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2011年4月30日 (土)

■0430 スーフェス■

昨日のスーパーフェスティバル56にお越しになった皆様、ありがとうございます。
やはり、ギムレット氏のレゴ作品の反響が凄く、多くの方が、写真を撮っていました。中には30caa7l1h5記者さんもいたようで、GAグラフィックの記事にもなっています。→こちら
左の写真は、電子書籍について相談にのってもらったパトリック・マシアスさん一行。ケーブルテレビの取材だったようです。

僕も思わず、ギムレット氏に「プロになったら?」と言ってしまいました。少なくとも、レゴ・ジャパンは注目してもいいのではないかな。そうしたら、ギムレット氏もパーツ不足に悩まずにすむ。
まずは、レゴモデルビルダーの直江和由さんと河森正治さんに、作品の写真を送ってるかな。

前回と同じく、僕が勝手に「ディズニー屋さん」と呼んでいるディーラーが参加していた。
30cagnve66やはり前回同様、片付けギリギリに駆けつけて、「お金とってくるので、取りおきしといてください!」とお願いして、ティンカー・ベルのスタチューを購入。
ギムレット氏は「4千円は高い!」と言っていたけど、ティンクのグッズは、迷っているうちに消えてしまうので。

何人か、知り合いの方も見えて、望んだとおりに、のんびりできた一日でした。


スーフェスのあとは、高校時代の友人と、朝まで酒。

歌舞伎町のキャバクラにも行ったんだけど、座るなり、「ホテル行こうよ」とささやかれる。出ました、違法デートクラブ。
卓上の写真を撮っていたら、「ダメよ、撮っちゃ」と怒られる。無視していたら、今度は従業員が「ちょっと、お客さん」と文句を言いにきた。

その人間が何を怖れているかで、品格が分かるね。俺は、店外の写真もバッチリ撮ってきました。
セックスしたかったら、最初からそういう店に行くよ。他人に性欲をどうこうされるのが、一番いやなんだ。人のパンツの中をのぞく権利は、誰にもない。

気分転換にカラオケに行き、80年代のアニソンをいろいろと。ヴァージンVSとか。すごく楽しかった。


僕が原発について発言しているのは、『マイマイ新子と千年の魔法』の署名活動や『ぼくのエリ 200歳の少女』で映倫に質問状を送ったりしたのと、なんら変わらない。
「間違っている」と思ったことに対して、アクションを起こしているだけだ。
アニメやプラモも大事だが、原発問題も大事。

「これは、デモに出ている場合ではないな」と思わされたニュースは、川崎市の阿部孝夫市長が、福島県の瓦礫を運び、市内で処理するという話題。
美談に聞こえるが、「放射性物質も一緒に運ばれてくるのでは?」という懸念がある。それに対して、川崎市は何の対策もとるつもりがないようだ。→こちら

福島出身の阿部市長は、「故郷の痛みを分かち合いたい」と思ったのかも知れない。しかし、首都圏全域を巻き込むような義侠心は、ジジイのノスタルジアでしかない。
断固として抗議しようではないか。市長あてのメールは、こちらまで。

俺は、自分が助かりたいとは、たいして思っちゃいない。父親に母親を殺された人間は、自分の人生に、明るい希望など持てるものではない。
しかし、将来ある子供たちは別。20ミリシーベルト撤回要求の署名は、本日23時まで。大人なら、大人の職務を果たそう。

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2011年4月28日 (木)

■0428 ねこタクシー■

昨日は、よほど疲れていたのか、セットしてあったアラームを消してまで睡眠続行、『100000年後の安全』は見られず。
O0515029010591557500代わりに、レンタルしてあった『劇場版 ねこタクシー』を。もちろん、山下リオが出ているから。

テレビシリーズの好評を受けてつくられた映画らしい。90分もたせようと、あれこれ工夫している。
仕事というのは、すべてが「問題解決」だ。映画とて、例外ではない。この企画が持ち上がった時点で、それを公開日までに制作するという「問題」が課せられる。山下リオだけを、出っずっぱりにするわけにはいかない。予算も決まっている。そんなことを考えさせられた。


シーン転換のカット頭に、注目してみる。カメラは、緩やかにドリー移動しているか、人物を小さく捉えるときは、ピタリと決まった構図から始まる。
前者は、前シーンの流れを受けている。後者だと、一度、流れがリセットされる。

イマジナリーラインは、何度も無視されるが、これはポジションが良ければ、たいして気になるものではない。唯一、保健所の事務所のシーンが明らかに不自然だったが、ロケセットなので、カメラを置く場所が限られていたためだろう。
――映画が気持ちよく見られるというのは、カットが軽やかにつながっているか、という問題でしかない。

山下リオは『魔法遣いに大切なこと』のはかなげな雰囲気から、ずいぶん、芯の強いキャラクターを演じられるようになった。
あとは、芦名星の女性ドライバーが、つなぎを着て、車を整備するシーンにしびれる。女だてらにエンジニア……というのは、割といいかも知れない。


今日はどうやら、原発関連のことを書かなくてすみそうだけど、それは昨夜、怒り疲れたから。
「日本政府は、ナチスと変わらない」と書いたら、フォロワーが減ったけど、構いはしない。

しかし、これだけは切なるお願い。
“子どもに「年20ミリシーベルト」を強要する政府決定の撤回を要求する署名”の最終シメキリが、30日23時に迫っている。ぜひ、お力を借りたい。→こちら

いま、豊田有恒氏の『日本の原発技術が世界を変える』を読んでいる。まずは、原発推進派の意見から拝聴しようではないか。


明日、29日のスーパーフェスティバル56に参加します。
C-28「Hard Pop Cafe」、もともとは『メガゾーン23』同人誌「フェスティバルタイムズ」および「2325」を販売するためのディーラーなので、興味のある方は、お立ち寄りを。
Ca9lgjvx私は、こういうのを持っていく予定。

これ、「まんだらけ」で買い取ってもらえなかった本なんだけど、たとえば、これは100円で売る。……なんか、もったいないような気もするけど、もう値札つけちゃったからな。

明日は、スーフェスの後、呑みの予定なので、ブログはお休みです。

(C)2010「ねこタクシー」製作委員会

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2011年4月27日 (水)

■0427 ウォッチメン■

母の遺品をとりに、犯行のあったマンションへ行く。
27ca47mbim近くには、このような河川敷がある。最初に来たときは、ただ薄ら寒いだけだったが、今日は小さな花々が咲いていた。

母の殺されたマンションの一室をどうするかについては、親戚の間でも意見が分かれていたのだが、「自分は釈放されて、この部屋に戻れる」と信じている父の意向を、最大限に尊重し、弁護士に委任することにした。
彼らは、人殺しにも権利があると主張しているので、せいぜい頑張ってもらおう。

親戚のひとりは、この部屋を「ケシゴムで消したい」と語った。
僕は人殺しの息子であるから、血の点々と残るこの部屋を、踏破せねばならない。
母の鏡台から、僕のプレゼントしたニンテンドーDSが見つかった。べっとりとこびりついた血が、白い筐体の上で黒く酸化していた。

「ケシゴムで消したい」。たとえば、誰もが福島第一原発を、消し去りたいと思っているだろう。一切の責任や、恐怖から逃れるために。
マンションの部屋が、放射性物質を出すわけではない。しかし、ここは「小さな福島第一」だと感じる。
僕だって、本当は近寄りたくないのだ。


昨夜は、レンタルで『ウォッチメン』を。
娯楽作だと思っていたのだが、ここでも原子力が大きなモチーフになっている。
Images核実験中の事故によって、万能の力を手に入れた、Dr. マンハッタン。彼の近くにいると被曝してしまい、ガンを患う――という設定、これは後から陰謀にすぎなかったことが明らかにされるが、ゾッとさせられる。

しかし、冷戦下を舞台にした物語は、ノスタルジックだ。
Dr. マンハッタンに罪をきせることで、核戦争寸前だった世界は一致団結し、恒久平和が実現する。

クライマックスで『見張り塔からずっと』が流れるが、同じ楽曲を使った『ギャラクティカ』シーズン3の方が、俺は好きだね!

CGをCGと分かるように使ったザック・スナイダーの映像は、「どこまでが本物か」見極めようとする努力を、放棄させる。「どうせ、ぜんぶCGなんだろう」という開き直りは、諦めに似ている。
この辺の感覚は、3Dアニメの在り方も含めて、じっくり考えてみたい。


ドキュメンタリー映画が見たくなってきたので、今から仮眠して、体力が戻っていたら『100000年後の安全』を見に行く。

やっぱり、行きたくもない場所へ行き、10分でも15分でも過ごすのは、疲れるのです。
そこに、母の魂は存在しないと分かっている。だからこそ、自分とは無縁の場所なのに、(加害者の息子であるから)義務を押しつけられている気分になる。
ただ、母の死だけを嘆くだけなら、それほど楽なことはない。

Copyright (C) 2008 PARAMOUNT PICTURES. All Rights Reserved. WATCHMEN and all related characters and elements are trademarks of and (C) DC Comics. Smiley Face Logo: TM Smileyworld, Ltd.

