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2011年12月31日 (土)

■1231■

コミケ会場の近く、TOC有明の「となけっと」というイベントに参加してきました。
1230ca36lqswしかし、私宛てに来てくださった方たちには、なかなか店番を離れられず、大変失礼をしました。特に、某総督、もっと話したい気持ちだったのですが……。
ある方の娘さんは、「何もお土産を考えて来なかったので」と、チョコレートを下さいました。高校生なのに、30歳も年上のオヤジに対してキチンとした態度で、とても頼もしかった。
帰宅すると、毎年、イベントでカレンダーを下さる方が、今年は郵送で送ってくださった。すぐ壁にかけました。ありがとう。

この年末は、りんご、お花、プラモデル……いろいろ、いただいた。
と、ここで吉祥寺の飲み友達からメールが来たので、深夜から朝まで、ガールズバーで過ごす。


さて、28日付の東京新聞によると、枝野幸男経済産業相が「発送電分離」を議論の俎上にあげたという。
はるか以前にリンクを貼ったと思うが、送電線の国有化については、署名活動も行われている。→
この提案が理想的に進めば、大手電力会社の独占体制は終わり、われわれは「民間の」電力会社と自由に、フェアに契約できるようになる。

28日の夜は、NHKでも民放でも原発・放射能関連の番組が放映され、低線量被曝については、「今のままの食生活ではヤバいことになる」と、青くなっている人もいるようです。
あるいは、自分を安心させたいがため、「放射能はそれほど危険じゃない」という情報を必死にコレクションしている人。
そういう人はケンカ腰なので、まだ分かりやすいほうです。


「でも、僕の郷里のような田舎では、あいかわらず原発推進みたいです」と、友人が苦笑する。
交付金や献金に甘えてないで、金がない自治体は、何とか工夫して金集めをするしかない。それが出来ないのは、田舎だからではなく、首長が無能なんですよ。
「原発が稼働してなくても、交付金が支払われるなら良し」だとか、そんな老人ばかりでしょ。

日本人はバブルの頃に、「金さえあれば何でもできる」と思い込んでしまった。俺は金を払ったんだから、どんなに威張ってもいいんだとか。今でも、そういう考えの人が多いと思う。
「いい会社に就職したい」と言ったときは、必ず「給与が高い」会社のことでしょ。社会に貢献している会社が、「いい会社」のはずなのに。
ボロい施設を無理して動かして、それが爆発して自殺者まで出すほどの迷惑をかけても、ボーナスが出るから「いい会社」。社会と関係ないんだよ。閉じている。

原発推進の人も同じで、閉じている。「自分さえ良ければいい」人は、自分を強いと思いたいから、徹底して原発推進、現状容認。
自己満足で生きているから、社会がどうあろうと関係ない。金さえあればいい、欲しいものが手に入れば、後は知らない。そういう人ばかりだろう。

「自分は九州電力に内定しているから、やらせメールの話は終わりにしてほしい」大学生とかさ。自分の子供を被曝させまいと必死なお母さんのことなんて、考えたこともないんだろう。
社会に対して、理想を持たないといけないんだよ。

だから、僕は他人に「あなたも原発に反対してください」なんて言わないよ。自分のことしか考えてない人が、反対するわけがないから。もう、その人の性格を見れば分かる。
エゴイストは、自分を強いと信じ込んでいる。しかし、強いことが善いこととは限らない。

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2011年12月28日 (水)

■1228■

明後日、30日に「となけっと」というイベントに出店します。→
昼11時スタートいう、かなりルーズなイベントですが、コミケ会場の近くだそうなので、寄っていってください。

売り物は、『メガゾーン23』の秘蔵発掘写真を掲載したペーパー、あと、「廣田恵介の超時空戦Ca2kf9c2紙 パッチンダム求伝」というペーパーを作ってもらいました。
これは、友人のギムレット氏の集めたパチモノ玩具に、僕がコメントを書いたペーパーです。
これらのペーパーは、一部50円で販売。

卓番とかは決まってないそうなので、当日いきなり来て、探してもらうしかないようです。
いつものように、暇そうにダラダラやってると思います。


仕事でどうしても見なくてはならなくなり、『悪人』を借りてきた。
1228001――ネットで予告編が見られると思うけど、妻夫木聡が殺人を犯してしまい、たまたま知り合った深津絵里が、罪をせおった彼を愛してしまう。
見る前は「悪趣味な話だなあ」という印象。松たか子の『告白』など、殺人を扱うことで、かえって倫理観の貧しさが感じられてしまう。

だけど、この『悪人』は違った。見ているうちに、じわじわと罪悪感がこみ上げてくる。「悪人」というのは、別に妻夫木聡のことではなくて、自分には罪がないと思っている市井の人たちの心の中に、巣食っているんだよ。
娘を殺された柄本明が「今の世の中は、失って惜しい人を持たず、ひとりで気楽になって安心している連中ばかりだ」という意味のことを言う。最近、宮崎駿がドキュメンタリーで「自分で孤独だとか言うのが、いちばん楽な世の中」と語っていて、それとも通じる。

