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2012年11月29日 (木)

■1129■

友だちが三鷹まで遊びに来て、ジャンクパーツの山をくれた。
Cainvytgこれで、死ぬまでに、5体ぐらいはロボをつくれるかも知れない。

それと、もうひとりの友人が「ガンヘッドの塗装の参考に」と、『横山宏 Ma.K.モデリングブック』を貸してくれた。80年代から、オリジナルのSFメカを作りつづけているイラストレーター、横山宏さんのハウトゥ本で、ちゃんと人生論になっている。
あのね。これはもう、プラモデルやらない人でも「そういう考え方もありか!」って、趣味だけでなく仕事にも役立つ本だと思う。つまりは、どれだけ理想を追い求めても、“辛くならない”コツが書いてある。
失敗しても大丈夫。どれだけ失敗しても、「いやいや、最初からこうするつもりだったんだよね」と考えを変えればいい。たとえば、10年前に色を塗りかけたままの模型があっても、「同じ色が売ってない」なんて落ち込まない。むしろ、また新しく色をつくって塗り重ねた方が、深みが出ていいよ、とか。それは、「過去の自分を肯定する」ということなんだ。

横山宏さんの中には、「失敗する」という概念そのものがない。イージーゴーイングですね。「初めから成功しようとしない」。「これが成功だ、完成だ」とか決めてないんですよ。それならば、いくらでも積極的に手を動かしつづけられる。すべての段階が完成だし、全段階を含めて成功だし。

みんな、他人の決めた成功パターンに応えようとしすぎるんだよね。恋愛なんかも、そうなってんじゃないの? 「ここまで行けないと成功じゃない!」って。


『おんな酒場放浪記』で、古賀絵里子さんが、思い切りシイタケ焼いて食べていたんだけど、大丈夫かいな。
067_endだけど、この人の可愛さは、言動・発想・仕草が幼児的なのに、かろうじて「です・ます」調だけで、31歳らしく見せている危うさだな。
だって、ホルモン焼きながら、焼けるたびに隣のお客さんに「これ何ですか?」って聞いて、酒飲みのくせに、肴について詳しくない。2~3歳ぐらいの幼児って「これ何?」とよく聞くと思うけど、あれと変わらないところがスゴイ。
ふと気がつくと、「おいしい」「いい」しか語彙がなくなってるし、酒を飲む動機も「気持ちよく酔いたいから」ぐらいしかなさそう。
僕の人生から、そういうシンプルな人が、どんどん退場していく。「頭よく見られたい」「バカと思われたくない」とか、まったくどうでもいいことなのにね。


ジャンクパーツを持ってきてくれた友だちと、朝4時までアルコールなしで話していたんだけど。
『エヴァQ』が、たった10日で30億円の大ヒット、『ガンダムUC』も『ヤマト2199』も、まだまだ続く状況ってどうなの?って話になって。新しいコンテンツは、確かにつくりづらい時代になっている。製作委員会方式だと、企画自体が民主的にならざるを得ない。
で、そういう作品だと、売り方も「各社さんが合意したやり方で」ってなって、結局は似たような感じになる。ワガママな作品って、売り方もワガママだと思うんだよな。

「個性的な作品は、個性的な現場からしか生まれない」。けだし名言。
で、これは作品だけではなく、仕事や恋愛でもそうだと思う。空気を読んで発言するヤツって、面白くないもん。取材してても、頭のいい人は、すごい速度でしゃべりまくる。まったく空気を読んでない(笑)。その代わり、下心もないんだよね。

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2012年11月27日 (火)

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ガンヘッド2号ですが、全体像は、こうなっております。二本足です。
Dsc_1162この状態なら、ポリキャップ接続のみで自立します。しかし、腕を付けただけで、重みでヘタってしまうので、最終的にはポーズ固定ですかね。
このまま、ぺたーっと脚を曲げていくと、カエルのようなポーズで腹ばいになれます。

今回はキットのパーツを組みかえて、トップヘビーで下半身が華奢なガンヘッドになりましたが、下半身を他キットから丸々もってきて、ヒーロー体形にも出来るはずです。
本当に「模型として」遊べる好キットだと思います。写真の状態まで来るのに、一ヶ月もかかってないしね。


以下、誠にお恥ずかしい話なのですが……。
一迅社さんのHPを見ていたら、私の著書『俺の艦長』が、12月下旬発売から「2013年1月25日」発売になっていました。→
特に編集部から連絡がなかったので、「えっ、何でそんなに遅れるの?」と驚きました。何より、6月下旬発売、9月下旬発売と情報が転々としていた時期、「まだ売ってない」「探したけど、なかった」「いつから予約できるんだ」と仰っていた方、誠に申し訳ございません。

編集部と連絡つきまして、「1月発売は厳守」とのことなので、もう少しお待ちください。


本の発売延期は、さして珍しくもないのかも知れませんが……。楽しみにしている読者の方には「お待たせして、申し訳ない」という当事者意識は、持っています。
だから、「お恥ずかしい」と申し上げました。

私の場合、初の単著である『スーパーロボットコンプレックス』の印税全額を踏み倒された経験もあり()、単行本は鬼門のようです。その『スーパーロボットコンプレックス』も、一時的に在籍していたサンライズさんのご好意で始まった企画であって、私から「こういう本を出したい」と企画を提出したわけではないのです。
Carxq29d最近、他社さんからも、「いずれは廣田さんの単行本も」とお話をいただいていますが、やめた方がいいでしょう。あちこちの雑誌に、ちょこちょこと地味に記事を書くのが、僕らしいと思います。
もともと、「雑誌のキャプションって面白いな」と、出版に興味をもった程度の人間です。45歳は、ライターとしては旬をすぎているし、僕はすでに後方支援をしているつもりです。

後方支援としてすら必要なくなったら、私は親も子もいませんから、少しでも人の役に立てる死に場所を探すんです。
何の用もなくなった男が、ずるずると長生きしていると、ロクなことをしでかしませんから。

