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2012年4月28日 (土)

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いろいろギッチリと仕事がつまっているのですが、30日のスーパーフェスティバル59には、出店させていただきます。→
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ギムレットさんのレゴペーパー、「LHG」の最新第4号は「ガーランド完成編」。これも「石黒昇人(イシグロノボジン)」と一緒に、販売させていただきます。レゴ・ガーランドの実物も展示予定(すごい迫力ですよ)。

ブースナンバーは「I-23」です。
僕は、素組みのガンプラをいくつか、持っていきます。格安にて販売します。


あいかわらず、生活サイクルも体調もムチャクチャなのに、ずーっと原稿だけは減らないんです。

フリーメイソンの出てくる映画、全6本レビュー完了。
中には『トゥームレイダー』のように、何を考えたか映画館で見たものもレンタルで見直したりしたのだが、妙に没入してしまうというか、「何がどうなっても面白くなる」瞬間がある。映画の中に「入れた!」という感触。

それは、「面白さ再発見」とか、「実は演出が冴えていた」「年相応に許容量が広がった」とかではなく、単に仕事がぎっちり溜まっていて、見られる映画が「この6本のみ」と決められてしまった不自由さに、脳が適応したのだと思う。カベの染みでも、ずっと眺めていれば、いろいろ空想がわくではないですか。
脳って、五感をカスタマイズする。脳は一枚岩のように完成されたものではなく、妙な挙動をする。そんないい加減な脳を、ありとあらゆる手練手管で上書きしようと試みる映画や音楽を、数値化して「評価する」なんて、ヘソが茶を沸かす。

カベの染みと同列では『トゥームレイダー』が可哀想だけど、切迫しているときに、ああいう何も考えなくていい映画を見ると、すごい開放感があるのは確かだよ。
いい加減で、未完成なものの方が、実は脳にパチッとフィットするのかも知れない。いや、高度に計算された知的な作品を見ても、「ホーッ!」と感心するんだから、つくづく脳はいい加減だな、と。


そんなわけで、スーフェスとマチアソビ参加してる場合ではなく、原発関連のデモや抗議活動も……首相官邸前抗議は、雨なのに1,100人も集まって、東電前アクションも190人。俺が行かなくなった活動ばかり、盛り上がるんだな。
5月5日、日本中の原発がすべて停まるのは、惑星直列のような偶然にすぎないけれど、大飯原発の再稼動断念には、抗議で叫んできた人たちの声も、0.01%ぐらいは影響していると思うよ。

デモに対しては、あいかわらず「太鼓叩くのに、何の意味があるんだ」ってクールに決めてる人がいるけど、それは「何だよ、うるさいな」って、無関心層を振り向かせるために決まっておろうが。みんなが関心もってりゃ、デモも抗議活動も必要ない。
デモ参加に「自己満足、ストレス発散」の要素は、もちろんあると思うよ。だけど、自己満足「だけ」で参加するには、徒労感もあるし、写真も撮られるし、道ばたから罵声あびることもあるし、それなりにリスキーだと思うんだよ。
そして、リスクのともなわない言動には、説得力がない。

計画的避難区域に指定された後の、飯舘村の写真。→
僕は「電気は足りている」という言い方は嫌いだ。こんな美しい風景が犠牲になっているのに、「電気は足りてるからOK」とは言いたくない。
そんな犠牲の必要ない世界のために、強い意志と、科学と専門知識が必要なんだ。僕には、後者が欠けているのが生涯のコンプレックスだ。

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2012年4月26日 (木)

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『ももへの手紙』、瀬戸内海が舞台だから、広島県・愛媛県で先行公開されていたんだな。それで、21日の全国公開では、9位にランクイン。→
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文化通信のコラム【大高宏雄の興行戦線異状なし Vol.77】によると、「21日=動員2万5637人・興収3231万1700円、22日=3万6271人・4519万8900円だった(スクリーン数は276)」とのこと。→

もうちょい、文化通信のコラムから引用する。「中身に関して、一言。予告編などで奇妙に感じられた妖怪たちのくすんだ色彩のシーン(アンチ・スタジオジブリとも言える)の意味が、本編を見ると深く理解できる。」
……僕は、妖怪たちの造形(もちろん色も含めて)だけでも、派手にしてほしかったので、ちょっと分かんないな。どのへんのシーンだろう?
だけど、普段はアニメを見ない人の好意的な意見は、しっかり聞いておいたほうがいいな。

ジブリから分家したような一般向け作品は、これからも増えていくだろう(『ももへの手紙』の作画監督の安藤雅司さんがジブリを辞められる前、たまたまインタビューさせていただいた。安藤さんは、他にやりたいことが山ほどあって、それがストレスにさえなっている感じだった)。
作り手は、誰にも遠慮せず、描きたいものがいっぱいあるんだと思う。しがらみから解放された作品って、見ていて気持ちいいから、すぐ分かるよ。


先日、「どうして霞ヶ関を燃やさないのか」というようなことを書いた直後、火炎瓶の事件を知った。→
狛江市? 電力中央研究所? 何ソレ。なんでそんなマニアックな施設に、レトロな火炎瓶なんて投げ込んでるんだよ。原始人かよ。たとえ、「死ね、電力会社!」という気持ちで投げたとしても、まったく共感できん。
何をどう抗議したいのか、どこにどの程度のダメージを与えたかったのか、何も考えてない。「勝ち」をイメージできてない、雑な思考だね。

『ミツバチの羽音と地球の回転』にも出てきた、中国電力と祝島との戦い(2011年、福島の事故前)。→
ほとんど内戦だぜ。
原発大好きな君も、『ミツバチ~』ぐらい見てくれよ。福井県庁で「原発反対派が大暴れ」とか言っている人がいるけど、電力会社なんか、ちょっとした軍隊だぞ。


京都で、無免許の未成年が居眠り運転で2人(お腹の子供を入れて3人だ!)を殺し、8人に怪我を負わせた事件。
警察が犯人の親に、被害者の連絡先をぜんぶ教えてしまった。前にも書いたけど、被害者の人権は無限に奪われてるのに、加害者サイドの権利は何重にも、鉄壁のガード。

母が殺されてから数ヶ月、立川県警の刑事たちの対応は、ひどいものだったよ。
警察だけじゃない。犯人にも権利があります、と電話で言い放った弁護士、弁護士にたぶらかされた犯人側の証人たち、傍聴席に座った一般人たち。誰ひとり、殺された母の苦痛なんて考えてないよ。
みんなでよってたかって、犯人を生かそうと懸命になっている。

「死刑は廃止したほうがいい」と意見する、知的で温厚で慈愛にみちた皆さんは、被害者遺族による復讐の権利なんて、とんでもないと思ってるんだろうな。
あなた方の信じてやまない性善説が、殺人という行為を軽くし、「殺したもの勝ち」の世界をつくってるんだよ。

(C)2012「ももへの手紙」製作委員会

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2012年4月24日 (火)

