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2011年7月31日 (日)

■0731 8ヵ月■

本日日曜日は、いわき市から、Nさん一家が、三鷹までおいでくださった。
ジブリ美術館へ行きたいとのことで、チケットをお送りしたのだが、帰りに、お花とお菓子をもって、立ち寄ってくれた。

網本武雄さんがくださった花が、ちょっとしおれてきていたので、母の祭壇は、いっぺんにに01ca998e0xぎやかになった。Nさん、ありがとう。

明日で、母が殺されて、8ヵ月にもなってしまう。
この間の進展といえば、父もとい廣田被告が起訴されると決まったのみで、いつまでも公判がひらかれる様子はない。

警察や犯行現場、検察庁へ行くための交通費なんて、誰も出してくれなかった。何十万かの葬式代も、私の貯金から捻出するしかなかった。

何人もの人たちが、花をもってきてくれた。
その間も、加害者である廣田被告は、生きつづけている。


優れた脳医学のルポルタージュ『脳の中の幽霊』によると、人間は四肢のいずれかを失うと、身体の別の部位に、その感覚を移植する。
つまり、失った右手の感覚を、たとえば鼻の先に動かして、「まだ右手はあるぞ」と錯覚させるのだ。
それとまったく同じことが、心の中でも起きるものと、僕は以前から考えていた。

つい先日もそうで、僕はガールズバーの女の子が、正月に空いた穴を埋め合わせてくれるものと信じた。
「得るためには、失わなくてはならない。より大きく失えば、得るものも大きい」。これが、僕の持論だった。空いた穴が、大きすぎただけだろう、とは分かる。

しかし、甘ったるい錯覚にもたれかかり、目を覚ますために、丸一日を蕩尽した。


『GALACTICA/ギャラクティカ』の傑作エピソードのひとつ、『心の闘い』の原題は「unfinished Untitled business」。心理学用語で、「いまだ決着していない、心の奥の問題」という意味だ。

息抜きで始めたボクシングの試合で、アダマ艦長は、仕事をすっぽかしてきたチーフを、本気で殴る。
「リングに立ったら、本気で戦え。――私は、諸君と親しくなりすぎた。戦いの途中なのに、ガードを下げてしまった」。
僕は、まだ、誰かに殴られる必要があるのかも知れない。まだ、奪われる必要があるのかも知れない。

まったくお金にはならないだろうけど、ちょこっと新しいこと、始めました。
理解者がゼロであっても、僕はやめないと思う。

Film (C)2006/2007 Universal Studios. All Rights Reserved.

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2011年7月30日 (土)

■0730 王子様も、お姫様もいなかった■

昨日、駅前のクリーニング屋に、シャツを受けとりに行ったら、明治大学のレナト・リベラ・ルスカ氏に呼び止められた。
学校が休みになったし、奥さんと出かけるのだという。レナトさんの奥さんは、日本人だ。想像していたより、よほど、ざっくばらんな感じの方だった。

そういう雰囲気って、人に波及しやすいのか、いつもは余計な口をきかないクリーニング屋のおばさんが、「雨、また降ってますか?」と話しかけてくれた。


それこそ、よせばいいのに、またガールズバーに行った。
執着を断ち切るには、相手に呆れられ、自ら呆れるしかない。金も時間も精神力もいるが、もっとも効率的な道すじだ。

他人の同情心など、二ヶ月ももたない。僕は知っている。夜の街では、二日ともたない。
いつまでも、身の上の不幸を、売り物にできるわけではない。友だちに、「結婚はさておき、恋愛はしたほうがいいよ」と言われたが、無理だ。正月に起きたことを「なかったこと」にしなければ、無理だ。

くだんのガールズバーに近づくと、すぐ店のオーナーが話しかけてきたので、例の子を指名した。相手は、迷惑だったと思う。
「実は、わたしの彼氏がね……」と、三回ぐらい言ったもの。「わたしの彼氏」って、それは魔よけの呪文だからさ。この一言で、一メートルは、遠ざかってしまう。
そうやって、執着心を消していく。それは、希望を捨てていく作業でもある。時には、必要なことだ。未練は、足かせになる。

誰か、「分かってくれる人」が、自分のそばにいるのだ――それは、亡霊のような思い込み。
僕は、彼女の好きな煙草を買い、箱のまま、彼女に手渡した。そして、一緒に煙草をふかした。
「なんだ、煙草をすう人だったのか」。たったそれだけで、もう失望してしまう。失望は、現実に目を向けさせてくれる。
(酒や煙草をたしなむ女の人は、好きなはずなんだけどね。夜の街を歩く男としては)

彼女は、新しい煙草の箱に、自分のフルネームを書いた。いい名前だった。しかし、どんな名前だったか、もう覚えていない。


彼女は、この店が引けると、同系列の朝キャバに勤務しているという。
その事実に失望しながら、結局、朝キャバまで着いていってしまう。ここまで来ると、もう幻想も愛着も、へったくれもない。
ガールズバーは、店内の装飾もいいし、言うことなかった。女の子たちの私服は、どれも素敵だ。しかし、朝キャバはひどいもんだった。王子様も、お姫様もいなかった。
「君もさっさと、あの酔客たちの相手をしたらどうなんだ?」 何度もそう言いかけて、やめた。

TSUTAYAで借りた映画は、『ツォツィ』と『ココ・アヴァン・シャネル』。
C333578view002後者のほうが、断然いい。素敵な映画だった。
ココとあだ名される彼女は、大金持ちの家に居候する。髪を短くして、いつも、男のような格好をして、世俗をきらい、野心があって――彼女は、最愛の人を失う。

映画のラストは、ひとり残された彼女の、ファッションショーだ。華やかなモデルたちに囲まれて、ココは、ひっそりと階段のうえにたたずむ。
幸せじゃないんだ。

僕には、幸せじゃない人の気持ちのほうが、よく分かるようになってしまった。
そのことで得した経験は、今のところ、ない。だけど、なぜか寂しくない。「ひとりでいる」ことは、いつだって自由だってことだから。

(C) Haut et Court - Cine@ - Warnerbros. Ent. France et France 2 Cinema

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2011年7月28日 (木)

■0728 たのまれグッバイ■

昨夜、いわき市行きの手引きをしてくれた、S氏と酒を飲んだ。
猛烈な勢いで『GALACTICA/ギャラクティカ』の話で、盛り上がる。「現実逃避させてくれない作品だけど、なぜか何度も見てしまう!」と。

S氏は、「眼鏡を忘れた!」と、店に戻っていった。ランプキンに盗まれたのかも知れない。


その後、よせばいいのに、吉祥寺で途中下車。今月三回目のガールズバーに寄った。

以前に、この店では、男性客と仲良くなれた……と書いた。→
その彼から、ちょくちょくメールがくる。そのメアドが、なかなか面白いので、「どういう意味?」と聞いたら、亡くなった先輩の言葉なのだそうだ。