クリスマス前になると、ニヒリストぶって「クリスマス終了のお知らせ」とか言い出すヤツがいるけど、あれは幼稚な態度だよ。「自分が愛されないのは、世の中のせいだ」って言ってるんだから。
「失って惜しい人を持っていない」のは、欠損以外の何物でもない。人間は、弱みを持っていなければならないんだ。


まだ殺人の真相を知らない深津絵里が、初めて勤めをサボって、妻夫木聡といっしょに海ぞいの料理屋で食事する。その時の笑顔がね……愛されなくても、世の中を責めなかった人というのは、きっと、ああいう笑い方をするんだよ。
そのシーンで、ボロ泣きしてしまって。

でも、やっぱり、「この映画は信用できる」と思わせるのはカメラワークやカッティングなんだ。
例えば、殺された満島ひかり(彼女も良かった。熱演だった)の遺体が、発見されるシーン。カメラは、クレーンで崖下をのぞき込むんだけど、最初は、そんなそぶりを見せない。歩いている捜査員の背中を追うフリをする。いきなり崖下を撮ったら、観客の予感がそがれてしまうから。

あと、シーンの頭に、あまり綺麗でないものを持ってくる。水揚げされたばかりの魚とか、壊される家とか。そういうシーンのつなぎ方をすると、映画全体に不安感が出てくる。
結局、映画というのは文法にしたがって、(ある意味)だまされながら見せられているわけで。ラストシーンを語っただけで「ネタバレ」と攻撃する側と、攻撃を怖れて赤字で「ネタバレ注意」とか書かねばならないネットの世界は、どんどん映画をつまらなくしている。

何かが「バレる」とか「バレない」からセーフとか、本当に窮屈な世界だよ。そんなことより「分かる/分からない」ことが肝心であって。


本日28日、ベクレルゼロを目指す八百屋さんが、笹塚で初出店。→
僕は当初、すべての八百屋さんが放射性物質ゼロのものにしか売らないようにするんだろう、と思っていた。実情は、近所のスーパーまでもが産地偽装する始末。
原発事故で、いちばん驚いたのは、食品業者の良心のなさだった。

だから、誰の心にも「悪人」はいる。

(C)2010「悪人」製作委員会

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2011年12月25日 (日)

■1225■

金曜日、あるアニメ監督のところへ、遊びに行った。友人が、新しいファンをひとり連れてきた。合計三人で、ながながと居座ってしまった。
1225cas91yjf_2
相変わらず、俗にも聖にも流されすぎず、内省とサービス精神の同居した方で、嬉しくなった。この人は、深刻になりすぎないコツを知っている。
監督からは、古いプラモデルをいただいた。

スタジオからの帰り道、駅前の「王将」で、三人でメシを食べた。
ひとり一皿ずつ、チャーハンを頼み、他には餃子と麻婆豆腐。それらを小皿で分け合う。そのメシは、何だか、すごくうまかった。なぜだろう、いつもひとりで食べているから?

その夜は、ひとりでガールズバーに行った。
地元の友人を誘う約束をしていたが、出張で東京にいないんだそうだ。


隣の席で、「俺は酔ったら、必ず女を口説く」「しかし、どれだけ飲んでも酔わない」とヘンな自慢している人がいた。挙句、「俺は女にはモテる。不自由してない」とまで言い出したが、何だか笑えない。
こういう店では、誰もが、少しずつ恥をかいているからだ。

キャバクラは、虚構の関係を売る店だが、ガールズバーには、女の子の本音が陳列されている。話を合わせるぐらいはしてくれるが、仲良しごっこまではしてくれない。ふいにオヤジ扱いされ、身のほどを知るのである。
いつも、蹴飛ばされたような気分で、タクシーに乗って帰る。歩いて帰ればタダなんだけど、それでは寂しすぎる。


谷村美月の不幸顔を見たさに、『阪急電車 片道15分の奇跡』を借りてくる。
Hnk_ma7_large谷村が、道ばたの雑草を見つけて「天ぷらにして食べたら、おいしいのに」と言うシーンがあるが、これは東日本では撮れないな……と、感慨にふけった。

今夜、九州ではすべての原発が停止する。もう、文化の中心も西日本に移していいような気がしてくる。
かつては、六本木や原宿が文化の中心のように言われていた。いま、あの辺りを歩くと、まるで現実感がない。華やかであればあるほど、一枚、虚飾のレイヤーがかかっているように感じる。

今は、全国のフィルムコミッションが盛んなのだから、どんどん東京から離れていくべきだと思う。地方で優先的に公開され、東京では、ほとんど上映してない映画さえ出はじめた。それでいいと思うんだ。

『阪急電車』は、好きな女優がひとりでもいれば、見る価値のある映画。


本日は、あるアニメーターの方が三鷹まで来てくださった。
原発や放射能と関係なく、やはり地方で何かやった方が面白くて、可能性を感じるという話になった。

ちょっと買い物してから、夕闇に包まれていく駅前を歩いていたら、後ろから「何もうまくいかない……私には、どうしたらいいのか分からないのよ!」と、声がした。
まだ30手前ぐらいの女性だった。ひとり言にしては声が大きすぎるんじゃないかと思ったが、そう叫びたくなる気持ちは分からないでもない。
年の瀬だもの。いろいろあるさ。

