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2013年1月31日 (木)

■0131■

「俺の艦長」 本日発売
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最初の告知から、7ヵ月間、お待たせしました。すでに書店に並び、通販の扱いもスタートしています()。
登場する艦長は、沖田十三、土方竜、アンドロメダ艦長、古代守、古代進、山南(以上、『宇宙戦艦ヤマト』シリーズ)、ブライト・ノア、パオロ・カシアス、リード中尉、ガデム、フラナガン・ブーン、エイパー・シナプス、ヘンケン・ベッケナー、ビーチャ・オレーグ、エマリー・オンス、ロベルト・ゴメス、オットー・ミタス、スベロア・ジンネマン(以上、『機動戦士ガンダム』シリーズ)、ブルーノ・J・グローバル、マクシミリアン・ジーナス、ジェフリー・ワイルダー(以上、『超時空要塞マクロス』シリーズ)、スコット・ヘイワード(『銀河漂流バイファム』)、タシロ・タツミ(『トップをねらえ!』)、伊賀徳洋(『青の6号』)。

本のテーマは「オッサンという年代の罠を乗り切る」なので、中年向きです。
このブログにも書いてきたように、「長生きした人間のオスは、ロクなことをしない」と思います。では、自分より若い世代に対して、どう振る舞えばいいのか。どう責任をとればいいのか。それを教えてくれたのが、24人の艦長たちです。

また、「俺の感じたとおり、俺の理解したままに書く」本なので、一部の版権元さんからは、ちょっとムッとされました(笑)。先方との駆け引きはあったけど、「公式サイトに載っていることより、あなたの感じたままが正解」。そう信じています。

ちなみに、12年前に出した単行本「スーパーロボットコンプレックス」()、これは80万円の印税が、一円も入らなかったという……病んでるねー、この本は。


火曜日は、経産省前の脱原発テントへ行ってきた。
フィンランドの反原発団体「Pro Hanhikivi」の副代表、ハンナ・ハルメンペーさんへのインCimg0382タビューを見学するため。インタビュアーは、米原幹太さんです()。
他には、原発のドキュメンタリーを撮っているスウェーデンの若者も二名、来日。

米原幹太さんについては、昨年夏ごろ、このブログで触れたことがあった。彼は大飯原発の再稼動時、ゲート内に立てこもった一人ですね。生で会うのは、初めてです。
彼の発言は、常に次の行動のためだから、僕らが飲み屋でどういう話をしたかは、さておきます。

さっき、「公式サイトに書いてあることより、あなたの感じたことが正解」と書いたように、あらゆる分野で「正解は、自分の外にある」と考える人が増えている。ネットが普及して以降、特にね。
だから、原発という施設だけ無くしても、僕は意味がないと思うし、人々が「自分は当事者ではない」と思いつづけている以上、原発は無くならない。「原発的な施設、組織」は痣のように残りつづける。
心の問題だから、厄介なのさ。

それにしても、ふと気がつくと、若者相手に自慢話をしている自分には、嫌気がさした。自信がないからこそ、自慢しちゃうんだろうな。

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2013年1月29日 (火)

■0129■

今年はテレビアニメ50周年なので、ある方からの番組企画の相談にのる。吉祥寺のバーにて。

『ビビッドレッド・オペレーション』のアクション・シーンは、3DCGなので、1コマ作画が実現できている。なのに、わざわざコマを抜いたり、同じ絵を2コマ、3コマと増やして「アニメっぽく」仕上げている。絵の枚数を減らした方がキレイだし、カッコいい。
宮崎駿は原画を修正しながら、「これは本当に起きた出来事なんだ。だけど、僕らは、こんな方法でしか表現できない」と言っていた。つまり、アニメーションとは抵抗なのだと思う。

僕がよく例に出すのは、『アルプスの少女ハイジ』のチーズはセル画だったけど、『あしたのジョー2』のステーキは背景だったこと。
L……いま確認したら、カットによって背景だったりセルだったりしているが (そのアバウトさもいい)、食べ物を背景で描くと、「死んだもの」に見える。減量した矢吹丈に出される小さなステーキは、パッと見て、おいしそうに見えてはいけない。背景で描くと、食い物に見えないんだ。
だけど、そのステーキを食べるとき、丈の歯に「カチッ」とフォークが当たる。その音が「うまそう」なんだよ。視覚的な「おいしさ」「豊かさ」を削って削って削りこんで、乾坤の一滴が「カチッ」という効果音なんだ。

その音を聞いたとき、「ああ、丈にとってはうまいステーキなんだな」と分かる。その瞬間が、アニメだと思う。枚数を大量に使えば表現しきれるというものではない。一枚でいい。動かなくてもいい。むしろ、動かないからこそ、伝わる。


自分に伝わった、自分が受信したという事実が大事。

最近、各話作監修正、総作監修正が多くて、「このカットは○○さんの原画だ」と言いづらくなってきている。絵コンテも同様で、「○○さんのコンテだ」と思って実物を見ると、半分以上、監督が修正していたりする。
クレジットも信用しすぎない方がいい。便宜上、名前を入れている場合がある。「やっぱり、○○さんの作監の回はいいよね」と思っていると、「あの回、僕は数カット描いただけ」なんて言われたりする。
僕らは、創作物に作家性を求めすぎる。脚本だって、プロデューサーが打ち合わせで言ったセリフが、そのまま採用されたりする。合議制でつくられている。誰かが、決定的な答えを持っているわけじゃない。

経験に裏打ちされた感性(印象を受ける力、とでも言おうか)こそ、すべてのカギだという気がする。


「俺の艦長」()、吉祥寺のブックスルーエには置いてなかったので、31日に届く感じですFかね。通販も、31日スタートみたい。

余談だけど、「ダメならダメで、考えるのになあ」が口癖の友人がいる。つまり、仕事を打診しても、返事をしない人がいる。
「NOならNOで、代案は考えるよ。答えがないと、NOですらないじゃない?」 その通りだと思う。本人は「安易に答えを出すべきじゃない」と沈思黙考しているのかも知れないが、待っているこっちは「無視されたのか?」とモヤモヤしてしまう。

今は、スマホでPCに着信したメールも見られますからね。
僕は「今は外出先なので、明日、きちんとお返事します」と、スマホで返すようにしている。相手の時間を奪ってはいけない。

