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2011年11月30日 (水)

■1130■

約6年ぶりに、女友達と会った。
Cawh04b4母が死んでから、花をたずさえて、三鷹に来てくれる人が多くなった。
僕の母は威勢のいい性格で、なぜか、僕の女友達も、元気のいい人ばかりだ。沈痛な面持ちで思い悩んでいる女性も、魅力的だとは思うのだが……。

その女友達とは、かつて、少し仕事をしただけなのだが、およそ僕とは接点のありそうもない、華やかな雰囲気の人だった。
6年たって、髪の色は黒く戻っていたが、喜怒哀楽の激しさは、あいかわらずだった。一気呵成に話したかと思うと、少し下を向いて、何か反省するかのように、ぼそぼそと口の中で話をつづける癖。

母を殺されてしばらく、僕は誰と会っても、必要以上に話をした。人の心には、そういう防衛機能があるらしい。
今は、違う。今はもう、話すほどのことが無いんだ。だから、ただ穏やかで、思慮深い男のふりをする。

確か、20代の終わりごろから……何があっても、傷つかない心を作り上げようと努めた。それまでは、泣いてばかりいる男だったから。
その作業の多くは、自分の価値を、低く見つもること。自意識という汚れを、なるべくこすり落として、真っ白な心でいることだ。もちろん、そう、うまくは進まない。
しかし、離婚が追い風になった。離婚を決意した日から、僕は、悲しむことが少なくなった。

ひとりで泣いたのは、母が殺された日だ。
あの日、数年間、我慢していた気持ちが、一気に戻ってきた。


女性の編集者とは、たいてい上手くいかない。
ひとりだけ例外がいて、ひょっとしたら、最後の仕事かもなあ……というムックの打ち合わせをしてきた。

彼女は自分のプランを話したあと、「どう思います? これじゃ、ダメだよねえ」。
でも、そのプランの中には、もう変更できないほど進んでしまったところと、まだまだ引き返せる部分の、両方が含まれているのだ。
彼女が「ダメだよねえ?」と聞かなかったら、僕がそのまま聞き流していたら、本当にダメになるだろう。――いい打ち合わせだ。

「なんだ、勝てるじゃない」と、僕は切り出す。だいたいな、そうやって人の話を聞く態度のあるヤツは、勝てるんだよ。
負けるヤツは、ほぼ間違いなく、人の話を聞かない。自分の信念にかじりついて、その重みで沈んでいく。……ま、男に多いね(笑)。


ひさびさに中央線に乗ったら、座席の上にマスクが、下には缶コーヒーの空き缶と紙片が散らばっていた。
降りるときに片づけようと思ったら、そのマスクの上に、どっかと中年男性が座ってしまった。

われわれが公共の場にゴミを捨てているかぎり、放射性物質をはらんだ瓦礫は拡散される。それは自治体の方針などではなく、「日本人の性格」だからだ。
国や電力会社は、国民の性格を利用したにすぎない。

利権は、何も原子力帝国にかぎらない。どんな業界にもあるよ。「リスクを回避し、せめてウチだけでも儲けよう」と、誰もが考える。「いい品質のものを提供するから、その分の儲けさえ出ればいい」と考える人間は、とても少ない。

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2011年11月27日 (日)

■1127■

今日が返却予定日だったので、『僕らのミライへ逆回転』といっしょに借りてあった『パレード』を、深夜に見る。
1127original「どうしてこんなの借りたんだっけ?」と不審に思っていたら、香里奈だ。『深呼吸の必要』とは正反対に、大酒飲みで少し屈折していて、メガネのよく似合うお姉さん。
「イラストレーター兼雑貨屋店長」という、ムリを感じる設定はさておき、その佇まいには存在感がある。頼りになるお姉さん、といった感じ。

ただ、この映画の監督さんは、平気でそういうことをやるんだが、前シーンで「もう一軒、行くぞーっ」と泥酔していた香里奈が、次のシーンではシラフに戻って、流暢に過去を語りだしてしまう。単に、そのシーンを印象づけたいがために。
「泥酔している」という縛りの中で、いかにシーンを綺麗に見せるか? そこが面白さだと思うんだが。

たとえば、『好きだ、』の永作博美は、居酒屋で、さんざん日本酒を飲んだ挙句、部屋に帰ってウィスキーを飲み、なおかつそのシーンが、西島秀俊とのラブシーンになっている。


『好きだ、』といえば、野波真帆は、どの役だったんだ?
濡れ場を展開したのは、中村ゆりという女優らしい。野波真帆は、東宝シンデレラの割に、これといった役に恵まれていない気がする。
というより、『好きだ、』の泥酔した美女役しか知らない。泥酔した美女。劇映画において、これ以上に魅力的な役柄はないだろう。
現実では、滅多にお目にかかったことはないが。

