■0210■
東京ミッドタウンで、『マイマイ新子と千年の魔法』。
勝手に「ちょうど30回目では」とは決めつけていたのだが、28回目ぐらいらしい。
プロジェクター上映なので、確かに緑があざやか。
長子が土間を走って、勝手口の扉を開ける、その向こう、小太郎と初子が野良仕事している緑の、まぶしいこと!
近くに対比物があると、ひときわ緑が映える。
反面、ひづる先生が結婚の話をする夕陽のシーンは、やや大人しい色味に落ち着いていた気がする。
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この映画を見ると、われわれの世界の半分は「失った者への愛着」で構成されていることが、分かる。
貴伊子も諾子も、母を失っている。諾子は、友だちとなるべき女の子をも、あらかじめ失っている。
母の香水をつけた貴伊子は、手に触れられないものに触れようとしている。せめて、母の匂いを、わが身にまとおうとする。
諾子は、せっせと雛人形をつくるが、遊ぶべき相手がいない。だから、見えない相手と双六をする。
この映画の半分は、「見えないもの、触れられないもの」で成立している。
貴伊子は、ひづる先生の「いい匂い」に惹かれている……そこには、亡き母の香水のみが介在している。手では触れられない「匂い」だけが。
その、ひづる先生の結婚話。彼女の浮気相手も、これから結婚する相手も、画面には登場しない。彼らもまた、不可視の存在だ。
貴伊子は、ひづる先生の結婚話を聞かされる。彼女は、母の花嫁衣裳を想起し、ひづる先生と同じ名を持つ、ただそれだけの金魚を祝福する。印象と印象とを、繊細に結び合わせ、彼女は亡き母を祝福しようと試みる――が、香水という「匂い」を介在させたがため、その目論見は挫折する。
いや、金魚のひづるを「亡きもの」にしてしまったからこそ、いっそう、貴伊子は不可視の「印象」の世界へとダイブしていく――彼女は諾子と同一化するが、そのキッカケは、いつもの場所に千古が「いない」ことであった。
その場に「いない」「見えない」「触れえない」「印象しかない」者たちこそが、その対極にいるかのような子供たちを、深く結び合わせていく。
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タツヨシの父も同様である。彼が縊死するシーンは、映画にはまったく登場しない。タツヨシは父の死にすら、触れることができない。だが、父が「亡きもの」になったからこそ、彼は見たことのないはずの「子供のころの父ちゃん」を見る。
死が重要なのではない。そこに「いないもの」を「ある」と感じることでしか、われわれの世界は完成しないのだ。
ラストシーン、引越しする新子は、今まさに貴伊子にとって「見えないもの」になろうとしている。シゲルは、飼っていたカメを新子に渡す。彼は、自分のカメを「見えないもの」にすることによって、いっそう、新子との結びつきを強くするだろう。
子供たちにとって、「いないもの」など存在しない。この映画が、限りなくハッピーエンドなのは、「失うこと」を否定しないからである。
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さらに言うなら、映画という媒体こそ、「そこに存在していない」。フィルムの塊は、映画ではない。映画とは、間欠運動による錯覚でしかない。われわれは見終わったもの、「失われたもの」の印象を語り合う。
もう一度、頭から映画を再生したところで、映画は「終わり」に向かって驀進するだけだ。
「そこにいない」ものこそを、強く思うべきである――どうやら、われわれの世界は、そんな風に出来ているらしい。
(C)2009 高樹のぶ子・マガジンハウス/「マイマイ新子」製作委員会http://pia-eigaseikatsu.jp/piaphoto/title/240/151341_1.jpg
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コメント
>われわれの世界の半分は「失った者への愛着」で構成されていることが、分かる。
だからこそ人間の面白さ、人生の不思議さを深く知ることができる。そういうことなんじゃないかと...私は思う。「新子」は実に不親切で地味な映画。(もう失礼とも思わない)しかし人間が本来持ってる、「失ったものへの愛着力=想像力」を描くとなるとこういった構成(手法?)がど真ん中なんでしょうね!そう考えるとこの映画の良さが、まったく理解できない人っているじゃない?人間の本来もってる↑その不思議さ、ある意味怖さの部分を「自分の生きやすいように整理整頓され、便利に消去されたのでは」と思っている。
私は逆に、そのタイプの人は「怖い」。
投稿: ごんちゃん | 2011年2月10日 (木) 05時49分
■ごんちゃん様
ズバリその通りすぎて、返す言葉もない。
>その不思議さ、ある意味怖さの部分を「自分の生きやすいように整理整頓され、便利に消去されたのでは」と思っている。
「だって、それが事実でしょう」みたいに割り切る人って、いるよね。見えやすいものしか見ない、というか。
「目に見えないものは、それは無いということなんだ」とか言いだしそうで、確かに怖いんだよな、そういう世界観で生きてる人は。
あと、「あれは映画の中でのこと」とか言う人。映画と現実を、俺はそんなに分けて考えられないんだけどね。
投稿: 廣田恵介 | 2011年2月10日 (木) 11時00分