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東京ウォーカー 24年8/3号 発売中
●『おおかみこどもの雨と雪』レビュー
1ページ、まるまる細田守のミニ特集で、『おおかみこども~』のレビューだけ担当しました。
編集者は、僕のブログを読んでいたらしく(■)、「書き足りないんなら、ストーリー部分を削って書いてもいい」と気をつかってくれたのですが、アニメに興味のない女性読者がメインと聞いていたので、あまりマニアックな話題には走らないよう、セーブしました。
なんと言っても、良識の問われる映画ですから。
そりゃあ、『海猿』なんかよりはヒットしてほしいわけです。21日公開です。
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昨夜は、関西電力・東京支社前での抗議活動。参加者20名に満たなかった。こういう小さな集まりは、微力ながら応援するつもりで行って、たいてい「この人はいない方がいいなあ……」という気まずい空気を残してしまい、ひっそりと帰ることになる。
つまり、僕は敵意をむきだしにしすぎるのだ。
今夜、大飯原発4号機が稼動する。
ここで怒鳴っても、何も止まらない。そもそも、いちど動き出した原発は、そう簡単には止めることができない。ちょっと調べれば、分かることだ。大海原に、小石を投げている気分になる。
僕は、電力会社の人間とは、話なんて通じないと思っている。だから、ハナっから対話する気などなく、滅ぼすべき相手としか思っていない。
しかし、参加者たちは滅ぼすどころか、「一緒に反原発運動をやりましょう」「内部から変えませんか?」と、関電に語りかける。そして、その場では、大きな拍手が起こるのである。
電力会社を仲間に抱きこむなど、「原発を止める」本質からは、いちじるしくかけ離れた甘ったるい夢想に感じられるのだが……その場、その瞬間には必要な甘さではないか?と思える。
敵に対する親しさ。僕には、そんな柔和な感情はない。欠けている。
実の父親を、屠殺場へ送り込むように、刑務所に叩き込んで、まるで後悔していない。怒りや恨み……いや、悪意だけが、血液のように僕の心臓を動かしつづけた。
離婚してから、僕には誰かを愛した記憶がない。「食事に行こう」と誘ったことはあったが、誘いにのってくれた相手に、感謝したことすらない。
そこに殺人事件が起き――、僕は、自分の命を軽視するようになった。原発事故からしばらく、この軽い命をどこでどう捨てるべきか、ずっと考えている。
原発事故に対しては、獰猛な怒りしか感じない。
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「できることなら、繊細な感性を弄んで一生を終わりたい」――押井守『コミュニケーションは、要らない』より、僕の胸を、深くえぐる一節である。
40歳をすぎてからは、若いころの思い出だけをデザートにして、平穏に老いていけると信じていた。
「センチメンタルに、昔の恋愛話や昨夜の夢を語っているほうが、よほどお前らしいよ」、いまや連絡のつかなくなった友達ならば、そう言うだろう。
月に一度ぐらい、ガールズバーで会ったばかりの女の子を指名し、ゲームをしてカラオケを歌い、翌日は放蕩したことへの罪悪感と、二日酔いに苦しむ。
それでも、香水のかおる夜の街にしか、安らぎを感じられない。母の話を聞いて泣いてくれたのも、何もいわずに手をにぎってくれたのも、夜の女たちだった。
しらふの目で見れば、それは酒ににごった不埒な楽園だ。本当の楽園は、きっと、張りつめた神経と冷や汗の中で、ふいに現われてくるんだと思う。
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