■1021■
この二~三日は、仕事しては風邪で倒れ、治ったかと思うと仕事の直しが来て、また風邪をひいて……の繰り返し。
今週末から週明けにかけては、いろんな人とお会いするので、風邪ぐらい、何とかしないといかんのですが。
「ヤングガンガン」の見本誌が届きました。
『輪廻のラグランジェ』の情報ページ「ラグりん通信」の第三回が掲載されています。隔週連載は、ふと気をゆるすと次のシメキリが来ているので、けっこう大変。
最近は、こういう地味なものか、ヒネリの効いた仕事ばかり来ます。
「好きに構成していいよ」と言われると、自分でもヒネリを入れちゃうし、たぶん、王道というか、ド真ん中には行けない人生なんでしょうね。
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昨夜、うとうとしながら、『ETV特集 ネットワークでつくる放射能汚染地図』の再放送を見ました。
これは5月放映だから、もう5ヶ月前か……福島の農村がズタズタにされていく様を追っていますが、いま見ても辛いです。
最近、気になっているのは、やっぱり食品。
岐阜市で、基準値の三倍近いセシウムを含む牛肉が販売されたとか(■)。もう、販売されちゃった後ですからね。
もともと暫定基準値が引き上げられているのに、サンプル検査しかしてないので、そりゃこうなるわな……。
僕は今、風邪をひいているわけだけど、何のための健康だろう?と考えてしまう。だって、外食するたびに、寿命を縮めているかも知れないわけだから。
関東のスーパーで抜き打ち測定したら、かなりすごい結果が出たそうです。
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もうひとつは、各地の汚染の広がりかなあ……。
足立区の小学校で、3.99μSv(除染ずみ)。葛飾区の公道で、最大0.67μSv(測定地点は公表せず)。
昨夜は『ブラタモリ』の録画も見たんですけど、去年の収録だから、まだ放射性物質が降りそそぐ前の東京なんです。「ああ、うらやましいなあ」なんて思ったり。
作家・ロックミュージシャンの山川健一さんは「ネガフィルムの世界」と表現していたけど、レイヤーが重なっているように感じるんですよ。東京を歩いていると。
「汚染」というレイヤーを外さないと、普通に歩けないような感じです。
あと、これは千葉県ですが、水源地近くに汚染汚泥が搬入されている、という話題。
主婦の方が、ひとりで署名を集めているそうなので、千葉県の方はぜひ。→■
僕も協力したいけど、県民でないと、法的効力がないそうです。――今の僕には、こんな戦闘力はないです。風邪だからじゃなくて、他のところで精神力を使ったので。
なので、せめて地元の話題。11月6日、井の頭公園駅集合で、パレードあり。→■
地元のことなので、無視はできないです。どうしても、「危険なのは福島」「いや、世田谷だけだ」「足立区だ、葛飾区だ」って、頭の中でラインを引いてしまう。
僕が6月に福島県へ行ったのは、そういうラインを消したいがためだったんです。
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……で、特にコレといった結論もないのですが、まずは「誠実に、自分の仕事をやりとげようぜ」という気持ちです。
仕事でお金がもらえるのは、他人の役に立つからですよね。「そういうお前は、好き勝手なことを雑誌に書いているだけだろう」と言われそうですが、それだって、読者さんのためにならないのであれば、方向性を改めるべきです。
決して、クライアントだけを喜ばすためとか、自分のギャラ最優先ではいけないのです。
僕はよく、ティッシュ配りを例えにだすのですが、あれは笑顔で配るから、見知らぬ人に受けとってもらえるんですよ。イヤ~な顔をして配っているとしたら、バイト代のことしか頭にないからです。
「どんな仕事も、他人のため」と意識すれば、世の中、ちょっとはマシになっていくはずだと思うのですよ。
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コメント
>特にコレといった結論もないのですが、まずは「誠実に、自分の仕事をやりとげようぜ」という気持ちです。
私も今はそんな心境。
目の前にあることを精一杯やりたい。
嫌だと、危険だと思ったら、反発したい。
除染を無駄だという人もいるんだけど、私はそんな事ははじめからわかっている。ただ目の前で、小さな子供達の体が被曝するのを見ていられないだけ。だから、高い数値がでたらすぐさま土を裏返したりする。それのどこがおかしいのか?って思う。
>「どんな仕事も、他人のため」と意識すれば、世の中、ちょっとはマシになっていくはずだと思うのですよ。
笑顔って大事。
いいよね、笑顔で仕事してる人って
投稿: ごんちゃん | 2011年10月21日 (金) 19時59分
■ごんちゃん様
土を裏返すのは、疑わしい食品を避けるのと同じことでしょう。靴の裏を拭いたり、マスクするのと同じだと思うけどね。
それで100パーセント防げないのは、もう分かってるんだよ。「少しでも減らしたい」努力であって。
放射能に、特効薬はない。それを理解しているから、せめてもの工夫をするのであって。
あと、今の事態に「結果」とか「終わり」はないので、考えながら、態度や行動を変えていくのは当たり前とも思う。
投稿: 廣田恵介 | 2011年10月22日 (土) 02時00分