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ちょっと前まで、5ラインぐらいの仕事を並走させていたけど、どうやら一本に絞れた。
去年は、「3ラインをどう走らせるか?」を考えていたので、仕事うけすぎです。
まず、大前提として、「いい本をつくりたい」と、誰しも考えるのであろう。「前より、いい本をつくろう」「今までより、上手につくってみせよう」と。(「前と同じでいいや」とか「楽して終わらせよう」ではなく!)
もちろん、「売って売って、必ず儲けを出すぞ」でも構わない。そこに理想があるなら。
「向上心のある読者を、しっかり啓発したい」「疲れている読者にとって、いい暇つぶしを提供したい」という良心があるなら、僕は大賛成するわけです。
……それをね。「会社が、上司が、こう言ってるから」とかさ。「スケジュールがこうなってますんで」とかさ。人のせいにすんなっての。アンタが、どうしたいか……だろ?
急いでるんであればさ、俺は「明日、ゆっくりやるか」と思っていた分を、前倒しにしてでも終わらせるよ。それが出来るのは、俺に主体性があるからでしょ。自分でコントロールしてるからでしょ。
あのね。こんな乞食寸前の、来月にはホームレスかも知れない、酔っ払いのキャバ狂いのライターでさえ、自分の責任だと思って、工夫して回しているわけ!
主体性のある人は、言葉にしなくても、仕事の進め方がいいから、分かるんだよね。どんなに手荒だろうと、「おめー、話が違うだろ!」ってことがあろうと、出来上がった本は、美しいんですよ。理想を、具現化してくれてるんですよ。
俺はね、そういう人たちを、心で抱きしめてますからね。
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俺は前の日記で、母のことを書いた。
母のことで、いちばん嬉しいのは、いつもは何も言わない人が、だまって花束を持ってきてくれること。どんな言葉より、無言の花束が嬉しいんですよ。
何故なら、俺には、母を救えなかったという罪悪感があるからです。(←三鷹駅前、2011年末)
先日、人妻のことを書いたでしょ。彼女は、会ったこともない俺の母に「夢で会った」「恵介さんと笑ってた」とか言うわけですよ。
嬉しいわけないでしょ、俺が助けられなかった母親の夢を、赤の他人が見たところで。
人妻さんよ。アンタが、なにをどう弁明しようと、もう絵空事にしか聞こえない。
俺の本当の痛みは、母を失ったことよりも。母を助けられたかも知れないのに、楽観して何もしなかったことにあるのだ。
――旦那との、ぬくぬくした暮らしを手放せないアンタに、分かるかね。離婚して、母を殺され、さぞかし、俺は物珍しい生き物に見えたんだろうな? フリーランスで、物書きで、さぞかし面白く生きてるように見えたんだろうな?
俺が、本当に、身も心もガタガタのとき、「抱いて欲しい」と言ったら、アンタは逃げた。
それが、アンタの正体さ。ぬくぬくした暮らしをしているヤツほど、根は残酷なんだ。
「私は、普通の人間です」ってヤツらが、いちばん、人の理不尽な死に、加担してるんですよ。
優しさの何たるかをね、頭のハゲたオッサンの私ですら、この歳で学ぼうと思うんだよ。何でそう思うか? ヤツらのように「私は優しい人です」なんて、自惚れちゃいないからだよ。
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『惡の華』を見ればな、あそこに世の中を憎み、哂い、それでもそこで生きるしかない混沌、矛盾、絶望、それらの言葉の欺瞞、欺瞞という言葉に対する嫌悪、嫌悪すら乗り越えようとする慈しみ、すべてが透いて見えるだろう?
だけど、笑いながら生きなきゃならないんだって、大人なら分かるだろう。大人になっても、何も減らないし、何も増えないにもかかわらず。
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