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2012年3月31日 (土)

■0331■

人間が最先端のものと信じ込んでいる電子キーは、実は、単純な数字の組み合わせさえ覚えれば、すぐに使えてしまう。だとすると、人間より猿のほうが、うまく使えるんじゃないか?
そう思わせるシーンがあるだけで、『猿の惑星 創世記』はエキサイティングだったし、僕はひさびさに、映画の中に没入できた。
002何しろ、この写真のシーンで、涙を流してしまったほどだ。
この猿が、CGであるかどうかなんて、途中からどうでもよくなっていた。チャールトン・ヘストンの『猿の惑星』に、うまくつながるかどうかも、どうでもいい。
ただ、グレッグ・イーガンの小説を読むように、ひたすら時間を忘れて、翻弄された。

主人公の猿、シーザーの幸福を願った。そう願えるラストに、満足した。


不思議なもので、猿が映っているシーンでは、人間のことを思う。人間が映っているシーンでは、猿たちがどうなっていくのか、気になる。
だが、知恵をつけた猿たちと、滅びゆく人間とは、反比例する曲線グラフのように、はなればなれになっていく。

本当は、家畜のようなシステムから解放されねばならないのは、僕たち人間のほうなのだ。
この映画は、決して人間を救わない。ただ、怒り、悲しむ猿たちを描くことで、僕らにも少しは救いがあるんじゃないかと、期待させる。

しかし、シーザーの瞳は、どんなに怒っているときでも、悲しそうに見えた。


どんな映画だって、自由と解放を求めるんだ。抑圧からの逃走。僕らをシートに縛りつけている罪悪感から、映画は必ず終わってくれる。「さあ、外へ出ろ!」って。
映画は所有できない。時間が来ると、消えてなくなるんだ。

映画のレビュー欄に★印が並んでいて、どうしても満点をつけられないヤツ。さんざん誉めておきながら、なぜだか「95点」と書いてしまうヤツ。
君たちは、「しょせん世界に完璧などあり得ない」と、あきらめている。世界を完璧にするには努力が必要なのだが、その努力を放棄したニヒリストたち。
そういう連中は、「この映画もまた欠けている」と嘆きつづけることによって、世界を暗くしていることに、いい加減に気がついてほしい。


アニメ特撮おすすめサイト「MILO!」が更新されました。
私の記事の第二回は、『境界線上のホライゾン』です。→

(C)2011 TWENTIETH CENTURY FOX

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2012年3月30日 (金)

■0330■

言い忘れていたけど、山本寛監督の『blossom』はいい試みだと思っている。→
P1_l_2「酒を飲むときは、酒を飲む以外の目的を持たないことだ」って、なにかの本で読んだ。同じように、「作品をつくるときは、作品をつくる以外の目的を持たないこと」、これが大原則だろう。

だけど、何度も東北へボランティアに行ったヤマカンが、「今度はアニメで元気づけたい」っていう、その「雑念」はいとおしいし、カッコいいとも思うよ。


僕は福島に行くだけではなく、徳島のマチ★アソビ(5月3日~5日)にも、また参加することになりそう。
最初は「ひとりで十分」と言っていたんだけど、何人か、ゲストをお呼びする形になる。
こういうことは、半分までは自分の意志で動かせるけど、もう半分は人の要望を聞かないと、決して形にならない。

それまでに、単行本の原稿、ぜんぶ終わらせればいいと考えれば、気持ちも楽だ。


昨夜は、歩いていけるスタジオで取材があったので、暗くなってからフラッと出かければ良かった。
だけど、一時間に満たなくても、自分はそこに行くべきだと思い、首相官邸前の抗議活動へ行った。

18時集合、ちょっと前に着いたけど、すごい数の人だよ。後から聞いたら、合計で200人だっ0330casmp654_2たらしいけど、ひとりあたりの熱量は濃かった。最初からみんな、腹のそこから声を出していた。
大飯原発の再稼動への抗議だから、僕の後ろには、何人か関西の方も来ていた。

ひょっとすると、大飯原発について、東京で出来る抗議活動は、これが最後かも知れない。
俺は、滋賀県と京都府が強く反対しているので、再稼動は流れるだろうと楽観してるんだけど、抗議だけはせざるを得ないなー。
「人任せにしてました」で悔いるのは、もう二度とごめんだ。せっかく東京に住んでるんだから、霞ヶ関には何度でも行ってやる。


反原発のミュージシャンがコンサートやるからって、いちいち「電気を浪費するのか?」って文句つけてる人がいる。俺には、アイドルに向かって「お前だってウンコすんだろ?」とからかってるようにしか見えないぞ。

「電気を使う」=「原発賛成」って短絡、電力会社と言ってるレベルが変わらない。彼らがダシにするのは、決まって「日本経済」「病院で寝たきりのお年寄り」「被災地」。まったくハートを感じないね。
どっかで誰かが不幸な目に合ってるはず、だから原発動かせ……でしょ。その「誰かが圧倒的に損をして、誰かが圧倒的に得をする」構図をなくすには、どうすればいいのか、我がこととして考えてみないとダメだろう。

言いたいことはいっぱいあるけど、まずは電車と歩きでパッと行けて、自分の声で、体で意思表示できることをやらないと、話にならないよ。

(C)Project blossom/Ordet

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2012年3月28日 (水)

■0328■

東京ウォーカー 4/17号 発売中
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●『ももへの手紙』レビュー 執筆
この雑誌って、隔週発売? 気がつかなかった。『ももへの手紙』のレビューは、たった300字です。編集から「この要素とこの要素は入れてください」とオーダーがあり、その上で、自分の書きたいポイントも入れて、300字。署名記事なので、五文字、削られます。
こういうレビュー記事は、よい訓練になるので、若い人はやられた方がいい。読者はマニアではなく、一般の人だし。

気がつけば、『ももへの手紙』公開まで、一ヶ月を切っていました。(4月21日公開)
CatjmqcxプロダクションIGの前に行くと、こんな大きな看板が出てます。
この歳になると、周囲は子持ちばかりなんだけど、皆、「子供に見せたくなるようなアニメがない」と言います。
『プリキュア』は悪くないんだけど、やっぱり「商品ありき」という部分が気になる、とかね。『ドラえもん』なら、テレビも映画も合格点と聞く。
僕も一年前、『ドラえもん』の映画を積極的に見て、かつてジブリに期待されていた道徳性を、いまは『ドラえもん』が担っているんじゃないか?と思った。
(だって、ここ最近のジブリ映画は作家主義で、かなり敷居が高いよ? 少なくとも『けいおん!』より難解なのは間違いない・笑)

『ももへの手紙』は、たまたま映画館に入ってしまった人が、うっかり見ても分かるようになってるんで、そこは安心してほしい。
ラストも、ちょうどいい感じに裏切られて、うるっとくるよ。


東京電力について、また悪い話を聞いてしまった。「みんなの党」の松田公太氏のブログ→
明日、東電・武蔵野支社に電気料金を支払いに行こうと思っていたけど、こんなに態度でかいんですか、ヤツら?
天敵がいないと、自然にこうなってしまうんだろうなあ……。

