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2012年10月14日 (日)

■1014■

何本も深夜アニメを見ていたけど、『K』が圧倒的にカッコいい。
01_2もちろんのこと、絵づくりがいい。コアに脚本があって、脚本こそが背骨で、映像表現は脚本に隷従していて、何とでも取替え可能と思っている人が多いようだが、少なくともアニメでは違う。映像が、アニメのコア。映像とは、作画やカット割だけではなく、編集や音も含めて。もっと言うなら、セリフも「映像」のうち。セリフを文学的にしか解釈できないと、世界を狭くするよ。

映像があって、映像の奥に脚本があって、脚本はテーマを形づくっているはず――その思い込みは、少なくともアニメに於いては、間違っていると思う。「絵」というものを、誤解していると思う。「絵」を、映像を語るとき、僕らは言葉を使わざるを得ないから、どうしても文学“的”な表現になるだけであって、絵や映像は文学ではない。

第1話で、スケボーに乗った少年が街中を走る、3D背動のすごいカットがあったけど、何コマかモノクロになって、次にアンバー一色になる。その瞬間、「ザッ!」と効果音が入る。このカッコよさを語る言葉は、かなり選りすぐらなければならない。
この演出は、撮影の段階で入れたんだろう。仕上がりを見て、音響効果がSEを用意したんだろう。だけど、その演出意図は、監督に聞かないと分からないのか? 言葉にしないとダメ? この世は、言葉に置換できないものだらけだよ?


『K』は、第1話しか見てないんだけど、まずは光の表現がいい。耳飾り、車のフロントガラス、あらゆるものがキラッと光を反射する。いくつもの反射光が、テンポを刻んでいく。
ほとんどのカットに、寒色系のパラフィンが重ねてあって、その色味が作品のトーンになっている。スケボー少年が、ラーメン屋にいるシーンのみ、暖簾の赤色が染みるように印象に残る。暖簾の赤が、店の柱にまで、映りこんでいる。彼の着ているジャケットは赤。つまりは、背景の暖簾の色までもが、彼のキャラクターづくりに貢献している。「絵」って、そういうもんじゃない?
背景とキャラを分けて考えるから、つまらなくなる。

敵の組織が整列し、奥から順に刀を抜いていく――のを、カメラがフォローする。「○○、抜刀!」というセリフを、何人もの声優が繰り返す。このセリフなんて、もう音楽でしょう。カメラワークも作画も含めて、音楽だと思う。
その美しさを、堪能しないと、もったいない。

「いい」と思ったシーン、カットをあげていったキリがないんだけど、お弁当のアップも良かった。テクスチャーとして貼っているんだろうけど、その写実的なタッチが違和感になっていて、シーンに馴染んでいないのが良かった。絵の違和感をも計算して使っているのが、なんとも心憎い。カッコいい。
すべての動き、音が、ひとつのトーンを形づくっていて、美しい。


レギュラー仕事Aに、飛び込みの仕事Bを割り込ませることにした。Aは、分量と時間が分かっているので、一晩で区切りのいいところまで終わらせて、先方に投げておく。「毎月やっている仕事だから」と油断して、先送りにしない。
仕事Bは、映画4本を見て1,000文字ずつ、レビューを書いていく。それプラス、資料を読んで、2,000文字の記事3本を書いてほしいという依頼。映画は、金曜・土曜と2本ずつ見て、レビューが書けたはしから、先方に送っていく。これで、日曜から木曜まで、2,000字記事×3本に集中できる。

さらに、ムック本の仕事が入ってきたが、とりあえず、他のライターに当たってもらうことにした。それでNGなら、また依頼してほしい、と。
相手にも選択肢を残しておかないと、余裕のない、ギスギスした仕事になってしまう。

(C)GoRA・GoHands/k-project

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