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今夜は仕事で参加できないのですが、私が積極的に参加している抗議デモに「東電前アクション」があります。
なんとなく、このブログのアクセス解析を見ていたら、「東電前アクション 馬鹿」で検索してきた人がいました。今朝の9時53分です。IPアドレスは「tproxy108.tepco.co.jp」……って、東電社員ご本人じゃないですか。
就業時間中だろうに、何をやってるんだか……。
たぶん、東電前アクションが気に食わなくて、「誰か馬鹿にしている人はいないかな」と検索をかけたのでしょう。
こういう「他人に悪口を言わせて安心する人」って、東電社員にかぎらず、ネットにいっぱいいます。「ああ、俺以外にも同じ考えのヤツがいるぞ」と安心したいんだろうね。
せめて、悪口ぐらいは、自分の意志で書けばいいのに。「自分独自の意見」を背負って立つことすら、ビビって出来ないのか、と。
来月の東電前アクションには参加予定なので、東電社員さん、よろしく。
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どういうわけか、加害者に優しい世の中です。
東電に関しても「まあ、責めても仕方ない。彼らも人間だよ」と思っている人が、日本人の9割ぐらいじゃないでしょうか。
原発事故が原因で自殺してしまった人、福島第一で亡くなった作業員の方たち。あるいは福島から疎開してきて、「絶対に東電だけは許さない」とデモで絶叫していた女の子。――皆、弱者を振り返ろうとしない。
昨日のブログに書いた母の事件だって、まったく同じことです。
傍聴席に被告の妹とその娘、被告の友人の三名。そして、弁護人一名。計四名が、人殺しの被告を助けるため、集まってきました。
彼らは、被害者である母のことを、どう思っているのでしょう? 「死んじゃったんだから、仕方ないよね」「もうこの世にいないんだから、人権なんてないよ」。こんな程度ではないかと、私は予想する。
事実、被告の妹は「これは夫婦の問題だから(殺された妻にも責任がある)」と、私に言ったことがあります。
人殺しだろうがなんだろうが、生き残った方の味方をする。これは、楽です。
法廷に出られず、もちろん証言も出来ず、それどころか存在すらしなくなった母の味方をする。不名誉な死をとげた彼女の代弁者となる。それには、被害者の無念と恐怖、肉体的苦痛を想像する力が必要です。
「愛」などという不明瞭な概念ではなく、想像力でその場に立ち、意志を発揮しつづけなければならない。
目に見える者の味方をするのは、実に簡単なことです。しかし、忘れられれば存在すらしなくなってしまう死者を、弱者を、心から思うことが生きる者の義務だと思います。
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『マイマイ新子と千年の魔法』の上映でお付き合いのできた吉祥寺バウスシアターで、『アーチ&シパック 世界ウンコ大戦争』という韓国アニメが公開されます(11日~)。
トークイベントが予定されているのですが、その司会を、配給会社から頼まれました。
結局、「お前は、まだこっちの世界にとどまりなさい」「この世の中でやることが、まだ残ってますよ」と引き戻してくれるのは、いつだって仕事なのです。
仕事がなくなったとき、家族のない僕には生きていく理由がありませんから、せめて誰かの役に立てる道を探すのでしょう。
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