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2013年4月30日 (火)

■0430■

東京に暮らしていると、いやでもオリンピック誘致の広告が目に飛び込んでくる。もちろん、広告代理店や関連企業が儲かるからやっているわけだが、都民の税金も投入されているので、「勝手に誘致してくれ」というわけにはいかない。

さて、猪瀬直樹都知事が、ライバル都市のイスタンブールを「イスラム諸国が共有しているのはアラー(神)だけで、お互いにけんかばかりしている」などと批判してしまった()。
……だから、いつも言っているとおり、「歳くった人間のオスは、ろくなことをやらない」。特に猪瀬は、反省・謝罪するどころが「真意が伝わっていない」「訂正したい」と開き直ってしまった。66歳で、こんな幼稚なこと言ってる。「朝鮮人をぶっ殺すぞ」と盛り上がっている連中もそう、異文化を理解しようという謙虚さも勤勉さも、日本の大人はタン壷に捨ててしまったんだ。子ども達に、何の規範も示せない。

そして、僕が何より気持ち悪いのは「まあ、怒るのも分かるけど、都知事にもいろいろ事情があったんじゃないですか?」と、穏便にことをすますのが「大人」だと勘違いしている善良で温厚で、羊のように心優しい市民たちさ。「まあまあ、落ち着いて」ととりなすのが「知性」だと信じてやまない連中!
お前たち、腹の底から怒ったこと、ないだろ。目上の人間を怒鳴りつけたこともないだろ、反抗したこともないだろ? 心のメーターが振り切れるぐらい感動したことも、涙があふれるぐらい人を好きになったこともないだろう?

日本の大人は、不感症。空威張りするしか、能がない。


母国をなくした男が、国際空港で暮らす『ターミナル』、ようやく見られた。『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』の対極にあるような、不器用な処世術の映画だった。
42956_gal架空の国家・クラコウジアからニューヨークへ向かうトム・ハンクス。彼の母国は軍事クーデターにより崩壊するが、映画の設定は2004年。1991年のソビエト崩壊後、次々と革命のおきた東欧諸国のひとつ……と思いきや、国際情勢に詳しい人に言わせると、もうちょっと入り組んだ設定らしい。

ラブロマンスまで盛り込んだプロットは、割とどうでもいい。映画の価値は、あらすじなんかでは決まらないから。母国をなくし、国籍を失って国際空港に寝泊りする……このシチュエーションだけで、百点だ。
国際空港は、いわば「どこでもない」。ただし、そこからどこへでも行ける。世界の誰であろうと、国際空港では「誰でもないし、どこの国の人間でもない」。だけど、人権までは剥奪されない。
そこは滞留地点だし、緩衝空域だし、人生の空白地帯だ。

この映画には、インドで警官を殺しかけてしまい、空港で掃除夫をやりながら、ひっそりと生きている老人が出てくる。日本の警官など、殺す価値もないが……遠い国の空港で、人知れず働く老後なんて、憧れてしまう。
国を捨てて隠遁するように生きるなんて、世界一の贅沢じゃないか。


僕の立ち寄ったドーハ国際空港には、あらゆる人種があふれていた。場所柄、法衣を着たイスラム教徒の集団がいる。もちろん、西欧人もいる。行くあてもないように、エスカレーター脇に座り込むアジア人がいる。
男子トイレに入っただけで、いろいろな肌の人間がいて、「掃除中」を示すらしい黄色いテープが貼ってあると、黒人も白人も、誰もが同じように「何だコリャ、いま使えるの?」という顔をするのが、面白かった。

帰路では、精神的に余裕があったから、空港内のスターバックスに寄った。
近寄ってきたウェイトレスにユーロが使えるか、聞いてみた。しかし、値段を聞き間違えて、オレンジジュース一杯に、20ユーロも払ってしまった。その時のウェイトレスのポカンとした顔、なかなかキュートだった。
誰もが、順番を譲り合っていた。疲れている人のそばで、うるさく話すような者も、いなかった。


さて、打ち合わせから帰ったら、イスラエル映画『迷子の警察音楽隊』を見る。いろんな国の、いろんな映画を見よう。

TM & (C )2004 DREAMWORKS LLC

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2013年4月28日 (日)

■0428■

スーパーフェスティバルにおいでの皆さん、ありがとうございました。用意した十数体のガンプラ完成品は、すべて売り切れました。

僕は、いつものお店で、ティンカーベルのオーナメントを4,000円で購入。
Ca14odho『メリダとおそろしの森』のメリダもあったけど、旅行資金をプールしたいので、複数買いはやめておいた。

一緒に出店したギムレット氏は、「スーフェスは、以前より店も人も減った」と言っていたけど、その分、のんびりと過ごせた。
知り合いも何人か遊びに寄ってくれたし、これはこれでいいんじゃないの? 客の少ない映画館は、好きだよ。

帰りは、5月3日のマチ★アソビでトーク相手になってくれるべっちんさんも巻き込んで、コンビニの前で小さな打ち上げ。
僕のカバンにチューインガムがくっついてしまったが、ギムレット氏が素早くウェット・ティッシュを買ってきて、ほとんどふき取ってくれた。

その日に為したことだけが、その人の価値を証明する。


『惡の華』第4話、僕は春日くんと一緒に泣き、そして翻弄される彼の姿に、黒い笑いをこらえきれず、充実した30分を過ごした。

仲村さんのいう「ド変態」は、単に変態性欲を指しているのではないと思うよ。仲村さんや春日くんのいう「この町」とは、彼らの肌の接している現実世界すべて、のことだと思うよ。そして、「この町」の中に、憧れの佐伯さんが含まれていることが、悲劇なのだと思うよ。
よどんだ悪意だけではなく、まじりけのない崇高な理想も気高さも、人間は同時に併せ持っている。そう確信しているところが、この作品の真の恐ろしさだ。(そういうわけで、理想にとぼしい者ほど、この作品を嫌悪する。)

最悪の瞬間でAパートが終わったとき、最後の絵は、電柱だった。電柱は、気持ちのいい角度で描くと、いくらでもカッコよくなるし、叙情的にもなる。ところが、『惡の華』第4話Aパートの電柱は、ほぼ真下から望遠レンズで撮られたかのような、圧迫感のあるイヤな絵だった。
反面、デートの日の朝は、気持ちのいい青空と緑の山で始まる。構図も安定している。春日くんの気持ちは、いまにも張り裂けんばかりなのに、あえてわざわざ、綺麗な絵を持ってくる。
それは、悪意だ。その悪意は、まっすぐで正確だ。美しくさえある。