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2011年4月26日 (火)

■0426 一年前■

忘れないうちに書いておきますが、一年前の今ごろは、吉祥寺バウスシアターで『マイマイ新0005_1_00070子と千年の魔法』が上映二週目に入った頃でした。
いま思い返すと、連絡のつかなくなった人もいるし、複雑な気持ちではありますが、雪のとけた青空の下のドカン、福田麻由子さんへの花束贈呈、「まさか」と目を疑ったチケット売り場の長蛇の列……何もかも、輝いていました。

署名活動は、この頃になると、「あんなことをやったから、支持者の少ないことがバレてしまった。逆効果だった」と言われるようになる……だけど、僕の敵は、松竹のような旧態依然とした配給会社であったから、それは気にならなかった。

『新子』のお陰で、映画館と直接(あるいは電話で間接的に)話す機会ができた。
証言を総合すると、松竹は想像以上にクソで、今でもクソでありつづけていると思う。署名開始当初、「配給会社を攻撃してはいけない」と忠告してくれる人もいたが、非難にさらされながらも、敵を見誤らないことのほうが、よほど大事だ。

僕が、落ち着いたところで『新子』と再会するのは、母を殺され、本を作りおえた後であった。
さらっと書いたが、今年のことだ。2月10日。その一ヶ月後に、震災が起きる。

母の不在を、何とか合理化しようと焦る気持ちが、僕と『新子』とを、深いところで邂逅させてくれた。
残れされた僕が、いま何を残そうかと考えはじめている。


朝、さらにスーパーを回って、ラモス瑠偉さんの実行している救援活動用の物資を買い足した。
Ca7sodxsひとつの店で買い占めるわけにいかないので、いくつかのスーパーを回り、少しずつ集める。

この物資の運ばれる小渕浜を地図で見ると、確かに見捨てられそうな、半島の先に位置している。
ラモスさんは、現地に行ってみて、何が足りないか熟知しているのだ。そんなことは、彼のブログを見れば分かる。それなのに、「救援物資は、余っているのではないか」とお節介なメールが来たようだ。
自分から始めず、後乗りしてくる連中は、いつもそうだ。先頭に立っている人間を、無知と決めてから、話しにくる。まったく建設的ではない。

僕は、いろいろ不合理なことを言っていると思うが、行動だけは実効的にしたい。効力さえ期待できれば、主義主張は後回しだ。
40代は若くはないが、まだ重たいものを運んだりはできる。やらない理由は、ないじゃないか。


なるべく、アニメや映画の話をしたい。震災以降、僕は二重人格のように振舞っている。
なぜ、われわれにフィクションが必要なのか、ということも考えている。母の死と『新子』の関係は、レアケースかも知れないが、もっと深く考えてみてもいいかも知れない。

『電波女と青春男』には、震災前、まだ深夜のコンビニが心地よかった頃の余熱を感じる。ノスタルジアだ。
主題歌を何度も聞いていると、とても懐かしい気持ちになる。

(C)高樹のぶ子・マガジンハウス/マイマイ新子製作委員会

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2011年4月25日 (月)

■0425 昭和■

「なんで、東京から避難しないの?」と周囲から言われて、ブチきれていたラモス瑠偉さんが、ブログで救援物資を集めて、自ら見捨てられた被災地に送り届けていたのは、知っていた。
28日深夜、ラモスさんの仲間が再び被災地へ行くので、物資を集めている。→こちら

朝から、駅前でレトルト食品と缶詰、電池を買い集めた。昼過ぎに来る予定の友人にも、メ25caltm52k ールでお願いした。友人が帰ってから、さらに買い足す。
急な申し出に、「俺も協力したいから」と答えてくれる友人で、よかった。

自分が何もしない言い訳は、もう、うんざりだ。
勤め人の方は、週頭だから忙しいと思う。フリーランスの俺は、時間に自由がきくので、これぐらいのことはする。


Twitterでは大いに話題になったが、ソフトバンクの孫正義社長が、自然エネルギー財団の設立を宣言した。→こちら
昨夜も、原発容認派、現状維持派の人の意見を読んでみたが、どうしても、孫さんへの妬みや嫌みが入る。彼らは、アンチとしてしか、自分の居場所を確保できないようだ。

むしろ、本当に原子力を必要としているのは、原発建設で潤っている町である。
その辺りの構造を分析した、イヤ~な記事を読んでしまい、「原発は麻薬」「原発マフィア」という言葉が脳裏をよぎった。

一方で、福島県からの転入生に、平然と「放射能がうつる」と言ってのける子供がいるという。
いつの時代の話だ、と耳を疑う。その手の偏見やイジメは、僕らが、昭和の時代に置いてきたはずの疾病だったんじゃないのか。

家の便所は、僕が幼稚園の頃、まだ汲みとり式だった。便器の中をのぞくたび、この世には、見るもおぞましい穢れたものが潜んでいるのだ……と背筋が寒くなった。
幽霊とかオバケ、光化学スモッグやヘドロ、おぞましいものはすべて、あの薄暗い便所の奥からやってきた。

孫さんのビジョンは素晴らしい。まぶしすぎるぐらいだ。
しかし、僕らは手を切ったつもりになっていた「穢れ」を、昭和の便所の奥に追い払わねばならない。


「人々は、そこで子を生み、育て、そして死んでいった」――『機動戦士ガンダム』冒頭のナレーションである。
40代の人たちは、そろそろ「死んでいく」準備を、つまり子孫に何を託すのか、決めていこうじゃないか。いい年こいて、自分のためだけに生きようなんて、思っちゃいけない。

自己実現なんて、若いうちにすませておいて欲しいんだよ。40代は若くない。腹をくくろう。

昨日から、狂ったようにリンクしまくり、友人にもメールで呼びかけている「緊急声明と要請:子どもに『年20ミリシーベルト』を強要する日本政府の非人道的な決定に抗議し、撤回を要求」の署名。今夜23時が第一次シメキリ、まだ間に合う!→こちら

盟友、レナト・リベラ・ルスカ氏にも、連絡ついでに署名をお願いしたのだが、僕のブログを見て、すでに署名ずみなので「ご心配なく!」とのこと。
ラモスさんといい、東京の外国人たちは、元気だ。

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2011年4月24日 (日)

■0424 ミーティング■

あまり、気のすすまない選挙に行き、現職市長に反対票を投じる。

その後、いつものファミレスで、明治大学のレナト・リベラ・ルスカ講師とミーティング。電子書Cae6l4a2_2籍(アニメ誌)についてだが、今回は、意外なルートで仲介していただき、プレゼン先が決まっている。運がよければ、構想から一年で、創刊準備号に、こぎつけられるだろう。

しかしまあ、これをアニメ誌と呼ぶかどうかは、我ながら難しいところだと感じる。それゆえに、業界と直接関係のない方たちからも、協力を得られているわけだが。

レナト氏、「モデルグラフィック誌の座談会は面白かったけど、ちょっと、意見が合わないところがあります」。スタジオぬえの先鋭的すぎるデザインを、日曜昼間の電波に乗せるのは、いかがなものか?――というくだりである。
僕の思いは、『マクロス』の勝利は、バルキリーというマーチャン・ダイジングの勝利なので、せっかくのデストロイドが、不遇でならない……この、一点に尽きる。

デストロイドのデザインは素晴らしいが、それをあのタイミングで消費して正解だったのかは、いまだに疑問。

ちなみに、レナト氏の生まれたペルーでは、『マクロス』と『トランスフォーマー』が同時期に放映されており、「なぜ違う番組に、そっくりなメカが出ているのか」悩んだそうである。


デストロイドといえば、「プラモデルを越えた!」と評判のギムレット氏のディフェンダー。
Lrg118730_0_843405これらのレゴ作品も、スーパーフェスティバル56で展示予定(と勝手に私が決めている)。
……と思ったら、トップページに「開催しないかも知れない」みたいなことが書いてあるじゃないの。でも、スーフェスは、もともとアバウトなところが魅力なので、中止になっても腹は立たない。

卓番/ディーラー名は、「C-28/Hard Pop Cafe」です。
開催後に呑む約束をしている人は、予定通り、呑みましょう。


友人の言葉を借りるなら、原発推進派であろうが反原発であろうが、これは関係のない問題だ。「年20ミリシーベルト」を強要する日本政府の非人道的な決定に抗議し、撤回を要求→署名
これに署名して、あなたが失うものがあるのなら、どうか教えてほしい。急を要するので、明日の午前11時までの署名、どうかご協力を。

グリーンピース・ジャパンなんて、ちょっと前の俺からすれば、秘密結社も同然だった。しかし、いまや、公然の秘密結社は、東電と日本政府だ。
この後におよんで、原発推進を是とする人は、何か、特殊な思想の持ち主に見える――彼らの意見を読んでも、マチズモというか、男根主義というか、「ここで折れたら負け」「危険と隣り合わせて生きるべし」とでも言いたげな、凶暴な根性論を感じてしまう。

あんたはいいが、子供たちまで危険に付き合わせるな。それだけだ。

ペルー生まれ、イギリス国籍のレナト氏の意見は明快で、「百年単位で管理の必要な施設が、たった30年で3回も大事故を起こした。割に合わないでしょう」。

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2011年4月23日 (土)

■0423 チャイナ・シンドローム■

ほんと、勘弁してください。2日連続で、選挙カーに叩き起こされました。
税金で走っている選挙カーに、納税者が睡眠妨害される。これは民主主義と呼びがたいので、破壊すべき慣習です。

用事があって吉祥寺に行ったのですが、こっちも選挙カーがすごい。三鷹駅前に戻ってくると、今度は現職市長の清原慶子の選挙カーが、真横を通り抜けていきました。俺は清原に入れるつもりでいましたが、これでチャラです。

ここ数日で、選挙に対する考え方が変わりました。現行のシステムでは、民意を反映できない。20~30代の若者は、引きつづき、選挙をボイコットしてください。せっかくの日曜日なので、友だちや恋人と遊びに行くべきです。
そして、人の話を聞けるオトナになってください。


スリーマイル島事故に前後して公開された『チャイナ・シンドローム』を、レンタルで。
China公開当時の宣伝では、終末感ただようパニック物という印象だったが、驚くほど地味な内容だった。
原発に致命的な欠陥が見つかり、それに気がついた職員が制御室に立てこもる。彼は、ジェーン・フォンダ演じる人気アナウンサーに頼んで、施設の欠陥をテレビで告発しようとするが、電力会社に暗殺されてしまう。

ラスト数分間は、テレビ局内の画面を映しているので、モニターが二つ並んでいます。
左側のモニターでは、電力会社の役員たちが現場から立ち去る中継画面。その右側のモニターは、コマーシャルを映しています。電子レンジのCMです――映画の中の視聴者は、何も知らないまま、電子レンジのCMを見せられている。
この演出には、唸りました。


しかし、実際の原発事故は、もっとジメジメしたものでした。
ニュースでも流れたので、見た人も多いと思いますが、福島第一原子力発電所で作業に当たっている人たちは、防護服のまま、固い床に寝起きさせられています。
食べ物は、レトルト食品と缶詰め。いったい、作業員の方たちは、何の罰を受けているのでしょう?