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ホビージャパン 6月号 明日発売
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●新連載「ラグランジェ アンヴェール」構成・執筆
『輪廻のラグランジェ』のメカニック考証のみを、執拗につづる連載の第一回です。
シリーズ構成の菅 正太郎さんを質問攻めにしつつ、完成原稿を徹底監修してもらいつつ……で、この連載で明らかになった新事実は、次々と公式化していくという、エキサイティングな連載です。

アラン・ディーン・フォスターがゴーストライターとして書いた『スター・ウォーズ』のノベライズは、ディテールの解像度が映画よりも上がって、やけにマニアックな小説ですが、作品世界の広げ方としては、実に正しいと思うのです。

モデルグラフィックス 6月号 明日発売
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●マクロス超時空展覧会について
ヘッドライントピックスで、「1/1バルキリーはどうあるべきか」について、ちょこっと書きました。
先日、『モーレツ宇宙海賊』の取材でサテライトへ行ったら、たまたま河森正治さんと出くわしました。ちょっとだけ立ち話したのですが、「1/1バルキリーどうなんですか?」と聞けばよかった。

巻頭特集の『バイファム』には、完全にノータッチです。
自分の著書で触れるので、まあ、いいかな。


最近、すっかり夜型になってしまい、原稿を送るのは、たいてい朝の4時とか5時。
徹夜明け、奈良の脱原発デモの映像を、ぼんやりと見ていた。→
撮影は、日本中を駆け回って、各地のデモを撮りまくっている若者、秋山理央さん。この人のすごいところは、デモの個性や地域性を瞬間的に感じとって、必ずフィルムに入れること。
――でも、彼が何のためにデモを追っているのかは、正直わからない。

さっきの奈良のデモだって、鹿はいるし、なぜか外国人の一団は混じっているし、修学旅行生もいるし……「脱原発」というメッセージは、ないんだよ。
そのせいか、途中から、何だか泣けてきた。外国に逃げた人から見ると、放射能と利権まみれの日本なんかにしがみついてる僕らは、キチガイに見えるって。
高濃度汚染地域に野菜をつくって、その数値が高いの低いのって、確かに狂っている。

経産省前でもどこでも、欧米人は必ず見にきている。彼らは、なんで僕らが暴徒化して、霞ヶ関を焼き払わないのか、不思議でならないんだろうな。僕も不思議だ。

下ネタをまじえつつ、食品の放射能測定をしている放送作家ちだいさんのブログ「チダイズム」は、首相官邸前抗議について、かなり手厳しい。→ 
でも、実際にあの場にいたら、こんな気持ちも起こってくるよ。


デモを見るたび「サヨク」とか言ってるのは、もはや人生経験のとぼしい若造ばかり。
いま、日本で原発は一基しか動いていない、東京ですら原発ゼロなんだって、そんなことさえ知らないバカが「原発とめて、東京が停電になったらどうするんだよ?」とか、いまだに吠えてる。もう止まってるんだが。

原子力ムラの闇とかなんとかより、もっとシュールな事態が起きているんじゃないか。この事態を直視すればするほど、狂気に触れることになる。

……今日は、天気もいいので、井の頭動物園の分園で、水鳥や魚たちを見てきた。
0424cazuo12rきれいな花を見ると、母に見せてやりたいなと思う。
水鳥の羽の色は、日本画のように洗練され、完璧に美しかった。
水族館の中で、女学生のように華やかな笑い声がした。僕より年上の老夫婦だった。
あんな穏やかな老後は、とうとう自分の身には訪れなかったなあ、と今さら思う。

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2012年4月23日 (月)

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一週間後の30日開催の「スーパーフェスティバル59」→
0423ca348ue9_2ブースナンバーが決まりました。「I-23」です。ディーラー名は「廣田恵介」です、すみません。
新刊ペーパー『石黒昇人(イシグロノボルジン)』を、一部20円で販売します。その他、ギムレットさんのレゴ展示もあり! 中古オモチャ販売もあり!

この日は、オモチャのことだけ考えて、ゆったり過ごしましょう。


われわれに一年間も500ベクレルの食品を食べさせつづけた農林水産省が、自主的に放射能検査をしている民間企業に、「自主検査は控えてほしい」との通知を出しました。→
「日本全国、均等に放射性物質で内部被爆してください!」とも聞こえかねない、挑戦的な通知です。

農水省は、4月から「セシウム1キログラム当たり100ベクレル」の新基準を導入しましたが、早くも今月11日、1,440ベクレルの乾燥シイタケが愛知県で売られ、3,650人の口に入ってしまいました。
14日には、2万290ベクレルのヤーコン茶が1,100セット売られていたことが発覚。回収できたのは、40セットのみだそうです。
そのような大失態をくり返している農水省ごときが、自腹で主体的に検査をしているメーカーや流通業者に「勝手なマネすんな!」と通知するとは、片腹痛い。

で、さっそく農水省に電話です。ネットに書いて、何かやった気になってはダメ。
電話で聞いたところ、今回の通知には法的拘束力はなく、飽くまでも「お願い」だそうです。100ベクレル以下の自主基準のままでも、別に「罰則規定はない」そうなので、各メーカーさんは、堂々と自主検査をつづけてください。買い支えます。

「バナナにだって放射性カリウムが含まれており……」レベルの人は、広告代理店と一緒に「食べて応援」してください。止めません。
僕は、そんなに長生きしたいとは思ってないのですが、メイド・イン・TEPCO製の放射性物質に殺されるのだけは、まっぴらゴメンですね!


これで話を終わろうとしていたら、茨城県・農林水産部・林政課長からメールが来ました。
さっき書いた「愛知県で売られてしまった乾燥シイタケ」は茨城県産なので、私は「県は自主検査してないのですか?」と、メールで質問していたのでした。

答えは「国において乾燥状態と水戻し状態での検査方法が明確に示されない中で,県が独自の判断で検査して公表した場合,情報が混乱することが懸念されたことから」「茨城県では,乾しいたけに係る放射性物質の検査を実施しておりませんでした。」
……えっ? 国が指示してないって、農林水産省のせいじゃないの?

そして、茨城県の対応としては「特に乾しいたけについては,平成24年4月11日付けで,市町村やしいたけ生産団体に対して,乾しいたけに係る放射性物質検査の自主検査の徹底を生産者に指導するよう依頼したところです。」
……あれ? 自主検査の徹底? 農水省と逆のこと言ってない?