(C)高森朝雄・ちばてつや/講談社・TMS

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2013年1月26日 (土)

■0126■

「俺の艦長」()の献本、ドサッと届きました。来週頭、何人か人に会うので、もれなく渡しCa7wvge1てこようかと思います。
あ、プロダクションI.Gには、徒歩で投函しておこう。アートランドへは……、石黒監督がいらっしゃれば、きっとお酒で祝ってくださったのだろうな。

帯には「男なら舵を切れ、進め!!」の惹句が。
これは連載を集めたものではなくて、丸一冊、書き下ろしですからね。書き終えたのが昨年9月末。半年間、さまざまな仕事の合間に、艦長の出てくるアニメを見て、セリフや芝居をメモって……、その作業が、原稿を書くよりも大変でした。
31日発売。近所の書店に注文した方が、早そうです。

そうそう、マチ★アソビのトークショー()でもご一緒した、マッドハウスの武井風太さんから「アニメ! リアルvs.ドリーム 」()を送っていただいた。吉祥寺のブックスルーエで探すつもりだったんだけど、ありがとうございます!


この2日間で見た映画のメモ。
『メリダとおそろしの森』、『ビューティフル・マインド』、『ブラック・スワン』。それぞれ、面白かったり物足りなかったり。

『メリダ~』は、大島優子が主人公の声をアテていて、悪くはないんだけど、たまには若い声Main_large優にやらせてみたら? アニメ声優の高度な技術が、深夜アニメの中でしか知られてないなんて、もったいない。
ん? 深夜アニメのファンは、ピクサー作品は無視ですか? だったら、現場が要望すべき。もったいないよ。

あと、現場の声として「面白ければ、手描き作画でもCGでも関係ない」とよく聞くんだけど、こんなに表現方法が違うんだから「どっちでも同じ」なんてことはないでしょう。
つまり、自分たちの机の上にある手描きアニメのことしか考えてないんだろうし、それだけ誇りがあるんだと思う。

そもそも、漫画というかキャラ絵を描くのが、こんなにも好きな国民は、世界中を探しても他にいない。僕らは、眉毛のちょっとした角度や太さ、筆の抜き方や方向、力の入れ加減で、表情がガラリと変わってしまうことを、よく知っている。その感性は、誇っていい。
欧米では「実物」が最上位にあって、3DCGは「実物」(特に量感)という根拠・お手本を持つからこそ、受け入れられている。彼らにとって、キャラ絵は未完成な、発展途上のものに見えるのかも知れない。だとしたら、ちょっと可哀相(笑)。

『メリダとおそろしの森』のヒロインは、すごくキュートだった。手描きのキャラには、「その瞬間、その場でしか成立しない」はかなさがある。一方、3Dモデリングは一度組んでしまえば決して壊れないわけで、力強いヒロインを描くのに向いている。


立川警察の刑事が、母の遺品を返しに来てくれた。事件発生から、二年と26日。

写真の中の母は、どこか遠くへ旅行中で、赤黒い湿った土が地平線の向こうまで伸びている。石造りの低い塀が画面を横切り、彼女はそこへ腰掛けている。真っ白なスニーカーを投げ出し、左手にタバコをはさんで。
母のことを、どこの誰にも、知った風に語ってほしくない。黙って花をいただくのが、何より嬉しい。

二年間、何も得られなかった。生前の母は、僕が誰かと再婚すると信じていたようだった――すまん。
「俺の艦長」を一冊、母の祭壇に飾った。

(C)Disney/Pixar All rights reserved

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2013年1月24日 (木)

■0124■

月刊モデルグラフィックス 3月号 25日発売
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●廣田恵介の組まず語り症候群 第3夜
今回のサブタイトルは「メッキスポークに救われたい」。お題は、フジミ模型の1/12 サイクロン号です。デロリアンを取り上げた前回と、あまり主張が変わってないような……。

没ネタ・コーナーには、私の作った1/35ガンヘッドが掲載されています。
このガンヘッド、ちゃんと見て欲しいので[fg]に投稿しました。→


『たまこまーけっと』第3話、今回もいい。元気が出た。
Untitled第1話が大晦日、第2話がバレンタイン、第3話で新学期。祭事モノですね。この庶民くささがいい。
今回は、朝霧さんというメガネの子が、たまこのテリトリーへ侵入するエピソード。たまこのテリトリーは、おおきく分けると、まず商店街でしょ。だから、トリを抱いて来た朝霧さんは、商店街の入り口で「私は、ここで」と立ち止まる。
簡単に言うと、朝霧さんが入り口から「中」へ入ってしまえば、たまこのテリトリーに侵入することになる。その「中」と「外」の描き分けは、おそらく、体育館のシーンから始まっていると思う。たまこたち仲良し3人の話す声がオフで入るのは、体育館の「中」の絵でしょ。だけど実際には、彼女たちは体育館の「入り口」に腰掛けている。「中」にいるのは、朝霧さんだけであって。
(後半の体育館のシーンでも、朝霧さんは体育館の「中」に取り残される。トリは体育館の「外」へ追い出されるけど、たまこは「中」に残っている――ってことは、朝霧さんとの距離が縮まったわけだよね。前半よりは。)


前半の商店街のシーンの絵を見ていくと、豆腐屋、花屋、魚屋、コロッケ屋と回っていくけど、どの店も「入り口」を描いてない。初めからキャラが店の外にいるか、カメラから入り口を外している。朝霧さんは、すでにたまこのテリトリーの「中」へ入っているからね。
そして、たまこの餅屋に着くと、なんと朝霧さんは、最初から「店の中」に立ってるじゃないですか。どんどん、段取りを省いていく。距離感がゼロに近づいていく。

例をあげはじめると、キリがないんだけど……。朝霧さんが、母親からメールを受け取るシーンでは、「たまこの家の中から見た庭」が映る。晩ごはんを食べていく話が決まった後は「庭から見た、ガラス戸の中のたまこと朝霧さん」。誰と誰が「外」にいるのか、「中」にいるのかを意識して見ると、朝霧さんの心理的立ち位置が分かる。
後半、喫茶店へ行くシーンなんて、たまこは「ちょっと“出て”くるね」なんて言っている。で、トリを店の「中」に残して、たまこと朝霧さんが一緒に「外」へ出ていくのが、大事なんだ。