人権も慈愛も尊厳もへったくれもない、この映像を見て、1995年につぎつぎとテレビで暴露された、オウム真理教の施設群を思い出しました。あの美意識の欠落ぶり。
せめて、作業員の方たちには、もっと栄養のいきとどいた食事を届けられないものか……。


救援物資を送った、岩手県の特定非営利活動法人から、お礼の手紙が来ました。あんな小さな荷物、行方不明になっているかと思いきや、ちゃんと届いたようです。
「今後もご協力のほど……」と結ばれていました。まだまだ、終わってません。
避難所では、肺炎が流行っていると聞きました。マスクで自衛するよう、「NHK科学文化部」がツイートしていましたが、日本には医者がいないのでしょうか?

明日は、楽しいオタクなことを書きたいのですが、形骸化した選挙制度といい、怒りと不条理で頭がパンクしそうなので、今夜は、ご勘弁を。

(C)SONY PICTURES

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2011年4月22日 (金)

■0422 まどマギ☆ナイト■

大みなと祭 パンフレット
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●『真剣で私に恋しなさい!』声優座談会

5/8開催のイベント「大みなと祭」用パンフレットの中の、『まじこい』座談会を取材・構成。浅川悠さん、友永朱音さん、氷青さん、伊藤静さん、後藤邑子さん、それぞれ魅力的な方たちでした。(写真も載ります)

秋にアニメ化されるとはいえ、「PCゲームのCDドラマ版」というのは、自分の守備範囲ぎりぎり。メーカーの広報の方に、助け舟を出してもらいながらの、楽しい取材でした。


告知です。29日(金曜)、科学技術館で開催される「スーパーフェスティバル56」に参加します。
U_mディーラー名は「Hard Pop Cafe」、卓番は「C-28」。
写真のグラージほか、ギムレット氏渾身のレゴが数点(展示だけです。売りませんよ)。同人誌「フェスティバル・タイムズ」のバックナンバー、「2325」などを販売します。

私は、本棚からこぼれたアニメ関係本などを「廣田文庫」として放出します。エッチな本はないです。いや、『ふしぎなメルモ』は、俺からすると、十分にエッチなのですが。


昨夜は、『魔法少女まどか☆マギカ』最終3話をリアルタイム視聴。
明け方のTwitterで、放映直後の余韻を語り合うのは、格別に贅沢な時間でした。制作サイドは、テレビ放送をイベント化しようと考えていたかは、ちょっと分かりませんけどね。割と、そこまで深読みすると、外れるんだよな(笑)。

俺はとにかく、ここまで話題を持続させ(しかも震災を越えて)、楽しませてくれたことに最大級の賛辞を送ります。
ラストで、どうこうなるような作品ではないです。だいたい、いい映画っていうのは、ラストシーンほど、どうでもいい。過程が大事です。


『フラクタル』のBDを買いました。
22capk4lma第一話の絵コンテ・演出は山本寛氏、第二話は神戸守氏です。どちらが「上手い」かというと、圧倒的に神戸さん。だけど、「面白い」のはヤマカンなんですよ。

『かんなぎ』の再放送を見て、主人公の目線の高さが、気になった。主人公がヒロインと和室に座っていても、めったに俯瞰にならない。部屋にカメラを据えたように、ほとんどのカットが、主人公の目の高さ。

そこに留意して、第一話を見ると、ヒロイン(フリュネ)は空を飛んでおり、主人公(クレイン)は見上げるしかない。
フリュネは岩の上に落ちる。それを助けにいくクレイン。しかし、またしてもフリュネはクレインよりも「高いところ」に落ちていて、両足をひっぱって下ろすしかない。(このあたり、かなり無茶な芝居になってしまっているけどね)

ここでクレインは、倒れたフリュネを初めて「見下ろす」。なぜかというと、クレインがフリュネを助ける立場になったから。
部屋に移ってからもそうで、フリュネをベッドに寝かし、クレインは椅子に座っている。つまり、フリュネを「見下ろしている」。
Image_3ところが、フリュネが起きると、ちょうど2人の視線が同じ高さになる――つまり、「2人が目を合わせ、正面から見つめあうまで」のドラマが、出会った瞬間から始まっているのです。

だって、フリュネが上半身裸になって、背中に薬を塗ってもらうシーンでは、視線が交わってないもの。
2人が目を合わせて後、三人組が家をたずねてくるシーンでは、フリュネを椅子に座らせたのが上手い。ここで再び、クレインがフリュネを「見下ろす」構図になる。それは、このシーンでは、クレインがフリュネを守る側なんだ、ということ。

そういうところに(無意識に)こだわるのが、ヤマカンの良さじゃないですか。


みんなはどうか知らないけど、俺は「優れているから、その作品が好き」ということはないです。「劣ったところが多いけど、一生懸命」――いや、どんな手抜きでも、その作品が世に出たからには、必ず意味がある。

「俺の好きな作品は、質的に優れている」という気も、ありません。ただ、いいところを見つけてあげようじゃないか。俺なら、見つけられるよ? それが「好き」ということです。


(C)フラクタル製作委員会

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2011年4月21日 (木)

■0421 大吉■

ひさびさに、悪夢で目をさました。内容は、シャレにならないので、書きません。

昨日の昼間は、友だちと深大寺へ行ってきた。
Ca9qo9ok特に何の用があるわけでもなく、ぶらぶら歩いて、そばを食べて、美しすぎて現実味のない風景を見ていたら、なぜか悲しくなってきた。

その友だちは、割と敬虔ぶかい人なので、付き合いで本堂に向かい、手を合わせてみた。俺の柄ではないんだけれど、「日本をお救いください」と祈っていた。他に、思い浮かばなかった。
その直後に引いたおみぐしは「大吉」で、「何でも思うようになる」と書いてあったので、ちょっと安心した。

その後、新宿まで送ってもらって、ちょっとだけ酒。
バーで『日本沈没』(もちろん旧作)のDVDをかけてもらい、「国会で上映しろ」「政治家は全員見ろ」と盛り上がる。


それにしても、選挙カーが多かった。
選挙カーを走らせなきゃいけない理由もあるそうだけど、これでは若者たちに「選挙に行け」などとは、俺の口からは言えません。

「深大寺の、この美しい緑を守るためにも!」と叫んでいたが、お前の声のみが、この美しい景観の中で、唯一の邪魔なんだ。アドリブで、適当なこと言うなよ。政治家になりたがるヤツは、このような連中ばかりなので、やはり「若者よ、選挙に行け」とは言えません。

政治家は、主張するだけではなく、人の話を聞きなさい。選挙カーで名前を連呼するのは、納税者に「お前らの声なぞ聞かん」と言っているのと変わりません。

人から信頼されるには、人の話を聞く以外にない。
なので、俺は新宿紀伊国屋で、本を2冊買いました。


市民グループの調査で、母乳から放射性物質が検出されたそうで、この問題の大きさは、決して数字などではない。ジャーナリスト 木下黄太さんのブログ(こちら)から、言葉をお借りするなら、「本来ならば、国、厚生労働省、産婦人科医たちが取り組まなければならないポイントを、市民グループが先にはじめているというシビアな現実」。まさに、これ。

なので、Twitterで「数字を見るに、心配するには当たらない」とツイートして悦に入っている方は、日本政府と変わりません。「日本政府と変わらない」、これは、世界で一番の罵倒の言葉となってしまいました。


本来なら、俺だって『花咲くいろは』の愛おしさについて語りたいのです。『日常』の狂気について語りたいのです。
とりあえず、『フラクタル』のBDの発送通知が来たので、今夜はこれを愛でることにします。

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2011年4月19日 (火)

■0419 東京原発■

最近は人気者で、明日の昼は友人と会い、夜は仕事で知り合った方と酒です。よって、明日こそは、ブログ更新はお休みです。
木曜は、二日酔いの体を起こして、スタジオまで素材を取りに行き、夜は画像の指定をして入稿。たった5ページなのに、えらく手間どる。

父は、拘置所にいながら、厄介ごとを振りまいています。周囲が、どれだけ迷惑をしているか、まるでおかまいなし。自分は釈放されて、母を殺したマンションへ戻れると信じているので、手に負えません。


2004年に公開された、『東京原発』を見ました。
T0001948a映画に罪はないのですが、映画の中で語られていることは、この一ヶ月、テレビやネットで得られた情報未満のものでしかありません。
MOX燃料が、高速道路などを使って普通に輸送されているというのも、事実だそうです。
(マチガイを指摘したサイトもあるので、ググってみてください)

映画のクライマックスは、カージャックされた燃料輸送車の爆発を食いとめるという、やや苦しまぎれなサスペンスです。「ここまでの騒ぎになれば、さすがに反原発に世論は傾くでしょう」という言葉を一蹴し、都知事が東京に原発を建てることを宣言して、映画は終わります。

ひとつ勉強になったのは、「ドイツはフランスと地続きだから、フランスから電力を買える」。島国の日本は、そうはいかない――なるほど。

昨夜、ニュースを検索していて、腹ただしかったのは、大分県知事の発言です。→こちら
大分県は被災地支援に積極的なのに、こういう開き直りに近い発言を見てしまうと、心の底からガッカリします。
関東から西は、こういう空気なんでしょうか。


昨日、首を痛めてしまったので、ひさびさにマッサージ屋へ。
3月11日の話だけしていると、まるで「ちょっと大きな地震があったね」程度のゆるさ。店内は、節電されています。横で揉んでもらっているオバサンが、ツイッターの話をしています。
三鷹に閉じこもっていると、まるで、すべてが収束したかのような錯覚をおぼえます。

3歳のお子さんを持つ作家の方が、このような「決意」をなさいました。→刹那の心
明日から、どう生きていこうが、完全に自由です。
私は、母を救えなかった。だから、今度は逃げない。また、母が苦しんで死んだので、楽に死のうとも思わないのです。

