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朝からの打ち合わせが終わってから、『ももへの手紙』マスコミ試写へ。僕は実写映画でも、テーマを気にすることは滅多にない。
これは、父を失った娘と夫を失った妻が傷を癒していく物語。それ以上、何か深く考えると、大事なものが逃げていくような気がする。
「父の不在」と「見知らぬ土地」への違和感は、キャラクターの表情や芝居に、つまり表現として、見事にあらわされている。
あと、妖怪たちのデザインは、かなり好悪が分かれそうだけど、なんとなく漠然と「やはり、日本には種々雑多な神様がいるのだ」と感じさせる。そのバランス感覚も、なかなか良かった。僕は、妖怪の造形は、ちょっと苦手だったけどね……(骨格や筋肉まで描いてあるところが、ちょっと)。
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絶対に崩れそうもない端正なデザインのももが、妖怪たちと出くわすたびにとるリアクションが、意外と大胆にディフォルメされていたり、かと思うと、色気を感じるほどリアルだったり、「動けば可愛いヒロイン」。
そもそも、ももの周囲で妖怪たちが可視化されていくプロセスそのものが、かなりの見せ場となっている。僕は、作画とCGの総力戦であるクライマックスより、古い町でオタオタと逃げ回るももを見ていた方が楽しかった。
何しろ、ひとつひとつのカットが、ぴたっと決まるんだ。「このパースでこう撮れば、緊迫感が出るだろう」とか「こういう間の抜けたカットを入れれば、ちょっと笑いが出るだろう」とか、その辺はテクニックに酔わされる、めくるめく快感。
動いてばかりでなく、ピターッと止めの絵が入ったりね。小道具の使い方も、上手い。中盤のアクションよりも、僕は前半のじわじわ迫る感じが好き。
僕からすれば、それが映画の「ネタ」なのであって、それこそ公開まで具体的には書かないよ。
公開は、4月21日。長いなあ。
ラストは、途中まで見ていけば「だいたい、こんな感じかな」と予想がつくだろうけど、死者が蘇る数年前の邦画のような、下品なことはしません。
死を取り扱う神妙さでは、アニメのほうが、ずっと上を行っているのです――『マイマイ新子と千年の魔法』や『カラフル』を見ていると、そう思えてきます。
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試写会まで間があったので、三鷹から吉祥寺、西荻窪から荻窪まで歩いた。
はるか先に、スケートボードを抱えた女の子が歩いている。たまに、ボードを歩道において、軽く地面を蹴る。両手でバランスをとる危なっかしさが、いかにも女の子らしい。
人通りが多くなると、ボードを抱えあげて、普通に歩き出した。その遠慮のしかたが、彼女特有の慎みぶかさをあらわしているように感じられた。
それは、ずっと昔の出来事のようにも思える。
ふと気がつくと、かつては親しみをおぼえることの出来たこと・ものが、ずっと遠くへ行ってしまっている。無くなりはしないけど、僕とは関係のない世界へ離れてしまっていることが、たまにある。
(C)2012「ももへの手紙」製作委員会
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