いつものように水を頼み、少しずつ、酒を多くしてもらう。

朝が近くなり、客もまばらになった頃、僕の気に入っている子が、カウンターの前に立つ。あと三日で、お店をやめてしまうのだという。
この店では指名したことなかったんだが、それならば……と、指名する。少しでも、長く話していたかった。
(指名すると、一時間ごとにオリジナル・カクテルを出してくれるのだが、それはさておく……ともあれ、客に「損した」と思わせない、いい店だと思う)

「君がいなくなるんじゃ、もうこのお店にくる理由がないよ」「どうして? 他の女の子だって、みんないい子だよ?」
そんな謙虚さが、好きなんだ。その日は、シャツは地味だったが、帽子が洒落ていた。彼女は、どんな格好をしていたって、似合う。

僕は先日、友人に酒に誘われてから、ずいぶんと心が落ち着いていた。
なので、「この子には、知っておいてほしいな」と思い、母のことを話した。

彼女は、大粒の涙を、ぽろぽろとこぼした。慰めの言葉なんて、口にしなかった。
僕が話しおえて、話題を変えようとしても、彼女はカウンターの中に立ちつくしたまま、涙をこぼしつづけた。

店内には、誰もいなかった。
「貸し切りだね」と、ついさっきまで、彼女はいつものように笑っていたのに。
「満面の笑み」というが、いつも顔全部でわらっているような、そういう子だった。

僕は、泣かなかった。とぎれることのない彼女の涙を見ながら、いつか誰かのために泣こう、と思った。


「いいよ つきあってあげるよ
あの娘がくるまでだろ 気にすんじゃないよ
いいさ ベイビー なれっこさ あたしはね」

なんだか、『ボトムズ』の「たのまれグッバイ」が、頭を離れない。
僕の、夜の街への憧憬は、この曲が原点であるような気がしている。

どうして、やめちまうんだよ……。僕の憩いの場所が、またひとつ減った。

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2011年7月26日 (火)

■0726 歩いて行ける距離■

昨夜は、近くのスタジオで取材があり、なんだか体がだるかったので、冷蔵庫にある缶チューハイを飲んで、早めに寝ようと思った。
ところが、「もう何本か飲もう」という、いつもの性癖が出て、近所のスーパーへ。そこへ、小学校の友人が通りかかった。「せっかく酒を買いに出たなら、飲みにいこうよ」と言う。もう、23時をまわっている。

三鷹駅から、ちょっと歩いたところにある、焼き鳥屋に行く。

友人は、「何だか、最近のブログは病んでいるよ。だから、電話して、酒に誘おうと思っていたんだ」。僕は、どうして最近のブログが自虐的なのか、100パーセント、説明可能だ。だが、その理由をうまく話すことが出来なかった。
ともあれ、僕は、誰からも見はなされた気分だった。ここ何日もの間。

閉店に近い時間になると、マスターもグラスに酒を注いで、僕らと乾杯してくれた。この時間に店を閉めて、吉祥寺のハモニカ横丁まで行って、朝8時まで飲むのだという。
「自転車で行くんですか?」と聞いたら、「最近はタクシーだねえ」と苦笑していた。

それは、素敵な人生だと思った。


その友人は、原発の話なんて嫌がるだろうと思ったら、実体験を話してくれた。
仕事の関係で、柏崎刈羽原発の近くまで、行ったことがあるという。不思議なことに、原発付近の民家や企業は、電気代が半額。まず、通常料金でとっておいて、しばらくすると、口座に半額がキャッシュバックされる。
電気料金が倍になったら、とても生活できないので、当地の人たちは、反対できない。だから、電力会社はヤクザだというんだよ。

「そんなの、テレビでも新聞でも報道してないんじゃないか」と、友人は言う。やはり、情報は足でかせがないと。

ともあれ……、歩いて行ける距離に友人がいるなんて、とても素晴らしいことだと思う。
行きなれたお店、歩きなれた道。どんなに酔っていても、ちゃんと帰れる。
それをズタズタにする権利なんて、政府にも電力会社にもないよ……と、飯館村のドキュメンタリーを思い出してしまう。

僕は、昨夜の焼き鳥屋のある界隈が好きで、用もないのに歩いてみたりする。


福島県いわき市で取材させていただいた、学習塾経営のGさんが、お酒を送ってくださった。
26caobavqaお祖父さんが、お気に入りの酒だという。もうひとつ、Gさんのいとこが好きだというお菓子も、同封してくださった。

私は家族を失ったのに、知らなかった人たちの血縁と、味覚を通じて、つながっていく。
とても、不思議な気持ちだ。

お酒はまず、母の祭壇に供えた。

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2011年7月24日 (日)

■0724 忍野メメ■

キャラ☆メル Febri Vol.7 明日発売
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●渋キャラオヤジ列伝 第二回
お題は、『化物語』の忍野メメです。
好き勝手なことを書いているようだけど、やっぱり、『化物語』を、もう一度、ちゃんと見てほしいと思っている。どのアニメについて書いても、いつもそう思っている。
「この記事を信じられないなら、自分の眼で確かめてほしいなあ」って。

現実逃避するために、アニメを利用することは否定しません。僕もよく、くだらない映画を見て、ボーッとしていることがありますから。
ただ、アニメは、ふだんは気がつかないようなコンプレックスを反映してしまう。やたら、アニメの中の「生活感」にこだわる人は、現実では生活感がとぼしいのではないか?とか。

ただ、それを自ら認め、受け入れたとき、アニメは大切な友人になってくれるはず。アニメと向き合うことは、自分の内面と対峙することでもある。それを怖れる必要は、まったくない。
そんな気持ちで、この連載は書いています。

担当ページ以外でのオススメは、『宝島』カラー10ページ特集、キャラ表も掲載、新房昭之監督のインタビュー付きです。


昨夜のNHKスペシャル『飯館村 ~放射能と人間の記録~』は、衝撃的でした。
東京にも高濃度の地域がありますから、他人事ではありません。「でも、あれは福島県の話だろう?」と線引きしてしまうことが、もっとも危険です。

大阪の淀川からも、セシウムが検出されました。→
「今回、検出された放射性物質はごく微量で、水道原水をそのまま飲用したとしても健康に影響ないとしている」と、僕らも、さんざん、そう言われつづけました。まったく同じ。

一方、東京都は、独自に天然ガス発電所を建造し、原発に頼らずとも、電力不足の起こらない都市を目指すことになりました。→
石原知事の悪口は、必要以上に書いてきたと思いますが、これは、評価に値します。

個人的には、東京は、少し過疎化してもらったほうが、住みやすくなる気がしています。
東京がナンバーワンという時代は、もう終わっていい。各地方にも、東京にコンプレックスなんて、持ってほしくない。

どっちにしろ、都内に高濃度地域がある以上、人口の流出は止まらないだろうしね。


『マイマイ新子と千年の魔法』のDVD発売から、一年がたちました(23日)。
24gnj1004240501002p1吉祥寺バウスシアターで、お披露目イベントをやったことが、懐かしく思い出されます。

先日、総勢13名で、一周年記念パーティをやったそうですが、呼ばれませんでした。誰も、教えてくれなかった。
――つまりは、そういう立場なんです。署名をはじめたころから、逆風は吹いていた。知らない人から、説教はされるしさ。
あの時、僕は「これで、ライターも廃業かな」と決意した。何しろ、プロの立場をすて、ひとりのファンとして事を始めるわけだから。それなりに、覚悟は決めた。

