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2012年8月31日 (金)

■0831■

僕の原稿を待っている編集者には、ほんとうに申し訳ないけど、霞ヶ関へ行ってきた。
Caxxoz3h写真は経産省前抗議だけど、長居はせずに、あちこちの抗議活動を回ってみた。
昨夜、大阪市のがれき説明会の中継を見ていたのでね。あの、敵を目の前にした人々の、むき出しの怒りと悲しみが、ここにはないんだよ。

相手から遠ければ遠いほど、人は勇敢になれるという――。
だから、みんなネットに逃避する。情けない話さ。


結局、70年間も戦争がなくて、羊のように受動的な人間ばかりが育った結果、「何がどうなろうが、しょうがない」という風潮が、蔓延してしまったのだ。
私の母をなぶり殺しにした犯人は、「人間の致死率は100%」が口癖だった。「どうせ死ぬんだから、殺そうが病気で死のうが、たいして違いがない」というわけだ。僕はいま、日本人の多くに、似たような志向を感じている。

つまり、「大地震で人が死んでも、まあ、しょうがない」「放射能で何万人死んだとしても、俺には関係ない」「もし俺が死ぬような事態になっても、どうせいつかは死ぬんだから、あきらめる」。総理大臣から地方自治体の公務員まで、ざっと似たような考え方をしている。
放射能は安全です、原発がなければ日本は経済発展しないと言っている連中も大同小異、「まあ、しょうがない」という諦念が、根幹にある。

「三次元なんて興味ねーよ」と捨て鉢になっている若者たちは、ほぼ例外なく、放射能安全・原発容認。現実に対して興味がない・現実に期待してないのだから、マゾヒスティックに「どうにもならない」と、サジを投げている。
彼らは、政府の愚策を、無批判に支持する。現実が辛いことを熟知しているから、内心は不安でも、楽なほうへと流される。

おそろしいのは、未来なきニヒリストどもならまだしも、子どものいる主婦やサラリーマンまで、似たような諦念にとりつかれていることだ。
日本全体、学習性無力感()に甘んじているように見える――心当たりがないとは言わせないぜ!


知り合いのライターに仕事を回しているうち、だんだん僕の仕事が減ってきたような気がする。でも、あっさり他人に回せる仕事なら、何も僕じゃなくてもいいんだろう。

ある雑誌で、「今度、○○の特集をやります。廣田さんに、特集全体をまとめて欲しいんです」と頼まれたのに、とうとう正式な依頼が来ず、気がついたら、その○○特集が本屋に並んでいて、「あれえ?」となったことがある。
それ以来、「ぜひ廣田さんに!」と頼まれても、あまり信用しないようにしている。――悲しいけど、それがフリーランスという生き方なので、悲しんでいられない。

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