茨城県の対応は、責任ある「県独自の」自主検査の徹底以外に考えられないでしょう(関東のキノコ類が危ないなんて、素人ですら知ってるんだから、最初から検査ぐらいしろよ!とは思いますが……)。
あのね、もともと「無関心第一主義」の人まかせの国民なんだから、これ以上、日本人から主体性を奪うなって話です。
別に原発や放射能にかぎらず、皆さん、主体性ないですから。

『ぼくのエリ』のボカシ問題で、僕が映倫に質問状を送ったとき、別の方のブログに「廣田さんは甘い」とか書かれましたよ。
エンタメの分野でさえ、主体性ないんだもん。命にかかわる問題ぐらい、行動力を示していこうぜ。日本の大人たち。

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2012年4月21日 (土)

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5月3日~5日のマチ★アソビ()ですが、『輪廻のラグランジェ』コメンタリー上映会だけでなく、「アニメスタイル」編集部の方とのトークショーにも出ることになりました。
『ラグランジェ』はufotable CINEMAにて3日、トークショーは4日です。時間・ゲストは、また追って……。


『坂道のアポロン』、第2話もバッチリ。ジャズどころか、音楽からっきし苦手なのに、ドキドキしっぱなしだった。何だか、体臭のようなものを感じる。あのアニメは、フェロモンを発している。
Story2_4どうしても念頭を去らないのは、南條範夫『城下の少年』である。これは同性に片思いする、若き高杉晋作を描いた小説だ。方言のせいか、少年たちが主人公のせいか、あの汗の香り漂う青春小説を読んでいる気分にさせられる。

男2人+女1人は『ストレンジャー・ザン・パラダイス』のようでもあり、『冒険者たち』のようでもあり……。

それと、「アニメのフォーマットなんて割と気にしてない」ラフな感じがいい。カゲ色をきっかり塗り分けないで、ブラシで吹いたようにしているのは、あまり綺麗とはいえない。でも、だからいいんだ。というか、綺麗でも汚くても、どっちでもいいいじゃん?という気分。
前回は「壊す」と表現したけど、実はフォーマットを壊そうとさえしていない。手放している。そう、「自由」ってことだ。


山岡淳一郎『原発と権力』を、読んでいる。「日本に原発が多いのは、核兵器を持ちたいから」というのは、さすがに陰謀論だろ?と思っていた。
だけど、『原発と権力』に載っている当時の資料を読むと、「再軍備」「原子兵器の理解と使用」などが政治の場で議論されていたようだ。間違っても、「日本を電力不足から救うため」ではない。
それは、ただ一基を残して原発が全停止した、現在の日本列島を見れば、即座に分かる。

敗戦・占領のコンプレックスから脱するための核装備。でも、それは半世紀前の夢であって、冷戦は終わり、借金に苦しむ原発立地だけが残った……。

来月、いわき市に行く予定ですが、もっと原発の近くまで肉薄してきます。


昨夜は、プラカードまで作ったのに、首相官邸前抗議には参加しなかった。
明日は、地元で親子連れ向けのピースフルなデモがある。前回の様子を動画で見たら、経産省前・官邸前抗議に、必ず姿を現す火炎瓶テツ氏が参加していたので、この人には「ピースフルなデモには出ない」とか、そういうセコいこだわりはないんだなーと感心。

関西電力本社では、ビルのドまん前で、再稼動反対のためにライブ演奏しているそうで、そういうムチャクチャさは、さすが関西。東京電力前では出来ないね。

「自分の出る幕ではないな」と思っている人は――、道に落ちているゴミを拾おう。それだけで、ずいぶん気分は変わるよ。

(C)小玉ユキ・小学館 /「坂道のアポロン」製作委員会

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2012年4月18日 (水)

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『輪廻のラグランジェ』 Blu-ray Vol.2 20日発売
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●ブックレット編集・執筆

知り合いの知り合いが、『ラグランジェ』大好きで、東京から自転車で鴨川まで行ったらしい。
キャラ表を拡大しただけの(笑)パネルでも、ちゃんと写真撮ってきたそうで、そういう人にはNHKの番組も、ステマだの「観光協会の言いなり」だの言われても、一切関係ないんだなー、と感心。
……とは言え、送り手サイドは変化していくニーズに、柔軟にこたえていく義務があると思います。

私からの提案で、まず「ホビージャパン」誌にて、SF考証のみを追及した連載が、今月発売号よりスタート。
もうひとつ、「マチ★アソビ」()で上映会(トークショー+生コメンタリー付き)を開催します。鴨川ではなく、徳島でやるところがオツかな、と。


アニメ特撮おすすめサイト「MILO!」が更新されています。
私の記事としては三度目ですが、お題は『ラストエグザイル -銀翼のファム-』。→

その他の告知。30日のスーパーフェスティバルに「廣田恵介」名で参加します。→
Sf59_bnr『メガゾーン23』同人誌のほか、ペーパー「石黒昇人(イシグロノボルジン)」を、新たに発行。石黒昇監督のファン・マガジンのようなものと思ってください。

あと、今年も明治大学のレナト・リベラ・ルスカ講師のお誘いで、ゲスト講師をやります。
その打ち合わせで、昨日、レナトさんと会った。最初は、「まずはヤマトとマクロスの話題から入る」程度だったのが、話していくうちに、「仕事とは何か?」というテーマが浮かんできて、なかなかエキサイティングな講義になりそう。


経産省前と関電京都支社で、原発再稼動に抗議してのハンストが始まった。
煌々と灯のともる銀座から東京電力、関西電力東京支社、経産省をめぐる「右から考える脱原発デモ」、これはちょっと素晴らしいな。→

街ゆく人々には「原発ゼロでも、こんなに明るいでしょう!」と説いてまわり、電力会社には容赦のない抗議。この勢いでは、社員はビビって外に出られないだろう。
アピールしている内容も筋がとおっているし、「この街を歩いている皆さん、そうとう(食べ物や呼吸に)気をつけてないかぎり、皆さんは被曝してます」とハッキリ言ったのも……僕もそう思うから、否定はできない。

「デモうぜー」「何がハンストだ」とネットに書くのは、負けおしみでしかない。デモやハンストの現場に行って、大声で「黙れ!」とでも怒鳴らないかぎり、ネットに愚痴るしかなかったヤツの負け。
頭では、身体に勝てないのだ。


何度でも書くが、5月5日、まるで惑星直列のように、日本全国の原発が停止する。
そして、停電は起きないし、江戸時代に逆行もしない。原発ゼロでも、いつもと変わらない夜が来る。

「なんだ、原発なんて必要ないじゃないか」と怒り出す人が増えるんだろうか? 今度こそ、国をあげて、脱原発に方向転換するのだろうか? そうは思えない。
「原発なんて、あってもなくても電気は足りるんだから、どっちでもいいや」「俺たちには関係ない」と考えている大多数の人たちは、さらに無関心になるだろう。
――モノを考えない人間は、果てしなく、どこまでも考えないものなのだ。無関心こそ、最強の処世術。

たとえ一時的であれ、原発はゼロになる。原発などなくても、すぐには困らないことが実証される。……だけど、ほとんどの人が「あっそう」ですませてしまう。そうなりそうで、怖ろしい。

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2012年4月17日 (火)

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見なきゃいけない映画があって、眠たくても、意識のあるあいだはズーッと決められた映画を見ていると、せっかくの眠りは、濃くて苦しいものとなる。
アニメーションは、視覚情報が整理されてるので、息抜きにいいなあと思う。『坂道のアポロン』は、ライブ感があって良かった。
Sa001l渡辺信一郎監督は、『アニマトリックス』で、完成作品では残らない原画のラインを生かしたくて「キッズ・ストーリー」をつくったわけだけど、『坂道のアポロン』の格闘シーンも演奏シーンも、「一回見れば分かるだろ?」と言いたげな思い切りの良さが、気持ちよかった。