天国は、生まれたときから頭上にあって、ゆっくり落っこちてくるんです。
ある時期から、天国が落っこちきる前に、自分の方から昇っていくんですよ。

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2012年11月26日 (月)

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うちのガンヘッド2号、左手を5本指にしたので、こういうアホなポーズも可能です。
Caxb92di_2右腕はガトリング砲になっていて、給弾ベルトが完成すれば、あとはスミ入れや汚しに入れます。

顔面はチェーンガンを付けず、無骨なカメラアイっぽいパーツを1/35 エイブラムスから拝借。スモークディスチャージャーや対人機銃、ペリスコープも、エイブラムスから流用しています。
ここまで遊べるとなると、「俺の理想のロボ」を、あと数体ほど作ってみたくなりますね。


「新潟県産コシヒカリ」として、福島県産、茨城県産、愛媛県産など、各地の米を混ぜて店頭販売していた練馬区の井口米穀店()。
Ca3pvdml実は、家から歩いていける場所なので、どんな様子か見てきた。日曜のため休業していたが、本日月曜に電話してみると、普通に営業しているとのことであった。すげーな、産地偽装しても立派に営業できるのか。

で、26日月曜が、東京都福祉保険局への書面提出日だったので、具体的に何がどう改善されたか、聞いてみた。
「精米は、今までは年寄りにやらせていたが、若い者にやらせるようにしている」「台帳も作り直した」、そして「あまり名誉なことではないので、そっとしておいて欲しい」と苦笑していました。
――いやいや、お店に来るお客さんをダマしておいて「そっとしておいて欲しい」って、そんな程度の意識だから、産地偽装しちゃうんでしょう。

ちなみに、お店はマンションの一階にあり、後ろが住居になっていた。小さな子供が遊ぶ乗り物もあったので、僕もこれ以上は追求しないけれど、子供さんはマトモな商売をなさってほしい。

東京都福祉保険局にも電話で確認をとったが、産地偽装に関する書面の開示請求は、今まで問い合わせすらなかったとのこと。皆さん、ダマされて食品を買わされても気にしないんですね。
今回の不正表示は、東京都福祉保険局の抜きうち検査で発覚したとのことで、市場検査は今後も実施していくとのことです。


井口米穀店の一件は、愛媛県のお米が混入されていることからも、放射能汚染とは無関係に、単に商売に対するルーズさに起因しているのでしょう。
しかし、「あまり名誉なことではないので、そっとしておいて欲しい」……じわじわと効いてくる言葉です。ようは、収束に40~50年もかかる福島第一原発事故そのものも「あまり名誉なことではない」、放射性物質で土地が汚れたことも「あまり名誉なことではない」、食材が汚染されたことも「あまり名誉なことではない」、だから、日本全体、原発や放射能に関しては「そっとしておいて欲しい」。
そういうムードを、ひしひしと感じるのです。

われわれが、まず戦うべきは「そっとしておいて欲しい」=「気まずい話題には、口をつぐむべき」という悪しき慣習です。表現・言論の自由を行使しましょう。
それで職を失うことになっても、分かっているくせに黙り込むよりはマシってもんです。

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2012年11月24日 (土)

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RGM MODEL PICTORIAL BOOK: HGUCシリーズで楽しむガンダム世界の地球連邦軍量産機 30日発売予定
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●GM好きのたわごとエッセイ
これは、本誌に載ったものの再録で、確か二本ほど書いたと思います。
もともとは、東海村原八さんが「GM好き心理は、小市民的」ということを雑談まじりに語っていて、そのカウンターとして「GMバカの意見も必要だよね」ということで、僕が呼ばれたわけです。

GMはマジで好きなので、HGUCのジェガンからネモまで組んでみたけど、むしろ『語れ!ガンダム』に載ったような系統図をつくるのが好きなので、またどっかでやりたいです。


来月のモデグラ誌には、ひょっとして『ギャラクティカ』ネタが載るかも知れませんが、今月よりYoutubeで前日譚である『Battlestar Galactica: Blood and Chrome』が配信中!→
いま、エピソード6まで見られます。てっきり映画として公開されると思っていただけに、とりあえず無料で見られるのは、嬉しい!

人間ドラマ中心だった『ギャラクティカ』に比べると、この『Blood and Chrome』は完全にミリBsgbloodandchromeタリー活劇です。第一次サイロン戦争のど真ん中から話が始まっているので、現役時のギャラクティカも出てきますが、「ギャラクティカの話ではない」ところがミソ。
メカに関しては、いろいろと鼻血ブーな描写が続出し、冒頭にチラリと出てくるサイロンの大型戦車が、かなり『ガンヘッド』です!


さて、最近はBS-TBSの『おんな酒場放浪記』という番組に、ハマりつつあるのですが。
吉田類さんの代わりに、3人の女性が酒場を巡ります。中でも、写真家の古賀絵里子さんが、抜群にいい。とりたてて美人というほどではないのだけど、本物の酒飲みという感じ。
僕が見た回では、まず、ホッピーが目の前に出てきたとき、両手の人差し指でジョッキを指さす、無言のリアクションが可愛い。250円のホッピーを「安いですよね」と注文するところからして、グーです。
後半では酔っぱらってしまい、店主に「お父さん、なに飲んでるの!」とタメ口で話しかけるのもいい。こういう女性と飲みたいけど、とんと縁がない。

酒の飲み方が可愛かったら、僕は女性に、それ以上のものは求めない。
いつも、飲み会のあと、ひとりでキャバクラやガールズバーを巡ってしまう悪癖の裏には、「酒好きの嬢に会いたい」という安っぽい欲望が、とぐろを巻いているのかも知れない。


……それにつけても、古賀絵里子さんは「おいしい!」と刺身なんて食べていたけど、ナレーションでは「毎日、仕入れている」って……太平洋の魚だとしたら、オッサンの俺ですら避けますけど。それだけが心配。というか、見ていてスッキリしない。