『僕らのミライへ逆回転』は、『ニューシネマパラダイス』風の「映画への愛」(ゾワッ…)を謳った映画かと思いきや、『スモーク』のような感じ。
いつまでも文化祭気分でいたいんだ、というミシェル・ゴンドリーの軟弱な気分が、ナヨナヨッと伝わってきて、気持ちよかった。
この世で、ミシェル・ゴンドリーの悪口を言うことは、虐待に匹敵する。


今日は、早起きして、「アニメレビュー勉強会」のゲストで、浅草へ。

だいたい、言おうと思っていたことは、ほとんど言えた。レビューであれ何であれ、お金をとって売る文章は、「ああ、楽しみができた」「なんとなく、勉強になった」と思わせなければいけない。
つまり、ちょっとは世界を明るくして、世の中を少しでもマシにするために、書かれるべき。

「どうですか、私の文章はすごいでしょう!」「俺も、とうとうここまで来ましたよ!」という自己実現の過程は、他人に見えないところで、こっそりやっておく。
今年は、人前で話す機会が何度かあったし、デモにも参加した。中には、「自己実現を終えてから、それから出ておいで」と言いたくなるような若者もいた。
うーん、まあ、学生には酷だろうけれどね。

ふと気がつくと、「あっ、俺って別に人から誉められなくても平気になってたわ」とか「別に女に好かれなくても、ひとりで生きていけるなー」とか、そういう気持ちになっていることがある。
その気持ちに、まだ与えられる名前は、ないんだけれど。

(C)2010映画「パレード」製作委員会

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2011年11月24日 (木)

■1124■

月刊モデルグラフィックス 一月号 明日発売
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●『輪廻のラグランジェ』記事
「ヘッドライントピックス」なので、記事は短いです。そして、何よりプラキットが出ていないので、「出して欲しい」という主旨の文章になっています。
模型誌なので、ROBOT魂が出ても、あまり関係ないという……。デザイン画と作画された絵とは、また印象が違うので、MGのターンエーのようなサジ加減が必要なんですね。

……僕はいまや、『輪廻のラグランジェ』の公式ライターよりは、独立遊撃応援隊になりつつあるな。


今日は、韓国アニメ『アーチー&シパック 世界ウンコ大戦争』試写会。
場所はなんと、四谷の韓国大使館。すごい大御所アニメーターの方が見えられていて、「おお、さすが!」と思いました。あと、配給会社の方が、何年も前に取材した「動画革命東京」のプロデューサー氏で、再会を喜びあいました。
作品については、ツイッターで、ちょっとだけ語りました。→とかとか。

吉祥寺バウスシアターで、来年一月下旬よりレイトショー。なんか、また面白いイベントできないかなーと思ってます。


いろいろ溜め込んでるんですが、とりあえず……都内でストロンチウムが見つかりました(またしても、一般市民が発見。「素人が勝手に測るなんて」と批判していた人たちは、猛省してもいい頃では? 最終的な測定は、専門機関ですけどね。もうひとつ、「東京はたいして被曝してない」と豪語していた大阪の人は、どう言い訳するんだろうか)。

ストロンチウムの見つかった都内三箇所のうち、一箇所は、経産省前なんです。
東電や経産省の役人たちが、毎日被曝しながら通勤しているのは皮肉としか言いようがないのですが、経産省前テント村が心配です。
毛布が足りないと言っていたけど、マスクも大量に必要では……。早く行きたいな。

それと、今までの食品の暫定基準値は、飽くまでもセシウムに関して。ストロンチウムは考慮されていなかった。基準値の見直しは来年3月。つまり、丸一年間、放射能入りのご飯を食べなさい、ということ。

昨日23日に設立集会が行われた「脱原発をめざす女たちの会」では、「後片づけが出来ない男たち」という言葉が出たそうです。長生きしすぎた、くだらないプライドだけで生きている男たちが、いまだに「原発推進」という錦の旗を下せないでいる。
じゃあ、プライドの権化たる彼らが責任をとるかというと、何もしないわけですよ。


私は、正月に母が殺されたとき、80歳まで生きようと決意しました。「本来、母が生きられた分まで、生きてやろう」と。
それから二ヶ月半後、東京の被爆が決定的となったとき、母の墓前で「やっぱり、長生きはできないや」と、謝りました。
僕という男は、運が悪いから。

事件については、母を殺した廣田年亮被告が控訴するそうで、来年まで公判がつづくのです。「後片づけが出来ない男」が、ここにもひとり。
死を覚悟しながら、最良の明日を準備すべきではないでしょうか。僕は、すべてにおいて、そうありたい。

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2011年11月22日 (火)