多分、最初に動きを描きはじめる第一筆を、渡辺監督は大事にしたいんじゃないの? その後は、果てしなくトレスして、完成してから何度再生しても同じ動きだから。
「次やったら、もう違う動きになっちゃうんだよ」って、そんなことは原理的にはあり得ないんだけれど、そういう気分は濃密に伝わってくるじゃん。「ライブだから、一回きりだぞ」って。

原理にあらがう矛盾と葛藤が「作る」ことなわけで。
「ものをつくる」って、それまであったものを破壊すること。つまらないものって、たいてい、それまで売れてたものにプラスオンしてるだけでしょ。


日曜の夜の、何かをあきらめたような駅前の雰囲気って、けっこう好きで。
そんな諦念の気分のただようファミレスで、深夜まで友人と話すのは、すごく楽しい。会ってしゃべることって大事だなーとも思うし。

「自分」というのは、やはり、「自分の肉体」が発生させるものであって。世界と接するツールとして、手足があるわけではない。
僕は、バレエを生で見たことは一度しかないんだけど、刻々と変わる動きを、一ミリ逃さず全部ひっくるめて、ようやく「ひとつ」になる。僕らは、はいはいからヨチヨチ歩きに変わって、喉と舌をつかって喋ったり、筋肉をつかって、どこかへ走っていったりした結果を、あえて言うなら「人生」と称しているだけであって。

身体が勝手に動き出す瞬間って、それは「本物」だって気がする。たいてい僕らは、先に頭で想定したことを、あとから身体にやらせているだけだからね。


後期高齢者・石原老人が、今度はワシントンで「放射能にトラウマがあるのは分かるが、原発を全廃して、とたんに生活が貧乏になって、それでいいんですかという話だ」とか言ってきたそうで、この人も、北海道の一基をのこして、原発が全停止してることを知らないのかな?と思ってしまう。

裏で原発再稼動に暗躍してきた仙谷由人は、「止めた場合、経済と生活がどうなるかを考えておかなければ、日本がある意味で集団自殺をするようなことになってしまうのではないか」と言い出した。「脱原発依存が実現するまで、真っ暗な中で生活を送るわけにはいかない」とかさ。

東北も関東も関西も九州も、一基たりとも原発は動いてないので、まあ聞き流してるんだけど、こういうのをテレビのニュースでタレ流すと、「やっぱり原発は必要だよ」となってしまう。
311前、僕も「日本の電気は、ほとんど原発でつくっている」と、根拠なく信じていたもの。5月5日に、原発が全停止することが確実になったけど、そんなの、国民のほとんどが知らないのではないか。

正確には「電気があれば、どうでもいいよ」「原発事故なんて、去年の話だろ」と思っているから、「知らない」に過ぎないのだが。


とは言え、関西の電力供給は、夏場は厳しくなると見ている。
脱原発は、そんなに甘くないし、きれいなものでもない。廃炉作業だって危険だし、何十年かかるかも分からない(東海発電所は廃炉作業中だが、全部で23年もかかる)。

それほどの大地震は、めったに起きないだろうと楽観もしている。でも、それは僕が生きてる間のこと。僕が死んだ後、50年もしないうちに、大地震は起きるだろう。
そんなのはイヤだから、今のうちに原発の廃炉作業をはじめよう。そういう話です。石原とか仙谷みたいに、子孫に何もかも押しつけて平気な恥しらずな老人には、絶対なりたくないじゃない?

(C)小玉ユキ・小学館/「坂道のアポロン」製作委員会

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2012年4月15日 (日)

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なぜか、「フリーメーソンを扱った映画の解説を書いてほしい」という依頼が来た。何本か、その手の映画を見なくてはならないので、レンタルしてあった『ベンダ・ビリリ !~もう一つのキンシャサの奇跡』を消化せねばならない。
B1_largeコンゴ民主共和国の首都・キンシャサで、路上生活する障害者たち。彼らが道ばたで結成したバンドが、やがては、フランスの音楽祭に招かれるまでを追ったドキュメンタリーだ。

彼らは貧しいが、現実から逃れるために、音楽をはじめたわけではない。
彼らは「今日は皿で食べたが、明日は道ばたで食う」とか、「この広場で寝泊りする子どもたちをバカにするな」とか、生活に密着したことしか、歌わない。
映画の途中から、バンドに加わる少年は、空き缶と木の枝でつくった楽器を奏でる。しぼりだすような、哀切な音色がする。

それは「文化」などという、糊のきいたシャツの襟なんかではない。心からの怒りや嘆きは、筋肉を経由せざるを得ないのだ。
だから、「ヨーロッパへ行くぞ」とはりきり、その夢をかなえた彼らは、路上で歌っていたころの迫力をそがれ、ちょっとずつ仕組みに取り込まれていく。取材クルーはフランス人なので、なんだか気味が悪い。

コンゴ民主共和国は、ヨーロッパの植民地だったじゃないか。
この映画に登場する誰もが、そんなことは忘れてしまったかのようだ。「成功する」「豊かになる」とき、そこには、何かしらの支配と被支配の仕組みが関与している。今の僕には、そう思える。


「金の卵」と呼ばれて、東京の経済成長を支えた少年や少女たちは、『三丁目の夕陽』の中でファンタジー化される。あんな映画が、なんと三本もつくられるぐらい大ヒットしてるんだから、悠々自適に東京に暮らしているだけでバカにされても、僕などは仕方ないと思ってしまう。
何も知らずに、このまま安穏と死んでゆくのは、イヤだなあとも思う。

「あれは、映画の中でのことだよ」と割り切れてしまえる人が、僕にはおそろしい。誰が何をどのように描いたか、それは現実ではないか。
「現実とフィクションの区別をつけましょう」という言葉そのものが、フィクションを最もバカにしているんだよ。そんな考え方が、現実を動物園のオリの中に閉じ込める。


どうして、東京の路上で歌うミュージシャンがウソっぽいかと言うと、そんなことしなくても、実は生きていけるからだ。
たぶん、脱原発デモも抗議集会も、そんな風に見えるんだと思う――。2012年の三鷹駅前には、24時間営業の食べ物屋が何軒かあるし、僕は好きな時間に、そこへ入れるぐらいのお金は、ポケットに入っている。東京電力の電気に照らされながら、ちょっとセシウムの混じったご飯を食べるぐらい、そんな生活を維持していくのは、楽に決まっている。

だから、「東京に暮らしているなんて最低ですね」と誰かに責められても、僕は何も言い返せない。それは、奴隷の生き方に似ているもの。
少なくとも、僕がデモに参加するようになったのは、「システムの奴隷はイヤだな」と思ったからだ。「誰か、意見のある人は?」と先生が聞く。誰も手を上げない、あの小学校の教室から出なくてはならない。

『ベンダ・ビリリ !』のメンバーの何人かは、障害者シェルターで暮らしていた。ところが、シェルターは火事で全焼し、住む場所がなくなってしまう。
彼らはフランスのホテルに泊まって、こんな会話をする。「タバコを吸うときは気をつけろよ」「ホテルの天井に火災感知器があって、水が降ってくるぜ」「ここは、キンシャサじゃないんだ」。

