« 2012年8月 | トップページ | 2012年10月 »

2012年9月30日 (日)

■0930■

周囲から「どうして見ないの?」と薦められていた『パッチギ!』
Untitled_2井筒和幸は「日本映画をダサくした張本人」と偏見をもっていたけど、見終わってすぐ、もう一度頭から見直すほど、セリフもカッティングも音楽的で、素晴らしかった。

「在日朝鮮人と日本人は共存できるか否か」という、いちばん見てみたいテーマを臆せずに扱っていて、そのミもフタのなさは爽快だった。「このクソ日本人!」「道理でキムチ臭いと思ったわ!」と、怒鳴りあいながらの殴り合いだからね。
「この問題は、微妙だから触れてはならない」とか「映画として採点不可能」とか逃げ回るヤツがいる中で、誇張しようが美化しようが、とにかく映画にしてしまって、公開した側の勝ち。

映画とは関係のない、出演者や監督のスキャンダルをネットに書かねばならないのは、この映画に売られたケンカを、知らずに買ってしまった証拠だと思う。
娯楽映画なのに、民族問題なんて扱っちゃいけないと、みんな思っているわけ。邦画は、もっとバカで社会性がなくて、日本人だけが楽しめる幼稚なもんでいいんだって、みんなでおとしめてきたんだよ。
「映画なんて、テレビの延長でいいじゃん」と、作り手も送り手も線引きしてきた。


真木よう子、江口のりこも良かったが、冒頭のバスをひっくり返すシーンでは、沢尻エリカの友人役の、ちすんが可愛かった。登場シーンは少ないんだけど、「可愛い子が出てるぞ」という下世話な興味は、映画を見つづけさせる持続力になる。

真木よう子は、ラスト近く、看護婦の姿のまま飛び蹴りして、左手で尻をさすりながら、右手で「生まれたで!」って手招きするところ。その仕草、フォルムが良かった。
駅のホームで松永京子と話すシーンでも、後ろ姿が、独特のフォルムをつくっていて、その人の肉体、生理を感じさせる。映画で女優を見る面白みは、そこに尽きる。

出産が近づくにつれて、どんどん艶っぽくなる松永京子も良い。彼女がレオポン(ヒョウとライオンの雑種)のことを話していたのは、日本人と朝鮮人の混血を生むから。
光石研が、どういうわけかロシア人のストリッパーと付き合っていたのは、「北海道もロシアになっていたかも知れん」という別シーンの会話に、かかってくるわけだ。
『イムジン河』を、京都の川と重ねてみたり、そういう細かいフックが鼻につく人もいるだろうけど、無知な僕には面白く感じた。

のっぺりと日本人だけしか描かない映画は、知らず知らずに白人しか出てこない映画をトレースしてしまっている。ちょっといいアイデアが出ると、簡単にハリウッドに持っていかれてしまう。
単なる「互換性」を、「普遍性」だと信じ込まされてきた。


確かに、「ちょっと井筒監督の思いが走りすぎでは?」というシーンもあった。そこから先は、自分で調べて、考えればいい。一から百まで、映画に教えてもらおうとするな。

無知な僕は、「クソ日本人!」と殴られたほうが、いっそ気持ちいいけどね。
放射能をバラまいておいて、それを子どもに食わせるような国は、北朝鮮といい勝負だしね。
「いま、ここ」でしか通用しないテーマというのは、常にあるんだよ。それを見つめるか、無視するかだけの差だ。

(C)2004「パッチギ!」製作委員会

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月29日 (土)

■0929■

一迅社にて、マチ★アソビ「アニメの単行本をつくるのはこんなに大変? 『俺の艦長』出版直前トークショー!」()の打ち合わせ。
Untitledゲストは、「キャラ☆メル Febri」の小此木編集長代理。ライター、作家を目指す人、自分の本を出してみたい人は、聞きにくると生の情報が得られるはず。10/8 10:30~ 眉山山頂パゴダ広場にて。

異色のアニメ人生読本『俺の艦長』は、「あとがき」も書いたので、これから本にしていく作業。10月下旬発売(Amazonでは、まだ9月下旬になっていますが、発売は10月下旬です)。


取材、打ち合わせがあいつぐ中、本日はお知り合いの出演している演劇に、誘われる。
歯に衣きせず言うと、「演劇をやることが目的の演劇」。そういうループに陥っている。客席で立ち上がって、「いますぐ、そんなつまんない脚本を捨てて、本当にやりたいことをやれよ!」と、怒鳴りそうになった。

いまの日本では、「苦労して練習してお芝居をやっているのに、入場料を払って文句を言うなんて、とんでもない」って話になるんだろう。でも、寺山修司のエッセイを読むと、観客が自由に参加できる芝居さえあったんだよ。

アマチュア演劇って、普段はアルバイトで食べている普通の人たちが、何もないステージに上がれるわけで、「舞台装置をつくって、衣装を着て、起承転結のある台本を用意すべし」なんて決まりは、どこにもないはず。
なのに、「演劇」という固定観念に、自ら篭城してしまっている……プロにはなれないけど、プロの様式をトレースして、チケットを売って、どうにか満席にして、劇団のグッズをつくって……だけど、プロになれるわけじゃない。プロになるのが目的ではない。
そういう人たちのための閉じられた文化が、いつの間にか出来てしまっている。


その帰り道、同行した友人と、過去に見た演劇の話をした。
アマチュアだろうと何だろうと、舞台装置も衣装も、台本すら用意しない演劇は、たくさん見てきた。別に実験をやろうというわけではなく、きれいな女優もいるし、ダンスやギャグで楽しませてくれる。完全に自由。

アゴラ劇場で出会った劇団ツベルクリンの、何回目の芝居だっただろう?
前半は、着ぐるみを使ったギャグを連発しておきながら、後半では、客席とステージとが赤いセロファンで区切られる。その奥には、さっきまで着ぐるみを着て踊っていた、ひとりの女優が座っている。
彼女は、古い記憶をたどるように、物語のような、詩のような言葉を口にしはじめる。やがて、架空の物語は、女優本人の記憶と重なっていくように感じられる――その場に、「人がいる」って、そういうことなんだよ。

スーツを着た男性が、ただ客席に向かって、えんえんと学生時代の思い出話をするだけの芝居もあった。テレビ的ではない、生身の面白さがあった。
僕は市川猿之助や、坂東玉三郎の舞台も見た。彼らが、その場で自分の記憶を語りだしたら、それは客を裏切ることになるだろう。だけど、別のベクトルで、プロの舞台俳優は自由なんだよ。「その場に、彼がいる」ことの空気感が、ありありと伝わってくる。

だけど、つまんない演劇って、「こんなのテレビでやれよ」って感じ。何かを外すにしても、テレビ的な収まり、約束事のなかでやっている。


僕らの世代は、テレビというよりは、ビデオが娯楽の標準だった気がする。
20代のころに、AVがあったというのは、すごく大きかった。AVでも、監督と女優だけしかいないと、最初は「こういう設定でハメ撮りしよう」と決めてあっても、女優が監督のことを好きになってしまったりして、そういうハプニングすら再生可能というのが、エキサイティングだった。だけど、テレビは予想外のことを排除するからね。いまだに、そうでしょ。