ギムレット氏にあげた、クロアチア土産。
Cac96aui『Pop pixie』は、イタリア製アニメ『Winx club』のスピンオフ・アニメ。そのお菓子だと思って、トロギルの旧市街にある雑貨屋で買ったんだけど、中身はフィギュアであった。
どうして二つあるかというと、雑貨屋のおばちゃんが「ひとつ買うと、もう一個サービス中だから」と、めんどくさそうに答えた。僕は「同じものを二つもらっても、しょうがない。パッケージの違うやつにしてくれ」と(日本語で)交渉したが、「だったら、二つとも買って、計四つ持っていけばいいでしょ」と話がかみ合わず、おばちゃんはイライラしていた。
近くのレストランのお兄ちゃんが、苦笑しながら、僕らのやりとりを見ていた。

そんなしょうもないことでも、クロアチアの話をするのは、楽しい。

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2013年4月27日 (土)

■0427■

いろいろとトラブルがあって、告知が遅くなりましたが、明日28日(日)の「スーパーフェスティバル」()に、デSf62_bnrィーラー名「HardPopCafe」で参加しますよ!
ブースはG-11でして、大手のイヌクマさんの横です。ギムレット氏は、当日初披露のレゴ新作を製作中、私はガンプラの素組みを売ります。

あと、『メガゾーン23』同人誌「フェスティバルタイムズ」および「2325」のバックナンバーも各種、取りそろえてお待ちしています。
……石黒昇監督のお写真も、インタビューだけでなく、随所に掲載されている同人誌です。お買い逃しなく。


オトナアニメ Vol.29 発売中

51rnfyhwr1l__sl500_aa300_●『翠星のガルガンティア』村田和也監督インタビュー
●『銀河漂流バイファム』解説
●21世紀ロボットアニメの変遷


※『銀河漂流バイファム』の記事は、私の書いた原稿から大きく改変され、著者校もないまま勝手に出版されたものです。現在、編集部に詳細を問い合わせ中。


『ターミナル』と間違えて、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』を借りてきた。このタイトルは、初期の見世物だったころの蒸気機関車に付けられていた愛称。
これといった定職につかず、旅客機のパイロットや医者などを詐称して、その場しのぎで世間を渡り歩く主人公。彼は女にモテたいわけでも、金持ちになりたいわけでもなかった。そこが、潔い。彼には、幸福という概念すらない。向上心もない。もちろん、信仰心もない。ただ、冷徹なまでに、生に執着していた。そこが、小気味いい。
一日ごと、一秒ごとに人生が完結しているんだよね。

「より良く生きたい」なんてのは、おそらくは、垢や錆のようなものであって。無いなら無いにこしたことはない。
執着は、ただ僕らを疲弊させるだけであって。求めてしまうのは、ただ欠けているからであって。実際に欠けているかどうかより、「欠けているのであろう」という認識だけが、執着を生むのであって。

本当に多くを失った人間って、怒りも恨みもしないんだよ。流れる水なんだよね。
それでは明日、科学技術館でお会いしましょう。

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2013年4月24日 (水)

■0424■

月刊モデルグラフィックス 6月号 25日発売
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●巻頭特集「強襲揚陸艦」対談
畏れおおくも、岡部いさくさんとの対談……という形になっていますが、実際は私が一方的にインタビューして、対談っぽくまとめただけです。
岡部先生は、非常に温厚で、お話ししていて安心感のある方でした。(僕の肩書きを「アニメ評論家」と書いたのは、編集部です。自分で書くわけがない・笑)

●組まず語り症候群 第六夜
今回は「風の谷から来たオーパーツたち」。
『ナウシカ』のプラキットは前回やったので、今回はレジンキットと完成品です。やっぱり、プラキットのほうが制約が多い分、「面白い」んだよねえ……次号は、別作品でプラキット・オンリーです。


「エヴァコン」。受付を2人ですまさねばならないので、友人は仕事を抜けてきて、僕のために受付を済ませて、すぐ帰るという。それではあまりにも申し訳ないので、僕も行かないことにした。


さて、『惡の華』なんです。ライターさんや編集者と話していても、意外に、意見が分かれる。
Thmb135_90僕は、飽くまでも「面白い映像」を見たいのであって、「完成度の高いアニメ」を求めているのとは、ちょっと違う。『マイマイ新子と千年の魔法』だって、もっと大人しい決着のさせ方はあったんじゃない? 「……すごくいい物を見たんだけど、どうやって人に分かってもらおう?」 そう思ったから、ああまでこだわったわけで。

僕が、『惡の華』を見続けている――つまり、そこに快楽を感じている理由の半分ぐらいは、声優さんの演技。特に、キモい仲村さん役を、あの伊瀬茉莉也さんが……(一度だけ、インタビューしたことあります)。
息遣いが、素晴らしい。「体の」と言うとき、「カ」ではなく「ッカ」と息が抜けているんだよね。無意識に興奮しながらまくしたてるセリフと、主人公への効果を狙っている扇情的なセリフを……当然のことだけど、使い分けている。

ここ数年の邦画で、「自然な」芝居が流行った時期がありました。「普段のように、ボソッと話せばリアル」みたいな。でも、マイクの前に立ち、自分(=役)に対して苛立って声が裏返ってしまうなんて、そんな芝居ができるのは、日本の声優さんだけです。
で、伊瀬さんが「どうして、私がこんなキモい役を!」と悩んでいたらイヤなんだけど、なんと、ご本人のブログ()では……(以下引用)

アフレコ終わったあとは毎週スタッフ・キャストでご飯に行くのですが、
そこで毎回ほぼ、私とひよっちは泣く(笑)


悲しくて、とかじゃなくて、幸せで。

役者としてこんな幸せな現場に居られて、なんて幸せ者なんだろうって。


(引用おわり)
……そりゃ、泣くでしょうよ。それが、俳優という生き物です。持ち前の「個性」なんてものに泥を塗れば塗るほど、ますます「役」を引き立てられる。「演じる」ことの危険さ、危険さと表裏一体の快楽は、おそらくそういうところにあるのです。

(坂東玉三郎の『ナスターシャ』を観劇したことがあるんだけど、ある瞬間、フッと玉三郎ではなくなるんです。作為が消え去るというか。)


僕は、かつて見たことのない挑戦的な作品を見ている。それだけで幸せ。とっくに知っているような作品を「ハイ、新作ですよ」と目の前に出されるよりは、先行きの見えぬ作品と一緒に迷ってみたい。作品が壊れるなら、僕も一緒に壊れてもいい。

恋愛でも旅行でも、すべては旧い自分を壊すための道行き。その残骸から、弱々しくとも、新しい自分が芽吹いてくれれば、めっけもの。「旧い自分を肯定し、旧い自分を強化する」、これが老いです。私よりずっと若いのに、老け込んでいる人がいるようだ。

作品を心底、楽しみたければ、命綱など外してしまうこと。

(C)押見修造・講談社/「惡の華」製作委員会

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2013年4月23日 (火)