■1122■

別冊ザテレビジョン LOVEアニメ 26日発売予定
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大ボリューム 総力特集 映画「けいおん!」
角川系の情報誌に書くのは、たぶん二年ぶりぐらいでは……。
総力特集の、思い切りはじっこを書いたと思います。
アニメ誌では書けないアニメ記事の書きかた、というものがあります。それを編集さんと暗中模索した感じです。

徹底特集「化物語」/「偽物語」/「傷物語」
こちらも、ほんの数百字のお手伝いです。
やっぱり、情報誌の編集さんは、数百字でも「ストーリー」を考えます。投げっぱなしで「あとは調べてね」「これぐらい知ってるよね」はナシです。

『けいおん!』に関しては、他誌で、ちょっと突っ込んだ記事を書きました。
この作品に関しては、基礎情報を書けば書くほど、本質からズレていく。例えば、『エヴァンゲリオン』の人物紹介をしても、それは『エヴァ』の本質ではない。
『けいおん!』のヒットについて語ることは、いま最も難しいと思います。

同誌では『けいおん!』のグラビアとインタビューのほか、
・『NEWラブプラス』特集
・2011&2012アニメガイド
・『イナズマイレブン』北原沙弥香インタビュー&グラビア
・『WORKING´!!』…種島、伊波、山田描き下ろし
・『アイドルマスター』
・『侵略!?イカ娘』…描き下ろし
・〈物語〉シリーズ特集
・SKE48・松井玲奈グラビア


新宿武蔵野館では、今月いっぱいで上映終了なので、『ハラがコレなんで』を見にいってきた。
Harakoremain_large『時をかける少女』(実写のほう)を試写会で見て、『セブラーマン2』を立川シネマシティで見たときは、「もう20歳だし、仲里依沙も、ここまでかな……」としみじみしたものだった。(その辺の心境は、以前に「シネマガールズ」に書いたはず)

ハードボイルドのように、ソリッドな映画。無駄なセリフがない。にも関わらず、ほとんどすべてのセリフが、ギャグとして機能している。
仲さんの決めゼリフはもちろん(というか、ほとんど全て決めセリフ)、セリフのないシーンの動きとか、全てにおいて曖昧さがない。ぜんぶ、ピタッと意味がある。
例えば、お腹が出てるのに、わざわざ「妊娠してるのか」とは、聞かないでしょう? だけど、劇中にそういうセリフが出てくる。それは「粋じゃないな」と否定されてしまう。


哲学があるんだ。
この10年ほどのあまり、邦画を支配していたアンニュイさが無い。主張だけがある。――ガンマンが銃を抜いて、酒場のドアをバーンと開いたら、もう説明は不要でしょ? そういうことです。当然、「泣かせよう」なんて思ってない。そういうシーンはない。
だから、「妊婦」という主人公を手に入れた瞬間、思い切りがついたんだと思うよ。

さて、「思い切り」といえば、これは書くのに迷った。これから見にいく人は、下記は読まないほうがいい気もする。
――この映画のクライマックスは、福島県なのだ。無論、映画の撮影は、事故の前だろう。何の批判性も狙いもない。
なので、僕は頭の中で福島県を「日本のどこか」と言いかえていた。そうであっても、ストーリー自体は成り立つからだ。

だが、くどいまでに「福島県」と言われた後に、仲里依沙が、あるセリフを言う。
それは実は、偶然にすぎないのだが、やはり福島県で……少なくとも被災地で言わないと、力が弱まってしまうように、僕には聞こえた。
どう聞こえるのか、当地の人たちにも聞きたいし、離れた人たちにも聞きたい。

このような時代に、なぜこうした作品が現れたのが、不思議で仕方がない。
公開時、「ふくしま県」を「とくしま県」、あるいは架空の県にできなかったのか? あるいは、敢えて、しなかったのか。
何だか、不思議な熱をはらんだ映画となった。

(C)2011「ハラがコレなんで」製作委員会

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2011年11月19日 (土)

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韓国映画『息もできない』。
1119index_615400_3吉祥寺バウスシアターで『マイマイ新子と千年の魔法』を上映していただいたのと同時期に、同じスクリーンで上映されていて、気にはなっていた。
DVDを借りてきて、深夜に見はじめた。ペ・ドゥナの魅力を引き出したポン・ジュノ監督が絶賛しているだけあって、見事な女優映画だった。

監督・主演は、ヤン・イクチュン。彼の演じるチンピラが、強気な女子高生にからまれ、やがて仲むつまじくなっていく。その過程が、本当にすばらしい。女子高生役はキム・コッピ。顔の造形より、表情で惹きつける。シーン展開につれて、じわっと味が出てくる。

僕が好きなのは、キム・コッピが、ヤン・イクチュンに名前を尋ねるシーンだ。
その前のシーンで、名前は分かっているので、キムは思いだし笑いをしてしまい、「確か、サンフンでしょ。子供っぽい名前」と言ったあと、彼をからかうように、小声で「……サンフン」と呼んで、また笑い出す。
その笑い方、間合いが、すばらしく愛らしいので、予告編は見ないように。いきなり、本編を見てほしいですね。