僕より若いはずの人たちが、どうしてこんな予定調和を、わざわざ人前でやってるの?と思ってしまった。

20代の終わりごろ、プロダクションに所属している、俳優の卵みたいな人たちと仲良くしていた時期がある。彼らの中に「俳優よりも、歌手になりたい」という子がいた。僕らは、オッサンが集まるような古いバーで飲んでいて、彼女に「歌手になりたいなら、見も知らない観客を振り向かせてみろよ」と、ほこりをかぶったレーザーカラオケを指差した。
そしたら、彼女は勇気を出して、歌いはじめた。観客は拍手喝さい。それから一年か二年して、彼女はCDを出した。

だけど、CDデビューよりも、知らないオッサンたちを振り向かせた瞬間のほうが、少なくとも貴重な体験ではあるよね。
プロになりたくない人たちに「プロになれ」とは言わないけど、演劇だって、声だけでなく、身体ぜんぶ使えるのに、どうして使わないんだろう?と思ってしまう。自分の肉体だけは、究極のオリジナルなのに。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2012年9月25日 (火)

■0925■

モデルグラフィックス 11月号 発売中
Mg
●月刊8JO コラム執筆
コトブキヤのプラキットのテストショット素組みの周囲に、うざったいほどギッシリと『ガンヘッド』についての思いを、書きつづりました。

ストレートに「ガンヘッドはかっこいいよ」「いい映画だよ」というファンは、「な、なんて屈折したヤツなんだ!」とお怒りになられると思いますが、自分の気持ちにウソはつけない。

これでも、編集部で喋ったことの1/10にも満たないんだけど……。
本当は、『ガンヘッド』の“成果”は、Vシネマ『タフ』シリーズに受け継がれるんだけど、そんなこと話しはじめたら、5時間ぐらいかかってしまう。

映画そのものというより、映画を介して、自分が何に繋がったかが大事。


長いインタビューの仕事が終わって、ようやく『俺の艦長』の仕上げに入っている。
だが、毎月定期的に入っている仕事Aも、この時期に重なってくる。せめて、デザイナーに投げられる形にしておきたい。スタッフの対談も込みなので、取材の翌々日には原稿にまとめてしまい、ラフや使用画像と同時に投げておく。
これで、『俺の艦長』最終シメキリ日までは、オール・グリーン。ガラ空きとなる。

……と思っていたら、仲のいい編集者から、仕事Bを振られる。インタビュー収録日も決まっていて、今週後半だ。
2時間ぐらいなら、『俺の艦長』を中断しても支障はないと判断して、請けることにする。もっと言うなら、取材場所までの往復時間を考慮して、4時間を仕事Bに充てる。

ところが、昨夜になって、突発的な仕事Cが入ってくる――「突発的」といっても、一ヶ月前ぐらいに打診はあったので、むげには断れない。
よくよく聞いてみると、文字量は多くない。作品を見直す必要は、最低限で良さそう。なので、「2日もあれば出来る」と判断し、請けることにする。
この「2日」というのは、48時間をフルに使うという意味ではなく、その間に散歩に行ったり、『俺の艦長』の仕上げも進めること前提の「2日」だ。

『俺の艦長』の仕上げを最優先としながらも、仕事A、B、Cの分量とシメキリを読んで、どこにも迷惑をかけないよう、調整する。
そして、決して「デスマーチ」にしない。ちゃんと風呂に入り、眠り、食べ、マッサージにも行って、削るのはDVDを見る時間、我慢するのは酒。

こういう「読み」と「見切り」が出来なくなったとき、フリーランスには仕事が来なくなる。
「3日間、寝てません」という人には、とても仕事を頼めないでしょ?


タツノコプロ50周年記念アニメ『一発必中!! デバンダー』、面白い。
Untitledメカ戦闘シーンの80年代風作画が話題となっているようで、メカも確かにカッコいい。
それ以上に、主人公の「運」がヒーローになる条件で、主役ロボを出現させるため、商店街の福引きでお馴染のガラポンを使うアイデアに、とにかく敬服する。

「昭和30年以前に生まれた人は、懐メロもうたうが、サザンオールスターズも歌う」と聞いたことがあるが、それを思い出した。

(C)タツノコプロ・デバンダー製作委員会 2012

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2012年9月23日 (日)

■0923■

ホビージャパン 11月号 25日発売
618uikrv1yl__sl500_aa300_
●ラグランジェ・アンヴェール 最終回 構成・執筆
レ・ガリテ王室のオービッドを掲載して、半年間の連載終了です。
どこにも書かれていないと思いますが、変形したレ・ガリテ艦とウォクス・イプシエンスのデザインは、宮武一貴さんです。

『輪廻のラグランジェ』関連では、「ヤングガンガン」誌で隔週連載していた「ラグりん通信」も終了。放映前から、一年間ほど連載していました。
「今号は、この情報を出してほしい」という製作委員会のオーダーが強いときもあれば、まったく情報がないので自分で工夫して企画を考えるときもあった。しかも、雑誌全体のノリを崩してはいけない。この連載を若い人がやれば、さぞかし勉強になっただろう。

ところで、マチ★アソビのスケジュールが確定しました。
『俺の艦長』出版直前トークショーは、10月8日10時30分~ 眉山山頂パゴタ広場にて!

チャリティ・オークションへの出品は、一迅社からの提供で「ZUN氏のサイン本」とのこと。


アメリカ・メキシコ合作映画『闇の列車、光の旅』と、フランス映画『あの夏の子供たち』をつづけて。
Mainb_large『あの夏~』は、資金難に苦しむ映画プロデューサーと、その妻子の物語。途中、主人公の映画会社が、韓国映画を手伝うエピソードがあり、試写会のシーンではフランス語の字幕が出てくる。
日本だと、字幕どころか、吹き替えで見るのが当たり前。少なくとも、日本語音声がDVDに入っていれば、僕は吹き替えで見てしまう。だけど、それは良くない気がしてきた。
つまり、海外の映画を「日本語の物語」として受容してしまう段階で、異国の分かりづらいニュアンスをも、頭の中で「日本風」に置換してしまっている。
その結果、映画は、やせ細ってしまうのではないか。字幕だと、多少はマシになる。「フランスの子供ってこうなのか?」と、違和感が残る。その違和感こそが、豊かさなわけで。

日本語吹き替えで見てしまうと、その映画のつくられた国柄も時代相も、すべてキャンセルされてしまう。
日本語吹き替えされた映画は、世界のどこの国の映画であれ、「日本人にしか分からない映画」へと変貌してしまうのだ。


『闇の列車、光の旅』は、メキシコとホンジュラスで別々に起きた物語が、アメリカとの国境近くで、ひとつに寄り合わされていく。
Main_large……ということは、この映画は、二つの国の物語ではあるけど、スペイン語で統一可能なわけだ。
最初の30分ぐらいは、別々の国で物語が発生するので、なかなか展開がつかめない。だけど、もし日本語吹き替えで見ていたら、せっかく仕掛けられた「差異」が、均一にならされてしまったような気がする。
それは、「スペイン語が分かる・分からない」の問題ではなく、日本語によって、風景が一元化されてしまうんじゃないか?ということ。