■0423■

5月3日~開催のマチ★アソビ、廣田は以下、三つのイベントに参加します。

【5月3日(金)】
13時~ 『アニメ編集・ライター クロストーク 』 
14時~ 『鋼鉄のヴァンデッタ  上映会&トークショー』 
15時半~ 『廣田恵介が聞く! フィギュア・メーカーの デザイナーって、 どんな仕事?』 

『鋼鉄のヴァンデッタ』は、ufotable CINEMAのシアター2(定員29名)での上映とトークになります(入場無料)。
「自主アニメをつくりたい」「アニメ業界に入って、自分の作品をつくりたい」人には、勉強になると思います。ゲストはプロデューサーと監督を兼任した玉村仁さん、キャラデと作画監督を務めた高橋裕一さん(『マクロスF』)。

『フィギュア・メーカーの デザイナーって~』は、フィギュアに興味がなくても、面白い話を聞きたい人は、どなたでも来てください(しんまちボードウォーク、パラソルショップにて)。
ゲストのべっちんさんと、古いプラモデルを持ち寄って「これの、一体どこがどう面白いのか?」を、あらゆる角度から、熱烈に解説します。むしろ、プラモデルに興味のない人にこそ、見てほしい。

皆さんのお越しを、お待ちしております。


いろんな国の映画を見ようと思って、スイス映画『マルタのやさしい刺繍』(原題は「イヌサフラン」という花の名前)。
T0005783自分の中で『がんばれ!ベアーズ』基準みたいのがあって、最初はネガティブに捉えられていたチームが、最後にはみんなから応援される(価値観が逆転する)映画は、だいたい、『ベアーズ』を基準に見てしまう。
『マルタのやさしい刺繍』は、小さなスイスの山村で、手づくりのランジェリー・ショップを開店したマルタ婆さんが、ちょっとずつ味方を得ていく話だ。味方になる人々が、それぞれの事情で、知識と技術を生かしながら戦力になるところが良い。『ベアーズ』も、メンバーに多様性があったから、価値観を転覆できた。

そして、「ランジェリー・ショップなんて、この村の伝統が汚される」と反対するのは、社会的に強い立場のオッサンたち。老いた両親と、どう折り合いをつけていくか?という、まあ、僕ら世代ですよ。どこの国でも、僕ら世代は頑迷固陋で、文化の邪魔なんですよ。
オッサンたちは、この映画で、わが身を振り返ってみるべきだね。


もうひとつ、スイス本国での予告編と日本版予告編の差。
本国版は、セリフと芝居だけを積み重ねて「何が起きるのか」を、ぼんやりと想像させる。対して、日本版は「テロップを多用したストーリーの説明」なんです。日本はとにかく「分かりやすく」しすぎるあまり、「誘導」になりがち。ようするに、テレビ文化なんだよ。誤読されるのが、怖いんだろうな。

――いきなり、アニメの話になるけれど、『翠星のガルガンティア』第3話。攻めてくる海賊たちに、何の戦術もないのが残念だった。ロボットをサーフィンさせるのは面白いが、あのジェット燃料(?)は、一体どこから調達しているのか? ロボットが船によじのぼるのはいいけど、回収はどうするのか? 『ナウシカ』の原作を読むと、戦術が実に丁寧に考えられている。訓練された部隊の無駄のない動きを、リアルに伝えてくれる。

『ガルガンティア』第3話に限らないけど、冷徹に全体状況を描くべきところを、「キャラクター」に寄せて曖昧にしてしまう傾向が、散見される。
ちょっとでも、専門分野に足を踏み入れると「マニアックですね」と返されてしまう。下手すると、本を読んでいるだけで「勉強熱心ですね」と言われてしまうよ。


旅行の計画を考えている。
初日、ザグレブ泊。翌朝、長距離バスでプリトヴィッツェ湖群国立公園へ行き、一日かけて散策する。そのまま園内のホテルに宿泊できないか? 翌朝、また長距離バスでザグレブに戻り、そのまま帰国――二泊3日で、クロアチアへの再訪を考えている。飛行機で片道10時間もかかるので、二泊5日になるんだろうけど。

首都ザグレブの都会生活も見ておきたいので、クロアチア観光局から、パンフレットを取り寄せた。

そして、明日の「エヴァコン」は、友達が多忙なため、ひとりで参加することになりそう。

(C)Buena Vista International(Switzerland)

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2013年4月20日 (土)

■0420■

マチ★アソビでのイベント、「廣田恵介が聞く!フィギュア・メーカーの デザイナーって、どんな仕事?」が告知されました()。
これはねえ……たぶん、こういう形で立体物を語るイベントは、史上初かも知れない。いま、荷造りをどうしようか思案しています。
いずれ、また詳しく告知します。


旧ユーゴスラビアが、まだ内戦中だった1995年につくられた『アンダーグラウンド』。2011年にリバイバル公開された関係で、TSUTAYAでは「準新作」扱いで並んでいた。
B0176154_15786_2第二次大戦から、(撮影時に進行中だったはずの)ユーゴスラビア分裂までを描いており、とにかく破天荒で生命力にあふれた映画だった。三時間近い大作だが、とにかく大胆不敵、圧倒的。僕らが、いかにハリウッド的な、神経症的な解像度の、CMみたいな映像に飼いならされているか、こういう映画の匂いをかぐと、よく分かる。

(チェコスロヴァキアの『アデラ/ニック・カーター、プラハの対決』が、こんなテイストだった。あの頃は、とにかく、どんな国のどんな映画でも見ていた。)

ナチス・ドイツによる空爆から、パルチザンの英雄として有名になっていく主人公と、その親友。彼らの後ろには、なぜかブラスバンドがつきまとっており、いつも派手な音楽を演奏している。
主人公は、恋人をナチスの将校フランツから奪い返すため、演劇の上演中に舞台俳優になりすまし、彼を射殺する。二度目は医者に化けて殺すが、最終的に、フランツは「第二次大戦中のユーゴ」を再現した映画の撮影中、本物と間違われて射殺される。なぜなら、実際のフランツ役も、劇中劇のフランツ役も、同じ俳優が演じているからである。

終始、虚実がひっくり返ったような浮遊感に包まれた映画。
(そもそも、フランツってユーゴ占領軍の司令官で、実在の人物らしいんだけどね……。貴重な記録フィルムに主人公を合成したり、とにかく恐れを知らぬ映画。)


タイトルの「アンダーグラウンド」とは、レジスタンスの地下武器工場のこと。第二次大戦後、冷戦を経て、何十年ぶりかに地上へ出た主人公の弟は、今度は、仲間同士が殺しあう内戦の中に放り出されてしまう。
映画はこの辺りから、だんだん笑えなくなってくる。弟は、大戦中に動物園から連れてきたチンパンジーと、地下で再会する(地下では、時間が止まってしまっているかのようだ)。今ではクロアチア軍の司令官になった主人公の親友も、地下工場の井戸で、別れてしまった息子と再会する。やがて、かつてのように仲間が集まり、結婚式が始まり、ブラスバンドが元気よく演奏をはじめ……。
(とてもじゃないがラストを書けない映画というのは、こういうのを言うんだよ、「ネタバレ注意」とか書いて悦に入っている諸君!)

