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2013年4月 8日 (月)

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『翠星のガルガンティア』は、監督にインタビューするため、第4話までのシナリオを読んであった。読後、えらく感激して、プロデューサーにお礼のメールを送ってしまったほど。普段から、アニメの「文学性」には、あまりポイントを置いていないんだけど、このシナリオには唸らされた。
1357649460_1_1そして、第1話の放映を、やっと見ることが出来た。

苛酷な戦闘によってしか、市民権を得られない『宇宙の戦士』みたいな世界で育った少年が、混沌とした人間くさい船団へ迷い込んでしまい、カルチャー・ショックを受ける。
で、船団側の人間というのは、好奇心いっぱいで、感情をストレートに出す「アニメによく出てくる人たち」だと思うんだよ。学園モノでも何でも、感情表現がオーバーで、強引にでも物語を牽引していくのが主人公サイド……あまりいい言い方ではないけど、「アニメ人間」だよね。
船団側の人たちに対して、主人公はロボットのナビだけを頼りにしながら、早く戦線に復帰したいと考えているわけでしょ。シナリオを読んだときは、もっとクールで、冷徹な少年だと想像していた。

ところが、意外とアツい主人公でしたね。自分が危険を冒してまで、仲間を助けようとしたり。
それは声優の演技はもちろん、色彩と動きが加わったとき、いやでも「アニメ人間」的になってしまうんだと思う。アニメって、どんどん足していく構造になっている。何枚も描かないと、歩いてさえくれない。引き算では、アニメはつくれない。
だから、主人公はヒロインを人質にとり、船内を駆け回ることになる。十分に「アニメ人間」なわけです。ポジティブに動いてくれないと、主人公に見えない。どんなクールな人間でも、人間であるかぎりは、足し算で出来ている。――あえて言うけど、それがアニメの限界なんだよ。
(人間ではない、神みたいなものは、光だけで表現したり出来るけど)

だけど、「アニメ人間」の限界をこえる目論見がなければ、ふたつの文化の出会いなんて、最初から描かないんじゃないか。主人公と船団の人々は、同じ体温をもっているように見える。それは、しょうがない。その「しょうがない」を超える見積もりがなければ、描くわけがない。その見積もりってのは、(絵ではなく)シナリオなんじゃないか――?
そう思いたいのは、作り手というよりは、僕の「賭け」なんですね。信じぬきたいんですよ。この作品を。

「僕をぶっ飛ばしてくれる作品が、ひさびさに来た!」という直感だけは、揺るがないから。


マチ★アソビの『鋼鉄のヴァンデッタ』上映会&トークショー、日時未定ながらも、告知されました。→
ゲストの高橋裕一さんって、『マクロスF』のキャラデの、あの高橋さんです。一体どういう経緯で、このアニメがつくられて、今どういう状況に置かれているのか。そして、これからどうするのが、作品にとって、お客さんにとってベストなのか。
それを模索する、ちょっと変わったトークショーになります。


新婚旅行で、クロアチアに行った夫婦の日記を読んでいる。同じ町へ行くんでも、明らかに、僕より難易度の高いことをやっている。うーん、くやしいな。

(C)オケアノス/「翠星のガルガンティア」製作委員会

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コメント

『翠星のガルガンティア』第一話観ましたよ。
また一つおもしろい作品を紹介してもらって、感謝ですよ!
廣田さんの解説は、シナリオを先に読んでいるのを差し引いても観る気にさせました。
相変わらず上手いです。
とりあえず、お礼まで。

投稿: DH98 | 2013年4月10日 (水) 19時46分

■DH98様
シナリオの完成度が高いと、必ず想像とのズレが生じます。
そのズレがなかったら、「ほう、よく出来た作品だね」で終わらせてしまっていたと思います。

それゆえ、ストレートに「素晴らしい」と言い切れず、モヤモヤした感想になってしまったのですが、見ていただけたのは素直に嬉しいです。

投稿: 廣田恵介 | 2013年4月10日 (水) 20時01分

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