(C)2011 「阪急電車」製作委員会

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2011年12月23日 (金)

■1223■

昨夜は、六本木で日中合作アニメ『チベット犬物語~金色のドージェ~』の試写会。一般の親子客に混じっての鑑賞。
1223originalどちらかというと地味で渋めの話なのに、子どもたちは、最後まで飽きずに見ていた。「ポケモンみたいなキャラじゃないと、ダメなんだろう」というのは、汚れた中年男の偏見。

人間と犬が、同じセルで描かれると、それは同じ形質のものなわけですね。霊的に同質、というのかな。
すると、このアニメに登場するライオンのような犬は、主人公の少年の潜在意識のようなものだろう。(何かに似ていると思ったら、『禁断の惑星』に登場するイドの怪物は、ライオンみたいな形だった)
少年時代に、猛々しく豊かで、寂しい体験があった。その体験が形を得たのが、金色の犬だと考えると、物語の「現在」に犬がいないのが、非常に分かる気がする。

ただ、動物をリアルに、カッコよく見せて、なおかつ感情移入させるのは至難の技だと思った。子犬の動き・表情は、とってもうまくいっていた。(動物作監も、ちゃんといます)
来年1月7日公開。単館でモーニングショーのみなのが、キツいかも。→


試写会は夜からなので、三鷹駅前で、立ち食いそばを食べてから行った。
店内に、山ほど荷物を抱えた男がいて、大声で不満をわめきちらしていた――まあ、どこにでもよくいますよね。誰の役にも立たずムダに生きてしまった男って、世の中に復讐するしか、やることなくなっちゃうんです。

いつもなら、誰もが聞こえないフリをするのに、隣で食べていた30歳ぐらいのメガネの人が「オイ、いい加減に黙れよ」と立ち上がった。店員さんも出てきて、2人して男を追い出してしまった。
その男の人は、草食系というか、あまりケンカしたりするタイプには見えなかった。店を出るとき、すごく爽やかに「ごちそうさま!」と言っていたので、さぞかし、高揚感・充実感があったのだろうなあ……と嬉しくなってしまった。
もし、誰もが「聞こえないフリ」をしていたら、どんな殺伐とした無力感を味ったことだろう。ひとりが発言することで、周りもいい気持ちになれる。

先日、自社による放射能検査でお馴染みの「すき家」に行ったら、前の席に座った80歳ぐらいの老人が「おおーい!」と怒鳴るんです。「こっちは、ずーっと待ってんだよ!」と。
いつまでも、自分を若いと思っている。横柄な態度をとることが、強さの象徴だと思っている。
いい加減、僕も黙らせよう。こういう老人たちを。


ツイッターでフォローしていた漫画家さんが、東京から疎開してしまった。
もともと東京出身の方ではないので、あまり躊躇はなかったように見受けられた。僕も母も、この武蔵野に生まれ育ったので、積極的に避難する動機がない。

六本木には、あいかわらず外人がたくさんいた。
1223caffylmr30代の半ばごろだったかな。異業種の偉い人に、六本木のキャバクラに連れて行ってもらったことがある。泥酔していたので、ほとんど記憶がないのだが……「何もかも、皆、なつかしい」とセンタメンタルな気分になってしまう。

「俺は、まだまだ、こんなもんじゃない」と思っていた。深夜まで、友だちと映画のプロットを練って、よくケンカもした。とこしえに輝く「自分の可能性」を信じられたんだ。遠くにあるものは、何だって、美しい。

いまは、一緒に戦ってくれる編集者が、僕のすべて。彼らのほかには何もいらない、と言ってもいいぐらい。

(C)楊志軍/「チベット犬物語 金色のドージェ」製作委員会

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2011年12月20日 (火)

■1220■

家から歩いて一分ほどの玉川上水ぞいに、枯れた花を埋めにいく。
Caa9z0d7ふと振り返ると、竹ぼうきを持ったおじさんが立っていた。怒られるのかな……と心配しながらも、話しかけてみる。どうやら市のボランティアで、この周辺を掃除している方らしい。

ビニールに入れた花の亡き骸を見て、おじさんは「これは早く水につけてあげないと」「きっと、来年の春には咲いてくれるよ」などと言う。どうも話がかみ合わないな、と思っていたら、「埋め」にきたのを「植え」にきたと聞きまちがえていたようだった。

「墓前に供えていた花なのですが、ゴミとして捨てるのは可哀想で……ここに埋めては、まずいでしょうか?」と、あらためて説明した。
「いいよ、いいよ。あんた、優しい人だね」と言って、おじさんは歩き去った。


週末から週明けにかけては、担当編集と手分けして、各アニメ会社へ図版使用の許可申請の電話をかけまくり、かなりの数を集めた。
(フリーライターは、編集部に頼らず、ひとりで取材許可をとったり、素材を集めねばならない場合があるので、ライター志望者の方は覚えておくといいかも知れない。)

各社の対応はまちまちで、無料で貸してくれるところもあれば、有料だけど応相談というところもある。「ウチとしては何も出来ませんが、ここに電話してみるといいですよ」と助けてくれるところもある。
借りっぱなしではなく、事後対応も必要になるのだが、若い編集者は「後は、僕に一本化してください」と、すべて引き受けてくれた。これは「あなたは原稿を書くのに集中してね」という意味にもなる。