その名前を尋ねるシーンから、キム・コッピはどんどん良くなっていく。寺山修司だったか、「どんな物語でも、美しいのは名前を教えあうところだ」。その通りなんだよね。
2人は母親を事件で失っていて、基本的には血なまぐさい話です。ラストシーンも、苦いというか痛いというか……僕は、ドンヨリした気持ちになったけど。

でもね、ストーリーだけが、映画じゃないですから。
主演・監督のヤン・イクチュンは、キム・コッピに恋していたと思う。少なくとも、撮影中は。編集も彼だから、キム・コッピのアップは長尺だし、表情をよく捉えている。ちょっと、やりすぎなぐらいに。
そうやって、舞台裏というか、出演している人、つくった人の人生に思いを馳せることが、僕にとっては映画を見る楽しみ。

僕の人生は、一人暮らしの方が長くなりつつあるので、よけい体温に敏感なのです。


中学校のころだったと記憶するが、生徒会かなにかの議論中、「自分の意見を持つのはいいけど、押しつけになってはいけないから……」。そういう意味のことを言われた。
たぶん、教師に刷り込まれたんだと思う。反対意見があるなら、戦わせればいい。「押しつけになってはいけない」、つまりそれは、自分の意見をもてない多数の弱者に配慮しましょう……という「気づかい」。

「国民がパニックになるといけない」という気づかいで、放射能拡散情報を遅らせる。
「風評被害にあう人がいるから」という気づかいで、汚染食品を流通させる。

みんな、「気づかい」サイドに立ったほうが攻撃されなくてすむから、放射能も汚染食品も「たいしたことないよ」「まあ、大丈夫だろ」と、話を合わせる。汚染地域や農家を思いやって……ではない。
自分が責められたくないから、「意見をもてない弱者」にあえて身をかくす。

中学校のころから、みんな横並びが大好きだったから、別にいまさら驚きもしないんです。


「子どもたちを守れ」というのは、それは彼らの人生に賭けたいからです。
子ども一人が、仮に80年、生きてくれたとする。その80年の間に、どれだけのことをやってくれるか。また、同じように人生を重ねた人たちと、どう出会い、彼らと何を為してくれるのか。
可能性に可能性を、かけ合わせる。そこにしか、希望はないんです。

僕とか、もう老境にさしかかっている大人たちに、可能性なんて残されているんでしょうか。できることがあるとすれば、「子どもたちを守れ」ですよ。
そして、可能性イコール希望ではありません。絶望に転がることも、考慮しなくてはいけない。それでも、ないよりはあった方がいいのが「可能性」です。

子どもたちが大切なのは、彼らの人生に期待するからです。その頃、僕らはもう死んでいるけど、だからこそ……なのです。

(C)2008 MOLE FILM All Rights Reserved.

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2011年11月17日 (木)

■1117■

あいかわらずの体調不良なので、さっさと仕事のノルマを終わらせて、寝る。
午前3時ぐらいに目が覚めてしまったので、「どうせ途中で寝るだろう」と、録画してあった『許されざる者』を見はじめる。面白くて、一気に見てしまった。

日本での公開は、1993年。僕は一人暮らしをはじめた頃で、まだ大学の同窓生とつるんでい1117193644_1020_aた。「おい、『許されざる者』は見たか?」と聞かれたのを覚えている。
僕はまだ、たった25歳か26歳。その年齢で見ていたら、おららく、多くのものを取りこぼしていたはずだ。クリント・イーストウッドは、撮影時、60歳をすぎていた。僕は44歳だから、ちょうど良い年齢で見られたと思う。

クリント・イーストウッドは、ダーティハリーだった男だ。僕には、その程度の知識しかない。
ただ、『ダーティハリー』を見た23歳ごろ、「爽快感のない映画だな」と思った。『許されざる者』とは、かつてのイーストウッド、人殺しに躊躇しなかった彼自身のことだ。あるいはまた、権力を後ろだてに横暴に振舞う、ジーンハックマンのことでもある。映画が進み、そのシーンで誰が何をしたかによって、誰が『許されざる者』なのか、たえず揺れ動く。


そして、イーストウッドがあらかじめ妻を失って登場することで、見る者は自分が何を失っているか、思い出さずにおれない。
イーストウッドが失っているものは、妻だけではない。若さや体力を失っている。彼は、ふたたび銃をとり、最初はいやいや賞金首を狙うが、親友を失ったことから、殺意を取りもどす。だが、その代わりに「二度と無法者には戻らない」という決意と信念を喪失する。