原発が一基を残して全停止しているのに、どうして停電が起きないかというと、「庶民が必死に節電しているからだ」って、原発必要主義者は言い張るんだけど、一体どこで、そんな大努力が行われてるんだろう?
もしそうだとしても、「どっかで誰かが苦労してるはず」という前提なくして、原発の存在を認識できないわけでしょ? そんな陰謀論みたいなことを言っているほうも、言われているほうも、電力会社から見れば、同じカモネギ。

「何が自然エネルギーだ!」って憤ってる人だって、「太陽光促進付加金」というのを自動的に取られてるんだよ。もう、あれもこれも電力会社の思うツボ。


村上春樹の小説に、「誰だって、自分は子供や動物から好かれてるって思いたいでしょ」という一節があって。
高校の頃に読んでから、ずっと、トゲのように心に刺さっている。僕だって、他人から「いい人」と思われたい、いじましい根性を捨てきれない。

僕から離れていった人たちは、僕のそんなあさましさを見抜いた、聡明な人たちなのだという疑念を否定できない。別れていった妻だって、そうだ。
誰かの死を利用して、しおらしく嘆いてみせることで、「ホラ、僕だって、人並みに悲しんだり落ち込んだりするんですよ」とアピールしている。本当の僕は、ふてぶてしい。今日、何を食べようか。どうやって、楽にすごそうか。そればかり考えている。

廣田年亮被告の控訴を断念させたいんだけど、あの男は、人からよく思われようって気持ちを、ドブに捨てたんだ。
「自分だって、ちょっとはマシな人間だぜ」って気持ちがあれば、人は罪悪感と向上心に引き裂かれたまま、ときには神に祈りたくなったり、でも祈るのなんかやめたりしながら、どうにか生きていけるんだ。

誰かに裁いてもらう、というのは、実は最も楽な道なんだよ。

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2012年3月27日 (火)

■0327■

さて、東電管区内の原発が全停止し、日本国内で動いている原発は北海道の一基だけとなりました。
昨夜の東京は煌々と明かりがともり、一年前の計画停電や「節電中」とハリガミの出ていた地元の商店街、あの陰鬱なムードとは、もはや別世界です。

昨夜も「東電前アクション」があったのですが、友人と飲む約束をしていたので、まずは離れ0326ca12e0pkたところから様子を見てみようと、東電本社側の歩道に立ちました。
こちら側から見ると、えらい遠い。反対側の歩道に追いやられた参加者が、かなりの少人数に見えます。東電社員たちは、チラッと見る程度で、どんどん地下鉄の駅へ向かっていきます。

参加する側は、警官が「ここまで」と決めたラインから、それこそ一歩たりとも出てはいけないのです。それを突破して、東電本社までダッシュする猛者がいるのが、このアクションの醍醐味でした。
ところが、昨夜はマイクを握る人まで、警官の決めた「輪」の中に押し込められてしまい、ちょっとモメていました。


でもね、東電本社の正門まん前に、友人とずーっと立っていたのですが、お巡りさんはひとり。しかも、たまに持ち場を離れてしまうので、こっち側で、こっそりデモっても平気な感じ。

僕らは、「もっと、東電社員に聞こえるような、いい場所があるんじゃないの?」と、建物をぐるりと歩いて回りました。通用口に警備員がひとりいただけで、裏側のカベから不法侵入できてしまう(笑)。
歩きながらプラカードを出しましたが、単に持って歩いている分には、東電のまん前でも呼び止められたりしません。

「そろそろ、デモ隊に合流しよう」と、歩道を渡り、プラカードをかかげました。
0327ca9r2rc3あえて「輪」から離れたところに立ったので、警官が「輪の中に入ってください」と言ってきました。「えっ? どこからが輪なんですか?」とトボけていると、主催者らしき人が「通行のさまたげにもなっていないし、別にいいでしょう」と仲介にはいってくれました。

その主催者の人も、参加者の旗とプラカードを「預かりますよ」と受け取り、僕の横に立ちました。だから「輪」なんて意味ないって(笑)。
むしろ、僕のように輪から外れて立っていると、通行人もプラカードを見ていってくれますよ。

輪の中にいると、「ひどいですよねえ」「許せないですよねえ」と、うちうちの話に終わってしまう。
上の写真にあるように、東電の壁に映像を映したり、「東電解体」などの文字を投影したのは新しい試みだけど、「誰に」「何を」訴えるのか、そろそろ、僕の中でも真剣に問い直さないと……。

5月になってしまいますが、もう一度、いわき市に行きます。


ご存じない方が多いかも知れませんが、東電の値上げ。これ、契約期間内なら「料金すえおき」に出来るんです。だけど、東電は利用者に通知しなかった。
……それじゃあ、歌舞伎町のボッタクリ・バーと、まったく変わらないよ。
しかも、歌舞伎町だったら、最後までうまく騙しおおせるのに、東電は「すぐバレるウソをつく」。このバカさ加減は、ちょっと許容できないレベルですよ?

ただし、廃炉にかかる莫大なコストは、僕らも増税という形なりなんなり、払わなくてはならない。「原発を廃炉にしたいけど、責任は負わない」、そんな虫のいい話はないだろうさ。

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2012年3月24日 (土)

■0324■

キャラ★メル Febri Vol.11 本日発売
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●「渋キャラオヤジ列伝」第5回:田所正蔵(『輪廻のラグランジェ』)
女子高生が主役のロボットアニメの中で、30歳の男性司令官が、ああまで情けなくて良いものなのか? 「司令官は、やっぱり男らしくどっしりと……」、そんな手垢のついたイメージは、もう通用しない。

亡き王女への忠義立てのために地球にきた男三人組が、どうしてまた女たちに使われたり、共感してしまったりするのか?
今は「男らしくある」こと自体、悩みのタネだよね。さっさとそれを認めないと、どんどん苦しくなっていく時代。
『ラグランジェ』の中で、どうして女装が出てくるのか? スタッフは遊びでやったんだろうけど、少なくとも、ああやって生きたほうが彼は解放されるし、周囲の役にも立っているよね? そういうところを、ちゃんと見てほしい。

●『かんなぎ』 山本寛監督インタビュー
念願のヤマカン単独インタビューが実現しました。
BD-BOXの発売される『かんなぎ』のことを聞いてはいるけど、僕は『私の優しくない先輩』で「この人の作品は、すべて見よう」と決意した男ですからね。言外に、実は『フラクタル』のことがよぎったりしますよ。
ゆったりと落ち着いた、でも、静かに熱いインタビューになっていると思います。


『フラクタル』で思い出したけど、ちょっと前に、『星を追う子ども』をレンタルで見た。
0324main_c0101_largeこうして、色彩やデザインだけでなく、細かいタイミングまで模倣されるようになった(かつ、見た人が容易に指摘できるようになった)ということは、スタジオ・ジブリはクラシックになったんだよね。
ジブリというよりは『シュナの旅』の影響が強いんだけど、その見せ方が限界にきて、持ち駒が尽きてきた辺りから、じわじわと味が出てくる。
『ゲド戦記』は、そこから先がなかったわけだけど、新海誠さんは、やっぱり、少女の内面に入らざるを得ないんだ。

そんな「少女の内面」なんて、僕は少しもリアルには感じないんだけど……、「人は最後に何にすがるか」「結局、その人は、何の奴隷なのか」という秘密を、「作品」という手続きを通して、作家さんは公にしてくれるんですよ。
そもそも、「ジブリっぽい」見せ方が手詰まりになっていく過程そのものが、まさにこの映画の見せ場ではないですか。普通は、恥ずかしくて見せられないです。