結果、仕事は減らなかったけど、仲間は失った。
いまや、僕には福島県で『マイマイ新子』を広めてくれている人のほうが、大事だ。そういう意味では、DVDが出てくれて、本当に良かったと思っている。
常連だけで囲い込むから、広がらない。新しいファンが、気軽に触れられるようにすべきであって。


僕は、自分の人生を「罪ほろぼし」だと思っている。子どもの頃から、ずっとそうだ。なぜ、そう思ってしまうのか。

仕事に誠意をこめること、正月に起きてしまったこと、原発と放射能のこと。あと、一年前に熱心にやっていた『ぼくのエリ』問題とかね。
すべて、罪ほろぼしだ。だから、どれも手は抜けない。それだけのこと。

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2011年7月22日 (金)

■0722 東電前~経産省■

最悪な夢だった。
天変地異が起こり、外は昼間だというのに真っ暗で、ときどき、稲光のようなものが、地表に走る。「もう、都心のほうはダメだ、行かないほうがいい」との噂を聞く。
僕は、何組かの親子連れといっしょに、せめて東京の西側、被害の少ないであろう地域を目指す。だけど、それでも助からないと、僕には分かっている。しかし、とてもじゃないが、そんなことは口にはできない。

暴風雨のなか、乗りすてられた車、逃げることをあきらめて、道にうずくまっている人たち――。
僕は人々を引率してきたくせに、助けられないんだという罪悪感に、押しつぶされそうになる。そんな夢で、目覚めた。

昨夜、福島県いわき市のNさんと、電話で話した。
おそろしいのは、3月には危機感をもっていた主婦の方たちが、最近では、まるで無防備になってしまったという話だ。
原発のことばかりで、ぴりぴりするのは、確かに精神的によくない。「なるようになれ」という気分にのみこまれた方が、楽ではある……。

いつも、のほほんとしている女友達が、実は以前から食品の安全にこだわっていて、「スーパーへ行くたび、暗澹たる気持ちになる」と言っていて、ちょっと驚いたりもした。


だからというわけではないけど、2ヶ月ぶりの「東電前アクション」参加です。
今回のコースは、新橋駅前から、東京電力。そして、経済産業省へ。東電では、福島第一で働く人たちへ渡してもらうための寄せ書きを、担当者に渡す。
経産省では、さまざまな要望書を、担当者に出てきてもらって、手渡す。

ところが、東電前で、もうアクシデント発生(笑)。
22caohvx1k以前より、デモ隊が手前で止められてしまって、警官と押し問答。
デモ隊のなかから、「あなた、乱暴だわよ!」と主催者に注意する人もいて――つまり、一枚岩ではないんです。

実際、いろんな組織が「今度、こんな集まりがあります」と、ビラは配るし、マイクでアピールもする。
中には、「311前は、こういう活動はまったくしてなくて、原発のことも知らなかった」というお嬢さんも、混じっています。
しかし、それ以前から活動していた人たちもいるので、警官との小競り合いは、もう慣れている。いいとか、悪いとかじゃない。警官を挑発するのが得意な彼には、彼なりの正義がある。

同じように、東電を去る直前、「私は、あなた方を絶対に許さない。覚悟しておきなさい!」と泣いていた福島県出身の女の子も、彼女の正義を、しっかりと持っている。

これは、そういう殺伐としたデモなので、楽しくパレードする「エネパレ」とかとは違う。家族連れが来られる雰囲気ではない(笑)。


私は、ヤクザ同然の電力会社の在り方が、嫌いだ。競争にさらされぬ、その怠惰さも含めて。まっとうな企業じゃない。
経済産業省には、電子雑誌の売り込みに行ったことがある(クール・ジャパン室)が、まるで、氷のように冷たい連中だった。
そういう彼らの顔を見なければ、何もかも、話にならない気がしていた。

東電前から旗を持たされた私は、先導役のように、経産省への道をゆく。
22caei3xto保安院とエネ庁の若いのが出てきた。「どうしていつも、あなた方のような若い人しか出てこないのでしょう?」と問われて、「私が行くように、上から言われましたので……」。
ガキの使いですね。普通の企業なら、「絶対に」通用しません。そんな返事をしたら、次から仕事は来ませんよ。

彼らの、こうした甘えが、私は徹底的に気に入らない。
だけど、それは数メートルの距離から目視したから、言えるわけ。僕が参加した理由は、実は、それ以外にない。
それは、僕の正義ではないね。憎しみや逆恨みを、正義とは言わないじゃない?

あらゆること、取材なんです。取材って、相手を知ることが目的だけど、相手が僕の役割を教えてくれる。同じ空気を感じれば、おのずと分かること。
この夜、東京は寒かった。


僕には、僕に期待している人を、幻滅させたいという願望がある。
実際、僕に過剰な期待をもって近づいてきた人たちは、やがて失望し、いずれは敵に回る。そうした彼らのほうが、正しいように、僕には思える。

僕は、踏み台、跳び箱には、ちょうどいいと思う。皆、僕を跳びこえてゆく。飛距離は問題じゃない。着地点は、人それぞれだ。

――私のゆく道は、狭くて遠い。しかし、歳をとれば、そんなものなのかも知れないね。

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2011年7月21日 (木)

■0721 コクリコ坂から転げ落ちた私■

やっぱり、ジブリに期待している自分がいたんだなあ……と、『コクリコ坂から』を見て、思った。
見ている間、「これから面白くなるぞ」「よく見てみろ、背景は結構いいぞ」「音楽は悪くないよな」と、ポジティブな俺が、耳元で、ささやきつづけるのです。

映画館を出て、一緒に行った女友達の顔を見て、我にかえった瞬間、ちょっと悲しかった。実は、チョロッと泣きました。「俺は、ジブリに期待してたんだなあ」って。「俺のバカ!」みたいな感じ。失恋に近いです。

何がバカかというと、たとえば、2011年の深夜アニメに限定しても、『魔法少女まどか☆マギカ』があったし、『花咲くいろは』はある、『輪るピングドラム』はある……と、お楽しみの幅は、いっぱい広がっているわけです。僕は毎週、見ているじゃないか、って。
劇場アニメだって、『マイマイ新子と千年の魔法』を筆頭に、『宇宙ショーへようこそ』、『REDLINE』に『カラフル』と、この二年ぐらい、大豊作。『涼宮ハルヒの消失』も、衝撃的な出来でした。

それらを、「ジブリ映画を見に行く」瞬間に忘れてしまった自分は、なんてバカだったんだろう。そういう涙です。


スタジオジブリは、1986年、アニメ・ブームに陰りが見えはじめた頃に、誕生したスタジオです。だから、常に不退転の決意で、作品を作っていたと思う。
興行収入も、公開するたびに下落して、89年の『魔女の宅急便』の頃には「もう解散しようか」という話が出ていたほど。