家が燃えるにまかせておけばいい……とは言わないけど、タバコを吸いたいのに勝手に水が降ってくるような歪んだ便利さは、願い下げだ。
そういう歪みが複合的にからみあって巨大化した施設、それが原発なんだ。

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2012年4月13日 (金)

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これは、僕と一緒に、首相官邸前抗議で、ずぶ濡れになってくれたプラカードの裏側である。
表には、「再稼動、絶対反対」とか、政府に対する言葉を書いたので、裏には集まった人々に伝わるような、あるいは、自分を力づけるような言葉を貼った。
ガンディーの言葉である。

雨が降ってきたのは、別にいい。傘を持ってこなかった自分が、悪い。
二時間予定の抗議が、20分ほど延長されたとき、「NHKを見ていた方から、大飯原発、再稼動決定のニュースが入ってきました」と、主催の方がアナウンスした。

そのときの、どよめきと怒号は、物理的な風圧となって、二列目先頭にいる僕の身体を押した。間もなく、ほとんど意地のように「再稼動反対!」のシュプレヒ・コールが、地鳴りのように始まった。
誰もが、怒鳴っていた。

「僕もくやしいです、こんなタイミングで……。僕だって、こんなことは言いたくありませんが……」と、1000人を超す人々の前で、主催者のひとりが無念そうに言った。「でも、ここで抗議をつづけるために、今日は解散しましょう。来週も、またその次も、続けるために!」


2500人集まった、という説があるが、1600人が妥当じゃないかな。とにかく、先週より多かったのは確か。
0413ca78r6xz元・原発技術者の方もマイクを握ったし、東北から来た、熟年夫婦もスピーチした。
大飯原発の再稼動問題なので、関西弁の若者が多かった。京都から来た人は、「東京まで来て、再稼動反対だなんて、こんな情けないこと、言わさんでくれよ」と、その彼は怒りのあまり、泣いていた。

政府の「冷温停止」宣言を信じているような人には、なぜ1000人をこす人々が「原発再稼動反対」しているのか、意味すら分かっていないらしい。
冷温停止しているはずの、福島第一原発の四号機が「冷却が不可能」になっている。知ってますか、これ? 「冷温停止」しているのに「冷却」が必要なんて、おかしな話と思わない?

それと同じような詭弁が、大飯原発再稼動へのプロセスでは、繰り返された。
完成してもいない設備や施設を、「これから作ります」の一言で、OKにしてしまった。これはもう、仕事ではない。まして、さっき書いたように現在進行形の大事故にすら、どうとも手のうちようがない連中が、「今度は大丈夫です♪」なんて、口が曲がっても、言ってはいけない。

どの業界でも、そうでしょ? 仕事のできないヤツが大失敗したあげく、「次は、きっと大丈夫ですよ」と言ったって信用できないよね? 僕は、そこに腹を立てていた。


抗議に集まった皆は、主催者の言葉を聞いて、地下鉄の駅へ向かった。
駅の入り口に立ちどまって、「再稼動反対!」とコールしている男性がいたので、僕も立ちどまり、彼につづいた。何人か、女性の声も加わった。
最初の男性が、地下鉄の駅へ消えたので、僕が残って、首相官邸の窓をにらみつつ「再稼動反対!」と、ぐしゃぐしゃになったプラカードを、高く掲げた。
駅へ向かう何人かが、コールに加わってくれた。今度は、僕が彼らにつづいた。

やがて、僕ひとりになった。「再稼動反対!」という言葉は、すでに思考を経由していない。
「お前らのズサンなクソ仕事が許せない!」――訳すると、そんな感じだろう。
集会のあった方角で、かすかにコールが聞こえる。僕は、プラカードを首相官邸の方へつきつけ、「再稼動反対!」と叫びながら、その場所へ向かった。

そこには、マスコミから取材を受けている人が、数人いるだけだった。警官にからんでいる人もいたけど、警察は終始、協力的で親切だったので、逆恨みはよくないと思った。
横断歩道の向こうの暗闇を見ると、急に雨の冷たさが、身に染みた。
「このまま、新幹線で福井県まで行っちゃうか?」――30代のころは、結婚する前の妻に、新幹線で会いに行ったことがあった。失恋したみたいな気持ちだった。

地下鉄の入り口へ行くと、まだ帰りづらそうな人たちが、2~3人いた。「再稼動反対!」と、僕は、もう一度、首相官邸を振り返った。本当に、未練がましい、負け惜しみだ。
こういうとき、夜の女たちは、慰めてはくれない。だから僕は、三鷹の自宅へ直帰した。仕事が待っている。明日の都庁デモは……今は、そんな気分ではない。

「こういう世界であって欲しい」――そのような理想を持たぬ者は、楽である。
負ける可能性があるからこそ、勝利という概念をイメージできるのだ。仮に負けたとして、それを「ま、世の中こんなもんさ」と冷笑できる者は、その勝利のイメージも、また貧しく捻じ曲がっている。

僕は、自分の身体をつかった行為が敗れたときには、声をはなって泣きたい。「くやしいな」「今に見ていろ」と思いたいのですよ。
なので、原発の話題は、まだ続きます。

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2012年4月12日 (木)

■0412■

これといった予備知識もなくなんとなく、ケチャップいっぱいのハンバーガーの香りがしたので、『SUPER 8/スーパーエイト』を借りてきた。
S00180年代のSFXブームの頃に見たら、「またすごい映画が来たぞ!」って、大騒ぎしただろうな。完全に、中高校生のころの自分が、憑依していたよ。
それは、いまの45歳の肉体を、映画を見ている間だけは離れられたわけであって、それはちょっと、複雑な気分だった。

『未知との遭遇』は、小学生の僕には、「信じられないほど大きなUFOが出てくる」「ポスターが神秘的でカッコいい」ものであって、それで十分だった。
だけど、中年になってから、ディレクターズ・カット版を見てみたら、どうでもいい知識が邪魔をしてくる。「これはヒッピー・ムーブメントが影響してるんだ」とか、「まずは前史としてニューシネマがあったんだ」とかさ。

『スーパーエイト』は、年寄り独特の垢というか、クソ知識をいっさい思い起こさせず、ただひたすら、マット・ペインティングで描かれたような田舎町の、寂寥とした夜景が懐かしかった。
そして、おそらくは見終わったあとに「ああ、イマイチだったなあ」とガッカリするのであろう“期待感”さえも、あの頃のままなんだよ! 「あれ、イマイチだなあ?」って気持ちは、ようは「一種の満足感」なのだよ。

なんだかオチがよくなかった、期待したほどではなかった……それがどうした?と、俺は言いたいね。ガックシな映画ほど、人と話せるフックが多いってことさ!
不完全な映画ほど、実は創造的なのだ! 分かるかね、採点マニアの諸君!


