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2012年8月31日 (金)

■0831■

僕の原稿を待っている編集者には、ほんとうに申し訳ないけど、霞ヶ関へ行ってきた。
Caxxoz3h写真は経産省前抗議だけど、長居はせずに、あちこちの抗議活動を回ってみた。
昨夜、大阪市のがれき説明会の中継を見ていたのでね。あの、敵を目の前にした人々の、むき出しの怒りと悲しみが、ここにはないんだよ。

相手から遠ければ遠いほど、人は勇敢になれるという――。
だから、みんなネットに逃避する。情けない話さ。


結局、70年間も戦争がなくて、羊のように受動的な人間ばかりが育った結果、「何がどうなろうが、しょうがない」という風潮が、蔓延してしまったのだ。
私の母をなぶり殺しにした犯人は、「人間の致死率は100%」が口癖だった。「どうせ死ぬんだから、殺そうが病気で死のうが、たいして違いがない」というわけだ。僕はいま、日本人の多くに、似たような志向を感じている。

つまり、「大地震で人が死んでも、まあ、しょうがない」「放射能で何万人死んだとしても、俺には関係ない」「もし俺が死ぬような事態になっても、どうせいつかは死ぬんだから、あきらめる」。総理大臣から地方自治体の公務員まで、ざっと似たような考え方をしている。
放射能は安全です、原発がなければ日本は経済発展しないと言っている連中も大同小異、「まあ、しょうがない」という諦念が、根幹にある。

「三次元なんて興味ねーよ」と捨て鉢になっている若者たちは、ほぼ例外なく、放射能安全・原発容認。現実に対して興味がない・現実に期待してないのだから、マゾヒスティックに「どうにもならない」と、サジを投げている。
彼らは、政府の愚策を、無批判に支持する。現実が辛いことを熟知しているから、内心は不安でも、楽なほうへと流される。

おそろしいのは、未来なきニヒリストどもならまだしも、子どものいる主婦やサラリーマンまで、似たような諦念にとりつかれていることだ。
日本全体、学習性無力感()に甘んじているように見える――心当たりがないとは言わせないぜ!


知り合いのライターに仕事を回しているうち、だんだん僕の仕事が減ってきたような気がする。でも、あっさり他人に回せる仕事なら、何も僕じゃなくてもいいんだろう。

ある雑誌で、「今度、○○の特集をやります。廣田さんに、特集全体をまとめて欲しいんです」と頼まれたのに、とうとう正式な依頼が来ず、気がついたら、その○○特集が本屋に並んでいて、「あれえ?」となったことがある。
それ以来、「ぜひ廣田さんに!」と頼まれても、あまり信用しないようにしている。――悲しいけど、それがフリーランスという生き方なので、悲しんでいられない。

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2012年8月29日 (水)

■0829■

いま、とても長いインタビュー原稿をまとめているところで、当然ながら、スケジュールをたっぷりとってもらった。
一週間あったら、一週間みっちり使う……というのは、頭のいい仕事のしかたではない。以前に「こんなブログ書いてるヒマがあったら、原稿を進めてほしい」という編集者がいたが、ブログを書く余裕がなかったら、原稿を書く余裕だって、やっぱり無いのだ。

3日で仕事を上げるとしたら、僕は2日ぐらいはボーッとしたり、プラモデルを作ったりしている。どういうわけか、それでも、ちゃんとシメキリには間に合う。
モデラーの頃は、3日間、不眠不休で作業しても、散々な仕上がりになってリテイクが出た。だから、モデラーをやめたわけだ。その仕事を「読む」ことが出来なくなったら、やめた方が幸せだ。


「愛される」という言葉がうさんくさいなら、「可愛がられる」でもいいんだけど……愛された経験のない人には、人を愛することは難しい。

幼いころに理不尽な目にあった人を、責めることはできないのだけど、「お前は、いい子だね」と抱きしめられたことのない人は、意外と多いのではないか。「かわいい、かわいい」と頭をなでてあげないと、かわいい子には育たない――これは、別れた妻の言葉。
親でなくとも、誰かに優しくされた経験のない人は、誰かに優しくすることなんてできない。

放射能から我が子を守りたいお母さんたちを、何の恨みか、徹底的に嘲笑する人たちを見ていると、そんな業の深さを感じてしまう。
簡単にいうと、「俺は愛されなかったのに」という嫉妬を感じるのだ。何度も言うが、嫉妬は行動を支配し、ついには「生きる動機」にすらなってしまう。
(怒りや悲しみといった原初的な感情は、嫉妬を媒介して、嘲笑へと変化する。)

幼いころに理不尽を知ってしまった人間は、さらなる悲惨を、世の中に与えたがっているかに見える。実は、放射能が安全であるかなんてどうでもよく、この世の「愛し愛される関係」を、破壊したいだけなのではないか――「しょせん、世の中はどうにも変えられない」というニヒリズムを、より強固にしたいだけではないのか?

