■0703 ハート・ロッカー■
たまには、アカデミー賞受賞作も、見たほうがいいぜ……。イラクで、爆発物処理の任務をこなす男を描いた、『ハート・ロッカー』。
実写映画は、不思議だ。ふいに、予想もしないものが、飛び込んでくる。
砂漠の真ん中で、部隊が奇襲にあう。敵を倒すには、精密な射撃のできるライフルで、狙撃するしかない。が、狙撃手が撃たれてしまう。
やむなく、主人公の部隊の参謀がライフルを構え、主人公が真横から、敵の位置を知らせる。
弾を交換するのだが、何しろ、撃たれた狙撃手の荷物の中から、弾倉をさがしてくるわけだ。弾倉は、血だらけである。
弾に、血がついているのが、チラッと見える。――それが血でなくとも、僕らがふだん、見すごしている何かを、映画は拾いあげてくれるのだ。
果たして、血の着いた弾丸は、うまく機能しない。主人公たちは、自分の唾液をたらして、血をぬぐうのである。
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このシーンには、ほかにも、すごいところがある。
敵は、堅牢な建物の中にいるので、持久戦になる。主人公のまつげに、ハエがとまる。
乾きにたえかねた主人公は「俺の荷物から、ジュースをとってくれ」と、怒鳴る。部下が飲み物を探すが、すべて空だ。
ようやく見つけたのは、パックに入った飲み物だ。主人公は、それにストローを刺す。……が、自分は飲まずに、隣でライフルを構えたままの、参謀に飲ませるのだ。彼とは、たいして仲はよくないが、今は、そんなことは言っていられない。
フィクションから得られたものを、現実に応用するために、僕は映画を見ている。娯楽のつもりで見はじめても、優れた映画からは、何かを持ってかえってきてしまうのだ。
(現実とフィクションをリンクさせられない人は、映画に点数をつけて、自分の現実と切り離そうとこころみる)
(自分で年間ベストテンを決めたり、見た本数を自慢する人と映画の話をして、面白いと思ったことは一度もない)
映画は、目で見るものではない。疑似体験とも、また違う。(だから、私は3D映画はきらい)
記憶と体感そのものではないか……という気がする。
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原発や放射能の話をすると、怒り出す人たちを「解離」している、と看破した香山リカさんが、小出裕章氏に心酔する人たちを「引きこもり」だと、言っています。→こちら
この記事に対して、ツイッターでは、猛烈な反発がおき、「香山も、原発推進派だった!」と断罪する人まで、あらわれました。
……これでは、魔女狩りだよ。
そもそも、体をつかって反原発にアプローチした人なら、このていどの分析は、聞き流すでしょう。
私は、二回、デモに参加したが、それでも引きこもり体質だと思うし、適応障害の自覚もある。だからこそ、香山さんの意見には、腹が立たない。その一方で、小出教授の本は、二冊目を読んでいる最中だ。
「オタクが社会正義に目覚めると、痛々しいよね~」と言われる覚悟も、最初からできている。自己実現した結果が、いまの僕なのだから、それは受け入れる。
こうも思っている。映画と関係を結ぶにも、電力会社にケンカを売るにも、身体を使わねばならない、と。オタクだからこそ、ね。
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コメント
廣田さま
『ハートロッカー』、狙撃シーンの苛立ちといったらもう・・・あのジュース、「生きているなぁ」ってため息が出ました。死んだら飲めないですからね。
あと、主人公がアメリカに帰国した時にスーパーで買い物している様が白々しくて。
ちょうど、僕が3.11直後にいわきから東京に戻った時のような気持ちなのかな、と。
>猛烈な反発がおき、「香山も、原発推進派だった!」と断罪する人まで、あらわれました。
この文章は『解離』に対するカウンターでは。反原発派の心にあるものをストレートにえぐり出している面があると思います。
『小出さん=ルサンチマンの象徴』というのは大いに納得できます、僕は。
投稿: かまた | 2011年7月 3日 (日) 23時05分
■かまた様
あのジュースのシーンは、すごかったですね。新兵が、ひとりでむさぼるように飲んでいる様子も。
>あと、主人公がアメリカに帰国した時にスーパーで買い物している様が白々しくて。
ものすごく、ひっかかりましたね。
今、あれは僕らにっては、日常ではありませんし。
「シリアルを買っておいて」と言われて、大量のシリアルを前に、立ち尽くすカットが、印象的でした。
自らの意志で、戦場へ帰っていく主人公。彼のように、その瞬間瞬間、やるべきことをやれるのが、理想的な生き方です。
>反原発派の心にあるものをストレートにえぐり出している面があると思います。
僕も、そう思います。レッテル貼りされる程度の自覚と覚悟ぐらい、もってほしいんですよ。芯がグラついている人が、こんなにも多いのかと。
そんな弱い人ばかりでは、数十年後、原発は百基ぐらいに増えてますよ。
ツイッターは、意見を述べたり、情報交換する場であって、何かを実現する場ではありませんね。
投稿: 廣田恵介 | 2011年7月 3日 (日) 23時20分
いいんですよ。
香山リカさんだろうが、小出裕章さんだろうが、自分が求めてると思った話は清濁なんでも聞いて、そこからですよ。
聞いたら聞きっぱなしで、なんかやり遂げた気になる。
その段階がひきこもりです。