だけど、自分自身の「懐かしい」という気持ちとは、どうにかして戦わないといけない。
「懐かしい」は、無条件な肯定なんだけど、それは「過去の自分を否定したくない」防衛本能でもある。

カラオケで、10代のころに聞いていたアニソンを歌ってもいいのは、やっぱり、それを共有できる人たち同士。そして、酒が入ってもいいような状況ならば、許されるんだろう。
「昔のアニソンは、ちゃんとキャラクターの名前を連呼して! 必殺技の名前も叫んで! みんなで、いっしょに歌えたんだよ!」って力説されると、「僕は、この人たちのグループじゃありません」って、逃げたくなっちゃうよ。

12~15歳ぐらいのころって、耳も機能的に優れているし、そりゃあ、鮮明に聞こえたと思うよ。
僕は22歳のころ、失恋したショックで『第二の性』を、すごい勢いで読破したんだけど、今はムリだろう。だけど、その体験だけは、なんらか形を変えて、いまの心を形成しているんだと思う。

「いやー、『第二の性』、すごく懐かしいっすよ!」とか言ったら、ボーヴォワールにひっぱたかられそう。
ようは、「その瞬間、最も効果のあるドラッグを探せ」というだけの話で、ある晩は、「懐かしい歌」が、よく効く薬だったりするんだろう。
だけど、その晩だけしか効きませんから。


昨夜は、雨がふっていたにも関わらず、霞ヶ関を横断する(関電前も東電前も通過)再稼動反対デモに、なんと700人も集まったらしい。3時間も歩いたみたい。
というか、今週は、連日なにかしら抗議活動がある。金曜日も、もちろん!→

僕は、後期高齢老害知事が大嫌いなので、土曜日は都庁デモにも参加したい。→

だけど、再稼動反対もなにも、いまだに「全国の原発がフル稼働している」と思い込んでる人がいるから、困ってしまう。
北海道以外の全原発が止まっているのに、計画停電さえ起きない。それが「答え」だよ。


(C)2011 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.

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2012年4月 9日 (月)

■0409■

オトナアニメ Vol.24 発売中
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●『偽物語』いろいろ
「各オープニング研究」、「板村智幸の絵コンテ」、「偽物語の絵づくり」、「美術設定を楽しむ」、これらのページを構成しました。

●『輪廻のラグランジェ』 松村拓哉 メカ作画監督
●『エウレカセブンAO』 竹内志保 デザインワークス

それぞれインタビューしつつ、『ラグランジェ』のほうは、原画を何枚か掲載させていただきました。

これらの仕事は、用意していただいた素材に、何らかの関連性を見つけて配置していくわけで(インタビューも「素材を集める」ことに変わりはないと思います)、関連性が見つかった瞬間は、すごく嬉しい。やりがいもある。
ただ、それを読者さんが面白がってくれないと、本当に意味がないよなあ……と、本が刷り上ってくるたびに、思います。


アニメ業界、マンガ業界の方たちにまじって、『宇宙戦艦ヤマト2199』を見てきた!
465冒頭の冥王星会戦は、オリジナルの構図を踏襲しながら、再構成しているところが良かった。
「おっ、ここはこう変えたのか」「こう解釈したのか」と楽しむには、やはりオリジナル版を見ておかないと、難しい。

それまで、まともに描かれたことのなかった宇宙船同士の艦隊戦を、初めて描くことと「その解像度をあげる」作業とは、やはり根本的に違う。


昨年、石黒昇監督のくださった『テレビ・アニメ最前線』(1980年刊)から、石黒監督ご自身の言葉を引用しよう。
「ぼくらは何よりも巨大な宇宙戦(原文ママ)が爆発するスケールを出したかった。その為には爆発音(宇宙で音が響くのも変な話だが)を三秒から五秒欲しいという事で『ヤマト』独特の爆発フォルムを作り出した」。
それがあの、四方にひろがるヒトデのような爆炎となったのだ。この本には、原画も載っている。

オリジナル版の冥王星会戦は、まさに見たことのない戦場である。
沖田艦は「司令船225号」と呼ばれ、その葉巻型の船体は――よく見ていただきたいのだが――、ガミラス艦のビーム砲が当たると、まず丸い輪が広がり、やや遅れて穴が開き、それからゆっくりと船体が傾く。
弾丸が当たったのではなく、もっと別の物理現象が生じたことが、しっかりと伝わってくる。

僕は、古典的なディテールのヤマトよりも、葉巻型の沖田艦、「司令船225号」に未来を感じる。未来の宇宙船なのに、すでに老朽艦。そこにワンダーを感じる。
そして、太平洋戦争時の遺跡に、無理やり、異星の波動エンジンを搭載した「ヤマト」が、性能的には、歴戦の沖田艦を凌駕してしまう。その対比にテクノロジーの残酷さがあるし、沖田十三の無念もあれば、決意もある。

架空のメカニックの描写には、それを使う人間の気持ちを感じられなければ、空しい。
表現する者と、それを観賞する者とのやりとり――を豊かにするためには、やはり想像力が必要なのだと思う。


4月30日開催の「スーパーフェスティバル59」に、出店します。→
ディーラー名は、うっかり「廣田恵介」にしてしまったのですが、販売物は「時祭組」の『メガゾーン23』同人誌とペーパーが中心になります。

あと、5月上旬の「マチ★アソビ」にも参加します。今週には詳細が決まると思うので、また告知します。

(C)2012 宇宙戦艦ヤマト2199 製作委員会

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2012年4月 7日 (土)

■0407■

昨夜の、首相官邸前抗議活動には、1200~1300人が集まったそうです。
0407ca31l3xr_2前回は、たった200人ぐらいでした。というか、霞ヶ関での抗議活動は、いつもそんなもんです。皆さん、「仕事が」「育児が」と行かない言い訳をつくりやすいし、「ネットで見てるから、がんばって~」と、楽な流れに乗りやすいですね。

マイクを握った方がおっしゃってましたが、「みんな普通に仕事があるけど、何とかやりくりして来ている」んですけど……。僕だって、前夜から昼間にかけてノルマを終わらせ、各所に連絡をして、自由な身にしてから来たんです。それぐらい、みんなやっているのですよ。

なので、僕より拘束がきついはずの知り合い・友人が来てくれたのは、すごく嬉しかった。
霞ヶ関は、本当に冷たい街で、一般人が立ち入れる場所は、皆無に近いです。国会図書館ですら、頑丈な警備です。
だけど、そんなことに臆していたら、これからも勝手に「やられっぱなし」で、僕らは緩やかに殺されていくでしょう。温厚で、ものわかりのいい人(デモになんか来ないようなお利口さん)から、順番に殺されていくんですよ。


宮崎駿が、「どんな映画でも“ここまではウソをつく”と、作り手がルールを決めるんです。そのルールを映画の途中で変えてしまうヤツがいる。それは最低なんですよ」という意味のことを、誰かとの対談で話していました。

おとといの記者会見で、藤村官房長官は「大飯原発の再稼動について、地元の同意は法律で義務づけられているわけではない」と、自分たちで決めたルールをひっくりかえしました。
仕事で、こんなこと言ったら、次から取り引きナシでしょ。信用できないでしょ、そんなヤツは。
僕は、原稿のシメキリは守りますけど、間に合いそうもないから「シメキリを守ることは、法律で決まっているわけではない」とか偉そうに言ったら、「あいつとは仕事できないよ、次から使わないようにしよう」って言われて終了。それが、常識でしょう。なのに、この国の支配者たちは、公言しちゃうんですよ。
「お前ら地方の自治体が言うことを聞いてくれそうもないから、俺ら霞ヶ関が、勝手にルール変えちゃったぞ」と、そういうことを言っている。