人生がつづくことの意味は、「まだ引き返せる」「まだ別の道がある」ことを見つけ出し、実践すること。「よりよく生きる」「多少はマシな人間になる」ことでしか、僕らは救われない。
恨む対象を探すことをやめ、改善すべき課題を発見せよ。


上記に関連して、メモ。
学習性無力感……長期間、回避不能な嫌悪刺激にさらされ続けると、その刺激から逃れようとする自発的な行動が起こらなくなること。

1.環境に対する積極的・自発的な働きかけが起こらなくなる
2.成功体験を学習することが困難になる
3.無力感や苛立ちなどの情緒的混乱が起こる


友人の退院祝いをかねて飲みに行くので、昨日の昼間は、きっちり仕事をした。

「今夜こそは、まっすぐ帰ろう」と思っていたのに、うっかり地元のガールズバーに寄ってしまった。そこは2時で終了なので、キャバクラに場所を移そうとするが、「嬢の数が少ないので」と断られる。
やむなく、最後の手段としてセクキャバに行く。セクキャバに行きたくない理由は、女の子が楽しそうではなく、したがって、酒もおいしくないからだ。
しかし、昨夜は、笑顔で過剰なサービスをしてくれる子がいて、なかなか良かった。「どうして、そこまでしてくれるの?」と聞いたら、「趣味だから」と笑った。「趣味じゃないと、こんなこと出来ない」とも言っていた。

こうして一晩、堕落してみると、「ちょっと気合い入れて、仕事しないといかんよな」と思うのである。

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2012年8月27日 (月)

■0827■

友人と、IMAXシアターで『プロメテウス』。
13歳の頃に見て、おそらくは『スター・ウォーズ』以上にショッキングだった『エイリアン』。それが、ついに一回りしたという、茫洋たるオッサン的感慨に打ちのめされる。
Prom057_large『エイリアン』公開の少し前に創刊された日本版スターログ誌では、ファンタジックな宇宙船のイラストなどが、誌上で通販されていた。
とても手の出る値段ではなかったが、そんな空想的なイラストを描いて暮らしている人がいるなんて、この世界は、なんて素晴らしいんだろうと、うっとり眺めていた。

『プロメテウス』で良かったのは、宇宙船のコクピットで、くたびれたシャツを着たクルーが、コンソールにもたれているカットだ。彼の右手には、コーヒーか何かの入った透明なプラスティック容器がにぎられている。そして、窓の外には、広大な異星の風景――。スターログが販売していたイラストそのままの、ロマンにあふれた「絵」だった。
結局、僕らはスターログに載っていたようなイラストを、可能なかぎり、リアルに見たいと願っていた。それを本当に見られたのかどうかは、ちょっと分からない。
少なくとも、『プロメテウス』がラスト・チャンスだったのは確かだ。

あの頃から30年がたち、世界も映画も、どんどん複雑になっていった。作品のテーマや演出なんて、気にもしたくなかった。夢やロマンをストレートに仕事にできるのが、SFX映画だと、本気で信じていた。

『プロメテウス』の美点は、沃野を目指して旅だって終わるところ。つまり、未完成である。続編があるとかないとか関係なく、「未完成である」。これは非常に重要。完成しない以上、SFX映画への夢は、永遠に消えないわけだから。
(ちなみに、『エイリアン』のテレビ放映時、「理屈も思想もない、ただし、怖くて美しい」と誉めたのは荻 昌弘さんだった。)


スターログ誌は、特集のタイトルもふるっていた。ロビー・ザ・ロボットの特集タイトルは「ロビーよ、お前がSFをダメにした!」 これほど、ロビー・ザ・ロボットへの愛情にあふれたタイトルはないし、嫌でもロビーという名前をおぼえてしまう。

今は、こういうタイトルは「ネガティブだ」と、却下されてしまう。
文化の豊かさは、すごい勢いで刈り取られていった。「すべてが広告にとってかわられてしまった」という気がする。


『プロテウス』を見てから友人と飲んで、夜中2時すぎだというのに、ひとりで吉祥寺までタクシーを飛ばしてしまった。ガールズバーと朝キャバをハシゴ。トイレで吐いてしまった。
そこまでするなんて、自分は幸せじゃないんだな、と思う。

最近は、誰と会っても、気味が悪いほど、似たような話題になる。
皆、それぞれに完成された人間だ。自分に不満があるなら、黙って努力する人たちだ。

20代のころは、金がなくて腐っていた。それでも、誰かしらが酒に誘ってくれた。
結婚していたころは、妻の監視の目があったので、それほど酒は飲まなかった。たまった不満を、ネットにぶつけていたような気がする。
結局、幸せの基準とは、どこまで目盛りを下げるか。どこまで妥協できるか? それに尽きるのかも知れない。ただし、目盛りを下げるには、社会が豊かでなくてはいけない。いまの社会に「余裕がある」とは、とても言えない。

電車の中で、自分の足元に転がってきたぺットボトルを、思い切り蹴飛ばしているジジイがいた。僕は、本当に不愉快になる。誰かに捨てさせるより、自分で拾って捨てた方が、どんなに気分がいいか、知らないまま何十年も生きてきて、知らないまま死んでいくのだ。
こんな社会が、豊かなわけがない。

(C)2012 TWENTIETH CENTURY FOX

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2012年8月23日 (木)

■0823■

某所から、映画『アイアン・スカイ』のプロモーションを手伝ってほしい、との打診。ゲストがビッグネームだし、「あんたしかいない」とおだてられたので、まずは試写会へ。
342492_007僕は『ガンヘッド』好きを公言しているせいか、「ゲテモノ好き」「B級好き」と勘違いされることが、たまにある。「ゾンビ映画、見るでしょ?」とか。
そういう流れのお誘いだったら、どうしようかなあ……と心配しながら見にいったのだが、意外や『アイアン・スカイ』、頭のいい映画である。
エンドロールまで見終わって、『アイアン・スカイ』という題名を思い起こすと、「あー、そういう重たい意味だったのね」と、ちょっと賢くなった気分が得られ、同時に暗澹たる気持ちにもなれて……。

具体例をあげてしまうと、もう面白くなくなってしまうのだが、まず、架空戦記モノを期待している人は、ちょっと肩透かしかも。「歴史を顧みない、幼稚なナチズム大絶賛映画だろ?」と思い込んでいる人、そう人こそ、見てみるべき。
『愛を読む人』あたりより、ナチズムやレイシズムについて(センチメンタルに陥ることなく)、よほど真摯に考えている。