イーストウッドより圧倒的に若いジェームズ・ウールヴェットは、初めての殺しによって、潔白だった人生を失う。
その瞬間、彼はイーストウッドの過去に嫌悪をいだく。だが、イーストウッドは彼を「唯一の友」と呼び、賞金を子供たちに渡すよう、託す。
彼は、血に濡れた金など、触るのもイヤだっただろう。そうして考えていくと、三重にも四重にも人生が重なって描かれていることに気づく。これは、歳をとらないと分からない。

リチャード・ハリスにくっついていた伝記作家が、何かにつけて「ただのライターです」と言いのがれるのが、なんとも痛々しかった。傍観者だから、後ろめたい。そんなに誇るような職業でもないのだ。


映画が終わってから、少しだけ寝た。調子が悪いせいか、異様な夢を見た。
いつものように、業界の知り合いと飲む。僕は夢の中でも「廣田さん」と呼ばれており、仕事を抱えているので、気持ちが落ち着かない。
なのに、その知り合いは性格がルーズで、ずるずると飲みつづけ、彼の妻や妻の友だちと朝まで過ごすことになってしまう。そこには倫理がなく、セックスと趣味に耽溺し、すべてを暴力で解決する暮らしがあった。

目が覚めると、どこか他人の家で目覚めてしまったかのような違和感があった。ただ、そのように脳がしびれた状態下でないと、考えられないことがあるので、なるべく考えることに徹した。

映画でも夢でも、自分の人生に多様な意味を与えてくれる体験は、ありがたい。孤独な身の上には、欠かせないものだ。
しかし、やはり若いことには価値がある。若ければ、たいがいのミスは許されるからだ。

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2011年11月14日 (月)

■1114■

なかなか公式にも取り上げてもらえない、『輪廻のラグランジェ』最新情報「ラグりん通信」、「ヤングガンガン」誌に連載中です。
1114cafsjuh0
最新22号は、佐藤竜雄総監督のインタビュー。アニメ誌には、今のところ、こういうインタビューは載ってないと思う。なので、放映を楽しみにしている人には読んでほしいんだけど、うーん……。
次号は金曜日発売で、鈴木利正監督インタビューです。

『輪廻のラグランジェ』は、いま、絵コンテを読んでいるんだけど、主人公が女性でないと、成立しないストーリーです。それは「女性を鑑賞物にしてない」って意味なんだけど、だから、女性の感想が聞きたいアニメ。


今日は市役所まで歩いていくつもり(徒歩30分)でしたが、あっさり風邪をひいてしまったため、断念。明日以降は、ほぼ連日、何かしらの約束が入っているので、今日、行きたかった。
僕は、市民の声を吸い上げてくれる三鷹市の税金は払うけど、都民の意見を「黙れ」と一蹴する東京都の税金は、払いたくないんだよ。

なのに、どうして市民税と都民税の払い込み用紙は、一緒になってるんだ? 以前から不思議だったので、納税課に聞いてみたい。


経産省前、すごいことになっているので、早く行きたい。→
いまの僕には、この光景こそが最もリアルな、人間くさいものに見える。
昨日の福岡の集会は、一万人規模。→
『さよなら原発!』って言い方には、違和を感じるのだが、それはイキオイということで、この人数で九電前まで行ったのは、素晴らしい。
本日から、関西電力前でも、若者たちが座り込みを始めるそうです。国に守ってもらわないと経営を維持できない電力会社の皆さんは、せいぜい恥ずかしい思いをしてください。

彼らにくらべ、自分のことで精一杯になりつつある僕は、つくづく役立たずだと思う。


最近は、運動不足解消のためにも、何かと理由をつけて、吉祥寺まで往復している。
1114dsc_0424いつの間にか、「吉祥寺みやげ」を売る店ができている。僕の生まれた町は、観光地になりつつある。

帰り道、頭上にエンジン音。見上げると、セスナ機が旋回するところだった。窓枠まで、はっきり見えた。
そのはるか高空を、真っ白なジェット機が音もなく飛んでいた。『ヨコハマ買い出し紀行』に、二度と地上に下りられない航空機が出てくる。それは、滅びてゆく地上の様子を記録するために、たった一機で飛びつづけているという設定だ。

人の死は泥臭いものだし、僕が死んだら、土に埋めてほしいと思っているが、天国や涅槃は、はるか高空に近い。人間の魂は、本来、高潔なものなのだと僕は信じている。

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2011年11月11日 (金)

■1111■

何曜日だったか、「今夜シメキリ」「明日シメキリ」「明日午前シメキリ」が重なり、その後、他誌用に「悪魔の映画を見る」タスクがありました。映画を見たら、そのままレビューを書くのです。

来週前半、もう一山あるのですが、今日だけは休ませてください。
111102cabwc2yuというわけで、女友達と、雨の中、都内某商店街をボーッと歩いてきました。
何だか、どの店舗の看板も大阪っぽいというか、「工夫しすぎ」で飽きなかったです。