昔も今も、僕には政治の話は分かりません。
だけど、東電や政府は「仕事人として、最低のことを平然とやっている」。それだけは、分かるんです。原発がどうの、倫理がどうの以前に、クズみたいな仕事してる連中が、納税者に一言の相談もなく、自分の楽なように、都合のいいようにルールを変えて、物事を決めている。

こういう現実を目の前にして、まるで怒らない人とは、僕は仕事はできません。


抗議活動は、二時間の予定を延長して、20時15分まで行われました。
0407caglru06コメント欄で「こういう集まりには、政治家も脱原発文化人も来てくれないよ」と書きましたが、福島瑞穂議員や、山本太郎さんが来ていました。
でも、大江健三郎とか坂本龍一とかは、金がとれそうな大規模なイベント風のデモじゃないと、絶対に来ないよね。

来るだけでお金のとれるタレントたちは、広告代理店でも入らないと、何もしてくれないね。広告代理店は、「食べて応援」でも何でも、心にも思ってないことを平然と宣伝する。「脱原発」でカネがとれるんなら、彼らはやるだろうね。ポリシー、ないから。

「食べて応援」の結果、茨城県でとれた乾燥シイタケが愛知県の幼稚園の給食で出されて、規制値の14倍、1400ベクレルの汚染食材を、(園児含む)528人が食べてしまった。
僕は茨城県に「どういうルートで出荷されたのか」って問い合わせたけど、お利口なみんなは「まあ、食べてしまったなら仕方ない」と、穏便にすまそうとするでしょ。

去年、セシウムの入った牛肉が流通したのは、全国45都道府県だよ。
ちょっと待ってよ。日本にあるのは47の都道府県だから、ほとんど全部じゃないか。全国に汚染食材が出回ったのに、誰も逮捕されない。
駅弁として東京駅で売られてしまったのに、食べた人が告訴したって話もきかない。日本人は、一蓮托生、死なばもろとも、「絆」が大好きなんだよ。


遠くまで出張したのに、昨夜の抗議活動に来てくれた友人と、西日本産の食材を使ったお店で飲んだ。
その後、飲み友達を呼び出して、吉祥寺で朝まで飲んだんだけど、バーのお姉ちゃんも、経営者も「原発って何?」だよ。いまだに。

「有楽町・歌舞伎町はもちろん、キタもミナミも、今夜は大賑わい。原発の電気で飲んでるのは、ススキノだけですね」と、抗議活動でマイクを握った方がおっしゃっていたけど、飲んでる人たちは「原発があろうとなかろうと、電気さえとまらなければ、何でもいい」と思っている。

そのくせ、自分がいま起きている事態と接していないことが、歯がゆい。参加する勇気のない無力な自分に、いらだっているんだよ。
実際に行動している人間が、憎たらしいわけ。そういう彼らは「デモうぜー」と言うし、「原発なくすんなら代案を」と、頭だけで考えた「何もしなくていい免罪符」を、鉄壁のガードにするしかない。

そういう人たちとも話すから、僕の暗鬱な気持ちは消えてなくなってはくれないのです。

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2012年4月 4日 (水)

■0404■

麻生久美子、仲里依紗が揃って出てるので、『モテキ』借りてきた。
008仲さんは、ガールズバーのお姉さんの役だった(あのお店は、キャバクラではありません)。
ただ、仲さんは、水商売でも子持ちでも、ハマりすぎてインパクトが薄れてしまうね。子持ちで夜の街で働いている人なんて、あまりにいっぱいいるので、これといって新味のある役でもないし。
……何だか箸休めみたいな役柄だったけど、あれぐらいの出番が、ちょうどいい。

麻生久美子は、主人公の趣味をすべて理解する、努力すると泣くところがリアルだった。無茶のある恋愛を、努力で押しとおそうと粘る。誰でも、おぼえがあるんじゃないかな。
そんな気持ちを「重い」とけむたがられてしまうのも、「だったら、友だちとして仲良くしてほしい」と食い下がるのも、非常によく分かる。

だから、(東宝シンデレラだからヒロインにせざるを得なかったのであろう)長澤まさみの同棲相手のロクでもなさ含めて、恋愛にうんざりさせられるような映画だった。
役柄が、それぞれに実在感があったので、女優的には十分に楽しめたけどね。


ところで、たかが大学生のくせに「いまだにモテキが来たことがない」と嘆いているヤツとか、アニメしか見てないくせに「三次元になんて興味ねーよ」と屈折した気になってるヤツを見ると、蹴飛ばしたくなるよね。

「自分には向いてない」とか「人それぞれ」とかいうのは、努力した人間だけが言えることであって。あらかじめ努力を放棄した人間が、聞きかじりの言い訳を並べてるのは、みっともない。
麻生久美子みたいに、這いつくばって「わたし、努力するから!」と、横車を押している人間のほうが、だんぜん感情移入できるよね。あそこまで惨めな思いをしたな
ら、明日はきっと明るいよ。
優越感にまみれた人間には近づきたくないけど、劣等感に甘えた人間も、同じぐらい見苦しい。

惨めでも、寂しくても、恋愛はしたほうがいい。いずれ形を変えて、心を強くしてくれる。身体をつかって頑張ったことって、必ず血肉となって残ってくれるからね。


いつも女を連れているハンサムな友人がいて、自分と関係のない恋愛ごとは、ずいぶん見せてもらったような気がする。
その友人が「廣田さんは、この世に女神がいると思ってるでしょ?」と、あきらめた口調で言っていて。俺には縁がないってだけで、女神はいると、今でも信じてるよ。

だけど、その友人は女との関係に、心底からウンザリしていて、いつも飲めない酒を飲んでは、『ジャイアント・ロボ』とか『ガオガイガー』の勇ましいサントラを、大音量で聞いたりしていた。
どれだけ女に追い回されても、その先に、彼の理想の国はなかったんだ。

そんな彼が、大震災のあとに結婚した。短い電話だったけど、あきらめたような笑い方は、相変わらずだった。
人それぞれ、幸せの場所は異なる。『ジャイアント・ロボ』がミサイルを撃つシーンを見て、「よーし、元気が出たぞ!」と言っていた頃の彼は、僕と同じ理想を見ていたんだ。
僕らが追うのをやめただけで、理想の国がなくなったわけじゃない。別の誰かが、追っているんだよ。


5月5日、日本の原発が全停止すると、いよいよ原発再稼動の道のりは、険しくなるそうだ。
関電の筆頭株主の大阪市は、神戸市と京都市も巻き込んで、脱原発を提案するという。態度がはっきりしてて、いいよね。

いま、原発の将来を決める主戦場は、近畿に移っている。
東京なんて、霞ヶ関に東京電力、残りカスしか残ってない。そもそも、こんな汚染地域が首都であっていいわけがないよ。

