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ムービープラスで録画した『ザ・フライ』『ザ・フライ2 二世誕生』をつづけて視聴。
どちらも、当時はレンタルビデオで見たと思う。『2』では、監督がクローネンバーグから視覚効果のクリス・ウェイラスに変わり、単なるモンスター映画になっていて失笑したものだった。ああまで分かりやすくモンスターを出してしまうと、恐怖は肉体の外部に置かれてしまうから、たいして怖くない。
対して、『ザ・フライ』第一作では、恐怖は身体の内側にある。
それは、モンスターを「見せない」中盤までのほうが効果的だ。つまり、病気だったり、精神的な変化だったりは、逃げ場がない分、怖い。主人公が「僕は、昆虫世界の外交官になれるかも知れない」と語って、ヒロインが「何の話をしているのか分からない」と混乱するシーンが白眉。ヒロインにとっては意味不明でも、ハエの遺伝子を組み込まれた人間が「昆虫世界の外交官」と自らを笑う心境が、なんとなく分かってしまうところが怖い。彼の狂気を、理解してしまう自分がイヤだよね。
脅威が、外にあるうちは怖くない。内側に脅威がある、これが何より怖いわけです。
だから、(完全にモンスター化する)後半ではヒロインの妊娠に、ちょっと軸足をズラしている。飽くまで、脅威を肉体の中に置きつづけている。
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実写映画を見れば見るほど、我々が「現実」と呼んでいるものの得たいの知れなさが、意識されてしまう。
よく、「その場でカメラさえ回してしまえば、実写映画になる」と言われるが、それは可塑性を奪われた「事実」の一面でしかない。事実と現実は違う。
絶えず、自分が介在しつづけること、介在せずには成り立たないことが、現実の得たいの知れなさ、素晴らしさ、怖さだと思う。
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某アニメ作品の原画を選定。修正されること前提で、あまりにアバウトなレイアウトが描かれていると掲載しづらい。それだけ今のレイアウト修正は細かい。そうして修正されたレイアウトをトレスすれば、原画になってしまう……という印象。つまり、線に迷いがなさすぎて、躍動感のない絵が多くなった気がする。
印刷物に掲載する側としては、完成カットにはない、やや迷いの残るエンピツの線を見せたい。なので、修正前のレイアウトが、「絵」としては味わい深いのかも知れない。
年内発売のアニメ誌(というか定期刊行ムック)二冊に、少し関わっている。
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ガンヘッドの素組みを戦車モードへ変形させてみた。横にあるのは、タミヤのエイブラムス付属の1/35戦車兵である。違和感ない。
唯一の差し替えパーツ、本体の前後をつなぐパイプは、お好みで付ける感じ。実質的に、完全変形だね。
前足の基部、肩当て、後ろ足のカウルがつながって見事なラインを描き、河森正治のもうひとつの大きな仕事、『サイバーフォーミュラ』を想起させられる。
この素組みは遊び用として残し、もう一体は、まったく好きなように改造しようと思う。
ちなみに、僕と似たスンタスで『ガンヘッド』を愛好している方がいた。ブログ「自閉世界」さんの記事、「ガンヘッドの監督 VS 2ちゃんねらー」→ ■
他に「ブレンダ・バーキのデータベース」なるカテゴリもあり、とにかく楽しい。
好きであればあるほど、「まあ、しょうのない奴なんですよ」と自ら笑うぐらいの余裕がほしい。
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