■0301 そうは云っても世界は終わらない■
俺の仕事は、幸せであると思う。
好きなアニメやマンガがあって、その作者さんに話を聞くことが出来るのだから。その時の印象や考えや、およそ言葉にもならなければ、お金にもならないものまで持ち帰ってきて、また同じアニメやマンガを楽しむことが出来るのだから。
『それでも町は廻っている』の考察やら検証やらを書いて(掲載媒体はいずれまた)、最後に作者さんにインタビューできて、泣き笑いながらテープ起こしして、原稿にまとめて送ったら、すっかり寂しくなってしまった。
「ああ、楽しかったなあ」って。まあ、ここだけの話、泣きました。
銀行に保険税を振り込みに行って、行員さんに説明を受けながら、ATMに向かって四苦八苦していたら、「あのぉ……いっぱい原稿たのんで、いいですか?」と、すごいフレーズで編集者が電話してきた。
ただ、ATMで税金を払っただけなのに、行員さんが「メモ帳、差し上げます! 使ってください!」と後ろから追いかけてきた。
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『それ町』の取材で、紺先輩のことが、いろいろ分かった。どこまで載せられるか、ちょっと分からないが、とにかく原稿にはすべて網羅した。
俺は、紺先輩というよりは、『ネムルバカ』に出てくる、この人が好きなんだけどね。
名前もちがうし、作者さんにも「紺先輩ではない」というニュアンスのことを言われたけど、「でも、数年後の紺先輩とも受けとれますよね?」と食い下がってまで、俺はこの人が好きなんだ。
で、作者さんに「紺先輩の○○で□□なところがね……」とか説明されてしまうと、もう紙にひいたインクの線ではないですよ。だって、お互いが知っている人のことを、話しているわけだから。
だから、俺の仕事は、体温があるっていうことです。
――ああ、そうか。だから最近、ひと仕事おわるたびに、泣いてるんだなぁ。
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あるブログで『まどか☆マギカ』の感想を読んでいたら、なんだか、女の子が女の子を守ったり慕ったりするだけで「百合」なんだとか。「死亡フラグ立てまくりだから、死ぬと思ってた」とか書いてあるんです。
別に俺は、誰がどんな経路でアニメやマンガを受容しようが、最終的に受容するならいいと思ってるよ? でも、「百合」とか「死亡フラグ」って経由は、ひょっとして拒んでんじゃないの、この物語を? いや、『まどか☆マギカ』の脚本は、すごいテクニックを使っているよ? でも、テクニックの示したものを記号化できないから、みんな怖いと感じる。怖いから、惹かれるわけですよ。
「百合」とか「死亡フラグ」という解読コードしか持っていないのは、病気です。でも大丈夫、その病気は治る。アニメ以外のものを、いっぱい見ればね。
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コメント
「まどか」についてはまだ完結していない作品なので、先日からなかなかコメントしようと思っても考えがまとまらず、どうにも書きにくいところもあるのですが、この作品の「物語」と正面から向き合おうという覚悟にとても魅かれています。
最近のTV作品はとにかく設定の段階で逃げを打っているものが多い。戦争の時代を扱っているのに、敵を人外とし、人同士の傷つけあい、死、というその状況で当然あるべき辛い部分を物語の外に追いやってしまっていたり、学園生活作品の結末にあって当然の、自立や別れを描かないとか。
シチュエーションに閉じこもるのは見てる方も心地良い。でもそれは「物語」ではないんです、と誰かが作品で言わないとって思っていた所での「まどか」なのかなと思っています。
友人の為に一歩踏み出したいと思うのに恐怖に身がすくんで踏み出せないまどか、見返りを求めない正義を貫こうとしても、心がそれに耐えきれず壊れてしまうさやか、考えてみれば当たり前です。中学生の少女達がそんな大変なものを背負える訳がないのだから。
魔法、という力を彼女達に授ける事でいとも簡単にそんな事は乗り越えられるだろうという見てる側の勝手な幻想をこの物語はぶち壊しにかかっている。
情け容赦ないと言われるこの作品が、実は少女達の本当の気持ちに対して真摯であるという事を感じ取れるからこそ、見ている我々は彼女達の行く末がどうなるかを見届けることから逃げることが出来ないのではないでしょうか。
パターン、フラグ、そんなお約束な見方はもういい加減に卒業しないといけませんね。
ただ周辺の違う意味での盛り上がりというのは心情的にとてもよくわかるんです。Pixivに願望展開をこめたイラストが大量に出現したり、自作グッズ、造形物、果てはきゅうべぇを叩きのめす自作ゲームまで(笑)
シリアスな物語に揺すぶられたら、せめてそれをやらねば心の安定が保てない。みんなそういう物語を待望していて理解してるからだと思いますけれどね。なんというか、最近の作品でよくあった、ギターだのグッズだのにオクでとてつもない値段がついたのが話題になるとかというのとは違って、仕掛けじゃないこういう自然な盛り上がりって言うのはとても健全じゃないですか?