そうして恥をかきつづけるかぎり、新海誠さんは、僕にとって勇気ある作家として、何度でも再認識されるのです。


もうひとつ、告知。
アニメ特撮おすすめサイト「MILO!」がオープンしました。→

ライター陣は、麻宮騎亜さん、大沼弘幸さん、神崎将臣さん、春日太一さん、貴日ワタリさん、聖咲奇さん(順不同)。なんかこう、深夜の居酒屋のようなレビュー・サイトになってますよ。
私は、「いまどきのアニメ」担当で、第一回は『輪るピングドラム』の第12話について書きました。実は、この原稿を書いたころは、まだ放映が終わってなかったのです。それで、時期はずれな感じがするんだろうけど、放映中ならではのライブ感は出てると思う。

ツイッターの公式アカウントもあるので、フォローしていただけると、更新情報が早くつかめると思います。


石黒昇監督が企画されていたアニメ『エンジェル・スキャンディーズ』。
声優の増田眞澄さんのブログ。→
作曲の織茂 学さんのブログ。→

石黒監督は、「この企画は、すごく楽しい」と、よく語ってらっしゃいました。内容をうかがって、「確かに監督にピッタリだなあ」と嬉しくなって、進行具合を聞いたりしていました。
『エンジェル・スキャンディーズ』、僕の立場からは、どうやって応援したらいいかなあ……と考えはじめています。

(C)Makoto Shinkai/CMMMY

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2012年3月22日 (木)

■0322■

拝啓 石黒昇様

昨日は、打ち合わせが三件もあり、忙しい一日でした。
今日も、ページが空いて困っている編集者のために、私は忙しくすごすでしょう。

あなたが演出された『宇宙戦艦ヤマト2』で、古代進が、亡き沖田艦長に「沖田さん、とても不安です」と話しかけるシーンが、好きです。『さらば宇宙戦艦ヤマト』と違い、『ヤマト2』では、沖田艦長は古代に何も答えてくれません。
それが、死というものです。

最後にお会いしたとき、『ヤマト2』について、うかがいました。この次にお見舞いにうかがうときは、最初の『宇宙戦艦ヤマト』について、たっぷり話を聞くつもりでいました。
あなたが苦心して描かれた爆発のエフェクトを、これから私は、何度も何度も見ることになるのでしょう。それが、私からの問いかけです。

私が腹を立てているものに対して、あなたは「まったく、けしからんよね」と一緒に怒ってくださった。
私が母を亡くしたとき、あなたは駅前で、焼肉を食べさせてくださった。歩きながら、私の顔を何度も何度も振り返り、「廣田さんがしょんぼりしてると、いやだなと思ったんだ」とおっしゃった。
あなたは、今でも友だちです。

私は、何度も何度も計画し、何度も何度も失敗してきました。これからも、そうして生きるのでしょう。

『メガゾーン23』のラストで、矢作省吾が、ボロボロになっても歩きはじめるところが好きです。
「いまの省吾は、生命力の最後ののこりかすを集めて、必死で足を動かしているようなものだった。」「だんだん遠のいていく意識とは裏腹に、足だけはもがくように、ひたすら前へ進んでいた。」
僕の大好きなシーンを、あなたは小説で、このように書かれました。僕も、こんな風に生きていくことにします。

僕はあなたを忘れませんし、僕が死んだあとにも、人々に忘れさせないようにします。
友だちを、もっと大事にします。数々のご無礼を、お許しください。

このブログを読まれた方へ。最初の『宇宙戦艦ヤマト』と、最初の『メガゾーン23』を見てください。この2本の作品は、血潮のうねりのようで、見るものの心を熱くさせます。

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2012年3月21日 (水)

■0321■

『輪廻のラグランジェ』 Blu-ray Vol.1 23日発売
Lagrin01
●ブックレット編集・執筆
ステキな鴨川発見マガジン「KAMO☆LaG」という架空のミニコミ誌という形で、キャラ表や美術ボードを構成しました。
この物語の舞台は、「2032年の鴨川市」なので、その世界の中にのみ存在する雑誌……という想定です。だから、「鴨川の新名所はファロスだ」とか、劇中のことしか出てこないです。

「クローズアップ現代」のイメージが一人歩きして、いつの間にか「鴨川市がスポンサー」という話になっていますね。


聖地巡礼ブームが来る、はるか前。『AKIRA』公開の1988年は「ネオ東京」がリアルだったわけですね。第三次世界大戦のきっかけとなった爆心地があって、そこは「旧市街」と呼ばれている。アニメの中の「郊外」って、それが限界だったような気がする。
忌まわしいものは「郊外」にあって、東京……というか、「中央」は絶対に場所をゆずらない。

『新世紀エヴァンゲリオン』の「第三新東京市」がリアルだったのは、東京なのに「中央」ではない点。箱根にあるんでしょ。箱根なんて言われても、東京生まれの僕には、ピンとこない。
しかも、首都は「第二新東京市」であって、長野県松本市にあるそうだけど、地図を見ないと分からないよ。
ちょっとニュアンスが伝えづらいけど、「第三新東京市」は「地方」なんだよね。それが、不況のはじまった薄暗い世相の中では、リアルだった。「エヴァは千葉アニメだ」とか言われても、「なるほど、東京よりは千葉っぽいかもなあ」という感じ。

1995年になると、もはや「都会」に求心力がなくなっていたんだと思う。綾波の住んでいる、閑散とした団地のほうが、手触りを感じるというか。そこに「在る」感じは、強烈にしたよね。


『耳をすませば』が、同じ1995年の公開。舞台は多摩市~武蔵野市あたりだそうだから、もう西東京だよ。主人公は、やっぱり狭い団地に住んでいる。
東京の中の「郊外」を探すと、西東京になる。

細田守監督の『劇場版デジモンアドベンチャー』は、1999年公開。舞台は、光が丘団地だよ。練馬区だよ。武蔵野市と埼玉県に接しているんだから、やっぱり、東京の「郊外」だ。
翌年の『ぼくらのウォーゲーム!』ともなると、月島かどっか、海に近い高層マンションでしょ。もうひとつの舞台が島根県でしょ。どっちにしても、脱「中央」だよ。
島根県なんて、「パソコンがなさそうな県」だから、舞台に選ばれたぐらい。

つまり、地域振興どころか、「中央」にリアリティがなくなり、何もない「郊外」を求めていった結果、「地方」に行き着いたという経緯が、まず先にあったんじゃないかな。


『耳をすませば』では、あの狭い団地を、家族でうまく使っているでしょ。本を重ねた上に電話機が置いてあったり、とにかく生活感が出る。
『ぼくらのウォーゲーム!』だって、パソコンがないから、ドラマが生まれるわけであって。
何でもある東京を舞台にすると、無色無臭のトレンディ・ドラマみたいになってしまう。

僕が知っているいちばん古い聖地巡礼は、原田知世の『時をかける少女』。だから、1983年か。尾道なんて、聞いたこともない土地の名前。新鮮だった。

……で、鴨川の話か。最初にシナリオを読んだとき、僕は『木更津キャッツアイ』みたいに、「どうしてまた、そんな場所?」というノリで決められたんだと思った。ようするに、海があって、伊豆とか湘南とかメジャーな観光地でなければ、どこでもいいんだろうな……と。
『SRサイタマノラッパー』シリーズは、自虐的に北関東を舞台にしているけど、あの悪ふざけっぷりに近い。

