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2013年3月31日 (日)

■0331■

印象の薄れないうちに、クロアチア旅行の印象を書いていこうと思います。「○○大聖堂を見ました」みたいなことは書きません。

エピソードとしては、帰国して成田の税関を通るとき、職業欄に「フリーライター」と書いておいたら、「お仕事で行かれていたんですか?」と聞かれ、「本当にクロアチアだけですか?」と税関職員のお姉ちゃんに追及されたこと。
挙句、「アフリカへは行かれませんでしたか?」って、何でだよ。俺だって、仕事でアフリカへ行くようなルポライターになりたかったよ。

さて、お姉ちゃんといえば、同じツアーのおじさま方が「クロアチアは美人が多いね」と異口同音に。ちょっとした土産物屋でも、ハッとするような美人が店番している。しかも、ツンケンしていて、愛想がない。
Cimg0984_2 トイレ掃除していたお姉ちゃんも、ゾクッとするほど美人だった。なんで、あんな綺麗な若い娘が、トイレ掃除なんかしてるんだろう?
派手な観光都市でも、隅っこのほうには古いアパートがあり、そこから出勤スタイルのお姉ちゃんが出てきて、ツカツカと足早に狭い石畳の街路を急ぐ。しかも、無表情に――ああ、この国に住みたい!


お姉ちゃん話を続けます。
俺はやはり、どこへ行ってもディズニーが好きなので、つい探してしまいます。ドブロヴニクという城砦都市では、ほぼ丸一日が自由行動だったのですが、小奇麗な本屋で、ディズニー物を物色していました。
すると、スラリと背の高い店員のお姉ちゃんが「Can I help you?」って、声をかけてくれるんです。「アイ・ウォント・ディズニー」と答えると、「ウチは、ディズニーは置いてないんだけど……」みたいなことを言いながら、一緒に探してくれるんですよ。そしたら、「Oh,Finding Nemo!」と、薄い絵本を持ってきてくれた。だけど、『ファインディング・ニモ』はディズニーって書いてあるけど、ピクサー作品だろう、俺たち的には……。

その後も、ディズニーのマークを付けたピクサー作品の絵本を持ってきてくれるんだけど、Cimg1066_3「そうじゃなくて、セル画時代のディズニーの絵本が欲しい」と、英語で説明する能力がない……。
すると、『白雪姫』の絵本があった。描き下ろしの絵が、すごく綺麗。これは、いい本を見つけたよ。
すると、お姉ちゃんが「あなたの子供は、女の子なの、男の子なの?」と英語で聞いてくるわけです。そりゃ、そうだよね。
「ノー、ノー。フォー・ミー。アイ・ラブ・ディズニー!」と、キモいことを英語で説明すると、さすがのお姉ちゃんも絶句していたね。……こういうリアクションだけは、万国共通なんだな。

その後、なぜかディズニーでも何でもないお姫様モノの絵本を指さして「これはどう?」なんて言っていたけど、どう思われたかな。
『白雪姫』と『ダンボ』を買って、「もう一冊、あの店で、何か買おうかなあ」と思い返したころには、もう顔が真っ赤になるぐらい日焼け、ビール焼けしていた。こんな顔で、あのお姉ちゃんと話すのは、ちょっと恥ずかしい。
……クロアチアの思い出というと、美しい町並とお姉ちゃん。これに尽きます。


僕は、ほぼ毎日、昼食はビール、晩ご飯にはウィスキーを注文した。ホテルのバーが高い場合は、テレビを見ながら部屋で……とか。
翌朝は早いから、絶対に二日酔いにならないよう、22時には寝るわけです。すると、目と耳だけではなく、海風を肌に受けたり、日本とは違う角度から照りつける太陽とか、積もった雪とか、指先で触った古い城砦の感触とか……、そういう五感が、夢になって出てくるんです。
だから、毎晩、一度は夜中に目覚めてしまって。

気が向いたら、次はクロアチアのオヤジたちの話を書くかも知れません。

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2013年3月30日 (土)

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『紅の豚』の舞台としても知られるアドリア海、クロアチア共和国へ行ってきました(一部、ボスニア・ヘルツェゴビナへも入国)。
帰国したばかりの今夜は疲れているので、写真を適当にピックアップしておきます。

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原稿もたまっているので、旅行記はボチボチと。

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2013年3月23日 (土)

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【本日23日夕方から、日本を離れます。帰国は、30日です。】

一応、メールは見られる状態にしておくつもりですが、仕事はお休みします。ブログも更新しません。


『たまこまーけっと』は、リアルタイムで最終回を見られないのか……。

第9話の、オヤジのなれ初め話が好きで。
Untitled『たまこ』は祭事モノだから、たいてい、何か催し物を背景にする。第9話であれば、「もちの日」。もちの日に、あんこの好きな男の子が引っ越してしまう。それをたまこが知る前に、もち蔵が聞くところがミソ。ようは、主系的葛藤(メインプロット)というのは、社会的なんですよ。何人かで、問題を共有している。あんこだけでなく、たまこともち蔵が関与してないと、主系的葛藤にならない。
それに対して、傍系的葛藤(サブプロット)は、オヤジの豆大が「どうやって母親と恋したのか」を、歌をキーにして解き明かす。つまり、主系的葛藤が社会的なのに対して、傍系的葛藤は個人的なのです。(第2話の商店街のCMづくりと、みどりの忍ぶ恋も、「社会的」と「個人的」。)

第9話は、豆大の過去の恋話(傍系的葛藤)が、あんこの恋話(主系的葛藤)を力強くバックアップし、大きな意味を持たせるわけだよね。「お父さんも、誰かを好きになったんだね」「その誰かが、私たちのお母さんだよ」という会話が、あんこの恋の“大きな意味”じゃないですかね。
(そこにもうひとつ、おおいに活躍したもち蔵がたまこからバースディ・ケーキをもらう、小さな葛藤と解決が仕組まれているのが、第9話の憎いところ。)


