■0427 ウォッチメン■
母の遺品をとりに、犯行のあったマンションへ行く。近くには、このような河川敷がある。最初に来たときは、ただ薄ら寒いだけだったが、今日は小さな花々が咲いていた。
母の殺されたマンションの一室をどうするかについては、親戚の間でも意見が分かれていたのだが、「自分は釈放されて、この部屋に戻れる」と信じている父の意向を、最大限に尊重し、弁護士に委任することにした。
彼らは、人殺しにも権利があると主張しているので、せいぜい頑張ってもらおう。
親戚のひとりは、この部屋を「ケシゴムで消したい」と語った。
僕は人殺しの息子であるから、血の点々と残るこの部屋を、踏破せねばならない。
母の鏡台から、僕のプレゼントしたニンテンドーDSが見つかった。べっとりとこびりついた血が、白い筐体の上で黒く酸化していた。
「ケシゴムで消したい」。たとえば、誰もが福島第一原発を、消し去りたいと思っているだろう。一切の責任や、恐怖から逃れるために。
マンションの部屋が、放射性物質を出すわけではない。しかし、ここは「小さな福島第一」だと感じる。
僕だって、本当は近寄りたくないのだ。
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昨夜は、レンタルで『ウォッチメン』を。
娯楽作だと思っていたのだが、ここでも原子力が大きなモチーフになっている。核実験中の事故によって、万能の力を手に入れた、Dr. マンハッタン。彼の近くにいると被曝してしまい、ガンを患う――という設定、これは後から陰謀にすぎなかったことが明らかにされるが、ゾッとさせられる。
しかし、冷戦下を舞台にした物語は、ノスタルジックだ。
Dr. マンハッタンに罪をきせることで、核戦争寸前だった世界は一致団結し、恒久平和が実現する。
クライマックスで『見張り塔からずっと』が流れるが、同じ楽曲を使った『ギャラクティカ』シーズン3の方が、俺は好きだね!
CGをCGと分かるように使ったザック・スナイダーの映像は、「どこまでが本物か」見極めようとする努力を、放棄させる。「どうせ、ぜんぶCGなんだろう」という開き直りは、諦めに似ている。
この辺の感覚は、3Dアニメの在り方も含めて、じっくり考えてみたい。
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ドキュメンタリー映画が見たくなってきたので、今から仮眠して、体力が戻っていたら『100000年後の安全』を見に行く。
やっぱり、行きたくもない場所へ行き、10分でも15分でも過ごすのは、疲れるのです。
そこに、母の魂は存在しないと分かっている。だからこそ、自分とは無縁の場所なのに、(加害者の息子であるから)義務を押しつけられている気分になる。
ただ、母の死だけを嘆くだけなら、それほど楽なことはない。
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コメント
『ウオッチメン』の意見、参考になりました。
原作を熟読して、映像化を心待ちにしたアメコミファン的には、あの映画の思い切りを「良」と判断する方向にしか思考が進まないんですよね。
というのも、映像化不可と言われていた作品を、原作イメージそのままに映像化した流れは賞賛したいし、原作とのセットで補完するのが原作ファン側の見方とし定着しているので。
今度、そんな話もゆっくりしたいですね。
投稿: イシイマコト | 2011年4月27日 (水) 16時44分
■イシイマコト様
「原作知っている人から見たら、どうなんだろう」と、気になりました。
原作は、かなり情報量が多いそうなので、裏設定などは興味あります。
>原作とのセットで補完するのが原作ファン側の見方とし定着しているので。
ああ、なるほどね。
僕としては、そういう映画の在り方があってもいいと考えます。映画で百パーセント分からせる必要は、あまり感じないんです。
だけど、やっぱり、ザック・スナイダーという人が特殊なんだと思いますよ(笑)
ここまでアクの強い人に、原作モノ(しかもアメコミというビジュアルのあるもの)が向いていたのかどうか、というところですね。
投稿: 廣田恵介 | 2011年4月27日 (水) 19時34分