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2011年3月31日 (木)

■0331 ジャイアントロボ■

ようやく、長すぎた3月も終わろうかという日、地震で崩れたDVDマウンテンの中から『ジャイアントロボ 地球が静止する日』を発掘、視聴。
Img_giantrobo_2日本のありとあらゆるロボット・アニメは、「過去の惨劇」をバックボーンにしている。「絶対安全」なエネルギー、シズマ・ドライブが暴走する『ジャイアントロボ』は、特に悲観的な未来像を示している。

……と冷静に書いてはみたものの、第3話で、大作少年が「お父さん、どうしてジャイアントロボ(の動力源)だけが、原子力でなければならなかったのですか?」と問いかけるシーンには、震えがきた。
チェルノブイリ原発事故から、6年後の作品である。
この作品でも、シズマ・ドライブの実験炉が崩壊するシーンには、原発、そして原爆のイメージが強く影響を残している――が、この作品における「原子力」という言葉には、50年代SF映画のような、レトロな響きが感じられる。

しかし、原子力で動くロボットを、あえてわざわざ息子(後につづく世代)に託すというアイデアは、今後、少なくとも日本で使われることはないだろう。


『風の谷のナウシカ』は、「火の七日間」によって、すでに地球全体が汚染されている前提で始まっているが、『AKIRA』は「新型爆弾」が投下された後、高度経済成長期をあからさまな手本につくられた世界だ。
東京を壊滅においやった「アキラ」は、当時の科学者たちによって、地下施設に隠され、何重にもコーティングされて、管理がつづけられている。

『新世紀エヴァンゲリオン』も、人間の手におえないものを、無理やり運用しているという意味では、原子力発電に通じるものがある。暴走する零号機を止めるために使われたのは、特殊な樹脂であった。

――これらのフィクションが予言的であったとか、警鐘を鳴らしていたとか言うつもりはない。しかし、「日本だけが、なぜこうまで平和でいられるのか」という苛立ちが、享楽の80年代の間にさえ、常にピリピリと振動をつづけていたように思う。


三鷹駅前は、まだコートが必要なぐらい、寒い。
昔と同じように、なじみのクリーニング屋を利用でき、店じまいする飲食店すらないのを、むしろ夢のように感じる。

(C)光プロ/東芝エンタテインメント/フェニックス・エンタテインメント

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2011年3月30日 (水)

■0330 アクエリオン■

「アクエリオン 完全合体 Blu-ray BOX」 本日発売
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●ブックレットの一部、構成・執筆
たった4ページなんですが、『アクエリオン』の歴史を執筆、あとは世界観の表などを作成しました。
初期スケッチや、河森監督お手製のレゴの写真がデータ化されているのは把握していたので、仕事は早かったです。
「フィギュア王」で狂ったように『アクエリオン』の特集を組んでいた甲斐がありました。

見本が届いて、まずは劇場版『壱発逆転篇&創星神話篇』を視聴。コメンタリーは、各プロデューサーと寺島拓篤さんら。つまり、毎年行われていた「神話的合体新年会」の延長戦となっているのです。

しかしまあ、『創星神話篇』の雲海での戦闘シーンは、ものすごいわ。
T0005592aでも、作画とちがって、CGには評価軸がない。「たくさん枚数を使っている」とか、そういう誉め方もできない。「このカットは、誰が担当したんだ」とか、そういうことを聞く人も、あまりいないし、難しいね。あと、スタジオによって、けっこう方法論が違うように思う。
サンジゲンが戦闘シーンを担当した『奏光のストレイン』など、けっこうスゴイんだけど。

僕も何度かサテライトに取材に行って、CGを「作画的に」理解しようと努めたんだけど、それは間違っていたね。新しい評価軸を探さないと。


明日31日の23時から、藤津亮太さんとTwitterで対談ならぬ雑談を開催します。お題は『魔法少女まどか☆マギカ』。
まったく個人的な思いつきでやることなので、ウザイと感じられたフォロワーの方は、遠慮なくリムーブしちゃってください。


赤坂のビルで打ち合わせ。エレベーターの半数が止められていたが、誰も困った様子はなく、とても静か。
「もしかすると、何も起きなかったんじゃないか」という気持ちすらしてくるが、事態は継続中だ。僕個人に関して言えば、「黙ったら終わり」と思っている。

(C) 2007 河森正治・サテライト/Project AQUARION

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2011年3月29日 (火)

■0329 花見■

昨夜は、一度だけ仕事した同業者に誘われて、新宿で飲み。
Caen5f6o駅前は節電モードだったけど、歌舞伎町は節電関係なし(笑)。うん。だから、飲むときは徹底的に飲んで騒いで、いいんだよ。自分の手の届くところで、節電すればいいのであって。

いっしょに飲んだ同業者の方は、私などより博識で、えんえんとオタトークが続いたのであるが、仕事の話をすると、「もう僕らは、出来るだけ多くの有意義な書物を残すのみですよ。みんな、その意志だけは変わらないと思います」と語気を強めた。

ま、あとは「フラウ・ボゥとセイラさんの入浴シーンは、たまたまそこにカメラがあったという感じがして、それがミライさんのヌードとは違うエロさを醸してますよね」とか、そういう話をしてたんですけどね。

私はキャバクラには行かず、ゴールデン街をひとり転々として、タクシーで帰宅。
小さなバーで、女装している新人らしいバーテンダーが手持ち無沙汰にしていたので、なるべく話しかけてあげた。俺は、酒の席ではフェミニストである。

あちこちで、原発ネタのジョークが飛びかっていた。いいんだよ、酒の席だもの。


「井の頭公園での花見は、ゴミが出るから禁止でいいよ」とツイートしたら、知らない人から怒られた。うん。だから、汚さなければいいよ。みんなが自主的にゴミを回収し、ゲロをトイレで吐いてくれるなら、俺だって野暮は言わんさ。

あとは、「夜間の節電は効果がない」とか「東京で節電しても、被災地を助けることにはなりませんよ」とか、日々いわれております。みんな、正論ふりかざしたいんでしょうなあ。
そういう、正論シンドロームも、まあいいのかな……という気がしてきた。
いまの日本で、後ろめたさを感じずに暮らしている大人は、ほとんどいないだろうから。みんなで、少しずつ罪悪感を解消できるなら、それはそれでいいことなのかも知れない。

僕の節電・外食も、ささやかな思想。夜間に節電して意味なくても、だからってガンガンに電気を使うのは、後ろめたい。そういうこった。


井の頭公園ぞいには高層マンションが立っているけど、中学のころの友だちが、そこに住んでいたんだ。
この前、井の頭公園を散歩しているとき、ママ友たちでベランダでお花見したという話を、ふいに思い出した。うちの母も参加したんだけど、どこかのママさんが、俺の悪口を言っていたと本気で怒っていた。
あの人は、いつでも、俺の味方でいてくれたよなあ。

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2011年3月28日 (月)

■0328 青の6号■

夜中、なんだか我慢できず『青の6号』のDVDを引っ張り出す。とりあえず、2巻まで。
Ban1_02何の説明もなく、東京が水没している。青の6号がドック入りしていたのは、「新宿ベイ」で、そこまで水位が上がってきているということ。

このアニメの面白いところは、全4巻が完結するまで、時間がかかったため、ちょっとずつ路線変更していることだ。ヒロイックな戦闘シーンは第一話までで、最終話に向けて、悲壮感が増していく。
一度は廃棄したはずの核弾頭を「最後のカード」にすべく、沈没した旧ソ連の原潜を再就役させる――同時に、敵対しているゾーンダイク側も、核弾頭を掘り出す。どちらが正でも邪でもない。

人間の業を描いた作品。もう10年以上も前だ。


3DCGとの「融合」ばかり話題にされる本作だが、2Dパートのフルデジタル化の恩恵も見逃してはならない。分かりやすいところでは、モーションブラーとか。
Untitledあと、6号の発令所が、戦闘中は赤と青の照明になる。これは塗り分けではなく、パラをかけているはず。
(←これはグランパスのドライドックだけど)
ノーマル色のキャラが、発令所に入ると、ちょっとだけ赤く染まったりしている。
あと、速水のズボンが色トレスだったり、セルでは面倒なことを、ちょこちょこやってますね。


郵便局に救援物資を持っていったんだけど、送り先を確認し、紹介してくれた人にも注意事項を聞いて、つつがなく郵送されると思いきや、「局留め扱いになる」という。
まあ、それは仕方ないよね。でも、「局留めになる」と言い切るまで、2人がかりで、えんえんとマニュアルをめくっているわけですよ。どっちか、ひとりでいいじゃん。
で、「宛名を書き直すので、そのマニュアルをこっちへ渡してくれませんか」と言ったら、「規定によって、お客様には渡せません」と、メモとりはじめるんです。たった6文字なんだから、今そこにある白紙の宛名状に書けばすむじゃん……。

「こりゃあ、届かないかもな」と、あきらめ半分で局を出た。
しかし、三鷹市役所が日曜日まで、救援物資を集めているから、そっちへ行ってみよう。
税金の督促状ばかり送ってくる市役所は嫌いだけど、そういう問題じゃない。