余談だが、主系的葛藤と傍系的葛藤が分かりやすいのは、『ダイ・ハード』一作目。
マクレーン刑事は、はたして悪漢たちを倒せるのか。もっと言うなら、大勢の人質や奥さんを助けられるのかが、主系的葛藤。社会的。
一方、マクレーン刑事の相棒となる黒人警官は、過去のトラウマを克服して、再び銃を握れるのか。それが傍系的葛藤。個人的でしょ。
たいていの場合、主系的葛藤が解決されないかぎり、傍系的葛藤は解決不可能になっている。

で、うーん。『たまこ』第11話は、例によって社会的な問題(たまこがお妃さまに選ばれたことUntitled2_2 を、周囲の人たちは、どう納得するのか)と個人的な問題(たまこ自身は、お妃さまに選ばれたことをどう思っているのか)を対比させて、テーマを明確にしてはいるんだよな。
だけどさ、たまこが商店街のメダルを手にして「こっちの方が嬉しいことだよ」って言い切ってしまっている。Aパートで。
テーマを語り終えたら、物語は終わるしかないんですよ。

だから、もう一ひねりしないといけない。それが、「たまこがメダルを無くす」という小さな葛藤。ラストで、「こっちの方が嬉しいことだよ」と言っていたはずのメダルを、主系的葛藤のキーパーソンである王子に持ってこさせる。
つまり、「メダルはどこへ消えたのか」という小さな葛藤を解決する代わりに、王子を登場させることで、実は、傍系的葛藤を保留してるんだよね。
いや、たまこに問題をつきつけることで、葛藤をさらに大きくしている。最終回のひとつ前としては、これ以上ないぐらい、緻密に組み立てられているよ。

それで、「メダルがない!」と駆け回るたまこの作画が、すごく良かったね。同じ原画を逆にして三度つかっているようだけど、フォルムがぐにゃっとしてて、楽しい絵だった。

……というようなことを、旅行から帰ってきたら、すべて忘れていそうで怖いんだけど。行って来ます。

(C)京都アニメーション/うさぎ山商店街

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2013年3月21日 (木)

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月刊モデルグラフィックス 5月号 25日発売
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●ヘッドライントピック 1/12アクセサリーについて
●廣田恵介の組まず語り症候群 第5夜

今回のサブタイトルは、「削った粉が、少し肺に入った。」 副編集長が考えました。いや、凄いセンスだなと。模型誌で、しかも『ナウシカ』ネタでないと通用しないタイトルです。
モデグラといえば、創刊当初は1/8ドールとか、岩井由紀子によるコスプレとか、『ナウシカ』ではやりたい放題だったはずです。2013年の今回は、それなりに裏をかいた感あり。


福島県いわき市の郷ヶ丘幼稚園から、「2011' 福島第一原発事故から1年 郷ヶ丘幼稚園の記録」という冊子が届いた。発行は、今年2013年3月11日だが、同幼稚園の原発事故、放射能汚染に対する2011年度の取り組みが、カラー写真で記録されている。

郷ヶ丘幼稚園へは、2011年6月の、最初のいわき訪問の際、立ち寄らせていただいた。園は武田邦彦教授の講演会を主催していたが、講演会はすぐ定員いっぱいになってしまったので、せめて、使い捨てマスクを届けようと立ち寄ってみたのだった。同行してくれたSCazh1lj9 氏がミネラルウォーターを実家からもらっていたので「それも、お渡しして」と、園に寄付させてしまった。そのときの大量のマスクは、ちゃんと、この冊子にも掲載されていた。
2011年当時、それこそ九州の方から、『マイマイ新子と千年の魔法』で知り合った防府の方から、そして石黒昇監督からもダンボール何箱にもおよぶマスクの寄付をいただいた。今さらながら、ありがとうございました。

そして、この幼稚園がすごいのは、園内でつくる給食の素材を、すべて北海道産と西日本産に切り替えたところ。食材の寄付があったとはいえ、調達には考えられない苦労をした。お母さんたちの手記も載っているけど、とにかく食べ物から内部被曝するような、大人のずさんさを子供たちに押し付けるようなことを徹底的に避けている。
「食べて応援」を呼びかけているくせに、自分たちの食堂でさえ福島産食材に切り替えていない農林水産省。食材の産地を隠しつづける食品メーカー、飲食チェーン。産地偽装を行う多数の食品流通業者。恥じてほしい。子供たちの顔を見られるのか、と言いたい。

まだ情報が錯綜している事故当初、お母さんたちは子供にしてあげられることを、とにかくすべて試したわけです。中には、関東のホットスポットに避難してしまったり、効果のないことをやってしまったり……という話も載っているけど、その苦労を哂う、無能・無力・無神経な大人たち、いい歳こいた男たち。彼らにも恥じてほしいね。


ネイティブ・アメリカンの格言によると、人間は敵が遠ければ遠いほど、勇敢になるそうです。都民は「汚染は福島のこと、東京は安全」と問題を遠ざけたがる。国民は「怖いのは中国から来るPM2.5だ」と、国内の放射能汚染から目を背けようとする。「戦地は遠くだ」と思うことで、自分を騙しているわけね。

この2日ほどの間に、福島第一原発で停電がつづいていたでしょ。いつも読んでいるきーこサンのブログに、東電と共同通信のやりとりがあって、それがすごい。→
停電発生から発表までの時間がかかりすぎ。会見は、さらに12時間後の翌朝10時。「なんでそんなに対応が遅いの?」と共同通信の記者は詰め寄っているけど、それに対する東電の答えが、もう「何も言ってないし、何も考えてない」としか受け取れない。現状を追認しているだけ。
だけど、こういう「……結局、何も言ってないじゃん?」という空気のような、泡沫のよう会話、日本のあちこち、あらゆる業界で耳にする。
言葉は発しているんだけど、本質に関わることは何も言わないのが「最もダメージが少ない」「賢い切り抜け方」と、みんな覚えてしまったから。そして、本当のことを何ひとつ言わないまま、薄ぼんやりと死んでいけるような人生。それが「幸せ」とされてきた。

だって、小学四年生ぐらいのころ、「東大に入りさえすれば、どんな職業も自由」って言っている同級生がいたからね。「どんな職業も」じゃなくて、「生涯安定」ってだけでしょ。それはね、「あらゆることに対して不感症でいる」ことを至上の価値とする生き方ですよ。
無関心なんじゃなくて、不感症なんです。いかにして痛みを感じずにすむか、傷つかずにいられるか? それを追い求めているから、結果的に、責任感が鈍磨してしまっている。