――ただ、彼のように殊勝な若者(まだ30歳だから、青年といっていいはずだ)は、少数なのかな、とも思う。
インターネットを見るかぎりだが、自己実現にくじけた原因を、他人が分不相応な立場についているせいだ、と嫉妬している若者が多い。自分が世の中に冷たくされたから、自分も世の中に冷たくしていいと思っている。
自分は無限の被害者であるがゆえに、無限に他人を攻撃する権利を有していると、勘違いしている。

「それはネットの世界の話だろう。リアルでは、みんな大人しい若者だよ」と、最近まで僕もそう思っていた。
しかし、言葉はダイレクトに脳と直結している。言葉にしがたいイライラや憎しみを「クソ」とショートカットして書き込むと、どんどん思考や感情は「クソ」へと均一化していく。
それをくり返していると、世の中は冷酷なニヒリストだらけになる。

アニメ作品やクリエイターを、こっぴどく罵っている人が、ほぼ間違いなく原発推進であることには、何だかひどく納得してしまう。彼らは、愛することも愛されることも知らないかに見える。
――若い人ほど、やり直しがきく。そのことを忘れてほしくない。

(中年はやり直しはきかない分、代わりに向上心を維持しつづけなくてはならない)


新橋駅前の野田総理の街頭演説が、中止になった。
ぎっしりと集まった観衆は、ほとんど暴動寸前に怒声を発している。→
これらの人々が日本人の0.01%であれ、それ以下であれ、僕は彼らを冷笑するような人間にはなりたくない。

政府も東電も、「無関心」という鉄壁のガードに守られている。
そのガードは、崩れかけている。

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2011年12月19日 (月)

■1219■

お詫びです。
「オトナアニメ年鑑2011」のP031につきまして、『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』の絵コンテを「幾原邦彦監督がひとりで書いた」と記述しましたが、私の誤りです。
正しくは、風山十五さん、金子伸吾さん、橋本カツヨさん、高橋亨さん、長濱博史さん、長谷川眞也さん、そして幾原邦彦監督の計七名によって、絵コンテが書かれました。

関係者ならびに、ファンの皆様にお詫び申し上げます。

この記事は記名ですから、編集部ではなく、ひとえに私のミスです。申し訳ありません。


このようなミスは、初めてではありません。
去年の暮れ、誤字や画像のミスを著者校で直しました。しかし、編集部は、それらを反映させずに出版してしまいました。
「何とかお詫び記事だけでも載せてもらえないか」と頼みましたが、聞き入れてもらえません。(今にして思うと、「記名記事なのだから、自分で謝れ」という意味だったのかも知れませんが……このブログでは謝罪したはずです。)

その編集部には、「誤りを正さない本には、怖くて書けない」と言いました。
その一言が気にさわったらしく、次号からは下されてしまいました。

ライターとして食べるようになって3年ぐらいたった頃、「間違いのない本はありませんから」とおかしな慰め方をする編集者と会いました。世の中のほとんどの本が、何かしら間違えているのだから、気にしなくていい……と言うのです。
僕は、それは違うと思います。ギリギリまで間違いを潰していって、どうしても潰しきれなければ、何らかのかたちで、謝らなくてはならないと思います。

どこで誰が不快な思いをしているか、あるいは、間違った情報を鵜呑みにしてしまうか、分からないからです。


何だか偉そうな口調になってしまいしまたが、「謝れば終わり」とは思っていません。
段取りではなく、性格的なものがミスにつながりやすいと考えると、本当に気落ちします。

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2011年12月17日 (土)

■1217■

昨夜は、『輪廻のラグランジェ』に関連して、WEBテレビに出演してきました。
ゲストは、アニメ評論家の氷川竜介さん、『ラグランジェ』でも脚本を書かれている森田繁さん。
1217agynvx7caaasbeu(←作画参考用のモデル。番組でも使われました)

頼りがいのある年上のオジサマに囲まれて、司会としては、すごい楽でした。「ああ、今のは俺が拾うよ」「ここ、俺が繋いでおくよ」みたいな心遣いって、分かるものですね。
温かいというか、ひさびさに「ああ、人と接しているんだなあ」という気持ちになれて、本当に幸せでした。

知っている顔、知らない顔、現場で大勢の人が動き回って、テレビの制作現場は、にぎやかで楽しいですね。
明日18日15:15から再配信されるそうなので、よろしければどうぞ。→


日本政府が、福島第一原発の「冷温停止状態」を宣言しました。
物事を都合のいいようにとらえて、問題の本質を遠ざけるのは「仕事の出来ないヤツ」の典型ですね。いい加減、こんな政府とは手を切りたいのですが、僕ら国民に責任がないとは言い切れない。

放射能対策については、各自治体ごとに対応が違うので、よく相談しながら進める。安全な食材を提供している業者もいるので、情報を集める。
各地域ごとに、しっかり意見して、行動して、身の安全だけでも確保しましょう。