楽をして得られるものは、実りが少ない。そして、映画は意外に不親切で、簡単には分からせてくれない。
少なくとも、今の僕は、分かった気になったまま歳をとっていくのが、非常に怖いね。


これらの映画を見た後、ケーブルテレビで『カラフル』を見たら、知っている場所・言葉しか出てこないので、非常に居心地がよかった。
だからこそ、「よく分からないところ」「以前は分からなかったところ」を探してしまうんだけど……。

でも、『カラフル』はローカルというか、アニメという文化の、かなり端っこでつくられた作品なんだろうな。

(C)Karine Arlot
(C)2008 Focus Features LLC. All Rights Reserved.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月20日 (木)

■0920■

松屋銀座、『ベルサイユのばら』展へ。
Cabu4psb左は、物販コーナーにあったポップのひとつ。ポップは、どれもマニアックで楽しかった。

僕は、1979年公開の実写映画で、初めて『ベルばら』に触れたので、漫画を読んだのは、中学生になってから。
会場は、生原稿の展示がメインで、ストーリーをダイジェストで追えるようになっていた。オスカルに求婚するジェローデル大尉が「人の心に、命令はできませんぞ」と言っていたのは覚えていたが、「人の心に命令はできない」は、オスカル自身のセリフだったのか。
この言葉を、ひさびさに会場で見て、胸が震え、もう少しで涙が出るところだった。

男性として育てられたオスカル、平民と貴族の出自の差に悩むアンドレをはじめ、フェルゼンとマリー・アントワネットの浮気を泣きながら許すルイ16世にいたるまで、『ベルばら』は、心の自由についての作品だったのだなあ……と。
池田理代子さんのインタビュー映像も流れており、「人の心に命令はできない」というセリフは、早い時期から、オスカルに言わせるつもりだったようだ。

僕は、小学校6年生まで、髪を長く伸ばし、男と認識されることに抵抗していた。中学進学と同時に髪を切り、男子の制服を着せられ、僕は「男のなりそこない」になった。


中学時代は、体育の授業がつらく、特に、水泳は積極的にサボった。
高校になると、野球部の生徒が、教師たちから優遇されていることを知った。その野球部の部員や、体育のできる他クラスの生徒からマークされた僕は、ケガをしない程度にいじめられていた。
体育のできる生徒は人気があり、同調圧力もあったから、昨日まで一緒に弁当を食べていたクラスの者が、「廣田といっしょにいたら、巻き添えをくう」とばかりに、いきなり口をきいてくれなくなったりした。

……俺は、生徒会活動に精を出していたし、恋愛もしていたから、放課後や文化祭は楽しかったけどね。生徒会と恋愛がなかったら、たぶん登校拒否になってたんじゃない?

だけど、「体育が得意」というだけで、こんなにも大いばり出来て、裏でどんなに陰気なことをやっても帳消しになるのかって、身をもって痛感したのが高校時代だった。
だから、先日の日記()に書いた警官のようなヤツを、僕は心のそこから軽蔑している。間近で怒鳴りあってみて、実感したよ。「コイツとケンカしたら、確実にコイツが勝つ。それが分かっているから、コイツはいばってられるんだ」って。

どんなに怪しい外国人でも、「こいつに殴りかかられたら負けるかも知れない」と思ったら、警官は応援を呼ぶだろう。だけど、僕らは、ナメられたんだよ。「2人がかりで来られても、勝てるぞ」って。
(友人は別だが)僕は「男という生き物」として、不合格なわけ。高校時代に、それは決まっていたと思う。僕が体育の得意なヤツから、力いっぱいボールをぶつけられても、大部分のクラスメートは、見てみぬフリだった。

僕の場合は、生徒会役員に立候補したりしていたから、「いじめられている」というほどではなかったのかも知れない。ただ、肉体の優劣が、構造的に差別を生み出すのは間違いない。


警官に呼び止められて感じたのは、「日本にも、人種差別はあるんだな」ということ。こんな当たり前のことに今さら気がついて、外国人の方たちに謝りたい。
友人はペルー出身だから、目鼻立ちがくっきりしている。書くのもくやしいけど、それが呼び止められた理由だろう。僕らのほかに、外国人は何人も通ったけど、みんな白人なわけですよ。国籍ではなく、外見で彼らは許されている。
『クラッシュ』という映画に、相手が黒人というだけで「ちょっと事情聴取してやろうか」ってセクハラする白人警官が出てくるけど、深川署の警官も、まったく同じだよ。

『扉をたたく人』という映画では、アラブ人の青年が、何の理由もなく地下鉄で警官に捕まるけど、同じことが日本でも起きてるんだよ。いちばん薄汚いのは、外見で人を疑うお前たちだろう?
警察官は「体育ができるから優遇されている生徒」のなれの果て。ただ優越感にしがみついて生きているだけの、哀れな生き物。「人の心に、命令はできない」。この言葉を、深く胸に刻んでおこう。


一ヶ月ほど前、広島県の三良坂きのこ産業が、基準値ごえのシイタケを流通させてしまったが、今度は静岡県の食品加工会社、大塚フードから出回っている。
今年二月の回収から漏れてしまった汚染シイタケが、新潟県その他に出回っているらしい。「らしい」というのは、一体どこに流通してしまっているのか、静岡県が教えてくれないから。

厚生労働省や農林水産省は、「基準値ごえの食品は市場に出回っていません」というパンフレットを作っているけど、出回ってるじゃん! 食品メーカーや県に電話してみ? ろくに検査してないことが分かるから。
今回も、一般市民が独自に測定して、やっと発覚したぐらいだよ?

俺は、こんなズサンでデタラメな官公庁や食品業界の仕事を認めてないし、こいつらが楽をしたお陰で寿命を縮めたくないから、汚染食材を避けている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月18日 (火)

■0918■

本日は、友人が警察官から侮辱されたので、そのことを書きたいと思います。
明治大学のレナト・リベラ・ルスカ講師は、ペルー生まれのイギリス人で、日本のアニメを海外に広めるため、国内外で取材をしている仲間です。
石黒昇監督のご存命中、大学の学生たちをアニメ・スタジオへ見学に行かせるなど、積極的に活動しています。


本日は、レナト氏と2人で、東京都現代美術館へ向かいました。
ところが、美術館の前では、外国人男女数人のグループが、「やれやれ」と肩を落として、帰ってきます。
昨日月曜が祭日だったため、美術館は閉館だったのです。私はリサーチ不足をレナト氏に詫び、地下鉄の駅へ引き返すため、2人並んで、ゆらゆらと歩きはじめました。

レナト氏は三鷹駅前で、警官に呼び止められた話をしはじめました。
彼が、普段から自転車で行動していることは、よく知っていましたが、その日は「この外国人は盗んだ自転車に乗っている」と警官に決めつけられたので、ちょっとキレてしまったという話を、笑いながらしてくれたのです。