それから20年、文化は豊かになった、ということです。
僕はある時期から、パタッとゲームをやらなくなったんだけど、『ラブプラス』抜きに、自分の恋愛観は語れない!なんて人は、結構いるんじゃないかな。
音楽だったら、初音ミクは欠かせない、とか。pixivはあるし、イラストを描く人が、こんなに多い国は世界でもまれでしょう。

90年代から、地方でのロケを円滑にするフィルム・コミッションが活性化、日本映画の企画の幅が、飛躍的に広がったことも、忘れてはいけません。
かつては、団券販売などで、かつかつ保っていた日本映画は、いまやハリウッド映画を凌駕する興行成績を誇っています。「邦画はダサい」なんていう人は、ウソのようにいなくなりました。

少なくとも、オタク寄りの若い人には、お楽しみの幅が無限にある。
昨夜、『コクリコ坂から』を見に行った友達は、『カーズ2』が楽しみでしょうがない、と。ピクサーの存在も、でかいです。『トイ・ストーリー』の公開は、96年。『エヴァ』ブームの最中ですよ。

『魔女の宅急便』は、片恋していた女性に誘われて見に行ったせいか、格別な思い入れがあります。
その感覚のまま、20年間、来てしまった。いまや、『時をかける少女』や『新劇場版エヴァ』が生涯ベスト・アニメだという若者は、少なくないでしょう。

僕だって、『GALACTICA/ギャラクティカ』という、人生を変えたといってもいいほどの作品に出会ったはずなのに、昨夜は忘れてしまっていた。
それが、恥ずかしくてね。


『コクリコ坂から』は、『ハリー・ポッター』『ポケモン』に次いで、初日三日間の興収第三位。最終的に、50億は見込めるそうです。
もう、その程度でいいのではないでしょうか。「目指せ100億」というプレッシャーが、スタジオに有効に働くとは、僕には思えない。

やや捨て鉢になっていたときのジブリ作品は、本当に愛おしいと思うので、僕は、これからもずっと好きです。
ただ、それがノスタルジアであることも、ちゃんと自分では分かっています。ノスタルジアであるからこそ、陶酔できるのであって。

さて、明日は東電前アクションに参加。理念だけの「脱原発」ではなく、明確に敵を目視しないと、戦いになりません。

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2011年7月19日 (火)

■0719 いわき便り■

福島県いわき市で、学習塾を経営しているGさん。→
なんと最近、『マイマイ新子と千年の魔法』にハマってしまい、DVDとムック本を買って、塾の生徒に貸しているそうです。
(Gさんは、アニメなど滅多に見ないそうです。そういう人の心に届いたのが、また嬉しい)

Gさんの塾には、「何年分?」というぐらい、マスクの入ったダンボールが山積みしてあったので、東京に戻ってからは、一度しか、お送りしていません。
二児の母のNさんのほうが大変そうなので、もっぱら、そちらへ送っています。

Nさんにも、『マイマイ新子』を送ってみようかなあ……。


さて、そのNさんから、今度は日本酒が届いたのです。
19carucwx4 百本ぐらいしか卸していない限定品だそうなので、大切に飲ませていただきます。

また、当地の情報も、いろいろ手紙に書いてくださいました。
「アクアマリンふくしま」がオープンしたので、ぜひとも来てください、と。秋に行くつもりだったのですが、今でも「東京より涼しい」そうで、同封されていた福島民報を見ると、たしかに毎日20℃なんです。すみません、30℃ぐらいのところが多いです。

ただ、アクアマリンふくしま近辺は、0.08μSvまで下がっていた放射線量が、最近、0.12ぐらいまで上がってしまった、とのこと。
家の前のトンネルと、ほぼ同じぐらいですね。マスクをして行くのは、本意ではないけど……。
それと、娘さんの小学校の線量。校庭が0.142(高さ1センチ)、0.151(高さ50センチ)……高い。これはやっぱり、マスク必要なんですよ。

あとは、小名浜港でとれる魚介類が、今年はまったく食べられない、と。「いわきの海の幸が食べられるまでに、あと何年かかるんだろう」。
福島の人たちが、こんなに地元のことを心配し、警戒もしているのに、あいかわらず寝ぼけたように、食べ物の心配をしていない東京は、もう首都の資格はないし、どんどん過疎ってしまえ、と思うのです。


Nさんは、ジブリ美術館にいらっしゃるそうなので、三鷹市の線量を。→

ホットスポットをのぞけば、いわきと三鷹の放射線量は、それほど変わらないというのが、私の印象。ジブリ美術館近辺は、野村羊子議員たちと、ちゃんと測ってきました。→

いま、必死に安全だと思い込もうと努めている人は、ろくに情報なんか集めてないですよ。
ネットで積極的に情報を集めて、本の二~三冊も読んだら、安心材料が消し飛びますから。そういう大人は、普段から、現実を直視する能力に欠けている。
自分に都合のいい情報しか見てないから、「みんな騒ぎすぎだ」と、精神論に逃げようとする。

僕だって、地震の直後は、「強い余震がある」という情報から目をそむけていたから、人のことは言えないんだけど……。
いま吹き荒れている風雨には、たとえ微量であろうが、放射性物質が混ざっています。マスクをするか、「放射能なんて無いんだ」と思うかは、それぞれの自由です。

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2011年7月18日 (月)

■0718 シュリンプ■

『マイマイ新子と千年の魔法』について、防府の同人誌「シュリンプ」に、原稿を書いた。

編集部の縄田さん、岡田さんから、とても熱い感想をいただいた。当初、この依頼には、かなり頭を悩ませた。一迅社から出たムック本をもって、『マイマイ新子』についての公の活動はおわりにしよう、と思っていたから。
防府に行く決意がつかないのは、なんとなく、自分にはその資格がないと思っているから。誰にも告げずに、コッソリと聖地巡礼したいという気持ちは、今も変わらない。
また、お世話になった方たちとは、お会いしたいと思っている。それは、最低限の礼儀だ。

基本的に、僕は常に自信がない。だから、隅っこでコソコソと生きているのが、向いている。
「シュリンプ」11号は、9月に発行予定。


昨夜は、お仕事で関東に出てこられているイラストレーター、綱本武雄さんと、お酒。(この日のために、一週間以上、禁酒したのである)
18ca1cqardおじさん同士なら、それほど、食に気をつかうこともない。

綱本さんは、関西で、反原発デモに参加したぐらい、意識の高い方だ。マスクの寄付も、いただいた。
三鷹在住の音楽家、楯 直己さんとも、同じお店で飲んだのだが――今回の一件があってから、本当に、多くの方とお会いするようになった。顔を合わせないと、気がすまないというか。
そして僕は、いつもなら秘密にしておくような話でも、ぺろっと口にしてしまう。酔っているからではない。この人になら、恥をさらしても大丈夫、どう思われてもかまわない、という感じ。

綱本さんは、母のために、立派な花束を持ってきてくれた。
自分の身に何が起きたのか、それはいつも、他人が教えてくれる。僕は引きこもり体質で、ひとりですごす時間が長い。だけど、この件があってからは、本当に人と会うことが多くなった。

