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2012年3月31日 (土)

■0331■

人間が最先端のものと信じ込んでいる電子キーは、実は、単純な数字の組み合わせさえ覚えれば、すぐに使えてしまう。だとすると、人間より猿のほうが、うまく使えるんじゃないか?
そう思わせるシーンがあるだけで、『猿の惑星 創世記』はエキサイティングだったし、僕はひさびさに、映画の中に没入できた。
002何しろ、この写真のシーンで、涙を流してしまったほどだ。
この猿が、CGであるかどうかなんて、途中からどうでもよくなっていた。チャールトン・ヘストンの『猿の惑星』に、うまくつながるかどうかも、どうでもいい。
ただ、グレッグ・イーガンの小説を読むように、ひたすら時間を忘れて、翻弄された。

主人公の猿、シーザーの幸福を願った。そう願えるラストに、満足した。


不思議なもので、猿が映っているシーンでは、人間のことを思う。人間が映っているシーンでは、猿たちがどうなっていくのか、気になる。
だが、知恵をつけた猿たちと、滅びゆく人間とは、反比例する曲線グラフのように、はなればなれになっていく。

本当は、家畜のようなシステムから解放されねばならないのは、僕たち人間のほうなのだ。
この映画は、決して人間を救わない。ただ、怒り、悲しむ猿たちを描くことで、僕らにも少しは救いがあるんじゃないかと、期待させる。

しかし、シーザーの瞳は、どんなに怒っているときでも、悲しそうに見えた。


どんな映画だって、自由と解放を求めるんだ。抑圧からの逃走。僕らをシートに縛りつけている罪悪感から、映画は必ず終わってくれる。「さあ、外へ出ろ!」って。
映画は所有できない。時間が来ると、消えてなくなるんだ。

映画のレビュー欄に★印が並んでいて、どうしても満点をつけられないヤツ。さんざん誉めておきながら、なぜだか「95点」と書いてしまうヤツ。
君たちは、「しょせん世界に完璧などあり得ない」と、あきらめている。世界を完璧にするには努力が必要なのだが、その努力を放棄したニヒリストたち。
そういう連中は、「この映画もまた欠けている」と嘆きつづけることによって、世界を暗くしていることに、いい加減に気がついてほしい。


アニメ特撮おすすめサイト「MILO!」が更新されました。
私の記事の第二回は、『境界線上のホライゾン』です。→

(C)2011 TWENTIETH CENTURY FOX

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コメント

ここにきて、BS11で放送していた『Tiger&Bunny』の再放送と『偽物語』が最終回となりました。『偽物語』は地上波の一週遅れでしたが。
『偽物語』は切れが良くて楽しんで視ていましたが、視始めてしばらくして『それいけ!宇宙戦艦ヤモト・ヨーコ』の最終話がもう一度視たくなってました。
最終話で、主人公の山本洋子は、彼女を宇宙から排除しようとするオールドタイマー(彼女のチームメイトの体を使っている)と会話するのですが、彼女を排除する理由を簡単なことばで切り返し、それにオールドタイマーが「そうね。」と納得してしまうのです。(残念なことに、セリフを忘れてしまっています。)
で、調べてみたら『それいけ!宇宙戦艦ヤモト・ヨーコ』の監督が新房昭之さんでした。
で、『偽物語』の最終話も似た展開。
影縫余弦との激しい戦いのあっけない幕切れを視て、監督が新房昭之さんということに深く納得してしまいました。

投稿: DH98 | 2012年3月31日 (土) 19時42分

■DH98様
僕は、『化物語』も『偽物語』も、話の終わり方がいいと思っていました。推理モノのように、サラリと終わるところが。
でも、『宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ』は、まったく想起しませんでした(笑)。

『ヨーコ』も、原作モノなんですよね。新房監督は、原作モノは原作どおりに映像化する……とおっしゃってますし、『物語』シリーズなんかは「確かにそのままだよな」と思っていました。

だけど、『偽』の絵コンテを見せてもらうと、けっこう激しく新房監督の直しが入っているので、ちゃんとカラーは出てるんでしょうね。ナルホドです。

おすすめサイト「MILO!」では、私は深夜アニメ担当なので、よろしくお願いします。

投稿: 廣田恵介 | 2012年3月31日 (土) 20時41分

「100点満点の映画」と断定できないのは、「100点満点の人間」が想像できないのと同様に、「作品に点数をつける」というシステムの持つ問題とは思いますが、同時に、「作品に点数をつける」という態度もまた、「作品」と「それを観る自分」との間に対等な関係が結べない、あるいは結ぶ事を拒んでいるという事なんだろうな、と。