あとは、両親の加入していた携帯電話の解約。
なかなか面倒な手続きが必要なのだが、こっちは筋がとおったことを言っているので、何も腹は立たない。「あなたにお手間をかけますが、こちらもそれなりに手間をくうのです」という、共同作業になっている。
郵便局の場合は、「俺には何もさせず、局員がぜんぶやろうとする」から、こっちもイライラしてしまうわけ。
どこで何がどう滞るのか、いろいろ見えてきた気がするね。


(c)1998 小澤さとる/バンダイビジュアル・東芝EMI・GONZO

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2011年3月27日 (日)

■0327 攻殻機動隊■

若い友人に誘われて、『攻殻機動隊 S.A.C. Solid State Society 3D』へ。
超満席のバルト9、上映が終わって出るだけでも数分待たされるのに、災害時には一体どうなるのかと。やはり、そんなことが気になってしまう。

『SSS』は、すでにDVDで見ていたので、高齢化社会と小子化問題をうまく結びつけていて、156089_1 当時は感心したものでした。
3D効果については、主観カットでディスプレイがインしてくるのは、ちょっと快感でした。しかし、電脳空間にダイブする快感とそれに伴う「怖さ」をついては、士郎正宗さんの『攻殻機動隊2』の方がすごい、ギブスン流に言うなら「電撃的」ってやつですよ、と友人に勧めておきました。

アニメーションは、平面でしかないものをいかに立体化(空間化)するかに専心してきたので、3D化は「屋上屋を架す」ことにしかなりません。
どこまで行っても2Dでしかないものの中に、空間を感じるから気持ちいいのであって、技術的にはマルチプレーンの発明のほうが、画期的であったことは間違いありません。

そして、高層ビル群の夜景を見渡すラストシーンに、どうしても未来を感じることができないのでした。あれはロスト・フューチャー。失われた未来の風景です。


三鷹中央通商店街で、阿波踊りスタイルの皆さんが義捐金を集めていました。
Cauyhlow ここまでハデな詐欺はなかろうと思い、5千円札があったので、募金箱に入れてきました。
あとは、百均ショップを2店舗まわって、ハブラシをさらに買い集め、箱の中をパンパンにして、岩手県の災害対策本部へ。

反原発デモには参加できませんでしたが、次回は参加します。
一方、ドイツでは25万人の反原発デモが行われたそうです。ドイツの人口は8,249万人です。国民の何パーセントが参加したのでしょう? 計算してみてください。

世界は変わると思います。しかし、それは「まだ原発に頼りたい」日本の失敗を踏み台にして変わるのです。


以下は個人的な話なので、分かる人にだけ分かるように書きます。

東京地方検察庁から、文書が届きました。私に、母の仇をとるチャンスが与えられることになりそうです。私は、すべての裁判に出席し、意見陳述を行います。
母の名誉のために、法廷で戦える。やはり、もう少し生きていなくては!と思いました。

(C) 2011 士郎正宗・Production I.G / 講談社・攻殻機動隊製作委員会http://cinema.pia.co.jp/piaphoto/title/240/156089_1.jpg

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2011年3月26日 (土)

■0326 原発■

今日は、『攻殻機動隊』の映画を見に行きます。
アニメをつくるにも、見るにも電気を使う……。第一話~第二話で原発事故を扱った『地球少女アルジュナ』の河森正治監督は、「これは矛盾だ。矛盾エンターテイメントと呼んでいい」と語っていました4188xq0bnrl (10年前のテレビ放映時は「原発」と呼べずに「反応炉」でした。レンタル屋にDVDがあったら借りてみましょう)。

『アルジュナ』では、最終話のひとつ前で、あらゆる石油製品が蝕まれて日本が壊滅します。その時、「原発を止める」という描写があったと思うのですが、DVDを知り合いに貸したままなので、ちょっと確かめられません。

ともあれ、アニメを楽しむのにも電気を使っているんだということは、心の片隅にとどめておく必要はあると思います――少なくとも、河森監督は意識しているわけですから。


中学生アイドル、藤波心さんのブログが「的を得ている」と話題になっています。→こちら
コメント欄の大人たちの叩きがスゴイ、ということも同時に話題になっております。「中学生は物の道理が分からない子供」と断定することで、自分が安心したいんでしょうね。
心さんの事務所にまで圧力がかかったそうですが、原発のことを言われると困る大人がたくさんいるってことですね。

私は、今回のことで、世論全体が脱・原発へ動くものと思っていたのですが、それは楽観でした。こんなことになっても、まだ「原発がないと、世の中が立ち行かない」と、(石原慎太郎ならともかく)一般の人まで言っているのには、ちょっと驚きました。

もう、元の生活はあきらめて(大電力を消費する東京ディズニーランドはもったいないけどサヨナラして)、今までより不便でも安全な生き方を構築すべきではないのでしょうか?
そう考えている人は、少数派のようです。
しかし、落ち込んでいる暇も、またなさそうです。


東京で放射性物質が見つかった最初の日、私は玄関に祭ってある母のところへ行って、謝りました。
母は、あと10年は生きられるはずだった。母の無念のためにも、私は「80歳ぐらいまで長生きしてやろう」と、正月に誓ったばかりなのです。
「お母さん、俺はそんなに長くは生きられないと思う。ごめんな」と。

私のような、ハゲたオッサンはいいんですよ。母の死をもって、廣田家は消滅し、私には妻も子供もありませんから。
しかし、上にリンクを貼った、心さん(まだ13歳です)のような子たちは、生きのびて、恋愛して、子供を残すべきです。そのために、老い先ながくないであろう私に、何ができるのか考えはじめています。

※『地球少女アルジュナ』はバンダイチャンネルで見られますね。→こちら
第一話は無料で見られます。

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2011年3月25日 (金)

■0325 買い占め■

百均に行って、買い占めしてきたぞ!
Caiho0p6……こう書くと、真にうける人がいるので、被災地へ送るためですよ、念のため。店頭には、ちゃんと残してきましたよ、全部は買わずに。
ハブラシ、ヒゲソリなどです。多品種小ロットは、かえって迷惑とのことなので、経験者に聞きながら揃えてます。
箱に詰めてみたら、ガバガバなので、明日さらにハブラシを買い占めてこよう。

あとは、犬猫同伴可能の避難所・仮設住宅の署名を、少人数だけど集めて、送った。→こちら
Twitterでも拡散してもらったけど、三回目に「あなたが署名してください」と書いたら、誰も拡散してくれなくなった(笑)。押し付けはイカンよな。

募金でも何でも、いろいろお節介を言う人がいるんだよな。「いい人になった気分にひたるな」とかさ。俺は家族も故郷もないから、ヒマつぶしなんだよ。
精神的に参っている友だちに「心療内科に行くことも検討したら?」とアドバイスしたら、知らないババアに説教されるしさ。俺は24歳のときから、精神安定剤もらってるよ。そのババアいわく「行っても悪い薬しか出さない」っていうんだけどさ(笑)。

世の中、いろんな人がいるんだぐらいの認識は、持ち合わせていただきたい。自分は間違っているかも知れない、という可能性を留保しつつね。


アニメの話でもしますか。
『フラクタル』に伊藤智彦さんが参戦……というのが、昨夜の10話だったのか。
Imageようするに、誰かが倒れても、別の戦力を投入できるのが、商業アニメのいいところだと思う。「常にチームプレイで成り立っている」制作体制から学べるものは、絶対にある。

アニメ業界って、ケンカしたら成り立たないんだよ。俺たちが「しょせん、ヤマカン」とか言ったところで、吉野弘幸さんが脚本に入ったり、こうして『オカルト学院』の監督が演出に来たりするわけだよ。それはやっぱり、ヤマカンの人徳なんだ。たとえ『フラクタル』が叩かれていようが、みんな助けに来てるもの。

スタジオジブリだって、ちゃんと他のスタジオの下請けやってるよ。押井守さんの言っている「みんなで幸せになる」が、この業界では実践されている(アウトロー気質の人は、あんまり仕事してないはず)。
そういうところを、まず僕らが理解して、いまの世の中に応用していこうよ。

……と、10話については一言も書けなかったけど(笑)、もう作画に勝負させるようなコンテにはしていないよな。それも、チーム全体の体力を考えての判断だと思うよ。


あと、『ドラえもん のび太の人魚大海戦』を見た。
やっぱり、しずかちゃんにコスプレさせるなら、せめて着替える直前のカットか、オフでいいから「のび太さんのエッチ!」は入れないと。

明日は『攻殻機動隊』を見に行くよ!