いつも思う。絵や音楽の才能のある人たち、アニメーションをつくれる人たちは、生きのびてほしい、と。文化を残しほしい、と。
いわき市や、川崎市で出会ったママさんたち、その子どもたちの顔は、忘れられない。

家族もなく、才能に恵まれなかった僕のような人間は、この事態に役立つべく、「死に場所」を探すべきだ。それが、もっとも恥の少ない道だと、僕には思える。


三鷹駅で綱本さんとわかれ、僕は吉祥寺へ向かう。
駅を降りて、ガールズバーに直行する。僕にしては、それほど酔ってもいなかったので、女の子たちの所作、外で待っている客や、オーナーの挙動が気になる。
テーブルの上に出されたおつまみの中から、ハート形のクッキーを、女の子が見つける。「これ、当たりなんだよ! 食べてもいい?」
それが本当の本当に、幸運のきざしなら……どんなにラッキーだろうな、と僕は思う。

酔客が、女の子にからんでいる。「普通、そんなシャツ着ないだろ? どこで買ったんだよ」と、なかなかしつこい。
彼がトイレに立ったとき、その子に「あんまり、気にしちゃダメだよ」と耳打ちしたら、「だいじょうぶ、本当は、いい人だから」。
トイレから戻った彼と話してみたら、確かに、いいヤツだった。住所と電話番号とメアドをぐちゃぐちゃの字で書いて、僕に渡す。それを、さっきの女の子が、笑いながら見ている。

いま見ても、彼の書いたメモは、すばらしい。芸術的だ。
――ただ眠るだけの夜は、つまらないなあと、いつも思う。

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2011年7月15日 (金)

■0715 記者会見■

自由報道協会主催の、記者会見に参加してきました。
広瀬隆さんと、弟子である明石昇二郎さんが、東京電力幹部と原子力安全委員、山下俊一教授や文部科学大臣ら、計19名を「業務上過失致死傷罪」で、刑事告発したのです。

――「取材」と「報道」を目的とした会見なので、僕でもギリギリ、参加資格があるだろうと思ったのですが、なんと16歳の女子高生?までいた。さすがに、プロではないでしょう!
自由報道協会、ちょっと自由すぎるのではないか……と思ったが、記者会見というよりは、広瀬隆さんから、同業者へのメッセージの様相で、非常に感銘をうけた。

いま、ここに「資料」として、二通の告発状があるけど、これ自体に、すごい効力があるわけではないんです。
「これをヒナ型にして、あとは、あんたらがやるんだよ」と、そういう意味。


会見の後半は、一時間以上におよぶ質疑応答だったんだけど、自分語りする記者の、なんと多いことよ……。
それぞれの活動は、あなたなりの場で広めていけばいいじゃない。どうして、この場を利用するわけ?

「状況が悪ければ悪いほど、ここにいらっしゃる皆さんは、もっとやらなきゃならないんです……そういうことでは、ないんでしょうか?」 0715_002 これが、広瀬さんの基本スタンスです。それをね、誰もが、広瀬さんと自分の間に、線をひきすぎる。

つまり、広瀬さんと明石さんが刑事告発という手段をとった、それに期待しすぎる。他力本願だ、ということ。
ある記者が、「この刑事告発は、かなり困難な試みだと思うのですが、どう取り組んでいくんですか」と質問しました。「そういうことを、ジャーナリストが、言ってはいけないんです。こういうこと(刑事告発)をすると壁があるんじゃないか?という発言自体が、足をひっぱることになる。控えていただきたい」。
そりゃあ、そうだよ。
でも、言われても、わからないやつには、分からないものなんだよ。同業者でも。対岸の火事だと思っているから。

(録音してきたものを元に書いているので、正確に聞きたい人は動画を探してください。この刑事告発についても、もっと詳しい記事が見つかるでしょう)

ある人の勇気に感銘をうけたら、その人を乗りこえなくてはならないんだよ。
ただ、僕は誰にたいしても、それを強要することはできない。失うものがない人間が、やるべきだ。


誤解してほしくないんだけど、僕はアニメ業界の人たちまでが、「放射能だ」「原発だ」「刑事告発だ」と騒いで、アニメづくりを後回しにしてしまったら、逆に怒ると思う(笑)。
最大限に、気をつけては欲しいけれど、やっぱり、アニメをつくれるのは、あなたたちだけなんだから。
僕も、昼間は、アニメ本の打ち合わせで、二時間、ずーっとアニメの話ばかりしていたし。

日本は貧しくなるとは思うんだけど、文化がやせては、本当に国が滅びてしまう。
日本のアニメは、一万年後に残す価値がある。残すべきなんだよ。

最近、子持ちの友だちが、やっと首都圏脱出の話をしてくれて、かなりホッとしている。
最終的には、彼女の判断だけど、「いいんじゃない、悪くないよ」と言っておいた。何を優先するかは、いま、正確に決めておく必要はある。
僕は、修羅の道をゆくけどね(笑)。

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2011年7月14日 (木)

■0714 アッガイ■

EX大衆 8月号 明日発売
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●夏だ!海だ!水陸両用MSオールカタログ
最初は、「いっそのこと、アッガイのみの特集にしようか!」と話していたのですが、「念のため、水陸両用全般で」との判断をくだした編集者、えらい。

今回のインタビューは、バンダイの川口克己さんです。本当は、数百文字におさめるのがもったいないぐらい、熱く語ってくださったんです。
やっぱり、プラモデルって文化だと思うし、ガンプラからの視点をぬきに『ガンダム』を語ることは、僕にはできない……と実感させられました。

で、なんのかんの言いつつ、アッガイ濃度は高いです。
それはやっぱり、「水陸両用で」という、しばりがあったから。「制約」というのは、実はクリエイティブなのです。


昨日18時からの会見で、菅直人総理が、「原発に依存しない社会を目指す」と宣言しました。
もちろん、ただちに全原発が停止し、廃炉作業が始まるわけでは、ありません。しかし、「道しるべはできた!」と喜ぶべきでしょう。

もちろん、放射性物質が、消えてなくなるわけじゃない。
むしろ、個人にとっては、これから何十年も、同じ粘り強さで生き抜いていけるか?という課題が、残されました。

セシウムに汚染された牛肉など、端緒にすぎない。
いかに回避するか、あるいは元を断つかという問題なのに、「たかが牛肉、騒ぎすぎ」なんてつぶやいている方が、いらっしゃる。
悪いけど、そういう人は、西日本在住です。そして、悪いけれど、アニメ・ファンです。――何だ、「もし小さな子どもが食べたら……」と考える想像力も、現実におきている異常事態に対応する能力もないのか?