だって、ついにJAがコメの産地偽装しちゃいましたよ?→
岩手県産米を、兵庫県産として販売。しかも、5トンも。そこまでやっといて、「改善に取り組みます」で終わり。書類送検のみ。

もうひとつ。東京の有限会社井口米穀店が、「新潟県産コシヒカリ」に、福島県産、愛媛県産、岩手県産、宮城県産、茨城県産などをゴチャ混ぜに。→
井口米穀店は、JAS法に基づく書面を提出すれば、無罪放免。
僕が以前に刑事告発した、産地偽装業者の大兼文喜も、またやってると思う。罰則が甘すぎるのと、世間の関心が薄いから。

西日本にすら、東日本の闇ゴメが流入している現在、食べ物に鈍感でありつづけることは、彼らデタラメな仕事をやっている食品業者の頭をなで、頬ずりするようなものです。
そういう優しい人たちは、おそらく自分の仕事でもウソやゴマカシをやっているものと、僕は疑ってしまうな。

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2012年11月23日 (金)

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モデルグラフィックス 一月号 発売中
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●廣田恵介の「組まず語り症候群」 第一夜
唐突に、今月号から新連載がスタートしました。
第一回は、ちょっと『ガンヘッド』のことを語りつつ、2ページ目には、前号で掲載できなかった高嶋政宏さんのインタビューが載っています。(個人的には、ブレンダ・バーキの話が好き。高嶋さんが、ああまでフランクに話してくださるとは……)

いま、すごく便利なサポート・アイテムやジオラマ用素材が売られていて、それらを迷うことなく買える資金力もある。通販もあるし。
中学のころは、「シュロ縄で草をつくる」と模型雑誌で読んだら、そのシュロ縄とやらがどこで売っているか、足を棒にして探したものだけど、ちっとも苦痛ではなかった。買ってきて使えなかったら、別の素材を探すとか、ぜんぜん平気だった。
あの幸せな時間って、15歳前後に特有なものだったんだろうな。


そして、今週は仕事に振り回されている。
大量のデータをやりとりしているが、ギガファイル便があまりに使えなすぎて、笑った。
問い合わせするには「専用フォームを送るから、メールアドレスを記入してほしい」。で、記入しましたよ。メアドに送られてきたURLは、専用フォームではなく、なぜかギガファイル便のトップページでした。……たったこれだけで、普段どういう仕事をしている人たちか、分かりますね。

仕事ってのは、人の時間を拝借することではないです。
僕の尺度は簡単で、たとえ数時間後がシメキリでも「自由」でありさえすれば、「いい仕事」。逆に一ヶ月後がシメキリでも、「不自由」を感じたら、「やりづらい」「自分の好きなように時間配分できない」と感じたら、その仕事は、僕には向いてない。

例えば、他の人が「明日までにインタビューを2,000字も起こすなんて、そりゃ無理だ」と思っていても、僕には出来てしまう場合がある。自分で労働時間や体力をコントロールできるなら、やれてしまう。
逆に、たった400字であっても、「寝ないで書け」みたいな態度で頼まれると、いつまでも手につかないよね。
「私が仕事を頼んだ以上、私の仕事を最優先してもらう」みたいな人、困ってしまいます。「私が徹夜してるんだから、あなたも徹夜ぐらいするよね?」とでも言いたげな人がいるけど、いつ、どのくらい寝るかなんて、僕に決めさせてほしい。

気分転換に散歩するのも、仕事です。仮眠して、すっきりした頭のほうが、気持ちよく仕事できます。たっぷり食事したほうが、脳みそが働いてくれる気がします。
それらの時間をすべて捨てさせ、「8時間みっちり机に向かって作業すれば、出来ないわけがない」という世界観の人は、創造ではなく、死に向かっている。


さて、食品汚染に気をつけている人といない人とがいると思うけど……。
「当分の間、摂取及び出荷を差し控えるよう」と、総理大臣に言われたらどうよ?
 
内閣官房内閣広報室、直近の政府発表。→ 群馬県、千葉県、福島県、宮城県、栃木県、それぞれキノコ類中心ながら、かなりの食材が出荷制限。野田佳彦名義で。
中には「摂取を控えるよう」と明示してある食材もある。ようするに、総理大臣が「食うな」と言っているわけで、「国が安全だというからには、安全だ!」と決めている人たちは、どうするんだろう? それでも食います?

「野生キノコが出荷できない」「毎年人気のキノコ鍋を、お客さんに出せない」と焦っている業者がいるそうだけど、ある部分は思ったより安全で、ある部分は壊滅的な打撃をうけている……というのが、僕の印象。
すべてが安全でも、すべてが危険でもない。


大変お待たせしてしまっている『俺の艦長』、一迅社から、表紙のラフ(麻宮騎亜先生・画)が届きました。
都合、半年も遅れてしまいましたが、一ヵ月後には書店に並んでいると思います。お待たせしてしまって、申し訳ありません。

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2012年11月19日 (月)

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世界残虐処刑史 21日発売
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●残虐映画レビュー 他
『カリギュラ』『王妃マルゴ』『アポカリプト』『ソルジャー・ブルー』の4本。残虐シーンに興味があるわけではないので、そのぶん、面白かったです。
この本は「双葉社の廉価版シリーズ」という素晴らしいネーミングを与えられており、興味本位に偏った企画方針が、実に「コンビニ本」らしくて、参加するのは楽しいです。陰謀論やオカルトにうとい分、その手に興味のある読者向けに書くだけでも、勉強になるしね。


朝7時に起きて、吉祥寺バウスシアターへ向かった。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』鑑賞のため、行列に加わる。

ようやく、今回こそ「続編」になったな……と、深い感慨。
Eva3_still06_largeそれは多分、1995年から続いてきた『エヴァ』というアニメ作品の続編というよりは、テレビの『ガンダム』の後に、作画をアップデートした劇場版があり、劇場版Ⅱがあり……という80年代に成立した連作劇場アニメの「本当の続き」が、ようやく見られたという意味。
「いやいや、『ガンダム』と『エヴァ』は別の作品じゃん?」と言われそうだけど、既知のキャラクターや物語に新要素が加わった連作アニメ、という意味ではつながっていると思う。テレビアニメは、「映画になろう」「映画として完結しよう」と30年間、あがいてきたと思うんだよね。宮崎アニメとは、まったく別ルートで。