(C)フラクタル製作委員会

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2011年3月24日 (木)

■0324 モデルグラフィックス■

月刊モデルグラフィックス 5月号 明日発売!
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●'80s リアルロボットジェネレーション2 ダイダロスアタック!
巻頭特集のマクロス座談会(あさのまさひこ氏×五十嵐浩司氏×私)に参加し、「イマイ&アリイ製プラモデル パッケージ徹底偏愛史観」という記事を書きました。

前回のマクロス特集でも、徹底的に叩かれたので、私は『マクロス』に関しては「叩かれ担当大臣」ということで……。
『マクロス』は、『ガンダム』に比べてシャレが通じないというか、いじりにくい作品だと思います。


来月発売の「オトナアニメ」用に、『魔法少女まどか☆マギカ』の記事を書いています。
僕より若いのに散っていった少女たちのために、一文字一文字に魂をこめてます。だから、すごくいい文章になっているはず。メーカーさんチェックで、あまり直されなければいいなあ、と。

キュゥべえというのは、与えもするが奪いもする自然のようなもの。『まどか☆マギカ』の世界に強力なリアリティを与えているのは、キュゥべえの無慈悲さ・無関心さです。
「魔法が出てくるアニメに、リアリティなどあろうはずがない」という人には、俺はついていけない(笑)。

ラスト2ページに精魂こめて、脱稿したら、『ドラえもん のび太の人魚大海戦』を見ます。


フィクションの在り方は、これから大きく変わるでしょう。
でも、映画版『けいおん!』はスタジオが京都にあるので、マイペースで変わらないと思います(笑)。映画版は「そういう時代もあったのだ」という、記念碑的な暖かい作品になるでしょう。

「週刊少年ジャンプ」の無料配信について、「すごいことが起きている」とツイートしている人がいて、その言い方はおおいに気に入りました。ようするに、カネカネ・クレクレの時代が終わりつつあるのです。
スーパーの募金箱には、千円札がいっぱい入っていました。また、台湾がチャリティ番組で21億円もの義捐金を集め、被災した子供たちを受け入れると申し出ました。いまや、日本に起きたことが、世界の常識すら変えつつあるように感じています。

他人を蹴落として、自分だけが得したい弱肉強食の価値観は、過去のものとなるでしょう。
今日ぐらいは、楽観的なことを言わせてください。宗教よりも、政治よりも大きな何かが、この国から起こりはじめているように思うのです。

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2011年3月23日 (水)

■0323 別冊オトナアニメ■

別冊オトナアニメ コミック×アニメの最前線!!  明日発売
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●『それでも町は廻っている』
石黒正数先生へのインタビュー、原作とアニメの演出比較などなど、4ページ。キャラ紹介は、編集さんが書きました。
『それ町』以外では、原作物アニメの紹介を何本か。一本だけ、原作モノでないアニメが紛れ込んでいます。見つけてください。

……しかし、本当に出るのか! 震災前に書いた原稿だけど、製本は震災後のはずだぞ。ちゃんと出るのか、嬉しい! それでも物流は廻っている!
自分の関わった本が出るのが、こんなに嬉しいとは。この仕事についていて、良かった。

ちなみに、『それ町』のページはこんな感じ……。
Cadvnrz1大傑作であるアニメ版2話を取り上げて、原作ではどうだったのか、比較しています。この記事は、編集さんに「こんなページをやりたいんだけど」と提案して、ラフを切りました。アニメ版の画像は、ポニキャンさんにあるものを使い、キャプチャはしていません。材料が限られていても、記事はつくれます。

僕はそれほどマンガ読みではないのですが、石黒正数という人のコマに対する意識とか、ページに対する感覚が、何となく分かってきますね、こういう記事をやると。
インタビューして、すべて分かった気になってはあかんのです。


「おい。三鷹の食品を腐らせてはいかん。俺たちが救出するのだ!」と、地元の友だち2人 Cahx1ovx と居酒屋をハシゴしてきました。18時時点ではガラガラでしたが、2軒目は、ほぼ満席。よし。

友だちも、酒を飲むのは震災以来、初めてとのこと。彼もやっぱり、「はー、毎日、疲れる!」とため息をついていた。
飲みはじめてすぐ、ちょっと大きな揺れがきたが、店員は平然としていた。「事が大きければ大きいほど 石のように静かであれ」とは、風の谷のジルがナウシカを叱責して言ったことば。

そして、私と同じく「何だか、揺れてない時でも揺れてる感じがしない?」と友人。同様の証言は、ネットでも散見。東京の心療内科は、繁盛してると思うよ。今は、心が落ちつくなら、何をしてもいい。東京脱出しても、誰もとがめないよ。


さて、友人は妻子の待つ自宅へ戻ったが、私はひさしぶりに地元のキャバクラへ。
うーん……嬢の質は落ちましたね。一人だけ、ものすごく乳の形の美しい子がいたので、場内指名。
私はたいてい、キャバクラでは紳士なのだが、昨日だけは、まじまじと乳を鑑賞させてもらいました。もちろん、言葉でも誉めます。目でも髪でも唇でも服でも、どこか見つけて誉めること。もちろん何も見返りはないが、女性を誉めてもバチは当たらない。

あの子たちは、まだまだ子供を産める年齢なので、健康に生きのびて欲しいな。


週刊少年ジャンプが無料配信を開始。紙のほうがいいとか、読むのに電気つかうじゃんとか、ガタガタぬかさないこと。これから、数十年来つづいた常識は、どんどん変わっていく。
頑迷固陋な老人はほっておくとして、若いオタクは柔軟性をもとう。

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2011年3月22日 (火)

■0322 打ち合わせ■

短い時間をぬってのことなので、ブログも短いものになります。

出版社へ、打ち合わせに行ってきました。この企画は、11日以前に通っていたものなので、なかなかにお気楽な内容であることに、私も編集長も気がついていました。
なので、企画書には「震災以後の世界」という言葉を入れざるをえず、企画の方向も大きく変わりました。
新しい何かを加えるためには、古い何かを捨てねばならない。
(昨日の日記に書いた「穢れ」も、われわれの駆逐すべき“内なる敵”です)

それにしても……テーブルにつくなり、2人で「はーっ」と大きくため息をつきました。
「毎日、気が休まらない。疲れるよね」と、私よりは、はるかに楽観論者の編集長が苦笑します。
東京は何ら物理的被害がないのに、何を大げさな……と受けとられることは、分かっています。「東京こそが日本の中心」という傲慢があったことは、否めません。

東京は、神経過敏なのです。震災前から、ずっとそうでした。
ただでさえピリピリしているところへ、断片的な情報が入ってくる。だから、買い占めが起こりました。買い占めを叱責する声が上がりました。その間に、また新たな情報が入ってくる。
小さなイライラの集積が、この街の空気をつくっていたのかも知れません。そして、それは震災で崩れることなく、今もあちこちでピリピリと振動している気がするのです。


出版社は、駅から少し離れており、ゆるい坂道がつづきます。
集団下校する小学生たちは元気に笑っていましたが、いまここで大きな余震が起きたら、この子たちは、僕が守らなければなりません。建物の中に避難させるのがいいのか、それとも屋外の広い場所か。

私はもう、十分に生きたので、あとは求められる仕事を丁寧にこなしていくだけです。
しかし、それ以外の義務があるのだと、町に出ると思い知らされます。

……すみません、時間切れです。
傘の忘れ物がたいへん多くなっていますが、笑顔は忘れず。酒がさめたら、仕事です。

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2011年3月21日 (月)

■0321 「穢れ」■

明日は、出版社で単行本の打ち合わせです。23区内に出るのは、震災後、初です。
最初に、この打ち合わせ日程を組んだのは、11日のことでした。余震がつづく中、「再来週なら、落ち着くでしょう」と電話で話して決めましたが、その後、何日かすると、「原発が悪化したら再考」と短いメールが来ました。
でも、そろそろ本を出すか出さないかぐらいは決めないと――。

この十日間、「東京も(放射能で)ヤバいかも知れない」とささやかれはじめる中、ちょっとずつ各編集部から連絡が来るようになり、「あんたらが残って本をつくるなら、俺も最後までつき合うよ」という気持ちになれたことは、少し前に書いたとおりです。

同時に、「たとえネタがなくとも、ブログは毎日更新しよう」と決めました。
『ドラえもん のび太の人魚大海戦』を借りてきたのですが、明日の打ち合わせのために企画書を書かねばならないので、レビューは後日です。しずかちゃんのコスプレ姿が見られるみたいなので、今からモヤモヤしています。


日本には、「穢れ」という概念があります。
福島県の人をタクシーに乗せたくない、福島県の米や野菜は要らない……なぜなら、それらは「穢れ」ているから。このような意識は、払わねばなりません。しかし、それは科学や数字では払うことができません。残念ながら、僕らはそこまで合理的には出来ていない。

母の急死について、まだいくつかの事務的手続きが終わっておらず、彼女が住んでいたマンションCa0wrw0kへ話し合いに行ってきました。
もう誰も住んでいないので、自由に出入りしてもいいのに、管理会社は入ろうとしません。「成仏なさっていないと、困りますから」というのが、その理由です。プッと笑ってしまったのですが、母の部屋は「穢れ」ている、ということなのでしょう。

「穢れ」といって分かりづらければ、「バッチイ」でもいい。小学校のころ、「○○菌がついたー」とか、よくやってたでしょ? いま、その「バッチイ」が「放射能」という形で、われわれの目の前につきつけられている。
「穢れ」という概念を払うことは、われわれに課せられた新しい戦いです。


「地震から一週間が過ぎもまだテレビや街の雰囲気は、緊迫して切羽詰まった感がひしひし。この感じを何とかしたくって、ついついお店に置いてる“聖お兄さん”を何度も読み返してしまいます。(2号)」
これは、私がフォローしている三鷹のそば屋「味多香庵」さんのツイートです。
三鷹駅でも、旅行カバンを持った人たちを何度も見かけました。朝には「安全だ」と言われたことを、夕方には「注意すべし」といわれる生活に、もう耐えられないのでしょう。