小津安二郎の映画って、畳文化を意識したカメラワークになっているでしょ。『たまこまーけっと』も、商店とか、敷居とか、ガラス戸とか、日本の建築をうまく使って、親しみを出している。その中で、「遠慮」とか「気配り」とか、ささやかな情緒を描いているのが、なんともしっとりしていて、大人っぽいよねえ。


31日発売の「俺の艦長」()、もうamazonでは扱わないのかも?
F
しかし、この本もワガママなもので、『ガンダム』劇場版三部作は無視しているのに、『ガンダムUC』からはシーンやセリフを拾っていたりするので、そこが読者につっこまれそう。
アニメを通じた「俺語り」なので、そこは許して欲しい。

(C)京都アニメーション/うさぎ山商店街

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2013年1月22日 (火)

■0122■

年末放映の『猫物語(黒)』、ようやく見た。
20121207210222057実写だったら、バラバラに撮影した演技を、アクションが重ならないように編集して繋ぐわけです。前カットで手を伸ばしているのに、次のカットで曲げていたりしないよう、フレーム単位でつまんでいく。アニメも同じ。コンテで尺を決めて、アニメーターが演技を描いても、そのままでは絵が繋がらない。だから、何コマか削ったり、逆に、描き足すこともある。
『物語』シリーズは、誰もが苦労してなし得ている「芝居を繋ぐ」ことを、積極的に排除している。絵を繋ぐまい、繋ぐまいとコンテを組み立てている。

そもそも、僕らは映像を通して、何が映って、誰が何をしているかを視認しながら、「ストーリー」や「テーマ」といった文学的概念を頭の中で組み立てていく。
バラバラのカットを頭の中でアッセンブルし、「何が起きたか」を理解する――。幼い頃からテレビを見ている僕らが身につけた習慣を、『物語』シリーズはキャンセルしてしまう。
絶対に繋がらない演技が、平然と繋がっている。芝居と芝居の間に、跳躍がある。だのに、セリフ(口パク)だけは継続している。
挙句、感情や芝居をテロップで挿入している。つまりは、「絵で伝える」という原則を壊している。いや、それらのテロップすら読めないような速さで編集しているのだから、もはや「映像を、真面目に見るな!」と言っているのに等しい。

にも関わらず、ワンカットごとの充実感、完成度は素晴らしい。
(写真家のウィリアム・クラインが撮った『ポリー・マグー、お前は誰だ』が、そんな感じの映画だったと記憶する。カットごと、ひとつひとつデザインされているというか。)


では、なぜ『猫物語(黒)』はこんな話でしたよ、と他人に説明できるかというと、原作の言語力をバックボーンにしたセリフのお陰なんだろうな。
シナリオの教科書には、「モノローグの多い脚本は、要注意」とか書いてあるけど、『物語』シリーズは逆をやっている。セリフの掛け合いとモノローグで、最初から最後まで「何が解決すべき主題か」「いかにして解決されたか」、論理的に言い切っている。言語的には、気味が悪いほどに破綻がない。

だから多分、『物語』シリーズは、「見ている」と錯覚しながら「聞かされている」のよ。セリフを。そのねじれた構造に気づかず、映像の意味・整合性のみを追っていると、猛烈なストレスになる。「絵の連続を解読する脳」を起動させられたのに、「耳に入る言葉で説得させられる」のだから。
だが、そうした二重構造こそが『物語』シリーズを、一粒で二度おいしい、過剰で贅沢な表現へ高めているのだろう。


ラッパーのエミネムが、自らを演じた『8 Mile』。
自動車工場で働きながら、デビューを切望するエミネム。デトロイトの荒涼とした風景に、ブリタニー・マーフィーのケバいメイクが、切ないほどに似合う。

そのブリタニー・マーフィーが、若くして病死したと知った。


俺の艦長()は、amazonよりも近所の書店に注文した方がいいかも。刷り部数は、決して多くないし。
Fこの本は、当然のごとく沖田十三から語りはじめているのだが、石黒昇監督が生きてらっしゃる間に書き終えて、よかった。監督が亡くなってからでは、とても沖田のことは書けなかっただろう。

14万8千光年の旅に臨んだ沖田は、誰も挑んだことのない表現にチャレンジし、やがて若者にバトンを渡しおえた石黒監督そのものだったと思う。

(C)西尾維新/講談社・アニプレックス・シャフト

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2013年1月20日 (日)

■0120■

輪廻のラグランジェ season 2 第5巻 29日発売
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●ブックレット作成
インタビューは、作監さん3人の鼎談です。
原画は、メカ作監の松村拓哉さんのレイアウト修正を大きく載せました。レイアウトを描くということは、海や空などの自然物、そしてカメラの歪みも描くということですね。

原画を選ぶときは、枚数を多く載せればいいとは限らない。止めで成立しているカットを選ぶ。枚数の多いカットは、スタジオの負担になるので、避ける(制作中にスキャンするのは動画であって、原画はスキャンしてないので……下手をすると、作業料が発生してしまう)。
それはスタジオに気を使っているのではなく、ブックレットの制作日程を考慮し、かつ購入者が「なるほど」と思えるような情報量を見込んでいるからです(止め絵でも見ごたえのあるカットを選ぶ)。


“放射脳”ママが孤立していく、あまりに今日的な劇映画『おだやかな日常』。渋谷のユーロスペースで最終日に見に行ってきた。場所柄か、若くてお洒落な女の子もチラホラ。
1010542_01パッと見て顔の分かる役者は、被災地から避難してきたのに「放射能がうつる」とビラを貼られてキレる、寺島進だけ。あとは、みんな無名の、それゆえにリアルな顔つきをした俳優ばかりだ。
そんな役者たちの「見知らぬ感じ」もリアルだったし、被写界深度の浅いカメラなので、ちょっとした動きで、きれいにピントが外れる、その距離感が心地いい。

とは言え、冒頭、地震警報の不安なメロディだけで、一気に2011年3月11日に引きもどされる。
それからは、既視感の連続だよ。「今は、日本全体で立ち上がるべき時なのよ!」「被曝被曝って、あなたが不安を煽ってるんでしょ?」と、マスコミそのままのセリフを、自己主張のように繰り返すママさん。
「5年後、10年後の不安よりも、今は経済! 経済を回すべきだろ?」と空元気の経営者。みんなみんな、この目で見てきた光景。