(C)2004 東京原発Film Partners 

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2011年4月18日 (月)

■0418 AKIRA■

気がつけば、4月も、もう後半。
18caj5gf9jイラストレーター、天神英貴氏の取材、終了。
(左は、氏が趣味で描いた有名なおっさんキャラ)

「アイレベルを、自分の眼の高さに置く」。それは描画テクニックの話だけれど、思想でもあるよね。「いつも、自分から見える場所を探している」。
この人の言葉には、ジョークはあっても、ウソはない。

後半は、やはり震災の話になった。
担当編集氏が、高円寺デモに参加していたと聞いて、ちょっと驚いた。他の編集に落とされた企画を、この人なら拾ってくれるかも知れない。


昨夜は、チャンネルNECOで『AKIRA』が放映されていた。
アキラは、覚醒の「覚」と書くのだと思うが、おぼろげに、その意味が分かったような気がする。単細胞生物以前、空気や水にまで「覚」が宿っている、という発想は、やはりLSDでも服用しないと、出てくるアイデアではない。
Akira0122原作漫画は、その辺がもうちょっと露骨で、薬を使って能力をコントロールしていた鉄雄が、あるときから「もう薬は必要ない」段階へいたるのは、まさしくサイケデリックス(精神展開薬)だと思う。

いま気がついたけど、原生生物以前の根源的な「生命」に思いが至ったからこそ、大友克洋は『蟲師』を撮ったのかも知れない。


以前に、ケイたちが施設に侵入するシーンのカット割りについて書いたと思う。
今回は、地下水道で、フライング・プラットフォームに襲われるシーンを「上手い」と思った。まず、このメカのデザイン自体、たいして強そうにも怖そうにも見えない。だけど、「来られたらヤバイ」という危機感を出さないと、いかんわけですよね。

そこで有効に使っているのが、光。フライング・プラットフォームはサーチライトをつけているので、光の触れた部分は、明るい色で塗られる。その面積が広くなると、「危ない」となるわけです。
サーッと天井をなでた光が、次には金田たちに当たる。それまでカゲ色だったのに、急に明るい色になり、「来るぞ!」というセリフが入る。このカットに、フライング・プラットフォームは、まったく映っていない。だけど、ジョーズの背びれのように、「ピンチの信号」として光が使われている。

そして、フライング・プラットフォーム自体が光を発しているので、画面の中央にいるのに「よく見えない」というのもポイント。
セル画時代のアニメの制作(特に撮影)には、想像を絶するものがあるけど、こういう部分を、よく見なくてはね。


そして、石棺されたアキラと、そのエネルギーを「自由に扱えるようになる」と楽観する科学者。怖いですね。
政府がアキラの存在を隠蔽しているのに、民間ではダダ漏れになっているというのも、今の日本によく似ています。「来年はオリンピックなんだ!」と叫ぶ政治家も、誰かさんに似てますな。

(C)1988マッシュルーム/アキラ製作委員会

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2011年4月17日 (日)

■0417 明日■

明日は、やや遠いところへ取材に行くので、手短に更新したいと思います。
31ntr0x9jrl__sl500_aa300_媒体名は伏せておきますが、インタビューイは、イラストレーターの天神英貴さん。お会いするのは、昨年の個展以来になります。
(←その時に出された画集)

天神さんは、震災時、仕事で海外におられたようです。
私を感動させたのは、帰国後、被災した自宅の周りを写真に撮ったり、震災当時の自宅近くの動画を見つけては、淡々とTwitterにアップしつづけていたことです。
昨夜も、出かけるときに、変わりはてた近所の様子を撮影して、言葉少なにアップされていました。

つまり、震災を追体験しようとされているように、僕には見えたのです。
明日、お会いすることでもありますし、これ以上の詮索はやめておきます。今回の件は、人を変えたのではなく、その人の持っている実相をあぶり出しています。

まだ、震災「後」ではありません。「後」は、ずっとつづくのです。


明朝、シメキリの仕事の関係で、『第08MS小隊』を見ている。
アプサラス開発基地への突破口が開けず、上層部は、つぎつぎと使い捨てのジムを送り08msbox_pic1込む。パイロットたちは「ミノフスキー粒子で、おぼれそうだ」とぼやいているが、足元で爆発物が発見されたりもする、危険な任務。
ところが、上層部は、ジムの核融合炉が爆発して、それが突破口になってくれることを期待している。彼らは、パイロットの命を守ろうなどとは、考えていない。

アニメ表現が萎縮する必要は、まったくありません。
しかし、こちらはガンダムだろうが、ロボットだろうが、「味方のはずなのに、命を守ってくれない大人」の存在に、敏感になってしまっている。

ファースト・ガンダムには、若者ばかりのホワイトベース隊を囮にする大人たちが出てたけど、そんなもんはアニメの中だけだと思っていた。
少なくとも、最初のガンダムには、反戦や反権力というベースがあった。その当時は、リアルに感じなかっただけであって。


反原発オンラインサイトのURLを、mixiに貼ってみました。
ただそれだけで、「エネルギー問題を詳しく知らないまま原発反対するのはどうかと思います。将来的には原発は無くすべきですが、今は必要ですし、代替エネルギーの問題もあります。代替エネルギーを取り入れて失敗している諸外国を知るべきです。これでは単に左翼と同じです。悲しい・・・*」とのコメントが。

ま、現状維持派、あるいは消極的推進派ですね。

これから最低10年は、生も死も、悪も偽善も、ごっちゃになって生きていくしかない。悲しんだり、嘆いたりしている暇はないし、「出来ることをやる」んじゃなくて、「出来ないこと」でも、たぶんやんなくちゃいけないんですよ。

(C)創通・サンライズ

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2011年4月16日 (土)

■0416 家族■

今日は、母の祭壇をつくってくれた友人が、大胆なリニューアルに来てくれました。
前々から、火葬場で渡された白い布につつまれた木箱(骨壷を入れるやつ)が辛気臭くて、「何か新しい入れ物をつくりたい」と相談していたのです。
16caydcbg9友人はなんと、屋久島で木工品をつくっているご両親にかけ合ってくれて、屋久島製の木箱が送られてきたのです。
「アンティーク家具のような感じにしたい」というオーダーにも、しっかり応えていただけました。友人のアイデアで、正面にはネックレスなどの遺品を架けられる突起があります。

この雰囲気に合わせて、春らしい色の布を選んできて、桜の花びら(の模造品)をテグス糸に貼りつけ、天井から垂らすなど、いろいろ飾ってみました。


さて、もうひとつの目玉は、友人が旦那さんと2人の娘、ひとりの息子を連れてきたことです。
旦那さんとは、10年ちょっと前に『ガンダム』の同人誌に参加してもらって以来の再会です。16caq1pn2h 三鷹市民特権で、チケットを入手してあったので、旦那さんは、3人の子供を連れて、ジブリ美術館へ。残った友人は、買いこんできた花々を、丁寧にコーディネートしてくれました。

20代の頃、2歳ぐらいの男の子を連れた女性と、付き合っていたことがあります。
彼女は、母子家庭の交流会や勉強会に出かけることが多く、私はたいてい、その2歳の子供と近所を散歩したり、時には電車に乗って、つげ義春の漫画のように、行くあてもなく時間をつぶしていたものです。

見知らぬ家に来てしまい、手持ち無沙汰にしている2歳の長男くんは、小さい頃の私にも似ている。彼だけなら、ちょっと感傷的な気持ちにもなれたのかも知れない。


しかし、上の姉妹は、すごかった。面白いんだけど、疲れる(笑)。
なぜか俺は、ずっと「社長」と呼ばれていた。銀座のクラブじゃないんだが。

まず、なぞなぞを出されたのだが、ものすごく範囲がアバウトで、まず絶対わからない。「穴が空いてるけど、使えるボールってなーんだ?」と問いを出されるので、これでも必死に考える。聞こえないフリをすると、怒られるからである。
答えは、五円玉。「玉」だから、ボールと同義らしい。ちょっと、クラッとしてしまう。

次女が、「ゲームやるから、見てて」と言って、父親のiPhoneで遊びはじめる。ちゃんと見てないと怒られるので、たまに感心しながら、見入る。
と同時に、長女が絵を描いてきて、「どれが上手いか、印をつけて」と迫る。印をつけると、「どうして?」と聞かれる。何とか理由を考えるが、その間、決してゲーム画面から目を離してはいけない。

2歳の長男くんは、ひたすら自由行動なので、私に対する無茶ぶりは、一切しません。


2011年元旦をもって、廣田家は消滅しました。
35歳のときに結婚して始まったはずの、第二廣田家も、三年後の離婚をもって消滅しました。

ほかの家のお子さんは、たった一日の付き合いだから、かわいく感じるのです。「これが毎日だと、ヘトヘトだよ」と言われれば、それは確かに分かる。
しかし、次女の子が発した「今日、お泊りするの?」という一言で、40年の月日が巻きもどされ、自分にも、そんなことを親に聞いたりした頃もあったのだ、と思い出してしまった。

祖父の家に泊まった夜、お婆ちゃんが毛布を持ってきて、みんなでひとつの毛布にくるまりながら、テレビで『蝿男の恐怖』を見たことを思い出します。
あの時、お婆ちゃんには、私がどう見えていただろう。あの時刻、母はどこで何をしていたろう……などなど、余計なことに想像が広がるのです。

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2011年4月15日 (金)

■0415 老人■

今日は昼すぎに出かけ、帰りは友人と飲む予定のなので、午前中のうちにブログを更新しておきます。
本日お会いする方は、若い人と話すのが好きで、いつでも新しいことを考えていらっしゃるダンディな70代です。その方の気分を害したくはないのですが、昨年末以降、ずっと「老害」について考えてきました。
理由は簡単、74歳の父親が凶暴化して、母を脅かすようになったからです。

僕が、後期高齢知事・慎太郎じいさんに殺意に近い憎悪を感じるのは、その影響だと思います。
両者の共通点は、とにかく人の話を聞かない。暴論を吐いて、それに酔いしれる。


