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2013年5月20日 (月)

■0520■

実は、『惡の華』第7話は、たまたま放映日に、長濱博史監督にインタビューしてしまって。
すると、自我の弱いライターは「あんないいスタッフがつくっているアニメを、批判的に見てはいけない!」なんて、バイアス丸出しの発言をするようになってしまう。
僕も、「やっぱり、ちょっとヒイキ目で見てしまうよなあ……」と警戒しながら視聴し、「確かにスゴイんだけど、第7話は一回見れば十分かな」と苦しい合理化を行い、そのまま封印するつもりだったのです。

だけどまあ、とんだ皮かむり野郎でしたね、俺は。
『惡の華』第7話のクライマックスの狂乱を見て、『台風クラブ』を思い出してしまうのは歳かな?と思ったんだけど、ATGみたいにさ、「映画をもって革命を起こそう」なんて考える監督が、今の日本にいるんですかね? 当時は、寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』なんて、男性器ドUPの予告まで流れていたし、それを見た皮かむり野郎たちが「けしからん!」と怒り出す中、寺山に心酔していた未成年の俺は、震えながら映画館に通っていました。
今さ、映画をもって現状を突破しようと挑む監督って、園子温が、たまに試みているかな?って程度で、あとは広告代理店の言いなりでしょ?

映像作品を解放せよ! 見る自由、見られる自由を手放すな! そう思ったから、俺は署名を集めたり、映倫に質問状を送ったりしたはずです。
前にも書いたけど、仲村さんのいう「変態」は変態性欲のことじゃありません。いわば、「内面のない状態」のことだろうね。春日くんに内面がなかったら、初めから「佐伯さん、キミの体操着を盗んじゃった。ゴメンね!」と、教室のみんなの前で、舌を出していたろう。……それ、確かに変態だけどね。ウソはついてないよね、自分にも周囲にも。善いも悪いも、内面がないって、そういうこと。

……で! その精神状態を、仲村さんは行動に表して欲しかったんだね。彼女は、みんなが皮かむってるのが許せない、不健全だと思っている。誰もが解放される、誰もが内面をなくした「変態」になれば、この閉塞感を吹き飛ばせると信じている、やってみなくては分からない! 
仲村さんの提案を拒否する理由があるとしたら、それは「臆病」以外にないと思うよ。


『惡の華』は、内面の話だと、ずーっと思ってた。だけど、社会の話ですよ。どの大人も、皮をかむってるから、ややこしくなるんでしょ。だけど、本音を言うと、「引くわー」ってなるでしょ。
行政の決めたことに、へこへこ従ってるほうが楽でしょ。考えなくてすむし、勇気もいらない。仕事だって、そうだよ。「大人の対応」とやらで対立を避け、臆病さを糊塗し自己正当化し、口座に金が入れば、みんな黙ってしまう。

僕は、黙りたくなかった。だから、マチ★アソビをはじめ、肉声で伝えようと思った。
「文:廣田恵介」となっていても、しょせんは権利者のチェックした文章しか印刷されない。チェックどころか、プロデューサーや広報担当者が、平然と僕の文章を書き直してますからね。著作権を侵害しているのは、一体どちらなのか。……こういうことを言ってしまうから、僕はプロデューサーから、名指しで嫌われている(笑)。

トークでは何度か言ってきたけど、「こんなことを口にしてはヤバイのではないか?」と、みんな最初から怖れすぎるの。ただの臆病を「大人の対応」って誤魔化してるから、本当の歓喜に触れられない。本当の歓喜ってさ、ガミラスとイスカンダルみたいに、恐怖や罪悪感と隣り合わせてるんだよ。

勇気は、天から降ってこない。クソムシたる我々の中で、いつでも寝息をたてているのだ。

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