その反面、近所の幼稚園に乗り込んで、「マスクさせてください、小さい子にマスクさせてください!」と狂奔する主人公の姿も、きっちり痛々しく描く。「なんですか、宗教ですか?」「気持ち悪い」と言われたり。
これが、あの日からの日本(特に関東、都市部)の現実。「こっちまで来るかな、放射能?」「……ええ~? 来るわけないじゃん! 来ないだろう!」など、会話のリアリティ。
撮影は一年前だったそうだが、こんなきわどい内容、よく一般公開できたよな。
(この作品は、映倫の審査を受けていないっぽい。ユーロスペースは全興連に加入しているけど、それなりのハンデはあるんじゃないかな。)


印象的だったのは、「放射能なんて大したことないわよ」「不安を煽るのはやめなさいよ」「自分だけ助かりたいわけ?」と攻撃的だったママさんの旦那が、電力会社の下請け勤務だと判明するシーン。
彼女は、夫の急な転勤に動揺する。友達に「どうかしたの?」と聞かれて、「旦那がね、海外に転勤するの」と苦しそうに答えるが、福島第一原発に行かされるのであろう……と、推察できる。なかなか、意地の悪い映画ですね。こういう狡猾な描写があるから、面白い。決して、善人の視点からの映画とは言い切れない。とにかく、距離感をキープする。

茫洋とした希望と不安、罪悪感を投げ出すようにして、映画は終わる。


切なかったのは、親子心中をはかったママさんが、老いた母親から「もう大丈夫よ」と、優しく頭をなでられるシーンだ。
Images僕も小さい頃は、こんな風にされていたし、泣き疲れた母の頭を、なでてあげたかった。火葬される直前の母の顔は、氷のように冷たかったからね。
――誰かに、抱きしめてほしかった。母の死んだ日に。それだけが、心残りだね。いまだに。

『おだやかな日常』を見て、帰途についたとき、息苦しいような不安に陥った。僕には、守るべき子どもがいない。家族も、恋人もいない。母の死んだあの日に、すべて失ったんだなあ……と、あらためて思った。
元旦の警察署の冷たい廊下が、この世界の果てだったんだ。この二年間、悪あがきをしてきたんだ。


「俺の艦長」は、まだ予約できないね()。
Fヤマト、ガンダム、マクロス各シリーズのほか、『トップをねらえ!』『銀河漂流バイファム』『青の6号』からも、艦長をピックアップ。
「え? 『バイファム』の艦長って?」という人。ほら、いたじゃないですか。出てきたでしょ、ジェイナス号の艦長!

31日発売です。

(C)odayaka film partners

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2013年1月17日 (木)

■0117■

『たまこまーけっと』第2話が、さり気なくスゴイように思った。
Untitled最初は、この『ストップ!! ひばりくん!』みたいな子が、中性っぽくて良いなあ……ぐらいに思っていたんだけど、このみどりって子は、主人公のたまこのことが、好きなのね。だけど、ストーリー的には、バレンタインに乗じて商店街のCMをつくる群像劇がメイン。みどりの秘めたる恋は、傍系的葛藤というヤツです。ところが、傍系的葛藤がメインになっていく。裏技もいいとこでしょう、これ。
(OPで、たまこと目が合ってドキッとするカットは、こういう意味だったのか……。)

商店街のCM話がメインに見えて、みどりの恋が隠れて見えるのは、彼女が誰かに「好き」と言うでもなく、チョコレートを作るとか渡すとかいうアクションを、すべて別のキャラに振ってしまっているから。みどり本人は、何もしない。
「胸が苦しいのであろう」、「誰にも、名前のつけられない気持ちがある」、「誰が誰を好きになってもいいんだよ」……これらはすべて、他人のセリフであって、みどりは聞いているだけだからね。周囲のセリフがスポットライトになって、みどりの気持ちを照らし出す――。だからまず、脚本が上手い。


「揺れる想い」を表現するのに、文字通り「瞳の中のハイライトを揺らす」とか、「頬にタッチを入れる」ぐらいしか出来ないのが、アニメ絵というかキャラ絵のリアリティの限界であって。
だから、セリフを他のキャラに言わせるという文学的工夫が生じたり、顔のアップだけに頼らない絵づくりが必要になる。限界があるからこそ、日本のアニメは、世界でも類を見ない独創的な表現に進化していった。

喫茶店で、自分の切ない胸のうちを見透かされたみどり。そのシーンの最後で、喫茶店のマスターがレコードをかけるでしょ。(みどりは、ちょっと姿勢を楽にして、コーヒーを飲む。右にいるトリが微動だにしないのが上手い。つまり、「止まっている」キャラを横に置けば、ささいな仕草であっても、「動いている」キャラが強調される。)

レコードの曲をバックに、商店街で撮影をつづけているたまこたちの絵が入る。(4カット目で、何かをジッと考えこむ親父の絵が入って、それがラストへ繋がるのが、また上手い。視点に広がりがある。)
本当は、その商店街での撮影が「表」のストーリーだったのに、もはや、みどりの恋という「裏」のストーリーが前面に出てきている。ちょっとずつ、じわじわと、丁寧に、表裏が入れ替わっていく。
そのシーンのラスト(まだ曲は流れている)、夕闇に近い商店街の外れ、歩道の上を歩いていくみどり。足元、後ろ姿、横顔。晴れ晴れとした表情のみどりの顔からピントが外れ、カメラは空をあおぐ。星空まで一気にPANする、気持ちいいカメラワーク。
――ここまで、みどりが「ふっ切れたらしい」描写を重ねておけば、次に出てくるときに、ベッドで雑誌を読んでいても、なんら不自然ではない。絵の流れとして。

だから、セリフと構成だけでは、語りきれないんだよ。然るべき絵、然るべきカメラワークこそが、映像作品を完成させるのであって。


『たまこまーけっと』の直後、市川実日子主演の『レンタネコ』を見たんだけど、しまったな。これ、『かもめ食堂』『めがね』の監督が撮ったんだ……。

この監督の映画は、「人間なんて、しょせんは二種類しかいない」と言っているようで、むしろ殺伐とした気分にさせられるんだよな。


「俺の艦長」()の作業は、すべて終了。ただし、発売は31日に延期(早い地域では、もうF ちょっと早く書店に並ぶのではないか?とのこと)。

ユーロスペースの『おだやかな日常』、明日までなのだが、何とか見に行けそう。ひとりで映画館に行くのは、ひさしぶりだ。

(C)京都アニメーション/うさぎ山商店街

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2013年1月16日 (水)