僕らが道で笑っていると、背後から警官が近寄ってきました。
20120918_161020359深川署・現代美術館前交番の田村一樹という、若い巡査でした。彼はレナト氏の外見を見ただけで「不法滞在している外国人かも知れないし、犯罪にかかわっている可能性もあるから、身分証を提示してほしい」と言うのです。

そのくせ、自分が警察手帳を見せるのは、ゴネました。
「いま、警官の職務質問がYouTubeにアップされてるから、撮影は別問題」と田村巡査は言っていました。なるほど、他人を疑うくせに、自分の言動は記録されたくないのか……。
僕は、スマホをビデオ録画モードに切り替えました。そこから後の会話は、すべて録音さているし、田村巡査の顔も、ちゃんと撮影されています。
ただ、ここでは顔はUPしません。上の写真は、動画データからキャプチャしたものです。


虎の威をかる狐との押し問答は、20分近くに及びました。
田村巡査の言いぶんは、「外国人には、身分証を見せる義務がある」の一点張りです。「何もしてないのに、そんな必要はないだろう」と、僕が怒ると、田村巡査は「ここで見せないということ自体、疑わしい」と言います。

あげく、(ここまでレナト氏をかばうのなら)「あなたの身分証も、提示してもらわなくてはならない」。「身分証を見せない場合、罰金を払ってもらう」。「ここで話をするのが嫌なら、交番まで来てもらう」。「どうせ、あなたたち2人は、一緒に暮らしているのだろう」。

僕らはね、特撮博物館展を見にきて、閉館だったことを知り、心からガッカリしていたんです。
そこへ後ろから自転車で寄ってきて、「身分証を見せてください」と言われたら、「一体なぜ?」と理不尽に感じますよ。
僕は、「美術館に行こうとしたが、閉館だった。だから、帰る途中なんだ」と説明しましたが、「あっそーですかー」「ふーん、ふーん」と田村巡査は、まるで信用していません。

根負けしたレナト氏は、ついに身分証を見せました。「ありがとうございます」と口では言いつつも、田村巡査の表情は変わりません。人を信じてない目。虫を見るような目。
「外国人の方は、これからも、ご協力をお願いしますよ」と田村巡査が言うと、レナト氏は怒鳴りました。「協力というのは、お互いにするものでしょう? いま、あなたは僕の時間を無駄に奪っただけで、何もしてくれていない!」
「いえ? 身分証を見せていただいんだから、協力ですよ?」……権力の最下層、ションベン臭い場末のお巡り風情ですら、こういう考え方をしている。相手を屈服させることを「協力」と信じ込んでいる。いま、日本の自治体、官公庁、学校、すべて同じ考えをしている。 


「あなたは、人間として、どんな世界が理想だと思っているの?」 レナト氏が聞くと、田村巡査は「(理想の世界など)そんなもの、ない」と答えました。そして、付け加えるように「犯罪の起こらない町」。――いま、録音データを聞きながら書いているが、違うよ。犯罪は、君たち警官がつくり上げるんだ。間違いない。
お前たちが、この狭い日本を切りきざみ、あちこち立入り禁止にし、みんなをストレスの渦に叩き込むんだ。

レナト氏は、「体格のいい外人は、僕のような目には合わないんだよね」と、寂しそうに笑いました。
確かに、田村巡査は、すぐ横を通りすぎた背の高い白人を、無視しました。僕は、レナト氏が外見だけで疑われたことが、心の底からくやしい。涙が出る。

彼は「日本が好きで、この国にいるはずなのに」と呟く。だからこそ、今日だって特撮博物館に行こうとしたんだ。日本語だって、漢字を書けるぐらい勉強したんだ。
そんな彼を、お巡りは犯罪者扱いした。外見だけで。

僕は、日本という国から、宣戦布告されたような気分なんです。

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2012年9月16日 (日)

■0916■

オトナアニメCOLLECTION いまだから語れる80年代アニメ秘話 ~美少女アニメの萌芽~ 26日発売
T02200312_0588083312183822191
●美樹本晴彦×垣野内成美 対談 聞き手
僕は記事を書いたのではなく、対談時に聞き手をして、最終的に原稿をチェックしたのみです。原稿は、オトナアニメ本誌の編集さんが構成したそうで、よくまとまっています。

だけど、聞き手としては上手くなかったですね。
セル画・フィルム時代のことを書くなら、氷川竜介さんが「ニュータイプエース」に連載してらっしゃる『宇宙戦艦ヤマト 温故知新』、あれぐらい知識がなければいけない。本当は。
やっぱり、まだまだ勉強しなくちゃいけないんだよ。


昨夜のニコニコ生配信()は、評判よかったみたいだね。
富野由悠季監督は、何を見ても「あっ、これって○○だねえ」と好奇心を隠さない方です。すごい作品をつくっている監督さんは、だいたい多弁だし、いろんなことに興味をもって、遠慮なく質問します。
ティモ・ヴオレンソラ監督もキュートな方で、配信後に別れるとき、大声で「バイバイ!」と両手をふってくださいました。
作家は、やっぱり色気がないとね。

だけど、ニコ動のコメントを見ながら話を進めていくのは、かなり面白かった。機会があれば、またやってみたい。


レンタルで、『ソーシャル・ネットワーク』。
337475view001マーク・ザッカーバーグが、女の子にフラれて、失恋の腹いせにFacebookの原型をつくり上げるプロットが、何より素晴らしいよね。男は、フラれるたびに童貞に戻る。童貞に、怖いものはありませんから。
体育会系のエリートどもを出し抜くのも、爽快だったよなあ。

ザッカーバーグ本人が、Facebookの中での出会いになんて、まるで興味を持っていない点もよかった。
そもそも、彼は自分のアイデアに熱中しているだけで、有名になりたいとすら思っていない。「オッサンたちのつくった枠組みの中で、いくら偉くなってもしょうがない」ってスタンス。才能はあるけど無欲な若者が、結局はオッサンたちを動かしていく。
日本の一部でも、すでに近いことは起きはじめている。

ところが、ちょっと調べてみたら、実在のザッカーバーグには、大学時代から同棲している彼女がいたらしい。……現実は、そんなもんですかね。
だけど、俺は信じるよ。得恋は行き止まりだが、失恋はクリエイティブだ。

映画のラスト近く、ザッカーバーグは「あなたは最低の人間ではないけど、そう見える生き方をしているわ」と言われる。余計なこと、言うなよ。


ニコニコ生配信から帰宅後、近所のガールズバー、吉祥寺のガールズバー、セクキャバとハシゴ。

セクキャバは、やっぱり過激なテクニックのある子が人気なんだな。当然のように「ドリンク頼んでいい?」「指名してくれない?」と甘えてきたので、断った。
それだけ図々しいヤツなのに、他の子たちは「○○ちゃんのテクニックには、かなわない」と萎縮してしまっている。それは不健康だよ。
僕はつい、自信を失っている子に、仏心を出してしまう。ひとりでションボリしている子がいたら、指名料が倍かかろうが、「君もおいで」と声をかけてしまう。「優しい人」って言ってもらえるけど、お金が出ていくだけで、何もいいことないですよ。