土曜日から、ほんの一週間だけど、この国を離れられる。戻ってきたとき、どんな気分になっているか、楽しみでもあり、怖くもあり。

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2013年3月18日 (月)

■0318■

オトナアニメ Vol.28  27日発売予定
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●アニメ兵器大図鑑
『機動警察パトレイバー 2 the Movie』、『トップをねらえ!』、『青の6号』、『新海底軍艦』、『バブルガムクライシス』、『テクノポリス21C』……以上、執筆。

オトナアニメは、ひさびさです。一年以上、書いてなかった気がする。しかし、『青の6号』だけは、僕より設定に詳しいライターを知らないので、参加となりました。
『新海底軍艦』は、僕が設定資料を探して取りにいって、自宅でスキャンしたほどなので(笑)。著者校がなかったので、どう変わっているか分からないけど、『パト2』も結構いい記事になっているんじゃないかな。


23日出発のクロアチア旅行日程。
24日、ザグレブ市内観光。プリトヴィッツェ湖群国立公園泊。
25日、プリトヴィッツェ湖群国立公園→シベニクへ。トロギール泊。
26日、トロギール→スプリットへ。スプリット市内観光。ドブロヴニク泊。
27日、ドブロヴニク市内観光。午後、自由行動。ドブロヴニク泊。
28日、ドブロヴニク→トロギールへ。トロギール観光。トロギール泊。
29日、トロギール→ザグレブ→ブダペスト→ドーハ
30日、ドーハ→東京

出版前日にTAFで取材があって、帰国翌日はシンポジウムに呼ばれてるんだけどね。
クロアチアへは、単なる観光旅行であって、深い意味はありません。『俺の艦長』も出版されたし、いろいろ落ち着てきたかなー、と。

あと、マチ★アソビ()の企画も、ようやく決まってきたので、旅行から戻ったら発表します。


本日は、駅前の銀行で、円をユーロに換金した。しかし、クロアチアでの通貨はクロアチア・クーナである。
友だちに薦められている『アゴラ』をレンタルしてくる。明日は、TAF取材の打ち合わせなので、これが国内で見る最後の映画になりそう。

それより、製作中のジオラマを、出発前に完成させられないか、焦りだした。
Cay1fld4_2ボトムズ2体、装甲車一輌、歩道にはフィギュアを一体、配する。
それでも、車道の右側がスカスカなので、何か残骸みたいなものを置けないか?と考えていた。

家の近くの工事現場に、鉄パイプが何本も転がっていた。これだ。鉄パイプなら、戦場にあっても不思議ではない。プラパイプに板ナマリを巻いて、ローソクであぶり、適当に曲げる。
これ、帰国してきたら、確実に作る気をなくしているからね。趣味って、性格が出るからね。あれもこれもと手をつけて、何も完成しない人は、仕事でもそうなんじゃないかと思う。

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2013年3月15日 (金)

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ケーブルで『スイミング・プール』のラスト20分だけを見る。
003公開時は、セクシーな側面だけ押し出されていたが、清楚な映画。
死体が出てきても、特殊メイクが丁寧でね。殺人の証拠を燃やした後、十字架のかけてある壁が、正面から映る。そこに主人公が入ってきて、サッと十字架を外して、フレームアウト……とかね。ソリッドで、緊張感のある演出。

水曜日に再放送されるので予約済みだけど、映画のラストは別に「ネタ」ではありません。ラストに至る過程、いかに見せるかという描写の積み重ねが「ネタ」なのです。
(ラストシーンを「ネタバレ」と呼んでいる皆さんは、映画を鑑賞しているのか、それとも監視しているのか?)


ここ2日ほどの日記を読み返したが、二重の意味で勉強になる。
まず、当時の自分を美化しすぎだね。「あんたに、そこまで良くしてもらった覚えはないよ」という人が、ほぼ全員じゃないかな。会社やめさせられてからも、たまに「今、こういう企画をやってるんですけど」って相談が来て、そっちが彼らの“本番”なんだよね。その場に、僕はいないし要らない。
ダメな会社に、ああまで付き合うのは、しょせんダメな会社員でしかない。リストラが行われていた頃、「これを機会に学校に入り直す」って若者までいたからね。その割り切りこそが、若さだよ。

それにしても、会社勤務の日々は「ダメの見本市」だった。
大作ゲームのディレクターは、なぜか朝礼に顔を見せなくなった。「あの人、病気だから」ってマネージャーが言うんだよ。最初は悪口で「病気」って言ってるのかと思ったら、プレッシャーのあまり、人前で話せなくなってしまったんだって。
じゃあ、どうやってゲームの詳細を詰めていったかというと、会議室に主要メンバーだけ集めて、秘密で決めるんだよ。他の社員は、シャットアウト。最初は、全社員を呼んでいたのに。
閉鎖的な組織は、カルト化する。その典型だね。

TPPが勝手に決まるのも、電力会社が「データ無くしました」って平然と言えるのも、天敵がいなくなって、外の世界の常識が分からなくなった結果だよね。
イエスマンは残って、主体的に発言していたヤツは消されるんだから、あんな会社でも戦後日本の縮図になっていたんだって感心するよ。

僕は5月に明大で講義するけど、僕の言うことを聞いていたら、組織から弾かれる人間になってしまう(笑)。


僕は3月15日が誕生日なんだけど、二年前のこの日は、放射性プルームが関東を襲った日。今年は、TPPか。
放射性プルームについては、あの日の朝だったと思うけど、USTREAMで「原子力資料情報室」の発表を見て「今日は、外に出ないほうがいい」「換気扇は回さないこと」「マスクをした方がいい」ぐらいの情報は得ていた。
……だけど、それを生かせなかったね。編集者が、朝から外を歩き回っていると聞いて、「あいつが頑張ってるんなら」と、つい外へ出てしまった。

だから、後はもう、「どうやって生きていきたいか」という問題しか残ってなくて、キノコ類や牛肉を「安全なんだから食え!」と、口に押し込まれるいわれはないわけです。
あなた方が汚染食材を食べる自由はあるけど、「食べさせる自由」なんてものは無いわけです。あらゆること、すべてそうだね。何かを「好き」でいるのは自由だけど、「お前も好きになれ!」と言われたら、それは自由を侵害しているよね。