だから、宣伝会社の人たちがナチスのコスプレして「ジーク・ハイル!」とかやっていても、彼らは何を言わんとする映画か、ちゃんと分かった上でやっているのでね。安心できてしまう。
どういうプロモーションを展開するかは、近く発表されるでしょう。


福島県いわき市での『マイマイ新子と千年の魔法』上映会から、一年が経つ。(当時の記事→
Img_3650_3お盆に、いわきに里帰りした友人が、現地で協力してくれた方と再会し、上映会のことを懐かしく話してきた……と聞いて、「ああ、そういえば」と思い出したのだった。
あの上映会は、確かに「やろう」と言い出したのは僕だったが、あとはすべて、他の人たちが勝手に協力し合って、出来たものだ。

『マイマイ新子』というアニメと、いわき市という場所、それらと僕との関係が無意識でつながれ、それゆえに、純度の高い時間を味わうことが出来た。
その、無意識のうちに流れていく時間の中に、たまたま、僕も立っていたという程度のことで。
意識して、あの精神状態に持っていこうとしても、それは人間には無理なのだと思う。

あの夏からこっち、僕の勘のようなものは鈍磨し、苦しまぎれな行動が多くなった気がする。
片渕須直監督からは、今年5月のいわき市からの帰還後、ちょっとやりとりがあった。そして、知らないところで、大変うれしい配慮をしてくださった。
どうして、そこまでしていただけるのか。話は、2010年春にまで遡る。一年後に、震災・原発事故が発生。二ヵ月後、初めていわきへ。僕は、ジグザクな道を歩いている。


手術で入院していた友人が、退院してきた。来週、退院祝いだ。
友人は、病院食のアンケートに産地偽装業者・大兼文喜の名前を書き込み、「食材に使わないように!」と毎日、訴えていたという。

ところが、産地偽装どころか、農林水産省は、すごいお達しを出した。→
汚染地域の食材が、よほど売れてないのだろう。ちゃんと測定すれば、福島県産でも0ベクレルの食材があるというのに。

農林水産省にはメールで抗議と質問をしたが、こりゃあ、街頭で抗議デモするしかないのか?
ちなみに、汚染しいたけの処理について、広島県は無視を決めこんでいる。


いわき市での上映会の最終日。
僕らが機材をまとめて、搬入口から帰ろうとすると、会場の事務手続きをしてくださった方が、夕暮れの中、ちょこんと座って、タバコを吸っていた。
「また、来てくださいね」と笑って、手を振ってくれた。今にして思うと、あのとき、裏口でタバコを吸っていた事務職のオジサンこそが、こんなクソみたいな国で、損得ぬきで仕事してくれた数少ない誠意ある大人だったのでは……。あの光景が、頭を離れない。

(C) 2012 Blind Spot Pictures, 27 Film Productions, New Holland Pictures

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2012年8月20日 (月)

■0820■

ホビージャパン 10月号 25日発売予定
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●ラグランジェ・アンヴェール Vol.5
今回は、レ・ガリテとデ・メトリオの主力機の比較……のはずが、本文はストーリーの補完になってしまいました。もうちょっと兵器のことを書きたかったのですが、それはキャプションで。

それにしても、マッドハウスがグロス請けした第6話の戦闘描写は、素晴らしかった。終始、望遠レンズで撮っているような、冷徹なリアリティが良かった。


定価の倍以上もしたけど、『マクロス7』の設定資料集を買ってしまった。
Ca16vpqdカラーページは美樹本晴彦さんのエンディング・イラストを、原画とセットで掲載。モノクロページは、すべて設定画に割いている(インタビューも少し載っているが、デザイナー3人のみという潔さ)。
画像は、それぞれ、十分すぎるほど大きい。宮武一貴さんの描いたレイアウトまで、堂々の収録……どうして、こういうソリッドな誌面を自分はつくれないのか、ちょっと落ち込んでしまう。

この本が届く少し前に、『俺の艦長』の原稿が、出揃った。
これから、本としての体裁をつめていくので、まだまだ先があるけど。
最後の文章は、二度に分けて書いた。ちょっとコツがある。眠くなると、文章の瞬発力が徹底的に鈍るので、そういうときは、さっさとPCを閉じて寝てしまう。
そして、目が覚めたら、なるべく視覚情報を入れずに(できるだけ目を閉じてPCのスイッチを入れる)、原稿に向かう。脳がリセットされているので、ゆったりした気持ちで文章を書くことができる。覚醒後、一時間が勝負。

徹夜しないと終わらない仕事だったら、そんなものを世の中に出されるのは、迷惑だ。
睡眠時間、遊び時間を確保したうえで、シメキリに遅れないこと。


日曜午後は、武蔵野市役所前から、三鷹駅までを往復するデモに参加。
Caui7alg思い切り自分の生活圏内なのだが、TSUTAYAのお姉さんが店の外へ出てきて、30人にも満たない隊列を、笑顔で見送っていた。バスの中から手をふってくれる人も、いっぱいいた。
地元デモに出ると、「官邸前に行くほどではないけど、原発には反対」という人が大勢いることが、実感できる。

このデモに出たのには、別の目的があった。
各地の産地偽装業者、汚染食材流通業者を取り締まるには、どうしたらいいのか? 相談相手を見つけるためだ。幸い、昨年の三鷹市放射能測定会でご一緒した西園寺みきこ武蔵野市議が、僕の顔を覚えていてくれた。
しかし、どうも刑事告発などのケンカごとは、縁が遠いので、力になれないとのことであった。むしろ、毎週、霞ヶ関に集まっている人たちの中に、一緒に戦ってくれる仲間が見つかるのでは……と、アドバイスをいただいた。