■0116■

フランス映画『スペシャル・フォース』。題名どおりの派手な戦争アクション物かと思いきや、それは前半まで。
Specialforces特殊部隊が、ジャーナリストの女性を武装組織から奪還する、ありふれたプロット。しかし、カメラワークと編集にメリハリがあり、まったく飽きない。
「それにしても、この特殊部隊は無敵すぎるんじゃないか?」と苦笑していると、ひとりまたひとりと倒れていく。そして、民間人を連れた国境ごえは果てしがなく、えんえんと終わらない。
テロップで「1日目」と出たら、だいたい、キリよく「7日目」で救出されたりするでしょ。だけど、敵のボスを倒しても、国境をこえて逃げのび、ついには女性ジャーナリストひとりになっても、まだまだ、ずーっと苛酷な旅がつづく。
ラストがどうなるかなんて、完璧にどうでもいい。軍隊が軍隊でなくなり、単に生きのびることだけを目的にしていく過程が、最大の見どころなのであって。

僕が好きなのは、3人までに減った特殊部隊の男たちが、凍傷になった女性ジャーナリストを、かわるがわる背負うシーンだ。まったく同じアングルで、男たちだけが入れ替わっていく。この乾いた演出が、かえって人間臭くていい。


この女性ジャーナリストは、フランス軍の中東への派兵に反対しているという設定だ。特殊部隊の隊長は、「あなたの記事は優れているが、政治と任務は別です」と、彼女に言い訳めいたことを言うが、彼らの任務が、政治から離れていく過程を描いた映画でもある。

……とは言え、フランス軍全面協力だから、少なくとも前半はカッコよく描きすぎるな。空母や戦闘機も出てくるが、必然性は薄い。
「政治と任務は別」なら、「政治と表現も別」と思いたいところ。映画を見たそれぞれが、判断してほしい。現在のフランス軍の西アフリカでの動きなんかも、考慮にいれて。


どこで見た文章かは忘れてしまったけど、「自分の感想が書けず、公式サイトの文章をそのままコピペして、自分の感想と思っている人が増えた」とか。
あのね、僕らの仕事ですら、「勝手な解釈、しないでください」と怒られるんです。「こんな文章、たかが一ライターに過ぎない、お前の考えにすぎないじゃん」って。
だけど僕、『輪廻のラグランジェ』公式サイトでは、ストーリーからキャラ解説まで書いて、メカ設定の一部にいたっては、僕の創作ですからね。つまり、公式サイトの文章だって「どっかの個人が書いたに過ぎない」わけです。

でね、事前に情報を知っている個人は、作品を見て感動した個人には、勝てないんです。情報よりも、情緒のほうが、絶対に強い。
狭い業界の人より、どこの誰とも認識されていないアナタの方が強い。業界の人は作品に縛られているけど(悪いと思っていても悪く書けないとか)、アナタは作品の前で、世界でいちばん自由になれるんだよ。その自由を行使しないと、人生、損するばかりだよ。
感情に素直になれれば、もう怖いものなんてない。


自分の文章力に自信がないんだったら、本を読み、人と話してください。すばらしい本が見つからなくても、すばらしい人が近くにいなくても、その現実を肯定する。その現実しかないし、その現実しか肯定できない。それって、アナタにしか出来ないことだよ。
自分の世界を肯定すれば、ポジティブな言葉が出てくると思うよ。

アナタの解釈は、アナタからしか生まれない。それは「誰にも強制されていない」証拠じゃないですか。どこへ行っても強制される今の社会で、作品とアナタの関係だけは、無限に自由なんだ。自信をもっていい。

(C)studio canal 2011

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2013年1月15日 (火)

■0115■

アニマックスで『マクロスプラス MOVIE EDITION』。通しで見るのは、ビデオ発売時以来かも。OVA版のほうは、くり返し見ていた。
Imagesca9mp4sy人工知能が反乱を起こすという、古典的テーマゆえか、ライバルの姓が“ボーマン”だったりする。主人公の“ダイソン”は、フリーマン・ダイソンからだろうか。

ともあれ、実写映画業界に熱烈なアプローチをかけていた僕を、アニメに振り向かせたのが、『ジャイアントロボ』と『マクロスプラス』。約20年前。80年代の余熱が冷め切って、アニメは新しい観客を掘り起こそうと躍起になっていた。押井さんの『攻殻機動隊』も、テレビの『エヴァ』も1995年だからね。熱い年だった。

『マクロスプラス』は、このMOVIE EDITIONで、ヴァーチャロイド・アイドルへの同情が描かれるけど、けっして新しい切り口ではなかった。「機械の歌より、人間の肉声がいい」って結論でしょ。いや、「マクロス」の通俗性を考慮すると、それが正解なのかな。

『攻殻機動隊』は、情報の海から生まれた知性体と結合するという、何だかよく分からない文学的な方向へ、疾走していった。
だけど、河森さんは、ジェットコースターに乗せた観客を、無事に地上へ戻すことを最優先に考えているんじゃないかな。


三連休は出版社が休みなので、こういう時こそ「連休明けに戻してください」と、チェックの必要なものを投げておいて欲しいのだが、なかなかタイミングが合わない。

とにかく、原稿であれデザインであれ、手元に止めておかないこと。どんどん戻す、回す。
ギリギリで戻すと、二回できたであろうチェックが一度もできずに、本が出てしまう。「ちょっと考えさせてください」などと迷っているヒマがあったら、「迷ってるんだけど、どっちがいいですかね?」と、相手を巻き込んだほうが、解決が早い。「相談があるんですけど」と言われて、イヤな顔をするヤツはいない。
二人三脚なんだから、ひとりが止まると、ふたりが転ぶ。


で……まあ、大雪が降る前に風邪をひいたり、いろいろあって。キャバ嬢に、まったくもって最低な内容のメールを書いて、ひとりで落ち込んだりしていた。
だいたい、僕の気に入る嬢というのは、僕が堕落の道へいざなうと、ピタッと立ち止まる人ばかり。だから、ぜんぜん人生が冒険してくれない。