そして、古びた喫茶店で、女子高生が巨大なパフェを食べるのを見ていると、どこか遠い町……というよりは、物語の中へ入り込んでしまったかのような気持ちになるのでした。


今日は、震災・原発事故から、8ヵ月。
「戦争は膠着状態にはいり、8ヵ月あまりが過ぎた……」ってナレーションに、何だかリアリティを感じてしまいます。コロニーが落下するような大惨事があったのに、アムロはサルマタをはいて、コンピュータを組み立てて、あくびをしている。事態は一向に収束していないのに、日常に飽きはじめてすらいる。
今、ちょうどああいう気分じゃないでしょうか――その気分こそが、最大の油断であることを、『ガンダム』第1話は示唆してもいます。というか、アニメでも引用しないと、今の事態を俯瞰できないですよ……。

今日、一緒に歩いた友だちは意識の高いほうで、食べ物には、そこそこ気を使っているそうです。肉は安い外国産を使うけど、野菜は関東産・東北産が安いので、みんな買っていってしまう。
ようは、世界に類を見ないほど高い暫定基準値を、国民は受け入れてしまっているのだから、さらに煽るようなイベントをするな、と。→

牛丼の値下げ合戦がスタートしていますが、「すき家」の圧勝に決まっています。
なぜなら、ゼンショーグループは「食べる物に、世界一臆病な企業でありたい。」と宣言し、野菜・卵・牛肉につづき、国産米の独自検査を行い、パスした食材のみを使っているからです。
しかも、「食品衛生法の暫定規制値にはよらず」と明記しています。あっぱれ!

それが百パーセントの安全を保障しなくても、「野菜の産地は明かさない」とユーザーの問い合わせを蹴った松屋フーズよりは、良心を感じませんか? 僕は、ゼンショーの姿勢を応援するためにも、すき家には、せっせと通ってますよ。

たとえ放射能を無視しても、放射能はあなたを無視しません。それさえ覚えておけば十分ではないでしょうか。


先日、親友といってもいい友人と、瓦礫受け入れについて、意見が分かれました。
しかし、彼は「こうして個人の意見がぶつかるだけでも、日本は変わってきたんだと思いたい」と言います。私も、そう思いたい。

3月に、東京を離れた人は賢いと思います。しかし、東京から沖縄に避難した女性のツイートを読んで、複雑な気分になりました。

「原発製の電気を使いながら原発に反対してるのって親に上げ膳据え膳で食わしてもらってるニートが親の悪口言ってるのと同じレベルでカコワルイ。せめて原発のない地域(海外でも沖縄でも)に引っ越して純然たる原発以外の電気使ってから文句言えばいいのに。」

なんだか、ナチス・ドイツに占領されたフランス国民に「抵抗活動したければ、フランスから逃げてからにしろ」と言っているように聞こえますね……。
私は、電気料金の自動引き落としをやめてもらい、コンビニ払いに変えました。せめて、こちらの自由意志で払いたい。「払ったら、負けかな」のニート精神で。

でもね、その電話をしたとき、オペレーターが若い女の人だったんです。
東京電力の女性社員も、まだ東京に残っているということは、残念だけど、ちょっとは被曝しちゃってる。得するのは、強欲なジジイばかりなんだなーと、改めて思いました。

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2011年11月 7日 (月)

■1107■

昨日は、吉祥寺駅前で脱原発デモ。朝まで仕事して、目覚めたのが13時半だったので、小雨の中、駅前に急ぎました。せめて、沿道から応援しようと……。

日曜日の吉祥寺は、あんまり好きじゃないです。混みあっているから。
それと、最短コースをとろうとすると、見たこともないような店の間を、突っ切ることになる。幼いころから見知った風景は、ほとんど消えてしまっている。

PARCO前で、隊列に出くわしました。
1106ca5z1j6n隊列は真っ二つに分断され、なんだか元気がないように見えます。横断歩道を渡り――「何アレ」「原発だってさ」など、あざ笑うような声を耳にしながら――、間近にプラカードを見ました。

いま稼働中の原発の数、全電力に占めるパーセンテージ。暫定規制値、食べもの・飲みもののこと。
とりわけ目をひいたのは、確か、こんな言葉だった。「汚れた土地を、返せ」。
福島のことじゃないですよ。東京が汚れてるってことです。


1000人ぐらい、軽く集まるだろうと思ったら、小雨と猛烈な湿気のせいか、700人とのこと。
ツイッターで検索したら、デモに腹を立てた若い男が、小学生の女の子のすぐ後ろの看板を蹴飛ばして(女の子が蹴られたわけではありません。訂正し、お詫び申し上げます)、走り去った――との情報。だから、手続きを踏まない怒りは、デモよりも反社会的だというのですよ。

