■0211■
ミシェル・ゴンドリーが監督しているというので、『グリーン・ホーネット』を見る。人によっては、このダラダラした軟弱なノリが許せないとは思うが、ゴンドリーの映画だと思えば、とても責められない。
むしろ、この甘っちょろさが、疲れた心にジワッと染みるではないか。
派手なアクションも多いのだが、僕は、主役二人が仲間割れするシーンで、声を出して笑ってしまった。部屋の中なのにバイクで走ったり、あまりにも幼稚っぽい。
この人は、ティム・バートンみたいに屈折していない。「本当の俺は……」とか「子ども時代のトラウマが……」とか、まったく関係ないんだろうな。
ただ、「こんな風に愉快に生きられたら、人生もマシになるのにね」とでも言いたげな、ちょっとセンチメンタルなところがある。
ゴンドリーの軟弱さが嫌いな人もいるだろうけど、映画の中ぐらい、面白おかしく生きさせてやってくれないか?という気分。
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そして、またヘビーな話題から。
原発銀座と呼ばれる福井県の高校生たちは、やはり原発関連の企業に就職したいのだそうだ。→■
「生まれたときから原発が身近にあり、私たちは現実と向き合ってきた。福島の事故があってから厳しい目で見られがちだけど、電気は生活に欠かせない。不安はない」
――俺には、言い返す言葉は、ないですよ。
この40数年間、俺は原発なんて、あってもなくても同じだと思って生きてきたのだから。先日、「脱原発は汚い」と書いたのは、「後だしジャンケンで卑怯だ」って意味です。
だから、原発を容認しようが、推進しようが、あるいは無視しようが、みんな共通の罪を負っている。それは、これから生まれてくる世代に、危険な作業を押しつけるんだ、という罪。
反原発デモを「うるせーなー、よそでやれよ」と嫌がっている人さえ、その罪からは逃れられない。稼動させようが廃炉にしようが、必ず生け贄を必要とする。もう、それは分かりきっていることだ。
その上で、態度を決定しなくてはいけない。……来月、三鷹でデモがあるので、ちょっと行ってみようかと考えている。
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21日、広田年亮被告の判決がくだる。
道を歩いていて、ふと思う。ここにいる人たちに「こんな事件があったんですが、どう思いますか?」とアンケートしたら、全員が被告を許すんだろうなって。「もう、お歳なんでしょ」「殺したからには、よほどの理由があったのよ」「神経が参っていたなら、仕方ないよ」って感じに。
血のついた包丁やベッドを見ても、たぶん冷静に「お父さんだろう、許してあげなよ」とでも言うんだろうな。実際、血痕が点々と残る犯行現場を見てきたはずの被告の妹が、シレッと弁護側の証人に立ったものな。
世の中のすべてが、僕と正反対を向いている。
一年前の今ごろは、立川検察に呼ばれ、ようやく被告が起訴されると分かって、ホッとしていた。今はもう、あの頃の気持ちさえ、懐かしい。
誰もついてこられない場所まで、僕はひとりで来てしまった。
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さて、賛否両論ある「原発国民投票」だが、30万人の都民が署名したらしい。僕も昨年、『けいおん!』を見に行ったとき、立川駅前で署名した。
ところが、石原おじいちゃん(80歳)は「条例つくれるわけないし、つくるつもりもない」。→■
「原発も原爆のトラウマがあるから、みんな一種のセンチメントで恐怖感を抱いている」って、福島第一の事故で仕事や故郷を失った人、自殺するしかなかった人にも、「センチメント」と言えるのかね、このジイさんは。
ちなみに、石原ジイさんは「原発に反対するのはサルと同じだ」という発言を引用しているけど、発言元は吉本隆明。87歳だよ!
だけど、原発好きは老いぼればかりではない。「危険と隣り合わせに生きるのがカッコいい」「人間の技術の進歩は無限である」と考えている人は、チラホラいる。彼らの「美学」は、他人の悲惨をいっさい顧みてない。人の目を見て言えないから、匿名でネットに書き散らすしかない。
とにかく、東京都には抗議をするとして……もう、我慢する必要はあるまい。人をなめきった後期高齢知事は、とっととくたばれ。
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