■0707 明大講義■
昨日は、明治大学のレナト・リベラ・ルスカ講師の授業「未来社会の構造1 “Cool Japan”の再構築」に、ゲストとして呼ばれました。
講義の内容は、「アニメの記事を雑誌に書くと、こんな苦労がある」が主軸でしたが、途中から、ランニング・ハイのようになってしまって、「若いうちに、いろいろ挫折したほうがいい」「中年になると、もう、とるべき道は少ない」「人と違った道を歩こうと思ったけど、その違った道にも、似たような人がいっぱいいた」など、人生論になってしまいました。
でも、教壇から見ると、そういう話をしたほうが、寝ていた学生も起きて、聞いてくれる。
質問が多かったのも、よかったです。初対面の大人に対しては、ずうずうしいぐらい、積極的に話をすべきだと思う。それは、若者の特権だから。
若い人には、山ほど特権があるんですよ。講義後の打ち上げで、ご飯をいっぱい食べるとか(笑)。
20代であれば、どんなに失敗しても、必ずやり直せる。
「深夜は萌えアニメばかりだけど、それを見ている人たちをどう思いますか?」という質問も、あった。「アニメは、セラピーになりうる」という話をしたけど、これは、数分でまとめきれる話題ではないのでね。→■
「いま、何に興味がありますか?」という問いに対しては、「福島県のいわき市に、自主的に取材に行きました」と答えた。それだけで、察してほしい。この問題にたいしては、僕より、君たちに負担がかかるわけだから。
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そのあと、レナト氏と学生数人で、餃子が売りの居酒屋で、飲んだわけですが。
やっぱり、ネットの情報やエロゲーが、アイデンテイティの一部を形成している人も、いるわけですね。そういう彼らは、別にコミュニケーション不全ではない。
……おそらく、コミュニケーション不全の人も、日本のどこかにいるだろうけど、そういう人は、打ち上げなんかに来ないでしょう。
僕は、ヘンリー・ダーガー的な生き方を認めているので、引きこもりの人を、外に連れ出そうとは思わない。
ニートが、無理に働く理由は、ない。特に、こんな社会に貢献する必要があるのか?と、今は強く感じる。
あらゆる人間は、あらゆる義務から、解放される可能性を、常に持っているべきだと思う。
(ただし、原子力ムラのジジイたちは、このかぎりではない)
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さて、明大前から井の頭線で帰るということは、イヤでも吉祥寺に寄ることになる。
「まあ、原稿料も入ったし、いいかな」と思い、以前に行ったカラオケ・バーを目指す。僕が、母のことを話して、泣いたところだ。
しかし、なかなか見つからない。間違えて、小さなガールズ・バーに入ってしまった。
ガールズ・バーって、指名できないんだね。でも、こういう場では、とにかく誉められるところを探すことだ。「その服、似合うね」でも、何でもいい。たしなみだ。
そのバーは、なかなか良かったけど、とにかく、あのカラオケ・バーに行きたい。
雨が降ってきた。街頭に立っていた呼び込みが、「どうぞ」と、傘をくれる。「返さなくていいの?」「差し上げます」。だから、夜の街は、おもしろい。
「あっ、お客さんのこと、知ってますよ」と、またもや呼び止められる。とっくにつぶれてしまった店の、オーナーだ。新しい店をつくったという。しかし、以前の店にいた子は、他店にうつっていることを、僕は知っている。
義理で、そのオーナーの店に、一時間だけ滞在。
「いちゃキャバ」という新ジャンルがあると聞いたので、呼び込みに「どんな店なの?」と聞いてみたが、セクキャバと変わらない。つまらん。
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ようやく、目指すカラオケ・バーを見つけた。以前は、しっかり手をにぎってくれたのに、今度はそっけない。
まあ、そういうもんだよね。人の同情心は、二ヶ月ともたない。僕は、よく知っている。さっさと、店をあとにした。
最初のガールズ・バーに戻った。
