« ■0827■ | トップページ | ■0831■ »

2012年8月29日 (水)

■0829■

いま、とても長いインタビュー原稿をまとめているところで、当然ながら、スケジュールをたっぷりとってもらった。
一週間あったら、一週間みっちり使う……というのは、頭のいい仕事のしかたではない。以前に「こんなブログ書いてるヒマがあったら、原稿を進めてほしい」という編集者がいたが、ブログを書く余裕がなかったら、原稿を書く余裕だって、やっぱり無いのだ。

3日で仕事を上げるとしたら、僕は2日ぐらいはボーッとしたり、プラモデルを作ったりしている。どういうわけか、それでも、ちゃんとシメキリには間に合う。
モデラーの頃は、3日間、不眠不休で作業しても、散々な仕上がりになってリテイクが出た。だから、モデラーをやめたわけだ。その仕事を「読む」ことが出来なくなったら、やめた方が幸せだ。


「愛される」という言葉がうさんくさいなら、「可愛がられる」でもいいんだけど……愛された経験のない人には、人を愛することは難しい。

幼いころに理不尽な目にあった人を、責めることはできないのだけど、「お前は、いい子だね」と抱きしめられたことのない人は、意外と多いのではないか。「かわいい、かわいい」と頭をなでてあげないと、かわいい子には育たない――これは、別れた妻の言葉。
親でなくとも、誰かに優しくされた経験のない人は、誰かに優しくすることなんてできない。

放射能から我が子を守りたいお母さんたちを、何の恨みか、徹底的に嘲笑する人たちを見ていると、そんな業の深さを感じてしまう。
簡単にいうと、「俺は愛されなかったのに」という嫉妬を感じるのだ。何度も言うが、嫉妬は行動を支配し、ついには「生きる動機」にすらなってしまう。
(怒りや悲しみといった原初的な感情は、嫉妬を媒介して、嘲笑へと変化する。)

幼いころに理不尽を知ってしまった人間は、さらなる悲惨を、世の中に与えたがっているかに見える。実は、放射能が安全であるかなんてどうでもよく、この世の「愛し愛される関係」を、破壊したいだけなのではないか――「しょせん、世の中はどうにも変えられない」というニヒリズムを、より強固にしたいだけではないのか?

人生がつづくことの意味は、「まだ引き返せる」「まだ別の道がある」ことを見つけ出し、実践すること。「よりよく生きる」「多少はマシな人間になる」ことでしか、僕らは救われない。
恨む対象を探すことをやめ、改善すべき課題を発見せよ。


上記に関連して、メモ。
学習性無力感……長期間、回避不能な嫌悪刺激にさらされ続けると、その刺激から逃れようとする自発的な行動が起こらなくなること。

1.環境に対する積極的・自発的な働きかけが起こらなくなる
2.成功体験を学習することが困難になる
3.無力感や苛立ちなどの情緒的混乱が起こる


友人の退院祝いをかねて飲みに行くので、昨日の昼間は、きっちり仕事をした。

「今夜こそは、まっすぐ帰ろう」と思っていたのに、うっかり地元のガールズバーに寄ってしまった。そこは2時で終了なので、キャバクラに場所を移そうとするが、「嬢の数が少ないので」と断られる。
やむなく、最後の手段としてセクキャバに行く。セクキャバに行きたくない理由は、女の子が楽しそうではなく、したがって、酒もおいしくないからだ。
しかし、昨夜は、笑顔で過剰なサービスをしてくれる子がいて、なかなか良かった。「どうして、そこまでしてくれるの?」と聞いたら、「趣味だから」と笑った。「趣味じゃないと、こんなこと出来ない」とも言っていた。

こうして一晩、堕落してみると、「ちょっと気合い入れて、仕事しないといかんよな」と思うのである。

|

« ■0827■ | トップページ | ■0831■ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■0829■:

« ■0827■ | トップページ | ■0831■ »