それに、「中央」からズラしたほうが、「地元を愛する若者」が出てきても不自然ではなくなる。地域や共同体のつながりを、描きやすくなるしね。
テーマやドラマから逆算したにすぎない……と、僕は考える。あくまでも、物語を見ているのであって。

『エヴァ』は、「強羅」とか「松代」って言葉が出てくるたび、ゾクッとしたよ。聞きなれない土地の名前。でも、そのほうが世界の広さを感じられたよな。

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2012年3月20日 (火)

■0320■

経産省前の抗議集会へ行ってきた。メールの返信が遅れた皆さん、すみません。
0319cahm0936昨夜は夕方17時30分からだったので、けっこう、人が来ていた。ピーク時で、200人ぐらい? 何しろ、途中から「右から考える脱原発デモ」が合流してきたので、コールの声が経産省本館を突き抜けて、別館にまで届いたっていう話だよ。

経産省前抗議活動は、どこか文化系的なんだよな。ミュージシャンが多いし、ちょっと泣きが入る感じ。「右から考える~」は、体育会っぽい(いわゆる右翼には見えないんだけど、すごく規律がとれている。明確に、伊方原発、大飯原発に反対していると分からせる姿勢も良かった)。

こっちが「俺たちは、右翼でも左翼でもないよ。ふつうの市民だよ……!」と叫んでいるのに、「右から考える~」が経産省前まで行進してきて、「脱原発に右も左もありません! ともに力を合わせましょう!」だからね。負けました。


経産省前抗議は、ようはイヤガラセなので、ストレステストの聴取会などをやっている間、何か主張していればいい。人数で民意を示せば、それで足りてしまう。
なので、「俺たちの前に来て、誰か説明しろよ」「ここで公聴会をやれよ」っていうのは、かなりズレた要求だ。どうしても、男性がマイクをにぎると、焦点がボケがちである……。
だって、勝手に集まって、好きなことを自由に叫べる場であることに意義があるのであって、抗議される側に答える義務はないと思うよ、この集会の場合は。

やっぱり、若いママさんは本当に苦しい、切実なことをおっしゃるので、つい下を向いてしまう。
驚いたのは、ママさんにくっついてきた、まだ12歳の中学一年生がマイクを握ったことだ(女の子です)。
「私が大きくなる前に死んでしまったら、あなた方は責任がとれるのですか?」「いま、福島第一がどうなっているのか、説明してくれる大人は、いません」「どうして説明できないんですか? 説明できないってことは、危険だからでしょう!」――だいたい、こんな意味の、短いトークだった。
子供に、こんなこと言わせてしまって……。

結局、昨年の事故まで、原発やエネルギーについて無関心のまま生きてきて、「こんな世界を、後の世代にのこしてしまった」罪悪感。「自分を許せない」と涙声になっている女性もいた。
いつも、そこへたどり着く。罪悪感に。

それを感じなくてすんでる人は、本当に幸せだと思うよ。


「ツイッターやネットで 原発の反対している人の揚げ足とるようなレス多いけど そんなヤツほど薄っぺらく なんにも実態わかってないし 情けなくなるぜ」とFLYING DUTCHMANは歌うけど、いまだに「電気が足りないから、原発は必要だよ」と昭和なことを書いている学生さんがいて、本当に情けなくなった。
だって、原発の本なんて、ただの一冊も読んでないんだもん!

そういう子は、議論の相手を屈服させたいだけだから、「今は足りてても、需要が増えれば足りなくなるよ」と、いくらでも屁理屈をつづける。
「だって、お前らだって電気を使ってきたし、今だって使ってるんだろ?」なんてのは、アイドルに向かって「お前だってシッコやウンコするんだろ? なのに、どうして綺麗な服きて、チヤホヤされてんだよ?」と言うようなもの。考え方が、卑しい。

そして、にごった水を愛する者たちは、決して、腐った水たまりから出ようとはしない。
「高いところに行けば、新鮮な水がある」と知っている者だけが、山を登ろうとする。

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2012年3月18日 (日)

■0318■

小雨の吉祥寺で『スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス 3D』。
0318ca0ornvx_6この映画館は第一作は上映しなかったけど、80年の『帝国の逆襲』はやってくれたんだ。期末テストが終わって、みんなで走って見に行ったよ。
誕生月割引だったけど、3D観賞料300円+3Dメガネ代100円、とられた。

『タイタニック3D』の予告でハッとしたけど、「字幕」って、本当は画面内にあってはいけないものだよね。
字幕はどこにあるのかというと、観客の脳内でだけ見えているのが、理想的な居場所であって。でも、そんなサイバーパンクな技術はないから、やむなく、画面に置いているだけじゃないか。

その字幕が、3Dでは一番手前に浮いている。ものすごい存在感だよ。
つまり、映画って、その世界が「在る」と観客に思いこませることが最大の目的で、「撮影されたもの」と認識された瞬間、あらゆるフィクションは敗北するよね(映画のタイプによるが、虚構性の高いものほど、意図を隠しとおさねばならない)。

3D上映で、観客を作品世界に没入させようと努めているはずなのに、いちばんクリアに見えるのが字幕スーパーという「仕掛け」なんです。
字幕のないアクションシーンになったところで、「ああ、このシーンは字幕がないなあ」と思う程度で、いちど解かれた魔法は、二度とはかかってくれないです。


でも、字幕よりクリアだったのは、前の席でポップコーンを食っている観客の存在だよ。
冒頭30分ぐらい、ずーっと咀嚼する音が鳴ってるんだから。コンセッションで売っているものを食ってるんだから、彼の自由なんだけどさ。

予備校をサボって、文芸座に通っていたころ、館内は無法地帯だった。タバコを吸う客がいて、注意する客がいて。昼間から酔っぱらっている客もいるから、野次はとびかうしね。
だけど、その17歳か18歳ぐらいのころ、最も没入して映画を見ていた。すぐ隣の席で画面に話しかけているオッサンがいても、あまり関係なかった。

今は、上映前に「携帯を消せ」「おしゃべりするな」と、いっぱい注意されるでしょ。
「NO MORE 映画泥棒」なんて、2007年から出てきた新参者で、昔はカメラを三脚にすえている客なんてザラにいた。もちろん、「シャッター音がうるさい」と怒る客もいた。
館内で好き勝手をやればやるほど、映画は観客たちと同じ空気を吸い、共有されていったんだ。

昨夜の『スター・ウォーズ』では、ジャージャー・ビンクスが何かやるたびに、小学生たちが笑っていたけど、彼らは映画を自分のものにしていたんだろうな。


最近は、吉祥寺まで散歩することが多い。
0314caoh7ptu玉川上水と吉祥寺どおりがぶつかる辺り、井の頭自然文化園裏手で、0.17μSvもあったので、「ええっ?」と思って。
友だちに話したら、この近くのジブリ美術館が心配だというので、映画に行く前に計ってきた。

三回計測で、それぞれ0.09μSv、0.10μSv、0.09μSv。
もちろん、館内はグッと低いはずだけどね。

でも、「ひょっとして?」と思って、自分の部屋の中(マンション9階)で何回か測ったら、以前よりグッと高い数値が出た。平均すると、0.10μSvある。
エアカウンターは、数値が低めにでるよう、校正してあるんですけど。

――昨年、野村羊子議員の測定会で、ジブリ美術館近辺は回ってみたはず。そんなに高くなかったはずなんだけど、困ったもんすなあ……。


「85歳の夫が妻をつえで殴り死なす」→

この夫婦の子供は、どんな気持ちでいるかなあ、と気になる。会って、話してみたい。
殺された奥さんには、これっぽっちも人権は残りません。最も強固にガードされるのは、「加害者の人権」。もう、鉄壁に守られる。それが、日本の司法制度です。

弁護側は、「奥さんは、殺されても仕方のないような人だった」ことを、必死に立証しようとします。
人権を奪われた被害者は、殺されたあとも愚弄されつづけるわけ!