だいたい、60代~70代は、駅のトイレで手を洗いません。インフルエンザが流行っていようと、おかまいなしです。
ちょっと調べてみると、駅員への暴力は60代が最も多い。→詳細
しかも、(ここからは私の推論ですが)彼らは、自分たちの凶暴さを「若さ」と勘違いしている。妙な自信にすりかえている。だから、反省しない。
自分の親とて油断ならないことは、私の経験から学んでください。

NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』が、電車デザイナーの水戸岡鋭治さんを取り上げていました。まだ最初の方しか見ていないのですが、常に振動をつづける電車に、ステンドガラスを使う際、安全に考慮してデザインを再考する姿が印象的でした。
水戸岡さんは、駅のトイレで、しっかり手を洗っていそうです。

デザイナーの能力というのは、想像力よりは問題解決能力なんですね。
どんな仕事でも、そうですね。「俺が俺が」と言っているヤツは、邪魔でしかない。事態にどう対処するか。それのみが仕事の本質です。


今夜は飲酒、明日は別の友人の家族が、遊びに来ます。なので、16日に東京で開催される、いかなるデモにも参加できません。
遠くからデモを批判する人は、批判するために参加してみてはどうかと思います。僕も、高円寺のデモは、不快感を感じたら、いつでも離脱できるよう、普段着で参加しました。実際、途中で歩道に上がって、帰ってしまう人もいました。その辺は、けっこうアバウトでいいんです。

私は知識不足なぶん、自分の身体に問うてみようと思ったんですね。
「原発やめろ」と言いつづけることが、果たして自分の体力の消費に見合うかどうか。身体を使わないと、何にもならない気がする。何より、原発は思想の問題ではなく(だからデモの主催団体は調べたほうがいい)、健康の問題でしょう。自分の体に聞かなくてどうすんだ、と思う。

いま、デモを批判したければ、参加してから言うと、説得力が出ますよ。

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2011年4月14日 (木)

■0414 1988年■

ガンダムの常識 一年戦争篇・3 発売中
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コンビニで売られていた本を、カラー文庫化したものです。この時期の原稿は、まだ私も書いていたので、印税収入が入ります。

ここの編集部とは縁が切れてしまいましたが、双葉社さんとは、今また『ガンダム』の仕事をさせてもらっています。
サンライズに、どんな場面カットがあるか、だいたい覚えているので、「このカットが入る」と想定して、ラフを切っていくのです。


打ち合わせで、新宿へ行ってきました。
「東京からは外国人が逃げ出した」と言われていますが、いっぱいいます。三鷹のような小さな町でもチラホラ見かけるので、新宿ならなおさら。

神奈川生まれの編集者がいう。「東京は、またしても助かってしまいましたね」。
57a9255e18ae1e125c0e55f7c8004d5d完全に安全ではないが、危険ともいえない東京。70年間も戦争のなかった国の首都。
『帝都物語』で、中国へ出向いてまで共鳴現象で地震を起こした加藤保憲が、大震災で焼け野原になった東京を呆然と見渡し、「なぜ滅ばん……」とうめきます。

復興をとげた銀座の街を見下ろして、勝新太郎の演じる渋沢栄一が、フガフガと「この都市というやつの発展は、とどまるところを知らん。もう、誰にも止められやせんよ」と言っていた東京。


『帝都物語』の公開された1988年、やはり『AKIRA』の中で東京は壊滅するのですが、「ネオ東京」として復活します。
同年発売のOVA『機動警察パトレイバー』は、「東京南沖大地震」以後の世界が舞台ですが、震災の傷跡は、ほとんど見当たりません。上野公園には、桜が舞っています。

1988年の風俗を調べてみると、リゲイン、ドラクエⅢがヒット、渋カジが流行。私は大学生で、毎日のように江古田の居酒屋を、飲み歩いていたような気がします。
フィクションの世界で、何度も東京がつぶれ、つぶれては復興してくれたので、すっかり安心していたのかも知れません。


余談ですが、『帝都物語』は好きな映画です。林海象にH.R.ギーガー、ハイビジョンからコマ撮り、ビデオ合成、ミニチュアにオープンセット、何もかもごった煮で、エネルギッシュです。

昭島に建造された銀座のオープンセットは、ワイドショーで紹介され、私は番組のエキストラとして、セットの上を歩いてきました。
やはり1988年公開の『花のあすか組!』で、このオープンセットは改造され、近未来の新宿(ニュー・カブキ・タウン)へと、変貌をとげます。
そして、映画ではハッキリと分かりませんが、脚本によると、新宿のど真ん中に原発が建てられているのです。

1988年につくられたフィクションのうち、実は『花のあすか組!』だけが、はっきりと未来を向いていたのかも知れません。

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2011年4月13日 (水)

■0413 権利■

震災に関連して、友だちから、ある誘いを受けました。ボランティアに行くとか、そういうことではありません。ちょこっと、アニメーションの監督にもご協力してもらえることになり、「ポケットの中の支援活動」という趣きになってきました。

あまり、表立って言うことではないので、この話は、これでオシマイです。

花見の予定でしたが、友人が調子悪いようなので、中止にしました。よって、本日もブログ更新します。しかし、とても不愉快な内容ですので、ご注意ください。


昨日の日記は、メールでも反響をいただきました。もしかすると、この体験が、人のお役に立てるかも知れません。思い切って書いて、よかったです。

しかし、公判が始まれば、具体的なことは書けなくなるでしょう。
事件以来、何より私を苦しめているのは、母の死だけでなく、殺人者の息子である、という事実です。世間は「殺人者を生かす」方向を向きますから、彼らの相手をするのが疲れる。

父は激昂して、脅える母を刺し殺したので、死刑は当然です。
1万人を越える無実の人々が死に、13万人が不自由な避難所生活をしているのに、あの男は、安全なコンクリートの壁の中で、三度の食事にありつける。そんなことは、間違っている。

私が面会や差し入れを拒むと、親戚や弁護士が代わりに行くことになり、時として「息子のくせに、あなたが行かないからだ」と責められもします。
私を放り出した雑誌の編集長が言っていました。「人を殺したからといって、人権がなくなるわけではないんです」。

母の人権は、消えてなくなったのに?



特に、私の神経を逆なでしたのは、父の友人の弁護士の言葉でした。
父は、弁護士にこう言っていたそうです。「妻は病気の後遺症で、ほとんど寝たきり。介護に疲れて、刺した」。私は思わず顔を上げ、「そんなバカな」と叫んでいました。

確かに、母は病気をしました。リハビリにも通っていました。しかし、私に「任天堂のWiiを買ってよ。部屋でフィットネスが出来るんだろ」とねだってきたほどです。寝たきりの病人が、ゲームで遊べますか(笑)。
そもそも、私が母に会った最後の日、彼女は駅前までタクシーに乗ってきたのです。もちろん、誰の介護もなしに、ひとりで。「父は、母を殺した上に、ウソをついて罪を逃れようとしている」。

私は現在、母の弟さんと連絡をとりながら、両親の暮らしていたマンションをどう処置するか、話し合っています。
マンションの管理会社あてに、父が送ってきた手紙を見て、私は手が震えました。いわく「私の再スタートのために、部屋はそのまま残しておいて欲しい」。再スタートだと? 妻を殺した部屋に戻って、あつかましくも自分だけ生きていこうというのか?

母に、再スタートはありません。彼女は花となり、花を流れる水となり、空気として私に寄りそい、夕陽となって、町のあちこちにいます。
しかし、母は歯医者に予約を入れていました。歯の治療中だったのです。血まみれのベッドには、読みさしの本がありました。タンブラーには、飲みかけの水が残っていました。彼女だって、生きたかったのです。


それでも、弁護士は言います。「お父様にも、権利がありますから」と。そんな言い方をされて、誰が私に怒鳴るな、冷静になれと言えましょうか?

人の心は、水と火で出来ています。
私は毎朝(といっても昼近く)、母に供えた水を、祭壇の花たちにやります。この週末、私の友人が子供たちを連れて、母に挨拶に来てくれます。

その一方で、私の心の底には、煮えたぎるような炎が流れています。
その炎は、あの男を死刑台に送る日まで、決して消えはしないのです。
慈しみを持つのは、とても必要なことです。しかし、怒りをなくした人間は、何事もなしえないとも思うのです。

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2011年4月12日 (火)

■0412 母■

亡き母のマンションに用があり、午後からひとりで行ってきた。震災後、2度目の訪問になる。

今まで、話したい人にしか話してこなかった。「この人なら分かってくれるかな」と話してみたら、「そんな忌まわしい話をするな」という顔をされたこともある。
もう、はっきり書いてしまおう。私の母は、今年の元旦に、父に刺殺されました。

3ヶ月かけて、ようやく父の起訴が決定したので、私は恐怖と苦痛の中で命を散らした母のために、戦います。


でも、正月以降、俺がサボったりせず、粛々と仕事をこなしてきたことを、思い出してほしいよ。「メイキング・オブ・マイマイ新子と千年の魔法」なんて、担当にも何も言わず、何事もなかったかのように校了しましたからね。

残念ながら、この事情を知りつつも、俺を放逐した雑誌もありました。
でも、代わりに「オトナアニメ」さんが重宝してくれて、いっぱい原稿を書かせてもらっている。「アニメ!アニメ!」さんには、行くあてのないインタビュー記事を拾っていただいたし……でもそれは、俺の原稿が早いからであって、同情ではないですよ。話してないもん。

1月は、警察の事情聴取、犬の引きとり手探し、何よりも母の葬儀、やることがいっぱいあった。検察に呼ばれたのは、2月に入るか入らないかの頃だと思う。
だから、落ち込んでられなかった。朝8時には起きて、さっさと風呂に入って、駅前でそばを食って警察に行って……泣いていたのは、最初の三日ぐらいだったと思う。