本当に、悲しくなる。「東京は被曝してない」「都民は汚染野菜を食え」。西日本の人たちには、ひどい言葉を浴びせられたよ。もちろん、全員じゃないよ。
それと、僕だって、アニメに現実逃避する。その代わり、必ず、現実に戻ってはくるんだよ。だけど、戻ってこない人も大勢いるんだって、心からガッカリしたし。

この4ヶ月、私なりにも長かった……。
もう、東京は、首都とほこれるような街ではありません。そう、いじめないで欲しい。


父の公判が、まったく開かれないので、検察庁に電話してみた。
はっきりと父のフルネームを言い、最後に「被告」とつけた。もう、あの男を「お父さん」と呼ぶことは、金輪際ない。「被告」だよ。

ところが、ちょっと呆れた。検察が訴えたくせに、いつ公判がはじまるのか、分からないという。
「向こうの弁護士さんに、聞いてみたらいかがですか?」「えっ、被告人の弁護士にですか?」「何か、知ってると思いますよ」。
オイオイ――どうして俺が、法廷で敵に回る連中に、頭を下げなくてはならないんだ? この戦いに、味方はいない!

何しろ、こっちがいくら名乗って、「被告の息子です」とくり返しても「ふーん?」と、空気のぬけたようなリアクション。人殺しの息子には、ずいぶんと冷たいんだな。検察庁・立川支部よ。

母が殺されて、もう半年以上が経過してしまった。放射能をばらまかれても、花だけは、一日も絶やしていない。

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2011年7月12日 (火)

■0712 ザ・コーヴ■

昨夜、かなり重たい仕事が終わったので、朝からTSUTAYAに行ってきた。
Photoまず、『ザ・コーヴ』。アカデミー賞受賞のドキュメンタリーなら、それなりに説得力があるだろうと思ったんだが、反対運動をしている人たちが、自分たちが困っているわけではなく、単に思想だけで行動しているのが腑に落ちず……って、原発反対に関しても、かつては、そう思っていたんだよな。

僕はイルカを食べたいとは思わないし、そんなにニーズがあるのか?と疑問を感じる。
劇中、イルカの肉は水銀汚染されており、クジラ肉と称して、市場に流通しているとの解説があり、エンドクレジットで「例外もある」「実際は未確認」みたいなフォローが入っていたけど、放射能牛肉が、どうどうと売られている現状、「こっちは、それどころじゃねえよ……」というのが、正直なところ。

イルカを殺している漁民たちは「日本の食文化」と言い訳していたが、もう、すき焼きで牛肉を奪い合う光景は、日本から消えるかも知れない。


もう一本、現状にたいして参考になるかと思い、『キャタピラー』。
映画館で予告を見てから、「こんな露悪的な映画、絶対に見ない」と決めていたんだけど、やっぱり、露悪以上でも以下でもなかった。
「こうあるべき」という理想が、ない。怒りが薄い、というのかな。

だいたい、寺島しのぶなんて、典型的な「私を見て」「私だけを見て見て」タイプの女優じゃないすか。
ハダカになったり、泣き叫んだり、汚いものを顔に塗ったりするのは、演技ではありません。AV女優が、日常的にやっていることです。

……気を休ませるため、映画を見はじめたのに、なぜか、現実と接点がありそうなものばかり、セレクトしてしまった。
なので、菅野美穂の『パーマネント野ばら』も、借りてきた。これなら、少しは逃避できるかも知れない。


僕の仕事は、アニメ関連でよかったと思う。
特に、最近は一本の作品に、丸ごとガッシリと組み合うような仕事が多いから、その間だけは、すべてを忘れて、熱中できる。

趣味として、アニメにはまっている人たち……「現実が辛くて、アニメ以外に慰めがない」と自覚している人たちは、実は、現実と対峙しているのだと思う。
ツイッターで、「何も、ツイートしていることだけが興味のすべてではありません」と言われて、「なるほどねー」とも思った。深刻な話は、アカウントを分ける、とかね。

ただ、「いちいち言わないだけで、心の中では、いろいろ考えている」というのは、他人から見たら「何も考えてない」のと同じですよ。
「私に対して、そのような印象を持つな」と、他人に命令することだけは、できないのです

僕もオタクだから、現実適応能力は、いちじるしく低いです。車の免許もないし、海外旅行もしたことない。
だけど、現在進行中の事態に対して、「何もしない」「言わない」という選択肢だけは、僕が僕に許さない。

金曜日は、こちらの記者会見に行ってきます。仕事ではないので、このブログしか発表の場がありませんが……。

Louie Psihoyos / the Oceanic Preservation Society

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2011年7月10日 (日)

■0710 川崎・夏■

川崎市に住む主婦、ナトーさんの呼びかけで、私を福島県いわき市への取材に導いてくれたS氏に来てもらい、付近の放射能測定と、簡単な情報交換会をやりました。

ナトーさんとは、『マイマイ新子と千年の魔法』の新座市での上映以来で、あの上映活動を成功させたごんちゃんも、同行しました。
10cab2qop4ごんちゃんは、新座の自宅付近の砂を数種類、採取してきました。
そのとき、公園の砂場で子どもを遊ばせていた人に、「最近、勝手に計測して、大げさに騒いでいる人たち、いますよね~」と言われたそうで。
……何度もいうけど、僕は、そういう人たちに「目を覚ましなさい」とかいう気は、一切ない。
仮に、僕らが正義や真実を見つけたとしても、それは、他人に無理強いするほどのものではない。

ともあれ、緑豊かな広大な団地(敷地内に、釣りのできる池まである!)を、二時間ほどかけて、粛々と測定してまわったのでありました。


屋外で測定する前に、ごんちゃんが発酵させた「米のとぎ汁乳酸菌」を、ナトー家のカーテン10342500648と玄関などに、スプレー。
除染効果は、0.01μSvほど下がった程度だけど、まあ、いいんです。こういうのは、楽しみながらやらないと、まったく意味ないんで。
まだ、第一号なんだし、改善していけばいい。

何箇所も測定してみて、ビビるほどの数値は出なかったんだけど、玄関は、外からの泥などを持ち込んでしまうため、やや高め。
あとは、いつも水溜りができるバス停付近の、地面。ここも、他よりは高かった。
正確な数値を得るというよりは、「A地点に比べて、B地点は高い」程度の把握ができればいい。
そうすれば、「玄関に入るときは、靴の泥を落とそう」などの対策が、見えてくる。

情報交換会では、もう何人か、ママさんたちが合流して、全部で、えーと、7人ぐらいか。
やっぱり、食生活をどうするか?という話になる。すでに、西日本から野菜をとりよせたり、水はウォーター・サーバーで……という人も、いる。

もはや、僕の意見することはない。
子どもたちは、まだ、昼間の熱の残る夕方の公園で、大声を出しながら、駆け回っていた。


今日の日曜日は、明け方ちかくまで眠れず、三時間もつづく悪夢にうなされて、目覚めた。
それは、ここ何日か考えていたことの、答えのような、道しるべのような――しかし、絶望を喚起する夢でもあった。

この世には、いわば、妖怪のような得たいの知れない人間たちが、僕らとは別のルール、別の倫理で生きている。
僕は、彼らと刺し違えたいと願っている。親に親を殺され、残った親を呪うしかない人間が、「天寿をまっとうする」などと、虫のいいことを考えているわけがない。

心は殺伐としていたけど、にぎやかな一日だった。
山ほど、マスクの寄付をいただいたので、また、いわき市に送ります。風の強い日には、東京でもマスクしたほうが、よいですよ。

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2011年7月 7日 (木)