昨日のブログのコメント欄に、このように書かれました。「東京のほとんどの人にはまだ仕事の場も、娯楽を楽しむ自由も、家庭もちゃんとあるじゃないですか」。
それで何かもかもが安心ならば、この街から逃げ出す人がいるはずがないよ(笑)。

明日は打ち合わせの後、ここ三鷹に住む友人と酒を飲みます。なので、ブログの更新はできません。その友人は、家族ごと疎開する予定を変更し、この町にとどまっています。
2人で暴飲暴食し、外食産業に貢献します。笑顔と誇りをもって、明日を迎えよう。

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2011年3月20日 (日)

■0320■

今日は、水のかわりに泥が流れ、ついには土に埋まってしまった玉川上水のほとりに、花たちの亡き骸を埋めに行った。
これで3回目なので、だいたい掘るのに適した場所が分かってきた。僕が遊んでいると思ったのか、子供たちが降りてくる。君たちも、花が枯れたら土に戻してあげなさいね。

その足でココイチへ行き、1,050円、消費してきた。廻れ、日本経済。こちらは日本外食党です。


例の「AERA」の表紙を叩いていたら、「寛容さがない」「ソーシャルの恐ろしさを見た」など、い1381691496ろいろ批判された。「AERAの表紙、イカしてるじゃん! お前らには、このセンスが分からんのか!」と正面から擁護してあげればいいじゃん。

プロ野球についても同様。「野球ぎらいのアニオタ」と呼ばれ、「こちらが騒ぐ問題ではない」と諭されてしまった。野球はアンタッチャブル、天災にも優先される神聖なる競技ということらしい。
だって、計画停電中でさえ、交通事故で死亡者が出ているのに、それでもやるんでしょ?

ココイチから戻り、水道の水を飲みました。今日の東京の水道水には、放射性物質が含まれています。友だちとメールで話すと、「本当は外に出るのも怖い」という話になります。
三鷹駅前を、大きな荷物をもって足早に歩く人たちがいます。
吉祥寺で「コーヒーの試飲、いかがですか?」と笑顔をふりまいていたアルバイトの女の子。彼女だって怖いはず。だけど、恐怖を笑顔で封じて、「私たちは負けない」と胸をはってるんじゃないか。

AERAもプロ野球も、東京を元気にしようと怖れをこらえている我々の神経を逆なでする。
これは本能である。本能の発する怒りである。


僕は、出かけるときは玄関に祭られている母に「行ってきます」と言うようにしている。「でも、帰れるのかな……」と思う。仕事の電話で「じゃあ、来週金曜に打ち合わせましょう」と言うけど、「その頃、東京、どうなってんだ……」と思う。

それでも、「この仕事は最後までやりたい」「この原稿は俺にしか書けない」と思うから、とどまることにしている。僕の関わった本は、西日本にも流通するのだし。
俺は三流だが、「書きたい欲」は旺盛だ。

いろいろ思うことはあります。『塔の上のラプンツェル』を見たい。『ゼーガペイン』や『地球少女アルジュナ』のことを書きたい。それらすべては、明日があったればこそ。
東京の諸君、明日も笑顔でがんばろう。水道水も、怖れず飲み干そう。こちらは、日本外食党です。

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2011年3月19日 (土)

■0319■

やっぱり、吉祥寺に来ると、元気が出ます。
カフェで、黙々と本に目を落としている人を見ると落ち着くし、あちこちのお店に「節電中」とか「頑張Cahzrvdpろう」とか書かれていて――世界が変わってしまったのは、決して悪いことばかりではないのだ、と気づかされる。

『マイマイ新子と千年の魔法』のとき、特製チラシを置いてくれたブックス・ルーエは、新しくポイントカードを始めた。
ルーエではあまりお買い物しないので、「すみません」とお断りして、「季刊S」4月号を購入。
うーん。いやいや。チクショウ!って感じです。本をつくっている人が、本の批評を始めたらおしまいなんですが、まだ発売されてない私の仕事と、いくつかカブっているので、「うまいことやってるなあ、チクショウ。面白いじゃねーか」です。


たとえば、『魔法少女まどか☆マギカ』、新房昭之監督インタビュー、52ページ。新房さんのコンテ修正が掲載されている。
Cad0am1x これこれ。前から、「同じキャラが、同じサイズで、繋がらない芝居をしている」と言っていたヤツね。「あれは、わざとやっている」と書いたはずだけど、ちゃんとコンテで証明されたね。
インタビューでも、「つながらない絵をつなげる」って言ってるから、もう間違いない。いい記事だ。

ここまでやれば、「濃い記事」ってことになるんだろうね。
ただ、今のところ、僕の記事ではここまでは言及できない。それはもう、「媒体が違うから、もっと分かりやすいことを言いますよ」としか説明のしようがない。ちょっとずつハードルを上げたいとは思っているんだけど、それには編集者にいっぱい「貸し」をつくること(笑)。無茶な要求も受け入れて、「あの時、助けてやったんだから、次は好きにやらせてよ」って交渉する。初めから「俺の好きにやらせて」はナシです。人生、仕事も恋も、ギブ・アンド・テイクよ。

与えつづければ、いつかは得られると信じて、やっていくんだよ。


14日の夜、不安がピークに達したころ、編集者から電話があった。「お前、外にいるのか?」と言いそうになって、口をつぐんだ。自分の臆病さを恥じた。あの電話は稲妻であった。僕は射抜かれ、この場にとどまろうと決意せざるを得なかった。つまり、「どうせ死ぬなら、書きながら死のう」ということだ。

あの電話は、私のごとき無名のライターに、死に場所を決めさせてくれた。いや、電話の内容はグダグダですよ? 「なんかこう、読んでいる人が気の毒に思うような感じで」「ああ、この人、病気なんだな……みたいな?」「そうそうそう!」
僕らの仕事は、読者に笑っていただく、和んでいただく。だから、絶望してはいられない。その電話で気がついたんです。

いま、他誌の原稿をやってます。それでも、ブログは、なるべく毎日更新します。

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2011年3月18日 (金)

■0318 野球やりたきゃ、別の惑星でやれ■

昨夜は『ドラえもん 新・のび太の宇宙開拓史』を視聴。
ジャイアンとスネ夫に「空き地を中学生にとられたから、野球できる場所を探してこい」と命じられたのび太は、開拓中の惑星を探しあてる。
おい、セ・リーグよ。野球やりたきゃ、別の惑星でやれ。加藤良三コミッショナーは「批判は覚悟の上」と言っているので、批判する。震災以前・以後で頭を切り替えられない老人は、復興の邪魔!

俺は、この老人たちより長生きは出来ないだろうけど、こいつらを駆逐するまでは生きようと決めた。


『新・宇宙開拓史』については、あまり書くことはないので、今夜は『のび太の人魚大海戦』を見ることにします。
どうも、『ドラえもん』はストレートにSFをやるよりは、『魔境大冒険』のように「気がついたら、話の構造がSFになっていた」という方がエキサイティングなようです。

関東では『フラクタル』第9話が、無事に放映された。
Image_2_2震災前に放映された第8話の絵コンテ・演出は、第2話も担当した神戸守さん。カッチリした機能的なコンテで、気持ちがいい。
キャラクターの全身を入れたロングの絵と、かなり寄った顔のアップ。この二つを使い分けている。
寄りの絵では動きを最低限に、表情を見せる。微妙なニュアンスは、手前に障害物を置くことで表現している。――フリュネの前に、格子のようなベッドを置いて、彼女が囚われていることを暗示したり、ネッサのコピーが入っているタンクを止めようとするクレインの前に、泡だった赤い水溶液を入れて、必死な感じを出したり。その水溶液がフレームアウトしたところで、聞きゼリフを言わせるとか。

そういう地味な演出をコツコツやってくれるのが、この作品のいいところだと思う。
第9話でも、ネッサの芝居にすべてを賭けるようなカットがあって、なかなか良かったんだけど……だから、あまり大きな話にはして欲しくなかった。「事態の大きさ」では、現実のほうが凌駕してしまっているから。


『魔法少女まどか☆マギカ』第10話は、テレビ放映は見送られたけど、ニコニコ動画で配信。こんな状況下で見たら鬱になるかと思ったけど、むしろ逆であった。追いつめられていると感じている人ほど、第10話は見たほうがいいよ。

第9話までは、まどかの一人称視点でしかなかった。第10話で物語は二人称になり、悪夢の構造51dw44ihrl__sl500_aa300_が明らかになってくる。それこそ、『ドグラ・マグラ』のような悪夢の循環を、もしかしたら断ち切れるかも知れない……という強い意思が表明される。
この物語は、もうハッピーエンドで終わらざるを得ない。絶望は、もう十分に描いた。

僕たちは、いまや裸眼でものを見ている。
一週間前の午前中までは、一人称で世界を見ていた。今でも、部屋に一人でいると、一人称視点でものを考えてしまう。
人に話しかけて、二人称へ視点を広げる。三人称で、自分の置かれている状況を見る。今の僕らには、それが出来る。
「人のために」「全体のために」――そんなことを、『まどか☆マギカ』から教えられるとは。