4人の女の子たちは、それぞれ個性的で、よかった。飲み物をおごっても、キャバより安い。また、行こう。
昼と夜とで、ギャップありすぎ。
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コメント
友達と「表のコミュニケーション」「裏のコミュニケーション」と読んでいるものがあって、例えば、この文章ですと、大学の講義は「表」で、居酒屋(やガールズ・バーなど)は「裏」。
「表」は公式で、「裏」は非公式。
「表」は客観的、論理的。「裏」は主観的、感覚的。
「表」はマニュアル本などがあるけれど、「裏」のそれはない。
どちらが重要ということではなく、どちらも重要だよな、とか何とか、友達といっているのですが。
>昼と夜とで、ギャップありすぎ。
苦痛に思っていなければ、ですけれど、それでいいんじゃないのですか。
少なくとも、女の子4人と知り合えたわけですし。
投稿: 浜長和正 | 2011年7月 8日 (金) 07時27分
■浜長和正さま
ご無沙汰してます。マスクの寄付、ありがとうございました。多すぎず少なすぎず、ちょうどいい量でした。
あと、また面白い分析をしてくださって、ありがとうございます。
>苦痛に思っていなければ、ですけれど、それでいいんじゃないのですか。
時たま、「裏」では失敗しますよ。
新人サラリーマンの月収ぐらいの金額を、一晩で使ってしまったこともあります。
そういう時は、自分の無計画さと罪悪感で、しばらく落ち込みます。
そういえば、講義で「キャバクラで遊べるぐらいの収入」という言葉を何度か使ったのですが、最初は笑ってくれた学生も、三度目には、笑わなくなりました。
まあ、女性も多かったですからね……。
投稿: 廣田恵介 | 2011年7月 8日 (金) 11時03分
マスクは量がわからず勘で買いましたが、そうでしたか。ホッとしました。
「表」や「裏」は、本田宗一郎さんなど昔の社長は、芸者遊びなどしていたそうだけれど、今のIT企業の社長は、そういう話をあまり聞かないね、とか、昔の大物政治家は愛人を大事にしていたとか、そういう話を友達としたことが発端でした。
酒の呑み方、勝負の仕方、女との遊び方、それらでは自分が出ますが、欲望とどう折り合いをつけるかというのは、学校では教えてくれません。
> そういう時は、自分の無計画さと罪悪感で、しばらく落ち込みます。
私もよく後悔するのですが、「ここから先に行ってしまうと、やりすぎて後悔する」というような、自分の欲望の境界線は見えませんよね。何かいい方法、ないですかねえ……
> 最初は笑ってくれた学生も、三度目には、笑わなくなりました。
笑わせるのが目的でしたのなら、同じ事を三度いうのはキツいように思いますね…… たぶん。
震災があって、慌ててオロオロしてメールを送ったりして、やがてテレビや新聞のいうことが信用できなくなり、色々な人と直接会って話をしてきましたが、日本はおかしい。
いま、ある会で傾聴を勉強しています。自分の話を聞いてくれる人がいない、という人が非常に多いですね。ツイッターやブログなど、自分の意見を発表できる場所は増えたというのに。
投稿: 浜長和正 | 2011年7月 8日 (金) 22時58分
■浜長和正さま
マスクの量は、そこにとどまるか、去るかによって決まります。福島県だけの問題では、ないですね。
>欲望とどう折り合いをつけるかというのは、学校では教えてくれません。
確かに、そうでした。
私は、「キャバクラでの遊び方」を教えるのに、十分な経験をつんでいますが(笑)。
>「ここから先に行ってしまうと、やりすぎて後悔する」
ビートたけしが、「なぜ限界以上に酒を飲むかと言うと、それから先を知りたいからだ」と、かなり前に言っていました。
それから先は、地獄の二日酔いしかないのですが……実は、それまでの間に、何か見落としている気もします。
>自分の話を聞いてくれる人がいない、という人が非常に多いですね。
それは、そうでしょうね。
聞き上手であることが、何より大事でしょう。「口はひとつだが、耳は二つある。それは、より多くの人の言葉を聞くためである」と、ネイティブ・アメリカンの格言にあります。
投稿: 廣田恵介 | 2011年7月 9日 (土) 02時03分