日本は、ふしぎな国。人を殺すと、殺す前より、しっかりと人権を守ってもらえる。

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2012年3月16日 (金)

■0316■

何だか評判の悪かった『カーズ2』を、レンタルで。
Cars2_sub1_large_3風邪薬をのんで、ボーッとしていたせいか、かなり楽しめた。「この車の光沢、すごく綺麗だな」とか、「実写と見まちがうギリギリの風景が気持ちいいな」とか。
このワンシーンの中で、このぐらいの情報量を入れるのが、いちばんストレスがないんだとか、音と映像のバランスとか、すごく良く計算してあるはずだよ。

映画で「ここが良かった」っていうと、「でも、それは監督の意図なのか?」って、真剣に考えこんじゃう人がいるけど、監督の意図とあなたの受けた感銘とが、どうして一致しないといけないの? テストの答え合わせじゃないんだから。
あなたの「勝手な思い入れ」ほど、世界でいちばん強いものはないよ。

あした、小学校時代の友人と『スター・ウォーズ EP1』の3D版を見にいくんだけど、すごく根源的な体験ができそうで、ドキドキしている。
3D映画は好きじゃないし、特に興味はなかったんだけど、第一作公開当時、同じクラスだった男から「やっぱり『スター・ウォーズ』は映画館で!」と説得されて、地元の古い映画館へ見にいく。


先日、西新宿で打ち合わせがあった。
ヨドバシカメラに寄ったら、店頭でエステーのエアカウンターSが、特別キャンペーンみたいに、やけに堂々と売られていた。妊娠検査薬そっくりな形だけど、線量計だよ? 「気になる場所をチェック!」とか、かわいいイラストまで書いてあるよ?

でも、これぐらいオープンに売っていれば、「線量計なんて買ってるヤツはおかしい」「放射能なんて危険じゃない」などの無責任な圧力は、消えてなくなると思う。
結局、いま猛烈に邪魔なのは、「原発」とも「放射能」とも言ってはいけない、ムラ社会的な空気だから。


「空気」といえば、漫画『日本沈没』を描かれた、漫画家の一色登希彦さんのブログ。
東京からは避難されたけど、3月11日のデモには参加したそうだ。2012.3.12【東京離脱】こんなデモでは変わらない。

「封鎖突破の可能性がハナから無い家畜根性に煽動されたデモなどデモではない。」「権威をまとうことで自信を持っている様子の人間がやってきて、チョークで線を引いただけで、その囲いから脚を踏み出すことを躊躇ってしまうような家畜根性。エンガチョかよ。」

……確かに、そうだ。警官隊に囲まれて当然、という思考が家畜根性。
デモに参加したばかりだと、自分たちの行動を美化してしまう。酔ってしまう。実効力が大事なのに。
だけど、そういう問題点も、現場にいないと絶対に見えてこない。一色先生は「見学者」として現場に行ったようだけど、それでもいい。

経産省の職員が、こっそり「再稼動反対!」と言って走り去ったとか、実は脱原発テント村にカンパしているとか……そんな話も、美化するなよ。
俺たちは、もっと姑息に、狡猾にならねばならないのだ。脱原発は、美しくもなければ、カッコよくもない。
ただただ、ドブネズミのように、たくましく図々しくあらねばならないのだ。


『輪廻のラグランジェ』第三弾PV、映画の予告みたいでカッコいい。→
ただ、「メカ編」なら、もっとたくさん見せられるはず……と思うので、いろいろ提案中。

(C)Disney/Pixar

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2012年3月14日 (水)

■0314■

EX大衆 四月号 15日発売
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●懐かし麗しのアニソントリビア26
『宇宙戦艦ヤマト2199』がらみで、ささきいさおさんのインタビューもあり。
どうして『ヤマト3』まで同じ音源を使っていたのか?など聞いたんだけど、企画の趣旨とは関係ないので……。
(初代『ヤマト』のヒットにあやかって、あえて、主題歌の新録音はしなかったそうです)

アニソントリビアの企画自体は、もう三回目で、得意ジャンルではないので、ずっと逃げ回ってたんです。
「これなら、やれるな」と思ったのは、『さらば宇宙戦艦ヤマト』の主題歌を沢田研二が歌ったけど、そのころ、すでに角川映画がメディアミックスを始めてたよな……と気がついたからです。
1985年がおニャン子クラブ結成、同年の『ハイスクール!!奇面組』で、「ポップス・歌謡曲としてのアニソン」は完成したと思います。秋元康が『蒼き流星SPTレイズナー』を作詞するのも、85年。『ガンダムZZ』は翌年なので、出がらしであって、もはやエポックメイキングではない。

――そんな流れを表にできないか?と思ってがんばってみたのですが、ページの一角に、小さく載っている程度です。


蒼井優を見て損することはあるまい、と思って『たまたま』をレンタル。
Original最初は、蒼井がインタビューに答えながら、ある映画の撮影をふりかえっている。「なんだ、ドキュメンタリーか」とガッカリしていると、だんだん分かってくる。このインタビューで答えている映画なんて、実は存在しないんだって。

こういう、ストーリー不在の映画を見るとき、本当に自分がイヤになる。あらゆる映像を、言葉に置き換えようとする。「身体だけで見る」という習慣を、僕らは懸命に追い出してきた。いずれかの段階で、映画を、映像を「機械にすぎない」と認識するようになってしまった。

僕は、雨に打たれるようにして、映画を見たい。
それが出来ないのは自分の習慣のせいであって、映画のせいではない。
自分に出来なくなったこと、不可能なことに気がつかないと、人間は果てることなく、怠惰になっていく。


先日の国会議事堂包囲デモ。あの後、デモ隊は首相官邸にまで行って、官邸には野田首相がいたって話じゃないですか。
まあ、いなかったとしても「現地に行く」ことは大事だよね。経産省前には何度か行ったけど、ストレステストの公聴会をやっているフロアまで、僕らの声は聞こえてたって話だよ。
経産省の役人に、肉声を届ける唯一の方法が、抗議集会なんだ。

そして、そのストレステストだけど、友人から面白いニュースを聞いた。
東電の提出した報告書に、239ヶ所の記載ミスがあった……って、これだけでも普通じゃないのに、東電は「全体の評価結果に影響はない」だってさ。→

……だから、電力会社の人間たちって、あまりに天敵がいなさすぎて、おかしなことになっているよね。ちょっと、オウム真理教を思い出してしまったよ。
だから、いちばん最初に、東電前アクションで受けたときの印象――電力会社って、実は隠蔽なんて頭のいいことは出来なくて、単に仕事ができないだけなんじゃないか?――って、間違ってなかったよ。