ひさびさに、文科省前抗議に行ってみるか。私の生きている間に、原発がすべて廃炉になることはない(廃炉作業には、20~30年ほどかかる)。
しかし、汚染食材と産地偽装は、「仕事」として最悪なんでね。何とかして、根絶したい。


帰宅すると、祭囃子が聞こえてきた。昨夜は、「三鷹阿波おどり」の最終日だったのだ。
Cau97ugn太鼓を叩いている若者の中には、「普段はライブハウスで演奏しているのだろうな」と思わせる雰囲気の人が多い。
一年かけて練習して、この夏の夜だけ演奏して解散……というのも、美しいのかも知れない。

路傍で、親につきあって退屈そうに踊りを見ていた女の子は、とうとうその場にへたり込んでしまった。親が差し出したお菓子を、うっとうしそうに手で払いのける。乾いた倦怠の時間。彼女の怒ったような表情を、街灯がぼんやりと照らし出していた。

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2012年8月17日 (金)

■0817■

2199版ヤマトのオマケに付いてきた、ガミラス三段空母。
Cam1df2b_2軽い気持ちで素組みしてみたが、こんなに難易度、高かったっけ? 接着位置などを「自分で微調整」する難しさは、まぎれもなく「模型を作っている」充実感そのもの。
メカコレ発売当時は小学生だったけど、むしろ小学生だからこそ、この難しさを楽しめたのかも知れない。

一日20話!というペースで『マクロス7』を見ている。『俺の艦長』執筆のため。
「誰にどう思われようと、俺の聞かせたい相手に、俺の歌をうたいたい」バサラの突き抜けた生き方に、心からしびれる。誰だって、こんな風にシンプルに、情熱的に他人とコミュニケーションしたいはず。
ミレーヌの、恥ずかしいほどベタベタな、砂糖菓子のようなルックスが好きだ。お互いに「バカ」と言い合える、恋愛にすら至らないバサラとの関係、愛らしい。

メカのアレンジ具合も、絶妙。ある部分はハードSF、ある部分は適度にアバウトな柔軟性ある世界観を、それぞれのメカニックとギミックが、うまく体現している。ありとあらゆる要素が、ロマンと冒険心にあふれている――この番組を中学時代に見ていたら、完全にノックアウトされていただろうな。
放映当時、僕は20代後半で、『マクロスプラス』にぞっこんだった。今は断然、『マクロス7』だね。キャラクターたちが、安易に「仲間だ」「友だちだ」と群れあわず、バラバラに自立して生きているラフさが、気持ちいい。


明治大学のツテで、都内の中学生からインタビューを受ける。ちゃんと、ICレコーダーを回す、本格的な取材だ。アニメ会社のプロデューサーにも、すでに話を聞いたという。
ネットで文句をたれるだけのオジサンたちは、彼の行動力を見習ってほしい。

僕は、気分のままに好き勝手なことを話し、おおいに脱線もしたけど、要所要所で、ちゃんと軌道修正してくれた。早い話、完全にノセられていた。
「こちらが年長者なのだから、こちらがコントロールしている」つもりになっては、恥をかくだけだ。そして、僕は意外にも多くのことに失望し、冷笑的になっている自分に気がついた。

歳とって苦労も経験したから、「絶望だ、孤独だ」と逃げまわる権利があると思いこんでいる。それは、年寄りの自己愛にすぎない。


『ぼくのエリ 200歳の少女』に関して、今でもこのブログを訪れる人が途切れず、嬉しい思いをしています。
たまたま見つけたのですが、映倫の審査料の一覧です。→
一分につき、2,740円。『ぼくのエリ』は115分ですから、31万5,100円を映倫に支払ったことになります。そして、モザイクなどの処理代は、配給会社持ちです。
その後、ソフト化にいたるまで、過去作・再編集版などひっくるめて、映倫は作品を食いものにしつづけるのです。

「どうして、そんな理不尽な組織が、大手をふっているんだろう? なぜ、みんな従っているんだろう?」
311後、ありとあらゆる行政機関が、カネのためだけに動いていたことが明らかになってきます。映倫に質問状を送ったとき、僕はそんな狂ったシステムの、ほんのシッポをつかんだだけだったんですね。


基準値ごえのセシウムしいたけを給食に出してしまった、広島県三次市。
今度は、三次市内の他のキノコ業者の使っている原木を調べて、「放射性物質は検出されなかったから、安心」と言い出しました。
先日の日記に書いた、群馬県とまったく同じ対応ですね。「同じ地域から採れた、別のしいたけは基準値以下だった」という小手先だけの屁理屈で、問題の本質を覆い隠そうとする。

広島県に問い合わせ中ですが、もう広島県と群馬県のキノコ類は買わないでください。それが、せめてもの抵抗です。不服従というものです。
生産者だけがインチキをして、自治体は生産者がかわいいからインチキを許して、損するのは消費者だけ。そんな理不尽を耐え忍ぶのをカッコイイと思っているから、映倫も原発もなくならないんですよ。

自分の可能性が枯渇した人間ほど、現状を維持したがる。「しょうがない」が口癖の人間には、要注意です。未来ないですから。

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2012年8月15日 (水)

