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最近、映画館ではアニメしか見てない僕だが、本日は『ねらわれた学園』へ。
僕もPVを見て、「新海誠さんそっくりだなー」と思ったクチだけど、あの耽美的美術が好きな人なら、かなりハマれる。美術は、構図も立体的・ジオラマ的で、奥へいくほど白く飛ばしてあったり、かなり綺麗。
ほぼ全カットにわたり、何らかのレンズフレアが入っているのも、僕は好きだな。暗く沈んだところにも光源を置いて、キラッと光らせてみたり、星空が満艦飾だったり、うっとりしてしまう。
そうなると、背景が楽しみになって、キャラクターたちの膨大なモノローグ、唐突に始まる自分語りは、もはやBGMとして聞き流せる。
開幕ギリギリに買い物袋をかかえて入ってきた50歳ぐらいのオバサンが、始まって10分で出ていったんだけど、暇つぶしの目的で入場し、よく分からずに帰ってしまったんだろうな。
ようは、「深夜アニメ」の文脈コードを理解していないと、キャラクターの感情すらつかみづらいんではないだろうか。好きな女の子キャラの前に出ると、とりあえず頬にピンクのエフェクトが入って、手足がばたばた動いて、それが「照れの表現」であるとか。照れすぎると、頭からケムリを吹くとか。まずいお弁当を食べると、青い顔になって後ろにぶっ倒れるとか、そういう演出ばかりなので。
謎の転校生は、不思議な小動物を連れているけど、これも「魔法を使うキャラ」を示す記号だと思う。
深夜アニメって、一目でどんなキャラか分かるように描いてある。赤っぽい髪のヤツは、情熱的だとか。おしとやかな子は、黒髪でロングヘアとか。漫画やイラストの培ってきた共通言語を流用しているから、そういう文化にうとい人には、なかなか伝わらない。
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どっちがいいという話ではないが、細田守、神山健治、原恵一といった人たちは、漫画~アニメ文脈に頼らない表現を追及し、それがアニメに慣れていない層への貫徹力につながったんだと思う。
『おおかみこどもの雨と雪』は、水やガラスの表現が実写みたいだったでしょ。それは単に「実写に近づける」のではなく、質感を生のまま伝えたいという意図に過ぎないと思う。『カラフル』の「写真じゃないの?」というぐらい緻密な背景も同様、「そこから見える景色」を実直に描いた以上の意図はないんだろう。
――意図がシンプルなら、解釈の幅は広がるんです。
キャラクターも色がついてない。一見して、どういう人たちなのか分かりづらい。神山さんは原作モノが多いけど、基本的に「ドラマの中で何を為したか」を持って、そのキャラクターの印象をつくっている。
ようは、「見てみなければ分からない外見」をした映画たちだから、一般の人でも入りやすい。と同時に、興行的には未知数であり、外れる可能性も高い。
『天空の城ラピュタ』の企画書を読むと、「アニメ・ファン数十万は必ず観てくれるので、彼らの嗜好を気にする必要はない」と書かれているが、この企画書は1984年末のもの。それから28年、時代は変わりましたね。
今は、深夜アニメのヒット作を映画化するのが、最も手堅いんじゃない? そして、深夜アニメの文法(つまり、アニメ・ファンの嗜好)を最大活用した劇場用オリジナルが『ねらわれた学園』なのではあるまいか?
今週末から『エヴァQ』が始まるけど、『エヴァ』は深夜アニメ的コードを一般化した、ギリギリのラインにあると思う。「真っ赤な服を着てる子は高飛車」だとか、それは17年前につくられた定番だから。もともとは海軍食として定着した肉じゃがが、いつの間にか「お袋の味」として広まったようなもんです。
やっぱり、局所的な嗜好や記号が、より多くの人に通用する「意味」へと熟成されるには、時間が必要なのではないかな。
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《平成25年2月早朝。会社員のAさんは、自転車をこいで、普段ならば電車で30分で到着する勤務先へと向かっていた。この時間帯、Aさんの住むX町は計画停電の実施エリアに入り、自宅では照明やエアコンも使えず、電車の運行も止まっている。「遅刻してしまう」。そう思った瞬間、自転車は凍った水たまりの上を滑って転倒。Aさんは頭を強く打った。犬の散歩をしていた主婦があわてて119番通報したが、町で唯一の病院も停電し、救急患者は受け入れられないという》
……以上は、産経新聞の考えたウソ話だが(■)、とうとう「原発を止めたら、お前ら、死ぬぜ」と言い出したか。
原発は、止めざるを得ない。倫理的にではなく、物理的限界から。ただ、使用済み核燃料は残る。それが最大の問題であって、いまさら「電気が足りないから死ぬぞ」って話をしている場合ではないんだよ。産経の記者さん。
(C)眉村卓・講談社/ねらわれた学園製作委員会
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