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2012年1月30日 (月)

■0130■

ムービープラスで、香里奈主演の『ラブコメ』。ちょっと古い映画だろうと思っていたら、まだDVDが出てから一年ぐらいの最近作。
0130154796_1香里奈は、もうどんな役で出てきても大歓迎だけど、北乃きいのファンはどうなんだろう、これ。キャバ嬢という無理のある設定、ヘアメイクも衣装もちょっと……。北乃ファンの意見が聞きたいところだ。

登場人物は全員が社会人なのに、中学生みたいな生ぬるい恋愛がダラダラつづく。でも、ドロドロするよりは、ずっと気が楽だ。
演出も芝居も、すべてが子供じみていて、だからこそ憎めない映画って、あるんだよ。そもそも、僕は冒頭30分ぐらい見のがしている(笑)。録画できなかった。

「それじゃあ、見たことにならないよ」「最初から最後まで見なきゃ」って人とは、話が合わないだろうな。
面白い映画は、ワンシーンだけでも面白いと僕は思っている。一分でも「ああ、いいシーンだな」と思えたら、それで映画と僕との関係は成立する。トータルな完成度なんて、まったくどうでもいいんだ。


この映画は、昨今珍しいぐらい、東京23区をフィーチャーしている。上野動物園だとか隅田川花火大会だとか。東京都の地図も出てくるし、それも「古い映画ではないか」と思わせる要因じゃないかな。
東京、特に23区なんて、ここ数年の邦画では忘れ去られていた。『三丁目の夕陽』なんて、あんなものはジジイのノスタルジーでしょう。

東京23区、上野公園もそうだけど、僕には古い思い出がいっぱいある。
だけど、もう懐かしくすらないんだ。思い出さえあれば、生きていけると思っていたけど、そう甘くはなかったね。現実は。


些細なことかも知れないが、ちょっと気になるツイートを見かけた。
コピペすると、そのツイート主を「晒す」ことになるので、概要を書くと、「東電前でデモをしていたお母さんのツイッター・アカウントを見つけた。だが、家庭では子供ほったらかしで、酔っ払って寝てしまったと書いてあり、それをどこかに晒そうか、迷っていた」と。

……まあ、そういうお母さんもいると思うよ。先日の経産省前テントの集会でも、ただ友だちとダベってるだけの若者もいたし、別に聖人君子が集まってるわけじゃない。
僕が怖いのは、「どこに晒そうか」迷っていたわりに、このツイート主もリツイートした何十人かの人たちも、別に原発推進でも何でもないところです。中立以前の、無意見層じゃないのかな。
彼らは、ただこう思いたいだけでしょう。「脱原発とか叫んでる連中の正体なんて、こんなもんさ」。

しょせん、世の中、くだらないよ。どいつもこいつも嘘つきだろ。結局、本当に立派な人間なんて、この世にいないんだろ。――そう考えることで、溜飲を下げている人たちがいる。
自分の意見を好き勝手に叫んでいる母親が、家では母親失格である。だから、俺たちも努力しなくていい。そんな最低な母親がいる世界で、俺たちが何かする必要はない。まあ、そんなとこだろう、甘ったるいニヒリストたちの言い訳は。

自分が理想や向上心を放棄するダシに、他人の失態を利用するな。僕が憤った理由は、それだけ。
世の中がくだらなければくだらないほど、努力しないといけないんじゃないの?


明日は、友人が僕のために組んでくれたPCを、わざわざ家まで運んできてくれる。
明後日は、打ち合わせ後に、『ももへの手紙』試写会へ。その翌日は、東京高等裁判所で控訴審だ。

人生、折り返し点だなあ、とつくづく思う。

(C) KDDI 配給:ショウゲートma.pia.co.jp/piaphoto/title/240/154796_1.jpg

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2012年1月28日 (土)

■0128■

昨日は、経産省前の脱原発テント村へ行ってきました。
0128ca8qneoi集会は16時からなので、やや早めに着いたのに、もう何百人か集まっていました。
「若い人は、マスクしなきゃ! ここは線量が高いんだから!」と、マスクを配っているお母さんがいました。僕は、若い人って歳ではないんだけど、とても嬉しかった。見知らぬ人を気づかうという、その温かみがね。

自主退去の期限は17時なので、その時間に何が起きるか。自分は逃げるのか、それともテントを守るために踏みとどまるのか、それを確かめたかった。
テントが存在しつづける、ということは、毎日24時間、経産省前でデモが行われているのと同じです。これは、意志の表明です。

集会には全学連の旗も見えたし、テント村を統括しているのは、いわゆる「プロ市民」とも聞きます。確かに、脱原発と関連のないビラを受けとったこともあります。
……でも、そんなことは前ほど、気にならなくなったね。ダンマリを決め込む方が、よほど自分に対して恥ずかしい。


集会は18時まで。いろいろな団体の人がマイクを握ります。福島の畜産農家の方の、怒ったような泣いたような叫びが、いちばんキツかったなあ……。→

そして、主催者が定期的に「横に広がってください」「通路を空けてください」と巡回していたので、警官はいらなかったよな(笑)。
0128cam44r9rそれでも、昨日の警官たちは「すみません、もうちょっと下がっていただけますか」「恐れ入ります」と、やけに礼儀ただしく、中には参加者と談笑している人までいた。
いたって、平和的。子どもを連れたお母さんもいたし、日が落ちると、カイロを配っている人もいたし。