でも、夜遊びでも仕事でも、見ちゃいられないことってあるでしょ。

『ソーシャル・ネットワーク』で、ヘッドホンしながらPCでプログラム組んでいる横で、女の子たちがゲームしているの、あれ良かったな。パラダイスだよね。自分の人生には、ついに現われなかった光景だ。

ColumbiaPictures/Photofest/ゲッティイメージズ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月14日 (金)

■0914■

EX大衆 10月号 15日発売
Ex_taishu
●吉本りさ グラビアポエム執筆
何年ぶりかで、グラビアポエムを書きました。
写真も明るい感じだし、ページタイトルも「ラブタンバリン♪」と能天気なものなので、以前のセンチメンタルな癖が出ないよう、いろいろ気を使います。

ポエムにかぎらず、書き出しが決まらないときは、プラモデルを作るといいです。「パーツに触れる、組み合わせる」という、やや複雑な刺激を指先に与えると、脳が仕事してくれます。


昨夜は、レンタルで『夏時間の庭』。
Imagesフランス映画は、ひさびさだ。学生時代、友だちの彼女がエリック・ロメールの映画ばかり見ていたことを、思い出した。
……というか、40歳をすぎた芸術家肌の快活な長女役は、ジュリエット・ビノシュだったのか! 我らも、歳をとったのう。

僕は海外旅行したことないので、この映画に出てくるようなフランス郊外の緑なす広大な庭、19世紀そのままの骨董品の散りばめられた別荘のような家、老いた母の誕生日を祝うため、子どもと孫が集まって屋外でごちそうを並べる……などのシチュエーションに、心地よい距離感をおぼえる。

この家の主である老女は、芸術を深く愛し、3人の子どもたちに、貴重な骨董品を遺産として残そうとする。
子どもたちが忙しく都会へ帰ったあと、彼女は夕闇のせまった部屋に、ひとり座っている。外はまだ、ほんのりとグレーに染まった程度で、鳥の鳴き声がしている。そのシーンが、しっとりと美しくてね。
世界のあちこちを旅行し、美術館にも通い、歴史や美術に詳しかった母のことを思い出す。そもそも、母の実家はお金持ちで、お爺ちゃんの家の応接間はあきれるほど広く、大きなガスストーブが置いてあって、分厚いガラスの向こうの炎を、僕はあきずに眺めていた。
……そんな様々を思いおこさせてくれる、感傷的な映画。


『おおかみこどもの雨と雪』、三回目。
Sub5_large一緒に見た女性は、現役お母さん。話を聞いてみると、親と子の関係って過去ではなく、「今とこれから」の問題みたい。僕は親になれなかったので、親子関係を、過去形で語らざるを得ない。
細田監督は同い年なんだけど、かなり幸せな育てられ方をしたんじゃないかな。

もうひとつ、「花」と「雨」と「雪」は、名前としてだけでなく、現象として劇中で描かれる。
『羅生門』の冒頭だっけ、黒澤明が「このシーンの主役は雨だ」と言ったのは。キャラクターを食うぐらい、自然現象が存在感たっぷりに、描かれている。
つまり、文芸的にも映像的にも、物理現実との親和力が強い映画。雪が、おおかみである正体を自らさらすシーンでは、窓から吹き込む雨の力を借りている。
あるいは、雨が初めて本能的に狩りをするのは、雪の降った日だった。雨と雪の野生が、ある瞬間から、逆転していく。

……そんな屁理屈でしか、この映画にアクセスできない僕は、人の営みに追いついていない。『夏時間の庭』でも、似たようなことを感じた。
くやしいけど、「家族」は人格形成のルーツなんだろうな。

では、明晩20時、「富野由悠季監督×ティモ・ヴオレンソラ監督特別対談」()でお会いしましょう!

(C) 2008 MK2 SA-France 3 Cinema
(C)2012「おおかみこどもの雨と雪」製作委員会

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2012年9月13日 (木)

■0913■

輪廻のラグランジェ season2 21日発売予定
61hy7ehgmgl__sl500_aa300_
●ブックレット作成
今シーズンからは、「Lagrange Log」と題して、絵コンテ分析やインタビューを中心にまとめています。次巻からは、原画も載ります。
テンプレっぽい構成かも知れないけど、作品の値打ちを丁寧に伝えるのが、一番の良心と信じる。

ただ、ほとんどすべてのアニメが「キャラ」寄りで消費される中、「作劇」にフォーカスを合わせることが、今のファンにとって幸福なのかどうか、考えてしまう。「キャラではなく、物語を見よ!」と言ったところで、いったい誰が救われるのだろう?


物語がなくても、ひょっとして映像がなくても、「キャラ」は成立できてしまう。むしろ、文脈を積極的に排除した場所にこそ、「キャラ」という商材は、うってつけに思える。
「お話は分からないけど、このキャラは好き」という人を、「読解力がない」とバカにできるのだろうか? 誰をいくらバカにしたって、先へは進めない。

今夜で『夏雪ランデブー』が終わるが、「物語は、少女漫画の中になら残っている」とは、若い編集者の言葉。かつて、男が少女漫画を読むには、勇気と理論武装が必要だった。
アニメや漫画を擁護する人たちは、ある時期、インテリばかりだった気がする。みんな、誇りをもっていた。


レンタルで『クラッシュ』。クローネンバーグの変態映画じゃなくて、アメリカの人種問題を扱った群像劇。
322654view004白人絶対優位の街で、さまざまな立場の黒人たちが、それぞれに不愉快な思いをしている。しかし、彼らのひとりは中国人を差別しており、うっかり車で轢いてしまっても「とんだ迷惑だ」程度にしか考えていない。
ペルシャ人とメキシコ人は、互いが不当に差別されているのではないかと、疑心暗鬼になり……。複雑に絡み合う「負け組同士の共食い」構造は、気に入らない者たちを十羽ひとからげに「在日」「四流大学出」と切り捨てる今の日本と、決して無縁ではない。
差別するものは、必ずどこかで差別されている(と思い込んでいる)。

マット・ディロン演じるレイシストの悪徳警官が、かつてレイプ同然のセクハラをした黒人女性を、命がけで救助するくだりは「白人専用の性善説」(ハリウッド映画によくあるよね)を起用していて、鼻白む。
だが、マット・ディロンの差別主義に嫌気がさして、彼とのチームを解消する白人警官の末路は、かなり複雑だ。
ひとりでパトロールするようになった彼は、自暴自棄になった黒人(実はセクハラされた女性の夫)を逃がす。その後も、自動車強盗をしていた黒人の若者を、それと知らずに車に乗せ、ホッケーの試合会場まで送ってやろうとする。だが、黒人の彼のポケットからは拳銃が見えている……少しずつ会話がズレはじめ、カッとなった白人警官は、反射的に黒人を射殺してしまう。

その後、白人警官は自分の車に火を放って、いずこかへ消える。まるで、「最底辺の椅子とりゲーム」を見せられたかのような、後味の悪さ。
現実が怖くて直視できない人は、いろんな国の、いろんな映画を見てみよう。気分転換ぐらいには、なるかも知れない。


ここ数日のアクセス解析を見ていたら、東京都が「大兼文喜 産地偽装」で検索してきたり、農林水産省が「米 産地偽装 告訴」で検索してきている。ちょっと、意味が分からねえ。
お前らが産地偽装業者を処分しないから、素人の俺が告発するより仕方なかったというだけの話だよ。特に、農林水産省とはメールをやりとりした仲だが、汚染食材をバラまく以外に、何か仕事してるのか? 