(C)フラクタル製作委員会
(C)MagicaQuartet/Aniplex・Madoka Partners・MBS

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2011年3月17日 (木)

■0317■

吉祥寺駅へ行ってみた。いつもと変わらない平日昼間の風景。井の頭公園では、アベックのうち女性のほうが、梅の花を写真に収めようと、熱心に粘っていた。
女子高生の団体が笑顔で歩いていたので、「おいおい、学校やってんのかよ」と感心していたら、頭上で爆音を響かせるヘリを指さして「カッケー!」と言っている女子中学生の2人組。
三鷹では、ほとんど客のいない美容院も、吉祥寺では満席であった。

こういうときは、何だか女性のほうが元気に見えるんだよな。

そして、三鷹へ徒歩で帰ってきたら、お気に入りのパン屋さんが、せっせと焼きたてのパンを並べていた(数日前まで、オイルショック世代の略奪的買い占めに見舞われていたのに)。
店から出てきた子供が、母親に「アンパンマンいたよ!」と話しかけていて……今ごろ、『アンパンマン』の偉大さに気がつくのであった。

あ、大人は『ギャラクティカ』のDVDを見ようね。


しかし、私は『ドラえもん のび太と緑の巨人伝』を視聴。
ほとんどストーリーの解説が不可能なほど、入り組んだ映画なのに、とにかく圧倒される。 文学的な意味では「いったい何がどうなってんの?」と混乱するばかりなのだが、緑に覆い尽くされ、壊滅した東京の「絵」を見て、ただ言葉を失う。

あるいは、ゲスト・ヒロインのリーレ姫が、マスコット・キャラのキー坊をトンカチで叩こうと躍005_2起になるシーン。物語上、完全にオミットしてもいいはずなのだが、とにかく動きが面白い。キー坊がちょこまか動くので、右側を叩いたら外れてしまい、今度は左側を叩く。ちょっとフェイントをかけただけの芝居なんだけど、ちゃんと面白い、笑わせる。

もうひとつ、好きなカットは、飛行艇が水面ぎりぎりを飛んでいて、翼で水を切ってしまうところ。カメラは後ろから飛行艇を追っているので、ドーンと上がった水柱がカメラ手前まですっ飛んでくる。カッコいいです。

あ、金子志津枝さんが作監じゃん。結局、監督より作監が、アニメ映画の作風を左右するのではないか。「哲学は、絵づくりに現れる」という確信を、ますます深めてしまうなあ。


いちばん良かったのは、やはり日常系のシーン。
キー坊がいなくなってしまい、のび太は、ジャイアンとスネ夫に行方をたずねる。2人は金網につかまって遊んでいるが、左手でつかまっていたジャイアンが、くるっと回って右手でつかまる。余計な芝居なんだけど、余計だからこそイイ!

つづいて、のび太はしずかちゃんに会う。場所はスーパーの前なのだが、しずかちゃんが持っているスイカのアップから始まる。そのバックには、スーパーに入っていくオバサンの足が見える。――モブの使い方が上手い!
次のカットは、引きの絵で、スーパーの前で話すしずかちゃんとのび太。このカットはレイアウトというか、パースがぴしっと決まっているのだが、そこに買い物するオバサンたちが入って、画面に適度なノイズを与えている。気持ちいいっす。

のび太は、走って横断歩道を渡る(おばあさんとすれ違うのだが、このうるさくならない程度の通行人の入り方、使い方が秀逸)。向こう側の歩道を歩くしずかちゃんを目で追っているのび太。止めなんだけど、ポーズがリアル。
そこへ出木杉くんが来て、のび太はあわるてのだが、腕が瞬間的に3本ぐらいになっている。「オバケ」というやつですね。残像。こういう絵を不意に入れられるのが、『ドラえもん』の利点だね。

もう俺、金子志津枝さんのストーカーになろう(いや、作品的な意味でね)。


今月末発売の某誌、編集が粘りに粘って、入稿完了!
しばらく音信のなかった別の編集部からも、「こんな時だからこそ、先のことを考えたい」とメールあり。キャンセルになっていた打ち合わせも、来週に決定。
藤津亮太氏、朝日カルチャーサロン「アニメ映画を読む」を3月19日に開講。申し込みはこちら

東北でプロたちが頑張っているので、東京のプロたちも意地を見せはじめた。

(C)藤子プロ・小学館・テレビ朝日・シンエイ・ADK 2008

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2011年3月16日 (水)

■0316■

昨夜から、スーパー!ドラマTVにて、『ギャラクティカ』シーズン3の再放送がスタートした。
Battlestar20galactica20season20320pサイロンに占領統治され、人々が拉致・拷問を受ける中、レジスタンスが黙々と抵抗をつづける。
「彼らの戦いは、時に空しい意思表示にも見えるが……希望を持ち続けるには、やはり必要なことである」と、ローラ・ロズリン元大統領が記す。

シーズン3では、放射能の中をパイロットたちがくぐり抜ける悲痛なエピソードがあり、当時は「どうしてギャラクティカの乗組員だけ、こんな危険な任務につくんだろう」と首をひねったが、今なら分かる。
彼らが危険を顧みないのは、プロだからだ。

フィクションには、現実を支える力がある。こと、『ギャラクティカ』は、今の日本人には必要な作品です。(だから、「国内放送はNHKで!」と言っていたのに。レンタルもありますので、まず『序章』だけでも見てください)


さて、TSUTAYAで借りてきた『ドラえもん のび太の恐竜2006』。
T0004064非常に評価の高い作品なんだけど、僕は『新・魔界大冒険』『新・鉄人兵団』のほうが好きです。
以前から言っているように、作品のポリシーや哲学は、映像表現に現れる。『のび太の恐竜2006』は、たとえば太陽光のフレアを多く使っているんだけど、どのシーンもだいたい同じなんです。光の方向とか、フレームに占める面積が。
でも、それ以上のきめ細かいフレアの使い方は、本来、『ドラえもん』にはそぐわない気もする。何をするにも「適度」なんですね、この作品。
一部、カッとんだ作画があったのは、あれは松本憲夫さんなのか。

『新・魔界大冒険』で作監をつとめ、『新・鉄人兵団』でキャラデを担当した金子志津枝さんは、『恐竜2006』では原画マンのひとり。
しずかちゃん尺度で言うと、『新・鉄人兵団』が突出してるんですね。『恐竜2006』のしずかちゃんの瞳は、黒の塗りつぶしでしかない。『新・鉄人兵団』は茶色でグラデをかけた上に、明るい茶色でハイライトを入れている。
『新・魔界大冒険』で、台風の中を歩いてきたしずかちゃんが、やっとのことでお店の壁につかまり、シャッターの前に飛び込んで風をよけるシーンなんて、素晴らしかったからね。


話がそれたけど、『恐竜2006』はウェルメイドなんだと思う。僕は、どこか話を詰め込みすぎで、どこか了解不能な演出のある『新・鉄人兵団』や『新・魔界大冒険』のトゥー・マッチな感じ、変幻自在で柔軟性のある演出が好きです。

『恐竜2006』で、ウェルメイドなりに良かったのは、ティラノサウルの餌食にされそうになったのび太たちが、「僕の方がおいしいよ」とおとりになるシーン。仲間を助けるために、自分が犠牲になる――ちょっと今、そういう心理に弱くなってます。
そして、今夜は『のび太と緑の巨人伝』を見ます。映画は、やはり暗闇で見るべき。


三鷹駅南口に行ってみたら、マクドナルドや吉野家ほか、個人商店も通常営業。交差点ごとに警官が立っていて、頼もしい。
若い子たちが、笑顔で働いている中、持ちきれないほどトイレット・ペーパーを買い込んでいる老婆がいました。ああいうのを責めるのをはばかっている方もいらっしゃいますが、俺は見苦しい・醜いと思うので、精神衛生の立場から、嫌悪を示します。
あんなババアが生き残っても、地球上に害悪しか垂れ流さないと思うので。

そして、「どうぞ、お先に」と素直に言える若い人たちの精神は、どこで育まれたのかな、とも思うのです。僕らは、いろんなものを見落としてきた。

Film (C) 2006/2007 Universal Studios. All Rights Reserved.
Copyright© 藤子プロ・小学館・テレビ朝日・シンエイ・ADK 2006

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2011年3月15日 (火)

■0315■

深夜、某編集部から電話。地震の前から音信が途絶えていたので、「今号の記事は流れたな」と決め込んでいたのだが、「やっぱり書いてほしい」などと言う。
朝からスタジオにこもって、今さっき、編集部に戻ってきたらしい。この男から依頼があると、決まって「やれやれ」とため息が出るのだが、いつも引き受けてしまう。

それはねえ……みんな、主役になりたいのですよ。まんまと自分だけが助かっていることに対する罪悪感を、義務感で打ち消したいのです。
「早く通常運行に戻らんかな」と言っている人もいるけど、とんでもない。戻り道など、最初からないですよ。生まれたときから、ずっとそうだったじゃないですか。いつでも、一本道ですよ。