さて、福島第一の廃炉までには(最短で)40年かかるそうなので、僕はその頃、死んでいるでしょう。逆に、今年生まれた子供が仕事にあぶれて、危険な作業に駆り出されないとも限らない。
ようは、原発とは、そういうものなんです。必ず生け贄を必要とする。人間のつくったものの中で、最も自然に反します。やはり、このまま見すごすわけにはいかない。

僕が損することは避けようがないかも知れないが、僕を損させた連中が儲けているのは、放っておけない。そういうことです。


15日は、母の誕生日であった。
1218caqv60a7この日は、朝から電話をしたり受けたり、あるいは家で電話を待っていたり――が多く、外へ出ても食事だけして、さっさと帰ってきてしまった。
申し訳ないので、燭台にロウソクをふたつ置いて、いわき市の方から贈っていただいたワインとお菓子を供えた。

母は誕生日の二週間後に、殺された。
犯人はまだ命乞いしており、来年二月に、犯人を弁護する者たちが控訴審を指定してきた。
僕には、意見陳述の権利が与えられているので、母の死を、今なお「是」とする犯人および弁護人に対し、全言語力を駆使する所存である。

そして、刑が執行されれば、あの男は獄中で死ぬよりほかはない。
――その後になるかも知れないが、僕はもう、誰を憎むこともしなくなる。僕は、多くの人から軽蔑されたり、嗤われたりしてきた。騙されもした。不当な扱いも受けた。
だけど、いちいち、その仕返しを考えているほど、それほどのゆとりは、もう人生に残っていないんだ。

怒りだとか、何かを破壊できるエネルギーが残っているなら、他人を救うために駆使しよう。

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2011年12月14日 (水)

■1214■

世界の悪魔ミステリー 本日発売
Akuma51bi8tdjml__sl500_aa300_
●悪魔映画レビュー
『エクソシスト』『ローズマリーの赤ちゃん』などの古典から、『ザ・ライト~エクソシストの真実~』とか、これ最近のやつでしょ? 何本か見て、レビューを書きました。
ひさびさのコンビニ本です。
こういう大衆文化と、縁を切りたくない。他人の秘密を暴露するようなスキャンダルは嫌だけど、気軽な暇つぶしに供される本は、ずーっとやっていたいです。

映画の本じゃないから、「俺は映画通だ!」みたいな自意識は、邪魔なんです。「悪魔」に対して、マジメにならないといけないんですよ。読者さんに目線を合わせる努力が必要です。

●「アニメびぃ~と」 12/16(金)21:00〜
WEB配信の生番組で、氷川竜介さん、森田繁さんとご一緒に出演します……というか、私は司会なので、なるべく楽をしていようかと(笑)。
http://www.bandainamcolive.tv/

今年は明治大学の講義、マチ★アソビのトークショーと、人前で話す機会が多かったです。比較的。
別のイベントの司会も振られていたのですが、あまり詳しくないテーマだったので、お断りしました。……なんか、そういうもんですよ。仕事って。
「俺が俺が」って出ていかないで、呼ばれて、出来そうだったら、やる。仕事の本質は「人の役に立つこと」だから。目立つことではないです。


また映画関連の仕事をしているので、三鷹2店舗、吉祥寺1店舗のTSUTAYAで、計6本レンタル。これらを見ている合間に、いくつかの本に原稿を書いていくわけです。
こういう時期の編集者は、対応がさまざまで、楽しいです。

どうしても1ページ空いてしまうときは、勝手に「こうなりました、よろしく」と決めず、「う~ん、どうしましょうか?」と相談してくる編集者、好きです。「俺は困っているんだが、いっしょに困れば突破できるよ、ねえ?」戦法ですね。
あるいは、電話しながら、「いま、話しながら決めましょうか」と、ページ構成を詰めていく人。電話を切るころには、仕事の半分は終わっている。

で、投げっぱなしで終わらない。手書きのラフをメールしてくるなり、リストをつくってくるなり、働きを見せるんですよ。有能な編集者って。
すると、こちらも動かざるを得ないでしょ。相手にばかり、働かせるわけにはいかないから。

口だけで「今こうなっています」と言われても、僕は動かない(笑)。相手が「ここまでは俺がやっときましたよ」と成果を見せてくれるから、「やばい、書かねば!」となる。
そういう優秀な編集ばかりなので、いま、焦ってます。

いまやっている原稿が終わったら、またDVDを見なくてはいけない。明け方になるかも知れないが……仕事しているときが、いちばん楽しいんだ。


先日、『けいおん!』を見にいったとき、立川駅前で、原発の国民投票の署名に列が出来ていました。
1214caaf7t53_2(←シネマ2を出たところ。シネコンの前とは思えない、この寂しさがたまらなく好き)

その署名をしたからって、「反原発票」が集まるのではなく、飽くまで「国民投票を実施するよう、国に申請するための署名」です。
大勢の人が署名を整理していましたが、大阪ではボランティアが集まらず、苦慮しているようです。意識の差でしょうか。
東京だって、被曝地なのに意識は低いんですけどね……。

明治の粉ミルクからセシウムが検出されたけど、「乳製品はヤバイ」なんて、半年以上前から言われてましたよね。だから、僕はヨーグルトをやめましたし、友人は子どもたちに、豆乳をあげるようにしてましたもん。
「大企業がポカをするわけがない」という常識は、とっくに崩れていたんです。僕は、東京新聞をコンビニで買うだけ(店頭にあれば)で、どこの新聞も定期購読していません。
いつ、何が崩れるか、分かったものではないからです。