監督がセルビア系のせいか、ラスト近くに登場するクロアチア軍人は、冷酷無比に描かれている。この辺りだけ、ちょこっとリアリズムになるんだよな。
でも、それが作家の歴史観というものなのだろうな。製作国には、フランス、ドイツ等に並んでユーゴスラビアが名前を連ねている。つまり、製作中は、まだユーゴは存在していたわけだ。


血で血を洗うように、隣人同士が殺しあった国の歴史を知ってしまうと、新大久保や鶴橋で「朝鮮人ども、虐殺するぞ」とわめいている連中は、単に自己愛が満たされてないだけなのだな……と、乾いた気持ちになる。
私の母を殺した男のように、自分のつまらない人生の責任を、他人になすりつけているだけだ。

今日は、地元で反原発デモがあった。一年前、日本中の全原発が停止した。その後、「電力供給とは関係ない」と前提したうえで動いた原発は、たったの2基だ。
やはり、本質に触れていない。日本の原発は、そもそも電力需要に応じて導入されたのではない。『原発と権力』か『戦後史の正体』あたりを読んでほしい。
原子力規制委員会の新基準が適用されれば、いくつかの原発は廃炉に追い込まれるだろう。いまや、「原発がなければ経済が……」という人すら、減ったように思う。

ところが、廃炉作業中でも、放射性物質が漏れる……。(
問題は、原発という施設の稼動なんかより、そこから出る放射性廃棄物だ。あるいは、僕の家のベランダから出た3,000Bq/kgの汚泥のような、あちこちに降り積もった汚染物質。
これらを「見なかったこと」「なかったこと」にしておくと、いずれ、引き返しがつかなくなる。僕が本当に「怖い」と思うのは、みんなが内心では「ヤバイよなー」と思いながら、すっかり黙り込んでしまうことだ。

問題は、つねに自分が目撃しているのであって。間接的だろうと、偏向していようと、問題を知っているのは、いつも自分自身なのであって。
なのに、ネットの普及もあって、「俺はさておき、アイツはどう責任をとるんだ?」と他人のことばかり、みんな気にするようになってしまった。

(C)CIBY2000-PANDORA FILM-MOVO FILM

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2013年4月19日 (金)

■0419■

資料性博覧会06公式パンフレット 発売中
N1
●アニメ・特撮・マンガ・TOY関連ムック オールタイムベスト
かつて、僕の個人誌『550 miles to the Future』を発見し、「ぜひ当店で」と取り扱ってくだった、まんだらけ資料性同人誌課の方からの依頼で、書きました。
ライター・評論家・編集者の方たちが、「資料系書籍」を三冊ずつプッシュしております。これはかなり、古本屋めぐりの参考になるよ。

私は、ラピュータ刊の『機甲天使ガブリエル』、あさのまさひこさん編著による『海洋堂クロニクル』、『海洋堂マニアックス』を挙げさせていただきました。理由は、パンフに書いてあります。
自分はやはり、やや模型寄りな視点の持ち主なのだと思います。

このパンフレットで、氷川竜介さんが自著『20年目のザンボット3』について、“「著書」とは「思想・感情が先行する」という意識が強い”と語ってらして、ちょっと救われたような気分になりました。個人的な話ですが。

「資料性博覧会06」は、29日に開催です。→


クロアチアの深夜のホテルで出会った『Winx CLUB』のペーパーバック(RandomHouse刊)が届いた。4.99$だから、490円ぐらいか。イタリアのアニメだけど、このペーパーバックは、すべて英語。
Camjp8xn文集文庫の『ジブリの教科書 1 風の谷のナウシカ』はいい本だけど、公開当時のロマンアルバムからの再録部分には「ナウい」なんて言葉が出てくる。
この『Winx CLUB』のペーパーバックには、英語の授業には出てこなかったような言い回しが出てきて「?」となるが、これが生きた言葉ってヤツなんだろうな。こんな子供向けの本ぐらい、すらすら読みたいんだけど。

これまでグッズをコレクションしてきたティンカー・ベルやアクビガールと違い、『Winx CLUB』については「自力で理解したい」気持ちが強い。


今月の仕事はほぼ終わり、「スーパーフェスティバル」と「マチ★アソビ」の準備を進めている。どちらも、ちょっとずつ上手くいかず、だけど一緒に参加する人たちは大人だから、許してもらっているような感じ。

今週は、仕事・プライベートともに旧知の方からメールをもらったり、酒を飲みに行ったり、にぎやかな週だった。なかなか、孤独になり切れない。
僕の仕事は、思春期に抑圧から逃れようとしてすがった趣味と直結しているはずで、だからこそ居心地がいい。仕事に対するこだわりも矜持も、どこか思春期的であるような気がする。
そのことを、たまに恥ずかしいと思いもする。僕はだいたい、三つぐらいの野望に挫折し、10代の頃に好きだったアニメや模型の世界に“出戻った”に過ぎない。それは“退行した”とさえ言えてしまえる。

まだ自分が、今の仕事をつづけても良いであろう、かろうじての理由を、編集者の前で話してみた。それは、まるで別れていく恋人に、自分の存在価値を認めてもらおうと泣き言を並べるようなものだった。
今の例えは卑下しすぎかも知れないし、彼らは「廣田さんには、もうちょっと働いてもらうよ」ぐらいは思ってくれているだろうけど……、僕はこのまま、安寧と歳をとっていくことを怖いと感じる。それは、楽すぎるのだ。

「自信がなくなった」とか「自分の可能性が」みたいなことを言えるうちは、まだいいんですよ。まだ、ぜんぜん若いんじゃない? あるいは中身がスッカラカンだから、自己実現ばかり考えてしまうんだよ。
「廣田さん、○○好きでしょ? ちょっと書いてみない?」「おお、やるやる!」――この、自分の薄っぺらさに、疑いをもってしまう。そんな軽薄さで歳をとってしまって良かったのか?と、立ち止まって考えこんでしまう。

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2013年4月15日 (月)

■0415■

「あたかも外国映画のようにふるまう」――『王立宇宙軍』の企画書の中で、見かけたフレーズだ。
「アムロやシャアは、本当は何語を話しているのか?」という話題は、当時のアニメックかOUTに出ていたと思う……つまり、外国人名のキャラは、外見のデザインこそ日本人と区別ないのだが、日本語に翻訳された別の言語を話しているはずである。その詐術に、あえて切り込んでくれたのが、『翠星のガルガンティア』だ。

