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『SUPERNATURAL THE ANIMATION』 いしづかあつこ監督インタビュー
「アニメ!アニメ!」にて、公開中→こちら
僕はこのインタビューの中で、物語の途中で色彩が一変してしまうことを議題にしています。
すると、いしづか監督からは「カゲをBLで塗りつぶしたことが幸いした」という答えが聞けたわけですね。
「そんなものは技術的問題じゃないか」と思うでしょうけど、「技術を行使する」ことが、イコール「表現する」ということなのです。映像作品、わけてもアニメーションは、特にそうです。「技術」とかかわりのない「表現」など、ありえない。
どんな思想も、技術の中にあるんです。僕がカットワークを気にするのは、そこに思想があるからです。テクニックって、血の通った工夫と知恵の痕跡だと思うんですよ。
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大雪の降った月曜日。深夜に酒を買いに出たら、マンションの花壇のところで、20代ぐらいの女の人が、小さな雪だるまを作っていた。携帯で撮影していたので、彼氏にでも送ったのかも知れない。
「稚気のある女の子」を演出しようとするその熱心な様が、ひるがえって愛らしい。その女性が、いかにして彼氏に好かれたいか、その心に想いをはせる。雪の夜に思う人がいるなんて、幸せなことだ。
本当につらいのは、目の前にいたはずの人と、話ができなくなること。
死は、別れではない。ついこの前まで、笑いを共有できた人と笑いあえなくなる。それこそが、別れである。
そんなことが自分の身に起きてしまったと気がついた日には、夕陽がいつにも増して身にしみる。
「君が来なくても、俺は待ってるよ」と一方的に約束して、駅のホームで凍えていた日、あの日も確か、雪が降っていた。売店にコーヒーを買いに行き、またベンチで待ちつづける。
あの日の僕は、降る雪を見つめながら、今この瞬間もホームで待ちつづけているのに違いない。あんな気持ちが、そう簡単に溶けてなくなるはずがない。
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しおれてしまった花を、生ゴミとして出すことに抵抗が出てきた。
次からは、徒歩30秒のところにある、上水のほとりに埋めてやろう。
最初に買ったスイートピーが枯れたときは、涙を流したものだが、ひとつの個体が亡くなっても、また次の個体が引きつぐものなのだと、理解するようになった。
カーテンごしに部屋を照らす陽も、街路樹を揺らす2月の風も、すべて自分とは無縁ではないと感じる。
母の過去を思うと、彼女が生まれる前にまで考えが遡ってしまう。
そこには、流転する命のサイクルのようなものが天地を貫いており、たまたま母も自分も、その流れの中で形を与えられたにすぎないような気がしてくる。
花は枯れても、流れる水が消え去るわけではない。
そう信じつつ、この埃まみれの現実の中を、もう何十年か這っていこうと思っている。
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コメント
お。
思いつきました!
「絵は口ほどにものを言う。」
画でも。
投稿: てぃるとろん | 2011年2月17日 (木) 12時36分
■てぃるとろん様
ダジャレすれすれだけど(笑)、その通りだと思いますよ。
理屈ですべてを語りきれるとは思わないけど、観念だけでモヤモヤしたことを言いすぎないように心がけたいものです。
投稿: 廣田恵介 | 2011年2月17日 (木) 12時50分
どんな状況・環境であっても、そのひとの想像力で楽しくもなりつまらなくもなる。
廣田さんは、何気ない日常にみえる季節の草花や当たり前すぎて感じなかった自然の存在を改めて感じて涙してる。そして...大きく大きく引いてみると、そこには小さな自分がいる!
お母様のお陰だね〜♥
私は、小さなころからその感覚があって空や雲、草花や森の中からパワーをいただいて生きてきたものだから、初対面の人とは自然の中でお話しすると凄く楽しく話せるんだ。うちの子もどうやら、そのあたり私に似たみたい。
廣田さん、埼玉に住めばいいのに〜
都心にも出やすいし自然も一杯だし...。
投稿: ごんちゃん | 2011年2月17日 (木) 16時16分
■ごんちゃん様
>廣田さん、埼玉に住めばいいのに〜
>都心にも出やすいし自然も一杯だし...。
いや、三鷹だって、玉川上水ぞいには自然が残っているよ。
それに、学生時代ずっと住んでいたから、ここを離れたくないんだ。近所に、友だちも住んでいるし。
以前の僕にとっては、花はただの花でしかなかった。
今は、雲であれ風であれ、いつの間にか変わっていくものに惹かれる。ただ黙って流れていくものの方が、どれだけ愛おしいだろう。
投稿: 廣田恵介 | 2011年2月17日 (木) 17時34分