だからね、僕にとって、表現というか作品の世界は、とても大事です。
作品は、いつでも誰にでも、作者の望む形でオープンに見られていてほしい。311直後は、なぜか劇場用の『ドラえもん』ばかり見ていたけど、他に信頼したいものが無かったのかも知れない。
作品だけは、無限に愛することが出来て、しかも見返りがない。その関係にはウソがない。現実逃避のために見てもいいし、勉強のために見てもいい。作品だけは、僕を裏切らない。

(C)2002 FIDELITE-HEADFORCE LIMITED-FRANCE2 CINEMA-GIMAGES FILMS-FOZ

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2013年3月14日 (木)

■0314■

原稿が予定より早く終わったので、昨日のつづき。

最初は「ファイナル・ファンタジーに負けないゲームをつくる」って言ってたんだ。というか、それしか言わない(笑)。それ以外に、これといったコンセプトがないわけ。なのに、社内掲示板には「もっと頑張れ!」みたいなディレクターからのメッセージが書いてあって、だから、何をどう頑張るんだよ。
思いつきは、企画とは呼ばないんですよ。世の中に対して、あるいは携わるメンバーに対して、何かしら啓発すべきテーマを見つけないと企画は成立できない。

僕は演出チーム所属で、若手数名といっしょにシナリオを書くのが当面の仕事だった。ところが、ディレクターと同じ会社から移籍してきたデザイナーが、なぜか「シナリオ・チーフ」になっている。
彼は、シナリオなんて一度しか書いたことがない。その一度きりで、スッカラカンになってしまったらしい。彼と話しても、何も新しい話題なんて出てこないですよ。映画なんて見てないし、アニメなんて、もっと見てないんだもの。30代も半ばになると、不感症になる人は、何を見ても感動しなくなる。
チームみんなで『ガンパレード・マーチ』は面白いよなー!と盛り上がっていると、「俺には、どこが面白いのか、よく分からない」って、そっぽを向いてしまう。
だからといって、「誰が何と言おうと、俺はこのゲームが面白いと思うな!」というのもないわけ。批判しかしない。

で、そういう枯れた人の共通項に気がついたんだけど、「萌えは嫌い」。
グラフィック・チームの若手が「萌えキャラを出しましょうよ」と張り切っていると、「そういうのは、俺は出さない」。とくに理由というほどのものはない。「オタクの玩弄物になるようなキャラクターは、俺は出したくない」。
――僕の知っている面白いものをつくる人って、とにかく雑食で貪欲。「軽薄」といってもいいぐらい好奇心が旺盛。萌えだろうがシリアスだろうが、オールラウンド。なんだか、色気があるんだよ。

でもね、そのシナリオ・チーフだった彼のような、頑迷固陋で面白みのない人とも上手に付き合えるのが、本当に賢い人。僕は、彼とはケンカが絶えなかったから、それは反省点。


で、シナリオ・チーフの彼は、ディレクターと前の会社で親しくしていた。
僕が「ディレクターがノープランだから、何も決まらないんだよ」と社内掲示板に不満を書くと、「これじゃ○○ちゃん(ディレクターのあだ名)のメンツ、丸つぶれじゃないか!」って激怒するわけ。そのときに印象的だったのは、「あんた、俺にこんなに怒鳴られてさ……あの、あれだ、とにかく……、あんたなあ!」って、もう怒鳴る文句さえ浮かんでこない。人間、ここまで言葉が枯渇するのか、それでもまだ怒鳴りたいのかって、ちょっと驚いた。

だけど、単純に人が着いていかなかった。彼には。僕と彼以外のシナリオ・チームは、20代ばかりで、みんな自分の物語を書きたくてウズウズしていた。なのに、何のテーマも与えられない。毎日、みんな沈痛な面持ちでPCの前に座っているだけで。
僕は35歳で、10歳以上も年下の彼らを、とにかく暴れさせたかった。だから、まず小部屋に集まって、「自分の好きな本、漫画でもいいから、みんなに紹介しよう」という会をやった。それで読みたがる人が出てこなかったら、伝え方・話し方を考えなおそうぜ。初歩的すぎるかも知れないし、「会社」っていうぬるま湯の中だから出来たのかも知れないけど、それだけでもプレゼンの練習にならないこともなかった。

――だから、僕も甘えてはいたんだよな。会社という組織に。
僕は大学を卒業してから、映画の企画書をつくっては、いきなり映画会社に電話してプレゼンに行くことを繰り返していた。何十社も回った。それが認められて、サンライズの企画室に拾われたぐらい。
あれから10年たって、その頃の経験を伝えるべきときが来た……と当時は思わなかったけど、「10年経過すると、経験は実践的に応用可能となる」。これは間違いなさそう。


だから、「A4一枚、数行で書ける企画書の書き方」とか、パチンコ・チームに移ってからもグラフィッカーたちに伝授したりしてた。尤も、本当に冴えたプログラマーは「ごたくを並べているヒマがあったら、さっさとゲームを作る」と、自分の企画をコツコツとプログラムして、そこそこ遊べるレベルにまでしていた。
そういう優れた人の存在を考えると、僕のやっていたのは企画(ごっこ)と、カッコつきにせざるを得ない。だけど、当時、あの会社がもてあましていた課題のない現場、ありあまる熱量を考えると、僕のやったことは正しかったはず。
僕がリストラされる間際には、もう宣伝部でも誰でもいいから参加可能な企画コンペをやって、そこでは外部に出しても恥ずかしくない企画書を作成し、プレゼンも自分で考えて、みんなの前で発表!とかやってたからね。

それは、いつ誰がクビになるか分からない中、外にほっぽり出されても、自分のアイデアを他人に伝えられるように訓練しておきなよ、という意味。それともうひとつ、コンペでは話にならない企画は落とすしかなかったけど、勝ち残った人には成功体験を与えたかった。
何しろ、「ファイナル・ファンタジーに負けないゲーム」なんて、とうとう作れないまま、半分以上の若者が辞めさせられるわけだ。だったら、「ちょっとはいいことあったよな」「多少は誉められることをやった気がする」ぐらいは思わせないとさ。若い頃に誇れる経験がないと、その先が厳しいです。
ま、偉そうにしていた新経営陣は、そんなことは微塵も考えていなかったけどね。

