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別冊ザテレビジョン アニメザテレビジョン Vol.1 10月10日発売
●『魔法少女まどか☆マギカ』作品解説
……と言っても、劇場版の最速レビューとかではありません。作品を知らない人向けの、基礎的な情報です。
ちょっとだけ踏み込んで書いたとすれば、まどかが「変身しない」ことこそが、実は最も効果的な戦いなのだということ。「さっさと変身して成長しなさい」という戦い方は、大人サイドの都合でしかないから。ニートという抵抗をつづける若者に「働きなさい」と説教しても、彼らは違うベクトルを向いているわけだから、まったく無意味。
それを考えると、いつまでも完結しない旧『エヴァ』は、すごく先端を行っていた。未熟な少年が、やがて巨大な敵を倒す――という物語は、95年時点で、すでに訴求力を失っていたと思う。
だから、第19話『男の戦い』で、シンジが自らの意志でエヴァに乗ったときは「昔のロボット物に戻っちゃったな」と、ひどくガッカリしたのを覚えている。あのまま終わらなくて、良かったよ。
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庵野秀明さんつながりというわけではないが、明大のレナト氏と、東京都現代美術館「特撮博物館」へ再チャレンジ。改めて感じたこと。僕は海外SFXの洗礼は受けたけど、国産特撮は完全に後追いで、自分の養分になっていない。
着ぐるみ怪獣に熱中したのは、高校~大学にかけてまで。変身ヒーローは、昔も今も好きではない。
「懐かしい」という感覚は、僕ぐらいの年齢になったら、そろそろ「恥ずべきもの」と思わなくちゃいけない。自分の若いころには素晴らしい文化があったのに、それを楽しめない今の若い人たちは可哀相……なんて傲慢は、捨てるべきなんだ。
こんなこと言うと怒られるだろうけど、特撮博物館は、巨大な墓標のように感じた。
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ただ、『巨神兵 東京に現わる』。これは、震えるほど素晴らしかった。
「ネタ的に、お遊びでつくったんでしょ?」と思っていたから、なおさら驚愕した。ここまでガチな映画作品とは……。
もちろん、神経質なまでにCGを避け、どんな細かな素材も手で生み出していたのは、メイキングを見て、初めて分かった。だから、特撮博物館で「特撮技術の成果物」として上映しないと、意味がないかに思われる。
ところが、「ミニチュアを壊す」という一見して分かるウソが、この作品では切実なまでに必要とされている。それは、他でもない、この東京を舞台にしているからだ。博物館を一歩出たら、そこには、現実の東京が広がっている――それを知っているからこそ、観客は「映像の中で炎の海に包まれている街が、ミニチュアで良かった」と、ホッとできるのだ。
CGで東京を壊したら、それは単なる「破壊のシミュレーション」になってしまう。誰にでも「本物でない」と認識できるからこそ、「もし本物だったら……?」という想像が喚起される。
ドキュメンタリー映像がリアルなのではなく、「これが本物だったら、どうしようか?」と脳内にイメージできる映像こそが、リアルなのだ。
つまり、本物に似せてはあるけど、どうしても感じ方にズレが生じる特撮映像は、読解力がないと受け取ることができない。CGは、読解力のないヤツでも、反射的に「本物だ」と思ってしまう(ハリウッドのCG大作が死ぬほど退屈なのは、読解力を必要としないから)。
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それと、こんなにメッセージ性のある映画とも思っていなかった。
林原めぐみさんのモノローグで、避けられない破滅への諦念が、肌にカミソリをすべらせるように切々と伝わってくる。まだ、巨神兵の現われる前の東京で、ビルの間を、かすかに火の粉が舞う。このさり気なさが、怖い。
僕らは、プチ破局を体験したし、いまも破局は進行中だ。その日常と同化した破滅、音さえ立てずに訪れる終末を、まさか、こうして形に出来るとは思ってもみなかった。
園子温が、「もう一度、原発事故の起きた日本」を舞台に映画を撮ったけど、何よりもまずは『巨神兵 東京に現わる』でしょう! 本物の破局が来る前に、東京で見ておかないと。
この映画は、物理現実に顕現した悪夢そのものです。
レナト氏は、「そもそも、『ゴジラ』は原爆投下や水爆実験があったから、つくられた」と指摘した。9.11以降、『クローバーフィールド』がつくられた。
いわば、不条理な歴史へのカウンターとして、不条理な形のまま現われてきた作品。それをつくれるかぎり、人類にはまだ生き残る価値があると、俺は思う。
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