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2013年2月23日 (土)

■0223■

『バニラ・スカイ』のキャメロン・クロウ監督の『あの頃ペニー・レインと』を夜中から、明け方にかけて見る。
163038view003ペニー・レインと名乗る、夢に生きるような少女(といっても20代半ば)。初登場のワンカットで、決して忘れられないような撮り方をする。やはり何といっても、衣装がすばらしい。
遅々として進まぬ仕事、手のとどきそうな名誉、それと引きかえの泥沼のような倦怠……、興奮と不安がないまぜになった、二日酔いの朝のような映画。

「本当の芸術は、罪悪感と憧れの中から生まれる。そして、セックスと愛にからめとられるように存在している」――映画の終わりごろ、そんなセリフがある。肉体を感じさせる言葉だ。


にぎやかなパーティの前、いつも、飛行機の機内アナウンスを真似ていたペニー・レイン。男に捨てられ、ついに現実に戻る決意をした彼女は、飛行機に乗り込む。そこで彼女は、本物の機内アナウンスを耳にして、その言葉をなぞる。夜の明けていく痛々しさ、身を焦がすような朝日のまぶしさを感じさせるシーンだ。
そんな演技の、撮影の、小道具の、衣装の創意工夫が、あちこちに散りばめられている。

そのすべてが、人生を祝福する。「大丈夫、何とかなる」と肩をたたかれた気分だ。


Tumblrは、すっかり忘れていた数年前の記事を、思いがけないタイミングで取り上げてくれるので、僕にとっては面白い存在です。
こと、『ぼくのエリ 200歳の少女』に、映画倫理委員会が高圧的な姿勢で改定を加えた事実については、末永く語り継いで欲しいと思っている。

先日は、『ぼくのエリ』規制問題についての「映倫は、登場人物の自由をさえ、もぎとる」という記事()を、多数のTumblrで取り上げていただいたようだが、中には、こんなコメントを付ける人もいた。
「何寝呆けた事言ってんだ。日本の法律で問題があるから規制しただけだろ。最初からそこが問題になる事判ってて持ってきたんだろうしな。」(

……日本の法律って? べつに法律なんて調べてもないんだろうけど、こうして考えることを誰かに任せ、他者に取捨選別されたものを自ら選びとったと勘違いし、権利を行使しているつもりで義務にがんじがらめにされて、生きてきたのでしょう。
いつもなら「かわいそうな人」ですませるところだけど、ほとんどの人が「決まりだから、仕方ない」とあきらめ、「俺たちには、どうしようもない」と責任を放棄し、「もう決まったものを、変えようとするな」と他人にまで怠惰なルールを押しつけているのが、今の日本だと思います。

「奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、驚いた事に 自分の足を繋いでいる鎖の自慢をお互いに始める。 どっちの鎖が光ってて重そうで高価か、などと。
そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。 」
「現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。
そして、何より驚くべきことに、現代の奴隷は、自らが奴隷であることに 気付いてすらいない。
それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの 唯一の誇りを見い出しさえしている。 」(リロイ・ジョーンズ)


自由さに鈍感で、権力に盲従する者は、幼年時代に耐えがたい抑圧を経験している。本人がそれを認めないかぎり、負けっぱなしで人生は終わる。

DreamWorks/Photofest/ゲッティイメージズ

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