空いた時間は、プラモデルに没頭していたわけだけど……、やっぱり、趣味をやりすぎると、罪悪感が生じるね。
Carbgwt3趣味というのは、徹頭徹尾、自分のためにやるものだから。仕事というのは、他人のためにやるんです。社会に奉仕するのが「仕事」だから、完全に自分にのみ奉仕する「趣味」という時間を持ってバランスをとるわけ。「趣味」だけ肥大化したヤツが見苦しいのは、自分のことしか可愛がってないから。

そういう自分が、見えてしまうのね。仕事から離れすぎると。
「あの本の、あのインタビュー記事、ちょっと面白かったな」と思ってもらう以外、僕は救われないんだよ。僕の名前なんて、どうでもいい。「ちょっとタメになる記事を読んじゃったな」と、どっかの誰かが思ってくれれば満足。

(C)1995 ビックウエスト/マクロス製作委員会

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2013年1月12日 (土)

■0112■

日暮里放射能測定所「にっこり館」にて、二度目の測定をしてもらいました。
Cax8zyzq今回の検体は、三鷹の森ジブリ美術館・裏手の公園の土と、自宅マンションの水道水です。

公園の土は、セシウム137+134合算値、96.8Bq/kgでした。「うらやましいぐらい、低い」と、にっこり館さん。普通に、遊んだ後に手を洗えば、ジブリ美術館裏手の公園は、大丈夫そうです。
自宅マンションの水道水。三鷹市だと、「上連雀浄水所」か「三鷹新川浄水所」のどちらかの水です。うちの場合は、上連雀浄水所なのかな。セシウム137+134合算値、検出限界値(4.4Bq/kg)未満。なので、水も大丈夫。

うちのマンションのベランダだけ、3,000Bq/kgとケタ外れに高かった()のは、「コンクリで逃げ場がない場所だったから」「枯れ葉や苔などの有機体があったから」のようです。
にっこり館さんのいいところは、「こういう結果が出たからには、こうしなさい」とは、決して言わないところ。かと言って、突き放しもしないスタンスが気持ちいいです。


たまに、海外移住していた人、西日本に避難していた人が「東京に戻ってきたとたん、調子が悪くなった」と報告していますが、それはさすがに、せいぜい別の有害物質でしょう……。

僕は、「マチ★アソビ」参加のため、年に二回は徳島へ行きます。
東京に戻ってきて、「ああ、空気が悪いな」と感じたり、「あちこちに放射性物質があるんだよな」とイヤな気持ちにはなるけれど、いきなり倒れたりはしません。

でも、ある日、ダース・ベイダーにフォースで殺されるように、心臓がきゅっと苦しくなって、バタリと倒れるような予感はしてます。45歳だし、何があってもおかしくない。
紅灯の巷、安酒と香水の匂い……この路地裏が、僕の世界の果て。待ち人は、来ない。約束は、果たされない。
クレジットカードで買える程度の愛情なら、ここで十分。冒険心が、眠りにつく場所。だけど、ロマンスがないわけじゃない。優しさがないわけじゃない。


「俺の艦長」、表紙の色校がバイク便で届く。
Caedlg1z もっとちゃんと表紙をお見せしたいのだけど、ややこしい事情があるので、この程度で。
週明けには、発売に向けてラストスパート……のはずだが、14日月曜って祝日かよ。うーん。

カバーは、紙も印刷も、えらく凝っています。触って楽しめる、僕らしい本になっています。


アイデアに行き詰ったら、新宿の模型ファクトリー()に行くといい。
ただの模型屋ではない。模型とは関係ないような書籍が、ぽんと置いてある。脳の、ななめ後ろからコン、と叩かれる感じ。
別に探してもいなかった子供向けの安い玩具を、「これを探してたんだ!」とばかりに買い込む。迷い道こそが近道なのだと、気がつかされる。

模型は、僕を裏切らない。この歳になって、裏切らなくなったね。作っていて苦しくなくなった。

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2013年1月10日 (木)

■0110■

超古代ミステリー遺産 16日発売
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いつものコンビニ本です。古代遺跡は、まったく未知のジャンルなので、とても勉強になります……が、読者さんは「ミステリー」の部分を期待しているので、自分の興味だけで書いてちゃダメ。

で、これの原稿を大量に頼まれる以前、「その時期は忙しいから、今回は請けないよ」と断ってあったのに、すっかり忘れていた編集から、山のように資料が届いてしまった。
慌てず騒がず、いま進めている仕事をやりくりして、スケジュールの交渉をします。だいたい、慣れない原稿は、一記事に2日はかかってしまう。だんだんコツがつかめてくると、1日にニ~三記事はこなせるようになる……が、そんなイイ話は編集者にはしない。それを期待されると、お互いに困る。

その代わり、音信不通にしない。一記事できたら、「今のところ、これだけです」と書き添えて納品。編集者に安心感を与えた隙に、他の仕事を進めておくのである。
「ちゃんとやってますよ」という姿勢を、成果物といっしょに提出する。成果物なしには、信頼は得られない。


生活サイクルがガタガタになってしまっても、大丈夫。夜中の3時に目が覚めたら、目覚めの二時間は何をやっても、はかどるので、何でもいいから仕事する。使う画像の整理でも、上がったデザインの校正でも、小さな仕事を終わらせていく。
どうせすぐに眠くなるので、明け方だろうと、容赦なく寝ます。すると、あ~ら不思議、次の日の午後の予定が、ガラ空きになっていたりする。

だから、プラモがどんどん出来ていく。
Cimg0333『銀河漂流バイファム』の敵メカ、ガッシュ。関節部を切り飛ばし、金ヤスリやノコギリで、どんどんポーズを決めていく。隙間はポリパテで埋める。手首は市販品を使わず、エポパテで自作。
動力パイプは、グフから流用して、ディテールは当時のまま、決してシャープにしない。これ、すごい楽です。

せっかく趣味なんだから、自分の好きなところだけ力を入れて、あとは手を抜く。仕事とは正反対ですね。


『スター・ウォーズ EP7』の監督候補として名の挙がっているジョー・ジョンストン監督作なので、『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』を借りてくる。
001衣装のセンスは、素晴らしい。原作版のコスチュームが、軍のプロパガンダ用という設定も、冴えている。
……でも、複雑な気分だね。「アメリカ軍、ヨーロッパで勝利!」って喜んでるけど、そのあと、日本に原爆を落とすわけでしょ。
そこをスキップして、911後のニューヨークを見せられても「平和だなあ」とは思えない。