■0815■

『輪廻のラグランジェ』 第6巻 24日発売
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●ブックレット編集・執筆
これで第一期が、ようやく終了です。
「ブックレット作成」といっても、各巻ごとのキャッチコピーとあらすじも、公式サイトに載せるものとは別に、毎回書き下ろしています。
……このへんの話も、いずれトークしたいんですけどね。それとは関係なく、10月8日に、マチ★アソビでトークします。
テーマは、10月下旬発売予定の単行本『俺の艦長』についてです。『俺の艦長』は、マチ★アソビ以外にも、都内で発刊記念イベントやろうか?という話も出ています。

関係ないけど、『おおかみこどもの雨と雪』、上映四週目にして、興行収入2位。→


「金と手間をかければ何とかなる」というのは、男ならではの貧しい発想だと聞いて、いろいろ納得する。
原発事故も放射能汚染も、「金と手間をかければ何とかなる」と思っている人が多い。しかも、即座に「結果が出た」ことにして、さっさと忘れようとする。「徐染したから、大丈夫、もう住めます!」とかさ。「産地偽装があったけど、基準値以下、安全です!」とかさ。
「何とかする」=「言いくるめる」「言い逃れる」になってしまっている。どんな職場でも、そうなってるんじゃない?
自分がリスクを負わずに、相手にリスクを負わせて逃げきったヤツが賢い、頭いい。卑怯なヤツほど、鼻が高い。

「電力を十分に供給してくれるんなら、原発でも火力でも構いませんよ?」というヤツがいる。本人は達観した気になっているから、フフンとクールに笑っている。
ボッタクリ同然の電気代でも、「金で解決」と思っているから、平然としている。理想も葛藤もなく、歳だけとってしまった人間には、奴隷の生き方しか、残されていない。


先日、女友達と食事したときは、九州の食材を使っている店を選んだ。
いま、汚染食材は流通し放題だから、それぐらい気をつけないとダメなんですよ。食べて危険かどうか以前に、それぐらいの意地は発揮すべき。

それで、今月10日に、群馬県のシイタケから110ベクレル出た件()。
県に、「なぜ生産者名を公表しないのか」質問しました。理由は「出荷された原木しいたけは、流通業者が全て回収しています」「他の生産者の原木しいたけは基準値以内」「通常、放射能の基準値超えの場合は、市町村までの公表です」……ほらね? うまいこと逃げて「解決した」気になっている。
回答したのは、「群馬県 環境森林部林業振興課 きのこ普及室 きのこ係」だから、人よりキノコが大事なんだろうな。マタンゴかよ。

本人は仕事した気になっているんだろうけど、「キノコは食べられない」「特に、群馬県産は絶対ヤバイ」という印象しか残らないかも知れないよ?
結局、僕が怒っているのは、原発事故・放射能汚染にたいして、これっぽっちの対応しかしてくれない自治体、食品業者なんです。
自分たちの仕事を汚すようなマネをしといて、よく給料をもらう気になれるよなあ……その堕落っぷりに、なにより腹を立ててます。

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2012年8月13日 (月)

■0813■

松屋銀座の「タツノコプロテン」へ。
Cadd61mt友人と待ち合わせる前に、銀座スパンアートギャラリーの「幻視怪獣展」に立ち寄る。開田裕治先生がいらした。
リキテックスで、がっちりと塗りこまれた絵ばかりだった。

タツノコプロテンでも、色鉛筆や水彩を駆使した「絵」が多い。絵が好き、というより、どんな絵でも「いい」「悪い」は分かる必要がある。
誰か「絵を見るのが好きだ」という人がいたら、どこがいいのか聞いてみると、意外とタメになる。自分ひとりで、なんとなく分かった気になったまま、10年20年すごしてきてしまうのが、一番こわい。

吉田すずか先生の『アクビガール』の原画を、間近に見ることができた。瞳やまつげ、アクセサリーに金色の絵の具が使ってあるのが、本当に愛らしい。もちろん、印刷では出ないんだけど、それでも金色を使ってしまうところが、本当に可愛い。

物販コーナーでは、『アクビガール』のグッズばかり買い込む。
Cammn8m1これはマグカップの箱なんだけど、箱のままのほうが絵が見やすいので、このまま飾ってある。

「タツノコプロテン」の後、ディズニーストアで、ティンカー・ベルのコップを買ったんだけど、ティンクの場合は「グッズ」が欲しい。『アクビガール』は、絵さえよければ、物は何でもいい。本当は、吉田すずか先生の画集があれば、それで足りるのかも知れない。
……とまあ、そんなことばかり考えながら、自分の好みだけを語りながら、一生を終えたかった。


友人と別れてから、終電にかけこむのも嫌だったし、始発までキャバクラで過ごそうと画策。
土地勘がないので、その手のお店をさがすのに、汗だくになりながら歩くはめになった。

こういうとき、ファミレスでコーヒーでも飲んですごそう……という気分になれない自分は、破壊的な生き方をしていると思う。

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2012年8月10日 (金)

■0810■

友人2人から、別々に『おおかみこどもの雨と雪』の感想がとどいた。2人とも、パパである。
Sub12_large子持ちの立場としては、やっぱり花に感情移入するみたいだ。特に、雪を出産したときの花と彼との会話には、かなり共感できるとのこと。

それと、2人とも「実写のような映像」と言っていた。やっぱり、アニメのフォーマットを使いながら、別の表現形式に移行してるもんね。
この友人たちは、アニメよりは実写映画を見ることのほうが多いんだけど、そういう人のほうが素直に受け止められるのかな。
「アニメしか見てない」人は、いきなり規格外のものを見せられて、反発を覚えるのかも。

でも、僕はもう、絵コンテ集を買うとか、そんな方法でしか、この作品にはアクセスできない。
原画が誰であるとか、そういう接し方だけは、したくなかった。父親になれなかったことを、本当に後悔させられる映画。