そして、17時をすぎた頃、「突入はないみたい」という声が聞こえました。
すでに700人をこえる人たちが集まっていたので、強制的な取り壊しは、断念したようです。僕は19時から約束があったので、18時すぎに、まだ演説のつづくテント村を後にしました。
もちろん、カンパも忘れずに。


印象的だったのは、主催者と警官が一般の人のために通路を確保していたのに、「公道をあけなさい!」と大声で連呼しながら、突っ切って行った老人。70代半ばか、80歳ぐらいかなあ。
まあ、だからさ、脱原発の運動をしている人たちが「気にいらねえな」って程度でしょ。本気で「日本国民の豊かな生活のために原発は必要不可欠!」なんて、この人たちは、口が裂けても言わないんだもん。

そもそも、枝野経産相は「原発ゼロで、今年の夏を乗り切る」って宣言しちゃったじゃん。→
原発推進派の人たちは、今度は枝野さんを吊るし上げないといかんのじゃないの? なんで黙ってる? 経産省前で「枝野、早く原発動かせ!」ってデモすればいい。

ようは、意志があるかないか。意志を表明できるか、否か。それだけの問題です。
自分の意見もなしに、ぬけぬけと生きのびてしまえるのは、311の前も後も変わりません。その風潮を、僕らの代で、何とか変えねばならないのではないでしょうか。

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2012年1月25日 (水)

■0125■

キャラ☆メル Febri  本日発売
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●「渋キャラオヤジ列伝」第四回 鏑木・T・虎徹
前回はお休みさせてもらったけど、今回は満を持して、『TIGER&BUNNY』の鏑木・T・虎徹について、6ページ、語り下してます。
虎徹については、特に後半パートの能力が減衰してくる、というくだり。あの感覚は、少なくとも30代後期にならないと分からないのでは……スポーツやっている人なんかは、身体的に分かるんだろうか。
ともかく、「人間の肉体的ピークは10代後期説」に基づいて、いろいろ語っています。

何というか……アニメを通して、アニメのことだけを知る、という循環には閉塞感をおぼえます。
頭の中でぐるぐる考えるには、あまりに知識がないので、身体に聞いてみた、という記事です。自分の人生は、頭ではなく身体で感じていくものですから。

アニメについて、深く感じる・考えるほど、肉体や性へのコンプレックスへつながっていく気がしてならないのです。


いつも寄るのを楽しみにしていた、経産省前テント村に、退去命令が出ました。期限は、27日午後5時。……27日夜は、ある出版社の方と飲むのですが、なるべく早い時間にテント村へ駆けつけたいと思います。

テント村のようなアクションに対して、「違法だから撤去は当然」という人がいる。経産省や文科省が、さんざんフェアでないことをやってきたのに、どうして国民にはフェアを強いるのか?
僕も、平時だったら「国有地の不法占拠は、ちょっとやりすぎでは?」と言ったと思う。
だけど、今は平時ではないんですよ。公安が、右翼の街宣車と足並みを揃えて嫌がらせにくるというのも、この目で見ておきたい。目というか、肌で感じれば分かることは、たくさんありますよね。

右翼は、自分たちが主体的な行動をとれなかったので、テント村に嫉妬しているんでしょうなあ。
自分の勇気の不足、行動力の不足を「すでに動いてしまった人間」を責めることで、うやむやにする。ネットで、よく見かける光景です。


今朝5時に、柏崎刈羽原発5号機が停止。
「原発なくて、電気どうすんだ」と言う人にかぎって、現在稼働中の原発の数さえ把握していないそうで。いま、東電管区内で稼働している原発は、たった一基ですよ。柏崎刈羽6号機のみで、これも3月下旬に定期検査に入る。

日本全国の原発は54基もあるけど、50基が停止中。「電気やべえ」という人は、原発早期再稼働デモを起こせばいい。なぜ、やらない? 諸君の権利だよ。憲法で保障されている。存分に、やればいい。

電力会社や官僚たち利権者集団、ああ、あと右翼か。彼らを省くと、「平民」の原発推進派など、ネットで反対派に絡んでいる程度。
ものを考えさせず、ほかに道はないと信じこませ、争わせるとしたら同じ身分のものを憎ませる――これは、奴隷を扱うときの考え方だそうです。


来週、東京高等裁判所で、控訴審。母が殺された事件は、一年が経過した今でも、まだ終わっていない。
あとはただ――祭壇の水と花を替え、毎夜、ろうそくを灯すだけの日々にして欲しいものなのだが。

水をとりかえ、火をともすと、そこに母がいるとまでは言わないが、命があると感じる。
怒りと慈しみの両方がなければ、人の心が駆動しないのと同じことだ。

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2012年1月23日 (月)

■0123■

シネマガールズ Vol.9 本日発売
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●映画女優ランキング50
過去五年間の商業映画から、出演本数に準じてトップ50人を選出。とにかく、主観的にならず、誰も傷つけないように選ぶにはどうしたらいいか?を編集とよく話し合いました。
何人分を書いたかは覚えてないけど、「今まで語ってこなかった女優を、あえて書いてほしい」との要望だったので、12月だけで20本ぐらい、映画をレンタルしてきて見ました。