おなじみのキャラクターは登場するんだけど、思いがけない役柄に変わり、舞台設定も一新して……だけど、『Zガンダム』は失敗したわけじゃないですか。それは、キャラクターに歳をとらせてしまった(キャラクターデザインが変わった)からだと思う。今回の『エヴァQ』は、キャラデの変更を周到に回避したのが、まずは賢い。
キャラクターの同一性さえ維持されていれば、物語が何度でも再構築できることを証明したのは、他ならぬ『エヴァ』だった。キャラクターの記号性が高ければ高いほど、舞台がどう変わろうが、作品は決して破綻しない。
(そういう意味で、綾波のスーツの色が変わったのは、「キャラが変わった」ことを端的に言いあらわしているよね。服の色まで含めて、キャラクターなので。)


具体的には書かないけど、舞台設定が『ヨコハマ買い出し紀行』風の甘美な終末観に満ちていて、そこが好き。『ヨコハマ~』にも、ずっと空を飛んだままの巨大航空機が出てくるしね。
破滅したんだけど、しぶとくズルズル続いている90年代的な終末の光景。

その空虚さと対をなす巨大なメカニックや建造物の密度。多分これ、半分以上がCGでしょう……次回予告のエヴァも、明らかにCGだった。だけど、セルルックだから「アニメ」の範疇に入る。楽観的に言うなら、それはアニメの進化なんだろう。
手描きアニメーターは凄腕ばかり集まっているけど、スペクタクルシーンや複雑なレイアウトとカメラワークは3DCGがメイン。友人いわく「『エヴァ』のルーツは、アニメではなく特撮」だそうなので、だから映像にフィットするんだろうな。

たぶん、『エヴァQ』が、年内に映画館で見る最後のアニメだと思うけど、今年は豊作だったし、変化の年でもあった。
子供の頃に『ガンダム』の映画に並んだという人、旧『エヴァ』に熱中していた人、僕らの知っている「アニメ映画」が新しい段階に入ったので、ぜひ見届けてほしい。
前作で、大人の視点になった『エヴァ』が、ぶっちぎりで思春期に戻ってきた感じも、また心地いいんだよな。

(C)カラー

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2012年11月15日 (木)

■1115■

『輪廻のラグランジェ season 2』BD第3巻 25日発売
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●ブックレット作成
今回は、待望のメカ大暴れ編です。ちゃんと、ロボットのデザインを生かした動きをさせています。メカの原画も、2カット掲載しました。

昨日、CGアニメ専門の会社を二社、取材しました。
作画とCGの間には、複雑で密接な関わりがあって、「こんなのCGでやれよ」「CGでやれば簡単だろう」とは、とても言えない。
読者が考えるに値する、意義ある記事を届けないとね!


スタジオカラー作品『監督失格』。急逝したAV女優・林由美香とAV監督の旅、死の前後を追ったドキュメンタリー。死の瞬間が、克明にカメラに記録されているため、かなり衝撃的。後々、遺族とモメたというのも分かる。
Main_large由美香という人は、ご多分にもれず、幼い頃に両親の不仲があり、若くして夜の世界へ転がり込んだ。そういう子なら、夜の街であふれるほど働いている。語弊のある言い方かも知れないが、その陳腐さが、まずはいい。可愛らしい。

監督との旅のあいだ、由美香は「幸せだよ。本当だよ」と優しく微笑んだかと思うと、神経がはりつめて泣き出したりする。彼女の、その繊細な感覚が好きだ。ゲロを吐いたまま寝てしまったり、酔って小便もする。こんな手の焼ける女性とは会ったことすらないが、せっせと世話する監督は、楽しそうである。
――だから、そういう手に負えない部分が、愛されたのだろうな。葬儀には千人が列席したという。生も性もむき出しならば、死もまた明々白々としている。会ったことないなあ、こういう人。
僕は、人生を旅してない。

そして、監督は自分の泣き顔を映したりして、自己憐憫が過ぎる。でも、林由美香という人に出会えただけで、この人は幸福だと思うよ。遺体の第一発見者であることも含めて。
結局さ、ゲロのついた顔を拭いてやったり、尿のついた毛布を片付けたりしないと、「人と会う」「付き合う」「愛する」ことにはならないんじゃない?

ひとりの人間というものの大きさ、重さ。それを受けとめられるか否かと言ったら、俺は失格だな……。さっさと離婚してしまったしな。


この9月、川崎市の阿部孝夫市長が、給食に放射性物質が混入していると分かっていても、学校給食への使用を宣言した件について()。
すぐに市長宛てに抗議メールを送ったが、今ごろになって、川崎市教育委員会学校教育部健康教育課から、返事(?)が届いた。
長文なので、部分的に引用すると、「本市における食品中に含まれる放射性物質への対応といたしましては、保護者の不安の声の多い特定の食材を選定して放射能濃度検査を実施し、その結果が国の示す基準値以下であることを確認し学校給食として提供することとしております。」「摂食を控えたいとの申し出に対しましては、その意思を最大限尊重しているところです。」
……だそうなので、給食が不安な親御さんは、拒否する権利があるってことらしい。教育委員会が「最大限尊重」と言うのだから、納税者の権利を、存分に行使すべし!

