■0426 一年前■
忘れないうちに書いておきますが、一年前の今ごろは、吉祥寺バウスシアターで『マイマイ新子と千年の魔法』が上映二週目に入った頃でした。
いま思い返すと、連絡のつかなくなった人もいるし、複雑な気持ちではありますが、雪のとけた青空の下のドカン、福田麻由子さんへの花束贈呈、「まさか」と目を疑ったチケット売り場の長蛇の列……何もかも、輝いていました。
署名活動は、この頃になると、「あんなことをやったから、支持者の少ないことがバレてしまった。逆効果だった」と言われるようになる……だけど、僕の敵は、松竹のような旧態依然とした配給会社であったから、それは気にならなかった。
『新子』のお陰で、映画館と直接(あるいは電話で間接的に)話す機会ができた。
証言を総合すると、松竹は想像以上にクソで、今でもクソでありつづけていると思う。署名開始当初、「配給会社を攻撃してはいけない」と忠告してくれる人もいたが、非難にさらされながらも、敵を見誤らないことのほうが、よほど大事だ。
僕が、落ち着いたところで『新子』と再会するのは、母を殺され、本を作りおえた後であった。
さらっと書いたが、今年のことだ。2月10日。その一ヶ月後に、震災が起きる。
母の不在を、何とか合理化しようと焦る気持ちが、僕と『新子』とを、深いところで邂逅させてくれた。
残れされた僕が、いま何を残そうかと考えはじめている。
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朝、さらにスーパーを回って、ラモス瑠偉さんの実行している救援活動用の物資を買い足した。
ひとつの店で買い占めるわけにいかないので、いくつかのスーパーを回り、少しずつ集める。
この物資の運ばれる小渕浜を地図で見ると、確かに見捨てられそうな、半島の先に位置している。
ラモスさんは、現地に行ってみて、何が足りないか熟知しているのだ。そんなことは、彼のブログを見れば分かる。それなのに、「救援物資は、余っているのではないか」とお節介なメールが来たようだ。
自分から始めず、後乗りしてくる連中は、いつもそうだ。先頭に立っている人間を、無知と決めてから、話しにくる。まったく建設的ではない。
僕は、いろいろ不合理なことを言っていると思うが、行動だけは実効的にしたい。効力さえ期待できれば、主義主張は後回しだ。
40代は若くはないが、まだ重たいものを運んだりはできる。やらない理由は、ないじゃないか。
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なるべく、アニメや映画の話をしたい。震災以降、僕は二重人格のように振舞っている。
なぜ、われわれにフィクションが必要なのか、ということも考えている。母の死と『新子』の関係は、レアケースかも知れないが、もっと深く考えてみてもいいかも知れない。
『電波女と青春男』には、震災前、まだ深夜のコンビニが心地よかった頃の余熱を感じる。ノスタルジアだ。
主題歌を何度も聞いていると、とても懐かしい気持ちになる。
(C)高樹のぶ子・マガジンハウス/マイマイ新子製作委員会
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コメント
廣田さま
ラモスさんには遠く及ばないのですが、僕も今週末、救援物資を持って、再びいわき市に入ります。
>「救援物資は、余っているのではないか」
自治体のウェブサイトを見ると、そのように取れるところもありますが、実際に被災地の方の生の声を聞くと全然ですよ。4月に入った途端、急に救援物資の募集が減ったのが不思議です。
どうやら一部の方々は震災は無かったことにしたいようですね。
GWは奮発していわき市の両親を草津温泉に招待します。
心身共に参っているでしょうから。
投稿: かまた | 2011年4月27日 (水) 00時20分
■かまた様
もし、協力できることがあれば、させてください。メールはご存知と思いますが、YIV00571@nifty.comです。
>どうやら一部の方々は震災は無かったことにしたいようですね。
はじめから、何もなかったと思いたい人も、大勢いるでしょう。何を大騒ぎしてパニックになってんだ、と。
東京でも、街頭募金はすっかり減りました。次に東京が騒がしくなるとしたら、福島第一がさらに悪化して、退避命令が出たときです。
敦賀市長選では、全候補者が原発との共存を訴えました。
僕には、日本が三つぐらいの国に分裂して見えてしまう。
何もしない人たちの分まで、やる気になってしまった人たちが三倍、働くしかないようです。
投稿: 廣田恵介 | 2011年4月27日 (水) 01時26分