昨年は、映画業界全体の収益が、大幅に落ち込んだんですね。特に、邦画の興行成績が良くなかった。「80億円以上のヒット作が何本もある時代」は、もう過去のもの。一時代が終わったんです。
今回の女優ランキング企画に賛成したのは、総括的な意味もこめて……なんですね。
僕が「シネマガールズ」にかかわりはじめた07年~08年ごろが、いちばん日本映画が面白かったような気がする……今でも、低予算の邦画は好きですけどね。

局主導の、テレビの延長線上にある邦画ばかり見てたら、実は日本には、優れた監督や俳優がいっぱいいるってことを、見落としてしまう。
テレビドラマを映画に……って、やっぱり安易な発想だったんだよ。もう、テレビ局が天下の時代は終わったと思う。


前から見たかった『英国王のスピーチ』をレンタル。
0123main_largeジョージ6世が即位する前後、彼のコンプレックスである吃音を、平民で何の資格もない調音師が矯正する。

その調音師の教室に、ジョージ6世がたずねてくる。
建物は古く、何層にもはがされた壁紙が、まるで模様のように見える。あるいは、絵画か、ロールシャッハ・テストのようにも見える。
苦悶するジョージ6世の、千々に乱れた心を表現しているような、そんな壁紙を、カメラは何度も、大きく映しだす。

しかし、調音師の後ろには、粗末だが丁寧に磨かれた調度品が並んでいる。その背景は、彼の内面が、長い時間をかけて生理整頓されてきたことを表している。
そればかりか、彼が自宅に帰ると、教室とは正反対に、規律正しいパターンの壁紙が貼られていて、まるで絵画のように安定した構図なのだ。人物を描くのに、何も役者だけに頼る必要はないんです。
映画を見るんなら、そういうところを見てほしいな。


夜中に目が覚めてしまったので、ムービープラスで『ロボコップ』。
冒頭で、激化する反核デモに対して、フランス製中性子爆弾を使うというニュースが流れて、ドキッとする。
そんなのは序の口で、たったひとつの大企業が、あらゆる分野で利権を手にしている……この未来像に一番似ているのは、今の日本でしょう。

小さな家庭を持ち、実直に仕事をこなしていた一警官の人格を犠牲にして、企業内の派閥争いの道具として、ロボットにしてしまう。これはSFではなく、現実に起きていることだよね。

そんなことを思いながら、今日も霞ヶ関へ。早くも来週、控訴審なので。
0123caa2fdpm_4ちょっと早く着いてしまったので、経産省前テント村へ。お昼時のせいか、ビラを配っている男性が三人ほど。
受け付けで弁当を食べている人に、「カンパに来ました」と言うと、にっこり笑って「ありがとう」。

デモに行って、叫ぶのはちょっと……と思っている人は、テント村に行くといいです。差し入れでもカンパでも、ただ見に行くだけでも。
「テント村へ行く」という行為そのものが、脱原発の意思表明になります。実際に足を運ぶことがね。


もうひとつ。msn産経ニュースの「主張」→
「学校給食は児童生徒が同じ食事を皆で配膳して、味わうことに意味がある。」「同じ食事を楽しむことで子供たちに社会生活のマナーを学ばせ」……気味が悪い。そんなことを教えるから、社会人になってひとりで食事するのが恥ずかしい、なんて歪んだメンタリティを持つことになる。
それにしても、この産経新聞の記者は、500ベクレル越えの汚染牛肉が給食に出たこと、知らないんだねー。

だけど、「500ベクレル? 何の数字ですか?」という人が国民の大多数なので……権威の失墜した大新聞なんかより、そっちの方が重い問題。

(C) 2010 See-Saw Films. All rights reserved.

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2012年1月18日 (水)

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『ぼくのエリ』のハリウッド・リメイク『モールス』を借りてきた。
0118original僕は、映画のリメイクではなく、原作の『モールス』の再映画化というつもりで見たんだけど、やっぱり『ぼくのエリ』だね、これは。ショッキングなシーンは、より派手に。そして、『ぼくのエリ』で上手に映像化された部分は、そのまんま。

映倫が検閲対象にした肝心のシーン。エリの股間の手術跡。これは、最初から撮影されなかったらしい。だけど、主人公がエリの着替えを見て、驚くカットは残してある。これでは、ますます意味が分からない。
なのに、セリフで「女の子じゃない。何者でもないんだよ」と言わせている。どうしたいんだ、何を見せたいのか見せたくないのか?

原作小説では、何百年か前のエリの回想シーンが登場する(そこで去勢された過去が語られる)。これが壮大にグロテスクで、ちょうど『パンズ・ラビリンス』みたいな光景。ぜひ映像で見たかったのだが。
『クローバー・フィールド』の監督なら、それぐらい出来るだろう。


原作は、性的マイノリティに対する深い目線があって(決して温かい目線ではない)、そこが読みどころ。
エリの父親のように見えるホーカンは、実は少年愛好癖があり、それが原因で職を追われてしまう。アルコール依存に陥り、緩慢な自殺を試みる。そこを、突如として現れたエリに救われるわけだ。
だから、単にエリに欲情しているだけではなく、人生に引き戻してもらったと感謝の念をいだいている。かと言って、彼の悲惨な末路は、映画以上なんですけどね。