警察で、はっきり言われたよ。「あなたは被害者遺族である。それと同時に、加害者の息子だ」って。遺族を救う制度はたくさんあるけど、その適用を受けられない可能性がある。
それは、本当に困ったときでいいだろう。今はとにかく、普通に仕事をして、友だちと酒を飲み――キャバクラは自粛していたけどね。最近は、たまに行くようになったね。
よく食べ、よく笑うこと。母は、湿っぽいのは嫌いなはずだ。

俺にとって、世界は2度、変わった。母を、凶刃から救えなかった自分を責めた。決して自分が悪いんじゃない、と合理化しようと努めた。
今だから言えるんだけど、罪悪感は、たぶん失ってはいけない。罪悪感は、行動を促してくれます。何が正しく、何が間違っているのか、その判断を自分に強いてくれます。激しい怒りと慈しみの両方を、同時に抱かせてくれます。

これからも、母のことはポツポツと書くでしょう。
明日は、葬儀に来てくれた女友達と、ちょっと遅い花見なので、ブログの更新はお休み予定。2人とも、昼間から呑む気、満々なので。
花見は、中止になりました。

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2011年4月11日 (月)

■0411 変性意識■

今日11日は、震災から一ヶ月。ブログは毎日更新しても、毎月11日だけは空白でもいいかな?と思っていましたが、ずーっと気になっていたことがあって。

あの日、立っていられないほどの揺れの中、僕が思い出していたのは、『高学歴男性におくる弱腰矯11caxp3nc6_2正読本 男の解放と変性意識』という本の一節でした。あんまり、いい書名じゃないけど、「変性意識」下の実体験がたくさん掲載されていて、まことに奇ッ怪な一冊となっています。

その体験談の中に、サンフランシスコ大地震を経験した心理学者のウイリアム・ジェイムズの証言が含まれています。
「私達は何の恐怖も感じなかった。それは純粋に喜んで歓迎するようなことだった。『さあ、行け』もっと激しくなれと、私はほとんど大声で叫んでいた。」
つまり、あまりに破滅的な出来事に直面すると、人間は不合理な高揚を感じ、日常に感じている「抑制」が取り除かれる……というのです。

本の中の記述を引用すると、致命的危機状況下で「感心したり、感動したり、誇りに感じたり、あげくは笑ってしまったりしているのです」。いや、変な本でしょう?
しかし、膨大な証言をもとに書かれているので、あながち否定もできないのです。


モデラー時代に、たいへんお世話になった友人が、仙台でひどい生活を送ってきたと聞き、言葉が出ませんでした。花見のできる東京は、本当に平和です。
この一ヶ月、財布と相談しながら、あちこちで募金しましたし、救援物資も送りました。それらの行為は、やはり「理性」が果たしている。

しかし、どこか理性から離れた感情……さっき書いたような、「抑制」の解除された脳の部分も、必ず活性化していると思います。
それについて、あんまり具体的に書くと、また怒られてしまうので、書きませんけどね。最近は、皮肉や諧謔を理解してくれない人がいて、本当に驚いてしまいます。


ネットで驚いたことと言えば、mixiで「明日の都知事選は、白紙投票する」と宣言している人がいました。「どうせ、親のスネかじってる学生だろう」と思ったら、30代。
見ず知らずの相手ではありましたが、「何も変える気がないなら、投票する意味がない」とコメントしたら、「魅力的な候補者がいない」と。30代にもなって、人のせいにすんなよ……。

さらに驚いたのは、石原のお爺ちゃんが当選すると、その無効票を投じた30代から、「当選した知事を落とす方法もあるらしいですよ。やってみてはどうですか?」と、勝ち誇ったようなメールが来たこと。
ようするに、すべて他人にやらせる。ちょっとグラフを引用しましょう。→世代別投票率
大地震も放射能も、若い世代には関係がない。40代で投票に行かなかった連中は、もう何もかも投げ出してるんでしょうね……。

「俺は石原に投票していない」などと言い逃れはしません。78歳のお爺ちゃんを担ぎ上げてしまった結果については、都の有権者全員で、責任を分かち合うこと。
僕らは、まだまだ強く生きなくてはダメみたいです。

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2011年4月10日 (日)

■0410 今日は残された人生の最初の日■

まずは、選挙。2人組の女子が、キャッキャと投票所に向かっていきます。
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投票所を出てから、かつて母の住んでいたマンションを横目に、けやき橋西交差点。お花見しながら、いったん帰宅。
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玉川上水には、綺麗な水がチョロチョロと流れていました。本当に、美しい町だ。

さて、メシも食ったので、これから高円寺デモです。長距離を歩く予定だけど、この風邪っぽい体で、持つのだろうか。


JR高円寺駅南口の公園、13時半に到着。反原発デモに参加してきました。
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最初はポツポツと集まってくる程度でしたが、14時には公園に入りきらないほどに。
主催者が「私も不勉強」と認めていたとおり、これは素人の参加しやすい、うんとハードルを下げたデモです。そういう意味では、たいへん意義があったと思います。
「私は、このデモの趣旨に反対です」という人も壇上に立ったけど、これまたシドロモドロで不勉強レベルは、我々と変わらず。

収穫は、鈴木邦夫さんと岩手県から駆けつけた参加者のスピーチでした。
鈴木さんは「私は一生分のデモのノルマは、こなしたつもりだった。でも、もう少しやる必要がありそうです」と、東海村視察の話をしてくれました。
岩手県の方は、具体的な放射線の数字も出してくださったのですが、時間切れで、すべては話せず……でも、こうした緊張感は必須に思われました。

その後にライブがあったのですが、参加者をリラックスさせる意味では、かなりの効果があったと思います。


ただ、私はどうしても「今すぐ原発を止めろ」とは、口にできませんでした。デモのノリとしては「今すぐ」がいいんでしょうけどね……。
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左の写真のプラカードは、イカ娘だけでなく、裏はキュアマリン。コスプレが無理なら、プラカードか鳴り物を持っていないと、手持ち無沙汰になってしまいます。

私と同じように、普段の服装で参加していた女性は、途中で歩道に上がって、そのまま消えてしまいました。私は、意地でも歩道には上がらず、仏頂面で、車道を歩きつづけました。歩道に上がったら、傍観者に逆戻りです。
今日の私は、ライターでもなければ文筆業者でもない、そればかりか、廣田恵介ですらない。「自動車や住民に迷惑をかけてまで、車道を歩きつづける」。それだけが、アイデンティティでした。
人に迷惑をかけないと、伝えられないことがある。そう実感できたのが、収穫といえば収穫でした。


しかし、高校で文化祭実行委員長、大学でも映画学科の文化祭代表だった私は、「参加するより、参加させる」方が、向いているように思いました。
本当にデモが有効な手段であるなら、次は自分で主催したい。――その時まで、神様が待っていてくれれば、の話ですが。もし私に、勉強するための短い時間が残されているならば。

私は、頭のできがイマイチで、感情に流されやすい。だから、少しは自分の体を使いたい。『マイマイ新子』のときも、『ぼくのエリ』のときも、そうでした。
残された時間は、多くはない。さて、どうしたい? どうしよう? そんな気分です。

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2011年4月 9日 (土)

■0409 トイ・ストーリー3■

『カールじいさんと空飛ぶ家』を3Dで見せられて以来、ついにピクサーまで信用できなくなって、今ごろレンタルで見ました。不勉強で、すみません。だけど、「ピクサーの作品をケナすなんて、信じられない」というムードは、大変苦手。
3_cc3d603283674228178cb749c5233db6 どうしても、この手法でつくられた映像を「アニメ」と呼ぶのに、抵抗がある……。なにか、いい呼び名はないものか、考えてしまうね。

3作目にして、ジョン・ラセターはプロデュースに回った。風刺も効いてるし、スペクタクルもあるし、堂々たる完結編。
人間の出てくる比率が、シリーズ毎に多くなってくるのに違和感があったけど、ラストシーンは大変、美しかった。典型的なアメリカの住宅街の風景が、あまりに清潔で、くやしいぐらい綺麗だった。

だから、人工美だよね。ストーリー自体、「古いオモチャがいつまでも大切にされる」という感傷的なメルヘンだもの。ノイズが入ってはならない、美しい世界。


『トイ・ストーリー』は、一作目から一貫して、移民たちが居場所を求めて彷徨する物語だった。どのオモチャも、出自や外見が違うものね。
移民たちの中で階級差ができてしまう本作は、特にシビアだったと思う。幼稚園が、まるで移民局のようになっていて、動くに動けないという……。バズ・ライトイヤーが、モード変換でスペイン語を喋るシーンには笑ったけど、移民の国ならではの風刺だね。

クライマックス、処分場に捨てられたオモチャたちが、溶鉱炉を前にして、死を覚悟する。俺は、あそこで一回、この映画は終わったと思っている。かろうじて延命されただけで、映画の外では、いつかはああなる運命が待っているわけで、やけに痛々しく、リアルに感じた。


今回の一件以来、『ギャラクティカ』的な気分を、ずっと引っ張っている。「だけど、人工生命体サイロンの反乱なんて、この世にないし」と苦笑もしてたんだけど……。
Cent_005劇中では詳しく説明されないだけで、冒頭で「サイロンは、生活を快適にするため、人類がつくった」とナレーションが入る。その「生活を快適にするため……」というところで、ドキッとするわけです。

つまり、原子力発電所も、人間のための奴隷みたいなもんだよね。
すると、アダマ艦長の「サイロンの反乱にあったのは、人間たちのせいとは言い切れないと自らを慰め……そればかりか、自分たちの子孫に、そのツケを払わせようとしている」という演説が、シャレにならなくなってくる。


明日は、選挙に行き、それから高円寺の反原発デモに参加します(こちら)。

デモに行くのは、きっと自分のためですね。
結婚生活にも失敗したし、「アニメ新世紀宣言」にも参加しなかったし(笑)、どこにも自分の居場所がなかった。
「死んだ母の代わりに、80歳まで生きのびてやろう」と思った矢先、コレですから。どうやら、80歳までは生きられそうもない。

ならば、自分の中途半端な生涯と、歴史の重なる瞬間を、この身で体験してやろうじゃないか。ひょっとしたら、その程度の動機なのかも知れません。
ブログを毎日更新しているのも、おそらく似たような気持ちが、そうさせているのでしょうね。

(C)Disney/Pixar
Film (C) 2006/2007 Universal Studios. All Rights Reserved.