相馬市の酪農家の人が、「原発さえなければ」って、壁に遺書をのこして自殺したでしょ。
NHKのドキュメンタリーで、その遺書の映像を見たよ。でも、東電の人間って「はあ? なんで死ぬことあんの?」とか思ってそうで、マジで怖くなった。
それは、彼らが冷酷なのではなく、「自分たちのせいで人を死なせてしまったのではないか」と考えるロジックが、欠落していると感じるからです。

(C)2011イトーカンパニー/ポニーキャニオン

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2012年3月11日 (日)

■0311■

ゼロハリバートンに自作のプラカードを入れて、朝から東電前デモへ。
集まったのは、たった50人だと聞いた。道路の向こう側にあぶれていた人たちは、単なる見物人らしい。
0311cap5cmc7経産省前でも、よく見かける人がマイクを握った。「参加者より、警官やマスコミの方が多いとは……。東電の建物を取り囲むぐらいでないと、このアクションの意味は薄いと思います。私は、とても悲観的な気持ちです」。
僕も同感だった。そもそも、原発と関係ない運動をしている人が、前面に出すぎる。そうでもしないと、人が集まらないんだと思う。
脱原発テント村が、カラー刷りのチラシを配っていた。おいおい、俺はこんな立派なチラシのためにカンパしてきたわけじゃないぞ?

福島から来た女性の「福島、返せ!」のコールは、いつ終わるとも知れず、青空に響きつづけた。
今日、初めて参加したという女性は「公安が、こんないっぱいいるなんて」と苦笑しながらも、「家族と食事するのが楽しくなくなった。放射能が入ってるかも知れないね、と話題にすらできないなんて、楽しいわけがない」――そういう話のほうが、真実味がある。
「放射能なんか気にしてないぜって態度のほうが、カッコいいと思われている」。その通りだよね。

イタリア人の男性は、反対側の歩道で、優雅に見物している者たちを指さした。「これは向こう岸から眺めるような問題じゃないよ。人間ぜんぶの問題でしょう!」

最後に、FRYING DUTCHMANの「humanERROR」が歌われた。→
「原発は 今まで俺たちの暮らしを支えてくれました 今までその実態を知らずに それを許してきました」……


14時から、日比谷公園出発の大規模デモがあると聞いたので、行ってみた。
0311cay74exyエコ関連のイベントが行われていて、どこからデモが出発するのかさえ、よく分からなかった。

東電前でプラカードを取り出すと、どこ通信だったか、海外メディアに簡単な取材を受けた。
「今日は、どうして東電前に来たんですか?」
「何が原因なのか、何だかモヤモヤしていて……少なくとも、東電には、この事態に責任があるはずでしょう」とか、そんなようなことを答えた。

「この一年間、どうでしたか?」
「暗い話題が、次々と明らかになった一年だった」。これは、たとえば給食のこと。学校が、子供たちを守ってくれないことが分かった。食品業界が、われわれエンドユーザーより、自分たちの利益を優先していることも分かった。

「どうして、日本はエネルギー転換ができないのでしょう?」
「原発立地と霞ヶ関が、お金でつながっているから。それが最大の壁だと思う」。
このインタビューは、自分の考えのボンヤリしているところを、明らかにしてくれた。どこのメディアかは忘れたが、感謝している。


時事通信社の面白いアンケート。→
「今後原発を廃止すべきだと考える人が65%に上ることが分かった」。そんなことは、どうでもいいよ。それが簡単に行かないから、モヤモヤしてるわけであって。

「廃止、推進のどちらでもない」、これが最多と書いてある。そう、みんなが大好きな答えは「どちらでもない」!
いや、これは答えですらない。回答放棄、責任放棄。ツイッターで「何が脱原発だw」と絡んでる連中も「でも、僕は原発推進じゃありませーん」。

原発が停まるんでも、また動くんでも、どっちでもいいんだよな?
自分が困らないぐらい、今までどおりに電気が使えるなら、本当は原発なんてどうだっていいんだろ? 俺は、原発を許してきた自分が嫌いだから、デモに行くんだよ。
永遠に赤字の原発立地には、俺たちの払う高額の電気使用量から、ずーっと原発マネーを払いつづければいい。その上で、原発をなくせば、結果は同じことだよ。


帰りの中央線で、若い夫婦が乗ってきた。小さな子供を、ひとり連れて。
向かいの席の老夫婦が、まるで自分の孫を見るような優しい目で、いろいろ話しかけていた。――それが世界のすべて。失って惜しいもの。

俺自身が綺麗じゃなくても、この世には綺麗なものがあるんだよ。それを見つけたときに、生き方が決まるんだ。

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2012年3月10日 (土)

■0310■

たてつづけに電話があり、前によく書いていた情報誌に『ももへの手紙』()のショート・レビューを書けることになった。
アニメ専門誌ではなく一般向けの情報誌なので、この映画に少しは貢献できるかな、と嬉しい。

わりと最近まで、対価が支払われるなら、それが「仕事」だと思ってきた。だけど、この業界でも「金さえもえられば、どんな手抜きでも仕事」と、酒の席でもないのに口にしてしまうヤツがいる。
また、「私はこれだけ頑張った」「ライバルを打ち負かすようなモノができた」という充足感は、単なる自己実現であって、仕事ではない。

やはり、顔も知らない遠くの人に「まあまあ面白かった」「いいヒマつぶしになった」と思っていただきたい。それを目標に、がんばることにしている。
本そのものは、読み終わったらゴミ箱に入れてくれて、かまわないのだ。


昨日は、17時より経産省前の抗議活動に参加。ちゃんと、キリのいいところで仕事を終わらせて納品後、傘をさして出かけた。
0309awk6olv雨の中、金曜夕方の集会なので、「こういう時こそ、俺のような自由業者が応援に行かねば!」と駆けつけてみたが、最初は10人もいなかった。
日が暮れると、主婦からサラリーマンから、どんどん人が集まってきて、結果的には、100人をこえたみたい。

先日の三鷹デモにも参加していた「火炎瓶テツ」という人がマイクを握ったが、とても論理的で分かりやすく、かつユーモアもあって、すっかり聞きほれてしまった。
「経産省の諸君。君たちはこの一年、ウソをつきつづけてきた。簡単なことを教えてあげよう。ウソの反対が真実なのだ。つまり、君たちの言っていることの反対こそが、真実なのだ」。
経産省が、ずっと以前から、東電の電気を買っていないことにも言及していた。――意外とこれ、知らない人が多いんだよな。

痛いほどに冷たい雨に打たれながら、あらためて思ったよ。現在稼動中の原発を「6基でしたっけ?」なんてネットに書き込んでるような頭でっかちじゃ、やっぱりイカンのですよ。
仕事でも何でも、手で触れられる確かな「私の現場」を持っていないと、少しも説得力が出ないのだ。


最近のNHKのドキュメンタリーは、冴えている。特に、「原発マネー」について徹底追求した番組は、すごい内容だった。

原発立地は、三方面からお金をもらえるわけだが、これらはすべて、われわれの電気代に上乗せされている。
原発マネーの使い道には制約があって、公民館などのハコモノにしか使ってはいけない。人のいないところに巨大な博物館などを建てるものだから、年間の維持費で、結局、財政は逼迫してしまうというのだ。
柏崎刈羽原発のおかげで、日本でもっとも潤っているといわれる柏崎市でさえ、ずーっと赤字。