大変不愉快なので、明日は女性と『おおかみこどもの雨と雪』を見に行ってくる。(相手はキャバ嬢ではありません) 試写会ふくめて三回目、明日でラストとしたい。

(C)2004 Bull's Eve Entertainment.All Rights Reserv

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月11日 (火)

■0911■

映画『アイアン・スカイ』公開記念! 富野由悠季監督×ティモ・ヴオレンソラ監督特別対談
Imagesca8z4w3d
9月15日(土)21時20時より、ニコニコ生放送にて配信。司会進行は、私がつとめさせていただきます。
富野監督に怒られるよう、あえて頭の悪い質問を、進行台本に書いてもらったんですけど、さて、どうなりますか。


ようやく、長い仕事から解放されたので、レンタルで『ロボジー』。
006『紺野さんと遊ぼう』で、吉高由里子を知った者としては、あの“キモい吉高”をひさびさに堪能できて、大満足。
髪の毛はグシャグシャになっていくし、目の下にクマはできるし、メイクも悪のりしている。比例して、演技も絶好調にキモくなっていき、後半はすごく楽しい。

ロボ映画としては、かなり雑。しかし、理工学部の学生たちが、着ぐるみにすぎないロボジーを「こういう構造に違いない!」と、勝手に分析していくプロセスには興奮した。まるで、モビルスーツの設定を「こういう兵器体系になっているに違いない」と、膨大な知識と妄想で固めていくマニアにそっくり。
やっぱり、こういう人種は必要だなー、と痛感させられるよ。
学生たちのロボジー解析が功を奏して、ロボジーMk-Ⅱが開発されるが、オチはくだらないので、書かない。かなり、工学とか科学とかをバカにした映画に思える。

『未来のイヴ』は、逆なんだよ。恋人に話をしているつもりが、その話し相手は、実は恋人そっくりに造られたロボットだった……というオチに、背筋が寒くなるほどのリアリティがあった。
価値観が「ゴロン」とひっくり返る瞬間さえあれば、『ロボジー』もSF映画になれたんだろうな。


「TVタックル」に出演した、池田信夫の発言。
「地震が起きたら、原発よりもまず、津波で32万人死ぬわけですよ。地震と津波でね。その中で、原発事故ってのは、マイナーな事故に過ぎないわけですよ」。

川崎市・阿部孝夫市長は、放射性セシウムが含まれていると判明した食材を、給食に使うと宣言()。
「危険の中で生活していることを子どもたちが知ることが大事だ」
「このレベルでビクビクする教育をすることが間違い」
「道路では車にぶつかる危険性があり、すれ違ったあかの他人に刺される可能性もある。だから人とすれ違うな、と教育しますか?」

……以前から、原発容認・放射能安全を公言する人は、「極度に、生命を軽んじる」傾向にあると感じていたけど、これでハッキリしたね。

こういう人たちに、「じゃあ、あんた自身が、原発事故や放射能汚染で死ぬとしたらどうだ?」と聞いてみると、「人間、いつかは死ぬ」などと、あきらめのどん底からの殺伐とした回答しか出てこない。「たとえ自分が死ぬことになっても、自分より若い者たちは生かしたい」という発想が、そもそも欠落している。
「生きていく」ことに対して、覚めきっている。理想も希望もない。ただひたすら、現状維持。老いも若きも関係ない。ドン詰まりの人間は、昨日までの現状を維持する以外、残された道がない。幸せになる道を、あきらめた連中さ。

とりあえず、川崎市長には、抗議メールを送っておきました。
だけど、川崎市長にかぎらないよ。食品業界、農林水産省、厚生労働省、文部科学省、みんな「この程度でビクビクしなさんな」と、子どもたちに口を開かせている。
てめーらのあきらめに、選択権のない子どもたちを巻き込むなって話だよ。


でも、抗議メールなんて、相手のルールのなかでのことだから。そういう抵抗のしかたも含めて、もっと新しいやり方を、模索しないといけない。

若い編集者と長電話して、「とりあえず、前の世代から受け継いでしまった価値観を脇に押しやらないかぎり、何をやっても進歩しない」と確認しあった。
「今やれることを一歩一歩」なんて甘いことではなく、ある瞬間をつかんで、何もかも捨てた時に、オセロゲームのようにパーッと一気に裏返っていくんだよ。

(C) 2012 Blind Spot Pictures, 27 Film Productions, New Holland Pictures
(C)2012 フジテレビジョン 東宝 電通 アルタミラピクチャーズ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年9月10日 (月)

■0910■

日曜は、地元の祭。
Ca6aceej駅前にいくと、近くに住む友人の家族と会った。息子さんは、彼そっくりの笑顔だった。今から、子ども神輿を担がせに行くという。

町の空気が違う。このような日には、風のゆらぎひとつさえもが、完璧に思える。


僕に近づいてくる若い人の動機は、なんとなく、パターンが決まっている。
最も多いのが、「この程度のヤツなら、俺にも倒せそうだ」というもの。彼らは、なるべく低い跳び箱をさがしていて、「こいつなら、楽に跳べそうだ」と値踏みする。
そして、たいていは密かに「廣田さん、僕の勝ちですよ」と勝利宣言して、こっそりと去っていく。勝利宣言の最たるものは「相手にしなくなる」こと。
恋愛でも仕事でも、熱心に追い回していた相手を、ある日、急に「手ばなす」。これで勝利は手にできる。
勝つためには、「相手を見かぎる」のが最も手っとりばやくて楽ちんで、かつ効果のある方法である。

「どうしちゃったんですか?」という言い方も、相手に屈辱感を与えるのにもってこいなので、覚えておくといい――僕自身は、誰にも使ったことはないし、使うつもりもないが。
「どうしちゃったんですか?」は、「私は正常なままだが、あなたは理解不能な領域へ行ってしまいました」と、優劣が逆転したことを相手につきつける。不必要な丁寧語が、気に触るよね。

先日の「石黒昇監督を送る会」の帰り、友人といろいろなことを話しながら帰った。
僕らが、たまに出会う若い人たちとの間には、かなり明確な断絶がある。若い人たちは、あきらめが上手い。
「あきらめまい」とあがくのが、僕の世代からすればカッコいい。だが、この「あきらめまい」は、上の世代から借りてきた価値観に、すぎないような気がする。

僕らと僕らより上の世代には、いわば安全協定みたいなものがあって、その中で綱引きをしているだけではないのか?
ジジイたちは、絶対に自分の生命権が侵されることはないと信じきっているから、僕らが何をわめこうが、まるで脅威に感じない。