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2011年4月 8日 (金)

■0408 オトナアニメ■

オトナアニメ Vol.20  明日発売
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●巻頭特集、原恵一インタビュー
『魔法少女まどか☆マギカ』は、人物紹介、世界観、演出、岩上敦宏プロデューサーへのインタビューなど。
魔法少女クロニクルは『カードキャプターさくら』『魔法遣いに大切なこと ~夏のソラ~』など、日常系を担当しました(作品の選定は、編集部)。

もうひとつ、『カラフル』のソフト発売に関連して、原恵一監督へインタビューしました。
これで計二回、『カラフル』公開の前と後にインタビューできたので、それなりに意地悪な質問を用意していったのですが、原監督のマイペースぶりに、負けました。


見本誌も届いておらず、著者校もなかったので、どのような誌面になっているのか、ちょっと怖いのですが……。

『まどか☆マギカ』の演出ページは、絵コンテを掲載する予定でしたが、コンテが届いたのは締め切りの数時間前。ラフを切りおわり、テキストも書いた後でした。
なので、可能であれば、次号の「オトナアニメ」で、新房昭之監督が、何をどう修正しているのか、徹底的に解析してみたいと思います。
滅多にないチャンスなのでね。


演出ページについて、ちょっと敷衍しますと……
「光源を画面内に入れる」。これはもう、『まどマギ』の基本理念といってもいいですね。俺などは、「光源を画面内に入れる」というと、『ブレードランナー』を想起してしまうのですが。

その延長として、キャラごとのキーカラーを、画面内に入れる。2~3話は、マミのオレンジ色で安心感を持たせておいて、マミの死後も、ちょっとずつオレンジを残している。

第4話、陸橋の上での、まどかとほむらの会話――ここでも、オレンジ色の夕陽が画面内に入っていますが、もう言わなくても分かると思い、誌面では触れてません。
このシーンで、イマジナリーラインをまたぐのですが、いきなりは越えてない。一度、俯瞰のカットが入り、イマジナリーラインの直上にカメラが位置しています。
他にも、イマジナリーライン上で、まどかのアップを入れるなどして、唐突感を緩和しています。しかし、場面カットが足りなかったので、そこまで説明できませんでした。

ちなみに、このように正反対にカメラを置くことを、実写ではドンデンと言います。


第2話、屋上で、ほむらが現れるシーン。カメラ手前に障害物(BOOK)が入る。
このシーン、離れた塔からマミが見ているので、二重の意味が加わっているのですが、屋上の黒い障害物は、カメラが引くと消えている(笑)。

もしも整合性を優先して、引いた絵にも障害物を入れるとしたら、それはもう、段取りにすぎない。カットごとの美しさ最優先、ということですね。
ところで、こういう障害物を「ナメ物」と呼ぶようですね。

最後に、いわゆる「縦の構図」を取り上げたと思います。これは杏子とさやかが戦わねばならない、というプロット上の関係を絵で表そうとすると、こうならざるを得ない――という。
ページが、うまいこと出来上がってくれてれば、いいのですが。

絵は、表現のためのツールではありません。絵こそが、表現なのです。

【追記】見本誌が届きましたが、グタグダでした。22~23ページは、糊付け封印してください。

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2011年4月 7日 (木)

■0407 火事場泥棒■

中野まんだらけに行って漫画を売り、その足でレコミンツへ。
Cag2skyb『のび太の新・魔界大冒険』、帽子と絵本つきスペシャルDVD。絵本は、なんと寺本幸代監督、自らによるもの。
おお、なんという安心感。『緑の巨人伝』も安かったので、次回、買うことにしよう。

まんだらけでは、『ふしぎなメルモ』の絵本などが買い取り不可だったので、29日開催の「スーパーフェスティバル56」で売ります。
ディーラー名は「Hard Pop Cafe」。ということは、『メガゾーン23』の同人誌のバックナンバーも、売ります。ブース・ナンバーが決まったら、再度、告知します。


最近は、腹の立つことばかりで、貧乏ゆすりが止まらないのですが……

総務省が、プロパイダに対して、「インターネット上の流言飛語」を防ぐ建前で、「法令や公序良俗に反する情報の自主的な削除」を依頼しました。これは私流の解釈です。原文はこちら
政府が、いかに追いつめられているか、よく分かります。つまり彼らは、われわれが主体的に発信している情報が「怖い」わけですね。

いま、『世界侵略:ロスアンゼルス決戦』など、何本かの映画が上映中止、公開延期になっています。配給会社に問い合わせましたが、返答はありません。
私は、『ぼくのエリ 200歳の少女』で、映倫にナメられた人間なので、どこが差し金なのか、勘ぐってしまいますね。

総務省は、デマを防ぐどさくさまぎれに「公序良俗に反する情報」までを、取り締まると脅しています。こういうのを、火事場ドロボウというんです。


ともあれ、政府が民間人の情報発信を規制し、表現の自由を脅かすのであれば、こちらも黙ってはいません。

原発への対処に対しては寛容なつもりではあったけど、もうパソコンの前でうなっているのは、ウンザリなので、高円寺デモに参加します。→こちら
――正直、このノリはどうなの? ただ便乗して騒ぎたいだけじゃねーの?とも思うんですが、なりふり構ってはいられない。

政府が口をふさごうとすればするほど、我々は叫ぶ。ただ、それだけのことだ。
パソコンの前で、イライラと貧乏ゆすりするよりは、ずっとマシなことさ。

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2011年4月 6日 (水)

■0406 ミーティング■

震災以来、延び延びになっていたミーティング。神田にて。
出席者は、レナト・リベラ・ルスカさん、木村乃さん、小泉恵二さん。お題は、電子アニメCadpw34p雑誌です……が、たぶん、「アニメ雑誌」と呼ぶのはどうか?と思われる、独特な本になるでしょう。
それは内容が揺らいでいるからではなく、より意図がハッキリしてきたということです。もしかすると、50歳のオジサンが読んで、「面白いじゃないか」と言われる本になるかも知れない。
「もっと、多くの人に開かれたメディアになるはず」という意識が、明確になってきたような気がします。

他人が横から聞くと、すごーく胡散くさく見えると思うけど、まったく思いかけない方向から、アニメ業界にパイプを持っている人たちがいる。
彼らの姿は、こちら側から見えないだけで、ちゃんとニーズを受けて仕事をしているのだ。


レナトさんはイギリス国籍なので、「ヨード剤、もらえたんでしょ?」と聞くと、「いや、それがダメだったんです。あの、大使館のヤツラ……」と、なかなか面白い話を聞かせてもらえたのだが、またデマとか言われたら困るので、書くのはやめておこう。
しかし、こんなネタで笑えるとは、思いがけないことであった。

やっぱり、人と会って話すのは、いいことだよ。青空が、より澄みわたって見える。


著作権、著作権とうるさいはずの方たちが、僕らの記名原稿を「チェック」と称して、てにをはレベルにまで手を加える。予告も相談もなく、語尾を変え、文意を変える。
「弊社」の著作権を死守するひとが、個人の著作物を書きかえていいはずがない。いずれ、こんな矛盾したルールは、消えてなくなるだろう。

権威をふりかざせば、味方が減る――。

いつも、こう考えてきた。私も学び、読者も学び、誰もが向上心を満たせるような仕事が、理想なのだと。
誰かひとりだけが圧倒的に得をする世界は、もう終わりだ。

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2011年4月 5日 (火)

■0405 ヒックとドラゴン■

恥ずかしながら、今ごろレンタルで見ました、『ヒックとドラゴン』。これは、すごく良かったです。
まず、ドラゴンが喋らないのがいい。知能程度が犬レベルだったり、音が目に見えるとか、ほどほどに生態がリアル。『アバター』のドラゴンよりは、よっぽど実在感がある。デザインがいいね。これはぜひ、立体物が欲しいな。

クライマックスを、主人公の竜と巨大翼竜の一騎打ちにしたのも、冴えている。口の中へ至近_autoimages_drm123lg距離から火炎を撃ち込むのは『小さき勇者たち ガメラ』だけど、「少年と怪獣」というモチーフが似ているので、むしろ好もしい。
あと、戦いを雲海の中に持っていって、雲の間から巨大翼竜の体の一部が見えるとか、主人公竜の吐く青い火炎が、雲の外からだと、雷光に見えるとかね。
巨大翼竜が、自分で吐いた炎の中をうねりながら昇っていくカットも、すごい迫力だった。

……という感想は、すべて怪獣映画というか、SFX映画の感想としても成立してしまう。
よく、冊子の「夏のアニメ特集」なんかの手伝いで、3Dアニメについても書くことがあるんだけど、そろそろ2Dアニメとは峻別すべきではないかと思う。


『ヒックとドラゴン』はドリームワークスで、ピクサーは、ルーカスフィルムの一部門だったでしょ。とても乱暴にいうと、出自がSFXだったわけです。
そんな3Dアニメを、2Dのアニメとごっちゃには語れない。「人間の俳優が映っていない」程度の、消極的な共通点しか見出せない。
――もうちょっと踏み込んで語りたいのだが、今日は、とても腹のたつことがあったので、頭が回らない。

文学的な面でいうと、主人公が最後にああなったのは、聖痕ってことなんだろうね。タダでは、楽園は手に入らないということ。
借りてきたBDには、楽園のその後が収録されていたけど、途中でやめた。だって、「ドラゴンを人間が飼いならした」という傲慢しか、見えてこないもの。

造形面では、「ヒロインがあんなブスじゃ、ダメなんだ」って大声で言うべき。『ポケモン』だってローカライズされてるんだから、日本人も言うべきだよ。こんなヒロインじゃ、萌えられないって。→この図の左下