福島の原発事故前も、各国の核実験やチェルノブイリの影響で、0ベクレルの食品なんてなかった。お米だと、0.1ベクレルほど汚染されていたという。だけど、今回は、国内の電力会社の施設が事故を起こし、その瞬間もテレビやネットで見ているはず。去年の話ですよ。
「これはヤバイ」というので、政府の決めた食品の暫定基準値が500ベクレル。今年4月からは100ベクレル。この基準値が、もしも厳密に守られているとしても、事故前の一千倍の汚染。……よほどのアホでなければ、事故前と同じ汚染度の食品を探すよね。

(C)「監督失格」製作委員会

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2012年11月12日 (月)

■1112■

最近、映画館ではアニメしか見てない僕だが、本日は『ねらわれた学園』へ。
Sub1_new_large僕もPVを見て、「新海誠さんそっくりだなー」と思ったクチだけど、あの耽美的美術が好きな人なら、かなりハマれる。美術は、構図も立体的・ジオラマ的で、奥へいくほど白く飛ばしてあったり、かなり綺麗。
ほぼ全カットにわたり、何らかのレンズフレアが入っているのも、僕は好きだな。暗く沈んだところにも光源を置いて、キラッと光らせてみたり、星空が満艦飾だったり、うっとりしてしまう。
そうなると、背景が楽しみになって、キャラクターたちの膨大なモノローグ、唐突に始まる自分語りは、もはやBGMとして聞き流せる。

開幕ギリギリに買い物袋をかかえて入ってきた50歳ぐらいのオバサンが、始まって10分で出ていったんだけど、暇つぶしの目的で入場し、よく分からずに帰ってしまったんだろうな。
ようは、「深夜アニメ」の文脈コードを理解していないと、キャラクターの感情すらつかみづらいんではないだろうか。好きな女の子キャラの前に出ると、とりあえず頬にピンクのエフェクトが入って、手足がばたばた動いて、それが「照れの表現」であるとか。照れすぎると、頭からケムリを吹くとか。まずいお弁当を食べると、青い顔になって後ろにぶっ倒れるとか、そういう演出ばかりなので。
謎の転校生は、不思議な小動物を連れているけど、これも「魔法を使うキャラ」を示す記号だと思う。

深夜アニメって、一目でどんなキャラか分かるように描いてある。赤っぽい髪のヤツは、情熱的だとか。おしとやかな子は、黒髪でロングヘアとか。漫画やイラストの培ってきた共通言語を流用しているから、そういう文化にうとい人には、なかなか伝わらない。


どっちがいいという話ではないが、細田守、神山健治、原恵一といった人たちは、漫画~アニメ文脈に頼らない表現を追及し、それがアニメに慣れていない層への貫徹力につながったんだと思う。

『おおかみこどもの雨と雪』は、水やガラスの表現が実写みたいだったでしょ。それは単に「実写に近づける」のではなく、質感を生のまま伝えたいという意図に過ぎないと思う。『カラフル』の「写真じゃないの?」というぐらい緻密な背景も同様、「そこから見える景色」を実直に描いた以上の意図はないんだろう。
――意図がシンプルなら、解釈の幅は広がるんです。
キャラクターも色がついてない。一見して、どういう人たちなのか分かりづらい。神山さんは原作モノが多いけど、基本的に「ドラマの中で何を為したか」を持って、そのキャラクターの印象をつくっている。

ようは、「見てみなければ分からない外見」をした映画たちだから、一般の人でも入りやすい。と同時に、興行的には未知数であり、外れる可能性も高い。
『天空の城ラピュタ』の企画書を読むと、「アニメ・ファン数十万は必ず観てくれるので、彼らの嗜好を気にする必要はない」と書かれているが、この企画書は1984年末のもの。それから28年、時代は変わりましたね。
今は、深夜アニメのヒット作を映画化するのが、最も手堅いんじゃない? そして、深夜アニメの文法(つまり、アニメ・ファンの嗜好)を最大活用した劇場用オリジナルが『ねらわれた学園』なのではあるまいか?

今週末から『エヴァQ』が始まるけど、『エヴァ』は深夜アニメ的コードを一般化した、ギリギリのラインにあると思う。「真っ赤な服を着てる子は高飛車」だとか、それは17年前につくられた定番だから。もともとは海軍食として定着した肉じゃがが、いつの間にか「お袋の味」として広まったようなもんです。

やっぱり、局所的な嗜好や記号が、より多くの人に通用する「意味」へと熟成されるには、時間が必要なのではないかな。


《平成25年2月早朝。会社員のAさんは、自転車をこいで、普段ならば電車で30分で到着する勤務先へと向かっていた。この時間帯、Aさんの住むX町は計画停電の実施エリアに入り、自宅では照明やエアコンも使えず、電車の運行も止まっている。「遅刻してしまう」。そう思った瞬間、自転車は凍った水たまりの上を滑って転倒。Aさんは頭を強く打った。犬の散歩をしていた主婦があわてて119番通報したが、町で唯一の病院も停電し、救急患者は受け入れられないという》
……以上は、産経新聞の考えたウソ話だが()、とうとう「原発を止めたら、お前ら、死ぬぜ」と言い出したか。

原発は、止めざるを得ない。倫理的にではなく、物理的限界から。ただ、使用済み核燃料は残る。それが最大の問題であって、いまさら「電気が足りないから死ぬぞ」って話をしている場合ではないんだよ。産経の記者さん。

(C)眉村卓・講談社/ねらわれた学園製作委員会

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2012年11月10日 (土)

■1110■

生きているうちに、あとどれだけ模型をつくれるか分からないので、自分で購入した1/35 ガンヘッドは、戦車のパーツを中心に改造中。朝から始めたら、昼まで手が止まらない。
Ca2hgf65左肩は105mm戦車砲、右肩はCITVという熱感知センサーがぴったり。武器が多すぎると、かえって弱そうかな?と思っていたので、径が合って良かった。
顔面は、チェーンガンを付けずに、カメラアイのようなパーツを接着してある。肩のハッチ状のパーツを接着せず、内部をデコレーションしたり、いろいろ遊んでいる。


ケーブルテレビで、細田守版『時をかける少女』を、ひさびさに。
アニメNewtypeチャンネルにレビューを書いたとき、サンプルDVDをいただいたんだよね。その割に、あまり見返すことがない。
007公開当時は、新宿歌舞伎町のキャバ嬢と見に行った……という話は、グレメカなどで書いた。もう6年も前のことだ。