あとは、北欧の田舎町の狭いコミュニティであるとか、80年代に流行ったロックであるとか、ヴァンパイアが太陽光線を「痛がる」描写であるとか、本当にディテール豊富な小説。命とか性に対する多義的な解釈も、ヨーロッパらしい。
……ただ、この小説を読んだのは、配給会社にモザイクの件を聞きに行くためなんだよなあ。銀座で最初に見たときの、「すごく良かったんだけど、欠陥品を買わされた」感は、今でもありありと記憶している。

ちなみに、『ぼくのエリ』にモザイクを入れた国は、日本のみです。アメリカでは、ノーカットで公開されました。


いまだに、映倫の犯罪的とも言うべき修正強要について、このブログに辿り着いてくれる方が多く、頼もしく思っている。
映倫が、かつては配給会社を守るために、検察と戦ってくれるような組織だったことは『切られた猥褻 映倫カット史』を読めば分かります。

なぜ、今は配給会社に自主規制を強いるような、くだらない組織に堕したのか? 彼らは公開質問状でシレッと嘘をつきました。→
嘘をついても、追求されたことがないんですよ。逆を言えば、われわれは表現規制されているのに、ずっと無関心だった。ほとんどの人が、映倫の存在なんて忘れているでしょう。映画評論家だろうが、誰だろうが。

僕たちは、すぐに忘れる。なかったことにする。場の空気を優先して黙り込む。「どうせ無駄だ」「まあ仕方ない」とあきらめる。
ゲーム会社にいたころ、無能なリーダーがこんなこと、言ってたよ。「俺らはまだ、飲みに行ってないから、険悪なだけだよ。一回、飲めば和むって」。それは問題の本質をズラしているだけだろう。

たった一人になっても、忘れずに怒りつづけるべきなんだ。

(C)2010 Fish Head Productions, LLC All Rights Reserved.

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2012年1月16日 (月)

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ムービープラスで、『コララインとボタンの魔女』。
0116335440view001てっきり3Dアニメかと思っていたら、いまや懐かしさすら漂う人形アニメで、すっかり嬉しくなってしまった。しかも、ヨーロッパ映画のように、くすんだ色彩で、とても子供に受けそうもないところがいい。ディズニーみたいに満艦飾にしなくても、子供はちゃんと見てくれるんじゃないかって気がする。

人形アニメは、たとえば毛羽だったような細部は、手で触れたときに元の位置からズレてしまい、フィルムにすると「カクッ」と動く。それが可愛らしくも、また不気味な味わいを醸す。
いつまでも完成されない技術、という気がしてね。そこがセンチメンタルだし、底知れない魅力。

主人公の声は、榮倉奈々。けっこう頑張っていたけど、英語版ではダコタ・ファニングだからね。


とても評価の高い『輪廻のラグランジェ』だけど、僕は仕事として関わっているので、なかなか誉めづらい。「どうせ、アイツは金もらってんだろ」と、丁寧に指摘してくれる人がいるから。

だけど、このブログには一本背負いを食らった。→さよならストレンジャー・ザン・パラダイス 「輪廻のラグランジェ」を見て、バックドロップについて学んでみよう!→
ずーっと、こういう記事を読みたかった。それは『ラグランジェ』がどうとかじゃなくて、アニメと別ジャンルを、シームレスにつなげた記事って意味で。アニメの知識だけでは語りきれない、アニメの記事。窓が開いて、スコーンと空気が通った感じがする。
「アニメ」という媒体が、どれだけ閉じていたかも、よく分かるし。

一方、演出だのカット割りだの、ゴニョゴニョ言っていた俺は何だろう……と、しばし呆然とした。
僕は、このブログ主ほど、自分の趣味や視点に自信がもてない。これほど大らかに、自分と和解してないんだよな。


本日は、東京高等検察庁で、検事さんと打ち合わせ。
公判前なので、具体的なことは書きづらいけど、これは法律で決まっているから、いいでしょう。廣田年亮被告の量刑・懲役6年6ヵ月は、これ以上、重くなりません。

つまり、被告は「6年6ヵ月、重いよ。軽くしてよ」という動機で、控訴したわけです(弁護人が控訴したのではなく、被告自身が控訴したそうです)。
この男は、包丁二本で、私の母をメッタ刺しにしたんですよ? でも、自由の身になりたいと。減刑されるのは当然であると。人間のクズですね。

最高裁で、被害者遺族が意見陳述することは珍しいそうですが、僕はやります。
もう、悲劇の主人公という気分ですらない。醜く命乞いする被告を、叩きのめす。公判期日は、来月2日。


せっかく霞ヶ関まで来たのだから、経産省前のテント村へ。
0116cahvxj9e寒空の下で、ギターを手に歌っている人がいる。テントの奥では、何人かの人たちが、車座で話し合っていた。
電力会社に雇われた、意志のない警官たちの顔を思い出した。――とても、同じ人間とは思えない。

小額だけど、カンパをして、テント村をあとにした。
いま出来るのは、たったこれだけ――。

(C) Focus features and other respective production studios and distributors.

