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2012年2月 7日 (火)

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仕事の合間をぬって、『ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~』。
0207004何しろ、広末涼子が浅野忠信の浮気相手、心中相手だからね。松たか子はさておいて、広末の登場シーンになると、ハッと目がさめる。
なぜか、丸いメガネをかけたインテリ風のいで立ち。松たか子に「熱燗ですか、冷ですか?」と聞かれて、「あたしは、冷に決まってるんだよ」とアダな返し方。たまらんですね。
女優が酒を飲むシーンは、映画を見る楽しみのひとつですから。

ただ、登場シーンが少ない。この後は、浅野から心中に誘われ、温泉へ旅行、簡単なセックスシーンのあと(このシーンのためか、映倫様はPG-12に指定)、もう心中だからね。
トータルで20分ぐらいじゃないだろうか。

広末涼子は『子猫の涙』のキャバ嬢役も良く、意外と夜の世界が似合う人だ。


太宰治は、高校から大学のあいだに、あらかた読んでしまった。読み直す気にはなれない。
男は、つくづく無駄な存在だと思ってしまう。ある人によると、反原発運動に参加しているのは、半分が女性。原子力利権に群がっている9割までが、男なのだという。
この『ヴィヨンの妻』でもそうなんだけど、男には柔軟性がない。一度決めた考えを、なかなか変えられない。女は、たとえ子どもがいようが……いや、子どもがいるからこそ、「ここで働かせてください」と、どんどん自らの環境を変えていく。

別に、ニートでもいいんですよ。いつまでも、親の厄介になっているという自覚さえあれば。
だけど、自分には家族をつくるつもりがない、結婚するつもりもないから、社会なんてどうにでもなれ……という考え方には、吐き気がします。
人の目が怖い、社会に組み込まれるのが苦痛なら、僕は無理に溶けこむ必要はないと思う。僕だって、ドロップアウトしてる。でも、それは「他人の幸せなんて、どうでもいい」と投げ捨てる理由にはならないよ。

太宰の小説の主人公は、情死しようとして生き残り、「つらいのです」とか言いながら、結局は女に甘えて、何も変わらない。
アニメとゲームだけで一日を終えても、俺も人生のある時期をそうして過ごしていたから、理解はできるんだよ。でも、そのうえで「つらいのです」と自己憐憫に逃避していたら、それこそ何のために生きてるんだ?と思ってしまうな。


日本の自殺人口は、1998年から、三万人を切ったことがない。
そして、自殺者の七割が男性なんだよ。なぜなら、男は生き方を変えられないから。頑迷固陋で己のケチな「信念」に固執し、すぐ袋小路に入りこんでしまう。
「日本の自殺者の七割は、男」。これは、男の役立たずぶりを示す、何よりの数字だよ。

「男らしくあれ」なんて、クソみたいな言葉でしょう? いま、女の子同士が仲良くするアニメが、増えている。それを征服欲で見ている人は、あんまりいないと思う。みんな、彼女たちのように、感情をオープンにしたいと思ってるんじゃないの?
弾力性のあるアニメの世界に比べると、男の身体は、なんと窮屈なんだろうと、俺は思う。歳くうと、ちょっとしたことで疲れちゃうしさ。
だからせめて、自分が役立たずであればあるほど、女性を大事にしてはどうか?と考えるようになった。

行き詰まった男がニヒリストになるのは、楽なんだよ。直結してるから。行き詰まって先のない人間は、他人のことを考えるだけで、ちょっとは救われるんだ。
自分のことしか考えられないのは、ガキンチョ。それは、男も女も関係ないけどね。

(C)2009 フジテレビジョン パパドゥ 新潮社 日本映画衛星放送

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