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2013年3月13日 (水)

■0313■

僕のサラリーマン生活というと、結婚していた前後だけなので、ほぼ三年間ということになる。
そのほとんどがゲーム会社勤務。その会社は十数億円も投じて、一本のゲームすら上げられなかったダメ会社である。そのヘッポコな社史をまとめたら、さぞかし面白い本になるだろう。

ダメな組織はいつもそうなのだが、ご多分にもれず、身内を大事にしすぎる会社であった。AさんとBさんは、元の会社で先輩後輩だったから、互いにかばい合うとか。Cさんの親戚だから、Dさんはいいポストにつけたとか。Cさんの悪口を言うと、Dさんが怒るのは、そのせいだとか。
僕は就職雑誌を見て、「ライター業をつづけてもいい」「むしろ、つづけてほしい」という条件で入った。そういうオープンな部分は、なかなか良いなと思った。

ある日、日本舞踊をキャプチャして3Dモデルを動かしたいので、誰かに踊ってもらおうという話になった(それはゲームではなく、僕が希望して転属になったパチンコ部門で)。
その「誰か」っていう場合、やっぱり身内の誰か、「○○の奥さんに踊ってもらえないか」とか、そういう話になりがちなんだよね。僕は、それは不健康に思えてね。まったく会社と縁のないところから来てほしかった。世間の空気を、常にとり入れる姿勢こそが健全だって。
……仮に、会社の内部で探すにしても、「前の会社で仲良かったから」なんてのはNGであって、「あいつは出来るぜ」「出来るやつにやらせようぜ」って、才能でつながるべきだよね。新入りだろうと何だろうと、才能を第一に評価する、ということが出来ない会社だった。
(無能な連中ほど、「だって仲間じゃん!」と言いたがるよね。)

結局、僕の大学に日本舞踊を教えている課があって、そのツテで探してもらったか、プログラマーの知り合いだったかな。外部から電話がかかってきて、だったら、お金は安いけど払いますので……と話して、舞踊の先生と生徒さんに来てもらったんだ。
で、僕は踊りのことは分からないので、先生にお任せして。モーキャプのことなんて知識ないから、プログラマーとアニメーターに見てもらって。ただ、「疲れたら休ませる」とか、そういうとこだけは、僕が気をつける。

間違ったところで、いくら口出ししても、邪魔だけなんで。
なんか命令したり、注文していると、やった気になっちゃうんだよ。「お金払ってるの、こっちなんだから」って認識も、ただ下品で傲慢なだけだし。


たぶん、フリーライターに対して「ギャラ出してんだから、言うこと聞けよ」って思っているサラリーマンも、多いような気がするけど……そこまで露骨に態度に出す人とは、幸い出会っていない。出会っても、先に気がつくものだよね。「こいつの言ってること、何かおかしいぞ」って。
単に、才能だけを認め合って、関係を維持したい。「以前、お世話になったから」とか「この人は、よく頑張ってくれるから」って理由も、ゼロではない。だけど、「お金がほしいから」って動機は、仕事を貧しくさせる。僕も「ここはギャラが安いんだから、この程度でいいんだ」と思っていた時期もあるけど、それは間違いだった。心が卑しくなる。

僕はもうすぐ46歳だから、「若くてやる気のあるヤツに、どんどん書かせたら?」と思うんだけど、逆に「あの人に書かせたら、面白くなる」と思ってもらえることが、まだかろうじてある。
そういう仕事だけ、やっていきたいと思う。求められる分は、ちゃんと頑張る。……そういう仕事って、意外と安かったりするけど、この歳になると、お金のためだけに頑張れないですよ。
「世のため、人のため」って思えないと。


そのゲーム会社は、経営陣が仲たがいした挙句、三人ともクビになった。
新経営陣が入ってきて、大粛清の嵐が吹きあれ、さながら毎日が戦場のようだった。朝、会社に出てくるんだけど、誰も仕事がなくて、あちこちで「これからどうする?」って小声で話していて。「これ幸い」と、自分の作品をつくっているヤツもいたし。

僕みたいに、新経営者を無視して「毎週金曜は、アニメの上映会と勉強会です」とかやっていると、まずリストラ対象だよね。僕が辞めさせられるとき、「えーっ!」と驚いたのは若い人。若い人の中でも、「……あれだけ勝手に動いてれば、そりゃクビでしょ」と見抜いてる頭のいいヤツは、じっと黙っていた。
自分にいちばん身近な、それこそ才能を認めていた相手ほど、裏切るんですよ。器用に立ち回れるやつは、最初から誰にも心を開いていない。だから、生き残った。

――あの三年間からは、本当に多くを学んだ。クビになった当初は、くやし泣きしたけど、10年近くたってみると、いい具合に熟成されてくるね。忘れないうちに、あの頃のことを書いておきたい。

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2013年3月11日 (月)

■0311■

声優の納谷悟朗さんが、5日に亡くなっていたそうです。→
声優さんは、文化をつくっていく仕事です。ウソも裏表も通用しないので、信用に足ります。

納谷さんとは、プレイステーション用ゲームの『宇宙戦艦ヤマト』のアフレコ時、ご一緒させていただいたことがある(納谷さんはもちろん、沖田艦長役。僕はモブだった。)
十年以上も前のことだけど、納谷さんはマイクの前に行くまでは、やや危なっかしい足取りだった。ところが、マイクの前に立った瞬間、すごい声量で「ヤマト発進!」 その迫力に圧倒された。嬉しかったですよ。

少年時代に親しんだ文化をつくった方たちが亡くなっていくのは、やっぱり不安なものです。高校生ぐらいまでの記憶と、成人してからの記憶っていうのは、まったく質が違うので。
今は、納谷さんに「いいお仕事を拝見させていただきました。長いこと、お疲れ様でした」と言いたい。