――健康なうちに、一矢報いたい。それは人に頼まれるのではなく、自分の内部からの意志として。

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2011年12月12日 (月)

■1212■

昨夜、映画『けいおん!』を見てきました。

もともと、テレビの『けいおん!』シリーズは「TOP YELL」誌に書いたことが「すべて」と言って20111202003723_00_400もいいぐらい、演出寄りに見ていて。どのキャラクターが好きとか、ギャグが面白いとか、そういう気持ちは、実は薄いです。
映画版だから、ちょっとスケール大きくしてロンドンへ行くと、いわゆる「でかいテレビ」になりかねない。それだったら、「なんでもない一日」を丁寧に描いてくれたほうがいいのになあ……と思っていた。

いやいや、日常的にリアルなシーンもあるんです。廊下にゴミを落としながら歩くところとか。それをパンくずのように追っていって、でもそのシーン自体に意味は薄くて、おとぎ話みたいだなーこんなリアルな絵なのに……とかね。数え切れないほど、いいカットがある。


ところが、物語がロンドンへ移ってからが、すごい。
イギリス人の声は、ネイティブです。厳密には発音の差があるとは思いますが、とにかく日本人が英語を話しているわけではない。それだけで『けいおん!』というファンタジーの世界が、ギュッと現実寄り……いや、「ファンタジーの中のリアリティ」という多層構造を獲得するんです。

ロンドンに着いた翌日、音楽を背景に、いろいろなシーン(僕はスラッシュ・カットと勝手に呼んでますが)が、続きます。
僕が息を呑んだのは、公園で芝刈り機の上に乗った男が、何気なく首の向きをかえるロング・ショット。スナップ写真みたいに実体験的。ドキュメンタリックなんです。
でも、ストーリーは美少女たちの珍道中でしょ。そのギャップが、もう暴力的なまでに気持ちいい。一線を越えてしまっている。

すごくリアルな外国人のおじさんやおばさんがいる中に、5人だけ、見慣れた美少女たちが歩いている。その景観の仮想性、とでも言えばいいのか?
20111202003723_01_400もともと、僕らは彼女たちに没入(ジャック・イン。サイバーパンク小説で、他人と身体感覚などを共有すること)して、あの放課後に接していたはず。だけど、彼女たちは放課後を遠く離れた、何だかリアルな時間と質感の世界へ、降り立ってしまった。

そうすると、もう自分がどこに立っているのか、分からなくなる。
同じ部屋に泊まっている唯と梓が、お互いを「居なくなってしまった」と勘違いして、ぐるぐる回る。『不思議の国のアリス』。無限回廊。

そこから先、何が起きようが、ずーっと脳がしびれた感じで。


そういうサイバーパンク的感覚は、たとえば、テーマに関わる部分でも発生している。
時差で、「ロンドンでは今日でも、日本では明日なんですよ」と聞いた唯が「じゃあ、日本に電話したら、未来と話すことになるの?」「日本に帰ったら、過去に戻ることになるの?」などと言う。
――それはつまり、梓と別れたくない、卒業したくない、時に抗いたいってことですね。

それで、さわ子先生が助けに来るでしょ。こんなサービスシーンは余計だなあ、と思ったんだけど、前夜の電話が日本からで、唯は「未来からの電話だ」と解釈する。
諸君、これがSFと言うものですよ。過去にライブをやった(そのライブ体験がラストシーンへの布石となる)さわ子先生が、未来から来るんだから!

で、飛行機の時間ぎりぎりの唯たちは、タクシーで空港へ急ぐ。
タクシーは「右から左へ」走り去ります。その上空を「左から右へ」飛行機が飛ぶ! ちゃんと過去に向かって飛んでるよ!

いや、参った。
唯が赤ちゃん(未来へ向かって歩く者)に気をとられて、どんどんライブの時間を延ばしていくのも印象的だった。


それで、割とあっさり、日本へ帰ってくるでしょう。
唯たちが屋上を走る――「右から左」へ。ここのPANと芝居、綺麗ですね。
そして、唯は飛行機雲を見上げる。雲の伸びていった方向と交差するように、ずっと低い位置を鳥が飛んでいる。言うまでもなく、それは卒業する唯たちと梓なわけです。
そして、梓に曲をプレゼントした唯たちは「左から右へ」歩いていき、映画は終わる。つまり、過去に向かって。なのに、会話では来年の話、未来の話をしている!

このような構造をもつ以上、『けいおん!』という作品は終われないし、終わらないのです。
未来へ託しましたとか、次の世代へバトンタッチとか、やっぱり女は男と結ばれてナンボとか、何十年もつづいてきた父権的ドラマツルギーに三行半を叩きつけている。


大好きな、立川シネマシティの日曜最終回を狙って行ったら、たまたま震災から9ヵ月後の11日でした。
過去を振り返りつつ、未来の話をしましょう――。そういう強度を、僕はこの映画から感じとれたのです。

(C)かきふらい・芳文社/桜高軽音部

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2011年12月10日 (土)

■1210■

オトナアニメ年鑑2012 14日発売予定
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論考「新房昭之・幾原邦彦の“作家性”に耽溺する」

これ、たぶん僕の記事だと思うんだけど……論考? そういう文章は苦手なので、いつものように、場面カット中心のレイアウトにして『輪るピングドラム』と『魔法少女まどか☆マギカ』について構成しました。

『輪るピングドラム』第9話「氷の世界」の絵コンテ・演出・総作画監督を務めた武内宣之を直撃!