宇宙で使われている言語、地球の言語、そしてそれらを翻訳した日本語が入り乱れるの130318ktgaruだが、そういうカットでは、人物の配置・レイアウトを(かなり)工夫しているように見える。
いずれ詳しく解析したいが、つまり「日本語は便宜的に使っているのであって、実は本物の音声ではない」と自覚しながら、作劇しているのだ。
われわれの耳に日本語として聞こえているのは、地球語か宇宙語の、どちらか。それをカットごとに意識するのは、成功/失敗以前に、必要なことだったんだ。


「あなたの見ているのは絵でしかなくて、“本物”は別のところにある」。
これを強烈に、悪意をもって感じさせてくれるのが『惡の華』。全編ロトスコーピングのTVアニメというフォーマットから感じられるのは、「これは絵に置き換えた映像ですから、“本物”がどこにあるかは、自分の胸に聞いてみてね」という、意地悪な問いかけだ。

実写映像をペイントして仕上げた『ウェイキング・ライフ』に、少し似ている。特に、「これは夢の中なのか、それとも現実か」と議論するエピソード。
あれは、「あなたが“確たる現実”と認識しているもの、それは“別の本物”をトレースしたウソなのかも知れないよ?」と、見るものを不安にさせる。

『惡の華』は、背景も詩的でいいな……と思っていたら、小林七郎さんの弟子筋に当たる秋山健太郎さんでした。陰影の深い、手描きの質感が気持ちいい。


また、旅の話題です。
クロアチア観光ツアーの最後、トロギルという小さな観光地へ寄った。
世界遺産に指定されている旧市街は、小さな島に集まっており、短い橋を渡ると、そこそこ賑わった現代風の町があった。

僕は島の雑貨屋で、ガキ向けのお菓子を買って、店員のおばちゃんと口論になったりした。そういうときは、もう英語は使わない。「そっちじゃなくて、こっちが欲しい」と日本語で言ったほうが、むしろ伝わる気がする。
Cimg1197_2(←「魚市場」と書かれた看板。市場とは関係のない、旧跡の前に置いてあった。)
どこをどう歩いても迷いようがないし、ツアー最終日だし、もう自由行動でいいや……という投げやりなオマケ気分が、心地よかった。

しかし、ここほど怪しいオジサンのふらついている町も初めてで、僕がデジカメを構えていると、よれよれのシャツを着た老人が近づいてきた。僕が場所を移動すると、その老人も着いてきた。
帰国後、友人にその話をすると、理由は忘れてしまったけど、そういう観光地には、スリや浮浪者が多いんだそうです。
確かに、橋を渡った市場には、いくらでも食べ物が転がってそうだし、暖かいから公園で寝られるし、浮浪者になるなら、ここが一番かも知れない。

僕には、その老人が、どうしても他人とは思えなかった。
――デイバッグひとつで、クロアチアはおろか、バルカン半島9ヵ国を、たったひとりで周った人の旅行記が、かなり面白い。→ これぐらいの行動力がないと、本来、人は生きていけないのではないか、とさえ思える。

(C)オケアノス/「翠星のガルガンティア」製作委員会

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2013年4月13日 (土)

■0413■

旧ユーゴ諸国の映画なら、何でもいいから見たい……と思って、真っ先に目に入ったのが『サラエボの花』。ベルリン映画祭でグランプリをとったせいか、南口の小さなTSUTAYAにも置いてあった。

予備知識ゼロで見たら、「戦争未亡人が主人公のようだけど、いつの話?」と戸惑ってしまうだMv36397lろう。父親が戦死した家庭の子は、修学旅行費が免除されるとか、戦争で死んだから親父は立派だとか、ごく平和な現代の風景の中で、信じられない会話が交わされる。

舞台になっているボスニア・ヘルツェゴビナは、クロアチア旅行中、バスで通過した。大きなスーパーマーケットに寄ったけど、すぐ近くの民家で、子供たちが犬を怖がっていたり、日常の光景が見られた。帰りに同じ店に寄ったら、今度は仕事を終えたばかりの労働者たちが、笑いながら歩いていた。
そもそも、そのスーパーには、日本語で「おいでやす」と書いてあったからね。平和もいいところだ。


平和を得るかわりに、何かを失っていくんだよ。主体性とか、自立性みたいなものを。

『サラエボの花』は、戦後10年ぐらいのころにつくられた作品だけど、戦争体験が、人々のアイデンティティになっている。対立も愛情も、すべて戦争をバックボーンにしている。
ラストシーンは、美しかった。屈辱的な出生の秘密を知って、母親に嫌悪感をいだいた娘。彼女が、修学旅行に旅立っていく。遠ざかるバス。母娘は、こんどは物理的に引き裂かれるように見えるが、娘はバスの最後尾から母親を見つめる。まったく会話はないのだが、娘のさみしそうな表情を見ているうちに、母親は笑顔になっていく。

ウソをつくのをやめたとき、幻滅も嫌悪も遠ざかるんだよ。ウソは、ただ生活を暗く、後ろめたくするだけだ。


憂鬱だけど、日本のことでも書きますか。
農林水産省が、『食べて応援』キャンペーンをつづけている。にも関わらず、同省の食堂では、被災地産米の利用率が、たった51%にすぎない。
僕は、その矛盾について「利用率を100%にする具体的なプランはあるのですか?」とメールで質問した。3月18日ぐらいかな。だけど、旅行に行く日が近づいてきたから、「どうして返答がないのか」と電話もしたし、メールもした。「たぶん、担当部署に質問が行っていると思うので、もう少し待ってください」と、電話では言っていた。

ところが、8日間の旅行中も、返答がなかったんだよ。だから、もう一回、「前にも聞いたことですが……100%にするプランは?」とメールしたら、やっと返答があった。
「今後とも、農林水産省内の食堂等に対して、被災地産食品の消費拡大が風評被害の払拭や被災地の復興につながること等について理解を求めつつ、被災地産食品の更なる消費拡大を粘り強く働きかけてまいります。併せて各府省庁に対しても、出先機関も含め、同様に働きかけてまいります。」

「働きかけてまいります」が、具体的なプランなんだろうか? 「働きかける」って、「被災地米を使ってくださいよ」とお願いするだけでしょ。罰則も目標もない。「がんばりますよ」ってだけ。
この、薄ぼんやりしたバカさ加減が、気持ち悪いの。なんの覚悟もないし、意地すらないし、少しも頑張ってないじゃん。仕事していくことに対して、「もやっ」とした感覚しかない。
「理解を求めつつ、働きかけてまいります」って、つまりは何も言っていない。「こんなクレーマーの一人ぐらい、舌先三寸で追い返してやろう」という、努力の痕跡すら見当たらないよね。