ケーブルテレビで、『カウボーイ ビバップ』の再放送が始まった。
当時はテレビ東京で修正版が放映され、WOWOWで無修正全長版が放映されたわけだが、僕が「週刊SPA!」の連載で、最初に取り上げたアニメでもある。

このアニメの放映前後を思い出すのは、なんだか辛い。辛いというより「苦い」という感じ。
酔っぱらって、カラオケ屋の階段を転げ落ちて怪我したのも、この頃だ。毎日、誰かしらと飲み歩いていた。脚本家の吉田伸も、呆れ半分に付き合ってくれた。
女友達もいたけど、色っぽい話なんて、ひとつもなかった。僕は飲みつづけることで、まったく思いどおりにいかなかった20代の無駄な記憶を、殺菌・蒸発させようとあがいていた。

共著で単行本をつくった目黒くんとケンカ別れしたのも、その頃だ。
終わらせられるものなら、何もかも終わらせてやろうと思っていた。絶望を感じないかわりに、希望もない。自分が憎まれることの対価として、他人を憎む権利があると信じていた。
「未来のためには過去は邪魔」、マンションに帰ると、その日に起きたことは一切が過去。カレンダーの日付を、黒く塗りつぶすように生きていたんだ。

「誰にも干渉しない、誰にも頼らない」のが、完成された個人だと信じ込んでいた。それが間違いだと気がついたのは7年後、離婚した後だった。

『ビバップ』を誌面にとりあげたとき、編集者に「(画像使用料などの)金をかけすぎ」と怒られた。「こちらから金を払って、アニメの広告をつくってやるつもりは、さらさらないんだ」。
今にして思うと、それは「意気地を持て」という意味なのだった。
その一言が、なんとなく自分のコア、背骨になってくれた。細いながらも背骨が通ったお陰で、どんなに酒樽の底で溺れても、翌日には生還するくせがついた。


九州電力社員による、中学生買春事件。
ツィッターでのやりとり。フォロワー「今年の夏はエアコンのつかない地域が多発して、コミケとかのイベントも中止になるかも知れませんが。」 永井秀徳容疑者「そっかぁ…計画停電かぁ…電力会社の人間として謝ります。すみません(>_<)」

……別に、電力不足が心配で、楽しみなイベントが中止になるかも?と心配するのは、いいんです。「俺様の趣味のために、とっとと原発動かせ!」とは対極のこと言ってますから。
ただ、中学生には性欲ムンムンの電力会社社員が「そっかぁ…計画停電かぁ…」レベルにしか考えていないことに、軽いめまいを覚えますね。まったくね、コヤツラをどうしてくれようかと考えるんです。

欲望と倫理のはざまで苦しむのが、人間でしょうに。

(C)2012「おおかみこどもの雨と雪」製作委員会

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2012年8月 7日 (火)

■0807■

クリント・イーストウッド作品『ヒア アフター』。
Sub1_large霊と会話できる青年、臨死体験をした女性、兄を失った少年、3本の話が、バラバラに進んでいく。
ラスト近く、少年から懇願されて、青年は彼の死んだ兄の言葉を伝える。そこに、どうも青年なりの(少年を元気づけるための)脚色が入っているらしい描写がよかった。
少年を出したからには、少年を祝福するのが、ジジイ監督の務めでしょう。イーストウッドはその辺、よくわきまえた監督だと思う。

歳をくったから「大人」になるのではない。下の世代に責任を感じたとき、「大人」になるんだよ。未成年でも「俺はいいから、俺より若いヤツを生かそう」と思っていたら、そいつは「大人」なんだよ。
なのに、日本では「責任を負わない」ことによって、いつまでも自分が子どものフィールドにとどまりつづけるオッサンが多い。
子どものフィールドというか、モラトリアム。40歳すぎても、自分のことしか考えてない。

話がそれてしまったが、映画から「監督の言いたいメッセージ」を言語的に受け取りたい人が多いのには、ちょっと驚く。それは、甘えというものでありましょう。


大阪で、またもや産地偽装が発覚です()。
福島県産きゅうりを、北海道産と偽って販売した東豊農産さん、大阪地方検察庁に告発状を送りましたので、刑事罰を覚悟してください。
すでに東京地検に告発ずみの産地偽装業者、大兼文喜さん。足立区の病院に入院した友だちが、病院食のアンケートに「大兼文喜の食材だけは使わないで欲しい」と書きまくってますよ。だって、鹿浜橋病院や厚生年金病院が大兼文喜の得意先なんだから、心配するのも当然でしょ?

この産地偽装業者どもは、「社会に奉仕する」という仕事の基本を蹴っ飛ばして、「金さえ入れば、消費者なんてどうでもいい」と開き直ったわけです。……万死に値しますね。

そして、基準値ごえのシイタケ出荷で、すっかり有名になってしまった三良坂きのこ産業有限会社。
これだけのセシウムを含んだ商品が市場に出回ってしまって、それを「自主回収する」のでは遅すぎるんだけど、その後、どうするのか?
気になったので、三良坂きのこ産業に電話。汚染シイタケの処理については、県からの指示を待っているとのこと。「埋めたり、山に捨てたり、勝手なことはしませんから……」と、電話に出たおばさんが言っていたけど、それは当たり前。
今は、会社の敷地内に保管してあるそうです。

でも、最終的にどうするんだろう? というか、高濃度に汚染された原木はどうする?
そして、私は県外から問い合わせたり刑事告発したりしているけれど、本当は現地で買ってしまった人、食べてしまった人たちが怒るべきですよ。

