまっているが、本編に比べると、確かに軽く楽しめるのかも知れない。
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『惡の華』第10話、朝まで4回も続けて見てしまった。
峠につづく車道は、夕方と夜の二回、同ポジで出てきたと思うが、特に夜景が目に染みるように美しく、「これは確かに、僕の知っている風景だ」と思わせてくれた。
上手側の民家の明かり、下手のガソリン・スタンドの明かりが、心細く温かく、「いつか自分も、こんな道を通ったな」と、感傷的な気分にさせられた。
それにしても、声優たちの、自分の人生を投げ捨てたような演技には、驚嘆するほかない。あれは、実写の俳優には無理だろう。20代後半の日笠陽子が中学生を演じるから、厚みが出るんでしょ。本物の14歳に出来るだろうか?という気がする。
三人とも、確実に寿命をちぢめる芝居を見せてくれた。
……結局、思春期を捨てられてないんだよね。人間の脳ってそういう構造なのかも知れないけど、高校~大学のいちばん強烈だった日々を、つい昨日のように思い出してしまう。ひとりで行くあてもなく、何日もさまよったりとか。好きな子と二人、公園で野宿したりとか。それから後、結婚したり離婚したり……は、社会的には大きいかも知れないけど、心の中の出来事としては、十代のころに、好きな子と歩いた経験のほうが、比較にならないぐらい巨大。そういうもんです。いま十代なら、押しつぶされそうな辛い恋愛であれ、物理的に胸が痛むような恋愛であれ、もうそれ以上の体験は巡ってこないと思ったほうがいいです。
命をかけた、汚らしいまでに心の中をぶちまけた激しい恋愛って、一生に一度なんだよ。あとは、すべてフェイクなんだ。「こんなことなら、前にもあったよ」って、ずっと失望しつづけていく。
自分の正体を、見てしまうんだよ。結果がどうあれ、きれいにあきらめて、きれいな思い出などに終わらせず(それは卑劣だ)、自己嫌悪に陥るぐらい正直になれるとしたら、一生に一度。相手の精神力をも、使わせてもらうんだよ。
俺は、「廣田君は自分に酔っている」「エゴイスト」と言われたよ。それ以降、誰ひとり、そんなことは言ってくれなかった。
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佐伯さんが、「石ころだった私を、春日君は宝石にしてくれた」と言っていたけど、あんな重たいセリフ、ないよね。そんな風に思える恋愛って、彼女の残りの人生には、二度と訪れないと思う。
「若気の至り」とか、そんなものではなくて、角砂糖のでかい塊を飲み込んだような感覚なんだよ。その巨大な角砂糖を、ちょっとずつ薄めて、溶かして、人生の残りを生きていくしかない。
それから後に発生する仕事であれ何であれ、それらをやりとげるための巨大な材料を、エネルギーを、魂をすり減らすような体験と引き換えに、胸に収めるんだよ。それは、拒否できない。拒否できる程度の小さなものだったら、そこから先は、つまらない人生になる。
――俺は、「恋愛は尊いから、大事にしなさい」なんて言ってないよ。恋愛か、恋愛に近い状況が来たら、その後に生きていけるだけの力を得られる、またとないチャンスなんだよ。
思いのあまり、血が吹き出るんじゃないかって体験が必要なんだ。
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コメント
廣田様。
「悪の華」。僕も重要な作品として見ています。
自分の中に強烈に入ってくるモノがあります。
ロトスコープの技法を見ているようで、実は“それが何者かをトレスしたものである”というのが僕にとっての「悪の華」の正体のようです。
あの映像を見ている時に、トレスの元になった“誰か”は見ている人それぞれで違うのではないか。
見えている風景もそれぞれ違うのではないかと思っています。(僕は海を感じることがあります)音響もある意味トレスですね。
そこには追体験とは違う自分とのリンクが存在しているようです。
「悪の華」を見て、廣田様の言われる「一度きりのあの時」を自分独自のトレスをしています。
思考としてとても満ちるモノがあります。
原作は未読なのですが、それが問題ではないところが“アニメ悪の華”の“悪の華”な部分なのでしょうか…
投稿: 吉田大輔 | 2013年6月10日 (月) 18時19分
■吉田大輔様
ご無沙汰しております。アニメーターの方から感想をお聞きするのは、初めてです。
>あの映像を見ている時に、トレスの元になった“誰か”は見ている人それぞれで違うのではないか。
ああ、それまで「『惡の華』は、誰かの脳が見ている映像を、覗き見ているのだ」と漠然と思っていたのですが、何となく分かった気がします。
自分がトレスされてるかも知れないし、自分が思い描く他人かも知れないし……。
>そこには追体験とは違う自分とのリンクが存在しているようです。
追体験ではない。そこも重要かも知れませんね。
僕の場合、「俺にも似たようなことがあったぞ」と記憶してはいるのですが、こうして書き殴ることで、何だか物語のラストから逆走している気分になりました。
例えば、「過去」というのは、本当に過ぎ去ったものなのだろうか?とか。いま猛然と僕に襲いかかってきているのが、僕が「過去」と呼んでいたものです。
この2日ほど、不安定な気持ちで過ごしています。
投稿: 廣田恵介 | 2013年6月10日 (月) 18時34分