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2011年12月20日 (火)

■1220■

家から歩いて一分ほどの玉川上水ぞいに、枯れた花を埋めにいく。
Caa9z0d7ふと振り返ると、竹ぼうきを持ったおじさんが立っていた。怒られるのかな……と心配しながらも、話しかけてみる。どうやら市のボランティアで、この周辺を掃除している方らしい。

ビニールに入れた花の亡き骸を見て、おじさんは「これは早く水につけてあげないと」「きっと、来年の春には咲いてくれるよ」などと言う。どうも話がかみ合わないな、と思っていたら、「埋め」にきたのを「植え」にきたと聞きまちがえていたようだった。

「墓前に供えていた花なのですが、ゴミとして捨てるのは可哀想で……ここに埋めては、まずいでしょうか?」と、あらためて説明した。
「いいよ、いいよ。あんた、優しい人だね」と言って、おじさんは歩き去った。


週末から週明けにかけては、担当編集と手分けして、各アニメ会社へ図版使用の許可申請の電話をかけまくり、かなりの数を集めた。
(フリーライターは、編集部に頼らず、ひとりで取材許可をとったり、素材を集めねばならない場合があるので、ライター志望者の方は覚えておくといいかも知れない。)

各社の対応はまちまちで、無料で貸してくれるところもあれば、有料だけど応相談というところもある。「ウチとしては何も出来ませんが、ここに電話してみるといいですよ」と助けてくれるところもある。
借りっぱなしではなく、事後対応も必要になるのだが、若い編集者は「後は、僕に一本化してください」と、すべて引き受けてくれた。これは「あなたは原稿を書くのに集中してね」という意味にもなる。


――ただ、彼のように殊勝な若者(まだ30歳だから、青年といっていいはずだ)は、少数なのかな、とも思う。
インターネットを見るかぎりだが、自己実現にくじけた原因を、他人が分不相応な立場についているせいだ、と嫉妬している若者が多い。自分が世の中に冷たくされたから、自分も世の中に冷たくしていいと思っている。
自分は無限の被害者であるがゆえに、無限に他人を攻撃する権利を有していると、勘違いしている。

「それはネットの世界の話だろう。リアルでは、みんな大人しい若者だよ」と、最近まで僕もそう思っていた。
しかし、言葉はダイレクトに脳と直結している。言葉にしがたいイライラや憎しみを「クソ」とショートカットして書き込むと、どんどん思考や感情は「クソ」へと均一化していく。
それをくり返していると、世の中は冷酷なニヒリストだらけになる。

アニメ作品やクリエイターを、こっぴどく罵っている人が、ほぼ間違いなく原発推進であることには、何だかひどく納得してしまう。彼らは、愛することも愛されることも知らないかに見える。
――若い人ほど、やり直しがきく。そのことを忘れてほしくない。

(中年はやり直しはきかない分、代わりに向上心を維持しつづけなくてはならない)


新橋駅前の野田総理の街頭演説が、中止になった。
ぎっしりと集まった観衆は、ほとんど暴動寸前に怒声を発している。→
これらの人々が日本人の0.01%であれ、それ以下であれ、僕は彼らを冷笑するような人間にはなりたくない。

政府も東電も、「無関心」という鉄壁のガードに守られている。
そのガードは、崩れかけている。

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