週末、友人が『ガンダムに学ぶ』という記事の連載された朝日新聞を、持ってきてくれた。
ガンダムとは関係ない欄に、元法務官僚の犯罪学者のインタビューが掲載されていた。いわく、日本社会は「他者に対する信頼をもとに築かれた社会とは根本的に違います」。会社や地域といった「仲間内」での相互監視にさらされているから、結果的に「治安がいい」ことになっている。仲間でない者に対する警戒心が強い。
さらに引用すると、『悪いことをすると罰を受ける』と思っている人の割合は、英独仏を上回って、ダントツで日本が一位。……まあ、いろいろ得心しました。土曜日に明治公園で反原発集会が行われ、逮捕者が出ました()。「ほら見ろ、反原発なんて言うから逮捕されるんだ」「デモなんかやるからだ」と、みんな思ったでしょ? 懲罰社会。「逮捕されるようなことはするな」「黙って従え」「自分の意見など持つな」「行動するな」。

実社会ではおとなしい分、嫉妬や憎悪がつのる。つのった分、みんな、インターネットで擬似的に発散する。むしろ、ネットが嫉妬と憎悪を加速している。
2ちゃんねるのような場所でさえ、ルールでガチガチに縛りたがる。「スレ違い、板違い」みたいな細かいルールをつくって、他人を罰せずにいられない。テンプレ、コピペで自発的な思考を放棄するくせに、暴力だけは振るいたい。他人を傷つけたい。

ネットこそが、日本人の醜さを映し出す鏡だ。それは、震災・原発事故前から分かっていたつもりだった。
311後に身に染みたのは、若い人から、融通のきかなくなったオッサンまで、皆が「長いものには巻かれろ」と開き直っていることだ。ここまで、誰もが権力に弱くて他力本願とは。そのことに気づかされた二年間だった。


奴隷にならず、創造的に生きようとすると、すなわち反抗的にならざるを得ない。
優れた表現は、生まれながらに過去の常識、枠組みを壊す。表現の中にも思想が忍び込むが、すべての表現は等しく批判にさらされる。その公平さが、表現の自由という意味だ。

本当の自由とは、誰からも愛される可能性と同時に、誰からも相手にされなくなる未来をも手にすることだ。
憎むことは習慣だが、愛することは能力だ。


東日本大震災チャリティプロジェクト『ZAPUNI』が、本日よりスタート。山本寛監督の『blossom』も見られます。→

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2013年3月 9日 (土)

■0309■

なんとなく敬遠していた『カラーパープル』を、レンタルで。
Lwhoopigoldberg0408adbe二時間半、あっという間だった。40歳を前にしたスピルバーグが「出発点となる作品を撮りたい」と、この企画を選びとったのも分かる。才気のほとばしる、初々しい作品。
例えば、どんなに悲惨な救いがたい状況を描いていても、カットの隅に映っている花だけは、ウソのように綺麗であるとか。
そうすると、少なくとも、カットにはふたつの意味が生じる。解釈の幅が広がる。テレビのように「撮る」から、「描く」「語る」へ進化するというかさ。

たとえ、これ見よがしの技巧であっても、何も工夫してないよりは見る価値があると、僕は思う。


「あいまいな喪失」。福島県で働く臨床心理士の女性の言葉。
本当は家族がいるのに、避難生活でバラバラになって、会えない。そこに家があるのに、汚染されているから帰れない。完全に失われたのではなく、「目に見えるのに、所有できない」状態。

たとえば、東日本のシイタケは、もう必ずといっていいほど高い汚染数値をたたき出しますが、栃木県のシイタケ農家の23%が、「生産をやめる」考えだそうです。→
こうした汚染食材を避けたり、西日本に移住する人をあざ笑うのは「あいまいな喪失」を理解できていない。相手の事情、相手の価値観を許容できない、幼稚な人たちですね。
ネットでの争いが「放射脳」VS「洗脳民」といったレベルに陥るのは、「自分と異なる人生」を理解しようとしない、理解できないからです。

……というより、もうみんな考えるの、面倒なんじゃない? それが投票率の低さにも表れている気がする。
芸能人が倒れるたび、「セシウムだろう」「ストロンチウムだろう」と大騒ぎする人は、さらなる悲惨を求めているようにしか思えないし、自分の知らなかったことを「陰謀」「隠蔽」でくくるのも大人げない。
ただ、僕らが怠惰で不勉強で、社会に関わらなくても生きていけるシステム。これだけは、がっちりと上手く構築されていると思う。そのシステムも、自分で調べていけば、可視化できるんだけどね。

震災瓦礫の拡散も、食材の産地偽装も、311前から行われていた。もっと言うなら、まったく汚染されていないシイタケは、僕ら世代は口にしていなかったという(大気中の核実験により、現在ほどでないにしても汚染はされていた)。
太平洋の魚が汚染されているのも、ちゃんと発表されている数値を見れば、アホでも分かるでしょう……。
そんなこんなも含めて、主義に合わない事実も認めて、清浄も汚濁も併せ呑む。その上にしか、理想は築けない。

理想とは常に、現状に対して抵抗的である。現状を肯定するならば、それは理想とは呼びがたい。


3月11日は、夕方から取材。
23日から、クロアチアに旅行するので、前日まで仕事を詰め、なるべく手ぶらで出かけたい。

二年間、いろいろな意見を見てきたけど、敦賀原発を筆頭に、古い原発は閉鎖されるでしょう。金にならないと知るや、電力会社の熱の冷め方は早いです。
そして、3月15日と21日の二回、東京を放射性降下物が襲ったことは、文科省の資料でも東京都の資料でも明らかです。あの日、屋外に出ていた我々は、程度の差はあれ、被曝しているわけで。

だいたい、もう何を中心テーマにすべきか、分かってきたでしょう。疲れたら、現実逃避してもいい。退路を閉ざしてはいけないよ。

(C)1985 Warner Bros. Entertainment Inc.