■0707 明大講義■

昨日は、明治大学のレナト・リベラ・ルスカ講師の授業「未来社会の構造1 “Cool Japan”の再構築」に、ゲストとして呼ばれました。
05ca92nv59講義の内容は、「アニメの記事を雑誌に書くと、こんな苦労がある」が主軸でしたが、途中から、ランニング・ハイのようになってしまって、「若いうちに、いろいろ挫折したほうがいい」「中年になると、もう、とるべき道は少ない」「人と違った道を歩こうと思ったけど、その違った道にも、似たような人がいっぱいいた」など、人生論になってしまいました。
でも、教壇から見ると、そういう話をしたほうが、寝ていた学生も起きて、聞いてくれる。

質問が多かったのも、よかったです。初対面の大人に対しては、ずうずうしいぐらい、積極的に話をすべきだと思う。それは、若者の特権だから。
若い人には、山ほど特権があるんですよ。講義後の打ち上げで、ご飯をいっぱい食べるとか(笑)。
20代であれば、どんなに失敗しても、必ずやり直せる。

「深夜は萌えアニメばかりだけど、それを見ている人たちをどう思いますか?」という質問も、あった。「アニメは、セラピーになりうる」という話をしたけど、これは、数分でまとめきれる話題ではないのでね。→
「いま、何に興味がありますか?」という問いに対しては、「福島県のいわき市に、自主的に取材に行きました」と答えた。それだけで、察してほしい。この問題にたいしては、僕より、君たちに負担がかかるわけだから。


そのあと、レナト氏と学生数人で、餃子が売りの居酒屋で、飲んだわけですが。
05caxax7muやっぱり、ネットの情報やエロゲーが、アイデンテイティの一部を形成している人も、いるわけですね。そういう彼らは、別にコミュニケーション不全ではない。
……おそらく、コミュニケーション不全の人も、日本のどこかにいるだろうけど、そういう人は、打ち上げなんかに来ないでしょう。

僕は、ヘンリー・ダーガー的な生き方を認めているので、引きこもりの人を、外に連れ出そうとは思わない。
ニートが、無理に働く理由は、ない。特に、こんな社会に貢献する必要があるのか?と、今は強く感じる。
あらゆる人間は、あらゆる義務から、解放される可能性を、常に持っているべきだと思う。
(ただし、原子力ムラのジジイたちは、このかぎりではない)


さて、明大前から井の頭線で帰るということは、イヤでも吉祥寺に寄ることになる。
「まあ、原稿料も入ったし、いいかな」と思い、以前に行ったカラオケ・バーを目指す。僕が、母のことを話して、泣いたところだ。
しかし、なかなか見つからない。間違えて、小さなガールズ・バーに入ってしまった。
ガールズ・バーって、指名できないんだね。でも、こういう場では、とにかく誉められるところを探すことだ。「その服、似合うね」でも、何でもいい。たしなみだ。

そのバーは、なかなか良かったけど、とにかく、あのカラオケ・バーに行きたい。
雨が降ってきた。街頭に立っていた呼び込みが、「どうぞ」と、傘をくれる。「返さなくていいの?」「差し上げます」。だから、夜の街は、おもしろい。

「あっ、お客さんのこと、知ってますよ」と、またもや呼び止められる。とっくにつぶれてしまった店の、オーナーだ。新しい店をつくったという。しかし、以前の店にいた子は、他店にうつっていることを、僕は知っている。
義理で、そのオーナーの店に、一時間だけ滞在。
「いちゃキャバ」という新ジャンルがあると聞いたので、呼び込みに「どんな店なの?」と聞いてみたが、セクキャバと変わらない。つまらん。


ようやく、目指すカラオケ・バーを見つけた。以前は、しっかり手をにぎってくれたのに、今度はそっけない。
まあ、そういうもんだよね。人の同情心は、二ヶ月ともたない。僕は、よく知っている。さっさと、店をあとにした。

最初のガールズ・バーに戻った。
4人の女の子たちは、それぞれ個性的で、よかった。飲み物をおごっても、キャバより安い。また、行こう。

昼と夜とで、ギャップありすぎ。

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2011年7月 5日 (火)

■0705 オトナアニメ次号■

オトナアニメ Vol.21 8日発売予定
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●『魔法少女まどか☆マギカ』絵コンテ・ページ
4ページに、コンテと場面カット、解説をぎっしりと詰め込みました。
映像というのは、手でつかまえることが出来ないので、ノー・ジャンルでいっぱい見て、勉強するしかないのです。

僕は、映画監督になろうとして挫折、画家になろうとして挫折。それらすべて、今の仕事に役立っています。

『まどか☆マギカ』では、もうひとつ、「ライターおすすめの作品ガイド」というのに参加してます。

●『BLOOD-C』森下勝司プロデューサー インタビュー
『BLOOD』という実験的なコンテンツが、どうやって、10年間も生きのびてきたのか。
その経緯を知ったら、「今のアニメは、おしなべてダメだ」なんて、言えなくなります。ソフトが売れなくなってきているなら、じゃあ、どうするのか。もう、とっくに新しい試みが始まっている。
それならば、僕たちも、着目点や評価軸を、柔軟に変えないとアカンのですよ。


福島県いわき市に住む、Nさんから、手紙がきました。

以前に書いた、「川原で生物を観察する屋外授業」。先生たちの間でも問題視され、事前に線量を計ってみたら、0.4μSvだったそうです。僕だったら、ダッシュで逃げます。
ところが、「川の中には児童を入れず、周囲を観察する」ということで、実行されてしまったそうです。――これは完全に、数字に麻痺している。

それでも、Nさんのお子さんの担任教師は、みずからマスクをしてくるほどの方だそうで、クラスの全員に「長袖、長ズボン、軍手、タオル、マスク着用」と、伝えたそうです。
でも、他のクラスの子たちは、マスクすらなし……0.4μSvって、僕の家の前の四倍の濃度ですよ?

Nさんは、被災証明書を利用して、どこかへキャンプへ行こうと考えているようです(逆をいうと、被災証明書なんて、それぐらいしか役に立たないみたい)。
東京へいらっしゃる場合は、線量はこんな感じです。→
事故前の、新宿モニタリングポストの空間線量は、0.079μSvですから、奥多摩なんかは、低いですね。

それと、「三鷹の森ジブリ美術館はどうですか?」とのことですが、拍子抜けするほど、低かったです。
……と、ほとんど、Nさんへの私信になってしまいましたが、ジブリ美術館へいらっしゃるなら、市民特権で、チケットを買っておきますよ!