これはインタビュー+絵コンテ解説です。武内さんは、たいへん話の面白い方でした。「こんな風に話せたら、どんなに楽しいだろうか」と、憧れました。小さいころに会った、面白い話をしてくれるオジサンという感じで。素敵です。

インタビューの合間、3ページぐらいを使って、絵コンテ解説をしていますが、藤津亮太氏の「アニメレビュー勉強会」のときみたいに、もう肉声で伝えたいんですよ。「こんなに面白いんだぞ!」って、もう空気を使いたいというか、目の前で説明したほうが伝わるのかな?とか思ったりしている。

それと、「誌面デザインをカッコよくしてね」と編集に言っていたら、ちゃんとこの別冊からデザインが変わってきました。「ウザイから、廣田さんは、もういいや」と切られるのを覚悟で言ってみたんですけど、ちゃんと聞いてくれましたね。
でも、だから、「オトナアニメ」は続いているんですよ。人の話を聞くから。読者にどの記事が人気あったかも、ちゃんと把握してます。いい編集部ですね。


僕が「若い」と呼んでいた編集者たちは、そろそろ、30歳を越えつつある。
彼らは、あいかわらずの激務の中で、ボロボロになりながら職場で寝起きしている。それでも、地獄の底から「ちょっと頼みたいことがあるんすけど……」と電話してくる。
彼らに相応の見返りがあるとは思えないし、僕の原稿料だって、高いわけじゃないですよ。でも、地獄まで付き合いたくなるような、不思議な輝きを、彼らは持っている。

一方、ここ何日かで人から聞いた話では、「若い人は割り切りが早い」と。
そういう若者とは仕事してないので、なんとも言えないけど……飽きっぽいのも、若さの特権だと思う。波乗りするように、どんどん思想をとっかえひっかえ、いろんな人に心酔したり覚めたり。それが「若い」ってことでもある。

でも、その人が言いたいのは「今の若い子たちはビジネスライクだ」と。若い子ほど、損得にえらく敏感なのだ……と言われると、思い当たらないでもない。得することがないと思ったら、さっさと消えてしまう。ちょっとでも損しそうなら、「さわらぬ神に祟りなし」。

こう思ったことはあるな。「初めから未熟さを売りにするな」と。
自称2次コンが口にする「3次元なんて興味ねえよ」も同様で、それを前提にするのは姑息だよ、とは思う。


僕らが若いころはバブルで、東京に住んでいることは誇りで、その感情は「懐かしい」より「愚かだった」に変わりつつある。
ギョーカイ人が、麻布や六本木でよろしくやっていて、それに乗らなきゃ損だ……と、ありもしない幻想に酔っていた。
それはリアルな損得ではなく、ヴァーチャルなものだった。より幼稚だったんだ。

そして、若い人たちがビジネスライクに生きねばならないとしたら、そんな価値観に僕らが加担してないとは言い切れないわけで。
少なくとも、「社会に無関心」という形では、間接的に加担してきた。なので、僕らは――僕は、損をしても仕方がないのだ、と思っている。
少なくとも、あぐらをかいて安全に生きたいとは思わない。

人生も後半戦に入ると、防戦一方になる。失うことが、当たり前になっていく。
その時になって、若いころに精神的にむさぼったあれこれが、途方もない強度をもって、君を支えてくれる。
だからせめて、「貪欲であれ」とは言っておきたいかな。

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2011年12月 8日 (木)

■1208■

あちこちに扉を開きすぎると、その分だけ、いろんな人が入ってくるし、何を投げ込まれても、文句は言えない。なので、減らした方がいいんだろうな、自分の場合……と反省させられた夜。
自分も関わっている雑誌の宣伝をしようとして、amazonの宣伝文をコピペして、ツイッターにリンクをはったんです。そしたら、あるアニメ作品のタイトルが誤字っていたんですよ。その時点で「RTすべきじゃないだろ。。」と言われ、さらには「ファンとして殴りたい」とまで書かれてしまった。

いやいや、誤字を確認しないでコピペしたのは非があるかも知れないけど、誤字った本人は出版社かamazonでしょう……。なのに、どうして俺は謝っているんだろう?
ネガティブな感情にだけ、すごく敏感に反応する人って、いるんですよ。「不幸にだけは鼻がきく」みたいな。ネットだと、静電気みたいに伝わるんですよ。人の失敗を、物陰からジーッと待っているようなヤツね。
だけど、身体と身体を向き合わせた人間関係って、深夜のファミレスでめそめそしていても、2人でメシを食っているうちに「まあ、いいか」となったりする。体が温まったら、気分もまあまあ回復したり。そういうデタラメさを、ネットは許容してくれない。