だから、食品による内部被曝で、たとえ誰も死ななくても、私は関東を含む汚染地産の食材は食べません。
『食べて応援』は、農林水産省の家畜どもと同レベルで「ぼーっ」とすることでしかない。生産者は「お客さんに安全な食品を届けたい」気持ちより1万倍ぐらい強く、「震災前のように儲けたい」と考えている。「何はともあれ、お金が、いっぱい貰えること」を、仕事と思いこんでいる。

「仕事」というのは、人さまの役に立つことです。役に立ったから、「お礼として」お金がもらえるだけです。
そのような公共心が、日本人にはありません。嫉妬と嘲笑ばかりで、意志も主体性もありません。

2006 (c) coop99 / Deblokada / noirfilm / Jadran Film / M. Höhne

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2013年4月11日 (木)

■0411■

クロアチアでは、どんな映画が見られているのだろう? ツアーの添乗員さんと話したが、よく分からないとのことだった。
Winxclub2夜は21時か22時には就寝するようにしていたが、寝入るまで、ホテルのテレビを見ていた。3日目だったかな、そんな夜遅い時間だというのに、アニメが放映されていて。あまりに絵が好みなので、タイトルをメモっておいた。『Winx Club』。
イタリア製のアニメで、『プリキュア』のような女児向けなのだが、とにかく絵がいい。アメリカでも人気のある作品とのことだが、クロアチア国内で、グッズを見かけることはなかった。

ドライブ・インで『Tangled(塔の上のラプンツェル)』のジグソー・パズルなどを買ったが、なぜかキティちゃんのグッズが多い。空港でも、どこでも見かけた。


ホテルのテレビでは、アメリカ映画が放映されていることもあった。ミニスカの女子がローラースケートで駆け回る映像が流れていて、「あ、やっぱり、この映画はちゃんと見なくてはイカンな!」と痛感し、帰国してからレンタルした。『ローラーガールズ・ダイアリー』。
Newmain_large予想どおり、分かりやすい映画だった。母親にミスコンへの出場を強制されている冴えない女の子が、親に内緒で、ローラーゲームのチームに入る。

だいたい、二時間の映画だったら、一時間たった頃に事件が起きる。90分の映画だったら、45分あたり。これは娯楽映画に限らず、芸術性の強い映画でも、なぜかそうなっています。「あ、そろそろ転調するぞ」と分かる。

『ローラーガールズ~』の場合、一時間たった頃、親にローラーゲームの選手をしていることがバレる。そもそも、ミスコンの開催日とローラーゲームの決勝戦が同じ日なんです。なんと、分かりやすい。
決勝戦のシーンで、主人公が敵チームに倒されて、しばらく動かなくなる。親も元カレも見に来ている。場内がシーンと静まりかえる中、主人公はフラフラと立ち上がり、ちょっとだけ笑顔を見せる。そのカットが、すごく良かった。「あ、見てよかった」と。
だいたい、女優の撮り方がよければ、映画の役割の半分は終わりです。

たぶん、ホテルで見たバージョンは、クロアチア語に吹き替えてあったんだろうな。
首都ザグレブでは、バスから映画館がチラリと見えたんだけど、調べてみると、シネコンまであるらしい。というか、クロアチア製の映画が、ちゃんと上映されているらしい。これは、見たいじゃないですか。
(機内上映で見た映画は、『ピーターパン』と『ホビット 思いがけない冒険』。これらは英語。)

あと、観光地にはオモチャ屋さんがなかったんだけど、ザグレブにはあるらしい。何が売っているのか、知りたい。


クロアチアは、隣国スロベニアと原発を一基、共有している。厳密には、スロベニアの原発から、16%の電力供給を受けている。
Cimg0946夏にEUに加入したら、電力消費量は、さらに増える気がする。ザグレブに着いた当日も寒かったが、翌日は雪だったからね。暖房は欠かせなかった。
(写真は、プリトヴィッツェ湖群国立公園。滝のすぐ近くの遊歩道が凍結していたため、遠くからちょっと見ただけ。)

原発だけじゃない。軍隊もあるし、20年前まで戦争をやっていたんだ。
実は、観光バスからもっとも長く見ていた景色は、大量のバリケード跡の残る田舎町であった。弾痕だらけの廃墟も、いっぱいあった。憂鬱な風景だったよ。

僕は、愛知万博の取材で、初めてクロアチア共和国を知った。あのとき、彼らが「Present for you.」と渡してくれた観光案内DVDは、今でも持っている。日本語を選択すると、「魔法のように素晴らしいクロアチア」と表示される。

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2013年4月 9日 (火)

■0409■

『劇場版 花咲くいろは HOME SWEET HOME』を見てきた。平日昼間なのに、かなりの入り。
Originalあいかわらず、詰め込みすぎなんだよな、『花いろ』は……。そのミッシリした感じが懐かしくもあり、同時に「いいから、どれかひとつのエピソードに絞れよ」と苦笑させられもした。
(テレビ用PVを見ても「夢 家族 仲間 すれ違う想い……」だもんね。テーマ多すぎ・笑)

一応、本田貴子さんの演じるママの過去話が、ストーリーの要所要所をクリップ止めしてはいるんだけど、「今回は、こういうお話です」とは、一言で説明しがたい。押井守さんが『オンリー・ユー』を撮ったときに「これじゃ、でっかいテレビだ」と反省したそうだけど、劇場版というよりは、テレビ・スペシャルという感じ。
つまり、テレビ26本で、『花いろ』の出来ることは、すべてやってしまったんじゃないか……。もう、緒花のママの話でいいじゃん。高校生のママ、存在感あって良かったじゃん?

それでも、「坂道を登る」「駆け下りる」という、僕の好きな絵は、ちゃんと用意してあった。ようは「走る」シーンを、いくつかカットバックさせるんだけど、くどいんだわ、これがまた(笑)。
だけど、キチッと整った映画が面白いかっていうと、そういうものでもないし。そもそも、名作とか良作とかより、個性的な作品が見たいのであって。


『翠星のガルガンティア』第1話は、結局、Aパートの戦闘シーンばかり、何度も見返している。
Gargantia_sen_01_01_webようは、「二つの世界観をぶつける」という構成である以上、AパートはAパートで、完結していないといけないわけですよね。すると、主人公のモノローグは多くなるし、仲間や先輩の死に、主人公は人間らしく反応しないといけない。でないと、Bパートに入ったとき、とても感情移入できない。
そういう内面の分かりやすいキャラを、僕は「アニメ人間」という、やや失礼な言い方で表現してしまった。