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2012年1月13日 (金)

■0113■

EX大衆 2月号 明日発売予定

Ex02_2●アニメ年表vsリアル年表
まず、アニメ年表は『機神兵団』から始まっています。当然、『鉄人28号』や、ずっと後に誕生する『鉄腕アトム』も。
1995年に『輪るピングドラム』の事件が起き、その翌年に『蒼き流星SPTレイズナー』が、米ソの対立する火星にやって来る。
さらに二年後、『AKIRA』が覚醒し、東京が崩壊……その頃、現実世界では何が起きていたのか?という比較記事になっています。
(失敬、『AKIRA』は1988年ですね。雑誌では、ちゃんと88年になってます)
最終ページに、『未来少年コナン』や『青の6号』の図版を使いつつ、「人類終末の風景」というコラムを書きました。

とにかく、図版を集めるのが大変でした。「こりゃあ、下手すると3枚ぐらいしか使えないかも」「この記事、ボツにしない?」となったとき、編集が「いやいや、まだ、あきらめるのは早いです」と首をふりました。これが、若さってヤツですよ。
結果的に、画像は大量に使えたし、編集者はイヤな思いも面倒な交渉も、すべて「後は、僕がやっときます」と引き受けてくれた。

こういう、有能な編集者と仕事できるのは、とても幸せなことです。
グラビア誌なのだから、暇つぶしにめくってもらって、「あー面白かった」とゴミ箱へ投げ込まれても、それが雑誌の使命です。爽快に読み捨てられる記事を目指すべきであって。


この記事と、ちょっと近いような遠いような話ですが……。
岩井俊二監督の特番に、スタジオジブリの鈴木敏夫さんが出演していた。鈴木さんは「アニメージュ」に居たころ、『風が吹くとき』公開に合わせて、「アニメージュ」で24ページの原発特集を組んだそうです。
もちろん、上層部からは大目玉。ところが、その号はすごく売れて、他社の週刊誌も「原発」特集を売りはじめたので、「鈴木くん。また、原発やらないか」と頼まれたそうです。

それがアニメ誌として正しいかどうかは、さておいて、人間は、どこか反体制的であらねばならない……という気がするのです。
体制に過剰適応している人は、ことを為せない。会社の大小にかかわらず、役人みたいな依存体質の人がいるよね。「上司に言われたので、仕方がありません」とかさ。

だけど、社会全体、未成熟であることが「純粋さ」の証になっている気がする……。
未成熟であっても、体制に適応さえしていれば、生きていけてしまう社会。小学校のころから、体制に順応するよう、鍛えられてきたものなあ……。


僕は、結婚の条件として「就職」を求められ、それでゲーム会社に入ったわけだけど。
上層部がグダグダで、結局は役員が退任に追い込まれ、数十人の若者が露頭に迷う光景を目にしたわけですよ。会社に来ても、みんな、何をしたらいいのか分からない。
だから、僕は有志を集めて、上映会を開いたり、アニメーションをつくったりしていて、新しい役員からマークされてしまった。
密室に呼び出されて、「やめていただきたい」。「君は経営批判しただろ」。

残ったのは、会社に面従腹背していたような、要領のいいヤツ。ああいうのを「頭いい」と言うのだろうな。――その中には、役員にいじめられて、泣きながら辞めてったヤツもいるそうだから、何が幸運か不運か、一概には言えない。

それらはすべて、会社という、小さな箱の中でのこと。社会の動きとは、まるで関係ない。風が吹いてないんだよ。

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2012年1月11日 (水)

■0111■

昨年の夏に行ったきりの「東電前アクション」。ひさびさに参加してきました。
ここんとこ、東京電力のヤクザっぷりは、関係各方面から聞かされていましたので、プレッシャーをかけないといけません。

しかし、状況は変わっていました。以前は、横断歩道の向こうの東電本社まで、何人かは0110catvxc3r_2行かせてもらえたのです。昨夜は、横断歩道のこちら側にコーンが置かれ、「ここから前へ出るな」と、警官隊が20人ぐらい、並んでいました。本社前にも、ぎっしりです。
……いいよなあ、東京電力さんは。こんなに大勢の警官にガードされて。しかも、僕らの税金で。

この場で、80歳近いであろう、お婆さんがマイクで言いました。「ずっと以前、この東電前でデモをしようとしたら、何を勘違いしたのか、機動隊が乗りつけてきました。その場にいた外国人の友人が、日本は民主国家ではないのか。これでは独裁国家ではないか、と驚いていました。本当の話です。ここにいる警官の皆さんは、恥を知りなさい」。
いや、実際にはもっと激しい怒り方でした。

そして、綺麗に着飾った若い女性が、歩道に置かれたコーンを蹴飛ばしました。結果的に、コーンは取り払われてしまって、まったく意味なかったんですけどね。そんなもん置くから、こちらはカチンとくるわけであって。
無表情に電力会社をガードする警官たちを見て、「日本って、こういう国だったのか」と、どんよりした気持ちになりました。


東電本社から、少し歩いて、関西電力東京支社へ。
0110ca4grcax_5ここでも、歩道から入り口まで、警官がギッシリ。この人ら、電力会社の犬ですね。自分の意志がない。日本人の典型です。
それで、巡査部長だったかな、こちら側に押し入ってきたんです。その時は、僕も怒鳴りましたよ。だって、明らかに警官たちが挑発してるんですもん。

僕は、この東電前アクションに、すべて賛成ではありません。この方法がベストかどうかは、分からない。
だから、「それは東電には関係ないことだろう」「それをこの場で叫ぶのは、どうかな」と思ったら、黙ります。発言しない、途中で離脱する自由は、ちゃんと保障されています。
言いたいことがある人は、自己責任で叫んでましたしね。それがデモのいいところだし、交流会などには、一度も参加していません(カンパはするけどね)。