ここにも貼ったような、校内の何気ない点描が、すごく救いになっている。それだけ、しんどい、重たい映画だと思った。
真琴が、ひとりでホットドッグのようなものを頬ばるシーンがあるが、あれも良かった。一回目は友だちと並んで食べているが、二回目は、ひとりで校庭の景色を見ながら、食べている。ああいう空白のような、意識するほどでもない幸せな時間って、誰にでもあると思う。僕は何より、ひとりで風景を見ながら食事する時間を失うのが、怖い。無意識のうちに、じわじわと幸せの湧きでる時間が、何より大事だという気がする。

それもこれも、『時かけ』は、タイムリープするたびに駆け回らなくてはならないし、タイムリープすればするほど事態は悪化していくし、結局はすべて奪われてしまうし、重たいからね。罪悪感と戦わなければいけないし、苦しいよね。
『おおかみこどもの雨と雪』は、しんどいのが十ぐらいで、見返りは一しかないと分かりきっているから、苦しくはない。会った瞬間に、もう別れを覚悟しているというか。
『時かけ』は、別れた後に「しまった!」という映画だから、そこが辛い。若い人に、そんな思いをしてほしくないですよ。意外と、「青春なんて苦くて当たり前」「辛くても悲しくても、前へ進まねばならない」という、昭和ガンコ親父みたいな価値観が、根底にある気がする。

だから、永遠の名作とか普遍の価値観とか、そういうものはないです。すべては、どのタイミングで作品と出会ったか。その時のあなたと映画とが、いい関係を結べたかどうかです。


先週は、酒を飲む機会が多かったのだが、なぜか西日本産の食材にめぐり合えた。肉でも魚でも、西日本産・外国産なら食べます。

いま、「三鷹市農業祭」というのが開催されていて、三鷹だけでなく、福島産や新潟産の野菜も売っている。
別にいいんだけど、放射性物質の検査はしてるよね?と、三鷹市に問い合わせたら、「農業祭で特産物として販売するものも、市場と同じく安全な地域で生産された農産物です。安心してお買い求めください」だと。本物のバカだな。市場から、基準値ごえの農作物が出てるから問い合わせてるのに。
それから、肝心の三鷹市産の農作物に関しては、答えがなかった。……検査してないんだろうな。「土壌が汚染されている」という認識もないんだろうな。

別に、何ベクレルでも「食べてみたけど、何ともなかった」なら、それでいいんだよ。
よく「東北・関東では、想像もつかないほどの悲劇が起きる」とか「最低○万人は、確実に死ぬ」と言っている人がいるけど、デリカシーが欠如していると思う。データさえ示せば、あとはそれぞれ、どうやって生きていくか決めていくだろう。

結局、僕は食に関連したヤツラの手抜き仕事に付き合わされるのは、ごめんなんだ。なぜなら、僕は奴隷じゃないから。
電力会社、総理大臣、警察官、さまざまな連中に失望させられてきた。誠意も責任感もなく、ただ仲間うちだけ儲かればいいと考えるヤツラが、こんなにも大勢いる。
仕事は、世のため人のためにやるから、お金がもらえる。だけど、そんな当たり前のことを、学校の教師たちは知らない。だから、子供たちに伝えられない。

(C)『時をかける少女』製作委員会2006

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2012年11月 8日 (木)

■1108■

新宿バルト9で『009 RE:CYBORG』。夕方の回だと、3D上映でも1600円で見られる。
Imagescaovq39q押井守作品は、作品そのものは割とどうでもよくて、その作品にかこつけて押井さんが何を語っているのか?が楽しみなんだが、神山健治作品にも、ちょっとそういう傾向を感じている。
飽くまで、僕が取材できる立場からかも知れないが、複数のインタビューと合わせて作品を見られる状況は、ぜひとも利用したい。

たぶん、映画の傾向としては『ダークナイト』が近いんだろう。『ダークナイト ライジング』は未見だが、『009』の格好の副読本になっているような気がする。つまり、「そこそこ頭のいいハリウッド・アクション」という意味。サイボーグ戦士たちの活躍は、それぞれ用意されていて、「彼の声」や「天使の化石」にも、一応の意味は説明されているので、難解というほどでもないはず。考えたい人は、深読みできる仕組み。
なるべく多くの人を楽しませる、すっきりさせて席を立たせることが、映画監督・神山健治のミッションだったんじゃないかな。だとしたら、まんまと成功している。004の脚部ロケットの撃ち方なんて、フィギュアが欲しくなるぐらいだったし、002は出てくるたびに胸にエアブレーキがあったり、エンジンが焼ききれたり、メカ的な見せ場が用意されている。

もうひとつは、CGであることが気になるか、ならないか。
知り合いの編集者は「2D上映で見たら、手書きと区別がつかなかった」と言っていたけど、僕は正直、気になったな。デッサンが狂わなすぎると、かえって気になるもんだよ。


「文藝別冊」のロングインタビューで聞きそびれたんだけど、『攻殻機動隊』シリーズが終わって『精霊の守り人』へ移るとき、ヒロインに対するフェティシズムは、神山さんの中になかったのか? それが気になる。強い女性を主人公にするのは、飽くまでも商業的に優位だから……とのことだが、やっぱりフェティシズムはなかったんだろうな。
003の下着姿が出てきたけど、やっぱり、サービス以上のものではなかったからね。それは正直、残念な気がする。「こうまで3D美女の魅力を見せられてしまったら、もう2Dアニメは必要ないぜ」ぐらい、感じさせて欲しかった。

士郎正宗の『攻殻機動隊』は、やはり草薙素子へのフェティシズムに支えられていると思う。『攻殻機動隊2』なんて、素子のイラスト集みたいだったよね。描く動機の半分は、素子の肉体にあると思う。
003の下着姿はサービスと書いたけど、士郎正宗的なパッションはもちろん薄くて(士郎さんの絵を見せられたら、とても家族連れではいけないし)、肝心のキスする芝居が、もうひとつだった。それこそ、3Dアニメーターの技量の問題なのだろう。