『スター・ウォーズ』、特に新三部作は、ルーカスの趣味の映画であった。
EP7以降は、さて、時代性をどう取り入れるのか。けっこう、心配である。


「奪われる一方ではなく、失えば、得るものも必ずある」と信じてきた。
しかし、母を殺されてから「これを得た」という実感には、いまだ出会っていない。
2年前の今ごろは……警察と、飼い主を失った犬たちを預けたペットショップを行き来していた頃だろうか? 立川検察へは、シネマシティ裏手から、歩いて通っていた。あの寂れた景色すら、いまは懐かしい。

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2013年1月 8日 (火)

■0108■

アニメージュ 2月号 10日発売予定
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●3DCGアニメの現在・現場と未来 
短期集中連載の後編は、オレンジの井野元英二さんインタビュー。
『コードギアス 亡国のアキト』の話がメインですが、『ゾイド』『攻殻機動隊』あたりの、ひとりで反抗していた頃の話が、面白いです。

最近のCGでは、サンライズ制作の『ラブライブ!』の、3Dと作画の混在が良い。カットが変わると、思い切りバレてるんだけど、そのなりふり構わなさが、逆にカオスで気持ちいい。


26日発売予定の『俺の艦長』……。私自身のチェックと編集長のチェックは終わり、しかし、 まだ画像の手配が遅れているページもある……。
編集長は、「夜中に声を出して笑った」というぐらい、面白がってくれた。

そして、麻宮騎亜先生の描かれた表紙が、まさに「俺の艦長」というか「俺が艦長!」というか、スゴい! 額縁に入れて、飾りたい。
26日発売のわりに、まだ予約すら出来ないのですが、刷り部数は少ないので、ご注意を。
とにかく、このスゴい表紙を、早く皆さんにお見せしたい……!


吉祥寺のPARCO近くにある「くまもと物産館」へ行ってみた。
Cav8thhk店内は広くて、調味料や味噌なんかも豊富なので、自炊する人にはオススメ。ちゃきちゃきしたお姉さんに、「これもおいしいよ!」と薦められて、3,000円分ぐらい買ってしまう。
「東京の人? 熊本の食べ物、好きなの?」と聞かれて、放射能対策ですと答えられる雰囲気ではないので、「最近、西日本の食べ物に興味があって……」と、口ごもってしまう。

その足で、ジブリ美術館裏まで歩く。
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検体として、土を採取するためである。美術館の、ほぼ真裏ですね。
僕は、今まで何組かの家族を、ジブリ美術館に招待してきたが(招待というか、チケットを優先的に取れるので)、美術館周辺で、子供たちを遊ばせたという話を、たまに聞いた。

ならば、今からでも、汚染度を測らなければ。もはや、空間線量は宛てにならない。それが、東京の現実だ。
土を掘り返すときは、使い捨てマスクに加えて、知人の方からいただいたゴーグル付きの厚めのマスクを着用した。
土壌汚染の測定は、週末。


週明けシメキリの仕事を、先週末に終わらせてしまったので、今週はオール・グリーン。朝から、プラモデルを作っている。
Ca6ygkb9タミヤの1/35ロシア女性兵士、小型恐竜セットなど。小型恐竜の出来は、金型の限界に挑んでいる。参考用なので素組みだが、ちゃんと色を塗りたい気もする。
女性兵士の成型色がグレー、というのも大人っぽくて良い。

富野由悠季さんが「13歳ごろに好きだったものを思い出せ」と、何かのインタビューで仰っていたけど、僕は1/35スケールに帰ってきた。
中学生の僕に、別の世界を見せてくれた。ヨーロッパの風景も地名も、1/35で覚えた。このスケールで作りたいものを、悔いることなく作りたい……と思っているぐらいだから、あと何年も生きられないのかも知れない。

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2013年1月 6日 (日)

■0106■

友人と、三鷹駅前にできた鹿児島食材の居酒屋、山内農場で飲む。美人の店員ばかりなので、ついつい話しかけてしまう。
Cajdef2g(←友人から、コカコーラの『スター・ウォーズ』王冠をもらった。正規品だが、この当時は(C)表記がなくても、権利者は気にしなかった。「版権、版権」とクソうるさい今とは、隔世の感がある。)

鹿児島産の肉をたっぷり食べて、先日、別の友人に教えてもらったスナックへ行く。ガールズバーにも行く。友人と別れてから、セクキャバへも行った。よほど溜まっていたのであろう。
セクキャバ嬢は、脱がせやすいように、ゆるめのシャツを着ているのだが、最近は脱がせる人が少ないような気がする。うがい薬が置いてあるのは、キスのためだろう。僕についてくれた嬢は、「初日なのに、こんな凄いなんて……」と息を荒くして目を潤ませていたが、「今日、初めてなんです」というのはキャバ嬢の常套句なので、なんだか白けた。


少子化対策担当大臣の森雅子が、「福島県産の食材を売る小売店を優遇する」らしい。→
お前ひとりで買って食え、と言いたい。問題の本質を、まったく直視していない。関東を含む汚染地の食文化は、原発事故で消滅したのである。汚染地で第一次産業をつづければつづけるほど、放射線量を測定する手間が増え、手間が増えればミスが生じる。この20ヶ月で、どれほどの量の汚染食材が、日本中に流通したか知っているのだろうか?
西日本や外国産の安全な食材を、東日本に残る人々に届ける以外、問題解決の方法はない。

そもそも、関東~東北の食材を輸入規制していた多くの国々は、いまだ、福島県産のみ例外的に規制をつづけている。それは、知的な態度だ。
日本人は、「がんばったんだから、負けてもいいよね」と思いたがる。がんばろうが、楽をしようが、負けは負けである。


この森って政治家もそうだが、仕事のできないヤツって、解決しなければいけない問題を避けてとおる。会議でも、議題のまわりを歩き回ってばかりで、ぜんぜん本題に入らないヤツっているでしょ? 怖がりなんだよ。当事者であることを避けようとしている。作り笑いでその場をしのごうすれば、どんどん、本質的な対応が遅れていく。

時には、憎まれ役・悪役を引き受けるのが、大人の義務。
「あいつ、信用できないな」「顔も見たくないな」「ウソつきだよな」と思われたって、事態が好転するなら、それでいいじゃん。いい人と思われたいから、本質が遠ざかっていくんだよ。残忍酷薄な人間と思われようとも、冷徹に判断しなければいけない時がくる。橋が落ちていたら、「その道は、あきらめろ。別の道を探せ」とアドバイスすべきなんだよ。
でも、「俺も行くから、一緒に橋から落ちましょう」って言うのが勇気だと勘違いしている大人ばかりだよね!