で、「原発にもしものことが起きたら、逃げればいいじゃん?」と思っているだろうけど、福島第一の半径10キロの避難ですら、逃げる途中で、重病人からばたばた亡くなっていった。
避難区域を30キロに広げると、道路は大渋滞するし、原発に近い人が取り残されてしまう。だから20キロ以内を立ち入り禁止にしたんだけど、そのために、生きている人たちを見殺しにするしかなかった。

誰も得してないんだよ。
こんなもん、再稼動させていいわけないでしょ。

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2012年3月 8日 (木)

■0308■

渋谷にて、珍しくインタビューを受ける……と言っても、媒体は海外の同人誌だそうなので、国内では出回らないと思う。
同席したのは藤津亮太氏で、あいかわらず、スラスラとよく言葉が出てくるなあ、と感心する。頭の回転のいい人は、おしゃべりだって言うね。

僕はたいてい、ずーっと黙ってる。考えてるんじゃなくて、頭が回ってない。
だけど、人から「頭いいんだね」と誤解されると、もっと辛い。しゃべらなくてはいけないときにしゃべれれば、僕の場合は、十分なのだ。


本題に入る前に、聖地巡礼特集の「クローズアップ現代」の話でも。

やっぱり、作品のスタンスと地元の齟齬だけが、強調されてしまった。でも、それを糊塗することは、作品にとって、もっと残酷であるから、あれで良かったと思う。

『輪廻のラグランジェ』の舞台は、2032年です。
だから、リアルな鴨川ではない。トロピカルな背景にしたのも、狙いなんだと監督は話してくれました。
僕の立場としては、もっとストレートに作品の魅力を伝えたい。それのみですよ。


以下、まったく個人的な日記です。

先月、母が殺された事件の二審が終わった。廣田年亮被告の控訴が棄却され、すべて終わったと胸をなでおろしていた。
ところが、先月29日、年亮被告が上告していたことが、東京高等裁判所からの電話で判明した。

――話を整理しておきたい。
廣田年亮被告は、2011年一月一日に、妻(私の母)を殺した。喧嘩でカッとなり、包丁二本で、頭から背中からメッタ刺しにした。とどめに、二本の包丁を両胸に深々と突き立て、これが致命傷となった。
警察に電話した時点で、年亮被告は、妻が「ときどき動いてる」「うめいてる」と話している。
まだ息があったのに、被告は「殺した」「死んでる」と報告した。つまり、明確な殺意があったのだ。

一審では、求刑懲役8年に対し、執行猶予なし懲役6年6ヵ月の判決。被告は、これを不服として控訴したが、高等裁判所は控訴を棄却。
なのに、まだ懲役刑を不服として、上告した……呆れはてた。そうまでして生きていたいのか? 妻を殺したのに、無罪放免されたいのか?

――被告は、「妻を殺した罪悪感のあまり、壁に頭を打ちつけたくなる」などと証言していたが、頭には、傷ひとつなかった。罪悪感なんて、ウソなんだよ。
母を殺された恨みより、そんな芝居すら打って、自分ひとりだけが生きのびたい年亮被告の醜悪さ。あつかましさ。たとえ、僕が明日死んでも、被告に対する憎悪と嫌悪だけは、この世から消えてなくなることはない。

怒りのあまり、息が苦しくなる。


何も言わず、母のために花を贈ってくれた、大勢の皆さん。
0301capl10m1また春がきたけど、何も終わってないですよ。何十輪という花が枯れて、僕は何度も、なきがらを埋めに行った。

誰かを好きになることはない。親を親に殺された人間は、幸福をイメージできなくなる。不幸が怖くなくなる。

ひとつだけ言えることがあるとすれば、「殺すな」ということです。夫婦になったからには、助け合い、尊敬しあってほしい。
事件の一ヶ月ぐらい後から、そんな勝手な考えが、ずっと胸の奥にありつづけている。
■ 

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2012年3月 6日 (火)

■0306■

本日は、『エウレカセブンAO』の取材。荻窪から井荻まで、歩く。
地味だけど、手堅い仕事を任されている方は、人格的に落ち着いた人が多い。クリエイターだから、ズボラな性格でいいのかというと、そんなことはない。

さて、『輪廻のラグランジェ』。
831_ツイッターで検索してたら、勢力図をつくったファンの人がいた。作り手のアクションを待たず、主体的に行動するのは、素晴らしいことだと思う。
(初期企画書の関係図は、こんなに見やすくなかった・笑)

遅まきながら、16日発売のヤングガンガン誌に、「これだけ把握していれば大丈夫かな?」程度の、すごく簡単な勢力図が載ります。
25日発売のビッグガンガン誌には、二万年前からの歴史を踏まえた詳しい年表が載ります。


個人的に、キリウスたちが鴨川を放浪する第9話は、傑作だと思っていて。
(ついでまでに言っておくと、このアニメ企画は「鴨川との連携ありき」で始まったものではありません。「海さえあれば、例えば鴨川が舞台でもいい」程度のノリで始まったはず。観光協会が力を入れはじめたのは、放映ちょっと前ぐらいと記憶する。)

第9話のようなコメディ回こそ、分析しがいがありそうだけどな。
そもそも、コンテがいいです。アクションとリアクションを、ワンカットで見せて、ギャップを感じさせるとか。しかも、ワンカット内で、動きのタイミングを変えたりもしている。
ワンカット内で変化をもたせると、舞台上のコントのように見えるんだよね。

キリウスが頭にジャージをかぶせられ、イゾはジャージを着せられる。ギャグでありながら、ちゃんと今後の伏線として、機能しているでしょ。ジャージという小道具を使って。
ロボットは出てこないけど、完成度の高いエピソードだと思う。


荻窪駅の北口に、西日本産の野菜を扱ってる店があって。
03006cayispiqここはマスクも売っているし、ND(不検出)がいかに信用できないかについて、手書きの解説が貼ってあったりして、なかなか頑張っている。

もうすぐ、311だけど、なんと日本全国でこれだけのイベントがある。→
これだけ、企画力と実行力のある人が日本中にいる。素直に、敬服する。


日曜夜に、NHKスペシャルなどで、原発・震災関連のドキュメンタリーが4本ばかり放映された。
津波で同僚を失った人。ついさっきまで一緒にいた両親を、津波で流れさてしまった人。
助けを求めるうめき声を聞いていたのに、警戒区域に指定されたため、救助に戻れなかった消防隊員。

ほとんど被害のなかった平和ボケの東京で、「原発はやめましょう」なんて、確かにぬくぬく育ったインテリもどきのたわ言かも知れないよ……。
現地に行って、冷たい思いをしないかぎり、被災者の気持ちは分かりません。人の死はそれぞれに重いから、「俺だって母を失って辛いんです」なんて言えません。

だが、原発事故という状況をスルーして生きることは、もっと不誠実だ。
いましばらく、前より好きではなくなった東京で、思うことを叫ばせてほしい。

(C)ラグランジェ・プロジェクト

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2012年3月 4日 (日)