だから、『ドラえもん のび太の新・魔界大冒険 ~7人の魔法使い~』のクライマックス、タイムマシンで過去に戻り、「すべて無かったことにして」幕を引いたはずのドラえもんとのび太が「ちょっと待てよ」と、残してきた未来へとオトシマエをつけに行くシーンに泣けるのです。
005(昨日、TSUTAYAで借りてきました。『のび太の新・鉄人兵団』と同じ、寺本幸代監督作品)

『新・鉄人兵団』では、異星から来た少女・リルルとしずかちゃんが出会うシーンが、『ドラえもん』にしては、妙に生々しいリアリズムで描かれていた。
この『新・魔界大冒険』でも、「目が覚めたら、魔法の国になっていた」衝撃を、『ドラえもん』らしからぬタッチで印象づける。

その驚嘆すべきカットは、のび太の部屋の窓際、勉強机の上から始まる。机の上には、朝陽が差し込んでいる。カメラは、ゆっくりと右へパンして、まだ眠っているのび太を映そうとする――が、そこへ一足はやく起きてきたドラえもんの頭が大きく入り、画面を遮るのである。シーンの冒頭で、こんな不明瞭な演出は、普通やらない。
こと、ドラえもんのように子供にもシーン転換をはっきり見せねばならないアニメで、ここまで日常感を出してはいけない……が、いけないことをやるから「何かが起きた」感じが出るのである。

机からのび太の寝ている布団へパンすると、位置関係的にドラえもんが「入らざるを得ない」。さらに、カメラがパンしきって、のび太をフレームに収めると、「フレームの外にいるドラえもんが」窓をあける。のび太の顔に落ちるカゲが動くから、「窓をあけた」と分かるわけだ。……このカットだけ、リアリズムの基準が、明らかに『ドラえもん』の約束事が逸脱している。
が、「異星」「異界」を出現させるとき、寺本幸代という人は、物理的なリアリズムで約束事を破壊する。


ゲスト・ヒロインの美夜子と、のび太たちが出会うシーンも、素晴らしい。
007魔界星からの隕石が、森に落ちる。ジャイアンとスネ夫が森に駆けつけると、真上から光が差し込んでいるのだ。そのシーンのみ、キャラクターの色が淡くなっている。しかも、真上からのライティングなので、カゲの付け方が、他のシーンとまったく違う。
何とも美しい違和感をかもし出しているのだ。

魔界星に着いてから、追ってくるドラゴンたちを撃退するシーン。岩肌を滑り落ちていくドラゴンは、火を吹いたまま。だから、ワンカットだけ、炎が岩肌をバリバリと走っていく絵が入る。ほんの一瞬だが、ダイナミズムが出る。
そんなシーンを拾っていったら、本が一冊、できてしまう。しずかちゃんのパンチラならぬパンモロの大盤振る舞いといい、見るべきところの多すぎる一本。


……とまあ、この歳で『ドラえもん』映画に目覚め、しずかちゃんにモヤモヤし、それでも地震のシーンが出てくると、汗が出るほど怖ろしい。

『AKIRA』も『エヴァ』も、ありとあらゆるSFアニメは、過去の大惨劇を前提にスタートしている。アニメだけが「世界の終わり」を描きつづけた。
それは、僕らの抱える罪悪感のあらわれかも知れない。しかし、もう破滅を描く必要はない。破滅も悲惨も、もう十分だ。

世界は変わってしまったが、今は変貌した世界を受け入れて、新しく生きるしかない。

(C)藤子プロ・小学館・テレビ朝日・シンエイ・ADK 2007

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2011年3月13日 (日)

■0313■

ぬるい空気の中を、路線バスがゆく。
歩道に、花をそなえている親子が見えた。地震とは関係なく、かつて交通事故があった場所なのだろう。平時でも人は死ぬ。不合理な、不条理な理由で。
そんな風にして違ってしまった世界を、それでも僕らは多少なりとも、良くしていかなくてはならない。

用事をすませて、スーパーの列に並ぶ。
僕の前には、ビジネススーツのサラリーマンが、ペットボトルのお茶をひとつだけ持って、立っている。ありふれた光景のはずなのに、彼のうしろ姿が、変貌した世界の象徴のように見えた。

「世界は滅ばん。ただ、変わるのだ。君たちが望みさえすれば」 ――『青の6号』より


一日目の深夜、ニュースの合間に『装甲騎兵ボトムズ』を見ていた。
この作品は、オープニングのワンカット目が、主役ロボのカメラのアップで始まる。歌詞が「地獄を見れば~」と転調したあたりで、今度は主人公の装着するゴーグルのアップとなる。
Votoms第一話冒頭では、ロボットのカメラ部に、実写のレンズを合成して、アイリスを表現していた――これが3クール目になると、手描きでカメラの絞りを作画するまでに進歩していく。
カメラ部のアップだけを映しながら、敵味方が会話する。そこでは相手を「見る」行為が、「視る」という機能に変換されている。カメラやゴーグルを介することによって、「見る」ことは「視る」ことへと精密化され、ノイズが除去されていく。


主人公キリコは、第一話で運命の女性フィアナと出会う。その時、キリコはゴーグルを外して、全裸の彼女を「見る」。判断不能なものと相対するとき、この作品ではカメラやゴーグルといった機器が、周到に排除されているのだ。

3クール目のラストで、キリコは自分の正体を「見る」ために、新たな惑星へと旅立っていく。――ここでいう「見る」は単にレトリックなのだが、実物のカメラのレンズで「視る」ことから始まり、やがて肉眼を経て、最後には文学的な意味で「見る」ことへと至るこの物語の、なんと切なく美しいことだろう。


われわれの世代には、安保闘争のような共有体験がないから、こんなにもアニメやマンガが重要なのだと、かなり昔に言われていたような気がする。

昨日18時からの節電の呼びかけは「ヤシマ作戦」と呼ばれた。それで規律が強化されるなら、結構なことだと思う。何もかもが、こんな日のために用意されていたような気がしてならない。

(C)サンライズ

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2011年3月11日 (金)

■0311■

『メイキングオブ マイマイ新子と千年の魔法』 本日発売
518m1kxaql__sl500_aa300_
構成・執筆を担当しました。
すでに手にとられた方もいらっしゃるようだし、このブログでも制作日誌を書いていたので、内容についてはとやかく言いません。

2009年冬、僕は「ジョーク」として、『新子』の資料集の表紙をつくって、このブログに掲載しました。今回はジョークじゃないんだ、というその事実のみが、一切合切を語っているような気がします。

約一年前の吉祥寺バウスシアター公開から帰り道の気分があり、ひょっとして、ここらが終着駅なのかも知れない……と、これはまったく個人の胸のうち。このアニメ自体、まだまだ知られていないと痛感します。
今だから言えることですが、『新子』を見てない人はモグリだぜ!


昨日は、山下リオ主演『ほしのふるまち』のマスコミ試写。

これはまた、実に奇妙というか、奇ッ怪な映画です。なるべく誤解のないように書きたいんですけど、大部分の人は「なんだコレ、映画になってねーよ、ふざけんな」的な反応を示しそうな気がして……だとしたら、翻って愛おしさがこみあげてきます。

まず、山下リオの主演映画としては、『武士道シックスティーン』や『書道ガールズ!!』を見Images て、「あの脇役の子、かわいいのに出番がなくってもったいないな」と秘かに思っている人にとっては、かなり大きなプレゼントでしょう。

……が! 成海璃子や北乃きいの横で、長い髪をなびかせているキリンのように首の長い女の子――いったい誰なんだ、あの役に恵まれない女優は!とモヤモヤしていたほうが、実は楽しかったのではないか?という気もするのです。


映画として何がヘンかというと、全編、手持ちカメラで撮ってるんです。じゃあ、『ハルフウェイ』みたいに、半分アドリブのドキュメンタリックな作風かというと、セリフは8割がた、説明です。たとえば、トミーズ雅が電話口で「なんだ、お前、東京で就職するだと? 親になんの相談もなしに、勝手に決めんな!」って、なんでそんな丁寧に、理路整然と話してくれるんだろう。
あと、山下リオが進学をあきらめて就職すると母に告白するシーン。主人公がどうやってそれを知るのか、シナリオ的には腕の見せどころじゃないですか。なんと、「たまたま通りかかって、聞いてしまう」んです。

だから、登場人物みんな、すんごい段取りいいっすよ。みんな、常にスタンバっている。
それを、よれよれっとした手持ちカメラで撮っているから、映画としては空中分解している。だが、しかし!