僕が、抗議活動に参加したことをブログに書かなければ、「廣田さんはおとなしい、常識的な人なんだな」と、安心感をもたれるのかも知れません。
だけど、今の状況になっても、「おとなしく、常識的である」のは「よく飼いならされている」こととイコールです。僕たちは「何があっても、知らんぷりをしていなさい」「今までと同じように振舞いなさい」と、学校でも社会でも、しつけられてきました。

先日、地元の友人と飲んだのですが、はっきりと脱原発とは言い切らない彼は「天皇が人間宣言したのが失敗だね」と言います。
あんな曖昧なことを、堂々とやってしまったから、日本人は「判断保留」のまま、数十年も生きてきてしまった。
なんとなく、のらりくらりと、趣味にだけ情熱をそそぐ、「少年のような人」が理想像になってしまった。どうですか、覚えがあるでしょう? 


羊のようにおとなしくなれ、と育てられてきたのだから、どこかでドロップアウトしないと、本当の人生は手に入りません。
そのために学校をサボって映画へ行ったり、周囲にバカにされながらもアニメを見てたわけでしょ。そこで、どうしょうもなく「規格」から逸脱したものを見てきたわけじゃないですか。それは、心の中で戦争がおきていた、と言ってもいい。
だけど、今の人たちはネットという便利な受け皿があるから、日常のことは日常と切り分けて、ネットで似たもの同士を探して、同じ言葉で語り合って、似たような価値観におさまって安心してしまう。

だから、そこで閉じてしまう。「○○オタです」「ブヒってます」と自虐的に自らをカテゴライズしてしまう。
ドロップアウトして、自分が「規格外」だと思い知ったのは、いったい何のためなんだろう?と、僕なら考える。
それは、「あなたも脱原発に転向すべき」とか「デモに来なさい」と言っているわけじゃないですよ。主体性をもってはどうですか?程度の話です。

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2012年1月 8日 (日)

■0108■

オトナアニメ Vol.23 10日発売予定
0107t02200312_0420059611697645773
●『偽物語』インタビュー
新房昭之監督、板村智幸チーフディレクター、飯島寿治美術監督、渡辺明夫さん(キャラデ、総作監)に、インタビューしました。一部は、ページ構成も手がけています。
特に、ずーっとお会いしたかった渡辺明夫さん。「そもそも、キャラデとは何か?」という面白い話が、聞けました。

『偽物語』の第1話、良かったですね。確立されたスタイルを、熱量で乗りこえていっている感じがしました。

●『輪るピングドラム』解析
まずは、後期オープニングの解析。それと、絵コンテを使って、第1話から後半にかけての伏線を探る記事を、構成・執筆しました(6ページ)。
ページをつくった時点では、最終回までのシナリオと22話までの絵コンテしかありませんでした。コンテを見ている間に泣いてしまって、最後のページの構成を、ぜんぶやりなおしたんです……絵が小さくて、ごめんなさい。

●『輪廻のラグランジェ』 石原夏織インタビュー
放映は、いよいよ今夜から。インタビューの最後、「その若さで、こんないい作品に出会えて、あなたはラッキーですよ」とお伝えした。


「食べログ」のやらせレビュー問題。
カネのために、思ってもいないことを書かせる食品業者と、あっさり請け負う業者。この良心の欠落は、いまの日本人の全般的な特徴といえる。

僕らの仕事は、基本的に作品のよいところを見つけて、伝えること。
ただ、「ちょっとでも不利なことは書かないでほしい」「われわれの思うとおりに書いてほしい」と、いきすぎた要求が横行しているのも事実。そのたびに戦ってるんですよ、こっちは。良識ある編集者は「ここまで記事の内容がねじ曲げられるのは、不本意だ」と、一緒に戦ってくれる。
この仕事にストレスがあるとしたら、雑誌を広告程度にしか考えていない権利者がいること。そして、話し合う時間が、いつも少なすぎることです。

以上の問題は、実は「話せば分かる」レベルのことだと、私は思っています。

あるいは、メーカーさんから公式に「広告をつくってください」「宣伝に協力してください」とお願いされる場合。その時は、作品の長所を前向きに見つけて、誠実に書くこと。
思ってもないこと、ダメだと思っている部分を「よい」などとは書いてはいけない。フラフラしてちゃダメ。雑誌のレビューよりも、強靭な主体性が求められます。

いちばん正しいのは、「誠意をつらぬけない仕事になりそうだな」と予感したら、「僕には出来ません」と、潔く下りること。
自我のためだけ、カネのためだけに仕事している人は、これができない。


「食べログ」の話題に戻ります。
こういう問題が発覚すると、「しょせん、世の中はそんなもんだ」と刹那的なあきらめを感じる人が多くなる。それが最大の弊害。悪魔に魂を売った飲食店のダメージなんて、二の次です。世の中の人が、ニヒリズムに傾いてしまうことのほうが問題です。

――いろいろ、汚い世界を見てきたよ。出版の世界にも、カネのために人を売り渡すような連中がいる。そいつらは、作品の真価を見出して、読者の心を豊かにしようなんて、心にも思っていない。
それでも、どんなすさんだ光景を目の当たりにしても、理想を失わないことです。失ったら、あいつらと同じになってしまう。

