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月刊モデルグラフィックス 6月号 25日発売
●巻頭特集「強襲揚陸艦」対談
畏れおおくも、岡部いさくさんとの対談……という形になっていますが、実際は私が一方的にインタビューして、対談っぽくまとめただけです。
岡部先生は、非常に温厚で、お話ししていて安心感のある方でした。(僕の肩書きを「アニメ評論家」と書いたのは、編集部です。自分で書くわけがない・笑)
●組まず語り症候群 第六夜
今回は「風の谷から来たオーパーツたち」。
『ナウシカ』のプラキットは前回やったので、今回はレジンキットと完成品です。やっぱり、プラキットのほうが制約が多い分、「面白い」んだよねえ……次号は、別作品でプラキット・オンリーです。
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「エヴァコン」。受付を2人ですまさねばならないので、友人は仕事を抜けてきて、僕のために受付を済ませて、すぐ帰るという。それではあまりにも申し訳ないので、僕も行かないことにした。
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さて、『惡の華』なんです。ライターさんや編集者と話していても、意外に、意見が分かれる。僕は、飽くまでも「面白い映像」を見たいのであって、「完成度の高いアニメ」を求めているのとは、ちょっと違う。『マイマイ新子と千年の魔法』だって、もっと大人しい決着のさせ方はあったんじゃない? 「……すごくいい物を見たんだけど、どうやって人に分かってもらおう?」 そう思ったから、ああまでこだわったわけで。
僕が、『惡の華』を見続けている――つまり、そこに快楽を感じている理由の半分ぐらいは、声優さんの演技。特に、キモい仲村さん役を、あの伊瀬茉莉也さんが……(一度だけ、インタビューしたことあります)。
息遣いが、素晴らしい。「体の」と言うとき、「カ」ではなく「ッカ」と息が抜けているんだよね。無意識に興奮しながらまくしたてるセリフと、主人公への効果を狙っている扇情的なセリフを……当然のことだけど、使い分けている。
ここ数年の邦画で、「自然な」芝居が流行った時期がありました。「普段のように、ボソッと話せばリアル」みたいな。でも、マイクの前に立ち、自分(=役)に対して苛立って声が裏返ってしまうなんて、そんな芝居ができるのは、日本の声優さんだけです。
で、伊瀬さんが「どうして、私がこんなキモい役を!」と悩んでいたらイヤなんだけど、なんと、ご本人のブログ(■)では……(以下引用)
アフレコ終わったあとは毎週スタッフ・キャストでご飯に行くのですが、
そこで毎回ほぼ、私とひよっちは泣く(笑)
悲しくて、とかじゃなくて、幸せで。
役者としてこんな幸せな現場に居られて、なんて幸せ者なんだろうって。
(引用おわり)
……そりゃ、泣くでしょうよ。それが、俳優という生き物です。持ち前の「個性」なんてものに泥を塗れば塗るほど、ますます「役」を引き立てられる。「演じる」ことの危険さ、危険さと表裏一体の快楽は、おそらくそういうところにあるのです。
(坂東玉三郎の『ナスターシャ』を観劇したことがあるんだけど、ある瞬間、フッと玉三郎ではなくなるんです。作為が消え去るというか。)
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僕は、かつて見たことのない挑戦的な作品を見ている。それだけで幸せ。とっくに知っているような作品を「ハイ、新作ですよ」と目の前に出されるよりは、先行きの見えぬ作品と一緒に迷ってみたい。作品が壊れるなら、僕も一緒に壊れてもいい。
恋愛でも旅行でも、すべては旧い自分を壊すための道行き。その残骸から、弱々しくとも、新しい自分が芽吹いてくれれば、めっけもの。「旧い自分を肯定し、旧い自分を強化する」、これが老いです。私よりずっと若いのに、老け込んでいる人がいるようだ。
作品を心底、楽しみたければ、命綱など外してしまうこと。
(C)押見修造・講談社/「惡の華」製作委員会
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コメント
>もっと大人しい決着のさせ方はあった
未だに観ても胸がキューンとなる。普通に感じる感動とは違ってる。色々な偶然が重なって最終的にあの作品ができたのかもしれないけど、そんな事はどうでもよかったりする。
>「旧い自分を肯定し、旧い自分を強化する」
年齢関係なくいる〜「自分を全く疑ってない」人。でも周りからみて「安定感あるなこの人」と思われることもあるみたいだけど、私は怖いわあ〜こういうタイプ。
投稿: ごんちゃん | 2013年4月25日 (木) 22時05分
■ごんちゃん様
>普通に感じる感動とは違ってる。
引っかかるんだよね、いい意味で。
単によく出来たお利口さんな作品は、「良かったね」で終わってしまう。
>「自分を全く疑ってない」人
そういう人のほうが、付き合いやすいんじゃない? 人生や生活に変化を求めている人のほうが、たぶん、世間では「怖い」って思われてるよ。
投稿: 廣田恵介 | 2013年4月26日 (金) 00時00分
>やっぱり、プラキットのほうが制約が多い分、「面白い」んだよねえ……
制約の中でどう表現するのか、何を拾って何を捨てるのか、という所に価値観や美学が生まれると思います。で、それが面白いですね。
世の中にある仕事、もっと言えば人の行いは全てそうなんだと言えますが、知見に乏しい自分にとってはセルアニメとプラモデルがその代表的な例のように感じています。
…なんて事を徳島でのお話に盛り込めればいいな、などと考えています(笑)
投稿: べっちん | 2013年4月26日 (金) 04時31分
■べっちん様
>制約の中でどう表現するのか、何を拾って何を捨てるのか、という所に価値観や美学が生まれると思います。で、それが面白いですね。
無限にパーツ分割していけば、何でも再現できるのか?と言ったら、それは単に「つまらない」んですよね。「目いっぱい金かけて、とにかく、極限まで精密にすればいい」っていう短絡的な考え方を、僕は今回のイベントで破壊しつくしたい(笑)。
そんな考え方は、人類にとってマイナスですから。
アニメも確かに同様で、デジタル化したのに、まだ昔のセルアニメの形式を最大限に尊重しているから「面白い」んですよね。
……という話を、30分で出来るのか?
そこまで行けたら、ベストですね!
投稿: 廣田恵介 | 2013年4月26日 (金) 12時10分