ダメな人間って、「大丈夫、大丈夫」と言いながら、そっぽを向いているんだよ。
そういうヤツって人間関係もボロボロだし、仕事でも迷惑ばかりかけている。でも、本人はへらへら笑っている。堕落のどん底だよね。


今川泰宏の『鉄人28号』は、戦後を暗い時代として描いたから、信用できる。『三丁目の夕陽』は、みんなに好かれようとした結果、ウソだらけの映画になってしまった。
でも、そんなウソ映画が大ヒットしてしまう我が国。

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2013年1月 3日 (木)

■0103■

正月三日目、吉祥寺駅前で、しこたま服を買い込んだ。キャバクラ二軒分ぐらいは買った。
「もっと、いいデザインと色があるはずだ」と目移りしてしまうのは、嬢をもとめて、キャバクラをハシゴする感覚に似ている。


本年1本目は、イタリア映画『イラクの煙』。劇場未公開作品。
20_sigarette_24反戦デモをやっている軽薄な映画青年が、イラクで映画の手伝いをすることになる。現地のイタリア兵に守られながら、ロケハンに向かったものの、自爆テロに巻き込まれて、瀕死の重傷を負ってしまう。

実際に起きた事件の被害者が監督となって、テロのシーンを主観カットのみで撮り切っている。爆風でジープが横転するリアリティには、思わず「うわっ」と声が出てしまう。
このワンシーンで、前半の気楽な雰囲気は、完全に消し飛ぶ。ドキュメンタリックに徹しているように見えて、しかし、この映画が映し出すものは、すべてが現実とは限らない。
フェリーニの映画のように、夢とも想像ともつかないシーンが頻出する。その自由闊達さ、いかにもヨーロッパ映画である。

アメリカ映画の即物性、日本映画のテレビ的幼児性から抜け出るためには、できるだけ多くの国の映画を見るしかない。


ムービープラスで『エイリアン』。DVDも持っているんだけど、寝る前にはピッタリかなと。
2752view005ダラス船長が、真っ暗なダクトの中を火炎放射器を片手に進む。まるで、たいまつを頼りに洞窟をさまよう探険家だ。これは、暗黒大陸にまよいこんだ西洋人たちの、敗北の物語。
その証拠に、エイリアンを演じるのは、長身の黒人で、撮影用スーツでは彼の漆黒の肌が露出しているほどである。

乗組員たちは、清潔なタッパに入った合成食を食べている。
一方、エイリアンの食欲は、大量の唾液で表現される。「彼」は人体を媒介しないと繁殖できないため(その設定は二作目以降、消失した)、食欲は性欲を兼ねているのだ。
乗組員たちは「地球に帰れば、本物が食える」「この食事の原料を知ったら、食う気をなくすぜ」と笑いあう。つまり、彼らの食事は、目に見えないシステムに支えられている。

そもそも、ノストロモ号を所有する「会社」(これも二作目で固有名詞が与えられてしまった)とは、つかみどころのない資本システムの象徴だ。
事態を悪化させたのは、エイリアンが残忍だったからではなく、「会社」の送り込んだロボットが命令に忠実だったためである。融通のきかない自爆システムも、同様だ。
だから、リプリーは(システムでも技術でもなく)、幼い頃に覚えたであろう「My Lucky Star(私の幸運のお星様)」に、救いを求めるのである。


またも、蔵書を大量に古紙回収に出した。
Cayvtsfz本棚が空いたので、『アクビガール』のコレクション・スペースをつくってみた。ティンカー・ベルの限定化粧品なんかも……。
アクビガールは刷り物ばかりだけど、ティンクは立体物が、かなり大量にある。

僕が死んだら、それらのコレクションはどうなってしまうんだろう?と思う。今のうちに写真に撮って、同人誌でも出そうかしら。

(C)2010 R&C produzioni S.r.l.
BOBPENN/20THCENTURYFOX/TheKobalCollection/WireImage.com

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2013年1月 1日 (火)

■0101■

今年も、たくさん年賀状いただきました。ありがとうございます。今年も、どうかよろしくお願いいたします。


毎年の元旦は、母の命日。
Ca9auks6警察から事件の第一報を受け取ったとき、心の中で正常性バイアスが動き出すのを感じた。「たいした事態にはなっていない」と自分に言い聞かせるように、やたら人に話しかけ、気丈に振舞った。友だちとも会い、普通に酒を飲み交わした。
本当は、人前で取り乱したり、泣きくずれるべきだったのだろう。

失恋しても、「どうせ、たいした相手ではなかった」「そもそも、恋愛感情なんかなかった」などと合理化して、傷を浅くしようとする心の動き。人は、まず自分をあざむく。
原発事故に対する反応を見ても、ほとんどの日本人は正常性バイアスを機能させて、「あんな事故は大したことない」「そもそも、放射能は安全だ」と、傷は浅いと信じ込もうとしている。

だけど、正常性バイアスって、必ず反動がある。ちょっとしたことで怒鳴ったり、怒りだしたりする。「ああ、俺は無理してるんだな」「本当は、この人も怖くて仕方ないのだな」と、すぐ分かる。
深刻な事態が起きたら、深刻なまま受容する柔らかさ、感情のあらわし方が必要なのだと思う。
大きく揺れようとする振り子を、止めてはならない。


レンタル屋で、DVDを借りる。店員が、一週間後の返却日を告げる。僕は「あと一週間は、生きていなさい」と、約束を交わされた気分になる。あと一週間は、生きていられる。生きていてもいい。生きていなくてはならない。
誰かと約束を交わす。レンタル屋の店員で十分だ。それは、明日を保障する。マッチをこするように、生への意志が灯される。


「おとなだろ 勇気をだせよ」「おとなだろ 知ってることが 誰にも言えないことばかりじゃ 空がまた 暗くなる」
――忌野清志郎は歌う。
子供たちに誇れるような、まっすぐな生き方、誠実な仕事をしよう。

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