この感じはかつての「明るいイデオン」に似てるなあともおもったりします。
もうあとは物語がちゃんと着地する事を願うばかりですが、百戦錬磨の新房監督とシャフトならそこは上手くやってくれるだろうと信じています。
投稿: Miya-P | 2011年3月 1日 (火) 02時34分
■Miya-P様
>きゅうべぇを叩きのめす自作ゲーム
あれ、最高に面白かったです。いいセンスしてるなーと思って。何回やったかな。爽快でした。
>シリアスな物語に揺すぶられたら、せめてそれをやらねば心の安定が保てない。みんなそういう物語を待望していて理解してるからだと思いますけれどね。
ええ、仕込みでもないのに、みんなが主体的に動いているのって、それこそテレビの『エヴァ』以来だと思いますよ。あの頃とは、環境が激変しましたけどね。
だから、それこそ老婆心で、マニアの外に届かせるために、「どうせ死亡フラグ」「どうせ百合」「しょせん魔法少女」「しょせん萌え」という程度の受け止められ方をしていると誤解されたら、すごい損失じゃないかと思います。それは、作品にとっても、社会にとっても損失です。
僕はMiya-Pさんの言うように、中学生こそが見るべきだと思っています。そこまで届かせる価値がある……というか、たぶん、中学生も録画して見てますよね。僕らも平然と『発動篇』を見ましたもんね。
だから、すべて老婆心、おおきなお世話なんですけど。
>魔法、という力を彼女達に授ける事でいとも簡単にそんな事は乗り越えられるだろうという見てる側の勝手な幻想をこの物語はぶち壊しにかかっている。
そうなんです。だから、この物語では「お約束だろ」「フラグだろ」とか、ぬるま湯につかってきた俺ら成人男性が、断罪されてるんですよ。
俺らが、こんな悲愴な物語を生み出してしまったんだろう、と思います。その罪悪感は成人男性こそが、真摯に受け止めないと、みっともないぜ……って、これも大きなお世話かな(笑)
ただ、僕は『まどマギ』という新しいジャンル、この作品をベースに「二次創作」などとは呼びきれないものが出現しはじめていることに、本当にゾクゾクしているんです。
だから、大事にしたいなあって思っています。
投稿: 廣田恵介 | 2011年3月 1日 (火) 03時13分
『まどか☆マギカ』まだ本編は見ていませんが、廣田さんのこのブログを読んで何気なくググったらマミの最後のシーンの動画を目にしました。
お菓子魔女が大きな口を開ける、その口の中からマミを見下ろす、噛み付く、体のアップになりブラりとなる、魔法服から制服に変わる、画面が引いて黒い陰が落ちる..
以前から廣田さんがおっしゃっているテクニックというやつをビンビンに感じました。
わずか数秒ですが構成やテンポ、カットのつなぎでそのものズバリは見せずとも本物以上の印象を頭の中に残す....正直鳥肌が立ちました。
お陰で良い年こきながら夜寝られなくなりました。
投稿: YASS | 2011年3月 1日 (火) 21時33分
■YASS様
>構成やテンポ、カットのつなぎでそのものズバリは見せずとも本物以上の印象を頭の中に残す....
まさに、そうなんです。「絵をどう構成するか」が映像の思想であり、哲学だと思います。単に「生首をかじられました」以上のものを感じさせますよね。
そして、あのワンシーンだけで、どれだけ凄い作品か、よく分かります。何も、ぜんぶ見なくても。
もちろん、映画にも活字的な文学性はあると思うんですが、たまに「目で見たものだけ、見ろ」「目に映ったものから、読み解け」と言いたくなっちゃいます。
その「結果」として眠れなくなったり、私のように2時間ぐらい布団から出られなくなったりするわけで(笑)
いいコメント、ありがとうございます。
投稿: 廣田恵介 | 2011年3月 1日 (火) 21時58分
>あのワンシーンだけで、どれだけ凄い作品か、よく分かります。何も、ぜんぶ見なくても。
たったあれだけのシーンでもこちらの頭の想像力を最大限に引き出してくれました。特に体の力が抜けるだけでなく魔法服からすぅっと制服に変わるシーンで何が起きてしまったのか解らされた時、ガキの頃楳図がずおさんのホラー漫画をよんでチビリそうになった感覚が蘇ってしまいました。
投稿: YASS | 2011年3月 1日 (火) 22時29分
■YASS様
「見たくないのに見せられる」というのも、映像の特性ですよね。映画でも、『殺し屋1』なんかは連れを残して、ロビーへ退避しました(笑)
私は少し、『まどか☆マギカ』を見てしまったことを後悔しているし、耐えられず見るのをやめてしまった人もいるでしょうね。
だけど、恐怖マンガもそうですけど、「どうして怖いと感じるのか」を考えるのは、必要なことだと思います。それは自分の倫理や道徳、信仰に直結しているからです。
投稿: 廣田恵介 | 2011年3月 1日 (火) 22時44分