……ただねえ、主人公を「いいヤツ」と分かってしまっているからこそ、Bパートの船団の人たちとの断絶感が薄まってしまったのは、確かだと思う。(えらい贅沢な不満だけど。)
アニメって、抑圧から解放されて終わる物語が多いし、キャラクターも、あらかじめ開放的な性格だったり、そもそもセル画というか「キャラ絵」ってのは、内面をむき出しにしてますよ。明るく活発な女の子は、暖色系の髪色・服色でしょ。『ガルガンティア』の主人好は、白い髪と黒いスーツで、クールさを象徴している。キャラの色や造形は、言語なんです。漫画より、アニメのキャラクターの方が、言語として雄弁です。

アニメって、演劇に近いよね。「すべて舞台の上のお芝居です」と前提したうえで、いかに感動させられるか。
『ガルガンティア』は、(Aパートの想像力のかぎりを尽した戦闘シーンも含めて)「絵」という意味では、もうギリギリの臨界点まで来ていると思う。
さて、そこから先なんです。シナリオも大事だけど、「絵」ってのも言語だからさ。ここまでの完成度の「絵」を使って、何をどう見せてくれるのか、もうゾクゾクしてる。


なぜか知らねど、「エヴァコン」というのに出ることになってしまった。誘ってくれた友達も僕も、46歳である。
その4日後が「スーパーフェスティバル」出店。数日後、マチ★アソビのため、徳島へ。

マチ★アソビ、10月も、必ず一本、イベントやります。昨夜、ある監督が電話で約束してくれました。
その後か前か、またクロアチアへ行きます。今度はツアーではなく、自力で行きます。

(C)2012 花いろ旅館組合
(C)オケアノス/「翠星のガルガンティア」製作委員会

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2013年4月 8日 (月)

■0408■

『翠星のガルガンティア』は、監督にインタビューするため、第4話までのシナリオを読んであった。読後、えらく感激して、プロデューサーにお礼のメールを送ってしまったほど。普段から、アニメの「文学性」には、あまりポイントを置いていないんだけど、このシナリオには唸らされた。
1357649460_1_1そして、第1話の放映を、やっと見ることが出来た。

苛酷な戦闘によってしか、市民権を得られない『宇宙の戦士』みたいな世界で育った少年が、混沌とした人間くさい船団へ迷い込んでしまい、カルチャー・ショックを受ける。
で、船団側の人間というのは、好奇心いっぱいで、感情をストレートに出す「アニメによく出てくる人たち」だと思うんだよ。学園モノでも何でも、感情表現がオーバーで、強引にでも物語を牽引していくのが主人公サイド……あまりいい言い方ではないけど、「アニメ人間」だよね。
船団側の人たちに対して、主人公はロボットのナビだけを頼りにしながら、早く戦線に復帰したいと考えているわけでしょ。シナリオを読んだときは、もっとクールで、冷徹な少年だと想像していた。

ところが、意外とアツい主人公でしたね。自分が危険を冒してまで、仲間を助けようとしたり。
それは声優の演技はもちろん、色彩と動きが加わったとき、いやでも「アニメ人間」的になってしまうんだと思う。アニメって、どんどん足していく構造になっている。何枚も描かないと、歩いてさえくれない。引き算では、アニメはつくれない。
だから、主人公はヒロインを人質にとり、船内を駆け回ることになる。十分に「アニメ人間」なわけです。ポジティブに動いてくれないと、主人公に見えない。どんなクールな人間でも、人間であるかぎりは、足し算で出来ている。――あえて言うけど、それがアニメの限界なんだよ。
(人間ではない、神みたいなものは、光だけで表現したり出来るけど)

だけど、「アニメ人間」の限界をこえる目論見がなければ、ふたつの文化の出会いなんて、最初から描かないんじゃないか。主人公と船団の人々は、同じ体温をもっているように見える。それは、しょうがない。その「しょうがない」を超える見積もりがなければ、描くわけがない。その見積もりってのは、(絵ではなく)シナリオなんじゃないか――?
そう思いたいのは、作り手というよりは、僕の「賭け」なんですね。信じぬきたいんですよ。この作品を。

「僕をぶっ飛ばしてくれる作品が、ひさびさに来た!」という直感だけは、揺るがないから。


マチ★アソビの『鋼鉄のヴァンデッタ』上映会&トークショー、日時未定ながらも、告知されました。→
ゲストの高橋裕一さんって、『マクロスF』のキャラデの、あの高橋さんです。一体どういう経緯で、このアニメがつくられて、今どういう状況に置かれているのか。そして、これからどうするのが、作品にとって、お客さんにとってベストなのか。
それを模索する、ちょっと変わったトークショーになります。


新婚旅行で、クロアチアに行った夫婦の日記を読んでいる。同じ町へ行くんでも、明らかに、僕より難易度の高いことをやっている。うーん、くやしいな。

(C)オケアノス/「翠星のガルガンティア」製作委員会

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2013年4月 4日 (木)

■0404■

Febri Vol.16 10日発売予定
3120f6f636a01f17cec16d6ac92a13e8_20 ●渋キャラオヤジ列伝 第九回
カラー出張版の今回は、『たまこまーけっと』より、北白川豆大です。何しろ、藤原啓治さんですから。
執筆時は、まだ7話ぐらいまでしか放映されていなかったので、後半~最終回はシナリオを読んで書きました。すると、シナリオから、セリフがどんどんカットされていくんです。テレビシリーズでは、よくあることですが。
そういうイレギュラーな進捗具合に合わせて、原稿を刻々と直していくのは、面白くはあった。

●『鋼鉄のヴァンデッタ』インタビュー
監督の玉村仁さん、キャラデ・作監の高橋裕一さんにお話をうかがいました。
いろいろ謎の多い企画なのですが、マチ★アソビ()で、玉村さんと高橋さんを招いて上映会とトークショーをやります。

マチ★アソビは、計3つのトークに出ることになりそうなので、3日間、ずっと滞在します。
それと、今月28日のスーパーフェスティバル62()に「Hard Pop Cafe」として、出店します。


スタイル編集部から「アニメスタイル003」をいただきました。いつも、ありがとうございます。
もはや、いろんな作品の原画の描線を、雑食的に楽しめるアニメ雑誌(定期刊行物)は、アニメスタイルのみ……いま、原画集は、各プロダクションが作品単位で出すようになってしまったので、「一冊にいろんな作品の原画が出てる」本って、稀でしょう。
やっぱり、原画を見る・選ぶには「目利き」でないとアカンのです。どの絵がいいか、分かっていないとダメ。機械的に、ぜんぶ載っているからいいってものではない。