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2013年3月 6日 (水)

■0306■

談話室オヤカタ「#0400 作品の感想に模範解答なんか、無い」
池田憲章さんたちと、400回記念のケーキを食べつつ、語ってきました。聞いてください。


幼い頃は、まだ与えられたものの中でやりくりしていられた。
小学校高学年になると、「大人たちはウソをつきながら、意味のないことを繰り返している」と気がつきはじめる。そんなとき、どんなに必死に戦い、理不尽に友だちを失っても、決して社会に認められない者たちを主人公にした『無敵超人ザンボット3』と出会う。
「このアニメは、合体ロボット物のフリをしているが、本当のことを言おうとしている」と直感した。だから、周囲に「いい歳して、ロボットの漫画なんて……」と言われても、見つづけた。ロボットの漫画だからこそ、信頼に足る。合体ロボットなんて、社会の最底辺だったから。たとえ認められてなくても、この制作者たちは真剣なんだと、それだけは確信していた。心から信頼していた。

あのね。いいんです。夕方5時から、ロボット玩具の宣伝のためにやっているテレビ漫画の方が。「オモチャが売れなかったら、番組は打ち切りになる」って、小学6年生には理解できていたから。正々堂々としている、と僕は思っていた。
その頃の日本映画というと、商売として、もっとも下賤だったから。団券販売といって、出資会社の関連企業に、前売り券を売りつける。親会社に逆らえない企業は、やむなく社員に買わせる。何十枚という前売り券が家のタンスに眠ることになるから、「タンス券」と呼ばれるんだけど、それが映画の収入に数えられる。
だから、映画館がガラガラなのに「今年度ナンバーワン、配収○億円の大ヒット!」とか、まったく中身のない商売をしていたわけ。
大手配給会社に屈するしかなかった映画館は、誰もいない劇場でフィルムを回しつづけていた。

オモチャが売れなかったら、話の途中でも打ち切られるテレビ漫画のほうが、ウソがない。今でも、そういう正直さを残しているから、僕はアニメ業界を憎めない。


団券販売といえば、反原発集会でも反オスプレイでも、「団体動員かけたから、あれだけ集まったんだ」とクールぶっている人。
究極の団体動員は、選挙でしょ。自民だったら、遺族会・薬剤師会・建設業協会、いろいろ動員するよね。なんで、そっちは「しょせん組織票だ」とクールぶらないんですか?

自民党は、「反共産主義ののために頑張ってくれるんなら、カネだすぜ」とアメリカから支援されて出来た党でしょ。主体性なんて、ないですよ。最初から。
僕が言っているのは、そういうことでしかない。原発を「電気の安定供給のため」と本気で言っている人は、“電気税”を払ったうえに宣伝までしてくれる、優秀な奴隷。『原発と権力』でも読んでください。日本に原発が導入されたのは、アメリカの都合。もともとが国内の電力供給のためではないし、大飯原発を再稼動させる前にも「供給は関係ない」と、関西電力がハッキリ言ってたじゃん?

そして、原発立地の人たちはさ、核廃棄物の最終処分場のドキュメンタリーでも言っていたけど、「こんな田舎に立派な図書館や公民館が建っていて、うらやましい」ってのが動機でしょ。原発交付金というのは、やっぱり中身がないわけ。
零落した大手映画会社が、カラッポの劇場を前にして「○十万人動員! 大ヒット!」と宣伝しているのと同じです。そういう内容空疎なテレビCMを見て、何も知らないオバチャンたちが「そんなに当たってるなら、すごい映画に違いない!」と思い込んでしまう。「原発は電力確保のために必要!」と熱弁している君たちの同類だ。


自由であるはずの映画やアニメを五段階評価したり、百点満点で採点したりする者は、義務教育のくびきから逃れられていない。自ら牢屋に入った者が、脱獄を繰り返す表現である映画やアニメを採点するとは、こっけいだ。

だけど、すべてが繋がっている。自由を行使できないものは、自由を行使するものを妬む。おとしめる。
デモで自分の意思を示す群集を哂うのは、自らの声で発言する自由を手放した君だ。映倫に規制された映画を「法律だろ、仕方ない」と突き放すのは、法に反抗する自由に触れようとさえしない君だ。主体性なき民は、主体性なき権力者には都合のいい存在。

「本当のことを言わなければ」と立ち上がった大人が、アニメ番組という子供向けのメディアを使ったことは象徴的だ。「オモチャが売れねば、たちまち打ち切られる」という実体のある罰則が、そこにはあった。主体性がなければ、半年ももたない。そこで彼らは、実態と乖離した宣伝もしなければ、交付金なんてものに甘えもせず、ただひたすら「伝える」努力だけを行ったんだ。
自律性のある作品に出会ったら、自律性ある生き方をしよう。別に、デモが最良の手段なんて思っちゃいないよ。方法は何でもいい、この空っぽの国で、「俺はこう思うんだ、こう信じるんだ」と、意志の炎を燃やせ。たいまつを掲げろ。それが自由だ。

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2013年3月 4日 (月)

■0304■

今年も、明治大学で、ゲスト講師をすることになりそうです。
今年で三回目になりますが、ウソかマコトか、僕の授業はアンケートで上位なんだそうです。


20代の頃は、とにかく映像の制作現場なら何でも見ておこうと思って、安いアルバイト代で、いろんなところへ飛ばされた。
CMの現場へ行くと、いちばん威張っているのは広告代理店で、僕が明日の弁当を用意しようと思って「何時ごろに来られますか?」と聞いても、目を合わせない。こっちはアルバイトの雑魚なんだから、それはまあ、仕方ない。

だけど、編集作業に立ち会った日、様子が変わった。
僕は他社から飛ばされてきたアルバイトだから、終電が終わらないうちに帰ろうと思って、「お先に失礼します」と、ひとりで編集スタジオを出た。
翌日、大手広告代理店の男が、初めて僕の名前を呼んだ。「お前、スポンサー様より先に帰るんじゃない!」 どうやら、全員で徹夜したらしい。編集作業をしていたのは、2~3人のオペレーターだけだったはず。後は全員、後ろの椅子でボーッとしていた。一体全体、代理店とスポンサー様は何のために徹夜していたのか、よく分からない。

「お前が誰に雇われてようと、関係ない!」 代理店の男は吐きすてるように言った。ようするに、所在なさげにみんなと同じ椅子に座り、みんなと同じように徹夜すれば良かったんだろう。
20年前の話だが、今も同じだろう。いや、日本全体がそうだ。「理由はない」「とにかく、みんな一緒」。