ネットで縁ができた人には失礼をするかも知れないけど、顔も知らない相手から「殴りたい」などと絡まれるリスクは、回避するに越したことはない。
なので、扉をいくつか閉めようかと思います。


この何ヶ月か、忘れていたことがあって。
そのひとつが、いわき市との縁をどう保つのか? 夏の『マイマイ新子と千年の魔法』上映会で知り合った方が、会いたがってくれているらしい。そういう期待は裏切ってはいけない。

で、ダンボールいっぱいのマスクを寄付してもらったので、手紙を添えて、いわき市に転送しました。そうすると、夏の終わりに止まっていた感情が、ちょっと動いたんです。
東北にボランティアに行った人の「自己満足に終わってはいけない」という言葉を肝に銘じて、上映会をやったわけだけど、部屋に帰ってきたとき、やっぱり誰かに「よく頑張ったね」と抱きしめてほしかった。
その時は、「いやいや、甘えちゃいけないぞ」って否定してたんだ。「感謝の言葉さえ、固辞せねばならんのだ」って。

だけど、感情って、削れば削るほど、削りカスが溜まっていくらしい。いつかどこかで、目づまりしちゃうんですよ。


都心に出る用事があったので、経産省前の反原発テント村へ行ってみた。
1208camrmkgw_2ここもやっぱり、ネットで受けた印象とは大違いで。マスクとカイロを差し入れたんだけど、「あ、そうですか。どーも」みたいな素っ気なさで。
逆に、こういう反政府活動をウェットにやられるのも苦手なので、ちょうど良かったかな。

その後、友だちと約束があったので、さらに歩いて有楽町へ。
僕は、この沈みゆく国の中で「これ」という事をしていないし、残された人生で「何が何でも、これだけは為したい」という欲望もない。
原稿を書いているのも、何人かの編集者に頼まれているからであって、自己実現ではない。書くときに、読者にプラスになるように、理想は必ず持つけれど。

つまり、「必要とされているから、生きている」としか言いようがない。
そう思ったら、ありがたくて、雑踏の中で涙がでてきた。


最近は、この映像にガツンときました。→
「憎んではいけない、愛されぬ者が憎むのだ」。

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2011年12月 4日 (日)

■1204■

Top Yell  一月号 6日発売予定
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●ココがすごいぞ 『けいおん!!』の演出!!
『けいおん!!』放送時、ブログに演出のことを書きましたが、「正規の場面カットを使って、商業本用に書き直したい」と、ずっと思っていました。編集者が、ブログを見ていてくれて、「ぜひ、あれを書いて欲しい」とのことで、実現しました。

もちろん、ブログのコピペではなく、該当話数をそれぞれ見直して、まったく新たに書き起こしました。
ただ、ファンの人たちはキャラクターや雰囲気が好きなのであり、こういう分析記事は歓迎されないかも知れません。確かな技術が、作品の魅力を裏づけているんだ、と声を大にして言いたいんですけどね。ファンの人たちが、ここまで持ってきたわけだから。

昨日から、映画が公開中です。僕も「初日に行ってみようか?」とかなり悩んだのですが、1204cax3n20i結局、夜中まで取材で、映画館の様子をうかがってきただけでした。
(←初日、新宿ピカデリーで)
そもそも、混雑するとわかっている映画に並ぶほど、若くはないんです。
40歳すぎてから「まだまだ若いぞ」「人生これからだ」と自分で言っているとしたら、それは、30代までに何もできなかった人の強がりでしかない。

衰えを認め、受け入れること。そうすれば、自分の役割が分かるんです。自分に残っている能力も、歳をとってから得られた知恵も、「もう若くない」と悟った瞬間、初めて活用できる。


ひさびさに、「マスクを寄付したい」というメールをいただきました。
この方は、以前にも、忘れかけた時期にダンボールでマスクを寄付してくださいました。今回は、いわき市だけではなく、高放射線量で知られる経産省前のテント村にも分けたいのですが、それぐらいは自費ですべきなのかも知れません。

いわき市と東京を比べると、もうあんまり変わらないというか、東京のほうが線量の高い場所があるので、「福島県すべてが危険」という認識は、僕にはありません。
この前、新宿ALTAの大画面に、都内の放射線量が映し出されたんです。ともすれば、「原発事故は首都圏には無縁」と決め込みたがる都民には、いい薬かも知れない。

首都機能の分散化構想が出ているそうですが、僕は大賛成です。どんどん崩せばいい。


義務教育というのは、「みんなで同じ時間に、同じことをやる」ための訓練でしかなかった。
それが、原発事故でバラバラになった。家族の中ですら、意見が合わずに、離婚してしまう人までいる。――いいんじゃないでしょうか。多様な意見があって結構、離婚してまで意志をつらぬくのは立派だと思います。

城南信用金庫が、東電と契約を切ったのも、えらいと思います。それは脱原発だから偉いのではなく、同業他社の顔色などうかがわず、わが道を歩みだしたことが素晴らしいのです。
「今までどおりでいい」「みんなと一緒でいい」心理は、たんに体制に組することしか意味しません。横並び意識からはみ出して、自ら行動している人は、多少意見が違っても、僕は応援します。

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