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2012年1月 6日 (金)

■0106■

年末にアニメーターの方から、『ポニョはこうして生まれた。~宮崎駿の思考過程~』というドキュメンタリーを、お借りした。5枚組、全12時間。
0105n0017647_l『もののけ姫はこうして生まれた。』のような凝った演出がない分、そこには、肉体の衰えと前向きに戦う、むき出しの作家の姿が刻み込まれていた。

最後に、ディレクターは「宮崎さんにとって、仕事とは何ですか?」と聞く。「今まで取材してきて分からなければ、分かるわけがない」「僕は、そんなことを言葉にしようとは思わない」と宮崎は言う。
「夢を形にする、なんて言った瞬間に汚くなるんだよね」とも言っていた。どんな些細な言葉さえ「結論」にしたがるネットの窮屈さとは、対極にある姿勢だ。

「意識以外が、すべて無意識だと思ったら、大間違いだ。無意識の底に、個人をこえた意識の海がある」というようなことも。宮崎駿は、その知覚しえない領域に、何とかアクセスしようと試みる。
その一方で、原画を修正するときは「これは、実際に起きたことを描いているんだよ。空想じゃないんだ。僕らは、そのことを、こういう方法でしか描けないんだ」。別にそれは、すごい3D技術や何かが開発されれば「ちゃんと描ける」というものではない。

目に見えないが実際に起きたことは、手指を使わないと視覚化できない。それが、人間の(脳を含めた)身体能力に他ならないのである。


一方で、このドキュメンタリーは優れた仕事論にもなっている。
宮崎駿は、とにかく休まない。準備期間中には「15分だけ寝る」と決めて、きっかり15分だけ眠る。たとえ朦朧としていても、脳のコンディションが最良なのは、起きたばかりの時だという。
弁当を食べながら、窓の外で揺れる木々を観察している――それは、揺れる木々を描く必要があるからではない。そんな簡単なところに、答えはない。

しかも、『崖の上のポニョ』制作時、彼は66~67歳だ。定年が60歳から65歳にまで引き上げられる案が浮上しているが、すでにそれを越えている。
にもかかわらず、彼は自分の仕事を不甲斐ない、と感じているように見える。流れていく時間や世界の広がりに対して、無力感さえ覚えているかのように。
その謙虚さに、心打たれる。


つまり、「真剣に仕事をする」のが、すべての基本なのだ。
原子力安全委員会の斑目春樹委員長のように、原発関連企業から、金なんて受け取ってはいけないのです。働いてもないのに、金を受けとる。ここから、堕落が始まる。

新潟県が、「今年のコシヒカリは、どうもおかしい」と調査したところ、半数に他県のコメが混ぜられていたそうです。コメ業者は「儲かればいい」んです。最終的に消費者の口に入ろうが入るまいが、関係ない。
新潟県は、刑事告発も視野に入れているそうですが、「楽して儲かるなら、他人が損しても構わない」のは、いつの間にか、日本人の国民性になってしまいました。
だから、原発の再稼働どころか、「増設しよう」なんて話が出てくる。電力会社や原発立地の首長にとって、われわれは「損しても構わない他人」だから。

でも、謙虚に「人のために」働いていたら、こんな狂ったことにはなりようがないわけですよ。
もちろん、生活のため、自己実現のために働いても構わない。だけど、あなたの仕事の結果は、必ず、生きた人間が受けとるのです。それを忘れてはいけません。

(C)2009 Studio Ghibli

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2012年1月 4日 (水)

■0104■

そろそろ、真面目に原稿に取り組まなければならないが、綾瀬はるか出演の『プリンセストヨトミ』を。
0104pty_ma3_largeとにかく、綾瀬が大阪の町で、お好み焼きや串焼きやたこ焼きを食べまくる。それだけでも、見たいと思うでしょ。
だけど、メイキング映像で、中井貴一が休み時間につくったお好み焼きを、衣装にエプロンつけて食べにくる綾瀬。これが一番、よかった。

だって、映画は正面・真後ろ・真横から、役者の顔を撮るんだもん。役者をフレームに押し込んでおいて、おいしそうに食べてる様子なんて、撮れるわけがない。
とにかく、正面顔のアップが映画の8割ぐらい。それに飽きたらドリー移動と、あとはCG(笑)。

でも、大阪が国として独立しようとしている、というアイデアは面白い。
西日本で撮影された映画は、見ていてホッとする。特に食事シーン。そもそも、撮影は2010年の夏だから、放射能もバラまかれてないしね。


放射能の自社検査をしている「すき家」以外で、一軒だけ、チェーン系の中華料理屋で外食することがある。
その店へ行くときは、「ある程度、放射性物質が体に入っても仕方ないな」……と、覚悟はして行く(野菜を大量に使ったメニューは、絶対に避けるけど)。

その日は混んではいたけど、特に料理が遅いわけではなかった。なのに、店員さんが席まで来て、「申し訳ございません、もうしばらくお待ちください」と頭を下げてくれた。
おまけに、帰りぎわに「お料理が遅くなり、失礼しました」と、見なれないサービス券を渡してくれた。
もちろん、僕は大変な好感をもった。「チェーン店だから、接客はおざなり」なんてのは、偏見であって。