なんでもかんでも「オフィッシャル」が「正解」で、雑多さが刈り取られていくのは、いい傾向ではないです。どのジャンル、どの媒体、どの業界でもそうです。

個人的には、山木泰人さんのインタビューが面白かった。
20代のころ、フェニックスの面接を受けたことがあって。そのとき、山木さんに「君はプロデューサーには向かないけど、他の人の面接が終わるまで、ちょっと待っててくれる?」と言われて。
「いろいろ企画を持ってるんで、手伝ってくれないか?」という話になって、山木さんのアイデアを聞きながらイメージボードのラフを描いて、知り合いのイラストレーターに発注するという仕事を、していたのです。そのイラストレーターを山木さんが気に入って、その後、いくつか作品に参加してましたね。
そういう貪欲な、「いいと思った才能は逃さない」ガツガツした感じは、このインタビューからも滲み出ています。


最近、クロアチアを一人旅した人の旅行記を読んでいる。
Cimg1063僕はしょせん、ホテルも移動手段も保障された上で、楽しんでいただけであって。観光地のレストランのメニューには、日本語もあったし、ビールを頼むと「大きいの、小さいの?」と日本語で聞いてくる店さえあったし。
(←朝10時、ドブロヴニクにて。)

観光地から、やや外れた普通のスーパーで、缶ビールとおつまみを買うと、えらい冷淡なんですよ。そっちの方が、むしろ気持ちよかったりしてね。
スプリットって、世界遺産に登録されるぐらいの都市なんだけど、ちょっと離れた市場をぶらつく方が面白かった。「何も買わないなら、あっち行け」って、露骨にウザがられたから(笑)。

自分が、役立たずのハゲたオッサンである……という出発点から、一体どこまで行けるのか、ちょっと試してみたい気分ではある。

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2013年4月 1日 (月)

■0401■

昨日、「クロアチアの女性は美しいが、ツンケンしている」と書いた。
Cimg1156_2ガイドさんに言わせると、 激しい民族対立のあった国だから、そうそう他国の人間に心をゆるせないのだろう、とのことであった。それでも、観光客の増えたこの十年で、だいぶ柔らかくなったらしい。この夏からはEUに加盟するので、もっとオープンになるのでは……という話だった。
そのガイドさんは理知的で、よく機転がきき、非常に優秀な女性であった。

ツアーに同行したお客さんは、半分ぐらいが子育てのおわった女性グループ。ほかに、夫婦が何組か。一人で参加しているのは、学生。オッサン一人での参加は、僕のみ。
そして、職種は違えど、熟年男性からは、いやおうなく「仕事に対するスタンス」が、にじみ出てくる。帰りの飛行機で、エンジニアらしい方と隣り合わせになったのだが、工業部品のパーツ精査の話が、非常に面白かった。がっちりと現場に張りついていないと、出てこない話ばかりだった。

ともあれ、僕だって人から嫌われたくはないのだなあ……と痛感した旅でもあった。その癖、ひとりで町をぶらつくのが、いちばん楽しかったりもした。


ドブロヴニク旧市街の小さな港で、僕はビールを飲んでいた。
Cimg1147すぐ近くでは、白髪のオッサンが遊覧ボートの客引きをやっている。ところが、ぜんぜん客が寄りつかない。「どれ、話を聞いてみよう」と近づいていくと、ひとり10ユーロで船に乗せてくれるという。だが、最低4人集めてくれないと、ガソリン代すら出ないんだ……と、オッサンは悲しそうに言うと、「ま、あんたが4人分はらってくれれば、船はすぐに出せるんだけど」。
「よし、だまされてやろうじゃないか」という気持ちになって、10ユーロ紙幣を4枚だした。むちゃくちゃ小さいボートだけど、貸し切りだからな……と思っていると、アメリカ人のカップルやフランス人の家族連れが乗ってきた。計6人だ。

「あんたの払った40ユーロだけど、後で清算するからな」と、ボートの艇長がいう。
Cimg1151(←艇長は、なぜか木の箱に右足を乗せていた。どういう機能があるのか知らないが、単に「このポーズの方が操舵しやすい」のかも知れない。)
アドリア海の波頭を、間近に見た。波の形は複雑で、一秒毎に、見たことのないような彫刻が生成されていく。まるで、ソラリスの海だ。

……ま、余計に払った30ユーロは返ってこなかったんだけど、旅先ではケチらない、ケチらない。


ツアーは、小さな観光バスで各地を回り、長いときには、移動だけで5時間もかかった。
バスを運転していたのは、イワンという60代ぐらいのオッサンだった。彼は毎日、朝から晩まで、文句ひとつ言わずにバスを運転しつづけた。僕らが降りたあとは、ひとりで客席を掃除するのだという。
その労働量を考えると、イワンひとりに、重たい荷物25人分を下ろさせることは出来なかった。僕は毎日、彼が荷物を下ろすのを手伝った。最初は「No problem.」と言っていたイワンも、やがて僕と連携プレーで荷物を下ろすようになってくれた。

シベニクという都市でも、自由行動の時間があったが、あまり面白い場所ではなかったし、雨が降っていて、寒かった。
僕はさっさとバス・ターミナルに戻ってきた。すると、イワンが運転席でスポーツ新聞のようなものを読んでいて、それを無造作にゴミ箱に放り込んだ。その捨て方が、実に粋だった。直後、イワンは、バスのヘッドライトの傷に気づき、手でこすっていた。その仕草もまた、カッコよかった。
(バスが大事というよりは、会社に怒られるのを気にしたのかも知れない。だとしても、あの仕草のカッコよさに、曇りがかかるわけもない。)

イワンは、どこか大雑把でガサツな印象を与える男だが、僕がバスの外で待っていると、「寒いだろ、先に乗っていろよ」と声をかけてくれた。そう言いながら、自分は外に立ったまま、他の客たちを待ちつづけていた。
それが、彼の生き方だった。彼は、誰にでもできそうなことを、誰にも真似のできない方法でやっているように見えた。「あんたのような男になりたいんだ」と言いたかった。だけど、僕には英語力がなかった。


ドブロヴニクで、昼食をとるために入った小さなレストランのオッサンも、やけにきめ細かかった。おどおどしている、とさえ言えた。それでも、彼らの胸は広い。
ガイドの女性は、「クロアチアの人たちは、本当に綺麗な、青い瞳をしている」と言っていたが、それはむしろ、女たちより、オッサンたちにふさわしい言葉に思えた。

だからこそ、ザグレブからドーハまでの帰路、カタール航空の乗務員たちの態度は許せなかった。飛行機が30分も遅れているのに、笑いながら雑談とか。軽食を配った直後に「着陸態勢だから早く食え」とか。乗客が寝ているのに、大声で談笑とか。
それでも、グッと我慢するのが大人なんですかね? 俺は、日本語で怒鳴ってしまった。彼らは、自分で自分の仕事を汚している。

俺の仕事だって、パーフェクトじゃないよ。せめて誠実でありたいけど、徹しきれていない。
イワンの仕事を手伝ったのは、誉めてほしいからじゃない。彼に甘えすぎることを、恥じたんだ。

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