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『 輪廻のラグランジェ』 第5巻 27日発売
●ブックレット編集・執筆
この巻は、イゾたち三人組が鴨川の人たちと交流を深めてしまう第9話が収録されています。
それと、第10話は、ようやくアステリアの顔がかわいく描かれます。第8話は、ほんと作画が良くなかった。プロデューサーに三回ぐらい、文句を言いました。
season 2は、キャラ表が変わったのかと思うぐらい、アステリアがかわいく描いてあって、一安心です。
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『ヒトラー ~最後の12日間~』。155分、画面に釘付け。この映画を見るものは、誰しも、死と破壊を期待する。睡眠薬を飲まされ、眠っている間に毒を盛られる子どもを見て「ナチスだから仕方ない」と思うだろう。
追いつめられ、自殺するよりなかった士官たちを見て、「自分は彼らよりはマシな人間だ」「自分には、自殺しなくてはならない理由などない」と言い聞かせ、安心しようと努める。
つまり、この映画を見ている間、誰もが自分の罪、自分の死について考えはじめる。ナチスドイツは、ただソ連軍に壊滅させられたのではなく、自らを裁いて死んでいった。「では、自分はどんな死に方をするのか」と、誰もが震えながら、考える。
状況が特殊であればあるほど、死は純化され、均質化され、誰にとっても平等なものとなる。
気をつけねばならないのは、死は平等であっても、生は不平等だということ。「いかにして死んだか」では、人の価値は推し量れない。「いかに生きたか」、それだけだと思う。
……つづいて『Uボート』を見るつもりが、DVDの盤面が紙やすりをかけたような状態で、20分で停止してしまった。
TSUTAYAに持っていったら、盤面を磨いたうえでレンタル料はタダ、さらにもう一枚、タダでレンタルするという。三鷹北口店、いい仕事する。
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吉祥寺、夕方。友人と待ち合わせる。
カフェ・ゼノンは、何かの打ち上げで貸切だったので、ちょっと歩いてマクドナルドへ行く。
最近は、『ガンダム』も『ヤマト』も原点回帰。原点回帰しないと、客も満足しない。オッサン向け懐古ビジネスになってない?という話。(←海洋堂の「ネオ・カプセル」をもらいました。ガシャポンまで原点回帰か!)
まあようするに、早い話、歳をくうほど変化についていけなくなるので、中年ユーザーが懐古に走るのは、やむを得ない。
それはそれとして、最近は、若い人も100パーセントの保証を求めているように思える。何かを否定するとき、客観性や数字を根拠にしたがる。
それは、主体性の放棄だ。
アニメであれ何であれ、趣味というのは、人格を反映する。「しょせん趣味」と言い捨ててはいけない。
「アニメと現実の区別をつけよう」というスローガンの裏には、「どうあがいても現実は変わらない」という、覚めた諦念が感じられる。
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今月は何も記事を書いてないのだが、「EX大衆」の見本誌がとどいた。
「さよなら夏の日」「君の声に恋してる」「いつか晴れた日に」「世界の果てまで」――グラビア・ページのタイトルは、なぜこんなにも感傷的なのだろう。
Newmarket/Photofest/MediaVast Japan
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