■0629■
吉祥寺カフェゼノンで、プロデューサー、シナリオライターと打ち合わせしてから、東京駅へ。
丸ノ内口から歩いて、経産省前テントまで行く。おおい町へのバスツアーに、申し込むためである。ところが、バスは40人の定員が埋まってしまっていると聞く。
やむなく、おおい町行きは、あきらめる。荷造りしてたんだけど、今回は、しょうがない。
その足で、首相官邸前抗議へ向かった。開始一時間前だというのに、交差点付近は、人でいっぱい。
車椅子の方が、「再稼動反対!」と叫び、周囲が声をあわせる。――「いやいや、18時スタートだから、それまで待ちませんか?」と思うのだが、その時すでに、以前とは違う雰囲気が漂っていた。
交差点では、マイクでスピーチが行われるのだが、みんな聞いてない。というか、回りくどいスピーチに耐えかねたように、「再稼動反対!」の声が、あちこちで上がっている。
最初は、「スピーチしている人に失礼だろう?」と思った。しかし、「再稼動反対」という音色は不思議で、どこか麻薬的な常習性があり、僕もいつしか、シュプレヒコールに加わっている。
いくつものグループが、互いにエールを送るように「再稼動反対!」を叫び、それは車道の反対側や、斜向かいからも聞こえてくるのだった。
後から航空写真を見たら、巨大なヒトデのように、人々が首相官邸前の道路を埋め尽くしていた。
何万人かは、知らない。8万人とも、20万人なんて説も出ている。とにかく「いっぱい」。→■
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すごかったのは、車道が全面開放されて、歩道に押し込められていた参加者が、自由に歩き出してからだ。前に、友だちとこの抗議活動に出たとき、殺風景な夜の霞ヶ関を歩きながら、「いっそ、ここが無法地帯になって、銃撃戦でも始まらないものかな?」などと、幼稚な妄想を語ったものだった。
銃がない、暴力がないだけで、その妄想は40パーセントぐらい、現実化した。
いつもは20時で終了だが、主催者は事故・事件を危惧して、早めに解散するよう、アナウンスした。
首相官邸側は、警察の車で封鎖されていたので、僕は坂をくだる。――道路の真ん中、輪になって、太鼓を叩きながら「再稼動反対!」を叫ぶグループがいる。
小さな子どもの手を引いて、呆然と立ちつくすお母さん。スケボーの裏に「NO NUKES」と書いて、高く掲げる一団。たったひとり、巨大な旗を掲げて「原発反対!」と叫びながら、僕と逆方向へ歩いていく男。
『AKIRA』のような光景だった。
『AKIRA』の暴徒のように、僕らは未熟だった。「政治」「総理」「国会」なんて、この前まで、どうでもいいと思っていたノンポリの集まりだ。原発の本なんて、一冊も読んだことのないヤツだっているだろう。
僕は、参加者のひとりが食べていたリンゴの芯を、地面から拾って、ゴミ袋に入れた。自分の食べカスを地面に捨ててるようじゃ、放射性物質を、人の田畑に公然とぶちまけた東電さまと変わらないぜ……。
にも関わらず、僕は喧騒のたえない官邸前に腰をおろし、「これでいいんだ」と思っている。
潮騒のような、人々の声。この一年半の無力感、徒労感、怒り。母の死。石黒昇監督の死。開放された車道は見晴らしがよく、心を無防備にさせる。
JR有楽町駅まで、歩く。今は、これでいい。こんな夜でもなきゃ、やっていられない。
幸せじゃなさすぎたもん、この一年半。
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昨日、新しい本棚を買った。 『ギャラクティカ』のDVDに、ジュアッグの成形色が、映える。
この大きな本棚を買うまで、僕は地震のとき床に落ちた本を、そのまんまにしていた。
「どうとでもなれ」と、心のどこかで思っていたんだろうな。
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