主人公が、(これまた唐突かつ段取りっぽく)「実家の医者を継がずに、天文学を勉強したい」と言い出すんです。母親役の手塚里美が、主人公と話し合った後、もたいまさことお茶を飲む。「男の子って、勝手よねえ」「だけど、そこが可愛いんだよなぁ」って。
この手塚里美の演技が、どえらくリアルなのです。伊達に、ふぞろいの林檎じゃないですよ。笑顔まじりに吐くため息に、疲れと喜びが溶け合っていて。
Images2_2もたいまさこも、小林聡美と組んで、なんか自分探しみたいな映画に出てるより、こういうオバチャン役の方が、絶対にいい。分かりやすいもの。

それは、山下リオも同じなの。べたべたな説明ゼリフに、魂こめてるもの。
空中分解した映画を、女優たちがガッチリと裏からネジ止めしているんだよ。「ダメな映画を女優が救っている」という言い方では、むしろ「映画」の概念を自分の小さなスケールのなかに封じ込めてしまう。

「いやいや、こういう映画も、“映画”なのだ」と、気がつけるか気がつけないか。それには過去の自分を捨てなきゃならないけど、必要なことなんだ。

(C)2011「ほしのふるまち」製作委員会

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2011年3月 9日 (水)

■0309■

滅多にアニメを見ない友人が、「子供を連れて行って、俺が泣いてしまった」という『ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 ~はばたけ天使たち~』を見てきた。
平日昼間の回だが、女性の一人客やアベックも、ちらほら。この歳になると、「子供がいない」のは、ちょっとしたコンプレックスだ。独り身なのは、別にいいんだけど。

まず、前半のつかみ、ロボットの描写がいい。アオリで、胸の辺りにピントが合っていると、手前にある足はピンポケ。フォーカスで巨大感を出している。
ビームで高層ビルを両断するシーン、ビルの裂け目から爆風が次々と吹き出してくるエフェクトが素晴らしい。『エヴァ』かと思ってしまう。メカとエフェクトは、サンライズ作品でおなじみの鈴木勤氏。『THEビッグオー』とか、いろいろやっている人。


あと、キャラの輪郭線に強弱があって、ところどころ途切れているのが気持ちいい。劇場版の『ドラえもん』って、ぜんぶこうなの? 大スクリーンだと、こっちの方が映える。
あと、しずかちゃんの瞳は、茶系のハイライトがひとつ入っているのがオシャレなんだけど、ゲスト・キャラのリルルの瞳には、黄色いハイライトが入っている。
110113_dra_sub5_2リルルが、小さいロボットを助けるとき、自分の胸から黄色いパーツを取り出して、それを相手に与えたと思うんだけど、違ったかな。その黄色いパーツがジェミニィ(良心回路)であって、その良心の名残りが、瞳の黄色いハイライトとなって残っている……と解釈した。

それで、リルルが最後に使うパーツは、しずかちゃんのくれた緑色のパーツだよね。あれが要するに、「地球」の象徴だと思うんだけど、違うのかな。


でも、いちばんグッときたのは、しずかちゃんがリルルとすれ違う(初めて出会う)カット。
Top_hlicon_110304_01雨上がりの下校時、しずかちゃんは道端の花に気をとられながら、傘をたたむ。――しかも、花にまじまじと見入るのではなく、もっと無意識に花のほうへ姿勢を傾けている感じ。官能的だよ、そのラフな仕草は。
このカットだけ、悲しいぐらいリアルなんだよ。

「なんで悲しい感じがするのかな」と思っていたら、ラスト近くに、もう一回、出てきます。そこで、最初のカットが「悲しい」意味も分かる。こういう、似たようなカットやシーンではさむ手法を「ブックエンド方式」というそうです。
ラストシーンも、綺麗だった。どうして、サブタイトルが「天使たち」と複数形なのか、ちゃんと意味がある。かっちり作り込んでるんだよねぇ……。


俺は、子供向け映画をオッサンが堂々と見に行くことに、抵抗をおぼえるし、しずかちゃんの入浴シーンにも、なぜかモヤモヤしません。
00301209003001_2(←だけど、これは、すごく良いと思う)

児童文化というものに、あまりキッチリと向き合ってないんです。
『ドラえもん』に、親にたいするエクスキューズは明確にあるけど、それは大人(こと未婚の成人男性)に向けられたものではないような気がする。

『新・鉄人兵団』の良さは発見できるけど、発見した自分を割り切れない。「ターゲットから外されている気まずさ」は、ぬぐい切れない。

明日は、映画『ほしのふるまち』の試写会に行く予定です。『その街のこども』も『若手アニメーター育成プロジェクト』も、明後日までか。きっついなあ。

(C) 藤子プロ・小学館・テレビ朝日・シンエイ・ADK 2011

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2011年3月 8日 (火)

■0308■

数年前に『装甲騎兵ボトムズ』をイッキ見したとき、サンサ編は「箸休め」という印象だったのだが、いま見ると一番いい。キリコをえんえんと追いつづけるゾフィーのエピソードなんて、絶対に西部劇か戦争映画に元ネタがありそう(水筒の代わりに酸素ボンベなんだろうな)。

で、サンサ編を始めるにあたり、アニメ誌で高橋良輔監督が「色彩に画期的試みをする」と語っていたような気がする。その試みとは、主役ロボを一色で塗りつぶすことであった。
514imsl1orl__ss400__2 (←タカラトミーのDMZシリーズより)
こうして見ると、立体映えはしないのだけど、映像ではマズルフラッシュと、その照りかえしをハイライトで描き加えて、効率的に迫力を出している。いかに「画期的」な映像かは、審美眼を試される。

ようするに、「主役ロボを一色に塗りつぶす」試みは、アニメ制作現場としては有り難いけど、玩具のスペック的には、もう何かを捨ててしまっているわけで、そのへんがモヤモヤする。
サンサ編に来るころ(放映半年後)には、もう金型代は回収できていたということなんだろうか?


高橋良輔監督命名するところの「リアル・ロボット」のカラーリングが、実は『マジンガーZ』に準拠しているのは、『太陽の牙ダグラム』を見れば明らか。
4181s8e473l__sl500_aa300_上腕と大腿が、金属色なのね(写真は海洋堂のリボルテック・ヤマグチだけど)。
ようするに、合金玩具としては、金属の地金を露出したほうが、商品バリューにつながるんでしょう。超合金『マジンガーZ』の衣鉢を継いだのが、サンライズ「リアル・ロボット」の玩具カテゴリであった、という何やら複雑な話。

『戦闘メカ ザブングル』も『銀河漂流バイファム』も、主役メカは、上腕と大腿部が淡い色になっている。
その範にならわなかった『聖戦士ダンバイン』は、あっさり玩具スポンサーを潰してしまった(笑)。後番組の『重戦機エルガイム』も、白一色なんだけど、合金玩具は宣伝段階では地金を露出させた写真で、商品価値をアピール。全身一色は、玩具セールス的にはキツイんだってことね。

ロボット玩具というと、みんな「赤・青・黄色」というけど、あれは意外に玩具メーカーの首を絞めていたのではないか。パーツ数が、むやみに増えるから。


で、2色に塗り分けられたスコープドッグを見るとモヤモヤするのは、単にザクのパクリっぽいからだね。やっと気がついた。

今月末発売の「モデルグラフィックス 5月号」では、タルカスの五十嵐浩司さんとあさのまさひこさんと僕が、こんなような話をしているような、してないような。乞うご期待。

(C)サンライズ

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2011年3月 6日 (日)

■0306■

ファミリー劇場で、『装甲騎兵ボトムズ』を見ている。もともと通好みのデザインのロボを、さら125aにモノトーンで見せて、「ここまでやってプラモデル、売れるの? っていうか、4クールの制作費、金型代で回収できるのか?」と、改めて唸る。
だって、4クールの30分アニメって数億円のプロジェクトですよ? フックが「リアルなロボット」だけで、後は問わないというのも豪胆だよね。

『魔法少女まどか☆マギカ』が成立した背景には、『ひだまりスケッチ』シリーズのヒットがあることは明白だ。『ひだまり』が3期あるのは、最初から仕込んだんじゃなくて、DVDの売り上げが良好だったから。
だから、「蒼樹うめの絵なら、後は問わない」ぐらい、思い切った企画だった可能性がある……かどうかを、アニプレックスのプロデューサーに聞いてきます。(掲載媒体は、いずれ)


最初の頃、『まどか☆マギカ』を見ていて、えらい疲労したんだけど、第9話を見て「ああ、コレが原因だったのか」と確信した。
それは、会話シーンでカットが変わっているのに、同じキャラが、ほぼ同じフレームサイズで入っていること。例えば、「まどかが喋っているカット」の次に「まどかが悲しそうにしているカット」が、同サイズで繋がっている。普通は、サイズを変えます。
何のアニメでもいいんだけど、誰かが「実は私、○○くんと付き合っています」とか告白するアップがあったら、「ええーっ!」とみんなが驚くカットは、たいてい引きの絵(ロング)じゃないですか。そうやって、フレームサイズを変えて、テンポよくするんです。

だけど、『まどマギ』の「同サイズの絵をつなげて、ストレスを増す」のは、これはわざとやっているよな。
このカッティングに文句を言うのは、ピーター・グリーナウェイの演出がヘンだ、というようなものだ。(なんでグリーナウェイを引き合いに出したかというと、画面に記号が埋め込まれているのが新房作品っぽいかな、と)

ストレスも、度を越せば、エンターテイメントになる。蒼樹うめの絵をストレスに感じる人は、我慢して見たほうが、きっといいことありますよと、これは真剣にそう思っている。
僕は、劇団イヌカレーの絵を、いまだに直視できないもの。


佐倉杏子というキャラのフィギュアを、粘土で自作しはじめた人がいる。ところが、作っている最中に、杏子がああなってしまった。その人は「9話…最高でした 忘れられない作品になりそうです」とコメントして、いまだ作っている。