今週は忙しくて、明日朝が、アニメ会社で打ち合わせ、午後が明治大学での講義(ゲスト・スピーカー)です。
借りてきたDVDを見ている時間さえ、ない。

母に、花を買ってきたので、ベランダから鉢と受け皿を、持ってこなくてはならない。
正直、原発事故以来、4ヶ月近くも出しっぱなしの鉢を、部屋に持ち込みたくはなかった。3月に降った放射性物質が、たっぷり付着しているはずだから。
シャワーで洗浄してから、ウェットティッシュで丁寧にふいて(もちろんマスク着用)……まあ、この部屋に住んでるのは、俺だけだから。

最近よく、目覚めるときに「実は、放射能なんて東京には来なかった」と、ぼんやり夢想することがある。
別れた妻と、芝生の上に、犬を遊ばせていた頃、あのときには、放射能なんてなかったじゃないか……と、たまに懐かしく思い出す。

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2011年7月 3日 (日)

■0703 ハート・ロッカー■

たまには、アカデミー賞受賞作も、見たほうがいいぜ……。イラクで、爆発物処理の任務をこなす男を描いた、『ハート・ロッカー』。

実写映画は、不思議だ。ふいに、予想もしないものが、飛び込んでくる。
Hl_4_large砂漠の真ん中で、部隊が奇襲にあう。敵を倒すには、精密な射撃のできるライフルで、狙撃するしかない。が、狙撃手が撃たれてしまう。

やむなく、主人公の部隊の参謀がライフルを構え、主人公が真横から、敵の位置を知らせる。
弾を交換するのだが、何しろ、撃たれた狙撃手の荷物の中から、弾倉をさがしてくるわけだ。弾倉は、血だらけである。
弾に、血がついているのが、チラッと見える。――それが血でなくとも、僕らがふだん、見すごしている何かを、映画は拾いあげてくれるのだ。

果たして、血の着いた弾丸は、うまく機能しない。主人公たちは、自分の唾液をたらして、血をぬぐうのである。


このシーンには、ほかにも、すごいところがある。
敵は、堅牢な建物の中にいるので、持久戦になる。主人公のまつげに、ハエがとまる。
乾きにたえかねた主人公は「俺の荷物から、ジュースをとってくれ」と、怒鳴る。部下が飲み物を探すが、すべて空だ。
ようやく見つけたのは、パックに入った飲み物だ。主人公は、それにストローを刺す。……が、自分は飲まずに、隣でライフルを構えたままの、参謀に飲ませるのだ。彼とは、たいして仲はよくないが、今は、そんなことは言っていられない。

フィクションから得られたものを、現実に応用するために、僕は映画を見ている。娯楽のつもりで見はじめても、優れた映画からは、何かを持ってかえってきてしまうのだ。
(現実とフィクションをリンクさせられない人は、映画に点数をつけて、自分の現実と切り離そうとこころみる)
(自分で年間ベストテンを決めたり、見た本数を自慢する人と映画の話をして、面白いと思ったことは一度もない)

映画は、目で見るものではない。疑似体験とも、また違う。(だから、私は3D映画はきらい)
記憶と体感そのものではないか……という気がする。


原発や放射能の話をすると、怒り出す人たちを「解離」している、と看破した香山リカさんが、小出裕章氏に心酔する人たちを「引きこもり」だと、言っています。→こちら
この記事に対して、ツイッターでは、猛烈な反発がおき、「香山も、原発推進派だった!」と断罪する人まで、あらわれました。

……これでは、魔女狩りだよ。
そもそも、体をつかって反原発にアプローチした人なら、このていどの分析は、聞き流すでしょう。
私は、二回、デモに参加したが、それでも引きこもり体質だと思うし、適応障害の自覚もある。だからこそ、香山さんの意見には、腹が立たない。その一方で、小出教授の本は、二冊目を読んでいる最中だ。

「オタクが社会正義に目覚めると、痛々しいよね~」と言われる覚悟も、最初からできている。自己実現した結果が、いまの僕なのだから、それは受け入れる。
こうも思っている。映画と関係を結ぶにも、電力会社にケンカを売るにも、身体を使わねばならない、と。オタクだからこそ、ね。

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2011年7月 2日 (土)

■0702 ミツバチの羽音と地球の回転■

来週水曜(6日)、明治大学の「未来社会の構造1 “Cool Japan”の再構築」に、ゲストとして登壇します。
テーマは「ジャーナリズムのスタンスと大衆文化のアーカイブ作成に向けて」で、主にアニメ雑誌に書くことの難しさや意義について、語る予定です。
でも、脱線しても可とのことなので、けっこうダラッとやるかも。


昨夜は、武蔵野公会堂で、『ミツバチの羽音と地球の回転』の上映会でした。
Mitsubachi02135分ある、と聞いたときは「こりゃあ、最後まで見られるかな?」と不安になったが、ラストまであっという間。やっぱり、興味あるテーマのせいか、満席のお客さんもノリノリ。

正直、エネルギーシフトという言葉には、今の切迫した状況が反映されていない気がして、ちょっと眉唾だった。
映画は、まず、山口県祝島の人々の暮らしをとらえる。とにかく、彼らの明るくのほほんとした暮らし方と山口弁に、ホッとさせられる。

ところが、上関原発への反対運動となると、もうハンパない勢いなんです。
中電が、埋め立てに使うブイを用意すると、おばあちゃん達は座り込み。男たちは舟に乗って、中電の作業船の前に立ちふさがる。
中電の説得のしかたが、またすごいんです。「こんな老人ばかりで、第一次産業しかないんでしょう。島の将来があると、本気で思っているんですか?」――電力会社って、何様なんでしょうね。
それに対して、島民たちは「それで食ってるんだから、お前らに言われる筋合いはない」。
まったく、ポンと正論を言ったほうの勝ちだな。中電は、すごすごと帰っていき、島民たちは「二度と来るな!」

すごいことに、中電は、島の漁業組合だったかな、何の前フリもなく、いきなり5億4千万円を、振り込んできたそうです。その補償金を、ただちにつき返した祝島、カッコいい。


つづいて、映画は、スウェーデンの風力発電、バイオマス発電などを紹介。
『ぼくのエリ』のなかで、「原発が買えるよ」というセリフまであったので、すっかり原発大国だと思っていたら、これが、さにあらず。

スウェーデンには、電力会社がたくさんあり、国民に選択の自由があるのです。
映画の中で、電気自動車にのった人が、「日本だって、電力は自由化されてるんだろ?」「いえ、されていませんよ」「えっ、独占なの?」と、口をあんぐり。

やっぱり、日本が異常なんだよ。節電節電いってるけど、電力足りてるし。→こちら
映画は、ふたたび祝島の人々の戦いと、新しい試みを紹介して、明るく終わります。
まず、守るべき暮らしがあって、それを妨害しようとする敵がいて、その敵を目の前にすれば、がんばって、戦っていけるということ。
イメージ・理念だけで「脱原発」などと言っていても、原発は絶対になくなりません。

会場に、放射線測定会を開いた野村羊子議員がいました。「こういうことも、やってます」と、ちょっと照れ気味でした。
この映画は、原発事故の前に撮影されたので、外に出れば、放射性物質が舞っているわけで……。


帰り道、ペットボトルの水とお米を買いました。2リットルのペットボトルなんて、震災後、初めて買った気がする。(今は水道水を冷やして、飲んでいる)
これらは、さっき、気仙沼へ送りました。詳細はこちら

誰ですか、「救援物資は足りている」などという妄言を信じて、「何もしなくていい言い訳」を正当化している人は?
会社帰りにスーパー寄って、ちょっと余計な買い物するぐらい、誰にでもできるでしょう。


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