それに対して、島村ジョーの彼女。あの子が座るとき、ちょっと内股になって足をクロスさせる。「おっ」と思った。あれは、意識していないと描けない。「人間って、確かにそうするよね」と気がつく瞬間は、気持ちいいよね。止め絵のモブの絵一枚でも、重心を意識したポーズが描いてあったりすると、「いい絵を見たな」と思うものな。
あと、手描きの絵って、スケベな人が描くと、どうなるか分からないじゃない? パンツが見えるかも知れないし、胸が揺れるかも知れないし、その可能性を、常に秘めているのが「絵」の魅力なんだと思う。だけど、003はスペック的に「硬い」と分かっているから、覚めてしまうんだろうな。揺らすためには、胸にジョイントを入れないといけない。スケベな監督が来たら、胸にジョイントを入れると思う。アホな話だと思うだろうけど、女をどう扱っているかを見れば、監督のスタンスも分かる。実写映画でも、ハダカだけは絶対に出さない監督っているものな。

『攻殻』のとき、神山監督は「作画にリソースを割けないので、テキスト・レベルで勝負した」という意味のことを言っていたけど、それはつまり、映像作品を撮ろうとは思っても、「絵」へのフェティッシュは薄いという意味にも解釈できる。


押井・神山両監督のファンとしては、神山監督が押井さんに宛てたラブレターとして、出来はどうなの?というのも気になる。今の押井さんが撮るにしては、やや淡白なシナリオだと思う。映画にメジャー感を与えたかったという意図は分かるし、成功もしている。ただ、「正義は伝播しない」というテーマは神山さんのものなのだから、そっちをもうちょい掘り下げても良かった気がする。
もうひとつ、キャラのCG化によって、アニメ製作のワークフローを改善したい、せめて安定したクオリティで供給できる体制にしたい……という裏テーマ。それはどうだったのかな。来週、サンジゲンへ取材に行きます。


ガンヘッド、中間モード。
Ca4tl36j河森メカは、レギュレーション以外のモードを発見できるのが楽しい。


(C)2012 「009 RE:CYBORG」製作委員会

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2012年11月 6日 (火)

■1106■

ムービープラスで録画した『ザ・フライ』『ザ・フライ2 二世誕生』をつづけて視聴。
Cronenberg_fly_possible_sequel_artiどちらも、当時はレンタルビデオで見たと思う。『2』では、監督がクローネンバーグから視覚効果のクリス・ウェイラスに変わり、単なるモンスター映画になっていて失笑したものだった。ああまで分かりやすくモンスターを出してしまうと、恐怖は肉体の外部に置かれてしまうから、たいして怖くない。

対して、『ザ・フライ』第一作では、恐怖は身体の内側にある。
それは、モンスターを「見せない」中盤までのほうが効果的だ。つまり、病気だったり、精神的な変化だったりは、逃げ場がない分、怖い。主人公が「僕は、昆虫世界の外交官になれるかも知れない」と語って、ヒロインが「何の話をしているのか分からない」と混乱するシーンが白眉。ヒロインにとっては意味不明でも、ハエの遺伝子を組み込まれた人間が「昆虫世界の外交官」と自らを笑う心境が、なんとなく分かってしまうところが怖い。彼の狂気を、理解してしまう自分がイヤだよね。
脅威が、外にあるうちは怖くない。内側に脅威がある、これが何より怖いわけです。
だから、(完全にモンスター化する)後半ではヒロインの妊娠に、ちょっと軸足をズラしている。飽くまで、脅威を肉体の中に置きつづけている。


実写映画を見れば見るほど、我々が「現実」と呼んでいるものの得たいの知れなさが、意識されてしまう。
よく、「その場でカメラさえ回してしまえば、実写映画になる」と言われるが、それは可塑性を奪われた「事実」の一面でしかない。事実と現実は違う。

絶えず、自分が介在しつづけること、介在せずには成り立たないことが、現実の得たいの知れなさ、素晴らしさ、怖さだと思う。


某アニメ作品の原画を選定。修正されること前提で、あまりにアバウトなレイアウトが描かれていると掲載しづらい。それだけ今のレイアウト修正は細かい。そうして修正されたレイアウトをトレスすれば、原画になってしまう……という印象。つまり、線に迷いがなさすぎて、躍動感のない絵が多くなった気がする。
印刷物に掲載する側としては、完成カットにはない、やや迷いの残るエンピツの線を見せたい。なので、修正前のレイアウトが、「絵」としては味わい深いのかも知れない。

年内発売のアニメ誌(というか定期刊行ムック)二冊に、少し関わっている。


ガンヘッドの素組みを戦車モードへ変形させてみた。横にあるのは、タミヤのエイブラムス付属の1/35戦車兵である。違和感ない。
Carenib5唯一の差し替えパーツ、本体の前後をつなぐパイプは、お好みで付ける感じ。実質的に、完全変形だね。
前足の基部、肩当て、後ろ足のカウルがつながって見事なラインを描き、河森正治のもうひとつの大きな仕事、『サイバーフォーミュラ』を想起させられる。

この素組みは遊び用として残し、もう一体は、まったく好きなように改造しようと思う。
ちなみに、僕と似たスンタスで『ガンヘッド』を愛好している方がいた。ブログ「自閉世界」さんの記事、「ガンヘッドの監督 VS 2ちゃんねらー」→ 
他に「ブレンダ・バーキのデータベース」なるカテゴリもあり、とにかく楽しい。

好きであればあるほど、「まあ、しょうのない奴なんですよ」と自ら笑うぐらいの余裕がほしい。

(C) 1986 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.

