■0906 チェルノブイリ・ハート■
昨日は、立川シネマシティで『チェルノブイリ・ハート』。正確には『ホワイト・ホース』という短編との二本立てで、両方あわせても60分ぐらい。
平日昼間の回だからか、客は10人程度。それで、僕は良かったと思っている。誰もが見なくてはならない作品ではない。
霞ヶ関の官僚たちと電力会社の社員には、強制的に見せるべきでは……とも考えたが、彼らは奇形の赤ちゃんを見ても、「われわれとは関係ない」と思うだけだろう。
――これは、嫌みではない。本気で、彼らは「原発事故は、われわれの責任ではない」「誰が病気になろうが、われわれの責任ではない」と信じている。そんな連中を相手にしているから、大変なわけですよ。
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見ていてつらいのは、最初の20分ぐらいだろうか。小児病棟をつぎつぎと訪れ、奇形の子どもたちを容赦なく画面に映す。「吐いた人がいた」と聞くが、この辺りは、確かに怖い。乱暴な看護士もいれば、ボランティアで働く人たちも出てくる。水頭症の赤ちゃんは、お金がなくて、適切な手術が受けられないのだという。
後半で、「チェルノブイリ・ハート」、つまり先天的心臓疾患をもって生まれた子ども達が出てくる。
有能な医者が、14歳の少女の手術を成功させ、両親は泣いて感謝する。――このクライマックスがね、綺麗すぎるのですよ。「彼らにとって、これは奇跡かも知れないが、私にとっては、ひとつの仕事をこなしたに過ぎない」と、きざな捨てゼリフを残す医者にしても。
似たようなことが未来の日本に起きたとしたら……と、仮定するからこそ(そういう仮定なしに、この映画を見る人がいるだろうか)、そんな楽観的な結論は得たくなかった。
手術の順番待ちの間に、ほとんどの子どもが亡くなっていくとテロップが出るが、そっちの方が重要じゃないか。
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もう一本、『ホワイト・ホース』は、20年ぶりに自宅マンション(原発から3キロ)に帰った青年のエピソードだが、これなら、飯館村の人たちのドキュメンタリーを見たほうが、身近にくやしさが分かる。NHKでやったんだから、そういうのは見ておかないと。
印象に残ったのは、障害をもった子どもが「病室のテレビが壊れた。テレビがないと退屈」と言っていたこと。
僕は、バラエティ番組が大嫌いだが、こういう子のためには、何も考えずに笑えるテレビ番組が必要なのかも知れない、と考えを改めた。
そして、ボランティアで子ども達を介護する大人たち――20年後、30年後の日本に、ここまで己を殺して働いてくれる大人が、いるだろうか? 僕は、いないような気がする。
みんな、日本政府は怠慢で思いやりがなく、最悪だと思っているでしょう。いや、国民もいい勝負してるよ。引き上げられた食品の暫定基準値を、みんな平然と受け入れているじゃないか。だから、子どもたちの口に、汚染された牛肉が入ってしまった。
教師は「給食がいやなら、学校に来るな」と言うらしい。親たちは、子どもにマスクもさせない。国民だって、十分に思いやりがないし、怠慢じゃん。政府を罵倒して、溜飲を下げているだけの人が多いけどさ。
まずは、自分の正義を疑うこと。たんなる潔癖症から「脱原発」と言っているのだとしたら、それは主張でも何でもない。「嫌煙」と変わらないよ。
(C)2003 ダウンタウンTVドキュメンタリーズ
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