「点数つける」という態度はやはり「上から」の目線で、作品を抱きしめる気も、あるいは取っ組み合う気もハナから無い、そういう態度なんだろうと思います。

>さんざん誉めておきながら、なぜだか「95点」と書いてしまうヤツ。

よく見かけます。というか、そういう態度を自分自身も知らぬ間に取っているという恥かしさもあります。

「あの作品どうだった?」と聞かれて、「ん?まあまあだったよ」と答えてしまうような。

マイナス5点の留保を作って、自分の価値観の完全な表明を免れる余地が欲しいという、つまりは「逃げ」なんだろうなと。
そうまでして守りたい自我であるなら、ハナから言葉など発するべきではないよなあ…と思いますね(笑)。

投稿: べっちん | 2012年4月 1日 (日) 00時21分

■べっちん様
あいかわらず、この件に関しては「あなたは俺か!」と思うほど、同意見・同感触なんです。

>「作品に点数をつける」というシステムの持つ問題

作品名を検索しただけで、もう星印が表示されてしまうシステムは、犯罪レベルに無神経です。
どの映画サイトも「評価」を載せ、公開が終わってもそのまんま。それに加担してるのが「点数マニア」のお前たちなんだよ!と怒鳴りたいけど、本人たちは消費者根性で「カネ払ったんだから、何書いてもいいだろ」としか思ってない。

自分の心の動きを、決められた数字でしか表現できないのは、欠陥なんですよ。恥ずかしいことなんです。

>「あの作品どうだった?」と聞かれて、「ん?まあまあだったよ」と答えてしまうような。

その「まあまあ」って、居酒屋で話し込んだら、地平線の彼方までブッ飛ばされるぐらい、人によって違うところが素敵じゃないですか。
「言葉」、とくに「話し言葉」って、そのアバウトさが無限大で、楽しいじゃないですか。
「人から聞く映画のストーリー」って、勝手にアレンジされてて、見るより楽しかったりするじゃないですか。

言葉ってのは、会話ってのは、豊かなものなんですよ!

>マイナス5点の留保を作って、自分の価値観の完全な表明を免れる余地が欲しい

その通りですよ。
その「マイナス5点」分、その人のアバウトで緩やかな心の動きは、すり減っていくんです。

抱きしめて「大好きだ」と言えないんなら、人を好きになる資格はない。それだけのことです。

投稿: 廣田恵介 | 2012年4月 1日 (日) 01時09分

お恥かしい限りです。
僕は廣田さんのファンなんで、廣田さんの言葉にかなりの影響を受けていると思いますよ(笑)。

作品を愛する(あるいは嫌う)という心の動きは、自分以外の人間に対しての心の有り様と同じでしょうね。

欠点だらけで、突っ込みどころ満載だったとしても、大好きな作品っていうのはありうる訳で、あなたにとってそれは「何点」って言えるの?という(笑)

加えて、昔好き(あるいは苦手)だった人に対して、時間が経って見方や気持ちが変わる事があるように、作品にも同じ事が言えるわけで、「○○点だね」とは言い切れるはずは無いんですよね。

それなのに「点数で評価する」って言うのは、「自分だけは不変である」という慢心でしかないし、見方を変えれば「絶望」なんじゃないかと思います。

投稿: べっちん | 2012年4月 1日 (日) 01時43分

■べっちん様
このブログは、記事数の三倍、コメント数があるんです。
影響を受けているのは、お互い様ですよ!

>作品を愛する(あるいは嫌う)という心の動きは、自分以外の人間に対しての心の有り様と同じでしょうね。

そうそう、人に対してどう接しているか、バレてしまうんですよね。
アニメの売り上げが悪いと「爆死w」「ざまあw」とか書くヤツって、どんないじけたつまらない男か、たかが知れてしまいます。

歳をくって初めて「こういうことを言いたかったのか」と気がつくこともあるし、逆に「昔はいいと思ったのになあ……」と、忘れてしまう気持ちも、いっぱいあるじゃないですか。
その「動態」を受け入れることですよね。

>見方を変えれば「絶望」なんじゃないかと思います。

その通り。死んでるんですよ、心が。
点数をつけて、自分の不変を念じれば念じるほど、変化をかたくなに拒むってことでしょう?

歳くったヤツだけじゃなくて、若くても老成しちゃってるようなヤツも、いわば「絶望」して、悟った気になってるんでしょうね。

投稿: 廣田恵介 | 2012年4月 1日 (日) 02時00分

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