■0304■

仕事が前夜に一段落したので、「さよなら原発! 三鷹アクション」に参加。
パレード(デモ行進のこと)前、リレートークで歌をうたわれたときは、「やっぱり俺の来る場所じゃなかったか……」と恥じ入ったんだが、三鷹在住の長崎被爆者の方、消費者の会など、五団体の代表のお話は、それぞれ重みがあった。

デモのコースは、俺がいつも散歩に使っているような……ジブリ美術館の前とか……すご 0304caby02np く地味だったんだが、「ローカルなデモでは、沿道の商店の方が手を振ってくれる」って本当なんだな。
だけど、「再稼動反対」は、やっぱり東電や経産省前で叫ばないと、効果が薄いです。

参加人数は、前回の半分ほどとのこと。警官の誘導もゆるく、優しい婦人警官もいた。


ゴール地点の井の頭公園で、エアカウンターで線量をはかっていると、「たまごっちですか?」と、子連れの女性が話しかけてきた。
304caueg01o「いえ、こういう形の線量計なんです」と説明すると、「分かってますよ」。どなたかと思ったら、去年、野村羊子議員の放射能測定会の前後、コメントを寄せてくださった方であった。
――初対面なのに、「やっぱり廣田さんだったんですね」って、どうやらツイッターのアイコン写真で顔を覚えてらしたようなんだけど。

でも、こんな風にして、立ち話で放射能や原発の話が出来ればねえ。それが、地元でデモをやることの意義なのかも知れない。
――活動的な女性ばかりなので、俺の出る幕がない。応援程度ですね。


レンタルで『うさぎドロップ』実写版。香里奈がママ役で出てるので。
内容はさておくが、香里奈のヤンママぶりには、びっくり仰天した。
030418638だって、ファッション・モデルなんですよ? しかも、松山ケンイチが憧れていたという設定の。たまたま、子どもが同じ保育園だったという。

その香里奈が、自分の子どもが行方不明になって、あわてて撮影現場から走り出すのは、まあ許すとしても(そのシーンがあるまで、モデルという設定は松山ケンイチの妄想だと思っていた)……いやいや、許してはいかんよな。
「子どもが行方不明」というピンチに対して、仕事という縛りのある親たちがどう動くのか、「動けないけど動く」のが見せどころだと思うんだけど、それをこの映画に求めるのは、酷なんだろうな。

だって、松山ケンイチも職場放棄して、子どもを探しに行ってしまうものな。
そればかりか、同じ職場の茶髪のガラの悪いお父さんたちも、いきなり街に飛び出して、一緒に探してしまう。
そのあたりの、SABU監督のヤンキーな人たちに対する信頼感、理想化は強靭だ。香里奈が、そのヤンキー一派と十羽ひとからげにされているのが、ショックではあったけど、SABU監督からすれば、ヤンママの「上がり」はファッション・モデルなのかも知れない。

その独特の人間観・社会観を配慮すると、この映画は『ROOKIES』とかに近いんだろうな。『クレイマー、クレイマー』みたいな映画を期待するほうが、間違ってる。


先日、渋谷へ取材に行ったとき、ディズニー・ストアに寄った。
0304cadrfmb2『塔の上のラプンツェル』のグッズは珍しいので、コップやお皿などの三点セットを買ってしまった。ティンカー・ベルのコップも、絵柄がいいので、一緒に買った。

この趣味だけは、誰にも理解されなくていいし、むしろ理解されたくない。自分でも、どうして集めているのか、よく分かっていないから。

(C) 2011『うさぎドロップ』製作委員会

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2012年3月 1日 (木)

■0301■

本日は、ささきいさおさんの取材でした。
0301yamatoここのところ、別の仕事で『ヤマト』漬けだったせいもあり、汗がでるほど緊張しながらのインタビューとなりました。

ご自分の仕事を、過大評価も過小評価もせず……、昔のものとしても、今のものとしても語られる。完成された表現者ですね。
帰りぎわ、「新しいヤマト(『宇宙戦艦ヤマト2199』)を、楽しみにしていてね!」と大きな声で言っていただき、感無量でした。
インタビュー原稿は、明朝納品です。


劇場版をすべて見てから、『ヤマト2』と初代『ヤマト』。一ヶ月ぐらいかけて、ずっと浸っていた。
やっぱり、初代『ヤマト』の表現力は、ダントツにすごい。爆発やビーム発射のシーンがくると、「今度はどんな表現を試しているのだろう?」と、胸が躍る。
たとえば、ヤマトが主砲を斉射するたび、船体への照り返しがブラシだったり、セルの塗り分けだったり、一定してないんです。何かしら、新しいことを試している。

石黒昇監督は「セルに指で絵の具を塗ったりしたよ」とおっしゃっていたが、さもありなん。まさに、塗り重ねられた絵の具の重みまで伝わってきそうな質感。
殴り描きのようなエフェクトが、セルの上に重ねてあったりするのだが、その殴り描きの線の色が、セルの爆発炎と同じになる瞬間があり、決してデタラメに重ねているわけではないと分かる。

その様式化されていない、試行錯誤の過程が、まさに14万8千光年の未知の旅なわけです。


文化通信のメルマガによると、『映画 けいおん!』は86日間で、興行収入16.9億円。全国のほとんどの劇場が、昨日か今日で上映終了。
0301cajwfm4p(←渋谷では、本日朝で終わっていた)
だけど、新宿ピカデリーは、もうしばらく、朝・夕に上映をつづけるみたい。
新ピカは、松竹の子会社が運営しているからね。客足が途絶えないってことなんだろうな。

新ピカに『マイマイ新子と千年の魔法』を見に行った最後の日は、09年12月3日。冷たい雨が降っていた。最上階のスクリーンまで、お客さんみんなでエスカレーターの上をダッシュした(開場してから上映まで、10分しかないからだ)。
……松竹の体質は、あれから変わったんだろうか? 『TIGER&BUNNY』は、松竹とティ・ジョイ配給だよね。ちょっと気になる。


震災・原発事故直後、「プルトニウムのような重たい放射性物質は、関東まで届かない」ことを分かりやすく解説している方がいて、すっかり尊敬のまなざしで見ていた。
その後も、各原発の状況を精査して、具体的・現実的に廃炉にすべき……というような主張をしてらしたようだ。

その方が昨日、いま稼動している原発を「6基くらいでしたっけ?」とツイートしていたので、ちょっと絶句してしまった。
……俺も、何も知ろうとしなければ、「54基フル稼働してるんでしょ?」と思い込んでいたかも知れない。でも、それなりに勉強しているだろう方が「6基くらい」って……。「いえいえ、たった2基しか稼動してませんよ」と、関心の薄い人たちに知らせるべきかも知れないな。
日曜日、地元でデモあるし。線量計も届くし。

俺はイヤだな。「原発推進派の意見も平等に聞き、原発を停める必要があるなら停めていきましょうよ」なんていう、リベラルな態度は。
福島の方が「東京で脱原発と言っている連中は、自分が被爆したくないから叫んでいるだけだ」と憎々しげに言ってらして……そういう声を背中に聞きながら、それでも「原発は停めよう」と、東電の前で、経産省の前で叫んでいきたい。

発言には、痛みが伴わなければいけないんだ。「僕の手は汚れてません、綺麗です」なんて、いまさら言うつもりはない。
誰からも責められない立場を確保して、安全圏から叫ぶなんて、俺はイヤだね。

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