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2012年11月 4日 (日)

■1104■

『K』第5話、スケボーvs剣のアクション・シーンが素晴らしい。
05_2カメラは基本的にスケボーを追い、静止していた背景が、スピードを増すとともに流背になったりする(撮影で置き換えているのだろう)。「建物の陰でスケボーに着地→その衝撃でスケボーが後ろに下がり→キャラに光が当たる」なんていう小技もある(これは普通にカゲを塗り分けている)。
作画は、激しく動き回るスケボー側に重みを持たせ、あまり動かない剣を持ったキャラ側には軽やかさを与えて、対比させている。剣は右手で構えているので、左手を揺らして、繊細さを出している。左手は、落としたメガネをひろう芝居にも使われる。

……で、スケボー少年とメガネ剣とが戦う理由が、“文学的には”必然性ないのがカッコいい。それが映像の文法だと思う。映像の本質は、被写体の動きとカメラワーク。そして、アニメーションは被写体を描くことによって、(存在しないはずの)カメラワークを生じさせる。
つまりは、アクションを成立させるためのシチュエーション、キャラの対立関係に説得力を持たせるための設定が用意されていれば、“文学的に”ストーリーが静止しようと、たいした問題ではない。
むしろ、ワンカットの内部、カットとカットの間に生じるドラマをこそ、見落としてはいけないのだ。


ていうか、前述のアクション・シーンも入った『K』のプロモ映像を見てほしい。→
「映像はすごいけど、話がイマイチ」という人は、映像作品に対して思い違いをしている。阪本順治の『王手』という将棋映画は、シナリオどおりに撮影しておきながら、編集段階ではシーンの前後を入れ替えて、何がなんだか分からない“物語”にしている。それは、シナリオという“文学”に対する、映像によるアンサーなのだと思う。
起承転結が破壊されることにより、役者の魅力はいっそう引き立ち、撮影の、シーンの美しさも際立つ。

人生を「線」と考えるか、「点」ととらえるか? 線、一本のラインと考えると、僕らの人生は、たちまち過去に緊縛されてしまう。夕陽の美しさは、人生を点、ポイントとして考えるからこそ味わえる。

……シナリオをがっちり組み上げることは、一手段である。映像の連なりによって、観念的なドラマが、頭の中で像を結ぶこともある。しかし、いかなるドラマであれ、映像の「印象」によってしか伝えられないことに、もっとよく注意したほうがいい。


大きな仕事を依頼されたとき、「一年後、もっと力をつけてから」などと躊躇する人は、その一年後に大きな仕事が来ても、やはり「もっと力をつけてから」と断るのだろう。
いま頑張ってくれない人が、「次にがんばる」と言ったとしても、僕は信用しない。だから、いま来た仕事は、いま頑張ってやるしかない。それ以外に、信用を獲得する方法を、僕は知らない。

逆をいうと、「いま頑張れない仕事」ならば、断ったほうがいい。自分も苦しんで、相手にも迷惑をかけるぐらいなら、その仕事を請ける理由はない。断るのも、誠意のひとつ。

(C)GoRA・GoHands/k-project

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2012年11月 2日 (金)

■1102■

「アニメスタイル 002号」、通産10冊目を送っていただいた。
Camz4g5d_2編集後記にあった「アニメのビジュアルを変えようという動き」、この言葉に合点がいった。『009』のようなセルルックのフル3Dアニメが増えれば、手描きアニメは、より一層、存在感を増していくと思う。

『伏 鉄砲娘の捕物帳』は、作画の癖など気にせず、素直にストーリーを楽しんでいる人(主に女性客)が多い。
しかし、脚本の完成度が高ければ高いほど、絵であることの必然性が問われていく。すべてを拾うことは出来ない。何を捨て、何を残したのか。いつも、それが気になる。


野田総理の答弁によると、福島第一原発4号機の使用済み核燃料プールからの燃料取り出しは、なんと2年後の2014年末。作業には、さらに2年を要し、2016年末に完了するらしい。(4号機の、何がどう危険かは、検索して調べてほしい)
福島第一の廃炉そのものは、新技術を開発しても、最低40年かかると言われている。もし生きていたら、僕は85歳だ。

原発事故直後、これといった根拠もなく「事故から一年後の期間が、いちばん良かったと思える日々が来るのではないか?」と感じていた。
いや、一年間どころか、事故直後の一週間の緊張感だけが、日々いっそう鮮烈になっていく。ネットから得られる情報は錯綜していたが、すこし歩いて吉祥寺の街へ出ると、人々は不安を隠し、無理やりにでも笑顔をつくろうとしていた。あの肌をさすような空気は、すっかり温くなってしまった。
少しずつ、時計の針が元へもどっていく。

「東京は、たいして汚染されていない」と関西の人から言われ、ずいぶんくやしい思いをさせられた。今では、瓦礫焼却が検討されている大阪が、反対運動の炎が最も苛烈だ。「大阪を、東京のような汚染地帯にしてはならない」という人まで、現われている。
これもまた根拠薄弱なのだが、どんどん人口が流出して、震災の翌朝のように電車すら走っていない静寂の東京が、いずれ、いまの生ぬるい日常にとってかわる予感がしている。
電車の止まった三鷹駅前を、よろよろ歩く年老いた自分の姿さえ、想像できてしまう。

楽観とあきらめは、とてもよく似ている。注意せねばならない。


編集者から、ちょっと変わった相談を受けた。山下敦弘監督の深夜ドラマ『エアーズロック』などを例に出して、僕は語った。
情熱ある若者が挫折しても、「まだ大丈夫だ」とささやいてあげたい。しかし、情熱ある若者に出会ったことがない。祝福すべき相手がいない。これは、孤独である。

数多くの企画が頓挫する場に、僕は居合わせた。
夢と同量の挫折があることを、僕は知っている。何かが行きづまるからには、必ず理由がある。その原因をとり除けば、企画は前へ進むのか? いや、関わった人間のダメージを軽減するだけてあって、企画を成就させるには、もっとプラスの力が必要だ。北風を止めることはできるが、太陽を照らしてやることまでは、僕には出来ない。

娯楽の敵は、虚無である。誰かひとりがあきらめさえしなければ、可能性は留保される。
可能性のともし火を、走者から走者へと、手渡していくほかない。誰かが足を鳴らしていさえすれば、音楽は止まない。動から動へと流れる奔流を、心ある者たちが支えていくしかない。

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