あるアニメの上映会を企画していましたが、「不許可」となりました。
中止理由は、ボランティアで協力すると申し出てくれた方にだけ、伝えました。僕はもう、そのアニメのタイトルすら、口にしたくありません。
DVDは、人に貸したまま返ってこないし、そうなる運命だったんでしょうね。世界が変わったのだから、私は変わらないものとは、サヨナラするだけです。

(C) 2009 by PARAMOUNT PICTURES. All Rights Reserved.http://cinema.pia.co.jp/piaphoto/title/240/152633_1.jpg

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2011年4月 4日 (月)

■0404 婚前特急■

吉高由里子主演なので、新宿へ『婚前特急』を見にいく。
タイトルと「5人の男を手玉にとるヤリ手OL」という設定から、勝手に『ハンサムスーツ』のようなドタバタを想像していたが、これは大人のための、機知に富んだコメディ。滋味深い。女性多めの場内は、最後まで笑いにつつまれていた。

吉高は『蛇にピアス』『GANTZ』と、ハズレを引き続けていたが、今回はよろしい。『紺野さんと16639遊ぼう』の頃にやっていた、あの異常な身体のひねりも、「ここぞ」という場面で披露している。

女優陣は、杏、石橋杏奈、いずれも役相応で素晴らしい。特に、石橋杏奈は「ちょっと残念な美人さん」で、こういう痛々しい役は、演じるのも演じさせるのも、勇気が必要と思う。

今回、吉高は相手役に恵まれた。浜野謙太の実直な芝居にリードされて、クライマックスで、じわじわと浜野に惹かれていく様子が、「む~ん」とスクリーンから伝わってくるもの。


タイトルこそ『婚前特急』だけど、結婚要素はオマケ程度。
この映画が素敵なのは、はじめに「恋愛」ありきではなく、具体的な事象・ディテールを積み重ねて、結果的に「恋愛」としか呼びえないものを組み上げているところだ。

だって、ほとんどの映画は、何か神様か幽霊のように、実体のない「恋愛」ありきでスタートするでしょ。
この映画は、打算と計算で「まずは、あの男からフッてやろう」と行動すればするほど、「自分がフラれたことになってしまう」という論理が働いている。そこが知的だねー。「情念」とか「愛」とか、そういう無責任な解決法も無い。理屈、理屈で押していく。

理詰めだから、オチも読めてくるんだけど、ラストで価値の決まる映画は、三流。
語るべきことを語り終えたら、そこが映画のラストシーンよ。


『純喫茶磯辺』が認められたように、この映画もヒットとは無縁のところで、評価されるだろう。

昨夜、大ヒットとなって日アカ賞をとった『告白』を見たんだけど、あれを問題作・衝撃作と呼ぶのは、『海猿』を感動巨編と呼ぶのと、変わらない。

女優目当てでも、ハダカ目当てでもいいよ。地味な映画をきっちり見に行って、自分の言葉で語ろうではないか。

(C)2011『婚前特急』フィルム・パートナーズ

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2011年4月 3日 (日)

■0403 ポケットの中の戦争■

『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』のアル少年は、ずっとジオン公国と連邦軍の戦争に憧れていた。それは、「戦争という大状況を、生身で感じたい」欲求である(アルは好戦欲をゲームで満たし、駄菓子屋でおもちゃの階級章を買いあつめていた)。
P_0080アルは、ジオンの新米兵士と仲良くなるが、彼が無駄死にするのをとめることができず、またしても、まんまと生きのびてしまう。
終戦の日に、アルが泣くのは、友だちを亡くしたからではない。自分だけが、無傷で生きのびてしまったからだ。

この物語の最大のクライシスは、コロニーが核攻撃されることだが、その阻止にすら、主人公は関与できない。

――余談になりますが、『ポケ戦』のストーリー原案は、現サンライズ社長の内田健二さんによるもので、初期プロットは「Bクラブ」誌に掲載されました(当初は、破滅願望を持つ女の子が主人公だったと記憶します)。
この作品から数年たって、私は内田さんと出会うことになりますが(当時は企画推進室長)、いくら『ポケ戦』を誉めても、「私の手柄ではない」と謙遜していました。
しかし、児童文学を愛好する内田さんが『カラフル』のアニメ化を立案したとき、私は思わず、ひざを打ったのでした。


ミリタリー系のオタクであれば、国情や経済にも通じていますから、このような時に含蓄ある発言ができるのでしょう。
私は、そうではありません。フィクション(特にアニメ)を参照するしかないのです。

母の死亡通知をもって、携帯電話の解約に行ってきました。行くたびに、店内の節電が甘くなって、少しずつ明るくなっていくような気がします。
中華料理屋で食事していたら、東北なまりのオジサンが、店の人としゃべっていました。「まだ電話がつながらない」「屋内退避だから動けない」「地震ではなく津波にやられた」……親戚のことなのか、はたまたテレビの聞きかじりか、それは分かりません。

ともあれ、三鷹は腹ただしいまでに、平和です。


再び、『ポケ戦』の話。
泣きじゃくるアル少年に、事情を知らない悪友たちが声をかけます。「大丈夫だよ、また戦争はすぐ始まるさ」。
これは、的外れな励ましでしょうか? アルは、今度こそ自分が被害者か加害者になりたい、不条理な社会に身を置いて、その痛みを分け合いたいと望んでいるはずです。

(C) 創通エージェンシー・サンライズ 

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2011年4月 2日 (土)

■0402 カヤの外■

駅前の喫茶店で、打ち合わせ。
Caj4bzbxけっこう揺れた(茨城で震度5)のだが、店員も客も、平然としていた。スーパーには、水もカップラーメンも並んでいる。計画停電や水道水の危険を知らせる市内放送は、もう何日も聞いていない。
この町は、311以前に戻りつつある。「まだ、ここに残っていても大丈夫なのか?」という神経症的なピリピリした空気は、霧散したかに見える。

被災地に送るため、カイロを買いに行ったのだが、薬局からも百均ショップからも消えていた(東京が暖かくなったためである)。
僕の立っている場所は、またしてもカヤの外であったか。どうして、何度も何度も、僕ばかりが生き残るのだろう。

原稿のシメキリは、ゴールデンウィーク進行で、18日後と決まった。


かつて『マイマイ新子と千年の魔法』を取り上げてくれた『MAG・ネット』が、NHK総合でリニューアル・スタートした。第一特集は、「震災とネット」。
東浩紀さん、ついに言ってしまったか。「こちらと西日本では温度差がある」……というような意味のことを。同様の声は、西日本に仕事に行った人、2名ほどから聞いていた。

しかし、私もまた、カヤの外に立っている。
だからこそ、募金と救援物資、署名の呼びかけ以外のお節介はしないし、出来ない。「断食して、人に優しくすると、少しはマシな気持ちになれます」と言ったのは、稲垣足穂だった。
何ら不自由なく、無傷でピンピンしていることに、罪悪感をおぼえない人間はいない。善意などではない。自分だけが生き残ってしまったという罪悪感が、僕を焦らせる。

そして、自分にばかり注意が向くのは、人間ができていない証拠である――。


「無用者」という言葉を聞くと、ギクリとするようになったのは、いつ頃からだろう?

欲をいえば、感謝とも栄誉とも無縁のことを成したい。

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2011年4月 1日 (金)

■0401 フラクタル■

昨夜、藤津亮太氏と申し合わせて、Twitter上で「オヤヂ酒場」をゲリラ的に展開してみました。ネタは『魔法少女まどか☆マギカ』。最初は氷川竜介さんがリストにして下さったのですが、終了後に雪駄(@H926)さんが、toggeterにまとめて下さいました。→こちら

ご興味のある方は、どうぞ。最後の氷川さんの落とし方が効いてますね(笑)。編集、上手です。


さて、『フラクタル』。関東では最終回を迎えました。

俺が押井守さんを好きなのは、押井さんの作品が素晴らしいというより、トライしていることが面白いからなので、『イノセンス』を誉めろと言われても、それは「押井さんが演出してるんだから、面白いに決まっている」ということになってしまう。
山本寛さんを好きなのも、ちょっとそれに近いものがあるのかも知れない。

だから、トータルバランスは、初めからどうでも良かった。
ImageTwitter上での、氷川竜介さんとの対談でヤマカン氏が「ボーイ・ミーツ・ガール」と言ったときは、「?」と思ったんだけど、ラストシーンを見て納得。いや、物語全体から見たら「どういうことなんだ?」と首をひねるよ? だけど、試みとしては腑に落ちる。

「出会ったときから、ずーっと好きだった」と抱き合える、その一刹那のために、説明不足の世界設定や解決不能の問題提起が散りばめられていたとしたら――それはそれで、やはり美しいのではないか、と僕は思った。


世界の問題を留保したまま、愛らしいキャラを描いて、視聴者に愛らしく感じさせて、愛らしい彼らの幸福をもってエンドマークを打つのも、それも作品の「在り方」なんだよ。
そもそも、キャラを可愛く描くこと自体が、「技術」なんだし。

僕が好きなのは、クレインとフリュネが夜の坂道を、競い合いながら登るシーン。
あのエピソードで、何が主眼であったかは、もはや覚えてない。それは大した問題ではない。そんなこととは無関係に、クレインとネッサが抜きつ抜かれつしながら、坂をのぼる、その楽しさね。そこに愛情が熟成されていく。「命を救われたから好きになる」とかいうのはウソであって、無駄なことしてる間に、好きになっているんだよ。

大仕掛けな世界設定があったら、そっちをテーマだと思うだろう? でも、どうやって彼らが好き合うのか、どうして僕らが彼らを好きになるのか、そっちがテーマだよ。
だって、どっちの表現に力が入っているかを見れば、一目瞭然じゃん。


じゃあ、『フラクタル』は恋愛物だったのか、というと、そこまで完成されてもいない(笑)。それは、アニメというものを文学的にとらえすぎ。
あそこまで大風呂敷を広げておいて、やっぱり畳み切れず、それでも、少年と少女をしっかり抱き合わせる……そこがキュートなんじゃん!

(C)フラクタル製作委員会

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