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2013年5月 9日 (木)

■0509■

これから10日間ほど、落ち着いて映画を見られない日々がつづく。
昨夜、フランス映画『フランドル』を借りてきたが、もっと温かい映画が良かったかも知れない。

最近、人生には3ラウンド目まである――と考えるようになって、自分は今、その準備をしているのだと思う。ずっと続けてもいいであろうことを、あえて終わらせているのは、第3ラウンドで身軽になるためだ。
それは損でもないし、得でもない。まして、「景気が回復すれば、また仕事が戻ってくる」式のファンタジーとも無縁である。

クロアチアにツアー旅行したのが、直接的なキッカケだった。
Cimg1100(←ドブロヴニク城壁、3月26日。)

46年間も、たまたま生まれた国に引きこもり、対人恐怖に悩みつづけ、できるだけ無残な死を望んでいた自分が、やっと青空の下に出られた。
それは入り口ではあったが、しかし、出口はない。帰ってくる必要などない。

「本当の自分」などない。あるがまま、その日に為したことが全てだ。


僕の第1ラウンドは、そうとう悲惨なものだった。大学卒業間際、こっぴどい失恋をした。心療内科に通わねばならないほど、ダメージは大きかった。
卒業から一年後に一人暮らしを始めたが、家賃を滞納するほど、生活に困窮した。

模型を作って金を得てはいたが、早々と腕の衰えを感じていた。
そもそも、自分は20代のうちに映画監督になるべきだと考えており、そのための努力が、よけいに僕を疲弊させた。夢想するだけではなく、具体的に映画会社にコンタクトしてしまった。
今の仕事に就いてから、無数の成功者と出会った。彼らから学べるのは、才能ある者は、徹頭徹尾、才能に見合った努力だけをしている――ということだ。
つまり、磨けば光る部位を磨いている。いくら磨いても光らない部位には、最初から触れようともしない。早々と、あきらめる。その「見切り」こそが、才能なのである。

自分を「見切れ」ない人には、第2ラウンドは訪れない。光りもしない玉を磨きつづけて、歳だけをとっていく。
そういう者は他人を妬むばかりか……、やがては自分をも憎悪するようになるんじゃないだろうか?


インターネットは、原則的に、実生活の報告の場だと考えているが……、「【急募】レイシストの俺を、レイシストじゃなくする方法」には、ひさびさに呆れはてた。→

新大久保で「在日は死ね」、鶴橋で「大虐殺しますよ」と叫んでいる自称レイシストは、みんな同じような考えなのかね? 問題は、国家でも民族でもない。いい歳をして自己実現できず、それゆえに恋人もできず、だからこそプライドと憎悪で、自分を鎧わずにいられぬ人々……。

僕の母は、「殺すぞ、殺すぞ」と脅されつづけ、本当に殺されてしまった。
新大久保や鶴橋で「ぶっ殺すぞ!」と気持ちよさそうに叫んでいる、しょせん本気でない皆さん。本当に世間をイヤになるのは、血が流されてからだよ。

自分に誇るべきものがない人は、自分の生まれた場所・地域の自慢を始めるという。
ま、そこに生まれるだけだったら、何の苦労もないわけで。僕だって、ただ日本に生んでもらったから「日本人です」と言えてるだけであって、そこには努力も特権もないわけだ。
だけど、とうとうポケットが空になった人間は、「私は日本人だ」ってプライドの持ち方しかなくなる。自分が一文無しであることを自慢するしか、なくなるんだよ。

――僕は、自分の道を探す。自分だけの自由と幸せを探す。栄誉と無縁の美しい場所で、いつかひっそり死ぬために。

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