……と言いながら、金曜18時は、首相官邸前で抗議集会です。→

(C)2011映画「モテキ」製作委員会

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2012年4月 3日 (火)

■0403■

『惑星ソラリス』のような味わいのSF作品『アナザープラネット』。
Imagescarzooia_2地球とそっくりの惑星が、頭上にあらわれる。交信してみると、向こうの地球にも、自分たちとまったく変わらない人々が住んでいて、同じように驚いているらしい。
世界中に、科学的・哲学的議論がまきおこる。

主人公の女性は、あがないきれない罪を負っている。孤独な彼女が、どう罪と対峙するかが主系的葛藤だ。
なので、SF的なスペクタルやサスペンスは、ほとんど無い。淡々と静かな映画。

もうひとつの地球と交信する初の実験が、テレビで中継される。まるで、霊界と対話するような、気味悪さのただようシーンだ。
テレビを見ていた主人公の家族は、「これはヤラセだろう」と騒ぎはじめる。だが、主人公の女性は外に出て、思わず、頭上に浮かぶ地球を見あげる――。

すると、周囲の家からも人々が出ていて、同じように、地球を見あげている。街灯のつくような時間だが、住宅街の向こうの街路樹のあたりには、かすかに夕陽が残っている。
とても美しいむシーンだ。昼と夜の溶け合ったような風景は、天啓に導かれた主人公の心情そのもののように、曖昧で、静寂につつまれている。


2010年7月24日の一日だけを撮影した、世界140ヶ国のアマチュアの映像を集めて再構成した『LIFE IN A DAY  地球上のある一日の物語』。とても良かったのだけれど、レンタルで借りなくても、ネットで全編、見られるのか。→
0403340351_01_01_02何気ないような、しかし、奇跡的に思える一瞬のできごと。宗派のちがう人々が「自分が怖れているのは、神だけだ」と、口々に言う。
「神を信じてない人が怖い。だって、地獄に落ちちゃう」と、白人の女の子が言う。
お墓を撮影しながら、震える声で「死が怖ろしい」と訴える人がいる。

残り人生のほうが少なくなってしまった僕は、美しい風景を見るたびに「自分は、ここには行けないだろうな」と、さみしい気持ちになった。

まだ若い人たちが、この映画を見られるのは、素晴らしいことだと思う。


「日本全国に福島(原発)の事故は直接、間接の影響を及ぼしている。そういう意味では『日本全国』が地元だ」→
――この記事を夜中に読んで、声を出して泣いてしまった。

雨の日、風の日、震えながら経産省前に立ったのは、無駄ではなかったのかも知れない。
それでも、「ただちに健康に影響はない」を連発したフルアーマー枝野は信用できない……という人は、「反対すること」「批判すること」が自己目的化してないか、考えてみたほうがいい。

初めてデモに参加してから、一年が経過しようとしている。
だけど、その間、暗いニュースしか聞かなかった。絶望しないためには、怒りつづけるしかなかった。
少しは、人に感謝したり、応援したりする気持ちが欲しかった。怒りつづけたまま、死にたくはない。

枝野大臣が翻意したら、その時こそ、また容赦なく経産省前で叫ぶけどね。

(C) 2011 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
(c) 2011 world in a day films limited

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2012年4月 1日 (日)

■0401■

『猿の惑星 創世記』を見て、どうしても肉眼で確認したいと思い、井の頭自然文化園へ。
0401ca3jvj1o小さい頃から、猿山は嫌いだった。いま見ても、憂鬱な気持ちになるので、熱帯温室の写真を載せておく。
猿たちは、子猿をのぞいて、みんなジッとうずくまっていた。何匹かは、痛々しい皮膚病にかかっていた。
笑ってみているのは、家族連れとアベックだけだった。

むかし飼っていた犬たちのことを、思い出した。
蚤にたかられ、目も見えなくなり、抱きしめても、わずかに尻尾をふるだけだった犬たち。広い場所で、リードを外したときだけ、元気に走り回っていた。
彼らには「窮屈で、辛い人生を送らせてしまった」という記憶しか、残っていない。


土曜日の朝10時40分ごろ。
「昨日、何度も電話いただいた松本ですけどぉ」と、怒った女の声で電話がかかってきた。まったく覚えがないので、「はい?」と聞き返すと、「昨日、奥さんから、何度もお電話いただきましたよねえ? 奥さん、いますよね!」とキレている。
「いえ、家には妻はおりませんが……」
「はあ? だって、そっちがかけて来たんでしょ?」
「いえ、私ひとりしか住んでおりません」
「まったく、何なんですか? もういいです!」
……で、切れた。

俺はJCN武蔵野三鷹と契約しているので、即座に「今かかってきた電話番号を調べてほしい」とお願いしたのだが、「そのようなサービスはない」とのことであった。
(調べれば相手の番号ぐらい分かるはず。それを月数百円のサービスに変えてしまうのが、彼らの商売なのだろうな。)

休日の朝に「奥さま、ご在宅でしょうか?」と電話してくるのは、間違いなく、何かのセールスだよね。
でも、この商売のやり方は腐っている。「だって、世の中なんて、人に迷惑かけて平気な連中ばかりでしょ? だったら、迷惑かけられたフリして商売したほうが、こっちに有利じゃない?」って発想。
――世の中がどれだけ腐ってようと、お前が腐っていい理由には、ならねんだよ。


つまり、他人への、お客さんへの無関心が、彼らの態度を傲慢にする。
「相手が困ろうが傷つこうが、ちょっぐらい嫌な思いをしようが、カネさえ払ってくれたら、客として扱う」――東京電力などは、この典型である。
この東電気質は、日本人の心の中に、ちょっとずつ潜んでいる。発症しないウィルスのように。

本日から、食品の新基準値が適用されている。大幅に厳しくなったはずだが、僕は、汚染食品は減らないと思っている。
なぜなら、過去一年、暫定基準値をこえる食品が出荷されても、誰も罰せられなかったから。
国や県は、特に汚染の激しい水産物についてさえ「出荷自粛の要請」をするだけで、決して出荷禁止にはしない。

そして、食品業者は「大切なお客さんに、内部被曝はさせられない」とは考えない。「カネを払ってくれるのが客」と考える。だから、どんどん出荷する。
セシウム入りの牛乳や牛肉が給食に出ても、たいして親たちは騒がない。これでは汚染食品が減るわけがない。

いい製品をつくって、大声で「安心して買ってください」と宣伝できる世の中にしたい。
先ほどの電話セールスの話も、まったく同じ。お客さんとは、「信頼関係を結べる相手」のことであり、無条件にカネをくれるカモのことではない。


バンダイチャンネルで『超時空要塞マクロス』が、無料配信されている。→
Macross_2
第一話『ブービー・トラップ』の絵コンテは、石黒昇監督。

アバンタイトルでは、キャラクターがひとりも出てこない。マクロス艦の落下を、雲間に光の玉が透けて見えるエフェクトで表現している――。
SF小説を読んでいるかのような、文学的リアリティ。

そういうお話について、もっと早くお聞きすべきだったのだが、こうして手軽に作品が見られるというのは、本当に幸いだと思う。

(C)1982 ビックウエスト

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