でも、店員さんがいくら誠実でも、食材だけは信用ならないよなあ……。無論、それは今の暫定規制値と、それを容認している食材卸業者のせい。店員さんは、悪くない。
つまり、原発は、人の誠意まで汚染する。ただの発電施設ではないんですよ。電力が足りる足りない以上に、心を疲弊させるから、反対なんです。
(いまだに「電気はどうすんだ」と言っている人は、呑気でいいですね。西東京の各市は、続々と東電から離反し、「まともな」電力会社と契約してます)

『フード・インク』という、アメリカの食産業に取材したドキュメンタリーを見たけど、ひょっとし0104t0009384たら、日本も変わらない状況なんじゃないか……。
ヤミ米が流れてきたり、汚染牛が西日本にまで出回るのには、組織的な腐敗があるからでしょう。

『フード・インク』で強く訴えられる「巨大スーパーと手を切り、地産の食材を買いましょう」というメッセージすら、いまの放射能汚染の前では無力に感じられる。


僕は、結婚の前後だけ、ゲーム会社に勤めていたことがある。そこでは、本当にいろいろな経験をしたんだけど……組織って、本物のダメ人間を、重要なポストにつけてしまうんだよ。
「前の会社で仲がよかったから、アイツは大事だ」とか、くだらない理由を強いてくる。「実力以外では認められたくない」フリーランスからしたら、甘えとしか思えないよ。

だけど、そういうダメ人間の寄り合い所帯に対し、愚痴る若者はいたけれど、本気で戦いを挑む人間は少なかった。本気を出したら、僕みたいに叩きだされるから。
一緒に怒っていたはずの連中が、手の平を返して、敵に回ったよ。だから、組織――というか、男が何十人か集まると、必ずおかしなことになる。

だけど、一声あげたら、経理のお姉ちゃんが「確かにおかしいですよ」と賛同してくれたことがあった。誠実さと勇気とを、両方持っていることが大事。

(C)2011 フジテレビジョン 関西テレビ放送 東宝
(C) Participant Media

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2012年1月 1日 (日)

■0101■

母の命日です。西日本の方から、とても大きな花束を送っていただきました。これが入るほどの花瓶がないので、明日、探してこないと……。
年賀状も、たくさんいただきました。こうして見ると、去年は出会いと絆の年でした。失う一方だと思っていたけど、気がついてみたら、去年ほど多くの人と知り合った年は、過去になかったんですね。

この場を借りて、皆様に、お礼を申し上げます。


大晦日深夜から、元旦にかけて、永作博美主演の『八日目の蝉』。
0101sub8_large永作博美は誘拐犯の役。誘拐され、やがて実の親のもとへ引き戻される子どもは、井上真央が演じている。
映画は、永作が幼い子どもを連れて転々とした三年間の過去と、成長した子どもの現在とをカットバックで描いている。

「八日目の蝉」とは、「7日間で死なずに、8日目まで生きのびた蝉は不幸なのか幸福なのか」という、例え話のシーンで出てくる。
偽の母子をつづけようとして、とうとう追い詰められてしまった永作博美は、7日間で死んでしまう蝉。彼女から託されたかのように、子どもを身ごもる井上真央は、たぶん8日目の蝉なんだよ。
だから、逃亡しようとする永作と子どもが別れるシーンは、駐車場なんだけれど、永作は地面に書かれた「7」の数字のところで立ち止まっている。そこから先へ、子どもを行かせる。
――いいですね。信頼できる映画です。

他にも、井上真央が、妊娠したことを本物の両親に伝えにいくシーン。井上が坂を登ってくると、背後にまっすぐ、新幹線が横切る。ピーッと一直線に。
それだけで、井上の決意の強さが伝わってくるでしょ? 映画を見るんなら、そういうところを見ないと。


女優的にも、かなり充実していた。過去のシーンには、市川美和子が出てくるし、現在のシーンでは、井上真央にまとわりつくフリーライター役の小池栄子が良かった。
小池栄子はグラビアアイドル出身だから、スタイル抜群なんだけど、この映画では猫背でせかせか歩く様が、存在感たっぷり。美人なんだけど、男性経験ゼロ。フリーライターと言いながら、母親に食わせてもらっている。「ああ、こういうイタい人、いるよなあ」って。

だけど、井上真央が妊娠検査薬を試しに行くシーンで、小池栄子は思わず立ち上がって、井上の背中を見送るんだよ。「彼女も、心配してるんだなあ」「気にしてるんだなあ」と分かるでしょ。
――そういう瞬間を、見たいんです。人間を感じたい。映画を見るのは、他の人が得た人生観や世界観を知るため。その人(監督でも女優でも構わない)が、どうやって生きてきたかを、感じたいからです。


僕らは「価値観の多様化」などという、うわっつらの言葉で「他人への無関心」を肯定してきた。社会がバラバラになるのを、ほったらかしにしてきたのだ。
僕は今年から、自分で「孤独」と言うのを、やめにする。そんなことは、母が悲しむ。

一年前のこの日は、警察で何時間も待たされ、三鷹に帰って来たのは夜の8時ぐらい。10年間も書いてきた本からは下されるし、精神的に破産したような気分だった。
だけど、数え切れないほど多くの人たちが、仕事の面でも、また、精神的な面でも支えてくれた。それで「孤独」なんて、口が曲がっても言っちゃいけないでしょう。

(C)2011映画「八日目の蝉」製作委員会

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