「デモうざい」「邪魔だ」と書くしかなかった人たちは、「無関心な人を振り向かせたい」というデモの主旨に、ちゃっかり乗せられてしまっているわけで、まあ、いいでしょう。
あの高円寺デモからも、もう半年以上たったんですよね。僕は理念だけのデモには興味を失い、東電や経産省など、明確にターゲットを決めた活動にだけ参加した。それも、替え歌をうたう気軽なムードには、もはやついて行かれず……。

東京で、同じ考えをもつ人を見つけるのは、不可能に近いです。
岩手県の瓦礫が東京都に運び込まれた問題で、友だちと意見が合わず、たがいに黙ってしまいました。こういう断絶を、事故以来、何度も何度も経験してるんです。

いちばん辛いのは、それなんですよ。


今日は昼過ぎに起きて、東京都環境局に電話しました。
なぜなら、ツイッターで「高橋」という局員が、「子供が放射能汚染を受け入れるのは運命」と言い放ったとの噂が広まり、ことの真偽を確かめたかったからです。
まず、そのセクションに「高橋」という局員はいないとのこと。別のセクションでも、高橋姓は多いので、抗議電話が誰に対するものなのか、特定しづらいと。僕は、お礼を言って、電話を切りました。
――わざわざ、見えない敵をつくることはないですからね。

「原発の取材をしていると思うのだが、本当の敵は電力会社ではなく、日本国民全体的な他者への無関心だなと強く思う。」
写真家の小原一真さんの、このツイートが忘れられません。

宮崎駿さんの「本へのとびら」を読みました。
「何かが起こるだろうという予感は、みなが持っていたように思います。それでも、どんなに立派な戦争より、愚かな平和のほうが尊いと思うようにしていました。」
愚かな平和――これほど、グサリとくる言葉は、ありませんね。特に、惰眠をむさぼってきた東京という街にいると……ねえ。
天皇陛下は身体を壊されたし、もう首都移転でいいじゃないかって思います。いまの東京は、昔ほど好きではありません。

このブログに、オチはありません。
本当に思っていることを書くと、それこそシャレにならないので、西日本にいる友人に、ちょこちょこメールしてるんです。彼らには、疑わしい食品は口にせず、元気に生きてってほしいんです。

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2011年11月 4日 (金)

■1104■

TOP YELL  12月号 7日発売予定
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●『輪るピングドラム』が魅せるビジュアルアートの世界
5ページ記事の構成・執筆です。
他誌の『ピングドラム』特集の作業中から、うっとりと眺めていた「カゲ指定」。
そういう表に出ない絵を載せるチャンスだと思い、キャラクターのラフ稿など、出来るだけいっぱい載せてあります。スマートフォンのディスプレイとか。

ストーリーの説明はもちろん、キャラクター解説すらありません。
徹底的に「絵」を楽しんで欲しい。

もうひとつ別の『ピングドラム』の記事を、いま別の本のために、書いています。やっぱり、真剣につくられた作品には、徹底的に真摯な姿勢でのぞみたいですね。

『輪るピングドラム』は、どれだけギャグをやっても、心から愉快にはなれない作品だと感じています。でも、愉快になれないからこそ、気になって仕方がなくもあるのです。

あと、発売中の「ヤングガンガン」22号に、『輪廻のラグランジェ』総監督・佐藤竜雄さんのインタビュー記事が載っています。
このアニメは、ロボットが大暴れしてくれるし、気軽に楽しんでほしいですね。


用があったので、三鷹~吉祥寺を徒歩で往復。
04canwyjxk_5ここは三鷹駅に近いサッカー・グラウンドで、黄色いユニフォームを着た小学生たちが、どんどん集まってくる。
『がんばれ!ベアーズ』みたいな雰囲気があって、いつでも日曜日の匂いがする。

このグラウンドの向こうにマンションが並んでいて、小さな駅があって、玉川上水が線路を斜めに横切っている――それが、僕の街だ。
ここはコースに入ってないけど、日曜日に、この界隈では、初のデモがある。→
ピースフルなデモらしいので、今の僕の気分ではないけど、出来れば参加したいと思う。


九州の大学教授・弁護士が中心となって、やらせメールでおなじみの九州電力を訴えるようです。→
これは、九電管区の人たちしか参加できないのかな? ひとり五千円で原告になれます。

東京電力に関しては、株主ら30人が訴訟を起こすそうです。→
……「ざまあ見ろ」って感じですね。国立市は、東京電力と手を切り、エレネットと契約しました。これから、電力会社受難の時代が始まりますけど、ま、しょうがないね(笑)。

僕はもう、こういう直接的な方法でしか、彼らとは戦えないと思ってます。「早く公判が終わってくれないと、何もできないよ」と言っていたのは、そういう意味です。
……とか言っている間に、岩手県の瓦礫が、都内に運び込まれてしまいましたね。僕は反対署名もしたし、抗議の電話もかけたはずなんで、もう都民税は払わなくていいよね?

