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2013年1月29日 (火)

■0129■

今年はテレビアニメ50周年なので、ある方からの番組企画の相談にのる。吉祥寺のバーにて。

『ビビッドレッド・オペレーション』のアクション・シーンは、3DCGなので、1コマ作画が実現できている。なのに、わざわざコマを抜いたり、同じ絵を2コマ、3コマと増やして「アニメっぽく」仕上げている。絵の枚数を減らした方がキレイだし、カッコいい。
宮崎駿は原画を修正しながら、「これは本当に起きた出来事なんだ。だけど、僕らは、こんな方法でしか表現できない」と言っていた。つまり、アニメーションとは抵抗なのだと思う。

僕がよく例に出すのは、『アルプスの少女ハイジ』のチーズはセル画だったけど、『あしたのジョー2』のステーキは背景だったこと。
L……いま確認したら、カットによって背景だったりセルだったりしているが (そのアバウトさもいい)、食べ物を背景で描くと、「死んだもの」に見える。減量した矢吹丈に出される小さなステーキは、パッと見て、おいしそうに見えてはいけない。背景で描くと、食い物に見えないんだ。
だけど、そのステーキを食べるとき、丈の歯に「カチッ」とフォークが当たる。その音が「うまそう」なんだよ。視覚的な「おいしさ」「豊かさ」を削って削って削りこんで、乾坤の一滴が「カチッ」という効果音なんだ。

その音を聞いたとき、「ああ、丈にとってはうまいステーキなんだな」と分かる。その瞬間が、アニメだと思う。枚数を大量に使えば表現しきれるというものではない。一枚でいい。動かなくてもいい。むしろ、動かないからこそ、伝わる。


自分に伝わった、自分が受信したという事実が大事。

最近、各話作監修正、総作監修正が多くて、「このカットは○○さんの原画だ」と言いづらくなってきている。絵コンテも同様で、「○○さんのコンテだ」と思って実物を見ると、半分以上、監督が修正していたりする。
クレジットも信用しすぎない方がいい。便宜上、名前を入れている場合がある。「やっぱり、○○さんの作監の回はいいよね」と思っていると、「あの回、僕は数カット描いただけ」なんて言われたりする。
僕らは、創作物に作家性を求めすぎる。脚本だって、プロデューサーが打ち合わせで言ったセリフが、そのまま採用されたりする。合議制でつくられている。誰かが、決定的な答えを持っているわけじゃない。

経験に裏打ちされた感性(印象を受ける力、とでも言おうか)こそ、すべてのカギだという気がする。


「俺の艦長」()、吉祥寺のブックスルーエには置いてなかったので、31日に届く感じですFかね。通販も、31日スタートみたい。

余談だけど、「ダメならダメで、考えるのになあ」が口癖の友人がいる。つまり、仕事を打診しても、返事をしない人がいる。
「NOならNOで、代案は考えるよ。答えがないと、NOですらないじゃない?」 その通りだと思う。本人は「安易に答えを出すべきじゃない」と沈思黙考しているのかも知れないが、待っているこっちは「無視されたのか?」とモヤモヤしてしまう。

今は、スマホでPCに着信したメールも見られますからね。
僕は「今は外出先なので、明日、きちんとお返事します」と、スマホで返すようにしている。相手の時間を奪ってはいけない。

(C)高森朝雄・ちばてつや/講談社・TMS

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