そして、日光からは3万1千ベクレルのチチタケが見つかる……もう、国産のキノコは食えないね。


明治大学で講義させてもらうようになってから、学生との付き合いが増えた。
今度は、なんと30歳も年下の若者から、取材を申し込まれた。だから、僕みたいな独身中年は、若い人に「大人にしてもらう」んだよね。この言い回しは、ちょっとキモいかも知れないけど、人は関係性の中に生かされてるからね。

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2012年8月 5日 (日)

■0805■

以前に見た戦争映画『グリーン・ゾーン』、うっかりレンタルしてしまったので、二回目を見る。既視感のあるシーンの連続だが、ちゃんと次の展開が気になる。これはたいしたものですよ。
Images地獄の戦場とは別世界のような、バクダッドの宮殿で、各国のジャーナリストやCIAの高官たちがくつろいでいる。華やかなプールサイドに迷い込んだ、煤に汚れた兵士が「おいおい、ドミノピザにビールかよ?」と呆然とするシーンが、今回は印象的だった。
地獄オンリーということはなくて、天国とセットなんだよね。しかも、地獄の上位に天国が位置しているわけではなく、同じ場所に同時に存在している。ネガとポジのように、地獄がなければ天国も像を結べない。

そして、天国の正義は地獄から見れば偽善、その逆もある。すべてが同時刻、同じ場所で発生していることを忘れてはいけない。
イラク戦争だけでなく、今の日本を見るとき、そうやって捉えないといけない。


備忘録的に書いておこう。

中学生ぐらいで読む本って、自分の知識欲だけでは選びとれない気がする。もっとだらしなく……というか、流されるまま、「文」と出会うのではいなだろうか。
僕だったら、模型雑誌「ホビージャパン」を読みふける以外、残りの時間はプラモをつくって過ごしていた。すると、ホビージャパン中の記事ばかりか、それこそ柱に書いてあるような短文でも、頭に刷り込まれてしまう。30年前に読んだ趣味の雑誌が、自分の文章のベーシックを形成しているんだよ。
オッサンになって「よし、勉強しよう」と思って読んだ文章なんか、どれだけラインを引いても頭には残らない。趣味で、習慣で、中学生ぐらいに読んでいた文章だけが、根幹となり得る。

いや、「ホビージャパン」の記事なんて、えらく雑だったし、脈絡もなかったし、当時の流行語は出てきて恥ずかしいし、別に優れていたわけじゃないですよ? でも、中学生の僕にとっては、ほぼ唯一の言語宇宙だった。
(高校になると「宇宙船」が入ってくるんだけど)

だから、どんな雑誌でも、コンビニで売るような本なら尚のこと、なるべく「ちゃんと書こう」と思うんだよ。どこで誰に影響を与えるか、分からないわけだから。キャプションひとつでも、豊かさを感じられるよう、楽しんで書く。
それは後世のためじゃないですか。いまの読者が、これから後の文化をつくっていくんだから、おざなりに出来ないですよ。
僕が死んだ後に生きつづける人以外に、僕は希望を託せない。

「俺様が啓蒙してやろう」って意味じゃなくて、うっかり俺の記事と出会った見知らぬ人に、ちょっとだけ得してもらえたら、この職業についた甲斐もあったというものでしょう。


そんなことを思ったのは、石井誠さんから著書「マスターグレード ガンプラのイズム」()をいただいたから。
一晩で読んで、「さあ、今日はマスターグレードでも買いますか!」と、夕暮れの吉祥寺へ向かったのだが、買ったのは1/1000ヤマト2199版、F-15Cのキットなどであった。

ガンプラでもアニメでも、「俺たちオッサンは、80年代のいちばん良かった頃を知っています」で、閉じたくはないんです。捉われたくもない。
今の時代を生きる子たちに「君たちだって、こんなに恵まれてるんだよ」と祝福してあげる、背中を押してあげるのは、オッサンの勤めだと思うんだよ。

石井さん、初の単著、本当におめでとう。
そして、10月下旬には、オッサン魂を暑苦しく詰め込んだ「俺の艦長」、出ますよ!→

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2012年8月 4日 (土)

■0804■

昼間は、ひたすら暑さに耐え、夕方から経産省前抗議へ。
Cadlskqf_2パーカッションを先頭にした、謎のシュプレヒコール支援隊が現われ、一気に人数が増えた。しかし、原則的に30人ぐらいの集まり。
経産省前だけでなく、文科省前、経産省別館前、その他、あちこちで抗議活動が行われていた。

官邸前には、行かなかった。主催者のひとりが、「広告代理店勤務」とカミングアウトしちゃったからね。そういうのは黙ってやるのがカッコイイのに、イベント屋主催なら、「花火大会」と揶揄されても、文句は言えないよ。

経産省前抗議は、原子力規制委員会の人事反対がテーマ。原発をやめようが続けようが、原子力規制委員会と手を切ることは出来ないからだ。
「原発推進の人も、生涯、アレと付き合っていくのだ」と、抗議者の一人が経産省ビルを指さした。


311前の日本政府は、僕らに甘い夢を見させてくれた。だから、政府のやることに反抗したくないし、反抗するヤツら――つまりは脱原発とか放射脳とかはウザい、黙っとけ、余計なことをするな。その類いの逆恨みが、ネットには非常に多い。

このため息まじりの逆恨みの本質は、「現実は変えられない」「だから、現実を変えようと試みるな」というあきらめであり、その裏には「不幸な自分と苛酷な現実」の分かちがたい関係が、深々と横たわっている。「自分」と「現実」とが無関係でいられないことは、本人たちが最もよく知っているのだ。
原発事故も放射能汚染も、「苛酷な現実」だ。とても変えようがない、俺たちにはどうしょうもない……とあきらめているのは、ハナっから現実と仲の悪かった人たちなのだ。