だってさ。ツイッターで、皆さん「絶対に許さない」とか書くけど、でも、何もしてない人がほとんどじゃないですか?
『ぼくのエリ』のボカシが気に入らないって、ネットで怒る人は大勢いたけど、誰が映倫まで質問状を投げたんですか。
そんなものは氷山の一角であって、「おかしいなあ」「腹立つなあ」と思っても、ネットが緩衝材になってしまう。学校給食について、校長先生とやりあっているお母さんたちは、本当にすごいですよ。ネットに甘えないから。

僕らは、「怒り方」をいうものから、まず学んでいかないといけないね。


吉祥寺界隈で、小学校のころのクラス会がある。翌日、「アニメレビュー勉強会」なので、アルコールは入れたくなくて、欠席することにした。
クラス会ではいつも、朝まで残る組だから……。それでいつも、寂しい思いをして帰る。

なんか、自分の人生って、「増えていかない」んです。ひとりが向いているんだろうな。

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2011年11月 2日 (水)

■1102■

蒼井優主演の『洋菓子店コアンドル』をレンタルしてきた。震災の一ヶ月前に封切られた映画。
これを選んだ理由は、もちろん蒼井優ならハズレはないだろう、ということ。もうひとつは、120分を切る映画がなかったこと。日常を舞台にした映画でも、平気で138分とか、長すぎるよね。

若いころは、3時間をこえる映画には、3時間なりの理由を発見できた。今は違う。ただ、だらしがないから、観客の生理を無視して、上映時間を長くしているかに見える。
今年は、映画産業が落ち込んでいるけど、けっして震災のせいばかりではないだろう。どっかで、観客を置きざりにしてきた。そのツケが回ってきたんだ。


そして、115分の『洋菓子店コアンドル』は面白かったんです。まんまと。
Co003この映画で、はじめて蒼井優を見た人は、べた惚れしてしまうだろうな。
だいたいね、映画は一秒間に24コマもあるわけで、優れた女優は、一秒に最大24種類の表現をしている。

何よりよかったのは、ラストシーン。カメラは据えっぱなしで、江口洋介が別れた奥さんに、お菓子を届けている(そのシチュエーションは、実は蒼井が仕組んだものである)。手前には、蒼井が助手席に乗ったクルマ。だが、助手席はフレームの外なので、蒼井の表情は見えない。
クルマのドアを開ける音がして、蒼井はトランクから、大きな荷物を取り出す。江口洋介は、気がつかずに奥さんと話している。蒼井は意図的に、彼らの存在を無視するかのように、カメラの前をかすめて、フレームの外へ出ていく。

実はラストに、もうワンカットあるのだが、そこでも観客の期待を裏切り、蒼井の表情は映らない。
このラストシーンでは、江口洋介の葛藤は氷解し、そのおかげで、蒼井優の感情も解放されたはずである。にも関わらず、シーン全体を支配しているのは「無関心」だ。
江口は、引きの絵で後ろを向いたまま、奥さんと話しているが、たいしたことは言っていない。蒼井にいたっては、彼らを振り返ることさえなく、別れの言葉すらなく、映画から退場してしまう。

蒼井が故郷へ帰ったのか、あるいは江口と約束したように、海外へ修行へ行ったのか、それは明示されない。ただ、蒼井のたたずまいは、とても寂しそうだ。
その「寂しそう」という部分を表現するのが、女優の役割なのである――。


江口江口と書いたが、蒼井優の天敵となる江口のりこも、素晴らしかった。
T0010521あと、今週末公開の『ハラがコレなんで』の予告が入っていた。仲里依紗の主演作としては、『純喫茶磯辺』なみに、質のともなったコメディになりそう。

「震災以来、フィクションが楽しめない」という人がいる。そういう人は感受性が強くもあるが、柔軟性に欠けてもいる。


さて、トラブルで停止していた玄海原発が、再稼働された。
僕は、停止請願に署名をしたが、当地に抗議電話をかけようとまでは思わない。それは、九州の人たちがやればいい。

僕は西日本の人たちに、「東京は被曝してない」「汚染野菜を食え」「デモなんか意味ない」と言われつづけてきた。電力会社も、いいツラの皮だが、国民もいい勝負してるよなって話です。

本日夜が取材で、仕事が奇跡的に早く進めば、参加します。
地元初のデモ、「パパ ママ ぼくの脱原発ウォーク 」 in 武蔵野・三鷹→
空気も水も食べ物も、もはや綺麗とはいえない。元には、もどるまい。でも、だからやるんだよ。

(C) 2010『洋菓子店コアンドル』製作委員会
(C) 2011『ハラがコレなんで』製作委員会

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