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2011年3月13日 (日)

■0313■

ぬるい空気の中を、路線バスがゆく。
歩道に、花をそなえている親子が見えた。地震とは関係なく、かつて交通事故があった場所なのだろう。平時でも人は死ぬ。不合理な、不条理な理由で。
そんな風にして違ってしまった世界を、それでも僕らは多少なりとも、良くしていかなくてはならない。

用事をすませて、スーパーの列に並ぶ。
僕の前には、ビジネススーツのサラリーマンが、ペットボトルのお茶をひとつだけ持って、立っている。ありふれた光景のはずなのに、彼のうしろ姿が、変貌した世界の象徴のように見えた。

「世界は滅ばん。ただ、変わるのだ。君たちが望みさえすれば」 ――『青の6号』より


一日目の深夜、ニュースの合間に『装甲騎兵ボトムズ』を見ていた。
この作品は、オープニングのワンカット目が、主役ロボのカメラのアップで始まる。歌詞が「地獄を見れば~」と転調したあたりで、今度は主人公の装着するゴーグルのアップとなる。
Votoms第一話冒頭では、ロボットのカメラ部に、実写のレンズを合成して、アイリスを表現していた――これが3クール目になると、手描きでカメラの絞りを作画するまでに進歩していく。
カメラ部のアップだけを映しながら、敵味方が会話する。そこでは相手を「見る」行為が、「視る」という機能に変換されている。カメラやゴーグルを介することによって、「見る」ことは「視る」ことへと精密化され、ノイズが除去されていく。


主人公キリコは、第一話で運命の女性フィアナと出会う。その時、キリコはゴーグルを外して、全裸の彼女を「見る」。判断不能なものと相対するとき、この作品ではカメラやゴーグルといった機器が、周到に排除されているのだ。

3クール目のラストで、キリコは自分の正体を「見る」ために、新たな惑星へと旅立っていく。――ここでいう「見る」は単にレトリックなのだが、実物のカメラのレンズで「視る」ことから始まり、やがて肉眼を経て、最後には文学的な意味で「見る」ことへと至るこの物語の、なんと切なく美しいことだろう。


われわれの世代には、安保闘争のような共有体験がないから、こんなにもアニメやマンガが重要なのだと、かなり昔に言われていたような気がする。

昨日18時からの節電の呼びかけは「ヤシマ作戦」と呼ばれた。それで規律が強化されるなら、結構なことだと思う。何もかもが、こんな日のために用意されていたような気がしてならない。

(C)サンライズ

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コメント

こんちには。お元気そうで何よりです。

ツイッターを見ていると、みんな「物語」を渇望してるんだなぁと思いました。
悪意の「ある」デマより悪意の「ない」であろうデマの方が目についたんですよね。(結果的に悪意があるように受け取られたのもあると思いますが)
おそらく色々見受けられる美談の多くにもフィクションは混じってると思います。
根底には「物語」を求める国民性があるんじゃないかなぁと。
なんかみんな一生懸命、物語を作ろうとしてる気がしてならないんですよね(笑
それは物心ついたころから漫画やアニメや特撮に接してきた日本人特有?なのかなぁなんて思いました。
それが、モラルや犯罪率の低下や規律に関わってるならとても素晴らしい文化だと思います。

投稿: さまね | 2011年3月13日 (日) 11時05分

■さまね様
いやはや。私は申し訳ないぐらい、無事なんです。

>悪意の「ある」デマより悪意の「ない」であろうデマの方が目についたんですよね。

そうそう。そうなんですよ。「理由のない善意」とでも言うんでしょうか、どこのだれとも知れない人たちが、美談を語り合っている。
正直に言うと、僕は「理由のない悪意」も「理由のない善意」も、同じように怖いんです。だから、Twitterはあまり見ていません。

>物心ついたころから漫画やアニメや特撮に接してきた日本人特有?

70年近くも戦争がなかったので、フィクションを過剰摂取する必要があったんだと思います。
石原慎太郎のような年代には、それが分からないんでしょうね。……彼も作家だったかも知れないけど、フィクションに注ぎ込むもの、望んでいるものが、ずいぶん違う気がします。

マンガやアニメに、行き場のない感情が膨大に流れ込んでいるんだけど、でも、日常には物語がない。それだけ、切実なんですよ。
結果的に、それで良かったのだと、今は思っています。フィクションが、現実への対応力を強化してくれるなら、それに越したことはありません。

投稿: 廣田恵介 | 2011年3月13日 (日) 11時34分

廣田さま

お元気そうでなによりです。
僕は11日は10kmほど歩いて帰りましたが、元々散歩が趣味だったので、どうってことはなかったです。
それよりも実家が福島県いわき市なので、親族や友人の安否確認でバタバタでした。
幸い、家屋の損傷は若干あるものの、津波も届かず、全員無事が確認できました。
今、ようやくネットを巡回しているところです。

