■0226■
ムービープラスで、『リービング・ラスベガス』を途中から。
アル中男と娼婦の、疲弊していく恋路。「君は僕に、酒をやめろとは絶対に言えないはず」と、男は娼婦に告げる。彼女は、これからもずっと、客をとりつづけなければならないからだ。
人生の99%までをあきらめた人たちが守りつづける、残り1%。それが何であるかより、「いかにして1%を残したか」、そのやり方で、人間は愚かにもなるし、気高くも生きられる。
どうせあきらめるなら、綺麗にあきらめなさい、ということだ。
テレビのスイッチをひねったら、飲んだくれたニコラス・ケイジが、エリザベス・シュー演じる娼婦を、ろれつの回らない口で食事に誘うシーンだった。
娼婦は、一度は誘いを断るが、結局は自分から深夜のレストランへ誘い返す。その気だるく、甘いムードに、思わず目が覚めた。映画を頭から見なきゃいけないなんて、誰が決めたんだ?
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ワタミの女性社員自殺については、いろいろ思うところがある。
端的に言うなら、「そんなに辛ければ、逃げてもいいんだよ」ということになる。
……僕のような自由業、しかも40代だと、逃げられない場合が多い。だから、辛くならない程度に、仕事の量を読むんです。何日も徹夜しなければ終わらないようなら、初めから受けない。
だけど、会社員で、まだ若かったら、たちまち追い詰められてしまうかも知れない。
自分の20代のころを思い出すと、最下層のアルバイトを転々としていた時期がある。八王子~立川は、工場が多かったので、よく分からないバイトしてたよ。カーオーディオの部品組み立てとか、まったく関心のない退屈な作業。
たぶん、こう思って、やり過ごしたんだ。「今は工員かも知れないけど、本当の俺はクリエイターだぞ」って。
30歳をすぎて、そんなふうに考えている人は、もはや手遅れだと思うけど、20代なら妄想で乗り切れる。その歳なら、水だけで何日間が生きてられるし。妄想でいいから、「本当の俺は違うんだ!」と思い込むこと、現実逃避することだ。
(それを「潜在的転職希望者」と呼ぶそうです)
ただ、僕を結果的に出版界に近づけてくれた恩人の言葉が、僕を焦らせた。「才能があるくせに、30歳を過ぎても世に出られないヤツは、性格に欠陥がある」。
その言葉が、いろいろあきらめさせてくれた。「ここまで努力してきたけど、誰からも相手にされないのは、才能がないからだ」って、すっぱりあきらめられた。28歳ごろ。
「求められることだけ、やろう」と開き直ってから、今の仕事で食えるようになった。
だけど、20代前半の若い人が「求められることだけ、やろう」では停滞してしまうか、逆に過労になってしまう。「家に帰ると、ゲームばかりしています」では困ってしまうが、才能がないかも知れない方向へ、全力で挑むことは、僕は無駄とは思わない。
つまり、才能が必要とされる分野って、「ああ、自分は向いてないんだ」って、クルッとUターンして戻ってこられるんです。戻ってくるときは、恥ずかしいかも知れないけどね。
「明日のために、今日の屈辱に耐えるんだ」って、沖田十三も言ってるよ。
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この土日、あちこちで反原発デモが行われた。
デモの参加者を批判するのは構わないけど、「放射能に汚染されると、あんなみすぼらしい格好になるのか」という無神経な発言には、悲しくなった。なぜなら、その人は東京に住んでいるから。
食事にも気をつけてないだろうし、マスクもしてないだろう。運よく吸引してないにしても、靴の裏にはベッタリとくっついているはず。いま、東京に暮らすとは、そういうことだ。
原子炉の中にしかないはずのものが、自分の家の玄関やベランダにある――誰も認めたくないだろうけど、「東京は別」と思っている人に出会うと、もはや、かける言葉も見つからない。
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