逆に、デモや抗議活動に、音楽を趣味にしている若者が多いのも道理で、彼らは身体をつかって現実とアクセスすることに長けている。人前で話すのも叫ぶのも、彼らは得意だ。ネットにかじりつくより、楽器をもって街に出たほうが手っ取り早いと、彼らは考える。

「現実と、いかに上手く付き合ってこられたか?」 ただそれのみが、この事態への態度を二分しているように見える。
……いかにもモテなさそうな、オタクっぽい青年が、「初めて霞ヶ関まで来てみました」風に抗議の場に立っていると、若いころの自分を見るような気持ちになる。「ここに立っているだけじゃあ、苛酷な現実は変えられないだろうけど、とにかく気のすむようにやってみな」という感じだ。


広島県で、福島産の原木を使ったシイタケから、380ベクレルのセシウムを検出()。
またもや業者の名前が伏せられていたので、ただちに広島県に問い合わせた。「三良坂きのこ産業有限会社及び三次生しいたけ生産グループ」と、県のHPに出ているとの返事であった。

だからよ。キノコ類が放射性物質を吸収しやすいのは、『ナウシカ』読めば分かるでしょ? なんで、汚染された原木から栽培するんだよ。どうしていつも、出荷されたあとに発表するんだよ? 三良坂きのこ産業有限会社に電話すれば、きっちり教えてくれるんだろうな?

それで、またしても「そんなに一度に大量にシイタケ食べないから、人体に影響ないよ」って人が現われる。日本政府を、心から崇拝しているような人。
たとえ健康に影響なかろうが、「くやしい」ぐらいは思わないとさ。去勢されすぎだろう。


アニドウから、メール。「石黒昇監督を送る会」について。
僕は、お葬式からは逃げたので、今度は出席する。僕にだって、逃げたい現実ぐらいあるよ。

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2012年8月 2日 (木)

■0802■

ワンフェス以降、いろいろなものが消化不良だと分かって、ついうっかり、コトブキヤのガンヘッドを、3個も予約してしまう。
東京電力の契約アンペアを、20Aに下げる。ヤツらが、分相応に値上げなんてしなければ、下げることもなかっただろう。

コメント欄でやりとりしたことだが……「だってしょうがない」と隷属していた方が、楽なんだよな。そして、「しょうがない」の連鎖が、致命的に仕事を劣化させていく。そうして出来た妥協の産物を、「しょうがない」と受容するユーザーがいる。
仕事でも趣味でも、「これはおかしい」と思ったら、当事者にどんどん意見を言わないと。


『おおかみこどもの雨と雪』、もう一度ぐらい見てもいいんじゃないか?……と思う。
それは、つい先週フラれたばかりの女を、「今度はいつ誘おうか?」などと、つい未練たらしく思い出してしまうのに似ている。

急ぐほどの仕事はなく、午前中に借りてきた映画は、3時間もある。夜まで長い、と感じる。
「どうせなら、あの子に電話してみようか?」と思うのは、いつだって、こんな気だるい夏休みの午後だった。『おおかみこども~』は、そんな気分を誘う映画だ。聡明で、生命力にあふれている。

美しくて頭のいい人ほど、僕の人生には関係がない。同じように、若々しく、希望に満ちた映画ほど、僕とは距離が生じてしまう。
近寄りがたいというか、僕ごときが近寄ってはいけないというか。

それはさておき、恋愛は怠惰と仲良しかも知れないな。日常に飽きていなければ、恋愛は遂行できないからね。


レンタルで、『アメリカン・ヒストリーX』。
9248359_gal白人至上主義で、ハーケンクロイツのタトゥーを胸に入れたレイシストが、黒人を殺す。ところが彼は、刑務所で黒人に優しくされたことから、人種差別をやめる。
その黒人の口にするジョークが、ふるっていた。「とにかく黒人を憎悪せよ、憎悪せよ! えーと、黒人って何だっけ? まあいい、とにかく黒人を憎悪せよ、憎悪せよ!」

「この国では、黒人やヒスパニックやユダヤ人だけが得をしている」という陰謀論的コンプレックスは、まるで在特会そっくりだ。
在特会までいかなくとも、ネットでは「あいつも在日かよ」「生活保護かよ」と、嫉妬の大合唱だ。
話は簡単で、自分の能力の欠如、自分の努力の足らなさを、痛いほどに実感している彼らは、「俺は生粋の日本人」ぐらいしか心の拠りどころがなくなってしまったのだ。「だから、俺のような日本人以外は全員クズ」と、ビンの底にこびりついたプライドを、真っ黒な爪で、ほじくり返しているわけさ。

君が愛されないのは、君の定義する人種のせいなどではない。ひとえに、君の性格が悪いからだ。
人種は変えられないだろうけど、性格は直せるぞ。


それとも少し通じる話かも知れないけど、作品や人を「合理的か否か」「矛盾してないか否か」で測ろうとする人を見ると、何だか悲しくなってくる。
「これ以上、世界を不完全なままにしておくな!」と、悲鳴をあげているように見えてしまう。その人の傷口が見えてしまう、というか。

知的で冷静で客観的な態度は、若いうちなら、優越感をもたらしてくれるかも知れない。
だけど、感じたままに笑ったり、泣いたり、怒ったりするほうがハードルが高いんだよ。世の中の悲劇の半分以上は、知的か合理的かなんて問題とは関係なく、感情をストレートに発散できないがために起こっているんだ。

PETERSOREL67/NEWLINE/TheKobalCollection/WireImage.com

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