俺は、その人と『まどマギ』の関係に、ちょっと嫉妬を覚えるのよ。それを「しょせんは萌え、リアルな関係じゃない」なんていう権利は、誰にもない。

(C)サンライズ

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2011年3月 4日 (金)

■0304 Down By The Salley Gardens■

俺の友だちが、結婚した。常に女につきまとわれているモテ男であったが、結婚後、萌えフィギュア、それも露出度の高いエロっぽいフィギュアを、好んで買うようになった。
彼が言うには、「AVの女優は撮られていることを意識しているけど、アニメのキャラはカメラの存在を知ることがない。だから、エッチさの純度が増す」。

ようするに、実写なら女優の肉体があれば事足りるけど、アニメというのは「被写体をつくる」ところから始めるわけで、そもそもの立脚点がない。欲情するから撮るのではなく、欲情するために撮る(創る)。
足場のないところに組まれた欲望の楼閣は、足場がないがゆえに魅惑的なんだ、という話。


何だか、今の話ってフラクタル・システムみたいでしょ?
で、『フラクタル』7話です。吉野弘幸さんの脚本はハッタリが効いていて、番組のテコ入れとImage しては大成功だったんじゃない? でも、俺の『フラクタル』じゃない(笑)。あんなイヤボーンな展開で、ドラマチックなレイアウトであって欲しくなかった。いや、番組への注目度という点からは、まことに結構な策だと思うんだけど。

昨夜は放送終了直後から、2時間にわたって山本寛監督と氷川竜介氏の対談が、Twitter上で行われた。なぜだが、俺の頭の中には『王立宇宙軍』のセリフが、飛び交っていた。山本監督の態度は、ロケットに乗る覚悟を決めた後のシロツグみたいだ。「俺はやめないぞ。いやになったヤツは帰れよ。俺は最後まで立派に、元気にやるんだ!」ってやつですね。

で、「物事には綺麗な終わり方があるだろう?」と、将軍をネチネチといじめる貴族たちが、『フラクタル』を好きでもないのに群がっている野次馬って感じかな。


我々は、アニメを見るとき、ふたつのものを同時に見ている。ひとつは、視覚的欲望によってつくられた映像と、もうひとつは、その映像の連なりから読みとれる物語です。

で、最初に話したように、アニメの映像には被写体という物理的根拠がない。だから、アニメの感想って理念(物語論とかテーマとか)に陥りがちな気がする。
その視点に立つと、『フラクタル』は致命的なまでに穴だらけだと思う。じゃあ、俺は何を見てるのかっていうと、もっと表層なんです。前からずっと書いている芝居の部分です。どうしてこの構図なんだ、なんでこのカッティングだと気持ちいいんだ? そこに目を凝らしていれば、理念に足をすくわれなくてすむ。

少なくとも、全世界で俺一人だけは『フラクタル』に「芝居を見て欲しい」と頼まれているような気がする。根拠不在のアニメの中に、肉体ってやつを見てやろうじゃないか。それが「俺の」『フラクタル』のテーマなんです。

だから、昨夜の対談で監督が何を言っていようが、実はあまり関係なかったりする。テーマなんてものは、自分で見つけるものだから。

(C)フラクタル製作委員会

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2011年3月 3日 (木)

■0303■

ネットに情報がUPされてないようなので……。

原 恵一映画祭

【開催日程】
3月19日(土)~4月1日(金)
☆26日オールナイト&トークイベント開催!

【場所】
シネマート新宿 スクリーン1

【上映作品】
『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』
『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』
『河童のクゥと夏休み』
『カラフル』
『エスパー魔美 星空のダンシングドール』 ※オールナイト限定上映

【チケット】 各回1,300円

★先着で来場者特典あり! 数に限りがありますのでご注意ください。

☆3月26日オールナイト上映&トークショー
21:15開場 21:30開映 料金2,500円均一
●舞台挨拶上映回チケット購入方法→3月19日(土)10時よりチケットぴあにて発売開始 Pコード未定

アニプレックス主催なので、そのうち公式に発表されるかと……。
(上記データは、原監督の取材のときにいただいたプレスリリースのコピーより)


昨日、原恵一監督に『カラフル』関係でインタビューする前、『劇場版マクロスF 恋離飛翼~サヨ Colorful_3ナラノツバサ~』のスクリーンアベレージが、その週公開の映画で第一位であることを知った。なんか話のネタにならないかと思ったのだが、やはり原監督はマイペースであった。

スクリーンアベレージとは、初日・二日目の興行収入をスクリーン数で割ったもので、高ければ利益率がいいことになる。マニア向けのアニメ映画は、スクリーン数(館数)が少ない代わり、スクリーンアベレージが高い傾向にある。「こっちじゃ上映してねーよ」というお客さんが、新幹線に乗って来てまで、席を埋めてくれるからだ。

その考え方の応用で、スクリーン数を減らしておけば、『カラフル』や『REDLINE』は、もう少し届くべきお客さんに届かせられたんじゃないか?と思ったんだが、まったくの素人考え、大きなお世話であった。

『カラフル』は東宝配給、104スクリーンでスタートして、土日4,945万2,300円。スクリーンアベレージは47万といったところか(すみません、さっきの計算まちがってました)。対して、今度の『マクロスF』は38スクリーン、土日1億1,780万3,100円、スクリーンアベレージは310万円。そう計算すると、「やっぱり、マクロスの稼働率はスゲー!」となるわけです。
(計算まちがったついでに書くと、洋画の大ヒット映画でも『カラフル』のスクリーンアベレージを下回っていることがあります。なぜなら、スクリーン数が多いから)

でも、スクリーンアベレージが話題になるのって、どうしてアニメ映画ばっかりなんでしょうね。やはり、狭いパイの中で、ぐるぐる同じ人たちが見に行ってるから?


山下リオ『ほしのふるまち』の試写状が届いた。これは、絶対に行くよ。
俺は、山下リオの映画は、ぜんぶ見ると決めているから。

そういえば、仲里依紗が、今ごろ「日本アカデミー賞 新人俳優賞」を受賞したけど、これから彼女の仕事は、ちゃんと増えるんだろうね?
『純喫茶磯部』のとき、仲さんに新人賞をあげたのは、ヨコハマ映画祭と毎日映画コンクールだけだった。あの翌年、仲さんは、4本も映画に出られたんですよ。

大手4社が絡んでるからって理由で賞をあげたって、本人には意味ないよ。

(C)2010 森絵都/「カラフル」製作委員会

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2011年3月 1日 (火)

■0301 そうは云っても世界は終わらない■

俺の仕事は、幸せであると思う。
好きなアニメやマンガがあって、その作者さんに話を聞くことが出来るのだから。その時の印象や考えや、およそ言葉にもならなければ、お金にもならないものまで持ち帰ってきて、また同じアニメやマンガを楽しむことが出来るのだから。

『それでも町は廻っている』の考察やら検証やらを書いて(掲載媒体はいずれまた)、最後に作者さんにインタビューできて、泣き笑いながらテープ起こしして、原稿にまとめて送ったら、すっかり寂しくなってしまった。
「ああ、楽しかったなあ」って。まあ、ここだけの話、泣きました。

銀行に保険税を振り込みに行って、行員さんに説明を受けながら、ATMに向かって四苦八苦していたら、「あのぉ……いっぱい原稿たのんで、いいですか?」と、すごいフレーズで編集者が電話してきた。
ただ、ATMで税金を払っただけなのに、行員さんが「メモ帳、差し上げます! 使ってください!」と後ろから追いかけてきた。


『それ町』の取材で、紺先輩のことが、いろいろ分かった。どこまで載せられるか、ちょっと分からないが、とにかく原稿にはすべて網羅した。
Cab5gzx2_2俺は、紺先輩というよりは、『ネムルバカ』に出てくる、この人が好きなんだけどね。
名前もちがうし、作者さんにも「紺先輩ではない」というニュアンスのことを言われたけど、「でも、数年後の紺先輩とも受けとれますよね?」と食い下がってまで、俺はこの人が好きなんだ。

で、作者さんに「紺先輩の○○で□□なところがね……」とか説明されてしまうと、もう紙にひいたインクの線ではないですよ。だって、お互いが知っている人のことを、話しているわけだから。

だから、俺の仕事は、体温があるっていうことです。
――ああ、そうか。だから最近、ひと仕事おわるたびに、泣いてるんだなぁ。


あるブログで『まどか☆マギカ』の感想を読んでいたら、なんだか、女の子が女の子を守ったり慕ったりするだけで「百合」なんだとか。「死亡フラグ立てまくりだから、死ぬと思ってた」とか書いてあるんです。

別に俺は、誰がどんな経路でアニメやマンガを受容しようが、最終的に受容するならいいと思ってるよ? でも、「百合」とか「死亡フラグ」って経由は、ひょっとして拒んでんじゃないの、この物語を? いや、『まどか☆マギカ』の脚本は、すごいテクニックを使っているよ? でも、テクニックの示したものを記号化できないから、みんな怖いと感じる。怖いから、惹かれるわけですよ。

「百合」とか「死亡フラグ」という解読コードしか持っていないのは、病気です。でも大丈夫、その病気は治る。アニメ以外のものを、いっぱい見ればね。

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