投稿: てぃるとろん | 2011年7月 4日 (月) 00時12分
■てぃるとろん様
僕は、どんな意見や知識も、「参考程度にしかならない」と知りました。
自分の身体をつかって、何かをしないと、まるっきり意味ないんで。
誰にも勇気があるわけではないので、今の反原発ムーブメントは、沈静化してしまう予感がします。
投稿: 廣田恵介 | 2011年7月 4日 (月) 00時55分
>娯楽のつもりで見はじめても、優れた映画からは、何かを持ってかえってきてしまう
今ではめっきり映画から離れてしまったけれど...確かにそう思った。今はね、20代に観て美学を感じて泣いた作品を見直してみるのはどうだろうと考えてる。
>香山リカさんが、小出裕章氏に心酔する人たちを「引きこもり」だと、言っています。
なかなか興味深い意見だなと...3.11以降、私自身も自問自答。原発問題を必死に調べることで、理想が高まる一方で、なかなか行動が伴わない自分に苛立つこともある。だから情報は最低限でいいと思う。
3.11以前まで「ひきこもり」や「ニート」であったけれど、社会に飛び込んで全て自己責任で生きる決心をしたというならば、分かるけど「親や誰かに守られながら」理想を唱えても小出さんに怒られるだけけだと思う。
投稿: ごんちゃん | 2011年7月 4日 (月) 04時30分
■ごんちゃん様
>今はね、20代に観て美学を感じて泣いた作品を見直してみるのはどうだろうと考えてる。
いやー、けっこうガックリするもんだよ。
新しい映画を見たほうが、絶対にいい。今の歳でないと、価値に気づかないものが、山ほどあるよ。
>だから情報は最低限でいいと思う。
その限界を突破するために、勉強会をやるんだよ。個人では、どうしても限界がある。
僕は最初、三鷹・武蔵野さえ守れればいいと思っていた。だけど、各電力会社を解体しないと、原発はなくならない(停めても再稼働される)と分かった。
どうすれば、電力会社とケンカできるか、考えている。
>「親や誰かに守られながら」理想を唱えても
それより、「ネットの中だけで」反原発を唱えているだけの人が多いのが、はっきりしてきた気がする。
署名サイトにリンクするだけで、自分は署名しない人なんて、いっぱいいる。
安全なところから、「脱原発」なんて言っても、内容が空疎かするだけであって。
石を投げられる覚悟ぐらいは、しないといけない。
投稿: 廣田恵介 | 2011年7月 4日 (月) 09時07分
>いやー、けっこうガックリするもんだよ。
ええ...そう〜??
まあとにかく、来年からはK太郎も園児だからドンドン観ようかなと思ってるんだ〜映画に限らず、何でもかんでも見まくろうと思ってる。ある意味、20代の頃に勝る勢いを自分の中に感じてるの!
>個人では、どうしても限界がある。
だから凄く楽しみにしてるの!勉強会参加してるママさんはどうやら「線量」が気になって参加するらしいので、それ以外の「革新的な部分」でどう考えてるのか、知りたいし。
反原発やその他の署名はけっこうしてるんだけど、まだやれることが他にもあるのか....色々考えるきっかけ&アイデアが浮かぶといいんだけど。
投稿: ごんちゃん | 2011年7月 4日 (月) 18時59分
■ごんちゃん様
20代のころに感動したものは、やっぱり、20代のころに見たから、価値があるのであって。
今の歳だからこそ、「わかるわかる!」という作品は、若い頃より、むしろ多いと思う。
>反原発やその他の署名はけっこうしてるんだけど
僕ももう、数え切れないぐらい、署名したよ。
でも、同じ人が署名しているだけで、広がってないような徒労感も……。
脱原発のムードは、十分に盛り上がっているでしょう(これから脱落してくる人が出てくると思うけど)。
あとは、具体的に何をするのか。
安全な食品を確保するにはどうするのか、電力会社の日本支配をやめさせるには、どうしたらいいのか。
投稿: 廣田恵介 | 2011年7月 4日 (月) 19時17分
>今の歳だからこそ、「わかるわかる!」という作品は、若い頃より、むしろ多いと思う。
それはあるだろうね〜。
あきらかに10年前は「母親」ではなかったわけで。それだけでまったく変わるに違いないし。大きな環境の変化でそれまでの価値観に新しい「価値」が加わるとか...あるよね。しかし、人間はそう変わらないね〜大人(であること)って難しい。
>脱原発のムードは、十分に盛り上がっているでしょう(これから脱落してくる人が出てくると思うけど)。
ムードだけではなく実現目指して行動をする人でありたいし、信じられる人と沢山出会いたい。これはかなり重要な気がするよ。
投稿: ごんちゃん | 2011年7月 5日 (火) 01時08分
■ごんちゃん様
たとえば、映画の中で、雨が降っているシーンなんて、もう直視できないよ?
それが、原発事故前に撮られた映画であれば、「雨の中で跳ね回ったりして、うらやましいなあ」と思ってしまう。
そういう、皮膚感覚を失ってしまうのが、僕は怖い。そして、このような状況を招いた政府と電力会社が、憎い。
この感覚は、ぬぐおうとしても、ぬぐいきれるものではないね。
>ムードだけではなく実現目指して行動をする人でありたいし、
いま、午前と午後の11時に「原発、なくなれ」とツイートするのが、ツイッターで流行っている。
念じて停まるなら、こんな楽な話はない。敵は、電力会社と政府、原発立地だよ。スローガンで「脱原発」なんて言っても、いまや意味がない。
投稿: 廣田恵介 | 2011年7月 5日 (火) 01時45分