脱原発デモや官公庁への抗議活動に行くと、年上の人が多い。
僕は45歳で、頭もハゲているのに「若い人」と呼ばれてしまう。それが、古い世代のつくったリングの上でしか戦えていないという、何よりの証拠だ。ルールは、とうの昔に出来上がっているのだ。
出来上がったルールだから、警官や機動隊に、あっさりと包囲される。予定調和なのだ。警官たちの挑発のパターンも、逮捕への流れも、60年代のマニュアルどおりだという。
デモで自己主張の仕方を思い出すのはいいことだが、決められたリングの中でしか動けていないことは、よく知っておかねばならない。
リスクをおかすのは構わないが、マニュアルどおりに逮捕されるのなんて、俺はイヤだ。

脱原発デモは、何十年も前につくられたルールを、愚直にトレースしている。座り込みやハンストも、きわめて二次元的な戦い方でしかない。
もっと、思いもよらない角度、次元から攻めなくてはならない。いや、攻めずして相手を倒す、倒さずして滅ぼす方法があるのだろう。それこそ、「相手にしない」ことで、相手は自滅してくれるのかも知れない。
本当の意味で「若い」人たちは、その不可視の方法を、探りあてはじめている。彼らは、デモになんか来ない。選挙にも行かない。老人たちのつくったリングには、彼らは近づこうともしないのだ。選挙制度なんて、老人に最も有利なように、しつらえられているんだから。

僕は、若い人を最前線に立たせることを恥に思い、勝手に責任を感じている。
だが、頭がよく勇気のある若者は、リスクをものともせずに綱渡りをして、ちゃんと帰ってくるのだ。僕の知るかぎり、彼らは「勘がいい」としか、言いようがない。


何よりも大事なのは、人に認められることだ。
親に愛されなかった者には、得恋が必要だ。恋愛でなくとも、誰かに「お前は、すごい男だ」「俺たちには、お前が必要だ」と認められるだけで、もう世の中を恨む必要はなくなる。

誰からも認めらなかった者は、知識や思考で、優越感を得ようとする。それにすら失敗すると、何はともあれ「自分より格下」の人間たちをプールし、コレクションし、「あいつらよりはマシ」と思うことで、心のバランスを保つしかなくなる。

その過程で、心はどんどん冷えていく。愛され、認められるチャンスは閉ざされていく。
「あなたは、他人にされたくないことを、他人にしてしまっている」。大学時代に、僕をふった女性の言葉だ。そう言ってくれただけでも、彼女には感謝している。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年9月 8日 (土)

■0908■

「石黒昇監督を送る会」に、出席してきました。
Cas9cada僕を招待してくださったのは、片渕須直監督です。会場の写真を何枚か撮ったのですが、記念冊子の表紙を載せるにとどめます。

手元にある、日経BP社「メガゾーン23 マニューバ・ブック」の発行日は2007年4月9日である。
僕は、この本で初めて、石黒昇監督にインタビューした。ということは、たった、5年間のお付き合いだったわけだ。
「マニューバ・ブック」を出した後、新宿ロフトプラスワンでのトークイベント「メガゾーン23 リバイヴ!」を企画・司会し、石黒監督にも出演していただいた(他の出演者は柿沼秀樹さん、冨永みーなさん、本田保則さん)。
そのイベント以降、「スタジオに、遊びにおいで」と誘っていただくようになる。アートランドまでは歩いて行けるので、僕は「同人誌の取材です」「ファンを紹介します」など、いろいろな理由をつけては、アートランドに通いつづけた。

『マイマイ新子と千年の魔法』の吉祥寺バウスシアターでの上映に、石黒監督が駆けつけてくださったのは、2010年春。
上映後の飲み屋で、片渕監督との「ヤマト対談」が実現した。そのときに生じた両監督の縁が、今回の「送る会」に連鎖したのだから、人と会うこと以上に、「人と人を会わせる」ことも大事なのではないかと、漠然と思う。

果たして、僕が石黒監督に紹介した友人・知人たちは、自由気ままに枝葉をのばし、僕の知らないところで、監督と交友を深めていった。


「仕事」として、石黒昇監督にお会いしたのは、双葉社「グレートメカニックDX13」の「グレメカ人生波止場 第七回」。2010年6月15日発行。
Ca7z6rkxこれが二度目にして、最後のインタビューだった。
この時は、取材に同行したカメラマンが、撮影データを無くしてしまった。だから、カメラマンが、後からひとりで撮影しなおしに行った。編集からは「廣田さんも同行してよ」と頼まれたけど、「カメラマンのミスなのだから、僕は関係ない」と意地を張った。
出来上がってきた監督の写真を見ると、いやな顔ひとつせず、笑顔ばかりだった。

その程度で、怒るような方ではなかったのだ。
僕は、自分の狭量さを恥じ、その次にお会いしたとき、お詫びした。


いつの頃からだろう、監督からは「家にいるのが気まずくて、スタジオに来てます」「こっちが忙しくなる前に、話しに来ませんか?」と、メールが来るようになった。
何しろ、歩いて行けるほど近いので、よく出かけていった。

僕は40歳をとっくに過ぎていたので、「大きな仕事ができるとしても、あとひとつかふたつでしょう」と言うと、「その歳で何を言うやら……」と笑われたことがあった。
個人誌に書いた小説を、丁寧にほめていただいたことがあった。母が死んだ後、焼肉をおごっていただいたことがあった。

頭をはなれないのは、アートランドから武蔵境駅前へ向かう道、小さな店の櫛比する夕暮れの雑踏。監督は歩く速度をゆるめ、何度か僕のほうを振り返った。
そのように、僕に話しかけようとしては、フッとやめてしまう瞬間が、実は何度かあった。多弁な監督が言葉をつまらせる瞬間、余白のような時間。「あのとき、何を言いたかったのだろう」「どんな気持ちだったのだろう」と想像できるのは、嬉しいことだ。
あるいは、そういう瞬間こそ、僕のほうから話しかける必要があったのかも知れない。


昨夜の会には、石黒監督の遺作といってもいい『エンジェルスキャンディーズ』()の声優さんたちも来ていた。
この作品のことを、監督は「長年やろうとしていことが出来て、とにかく楽しい」とメールに書いてらした。

スピーチの中では、小原乃梨子さんの話してらしたことが、自分の心境に最も近いと感じた。すると、帰りのエレベータの中で、小原さんと2人きりになることができた。
おかげで、素晴らしいスピーチのお礼をいうことができたのだが、このとき、小原さんが、ちょっと不思議なことをおっしゃった。内容は、ここには書かない。

僕は、人の死はおろか、生にすらきちんと対面できていないのではないかと、焦りに似た不安をおぼえた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月 7日 (金)

■0907■

Hirota_2
マチ★アソビのトークイベント、正式発表となりました。→
ただ、細かい時間などは、まだ決まっていません。もしゲストの小此木さんが来られなくなったら、また話し相手を探さなくてはいけない。
(このバナーは、GIGAZINEさんが写真提供してくれて、ufotableさんが作ってくれました。)

