■0221■
霞ヶ関に、二日つづけて通う。
昨日20日は、経産省前の抗議集会へ。平日昼間で、人が少ないだろうから、ちょっとでも応援になれば……。案の定、夜になってからのほうが、仕事帰りの人が集まって、盛り上がったようです。
マイクを握った人が、「僕だって今日、仕事があるんです。プロ市民じゃないんですけど、どうせマスコミには市民団体って書かれちゃうんでしょ?」と言っていたけど、その通りだよ。
「プロ市民」とくくることで、「俺はプロ市民ではない」「彼はプロ市民だ」と二項対立の図式に当てはめたがる。特に、ネットの前から動こうとしない評論家たちは。
現場の空気を吸えば、そんな単純なものじゃないって分かるよ。
高浜原発3号機が定期検査に入ったから、稼動中の原発は54分の2基。「原発が止まると、日本は江戸時代に逆戻りだ!」と叫んでいた人は、そろそろ髷でも結っといてほしいんだけどな。
……かと言って、「電気は余ってます」という言い方には、ちょっと抵抗を感じる。
311直後の節電ブームは、今までの生活を見直すキッカケになったはず。果たして、便座を暖める必要なんてあるのか? 手を洗ったらジェットタオルではなく、ハンカチを使えばいい。
やっぱり、今までの生活は過剰だったんだって、特に都会の人は反省すべきだと思う。
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そして、本日21日。東京高裁で、廣田年亮被告の判決。
控訴棄却で、懲役6年6ヵ月の判決は変わらず。弁護人、証人の皆さん、朝っぱらから、ご苦労様でした。無駄骨でしたね。
若い弁護人は、へらへら笑いながら、赤いデイバッグを法廷に持ち込んだ。あいかわらず、非常識なヤツだ。
そして、何となく分かったよ。70歳をすぎた被告の妹や友人は、このニヤケ顔の弁護人から「応援に来てくださいよ~」と、呼びつけられたフシがある。そして、老人たちは「弁護士先生の言うことなら」と信用して、何度も足を運んでしまったのだろう。
彼らが主体的に考えようとしないから、被害者どころか加害者すら救われない。
俺は何も、正義を証明しようとして、出廷するわけじゃない。
殺されて、口もきけなくされた母の無念と苦痛は、誰にも計り知れない。この世から、追い出されてしまったのだから。彼女の代理として、被告たちと戦っているだけだ。
年亮被告は、ふっくら太って、真新しい服を着せてもらっていた。「外で暮らすより、拘置所の中の方が楽だ」と証言してたっけな。
母は焼かれて、真っ白な灰になってしまったというのに。体中、刺し傷だらけで。
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昨夜、山口県光市の母子殺害事件の実刑判決がくだった。
ところが、ただ一人残された被害者遺族が再婚していると知るや、非難がよせられた。ご本人は、13年間も果敢に戦われて、外野の声など気にもしていないと思うが――。
僕には、こう聞こえるんだよ。「何だよ、お前は、お前だけの人生を堂々と生きやがって! 俺たちは俺たち自身の人生を生きられてないのに、どうしてお前は自分の人生を生きてやがんだよ!」――そういう、苦しまぎれな嫉妬の声に聞こえる。
「他人の不幸は蜜の味」よりも根深く、「他人の幸福がねたましい」者たちがいる。凄惨な事件の被害者遺族が再婚することは、彼らにしてみれば「分相応で許しがたい幸福」なのだろう。
己に課せられた苦労、肌身に感ずるべき痛みは周到に回避するくせに、他人には、限度をこえた忍耐と努力を要求する人々。
とりあえず、「自分の人生が満たされてないからといって、それを他人のせいにすんなよ、みっともない」……としか、言いようがない。
僕は、この事件の被害者遺族が尽力してくれたおかげで、被告や証人に尋問ができた。すべてを奪われた母の代わりに、法廷に立つことができたんだ。
……言葉も出ない。感謝している。
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コメント
311以降、原発について初めて色々学んだ時、原発はやめてほしいと思ったものの、『江戸時代に逆戻り』なんてキーワードを聞くと、どうしても心から叫べなかった自分もいました。
でも現在、江戸時代なんかじゃない…。
まさに過剰過ぎたんですよね。
我が家の便座だって。
ハッとしました。
ここに越す前は、温めるのなんて勿体無くて、カバーかければいい話って思ってたのに、チビが産まれて用を足せるようになり、汚す頻度が多くなり、いつの間にかスイッチオン…。
やっぱりこうやって、楽さを選んでしまうんですよね。
娘の時は布オムツで育てたのに、子ども2人は大変だからとチビは紙オムツになっていく…。
ん〜、まだまだやっぱり見直さなければならないこと沢山ありそう。
ジェットタオル、自動で開く便器の蓋、手を伸ばせば勝手に出る水道…
自分も使用して汚しているのに、他人の汚れが気になって何でも自動になっていく。
それは行き過ぎているなとは、常々頭にありました。
前の人の汚れを気にするのなら、次の人が心地よく使えるような状態に戻してからその場を立ち去ったらいいだけの話なのにって。
それから、今年の冬は暖房が勿体無くて子供と布団に入る生活をしていたら、8時から朝まで寝る体になってしまいました(苦笑)
投稿: ナトー | 2012年2月25日 (土) 04時14分
■ナトー様
原発と利害関係があるわけでもないのに、漠然と原発を容認している人たちは、たいして調べてもいませんからね。
「原発に反対している連中が、ちょっと気に食わない」程度なので、心の底からガッカリしています。本気なら、「早く原発を動かせ!」と抗議活動を行っている頃でしょうに。
>ジェットタオル、自動で開く便器の蓋、手を伸ばせば勝手に出る水道…
先日、病院に行って気がついたのですが、お年寄りの中には、蛇口をひねるのが辛いという人もいます。
公共施設のトイレがどんどん自動化していったのは、社会が高齢化している証拠なのかも知れません……と同時に、僕らのように、まだまだ動ける人間が手をかせば、かなりの部分をフォローできるとも感じました。
>前の人の汚れを気にするのなら、次の人が心地よく使えるような状態に戻してからその場を立ち去ったらいいだけの話なのにって。
「他の人にやられたくないことは、自分がしなければいい」だけの話ですよね。
だけど、多くの人たちが、「自分の負担をどれだけ他人に押し付けられるか」を、豊かさや強さの尺度にしている。
本当に強い人は、あれもこれも、自分で背負い込んでいるというのに。
結局、心の強さ・豊かさに対する我々の勘違いが、「原発がなければ江戸時代に逆戻り」という幻想を生んだのでしょうね。
投稿: 廣田恵介 | 2012年2月25日 (土) 11時52分