僕は、学級委員や生徒会の役員になるのが好きだったけど、教室で話し合って何か決めていると、生徒に自主権があると信じ込んでしまう。
実際には、生徒たちが何を議論しようと、何を多数決で決めようと、職員会議で一蹴されてしまう。

敗戦・無条件降伏後の日本のミニチュアだよ。学校の教室は。
日本は間接統治されたから、あたかも日本政府が物事を決めているかに見える。実際は、アメリカ政府の意向が最優先で、アメリカに従わない総理大臣はさっさと降ろされてしまう。朝鮮戦争とか冷戦とか、アメリカの勝手な事情が日本の運命を左右してきた。今だって、そうだ。
だけど、政治家たちは自主権があるフリをつづける。

政治がそんな風だから、商売も「ウソ」と「フリ」をつづける。徹夜したら、仕事した気分になる。理由は説明できないが、スポンサー様より先に帰ってはいけない。中身がない。実体がないことをつづけているのに、翌月には口座に給料が入っている。

しょせん実体がないから、サボっても給料がもらえる。しょせん実体がないから、裏口入学する。しょせん実体がないから、テレビCMで名前の連呼されている企業に入りたがる。
誰も、本当のことをしない。本当のことを言わない。本当のところは、女子選手を罵倒し、怪我まで負わせる柔道の監督。本当のところは、罪のない人を何度も誤認逮捕して、謝ってすませるだけの警察。

ソ連は「ソビエト連邦」の略だと習った。イギリスは、本当は「大英帝国」という。しかし、地図をいくら見ても、日本は「日本」だけで、国の名前がない。


実体のない国だから、偏差値のような「何となくの目安」が好まれる。赤点をとったら留年だが、満点をとる必要はない。偏差値を上回っていれば、そこそこ生きていられる。満点をとるため努力するのは愚か者。満点なんてとりつづけたら、目立ってしまう。目立ったら、嫉妬される。
ようするに、罰ばかりが用意されている。

本当は、「お前が頑張ったおかげで、これだけの成果が上がった」と誉めてやらねばいけないのに。「これは、お前にしか出来ないよ」と、独自性を認めてあげねばならないのに。
「生まれてから、誉められたことがない」という大人がいる。罰を受けた記憶しかない。そういう大人は、幸せも成功もイメージできない。
「無条件降伏」という罰を受けた国だから、理想がない。

明日、仕事をはじめる前に考えてほしい。誉められなければ、誰も幸せになれない。互いに認めあい、本当のことが言えないのなら、あなたの職業は、いつまでも空っぽのままだよ。

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2013年3月 1日 (金)

■0301■

月刊シネコンウォーカー 明日より配布
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●『機動戦士ガンダムUC』レビュー
記名記事ですが、「シリーズ全体を俯瞰して」とのオーダーなので、そのように書きます。こういう媒体で我をだしても、誰の得にもならないので。
最新話数で、ユニコーンガンダムがフル装備になる……という情報は、ガンプラの発売データを見ていて、分かったことです。ガンプラ情報にも、ざっと目を通しておくと良いです。

語れ! タツノコ 発売中
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この本については、ほんのお手伝いです。
コンビニでも売られる本なので、読者層を意識しつつ……。
増刷のかかった「語れ!ガンダム」は、編集者がザッと企画をつくっていて、そこへ僕らフリーライターが集まって、「この企画は必要ない、失敗しやすい」「僕なら、こういうページを構成できる」と意見を出し合って、ああいう形になったのです。
今回の本は編集者が違うせいか、インタビューと作品分析中心です。

吉田すずかさんのインタビューが出ていたので、これをやりたかったですね。
Ca1qqg8q何しろ、お正月に友人から「こんなの見つけたけど、買っておく?」とメールが来たのが『アクビガール』のカレンダーですから。

『よばれてとびでて! アクビちゃん』と『アクビガール』は、また違うんです。同じ吉田すずかさんでも、かなり絵柄が違う。
『よばれてとびでて~』はDVDが出ているけど、『アクビガール』はソフト化されていない。これも大きな差です。


マッドハウス本社にて、『アニメミライ2013』の中のマッドハウス作品『デス・ビリヤード』の試写会と懇談会。
G4上映後の質疑応答には、立川譲監督と角木卓哉プロデューサーが登壇。出版関係に声をかけたらしく、出席者は、ほぼ全員、何らかの形で仕事した方たちばかりでした。
本当は、業界に興味のあるファンの人たちが、直に監督やプロデューサーと話すべきだと思う。今どき、そういうファンは少ないとは思うけど、だったら尚さら。

もしそういう機会があったら、どんどん質問して、恥をかいてもいいから話しかけること。特に、若い人。

例えば、『デス・ビリヤード』での若手アニメーターは、テレビアニメで使用頻度の多いであろう、歩きなどの基本動作を描いているそうです。中堅は、表現力の必要な、繊細な芝居を描いている。
だけど、若手の中でも『おおかみこどもの雨と雪』の原画を描いていた鈴木亜矢さんは、『デス・ビリヤード』後半のアクションをすべて描いたそうで、どうやってアニメーターの体力を分散して作り上げたか、この作品なりの狙いがあるわけです。

そういうのは、聞く癖をつけておかないと、質問という形で出てこないし、「ここはどうやって描いたのだろう?」という認識すら生まれないと思います。
『アニメミライ2013』は、明日より上映()。


『アニメミライ』といえば、2011年3月11日が、2010年度作品の上映最終日だったんです。
席を予約してあったのに、すぐにキャンセルになったのを、よく覚えてます。

福島第一原発からは、今も放射性物質が漏れつづけています。原発専用の港でとれたアイナメから、51万Bqでしょ。食品基準値の何倍ですか?
4号機が倒壊したら、「北半球が全滅する」という話があって、それぐらいだとリアリティがなかったんだけど、最近、「300キロ圏内」というリアルな数字が出てきた。このマンションの屋上に、自家用機があれば間に合うんだろうけどね……。

そんなこんなを「無かったこと」にして、明日も明後日も「生きているはず」という前提で生きていくのは、なんと不思議な気分だろう。
とりあえず、マスクを補充しておいた。

(C)立川 譲/株式会社マッドハウス/文化庁 アニメミライ2013

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