最近は、「書くより話すほうが早い」と思うことがある。話していると、もともとトロい思考を、口の動きが追いこしてしまい、「酔っぱらって言葉が出ない」のと、逆の状態になる。
その瞬間は、脳内麻薬物質が出ているのが、はっきり分かるよ。うっとりと気持ちいい。だけど、自分が何を話しているのか、0.5秒ぐらい遅れて確認しなくてはいけない。

ボケの兆候なのか? マグネット・コーティングする前のガンダムになったような気分。


その感覚の変化には、仕事のローテーションも影響していると思う。
まず、来週しめきりの超ロング・インタビューの仕事が最優先。なのに、「明後日までにお願いします!」とグラビア・ポエムの仕事が、何年かぶりに舞い込んでくる。あるいは、2時間のインタビューの聞き役だけ、という仕事も来る。
また別のある日、打ち合わせの帰り、「ちょっとだけ飲みましょう」と誘われる。飲んでしまうと、寝起きの一時間の感覚が鈍っているのが、はっきりと分かる。

昨日は、打ち合わせで決まったばかりの原稿を、帰ってすぐに、書きおえてしまった。
あれこれ終えると、またロング・インタビューの仕事に戻る。そのたびにリセットがかかり、特にインタビューイの声を聞いていると、相手の人格が憑依したような錯覚をおぼえる。
だって、その人が体験した何十年かの出来事を、4時間に凝縮して語っているわけだよね。その4時間をさらにICレコーダーで再生して、文字に置き換える。その作業に、二週間ぐらいかかっている。時間を遡行しつつ、違うことを同じ時間にやっている。

何十年かの時間のうち、インタビューイと共有したほんの4時間を、二週間に引き延ばしつつ、僕はトイレにも立つし、メシも炊くし、寝なくてはいけない。
音声データの向こうでは、インタビューイが、ほとんど神がかったことを語っている。だのに、僕は生理現象に左右されている。
「どれが本当の時間なんだ?」と、迷路にまよったような気分になる。


それで、ある脚本家の方に酒に誘われて、ひさびさに外食したわけです。
僕としては、「汚染度の高いキノコ類だけは、食べたくないです」と希望しました。すると、カウンターにひとりで座っている女の子が、「シイタケください」って注文しているわけですよ。
僕らが帰るとき、その子は、キリッと俺の目をにらんだわけだけど。

結局、原発事故と放射能汚染を無視するのか、気にするのかは生き方の問題でしかない。つきつめると、思想でも政治でもなく、生き方に集約されていく。
「たとえ放射能が遠因となって死のうとも、いまこの瞬間を楽しみたい」という人は、それが自らの意志で選びとった生き方なのだろうから、好きにすればいい。

ただ、大人が汚染食材を気にせず食べるのは自由だけど、選択の余地のない子どもたちに食べさせるのは俺はイヤだ、ということだよ。
それを許してしまう人とは、ともに生きられない。


今夜は、「石黒昇監督を送る会」がある。場所は吉祥寺だから、監督をタクシー乗り場までお送りした夜のことを、きっと思い出すだろう。
この会に来なくとも、遠くから監督のことを思い出している人は、いる。それがその人の愛情の持ち方だから、無理に「来い」とは言えない。

Webラジオ『リリアード音楽学院』で、石黒監督について、あれこれ。→
人の死を、こういう風に、繊細に受けとめられるようになりたい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年9月 3日 (月)

■0903■

チャンネルガイド 9月号
1
●『一発必中!! デバンダー』記事
笹川ひろしさんと大河原邦男さんのコメントとプロフィールを、まとめました。
他誌との合同取材だったけど、大河原先生は、アニメ専門誌でも取り扱いの難しいような、深い話をしてくださった。
それは、一回きりの作品とシリーズ作品とでは、登場するメカのカテゴリが違うんだという話。例えば、一回きりの作品では、ギャグ系のロボットは出せても、リアル・ロボットは出せない。シリーズの長さと、デザイン・コンセプトの密接な関係。
こういう貴重な話は、さて、どこに載せられるのかな……と考えてしまう。


ちょっと前に、「起きてすぐに書きはじめると、冴えた気分で書ける」と言ったけど、それは一種のアンチ・エイジングであって。
10年ぐらい前は、文章は粗かったし、思慮も浅かったけど、24時間ぐらいぶっ通しで書いていたような気がする。
昔の雑誌を読み返すと、とにかく荒っぽくはあるのだが、仕事の量だけは格段に多い。45歳なら45歳なりのペースで書くのと、体力のあるうちに猛然とダッシュするのと、どちらがいいとも悪いともいえない。
いずれにしても、「これから自分は、劣化していくかも知れない」ぐらいは覚悟して、その対策もこみで、仕事を請けるかどうか、決めなくてはならない。

僕は「文章力」などという根拠薄弱な概念はアテにせず、ひたすら体力のことだけを考えている。

それと、一緒に仕事している人同士のモヤモヤは、やっぱり電話で早めにカタをつけたほうがいいね。
「絶対にお願いしますから」と頼まれて、一ヶ月も連絡なかったら、「こりゃあポシゃったな」と思うでしょ。ところが、忘れた頃に「やっと取材日が決まりました。明後日です!」とかメールがくるわけ。そこまで引っ張られて急かされると、もはや仕事ではなくてトラブルだから、未然に防がないといけないね。

……とまあ、こういう実戦的な話を、若い人たちにしておきたいけど、機会がない。
マチ★アソビの「アニメの単行本をつくるのはこんなに大変? 『俺の艦長』出版直前トークショー!」は10/8です。→
土曜日の阿佐ヶ谷ロフトAの前夜祭でも、告知タイムもらえるかも?


インタビュー原稿をまとめる合間に、ほぼ毎日、何かしら打ち合わせが入ってくるのですが……。

ワンフェスのトークショー以来、以前よりプラキットを買うようになった。
Cad113ac『宇宙戦艦ヤマト2』に登場する、地球防衛艦隊の宇宙空母。
空母というからには、是が非でも、飛行甲板をつけてしまう発想が『ヤマト』です。
この最新鋭空母を率いるのが、老朽艦ヤマトというシチュエーションもカッコいい(空母ばかりで艦隊を組むのは、変な話だけど)。

『夏雪ランデブー』は、意地悪で、いじらしくて、なかなか気に入っています。
『坂道のアポロン』も素晴らしかったけど、あの演奏シーンを楽しみに見ていたのは、日本全国で何人ぐらいだろうね?などと、さみしい話をする。ブルーレイのリリースが終わったら、作品もそこで終わりなのか?
判で押したようにブルーレイの販促広告(のごとき記事)をつくるのには、抵抗がある。だから、僕は編集者と話しつづけるわけだけど、「作品をより多くの人に見てもらう」のは、結局は個人の仕事なのかも知れない。

とりあえず、編集と話してみて、意見の一致する仕事は、請けるようにしている。――というか、「やっていて自由を感じられる仕事」しか、請けてはいけないのだ。
僕は長い長いインタビューの、ようやく半分を終わらせたけど、仕事している間は、つねに開放感がある。窓が開け放たれている。すごい量だけど、ちっとも辛くはないのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年8月 | トップページ | 2012年10月 »