11日は、情報も無く、連絡も付かず、断片的な人づての話に一喜一憂・・・途方にくれましたが、ギャラクティカ序章のサイロン攻撃の状況を思い出し、頭をクールに保つことが出来ました。
まさにサイロン攻撃が現実に起こったような気分です。

>何もかもが、こんな日のために用意されていたような気がしてならない。

自分にとってはまさにギャラクティカがそうです。
現実とフィクションとは切り離して考えることなんて出来ないと実感です。

まだまだ、余震などがあるので、東京も油断できないと思います。
「重要なことはひとつ、我々が今、交戦中であるということだ」
廣田さんもどうぞ気をつけてください。

投稿: かまタロウ | 2011年3月13日 (日) 17時33分

■かまタロウ様
ご家族、ご親戚ともに大事なくて何よりです。福島県ですか……肝を冷やしますね。

私は「嘆くのはあとだ。全員、与えられた職務を全うし、この難局を共に乗り切ろう」というアダマ艦長のセリフを思い出していました。
この「与えられた職務」という部分が重要で、大きなお節介をせず、自分の為すべきことをすれば良い、と私は考えます。
小額ですが、募金はしました。しかし、ネットに散見される「善意のひけらかし」には、いささかウンザリしています。

>現実とフィクションとは切り離して考えることなんて出来ないと実感です。

節電を「ヤシマ作戦」と呼ぶことを気に入らない人もいるようですが、たったそれだけで事態が快方に向かうなら、別にいいじゃないかと思いました。他に依拠するものが、ないのであればね。

現実とフィクションって、互いに助け合うようにして存在しているんだと思います。
そもそも、『ギャラクティカ』自体、9.11のアタックが無ければ、まずこの世には生まれていなかったであろう作品です。現実とフィクション、どちらが主でも従でもありません。

そして、あの作品から学べることは、あまりに大きい。
私はギャラクティカが戦場から離れており、結局は現地に行かず、避難民の防盾としての役割を選ぶというプロットを気に入っています。それはカッコいいからではなく、知的な判断力を示してくれたからです。
自分が即戦力になれる場所はどこか、冷静に考えた方がいいということですね。

何か出来ることはないかと焦るより、家でアニメを見ているほうが「得策」な場合もあります。そちらも、どうぞお気をつけてください。

投稿: 廣田恵介 | 2011年3月13日 (日) 22時32分

廣田さま

>「嘆くのはあとだ。全員、与えられた職務を全うし、この難局を共に乗り切ろう」

この台詞も身に染みます。今の自分に出来る『職務』とはなんでしょうか??とりあえずtwitterでも始めるつもりです。あまりtwitterって積極的になれなかったのですが、今回の震災での影響力は見過ごせません。
あと、募金もありがとうございます。

>自分が即戦力になれる場所はどこか、冷静に考えた方がいいということですね。

当初はアダマ艦長も熱くなっていましたが、ロズリン大統領の助言で冷静になりましたね。
今の自分にはギャラクティカ自体が知的な判断に導いてくれているような気がします。

>何か出来ることはないかと焦るより、家でアニメを見ているほうが「得策」な場合もあります。

自分はひたすら『ギャラクティカもうジャンプ出来ないバージョン』をこしらえています。
家人には『よく冷静に模型なんて作れる』なんて言われますが、こういう時だからこそ・・・
この瞬間に『ギャラクティカ』を作ることに運命を感じます。
忘れられない模型製作になりそうです。

投稿: かまタロウ | 2011年3月15日 (火) 01時00分

■かまタロウ様
僕もさっき、[fg]を拝見して、「ダメージ・バージョンのギャラクティカ、変な時期に作りはじめちゃったね」と苦笑していたのですが、これはこれで意義があることですね。まさしく「もうジャンプできない」ので。
[fg]で、淡々と模型をつくっている人たちは頼もしいですよ。

>あまりtwitterって積極的になれなかったのですが

僕は、初日こそ、せめて情報をリツイートしようと試みたのですが、3回ぐらいでやめました。「どうも、これは違う」と思えたので、自分の耳で聞いた地元の停電情報だけ書くようにしました。
(「マークワン・アイボール、自分の眼で探せ!」というヤツです。本当に『ギャラクティカ』には色々つまってますね)

募金も、笑ってしまうほど小額ですよ。これもやはり、余裕のある人はたくさん寄付すればよろしい、と考えています。
自分の生活が逼迫してでも募金するのは、どこか間違えています。

あとは、本業を今まで以上に、より良くしていくことですね。

投稿: 廣田恵介 | 2011年3月15日 (火) 01時57分

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